日本史まとめ – 歴史note

日本史【51】軍部の台頭と第二次世界大戦2(近代ー20)

260807
日本史【51】軍部の台頭と第二次世界大戦2(近代ー20)

昭和戦前11
<東条英機内閣>(40代)
太平洋戦争
(日中戦争も続いたまま)
・1941年11月26日 ハル・ノート
「中国から撤兵・三国同盟廃棄・満州事変以前の状態に戻せ」

・1941年12月1日 御前会議で対英米開戦決定
→(アジア)太平洋戦争(大東亜戦争)へ

・1941年12月8日
①真珠湾攻撃(米領)
②マレー半島上陸(英領)

・1942年6月 ミッドウェー海戦
太平洋中部で壊滅的打撃を受ける。ここからは負けが続く。

・1943年9月 イタリア降伏。(残りは独と日本)
↓↓
・1943年11月 「カイロ会談」(@エジプト)
米:フランクリン・ローズベルト
英:チャーチル
中:蒋介石
→「カイロ宣言」
(日本の無条件降伏まで戦う。=アメリカの要求を受け入れる)
↓↓
日本はカイロ宣言を受け入れず。
・1943年11月 大東亜会議
占領地域の代表者を集めて「大東亜共栄圏」の結束強化を宣言。

<小磯国昭内閣>(41代)
・1945年2月 「ヤルタ会談」(@ソ連)
米:フランクリン・ローズベルト
英:チャーチル
ソ:スターリン
「ヤルタ協定」
秘密協定。ドイツ降伏後の、ソ連の対日参戦を決定。
(一応日本とは仲間である(日ソ中立条約がまだ有効)ソ連を米・英側に引き込む。だから表立って宣言はできない。)

・1945年3月 東京大空襲(B29)

・1945年3月 硫黄島の戦い:2万人玉砕

・1945年4月 沖縄戦
鉄血勤皇隊・ひめゆり隊(女子看護学生)など参加

<鈴木貫太郎内閣>(42代)
・1945年5月 ドイツ降伏

・1945年7月 「ポツダム会談」(@ドイツ)
米:(Fローズベルト→)トルーマン
英:チャーチル→アトリー
ソ:スターリン
「ポツダム宣言」
日本の無条件降伏を要求。
→鈴木内閣は「黙殺」。

・1945年8月6日 広島に原子爆弾投下

・1945年8月8日 ソ連参戦:日ソ中立条約を破棄して侵攻

・1945年8月9日 長崎に原子爆弾投下

・1945年8月14日 ポツダム宣言受諾:御前会議で決定

・1945年8月15日 終戦:同時に鈴木内閣、総辞職。

①カイロ会談
②ヤルタ会談
③ポツダム会談

 

日本史【50】軍部の台頭と第二次世界大戦(近代ー19)

260806
日本史【50】軍部の台頭と第二次世界大戦(近代ー19)

昭和戦前7 軍部の台頭1
<陸軍の派閥対立>
陸軍内部の派閥対立
・皇道(こうどう)派(急進派)過激→二・二六事件
真崎甚三郎(まさきじんざぶろう)

・統制派(穏健派)
東条英機・永田鉄山

<岡田啓介内閣>(31代)
・1935年 天皇機関説・問題化
(天皇の権利を押さえて国民の権利を)
内閣は「国体明徴声明」を発表。美濃部学説を否定。
(国体:国の政治体制。天皇制)
→美濃部達吉は貴族院議員を辞職。民主的なものはこのように潰されていく。

・1935年 永田鉄山(統制派)殺害事件
皇道派の相沢三郎が惨殺→皇道派のあせり
↓↓
・1936年 二・二六事件
(追い詰められた)陸軍皇道派・青年将校らのクーデター
1500人以上の兵士。
★戒厳令公布
・暗殺
蔵相:高橋是清
内大臣:斎藤実(元総理(30代目))

・重傷
海軍大将:鈴木貫太郎
↓↓
(結果)
岡田首相は無事だったが、岡田内閣、総辞職。
軍部内は皇道派が一掃され、統制派に一本化。

<広田弘毅内閣>(32代)
「広義国防国家」建設を掲げる

・1936年 「軍部大臣現役武官制」復活
(明治1900年にできた。1913年に改正して、軍が内閣をつぶすことはできなくなっていた。これをまたつぶせるように戻した。)

・1936年 「日独防共協定」調印
秘密協定でソ連を仮想敵国とする。(世界で孤立していた日・独が結び付いた。)

・1936年 西安(しーあん/せいあん)事件
張学良(張作霖の子)が蒋介石(国民党)を監禁。
(蒋介石(国民政府)は満州国を承認するなど、日本に大甘だった。)
→国民政府 VS 中国共産党の国共内戦停止・抗日を要求。
→日中戦争へ

<林銑十郎(せんじゅうろう)>(33代)

<近衛文麿内閣①(日中戦争)>(34代)
・1937年7月7日 盧溝橋事件
北京郊外で日中両軍が衝突。
(cf.1931満州事変・柳条湖事件・奉天郊外)
内閣は不拡大方針。
しかし関東軍は内閣に圧力をかけて戦線拡大。
↓↓
・1937年 日中戦争

・1937年8月 第二次上海事変
(第一次は満州事変のとき)

・1937年12月 南京(国民政府の首都)を占領
南京事件
中国は降伏せず。国民政府は西の重慶まで逃れて抗戦。泥沼の長期戦へ。(~1945.8まで続く)
(援蒋ルート・・米・英から支援を受ける。)

昭和戦前10
<近衛文麿内閣②(新体制運動)>(38代)
(国内)
・1940年 新体制運動
戦争遂行のための国民組織作り
①1940年 政党解散
→「大政翼賛会」(たいせいよくさんかい)結成。
(末端組織:隣組)

②1940年 労働組合解散
→「大日本 産業報国会」結成

③1941年 小学校
→「国民学校」と改称。お国のために尽くすんだ、という教育。

④1941年 米の配給制開始

<近衛文麿内閣②(対外政策)>(38代)
(日中戦争)
・1940年 北部仏印進駐【南進政策①】
(仏印(ふついん):フランス領インドシナ・・現・ベトナム、ラオス、カンボジア)
石油獲得・援蒋ルートの遮断が目的

・1940年 日独伊三国軍事同盟
(前の日独防共協定の仮想敵国はソ連だった)
→今度はアメリカ(米英仏蘭)を仮想敵国とする。米の仲間の仏の領土、仏印に進駐するということが、それを表している。
→アメリカは鉄鋼・くず鉄の禁輸へ(経済制裁)

・1941年 日ソ中立条約
全権:松岡洋右(ようすけ)外相
(米と対立する一方でソ連と手を組む)
(大正・1925年・日ソ基本条約・国交回復)

★近衛は開戦回避のための日米交渉開始。
(近衛総理は外相松岡とは違う動きに。直接米と交渉)
駐米大使:野村吉三郎
国務長官:ハル

<近衛文麿内閣③>(39代)
・1941年7月 南部仏印進駐【南進政策②】
→日米関係はさらに悪化。ABCDライン強化へ。
(米・英・中・蘭の対日経済包囲網)
例:対日石油輸出禁止

・1941年10月 対米強硬路線の陸相・東条英機と近衛内閣は対立
→総辞職

★戦時中の生活
①国内:勤労動員・学徒出陣・女子挺身隊
②朝鮮・台湾
・皇民化政策(日本人化)
創氏改名、日本語強制

 

日本史【49】恐慌の時代と満州事変2(近代ー18)

260806
日本史【49】恐慌の時代と満州事変2(近代ー18)

昭和戦前4
<浜口雄幸(外交・内政)>(27代)
外相:幣原喜重郎
(憲政会→民政党)

・1930年 ロンドン海軍軍縮条約
全権:若槻礼次郎
補助艦保有率
英:米:日=ほぼ10:10:7
(cf.1921-22 ワシントン条約・主力艦(大正時代))
↓↓
・統帥権干犯問題
海軍の条約反対派が首相を攻撃

・1931年 三月事件
軍部によるクーデター未遂事件

・1931年 東京駅で浜口首相は右翼に狙撃され、重傷。翌年亡くなる。
→総辞職

<若槻礼次郎内閣②>(28代)
★満州事変(1931-33)の始まり
・1931年9月18日 柳条湖事件(満州・奉天郊外)
関東軍による南満州鉄道・爆破事件(日本軍の自作自演とも)
若槻内閣は不拡大方針→関東軍は無視して拡大。

・1931年 十月事件
再度のクーデター未遂事件

<犬養毅(外交・内政)>(29代)
(政友会)(浜口・若槻は民政党)
・1932年 血盟団事件
右翼団体の血盟団(中心:井上日召)による、井上準之助(前蔵相)と団琢磨(三井合名会社・理事)の暗殺。

・1932年 満州国建国
清朝最後の皇帝(宣統帝)溥儀、執政就任(後に皇帝になるが日本の傀儡)
(関東軍が、清の満州族・女真族のため建国という名目。日本の侵略ではないと。)

・1932年 リットン調査団
国連から、リットン団長(英)らが来日し調査。

・1932年 五・一五事件
犬養毅首相暗殺→「憲政の常道」終了。
(加藤・若槻①・田中・浜口・若槻②・犬養)

昭和戦前5
<犬養毅(高橋財政)>(29代)
蔵相:高橋是清

★高橋財政
①1931年 金輸出・再禁止
(浜口内閣・井上時の解禁を、もう一度禁止に→また金本位制を停止)
→「管理通貨制度」導入。
国が金(GOLD)を使わないで、お金の価値を調整していく。

②低為替政策(円安政策)
→輸出急増(昭和恐慌を立て直した)
綿織物輸出は英に代わり世界一に。
(経済的にも孤立)

③積極財政
→赤字国債(国の借金)を発行し、景気回復をはかる。
(お金を発行しているのと同じ。貨幣価値は下がる。)
→インフレ

<財界の動き>
★新興財閥(満州事変以降に急成長)
・鮎川義介(あいかわよしすけ)(日産)
・野口遵(のぐちしたがう)(日窒)など
満州へ進出

<斎藤実(まこと)内閣>(30代)軍出身
満州事変
「挙国一致内閣」

・1932年 「日満議定書」締結
→斉藤内閣が満州国を承認。

・1932年 リットン(英)報告書公表
日本の行為を侵略と認定。

・1933年 国連総会(ジュネーブ)
満州国不承認案、採択
賛成42:反対(日本)1:棄権(不参加)(シャム)1
→松岡洋右(ようすけ)・全権退席
→国際連盟からの脱退通告(1933年)
国際社会から孤立していく。

・1933年 塘沽(たんくう)停戦協定
満州事変の停戦協定

 

日本史【48】恐慌の時代と満州事変1(近代ー17)

260806
日本史【48】恐慌の時代と満州事変(近代ー17)
昭和戦前1
<若槻礼次郎内閣①(協調外交)>(25代)
外相:幣原喜重郎
(憲政会)

・1926年12月 大正天皇没、摂政裕仁親王即位。
昭和改元。

・1927年 国民革命軍・蒋介石の北伐に不干渉(邪魔しない)(協調外交)

<若槻礼次郎内閣①(金融恐慌)>
蔵相:片岡直温(なおはる)

・1927年 金融恐慌
(発端)
未決済の震災手形をめぐる片岡直温蔵相の失言
(震災で支払い不能となった手形)
「東京渡辺銀行がつぶれた」と言ってしまった。(つぶれてない)
(内容)
取付騒動→銀行の破産、会社の倒産が続出
(預金者が引き下ろしに殺到)
(例)
鈴木商店(大会社):①倒産
↑↑不正融資(鈴木商店に財産・担保がないのに貸していた)
台湾銀行:②休業
特殊銀行、台湾を支配するために作っていた。

(結果)
若槻内閣:③総辞職
台湾銀行・救済緊急勅令案(国がお金を出す)
↓↓
枢密院は拒否。
(理由:幣原喜重郎外相の協調外交が不満だったから)
若槻礼次郎内閣①は総辞職。

<田中義一内閣(金融政策)>(26代)
蔵相:高橋是清(元20代総理)
(政友会)
今回の内閣は中国にも「強硬外交」。だから潰されない。

金融恐慌を収束。
・「日銀非常貸出」(台湾銀行などに貸す)
・「3週間のモラトリアム(支払猶予令)
の実施。
↓↓
五大銀行の金融支配
三井・三菱・住友・安田・第一(元・第一国立銀行)
(合併・統合が進んで、小さい銀行は倒産。カルテル・トラスト。平成にも同じような銀行再編・統合があり、メガバンクになった。第一→第一勧銀銀行→みずほ銀行に。)

インフレに。

昭和戦前2
<田中義一内閣(外交・内省)>(26代)
田中義一外相
(政友会)
・1928年 「パリ不戦条約」調印
提案:ケロッグ(米)・ブリアン(仏)
「軍艦を使わない」

(強硬外交)
・1927年~ 山東出兵(1次~3次)
(蒋介石の北伐に対する干渉(邪魔をする))
元々日本の利権があったところ。九ヵ国条約で返した。

日本は張作霖(北方軍閥)の支援をしていたが、蒋介石に敗れた。
↓↓
・1928年 張作霖爆殺事件(満州某重大事件)
奉天に帰る途中、列車ごと爆破。
→事件処理をめぐって田中内閣総辞職。

(※明治に置かれた「関東都督府」は、大正に「関東軍(軍)」と「関東庁(役所)」に分かれた。)

(国内)
・1928年 普通選挙法による初の総選挙
→無産政党員8名当選
(大政党に有利な小選挙区制でも、8名も出た)

・1928年 三・一五事件:共産党弾圧

・1928年 治安維持法改正:最高刑を(懲役10年→)死刑に改正

・1928年 特別高等警察・全国設置

・1929年 四・一六事件:共産党弾圧

<浜口雄幸(井上財政)>(27代)
蔵相:井上準之助(後に✕)
(憲政会→民政党)

★井上財政
・1917年 金(輸出)禁止(寺内内閣)
(=金本位制をやめる。欧が戦争中でやめたから。)
↓↓
①1930年1月 金(輸出)解禁
(=金本位制(固定相場制)に復帰した。)
※固定相場だと貿易しやすいから、復帰した。
→世界恐慌のあおり。
欧米と共倒れに・・

②緊縮財政(支出を圧縮する)
(明治・松方正義もやった手法。デフレ物価↓になった)

③産業合理化
(例)「重要産業統制法(1931年)」
会社の合併。カルテル(会社の連携)などの結成を助長。
↓↓
しかし、デフレと世界恐慌の影響で・・
↓↓
・1930年 昭和恐慌(大不況)
– 生糸(絹織物の原料・米向け。NY株暴落)の輸出激減。
– 中小企業、農家の没落。

☆恐慌
(大正)
①1920 戦後(WW1)恐慌
②1923 震災恐慌
(昭和)
③1927 金融恐慌
④1930 昭和恐慌

 

 

 

日本史【47】大正デモクラシー(近代ー16)

260802
日本史【47】大正デモクラシー(近代ー16)

<大正デモクラシー(理論的支柱)>

大正デモクラシー:民衆運動。第一次護憲運動から、男性普通選挙制・成立までの、時代思潮や社会運動。

・「民本(みんぽん)主義」:吉野作造
※「民主主義」だと「国民主権」になって、「天皇主権」に反することになるので「民本」を使った。憲法の中で、できる限り国民の権利を重視する考え。

・1918年 「黎明会」結成。学者の団体。

・「天皇機関説」:美濃部達吉
天皇を国家の一つの機関と考える。
↕ 論争
・「天皇主権説」:上杉慎吉

「民本主義」も「天皇機関説」も憲法と矛盾しない。憲法を否定するものではない。

<大正デモクラシー(労働運動)>
・1911年(明治43年) 「工場法」制定
初の労働者保護立法・制定→施行延期→1916年施行
12歳未満:就労不可
15歳未満・女性:12時間を越える就労不可・深夜業禁止
15人未満の工場には不適用

★労働組合の全国組織
(明治)
「労働組合期成会」
「社会民主党」→「日本社会党」
↓↓
(大正)
・1912年 「友愛会」(労資協調・まだ穏やか)
会長:鈴木文治(ぶんち)

↓↓(発展)

・1919年 「大日本 労働総同盟 友愛会」
(WW1戦後恐慌で運動が激しくなる。戦後恐慌と労働運動は表裏一体)
・1920年 第一回メーデー(原内閣)5月1日に労働者が集会

↓↓(発展)

・1921年 「日本労働 総同盟(階級闘争・激しくなる)」
↓↓(一部分裂)

・1925年 「日本労働組合 評議会」
日本労働総同盟を除名された左派によって結成。

<大正デモクラシー(社会主義)>
・1922年 「日本共産党」(社会主義の一つ。)
堺利彦・片山潜らが、ソ連のコミンテルン(国際共産党(本部モスクワ)の指導のもと、日本で非合法に結成。

・大杉栄:無政府主義者(→関東大震災1923、甘粕事件で✕)

★「社会主義」について
左翼全体を、広い意味で「社会主義」と呼ぶ。その中に「共産主義」、「無政府主義」、「社会主義」などがある。

<大正デモクラシー(婦人解放運動)>

・1911年 「青鞜(せいとう)社」(文学者団体)
平塚らいてう(平塚明・はる)(「らいちょう」と読む)
雑誌『青鞜』
「原始女性は太陽であった。」
↓↓
・1920年 「新婦人協会」
平塚らいてう(平塚明)、市川房枝
「治安警察法 5条」(女性の政治活動禁止)改正が目的→改正された。

「赤瀾会(せきらんかい)」
・1921年 山川菊栄・伊藤野枝(女性の社会主義団体)

「婦人参政権 獲得 期成同盟会」
・1924年 市川房枝
→戦後まで達成されず。(1945年に達成)

<大正デモクラシー(その他運動)>
☆部落解放運動
・1922年 「全国水平社」設立
被差別部落の差別解消目的。

☆農民運動
・1920年 小作争議の激化
小作人の闘争・小作料引き下げを求める

・1922年 「日本農民組合(小作人組合)」設立
杉山元治郎らによる。

☆無産政党
労働者や農民などを支持する政党

無産者階級(プロレタリアート)
VS
資本家(お金持ち)階級(ブルジョアジー)

・1926年(昭和元年) 「労働農民党」
杉山元治郎ら→同年分裂

 

 

日本史【46】大正時代(近代ー15)

260802
日本史【46】大正時代(近代ー15)

<原敬 内閣(大戦終結以前)>(19代)
・最初の本格的・政党内閣(外・陸・海相以外は政友会)
「平民宰相(へいみんさいしょう)」と呼ばれる。
(※最初の政党内閣は「大隈重信・内閣①」だったが、4ヶ月で終わったため、「政治をした」という意味では今回が初。)

・1919年 三・一独立運動
朝鮮での反日独立運動。「万歳事件」ともいう。

・1919年 衆議院議員選挙法・改正
直接国税規定を10円→3円へ(5.5%に)
小選挙区制を導入。解散後の選挙で政友会が圧勝。
(→国民は0円を求めていたから、不満が鬱積)

<原敬 内閣(パリ講和条約とその影響)>
・1919年 パリ講和会議
第一次世界大戦の講和会議
英〇・仏〇(露・離脱) VS ✕独

ヴェルサイユ条約・調印
全権:西園寺公望
(内容)
①山東省の旧ドイツ権益の継承。
(※「21カ条の要求」で中華民国に認めさせていたものを、欧にも認めさせた。)
②赤道以北の旧ドイツ領・南洋群島の委任統治。
↓↓
(中国からすると、当然日本に出て行ってほしい。)
・1919年 五・四運動
中国での民族運動。

・1920年 国際連盟・加盟
米大統領ウィルソンの提唱。(本部:ジュネーブ)
常任理事国:英・日・仏・伊(米・ソは不参加)
(※日本は現在の国際連合の常任理事国ではない。)

<原敬 内閣(大戦後の状況)>
・1920年 尼港事件
ニコラエフスク(尼港・にこう)で抗日パルチザン(非正規軍)に敗北。(シベリア出兵がうまくいかなかった。)

・1920年 戦後恐慌
(欧での戦争が終わって、欧の生産力が戻った。日本の物は売れなくなった。)
→労働運動激化
→翌年、原敬首相が東京駅で社会主義者に✕。
↓↓
同じ政友会の高橋是清が総理へ

<高橋是清 内閣>(20代)
・1921年~22年 ワシントン会議
(全権:加藤友三郎(海軍)(→21代総理に)・幣原喜重郎(→44代総理に))
米・大統領ハーディングの提唱
※日本がWW1(ヴェルサイユ条約)でもらった権利が、取り上げられる。(山東半島の独領など)
(1)四カ国条約 太平洋問題→「日英同盟」破棄
(2)九カ国条約 中国問題→「石井・ランシング協定」廃棄
(3)ワシントン海軍軍縮条約
主力艦 保有率(上限)
英5:米5:日3:仏1.67:伊1.67
(持ちすぎている分は壊さないといけない)
当時、日本は国際連盟の常任理事国。自分だけ軍備拡大というわけにはいかないため調印。

<加藤友三郎 内閣>(21代)
・1922年 日本共産党結成。堺利彦、山川均。非合法のうちに。
・1922年 シベリア撤兵完了
・1923年 首相在任中に病死

<山本権兵衛 内閣②>(22代)
(組閣中)
・1923年(大正12年)9月1日 関東大震災
大震災直後に組閣→震災の処理
例:戒厳令(軍による治安維持令)公布
(1905日比谷焼打事件で戒厳令)
・朝鮮人✕事件:在日朝鮮人✕
・亀戸(かめいど)事件:労働家✕
・甘粕事件:大杉栄・伊藤野枝(のえ)ら✕(甘粕正彦・憲兵大尉による)
・虎ノ門事件:裕仁親王(摂政)狙撃→内閣総辞職

・1923年 震災恐慌へ

<清浦奎吾 内閣>(23代)
清浦奎吾 貴族院中心の超然内閣を作る。(民主的ではない)
↑↑ (批判)
☆1924年 第二次護憲運動(「憲法を守れ」という運動)
護憲三派
・加藤高明(憲政会)
・犬養毅(革新倶楽部)
・高橋是清(政友会)
清浦は、この↑3つの政党「護憲三派」に批判される。

清浦内閣・総辞職

(cf. 第一次護憲運動は桂太郎内閣③が攻撃された。攻撃したのは犬養毅(立憲国民党)・尾崎行雄(政友会)など。)
↓↓
桂太郎は「立憲国民党」を引き抜いて「立憲同志会」を作る。→これが後に「立憲憲政会」になる。明治時代の「憲政党」とは別物。
↓↓
「憲政会」と「政友会」は二大政党のようになっていく。

<加藤高明 内閣①②>(24代)
「憲政会」総裁・加藤高明を首相とする「護憲三派」(憲政会・政友会・革新倶楽部)内閣

→「憲政の常道」(=民主的なあるべき姿)
(加藤高明 24代~犬養毅 29代の政党内閣)開始。

・1925年 日ソ基本条約
(シベリア出兵をしていたが撤兵)
ソ連と国交樹立←幣原外相の協調外交

・1925年 普通選挙法(アメ)
25歳以上の男子。直接国税の条件はなくなる。

・1925年 治安維持法(ムチ)
反政府運動を弾圧。
天皇制・私有財産制を否認する結社の禁止。(国民主権はダメ)
(1900年の「治安警察法」(山県有朋②)は依然としてそのままある。)

・1925年 五・三〇事件
在華紡の中国人労働者のスト
(在華紡(ざいかぼう):中国に進出した日本の紡績工場)

→大ストライキから、反日・反帝国主義運動へ

 

日本史【45】大正時代(近代ー14)

260801
日本史【45】大正時代(近代ー14)

<西園寺公望内閣②>(14代)

・1912年 大正改元

・1912年 陸軍の二個師団増設要求
→西園寺内閣②は、財政難を理由に拒否
→上原勇作陸相、辞任(陸軍のストライキ。大臣を出さない。=軍務大臣現役武官制を使う。)

→西園寺内閣・総辞職
(軍が内閣をつぶしてしまった)

<桂太郎内閣③>(15代)
・1912年 内大臣だった桂太郎が、宮中と府中の別を破って組閣したため批判が集中。「天皇を利用しているだけだ」。

☆1912年 第一次護憲運動
・尾崎行雄:(立憲)政友会
・犬養毅:立憲国民党
「憲政擁護」、「閥族打破」
↓↓
桂太郎は、新党結成で対抗。
・国民党の一部を吸収して「立憲同志会」を設立(桂の死後)

民衆のデモ。国会の周りを民衆が取り巻いた。
→内閣総辞職(大正政変)
(民主主義的風潮が強くなってきた証)

<山本権兵衛①>(16代)
・1913年 薩摩・海軍の山本権兵衛が組閣。
(与党:立憲政友会)

・1913年 軍部大臣 現役武官制 改正
現役規定を予備役・後備役(OBなど)にまで拡大

・1914年 ジーメンス(シーメンス)事件
海軍賄賂事件。独の会社。
→総辞職

<大隈重信②(第一次世界大戦)>(17代)
・1914年 第一次世界大戦(~1918年)
三国同盟
ドイツ・イタリア・オーストリア
VS
三国協商
イギリス・フランス・ロシア

サラエボ事件がきっかけ
(オーストリア皇太子が暗殺された事件)
・日本は日英同盟のよしみで参戦
・「中国・太平洋のドイツ領」を攻撃
・青島(山東半島)、南洋諸島の一部を占領

<大隈重信②(二十一カ条の要求)>
・1915年 (対華)二十一カ条の要求
外相:加藤高明(立憲同志会・内閣の中心)
↓↓
中華民国・大総統:袁世凱
5月9日 一部を除いて受諾
→この日を中国は「国恥(こくち)記念日」とする。
(内容)
①山東省の旧ドイツ権益の継承
②漢冶萍公司(かんやひょう・こんす)(製鉄会社)の共同経営
※公司(コンス)は中国語で「会社」

<寺内正毅内閣(大戦景気)>(18代)
・1915年~18年 大戦景気
①輸出急増(生糸・綿織物)
②世界第3位の海運国へ→船成金などの登場
③満鉄による鞍山(アンシャン)製鉄所設立(1918年)
→工業国へ

・1917年 西原借款(しゃっかん)
借款:国が国にお金を貸すこと。
日本政府・西原亀三(かめぞう)→段祺瑞(だんきずい)政権へ。中国への経済援助。(袁世凱の次の権力闘争)中国での権益拡大を意図。
→失敗(お金を貸したが段祺瑞が失脚)

・1917年 金輸出禁止(金本位制を停止)

<寺内正毅内閣(ロシア革命)>(18代)
・1917年 ロシア革命
ロマノフ王朝が倒れる。
レーニンの主導で、最初の「社会主義政権」成立。
↓↓
①1917年 石井・ランシング協定
日・米間。中国における日本の権益を承認。
(明治の終わりには仲が悪かった日米が、仲直り)
↓↓
②1918年 シベリア出兵
チェコスロバキア軍救出を名目に、英・米・仏と共に出兵。
(戦争中は物価が上がる。)
→米の買い占め、売り惜しみ→米価急騰
↓↓
・1918年 米騒動
富山の漁民主婦の蜂起(越中女一揆)から全国へ
内閣は軍を出して鎮圧。
寺内内閣・総辞職

 

日本史【44】日露戦争後の政治(近代ー13)

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日本史【44】日露戦争後の政治(近代ー13)

<西園寺公望内閣①(1906年)>(12)
ポーツマス条約で得たところが次につながっていく。
(①韓国の指導権②旅順・東清鉄道)
・1905年 「韓国統監府(とうかんふ)」設置(@漢城)(現ソウル)
初代統監:伊藤博文

・1906年 「日本社会党」結成。
最初の合法的社会主義政党。
堺利彦・片山潜らによる。
(※1901年 最初の社会主義政党「社会民主党」はすぐ解散させられた。)

・1906年 「鉄道国有法」制定
民営鉄道17社を国有化。

・1906年 「関東都督府(かんとう・ととくふ)」設置。
(関東州の統治機関)
@旅順(遼東半島)。中国のこの辺りの地域を関東と呼ぶ。

・1906年 「南満州鉄道 株式会社(満鉄)」設立。
旅順・長春間。ポーツマス条約で手に入れた鉄道利権。
半官半民。

<西園寺公望内閣①(1907年)>(12)
・1907年 「第一次日露協約」
支配権を相互承認
(日露戦争後、ロシアとの関係は良好)

・1907年 「ハーグ密使事件」
韓国が、日本の内政干渉をオランダのハーグ万国平和会議に提訴。
↓↓
・1907年 「第三次日韓協約」
韓国の「内政権」も吸収。
(第二次で外交権)
皇帝を退位させ、韓国の軍隊も解散させる。
→「義兵運動」激化。

<桂太郎内閣②>(13)
・1909年 伊藤博文暗殺事件
ハルビン(ハルピン)(満州)で安重根(あんじゅうこん)に暗殺。

・1909年 ノックスの中立案
米・国務長官ノックスが満鉄中立化(みんなのものにしよう)を提案→日露拒否

・1910年 「大逆(たいぎゃく)事件」
明治天皇暗殺計画を名目に、社会主義者らが大逆罪に問われる。幸徳秋水・菅野(かんの)スガら12名が死刑。
(→1911年 警視庁内(東京)に「特別高等課(特高)」設置。以後、社会主義は冬の時代へ。10年ほど活動できず。)

伊藤暗殺後
↓↓
・1910年 「韓国併合条約」
韓国併合(「韓国」を「朝鮮」と改称)
(国が否定され、日本の一部となる)
→「朝鮮総督府」設置
初代統監:寺内正毅(まさたけ)(→後に18代総理になる。1916)
(※朝鮮:1392年・李成桂が建国。1897年に「韓国」に名前が変わり、1910年にまた「朝鮮」に戻る)

<韓国統監府1905伊藤→朝鮮総督府1910寺内、台湾総督府1895樺山資紀、関東都督府1906>

・1911年 「日米通商航海条約」改正
→税権回復(外相:小村寿太郎)
(明治の最後の年、明治44年に、ようやく回復できた。始まりは日米修好通商条約(1858))

・1911年 「工場法」制定(→戦後の「労働基準法」につながる)
→初の労働者保護立法。施行は1916年。
15人未満の工場には適用せず。

<西園寺公望内閣②>(14)
・1911年 辛亥革命
→1912年 (清→)「中華民国」成立
(臨時大総統:孫文)
(明治まで清。大正から中華民国。)

・1912年7月 明治天皇没
→大正改元

(大正時代は、1926年12月まで。)

日本史【43】日露戦争(近代ー12)

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日本史【43】日露戦争(近代ー12)

<桂園時代>
桂園時代・・明治の最後の約10年間。1901(明治34)年~1913(大正2)年。
・桂太郎(陸軍・長州閥)・・山県有朋派
・西園寺公望(立憲政友会)・・伊藤博文派
山県有朋や伊藤博文は元老(天皇の非公式顧問)として、影響力を行使した。

<桂太郎内閣①(日露戦争前の政府)>(11)
戦前の国内の状況
■ 政府
・戦争反対派「日露協商論」
「満韓交換」(満韓をロシアと分け合おう。韓国は日本がもらうので満州はロシアへ)
伊藤博文・井上馨・尾崎行雄
VS
・戦争賛成派「日英同盟論」
桂太郎(首相)・小村寿太郎(外相)・山県有朋
↓↓
・1902年 「日英同盟(協約)」締結
一方と他国との交戦時は、もう一方は厳正中立(参加しない)
(→日露戦争へ前向き)

<桂太郎内閣①(日露戦争前の国民)>
「主戦論」
国民の大部分は主戦論。
VS
「非戦論」
幸徳秋水・堺利彦(社会主義)
「万潮報(よろづちょうほう)」(新聞)が戦争賛成に変わったため、そこの記者をやめ、「平民社」設立。
「平民新聞」を発行。反戦を訴え続けた。

内村鑑三(キリスト教)
与謝野晶子(ロマン主義)
「君死にたまふことなかれ」旅順港にいる弟を嘆いた詩

↓↓
<桂太郎内閣①(日露戦争)>(11)
・1904年 「日露戦争」開戦
戦争の経過(一部)
旅順占領:乃木希典
↓↓
日本海海戦:東郷平八郎
バルチック艦隊を破る
日本有利の状況で終戦。

・資金(17億円以上)は国債・増税・煙草の専売制などに頼る。

(戦争中)
・1904年 「第一次日韓協約」
韓国政府内に日本人顧問を採用。

・1905年 「桂・タフト協定」
アメリカが日本の韓国保護国化を承認。

↓↓
・1905年 「ポーツマス条約」
(全権)
日本:小村寿太郎外相
ロシア:ウィッテ
(米大統領・セオドア・ローズヴェルトの仲介)
①「韓国」に対する日本の指導権を認める。(ロシアは手を出さない)。
(※「朝鮮」→「大韓帝国(韓国)」に名称が変わっている)
②旅順・大連(遼東半島)の租借権を日本に譲る。
(日本が取り返した)南満州のあたり。
長春以南の東清鉄道と、その付属利権を日本に譲る。
③北緯50度以南の樺太(サハリン)領有を認める。
※賠償金はなし。
↓↓
・1905年 「日比谷焼打ち事件」
講和反対国民大会でのポーツマス条約の内容を屈辱とした暴動。戒厳令(軍による治安維持)施行。
(日比谷は鹿鳴館があった場所。)

・1905年 ハリマン計画
米鉄道王ハリマンが満鉄の日米共同経営計画を提案。
→政府は拒否。(日米関係が悪化)

・1905年 「第二次日韓協約」
韓国の「外交権」を吸収。
→保護国化
→1906年 「韓国総督府(とうかんふ)」を設置。

 

日本史【42】明治時代の産業発展(近代ー11)

260730
日本史【42】明治時代の産業発展(近代ー11)

<産業革命の全体図>

★軽工業中心(日清戦争前後)1890年代
・製糸業(繭→生糸)
・紡績業(綿花→綿糸)三河・尾張・河内
・綿織物業(綿糸→綿織物)
↓↓
★重工業中心(日露戦争前後)1900年代
・鉱工業の発達
・陸運と海運の整備
・財閥の形成
↓↓
★社会問題の発生
↓↓
★労働運動・社会主義運動の発展

<産業革命(軽工業)>
■ 製糸業
座繰(ざぐり)製糸→器械製糸(富岡製糸場)アメリカ向け輸出産業

■ 紡績業
ガラ紡:発明・臥雲辰致(がうんたっち/ときむね)
→「機械紡績」の登場で紡績業が発展。

中国・インドからの安価な綿花輸入により発展
・1882年 「大阪紡績会社」設立(渋沢栄一ら)翌年開業
・1890年 綿糸「生産」額、「輸入」額を超える。
・1897年 綿糸「輸出」額、「輸入」額を超える。
↓↓
・1897年 「金本位制」採用(←「貨幣法」1897年)
日銀で「銀」ではなく「金」と交換できるようになった。

■ 綿織物
国産力機織 発明:豊田佐吉(とよださきち)
→第一次大戦ごろ、日本の輸出の主力になっていく。

<産業革命(重工業)>
■ 鉄鋼業
(官営)八幡(やはた)製鉄所(福岡)
・1901年 操業開始→鉄鋼の国産化
☆原料
・石炭・・筑豊炭田(福岡)、撫順炭田(ぶじゅんたんでん)(中国から輸入)
・鉄鉱石・・大冶鉄山(だいやてつざん)(中国から輸入)

※鉄鋼は国産化できたとはいえ、まだ輸入が多い。原料も輸入に頼っている。

■ 陸運
・1906年(※日露戦争後) 「鉄道国有法」:民間鉄道の国有化
1/3が国鉄、2/3が民営だったのが逆転する。国が私鉄を買い上げて2/3が国鉄に。←国内輸送の一元化が目的。

■ 海運
・1893年 「ボンベイ航路」開通。
神戸・インド(ボンベイ)間
(※綿花をインドから輸入して運ぶため。)
日本郵船株式会社が開いた航路。

<産業革命(財閥の形成)>
★「財閥」(コンツェルン)の形成
様々な業種・経済体が結合したグループ
例:四大財閥
・三井:三井合名会社
・三菱:三菱合資会社
・住友:住友合資会社(別子銅山)
・安田:安田保善社(安田善次郎)

その他
・古河(ふるかわ):古河鉱業(古河市兵衛)

<産業革命(社会問題と労働者)>
★社会問題の発生
①高島炭鉱事件(長崎・三菱経営)
・1888年 高島炭鉱の暴動が雑誌『日本人』に発表。

②足尾銅山鉱毒事件(栃木・古河経営)
(足尾銅山は江戸時代は幕府経営→古河鉱業の経営に。)
渡良瀬川流域の鉱毒公害事件。
・1901年 代議士(国会議員)の田中正造が天皇に直訴。

③天満紡績スト
・1894年 大阪での大規模な女工のストライキ
(天満・青物市で出てきた)

★労働者の実態
・1889年 日本之下層社会(横山源之助)
・1903年 職工事情(農商務省編)
↓↓
労働運動・社会主義運動の発展。
「工場法」制定につながる。