歴史ドラマ – ページ 6 – 歴史note

「軍師官兵衛」Disc6-第24回「帰ってきた軍師」メモ

「軍師官兵衛」Disc6-第24回「帰ってきた軍師」メモ

三木城
別所長治

別所重棟は織田側についている。

地獄からの使者。官兵衛。

別所長治と一族の首を差し出すと家臣を助けるという条件。
別所長治は受け入れた。

織田の評判は悪いから、城兵を救って酒と肴を送り、織田の恩情を世間に知らしめる。

キレッキレになる官兵衛。


1580年 天正8年 1月
三木城 開城。
2年にわたる三木城攻めは終わった。

御着城 小寺政元
家臣、小河(おごう)も逃げる。嫡男 小河信章。
江田も裏切り逃げる。
小寺も城から逃げた。


有岡城
信長が酒を飲む。
能。般若。


軍師として半兵衛のようにならなくては、と気負う官兵衛。。

小寺政元を切るか・・。
切れなかった。。

「甘さ」ゆえ。。と自分で反省するが。。

秀吉はその決断にむしろ喜んだ。
憎い敵を切らずして逃がす。それでこそ官兵衛だ、と。


信長
石山本願寺と和睦

正親町(おうぎまち)天皇の仲介
佐久間信盛の交渉


信長。森蘭丸。

佐久間信盛を追放。


秀吉。
羽柴秀勝を養子にもらう。
信長の四男。

明智にライバル意識。


1580年 天正8年 9月

官兵衛は一万石の大名になる。

黒田家の紋所、旗を藤の花にする。

牢の中から見た藤の花。
辛い思いを思い出す。同時に「生きよう」という思いが湧いてくる。

「多くの死を見てきた。。死があればこそ、命は重く尊い。。黒田の者はみな命の重みをかみしめ、共に力強く生きていく。」

 

「軍師官兵衛」Disc6-第23回「半兵衛の遺言」メモ

 

「軍師官兵衛」Disc6-第23回「半兵衛の遺言」メモ

1579年 天正7年 11月
有岡城 落城

姫路に殿の無事が伝えられた。
(この時の侍女がよい。。)

秀吉が会いにくる。

信長にも会いに行く。
謀反の疑いを晴らしにいく。
松寿丸と再会。


有馬温泉
池坊(いけのぼう)
官兵衛は療養する。

 


京 妙顕寺
だしと高山右近が会う。
村重のことは恨んでいない。


善助「殿の足はもう元に戻らんかもしれん。。」
九郎衛門「わしらが生涯をかけ殿の足になればよい。」

家族の再会。。
官兵衛、てる、松寿


1579年 天正7年 12月
尼崎城で成敗が始まる。。
122名を磔。500名を火にかけた。。
裏切りの報い。。

信忠、明智光秀が懇願するも聞き入れず。

京 六条河原
村重一族郎党36名も根絶やしに。。
だしも処刑される。。


なかなか動かない足に苛立つ官兵衛。
毎晩夢にもうなされる。

半兵衛からの軍配をもらって気持ちを立て直す。


1580年 天正8年 正月

官兵衛 姫路城に戻る。

官兵衛「わしは以前のようには動けぬ。」
善助・家臣「殿!我らにお任せくださいませ!」

 

「軍師官兵衛」Disc6-第22回「有岡、最後の日」メモ

「軍師官兵衛」Disc6-第22回「有岡、最後の日」メモ

善助が忍び込んで声をかける。
生きる希望が見える。。

半兵衛が松寿丸に軍配を渡す。

1579年 天正7年6月
半兵衛亡くなる。36才。
「秀吉様。。面白うございました。。天下を。。」

半兵衛の夢を見る。。


岡山城。宇喜田直家も調子が悪い。
息子、宇喜田秀家。
織田に付くことを決めた。


村重「まだ死ぬなよ・・官兵衛・・」

1579年 天正7年9月 村重は有岡城を抜け出す。
尼崎城へ嫡男・荒木村次と共に。


1579年 天正7年10月
織田軍が有岡城に攻め込む。

織田は村重が降伏すれば助けると言ったが、それを言いにきた使者・荒木久左衛門は追い返される。。

看守。「この城も終わりだ。今まですまなかった。。逃げるがよい。。」
鍵を開けてくれる。。
息子玉松が気がかり。。
官兵衛「わしが預かろう。。」


家臣 3人が官兵衛を救い出す。

官兵衛「生きておる・・。。」

太兵衛「はい、殿は生きておいででございます!」

 

「軍師官兵衛」Disc6-第21回「松寿丸の命」メモ

「軍師官兵衛」Disc6-第21回「松寿丸の命」メモ

土牢(つちろう)
1578年 天正6年12月
織田軍有岡城攻め。苦戦。
万見仙千代討ち死に。

信長ブチ切れ。
官兵衛の仕業と決めつける。
人質松寿丸の首をはねよ、と。
半兵衛が承る。

官兵衛が絶望。。
生きる気力をなくす。
藤の花。

 

「軍師官兵衛」Disc5-第18回「裏切る理由」メモ

「軍師官兵衛」Disc5-第18回「裏切る理由」メモ

秀吉本陣 平井山。
播磨平定のため三木城の攻略に取り掛かる。
付城(つけじろ)を40作って、毛利の兵糧を入れさせない。
兵糧攻め。


荒木村重の家臣、中川清秀(茨木城)の家臣が裏切っていた。。毛利側についていた。これは宇喜田直家の指示。


毛利は九州から大友に攻められ動けない。

官兵衛は宇喜田(備前・岡山城)に「織田に付くなら今しかない」と交渉。


信長。地球儀。オルガンチノ。高山右近(高槻城)

イスパニア(スペイン)マゼランが3年かけて世界一周した。(1520年頃)50年以上前に世界が丸いことが分かった。

細川藤隆。
荒木村重の不穏な噂を報告。
光秀、仙千代が確かめにいく。

荒木村重 謀反。毛利側、本願寺に付く。


 

「軍師官兵衛」Disc5-第17回「見捨てられた城」メモ

「軍師官兵衛」Disc4-第17回「見捨てられた城」メモ

1578年 天正6年 5月
上月城。織田と毛利のにらみ合い。1月半。兵糧も尽きていた。
援軍は来ない。

織田信長は上月城に援軍は送らないと決めた。700対5万。播磨での織田の信用も失うと言ったが、だめだった。

秀吉 家臣 亀井新十郎
上月城に伝えに行く。毛利に降伏するように。。

「御礼申し上げる。。」


村重「所詮は使い捨てか。。」

半兵衛と官兵衛が話す。信長の非情なやり方についていけない官兵衛。。半兵衛は決断は正しかった。。という。嫌われても軍師としては最上の策をやるだけ。。と。自分のやり方を探したい官兵衛。


官兵衛と家臣団
太兵衛が孫子を!
「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」孫子
(意味:戦に勝つよりも戦わずに勝つことの方が上策)

「およそ兵戦の場は屍を止むるの地。死を必すれば即ち生き(しをひっすればすなわちいき)。生を幸いとすれば即ち死す(せいをさいわいとすればすなわちしす)」呉子(ごし)・治平(ちへい)第三

(意味:戦場とは屍(しかばね)をさらすところだ。死を覚悟すれば、生きのびることもできるが、生きながらえようと望んでいると、逆に死をまねくことになる。)


神吉城(かんきじょう)を落城。次は志方城。
滝川一益。顔に傷を負う。

万見仙千代(まんみせんちよ)信長の小姓。

荒木は6年、明智は10年。宿老。
荒木の気持ちが離れつつある。。見捨てられる。。と。


宇喜田直家が本当に味方か信用できないので、毛利軍はいったん退却。三木城(淀川長治)も、志方城(櫛橋左京進)も取り残された。。

「織田は上月を見捨て、毛利は我らを見捨てた。乱世の盟約とは儚いものよ。」
「官兵衛お前の勝ちだ。。」櫛橋左京進、切腹。


左京進の子供を官兵衛が引き取る。


平井山 秀吉本陣
改めて秀吉に付いていくと誓う官兵衛。


お紺が亡くなる。

 

 

 

「軍師官兵衛」Disc4-第16回「上月城の守り」メモ

「軍師官兵衛」Disc4-第16回「上月城の守り」メモ

秀吉軍は書写山へ本陣を移す。
円教寺。

毛利軍。三道併進(さんどうへいしん)。
総勢5万。

上月城。尼子軍700。
荒木村重が秀吉軍に合流。


安土城で能。
上杉謙信亡くなる。

信長は官職を辞する。
右大臣、右近衛大将(うこんえのだいしょう)
朝廷を庇護しているのは自分だ。


1578年 天正6年 5月
上月城。織田と毛利のにらみ合い。1月半。兵糧も尽きていた。援軍は来ない。

 

 

「軍師官兵衛」Disc4-第14回「引き裂かれる姉妹」メモ

「軍師官兵衛」Disc4-第14回「引き裂かれる姉妹」メモ

天正5年 1577年 11月
福原城 織田と毛利が激突。1日で織田が勝つ。
播磨の中で毛利に味方するのは上月城のみとなった。

上月城
身内同士の戦い。力(りき)とてる。
官兵衛が調略にいくが上月影貞(義兄)は毛利側のまま。

官兵衛の家臣団も仲間割れ。太兵衛と右衛門が喧嘩。

山陰の麒麟児、山中鹿介(やまなかしかのすけ)、尼子勝久(あまご かつひさ)
はやる官兵衛軍を助ける。半兵衛が根回ししてくれていた。

尼子家は毛利家に滅ぼされ再興をめざしていた。
「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った。

今日は身内が相手で焦りが出た。。と反省する官兵衛。
鹿介「自らのしくじりをつぶさに顧みるはなかなかできぬこと。。官兵衛殿はいずれとてつもない戦上手になられるでしょう。生き残っておれば・・の話ですが。ははは。」

家臣が謀反。上月影貞は討たれる。上月城は落城。
(宇喜田直家が後ろで糸をひいていた)

秀吉は上月城を尼子家に任せた。

播磨平定。

しかし上月城の家臣は信長によってみな討たれた。。←謀反して降伏したため。

信長は乙御前(おとごぜ)の茶釜を秀吉に。

「軍師官兵衛」Disc4-第13回「小寺はまだか」メモ

「軍師官兵衛」Disc4-第13回「小寺はまだか」メモ

秀吉の援軍が播磨に来る。
姫路城を明け渡す。義兄弟の書状。

粉骨砕身(ふんこつさいしん)・・(骨を粉にし身を砕いて)力の限りを尽くすこと。

秀吉のところに挨拶に来る。
神吉城主。神吉頼定 (かんきよりさだ)
三木城の別所長治と御着城の小寺は来ない。

秀吉的には別所重宗(しげむね)と官兵衛をつなぎとめるのが肝要。
重宗の娘と官兵衛の嫡男松寿丸を縁組みさせる。


長浜城で、おねの元で松寿丸、福島正則、加藤清正も一緒に育つ。


摂津。本願寺との闘い。荒木村重、高山右近、中川清秀が苦戦。


秀吉の方から小寺に会いにいく。プレッシャーかける。


天正5年 1577年 11月
秀吉8千の軍勢は西播磨へ。
福原城。
囲師必闕(いしひっけつ)。孫子の兵法。
三方を囲んで一方だけ逃げ道を作る。

大儀。天下統一。乱世を終わらせて天下泰平に。。
軍師官兵衛 ここに誕生。。