『豊臣兄弟!』2026 – 歴史note

『豊臣兄弟!』(16)「覚悟の比叡山」(2026/4/26放送)

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『豊臣兄弟!』(16)「覚悟の比叡山」(2026/4/26放送)メモ

[話]
・浅井家・家臣・宮部継潤を調略する。

藤吉郎の姉夫婦・ともと弥助の子、万丸(よろずまる・後の秀次)を人質(養子)として宮部継潤に差し出す。

比叡山・延暦寺
覚恕(かくじょ)

越前国主・朝倉義景、近江・浅井長政。
近江・宇佐山周辺。
森可成(よしなり)、討ち死に。

浅井・朝倉は比叡山にこもり、織田軍と2ヶ月膠着状態に。
公方様(将軍)が仲立ちして、和睦へとつなげる。
(浅井・朝倉を助けた形になったと、信長は疑う)

・元亀2年(1571年)9月12日
比叡山焼き討ち。

比叡山焼き討ちを明智光秀(十兵衛)と藤吉郎に命じる。

藤吉郎は女子供を逃がしたい。
軍目付(いくさめつけ)が見ているのに、逃がすことができるのか。

藤吉郎は初めて信長の命令に逆らう。

明智光秀は命令に従った。
信長はその恩賞に光秀に近江国、滋賀郡を与えた。
城持ち大名になる。坂本城。


「豊臣兄弟!紀行」(16)

・坂本城跡(滋賀県・大津市)
坂本は比叡山・延暦寺や日吉大社の門前町として栄えた。
町に石垣が残る。

琵琶湖岸に明智光秀が築城した「坂本城」があった。
水際に石垣の跡が残っている。

2024年に三の丸の石垣も新たに発見された。
中国の陶磁器も出土。

『豊臣兄弟!』(15)「姉川大合戦」(2026/4/19放送)

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『豊臣兄弟!』(15)「姉川大合戦」(2026/4/19放送)メモ

[話]
・金ヶ崎城の退き口のあと、明智十兵衛尉光秀(あけちじゅうべえのじょう みつひで)が家臣として織田家に加わることになる。十兵衛。

鉄砲の弾、硝石(しょうせき・硝酸カリウム)

・小谷城。
浅井家家臣・宮部継潤。
織田の間者。「お市は浅井側に付いた」と言って命をかけて守る。

・浅井討ちの戦略。
小谷城をいきなり攻めるのではなく、周囲の根城を一つずつ潰していく。
苅安城(かりやすじょう)、長比城(たけくらべじょう)を調略。
そして横山城を攻め落とす。長政が出てくるのを待つ。

・万丸(よろずまる・後の豊臣秀次)。姉ともの子。

・信長は徳川にも援軍を要請。三河・岡崎城。遅参。

・将軍。援軍は出さない。奉公衆・三淵藤英、和田惟政。

・元亀元年(1570年)6月19日
北近江へ。浅井・小谷城の前の虎御前山(とらごぜやま)に陣を構える。
城下を焼き払い、横山城を攻める。

朝倉の援軍は朝倉義景(よしかげ)(御屋形様)ではなく、一門の景健(かげたけ)が来る。

御屋形・・幕府から「屋形号」という名誉ある称号を許された守護大名や、家臣が主君を敬って呼ぶ尊称。足利一門、細川家の他に、朝倉義景、上杉謙信、武田信玄、今川義元、北条、大友、毛利など。

・姉川の戦い
元亀元年(1570年)6月28日
朝倉・浅井1万3000 VS 織田・徳川2万1000

織田軍の勝利


「豊臣兄弟!紀行」(15)

・「姉川」(滋賀県・長浜市)
伊吹山地から琵琶湖へ注ぐ川、姉川。
古戦場跡は血原(ちはら)と呼ばれる。
『姉川合戦図屏風』福井県立博物館

 

『豊臣兄弟!』(14)「絶体絶命!」(2026/4/12放送)

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『豊臣兄弟!』(14)「絶体絶命!」(2026/4/12放送)メモ

[話]
朝倉・浅井が出陣。
・北近江・小谷城
浅井長政
浅井家重臣・遠藤直経

・越前・一乗谷館
越前国主・朝倉義景
朝倉一門衆・朝倉景鏡

越前・金ヶ崎城

・信長の怒りで評議は混乱。
藤吉郎が己の足を刀で突いて騒ぎを静め、殿(しんがり)を申し出る。

前田利家が藤吉郎のために、つわものの家臣を残していく。

浅野長(長政。ややの夫。後の五奉行の一人)が藤吉郎の傷を気遣う。

 

・藤吉郎の一団が、しんがりを見事務めあげる。

・京都で信長が待つ

謡曲(能)
「命ながらへて、常磐(ときわ)の松のいろもよくよく」
めでたい歌詞


「豊臣兄弟!紀行」(14)

・「金ヶ崎城(かねがさきじょう)」(福井県・敦賀市)
朝倉氏の重要な城。信長はこの城を攻略し、越前侵攻の拠点とした。

浅井の離反で撤退。しんがりを秀吉が務める。
撤退戦は「金ヶ崎の退き口(のきぐち)」と呼ばれる。

・「信長の隠れ岩」(滋賀県・高島市)
秀吉に背後を任せ、信長は若狭街道から朽木へ。

 

『豊臣兄弟!』(13)「疑惑の花嫁」(2026/4/05放送)

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『豊臣兄弟!』(13)「疑惑の花嫁」(2026/4/05放送)メモ

[言葉]
・調練(ちょうれん)・・軍事の練習。

[話]
・慶(ちか)が小一郎に嫁いでくるが、心は閉ざしたまま。

・岐阜城。信長の元に明智が来る。公方様が元亀に年号を変える話になったが信長は受け入れず。

永禄13年。信長は将軍義昭に対して「五カ条の要望」を送りつけた。(「大名とのやりとりは全て自分を通すように」など)。義昭は受け入れたが、内心は怒り心頭。
奉公衆
– 三淵藤英(みつぶち・ふじひで)
– 和田惟政(わだ・これまさ)
– 細川藤孝(ほそかわ・ふじたか)

・近江・常楽寺にて
義弟・浅井長政と相撲を取る信長。

公方様の命で信長は若狭へ出陣。石山城の武藤友益(むとうともます)を討つ。武藤は朝倉と通じている。本当の狙いは朝倉討伐。

浅井長政は覚悟していたと。

信長は、浅井は近江を動かず、織田の後方の守りを務めるよう進言。万福丸(浅井の嫡男)を助けると約束する。

・永禄13年4月
総勢3万の幕府軍を率いて若狭へ進軍。徳川軍も一緒。

・松永久秀が織田との結びつきを強めたいので、小一郎に娘をもらってくれというが断られる。

 

小谷城・浅井家の評定

浅井家重臣
・宮部継潤
・遠藤直経

そこに父・浅井久政と、朝倉家一門衆・朝倉景鏡(あさくらかげあき)が入ってきて、浅井長政のどちらにも付ないという意見に反対する。

千載一遇・・絶好の機会

浅井の評定のことの次第を、忍びがお市に知らせる。

・越前(福井)
朝倉討伐開始。次々に城を落とし、金ヶ崎城にも入る。朝倉の本拠地、一乗谷(いちじょうだに)まで1日の距離まで来た。

信長が藤吉郎に万福丸を助け出すように言っているところに、柴田勝家が急いで来る。。浅井長政、謀反の知らせ。。!

 


「豊臣兄弟!紀行」(13)

・(滋賀県・長浜市)
琵琶湖の北部、湖北地方。三代にわたり浅井(あざい)氏が治めた。小谷城(おだにじょう)は、長政の祖父、浅井亮政(すけまさ)が築いた。難攻不落の城。

 


 

 

『豊臣兄弟!』(12)「小谷城の再会」(2026/3/29放送)

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『豊臣兄弟!』(12)「小谷城の再会」(2026/3/29放送)メモ

[言葉]
・評定(ひょうじょう)・・会議

[登場人物]
・万丸(よろづまる)・・秀吉の甥。秀吉の姉ともと、弥助(三好吉房)の長男。後の豊臣秀次。
・小吉(こきち)・・秀吉の甥。姉夫婦の次男。
・寧々の妹ややの婿。浅野長吉・・後の浅野長政・五奉行の一人。
・万福丸(まんぷくまる)・・浅井長政の前妻との子。嫡男。
・慶(ちか)・・安藤守就の娘。

[話]
・信長は将軍義昭のため「二条御所」を70日で造り上げた。
ルイス・フロイス。
藤戸石(ふじといし)。源平の世から天下人が好んだ勝利の石。

・藤吉郎は「京都奉行」に任命された。
信長が寺から宝物(ほうもつ)や室礼(しつらい)を二条御所に持ってきた。

日蓮(法華)宗。題目「南無妙法蓮華経」

・但馬や伊勢での戦もこなす。

・信長が近江・小谷城(おだにじょう)浅井長政、に行く。

浅井家重臣・遠藤直経

 


「豊臣兄弟!紀行」(12)

・「二条御所」(京都府・京都市)
京都御苑(かつての公家屋敷)の西側にあったとされる二条御所。(旧二条城跡)

・「醍醐寺(だいごじ)」(京都市・伏見区)
(真言宗・醍醐派の総本山)。秀吉の「醍醐の花見」で知られる。
二条御所に置かれていた「藤戸石(ふじといし)」が残る。

藤戸石は天下の名石(めいせき)と呼ばれ、足利義満など権力者に引き継がれてきた。当時、細川邸にあったものを、信長が鳴り物入りで京都の町を練り歩き、二条御所に移したとされる。

 


 

 

『豊臣兄弟!』(11)「本圀寺の変」(2026/3/22放送)

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『豊臣兄弟!』(11)「本圀寺(ほんこくじ)の変」メモ

永禄11年(1566年)~永禄12年(1567)

[言葉]
・10間(けん)(18m)の廊下
1間・・1.8m

・天下(てんが)

・矢銭(やせん)・・大名が課した軍用金

[話]
・摂津・芥川城(信長が三好を追い払って攻略した城)に、松永久秀(大和・多聞山城主)が訪ねてくる。松永弾正。

・京都 六条 本圀寺(ほんこくじ)
足利義昭がいる寺
奉公衆(将軍の側近)
– 三淵藤英(みつぶち・ふじひで)
– 和田惟政(わだ・これまさ)
– 細川藤孝(ほそかわ・ふじたか)

・堺はどこの大名にも属さない、商人たちの自治の町。鉄砲もある。信長は松永を通じて堺の鉄砲を手に入れたい。

・会合衆(えごうしゅう/かいごうしゅう)
三代宗匠。茶人、豪商。
– 今井宗久
– 津田宗及
– 千利休

堺は会合衆という有力商人の合議制によって治められていた。

・矢銭(やせん)2万貫(にまんがん)
1貫=10万円として、20億円

・北近江・小谷城
浅井久政

三好三人衆
– 三好長逸(みよし・ながやす)
– 三好宗渭(みよし・そうい)
– 石成友通(いわなり・ともみち)

・永禄12年1月
本圀寺の変
明智光秀が守る。

本圀寺は三好が代々崇めていた寺。
日蓮(法華)宗。南無妙法蓮華経。

 


「豊臣兄弟!紀行」

・堺(大阪府・堺市)
国際貿易都市として栄えた。
西洋の地図に「Sacay(サカイ)」と表記が残る。町の出入りは制限され、海と堀に守られていた。

会合衆には千利休、今井宗久、津田宗及などもいた。茶室は政治の場にもなった。


 

 

『豊臣兄弟!』(10)「信長上洛」(2026/3/15放送)

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『豊臣兄弟!』第10回「信長上洛」(2026/3/15放送)メモ

[第10回時点]
永禄10年(1565)~永禄11年(1566年)

[言葉]
奉公衆(ほうこうしゅう)・・室町幕府で将軍直属軍を構成した御家人。

[話]
・永禄10年9月。稲葉山城、攻略。岐阜城と改め、居城とする。

・信長はこの頃より「天下布武」という言葉を使い始める。

「天下布武」・・武力によって「天下」を平定すること。ただしこの「天下」とは、日本全国のことではなく、五畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津)、足利将軍の勢力範囲のこと。

つまり「天下布武」とは、「朝廷を守る足利将軍家の政治運営の再興」を意味する。

・碗一つ・・三十貫
三十貫は、約300万円ほどか。
一貫=1000文。約10万円。(約5万円~15万円)

・永禄10年。明智 十兵衛尉 光秀(あけち じゅうべいのじょう みつひで)が、畿内を追われた将軍候補・足利義昭の使者として岐阜城を訪れる。信長上洛を促しに来た。(岐阜城の庭の滝)

・信長は岐阜城下の関所と座をなくして(楽市・楽座)誰もが商いができるようにした。

・当時、三好三人衆や松永久秀らが、室町幕府13代将軍・足利義輝を暗殺して、畿内を制圧している。(永禄の変・1565年)

それを征伐して、義昭を将軍にして世を正すために、信長の力を借りたい。上洛を促す。

・京に上る前に、六角、浅井(あざい)と事を構えなくてはいけない。浅井は朝倉と深いつながりがある。

・浅井長政にお市が嫁ぐ。人質として。
浅井の城。近江・小谷城(おだにじょう)(滋賀県長浜市/琵琶湖の北東)
浅井久政・・長政の父。前当主。

勝家とお市が話す。

・三河・徳川家康は、信長の上洛には手を貸せない。今川で手一杯。少しの兵だけ出す。信長が上洛のすきに、美濃と尾張を攻められたのにと悔しがる。

・永禄11年、9月。信長は、足利義昭を奉じて上洛戦を開始。徳川、浅井を合わせ、兵はおよそ6万。

六角氏・箕作城(みつくりじょう)(琵琶湖の東)を数日で撃破。

三好三人衆
– 三好長逸(みよし・ながやす)
– 三好宗渭(みよし・そうい)
– 石成友通(いわなり・ともみち)

三好氏も阿波国(徳島県)へ引き下がる。

 

・京都の町は度重なる戦乱により荒れ果てていた。

京都 本圀寺(ほんこくじ)
朝廷により義昭が十五代将軍に任ぜられた。

織田 弾正忠(だんじょうのちゅう)信長。
副将軍は断る。

奉公衆(将軍の側近)
– 三淵藤英(みつぶち・ふじひで)
– 和田惟政(わだ・これまさ)
– 細川藤孝(ほそかわ・ふじたか)

– 甲斐国主:武田信玄
– 越後国主:上杉輝虎(上杉謙信)
– 越前国主(一乗谷):朝倉義景
– 土佐 岡豊城主:長宗我部元親
– 荒木村重
– 大和 多聞山城主:松永久秀

 

信長はここから「天下一統」を目指す。

 


「豊臣兄弟!紀行」

・「岐阜城跡」(岐阜県・岐阜市)
金華山・山頂。「稲葉山城」から「岐阜城」となる。

信長は巨大な岩盤を背景にして庭を作り、人為的に水を流し滝を作らせた。
信長は岐阜城に10年ほど居住して、ここから上洛を果たした。

 


 

 

『豊臣兄弟!』(9)「竹中半兵衛という男」(2026/3/8放送)

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『豊臣兄弟!』(9)「竹中半兵衛という男」(2026/3/08放送)メモ

[第9回時点]
永禄10年(1567年)
小牧山城
美濃の攻略

[言葉]
・所望(しょもう)する:ほしい。注文する。

[話]
・竹中半兵衛尉重治(たけなかはんべいのじょうしげはる)。
主君・斎藤龍興と不仲。稲葉山城をわずか16人で乗っ取ったといわれる。

孫子、荘子などの本。小牧山城の模型など。菩提山上。代々竹中家が継いできた。

・美濃・斎藤龍興
松平(家康)・今川は動かない。松平と織田は盟約を結んでいる。

竹中半兵衛が3年前に稲葉山城を乗っ取ったが、切腹ではなく、改易、蟄居で済ませた。

祖父からもらった平安のころ宋から伝わった書物。『三国志抄 諸葛亮伝』

「三顧の礼(さんこのれい)」・・蜀の劉備が諸葛孔明のところを三回訪ねて軍師に迎え入れるのに成功した。草廬三顧(そうろさんこ)。

・永禄10年(1567年)秋
織田家が斎藤龍興の本拠、美濃・稲葉山城を攻める。井口山(いのくちやま)、瑞陵地山(ずいりょうじやま)に火を付けて、出てくるように促す。

半兵衛が斎藤龍興側に付く。強い織田と戦ってみたいから。朝倉と六角に援軍を頼んだ。しかし織田が勝つ。

永禄10年9月、信長は居城を稲葉山城へと移す。
岐阜城となる。

[登場人物]
斎藤龍興
斉藤家重臣(美濃三人衆)
– 氏家直元(卜全・ぼくぜん)
– 稲葉良通(一徹)
– 安藤守就
竹中半兵衛


「豊臣兄弟!紀行」

・大御堂城跡(岐阜県大野町)
濃尾平野の西北。竹中半兵衛生誕の地。

・菩提山(岐阜県垂井町)
菩提山の山頂に城を築いた。
竹中家は江戸の終わりまでこの地を治め続けた。


 

 

『豊臣兄弟!』(8)「墨俣(すのまた)一夜城」(2026/3/1放送)

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『豊臣兄弟!』(8)「墨俣(すのまた)一夜城」(2026/3/1放送)メモ

[第8回時点]
永禄9年(1566年)
兄・秀吉 30才(1537生)
弟・秀長 29才(1540生)
信長 33才(1534生)
美濃攻め

[言葉]
・出立(しゅったつ):出発すること

・「細工は流々。あとは仕上げを御覧(ごろう)じろ」:(ごろうじろ→ご覧ください)仕事の進め方や過程については色々あるので、最終的な仕上がりを見てから評価してほしいという自信を表す言葉。江戸の職人が注文主に対して、静かに結果を見てほしいというニュアンスで使われた。

[話]
・美濃の本城は「稲葉山城」
墨俣砦と稲葉山城の間に美濃三人衆の守る城がある。
・大柿(おおがき)城・・氏家直元(卜全・ぼくぜん)
・曽根城・・稲葉良通(一徹)
・北方(きたかた)城・・安藤守就(安藤伊賀守・あんどういがのかみ)

美濃と尾張の国境の「墨俣砦」はおとり。その間に「稲葉山城」に一番近い「北方城」を攻めるという作戦。

・小一郎は前野殿と共に森殿に合流して北方城へ。

・竹中半兵衛登場

・直は父に挨拶へ。その後、村の抗争に巻き込まれる。

 

[登場人物]
・蜂須賀小六正勝

・美濃国主:斎藤龍興
斉藤家重臣(美濃三人衆)
– 氏家直元(卜全・ぼくぜん)
– 稲葉良通(一徹)
– 安藤守就

 


「豊臣兄弟!紀行」

・「水の都」(岐阜県大垣市)
墨俣・・東国と京を結ぶ鎌倉街道の宿場や、水運を利用した川湊(かわみなと)として繁栄。美濃路。
「墨俣一夜城跡公園」
江戸時代『絵本太功記』人形浄瑠璃や歌舞伎にもなった。
秀吉の名前は「真柴久吉」となっている。


 

『豊臣兄弟!』(7)「決死の築城作戦」(2026/2/22放送)

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『豊臣兄弟!』(7)「決死の築城作戦」(2026/2/22放送)メモ

[第7回時点]
永禄8年(1565年)
兄・秀吉 29才(1537生)
弟・秀長 28才(1540生)
信長 32才(1534生)
小牧山城
美濃の攻略

[言葉]

[話]
・藤吉郎が、木下藤吉郎秀吉になったとき、小一郎も長秀の名をもらっていた。→木下小一郎長秀に。

・織田信長は犬山城(尾張)を落とした。→これでようやく尾張統一を果たした。次は美濃・墨俣(すのまた)。

・藤吉郎は侍大将の一人として評定へ参加。

・墨俣に砦を築こうとするも、佐久間、柴田はうまくいかず。

・敵は斉藤ではなく「とき」だと教えてもらう。美濃の守護の土岐(とき)?時?

・川並衆(地侍の集まり)。元・川並衆の前野長康に紹介してもらう。木曽川。

[登場人物]
・蜂須賀小六正勝

・美濃国主:斎藤龍興
斉藤家重臣(美濃三人衆)
– 氏家直元(卜全・ぼくぜん)
– 稲葉良通(一徹)
– 安藤守就

・ねねの妹・やや


「豊臣兄弟!紀行」

・蜂須賀小六正勝公碑・蜂須賀城跡(愛知県あま市)
蜂須賀小六は秀吉の腹心として名高い。

・徳島城跡(徳島県徳島市)
蜂須賀家には阿波国が与えられ、江戸の終わりまでこの地を治める大名となる。


第7回 演出:渡邊良雄