『豊臣兄弟!』第10回「信長上洛」(2026/3/15放送)メモ – 歴史note

『豊臣兄弟!』第10回「信長上洛」(2026/3/15放送)メモ

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『豊臣兄弟!』第10回「信長上洛」(2026/3/15放送)メモ

[第10回時点]
永禄10年(1565)~永禄11年(1566年)

[言葉]
奉公衆(ほうこうしゅう)・・室町幕府で将軍直属軍を構成した御家人。

[話]
・永禄10年9月。稲葉山城、攻略。岐阜城と改め、居城とする。

・信長はこの頃より「天下布武」という言葉を使い始める。

「天下布武」・・武力によって「天下」を平定すること。ただしこの「天下」とは、日本全国のことではなく、五畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津)、足利将軍の勢力範囲のこと。

つまり「天下布武」とは、「朝廷を守る足利将軍家の政治運営の再興」を意味する。

・碗一つ・・三十貫
三十貫は、約300万円ほどか。
一貫=1000文。約10万円。(約5万円~15万円)

・永禄10年。明智 十兵衛尉 光秀(あけち じゅうべいのじょう みつひで)が、畿内を追われた将軍候補・足利義昭の使者として岐阜城を訪れる。信長上洛を促しに来た。(岐阜城の庭の滝)

・信長は岐阜城下の関所と座をなくして(楽市・楽座)誰もが商いができるようにした。

・当時、三好三人衆や松永久秀らが、室町幕府13代将軍・足利義輝を暗殺して、畿内を制圧している。(永禄の変・1565年)

それを征伐して、義昭を将軍にして世を正すために、信長の力を借りたい。上洛を促す。

・京に上る前に、六角、浅井(あざい)と事を構えなくてはいけない。浅井は朝倉と深いつながりがある。

・浅井長政にお市が嫁ぐ。人質として。
浅井の城。近江・小谷城(おだにじょう)(滋賀県長浜市/琵琶湖の北東)
浅井久政・・長政の父。前当主。

勝家とお市が話す。

・三河・徳川家康は、信長の上洛には手を貸せない。今川で手一杯。少しの兵だけ出す。信長が上洛のすきに、美濃と尾張を攻められたのにと悔しがる。

・永禄11年、9月。信長は、足利義昭を奉じて上洛戦を開始。徳川、浅井を合わせ、兵はおよそ6万。

六角氏・箕作城(みつくりじょう)(琵琶湖の東)を数日で撃破。

三好三人衆
– 三好長逸(みよし・ながやす)
– 三好宗渭(みよし・そうい)
– 石成友通(いわなり・ともみち)

三好氏も阿波国(徳島県)へ引き下がる。

 

・京都の町は度重なる戦乱により荒れ果てていた。

京都 本圀寺(ほんこくじ)
朝廷により義昭が十五代将軍に任ぜられた。

織田 弾正忠(だんじょうのちゅう)信長。
副将軍は断る。

奉公衆(将軍の側近)
– 三淵藤英(みつぶち・ふじひで)
– 和田惟政(わだ・これまさ)
– 細川藤孝(ほそかわ・ふじたか)

– 甲斐国主:武田信玄
– 越後国主:上杉輝虎(上杉謙信)
– 越前国主(一乗谷):朝倉義景
– 土佐 岡豊城主:長宗我部元親
– 荒木村重
– 大和 多聞山城主:松永久秀

 

信長はここから「天下一統」を目指す。

 


「豊臣兄弟!紀行」

・「岐阜城跡」(岐阜県・岐阜市)
金華山・山頂。「稲葉山城」から「岐阜城」となる。

信長は巨大な岩盤を背景にして庭を作り、人為的に水を流し滝を作らせた。
信長は岐阜城に10年ほど居住して、ここから上洛を果たした。