日本史まとめ – 歴史note

日本史【23】大航海時代・織田信長(近世ー1)

260702
日本史【23】大航海時代(近世ー1)

<大航海時代>
ポルトガル、イスパニア(スペイン)などが世界各地を探検、航海。

(拠点)
①ポルトガル→ゴア(インド)、マカオ(中国)
②イスパニア(エスパーニャ)(スペイン語読み)スペイン
→マニラ(フィリピン)

<鉄砲伝来>
1543年 種子島(大隅)にポルトガル人が漂着(中国船・倭寇の船)

・島主・種子島時尭(たねがしま ときたか)は鉄砲(火縄銃)2丁を購入。1丁は種子島に、もう1丁は本州へ。

・鉄砲鍛冶・・堺(和泉)、国友(くにとも)(近江)、根来(ねごろ)(紀伊)

・ポルトガルと貿易開始(南蛮貿易)

<キリスト教伝来>
宣教師(バテレン)パードレ

(1)フランシスコ=ザビエル(スペイン)
1549年 鹿児島(薩摩)に来日、布教→京都で天皇や将軍には会えず、布教は許可されず。山口(周防)・府内(豊後)で布教後、2年あまりで帰る。(イエズス会の中心メンバー。)

(2)ガスパル=ビレラ(ポルトガル)
帰国後「耶蘇会士(やそかいし)日本通信」を著し、堺の状況などを報告。耶蘇会はイエズス会のこと。カトリックの派の一つ。

(3)ルイス=フロイス(ポルトガル)
・信長、秀吉と親交あり。
・『日本史』執筆。

(4)アレクサンドロ=ヴァリニャーニ(イタリア)
学校の設立
・セミナリオ・・神学校。安土、有馬などに。
・コレジオ・・教育者(宣教師)養成。

・「活字印刷機」を伝える→キリシタン版(天草版)出版。

・「天正遣欧使節」を勧める(途中まで同行)。

<遣欧使節>
・天正遣欧使節(1582年~1590年)
4人の少年がヨーロッパに使節として派遣された。
正使:伊東マンショ、千々石(ちぢわ)ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ
→ローマでローマ教皇(グレゴリオ13世)に謁見。
(→1590年帰国。バテレン追放令でキリスト教は迫害されていた。)

ヴァリニャーニ

送った3人のキリシタン大名
・大友義鎮(よししげ)(宗麟)・・豊後
・大村純忠・・肥前
・有馬晴信・・肥前

<織田信長>
統一事業 全国への進出

1560年 桶狭間の戦い
京都に行く途中の今川義元を破る(尾張)

1567年 美濃攻め:稲葉山城の斎藤竜興(道三の孫)を破る。→岐阜城と改名。本拠地を置く。
1567年以降「天下布武」の印章を使う。

1568年 入京:15代将軍・足利義昭を擁立(信長は将軍を政治的に利用しようと思った。)→のちに対立。信長包囲網。

1570年 姉川の戦い:浅井(あざい)長政・朝倉義景・連合軍を破る(近江)

1571年 延暦寺焼討ち:浅井・朝倉に加担した比叡山を焼き払う。

1573年 室町幕府滅亡:足利義昭を追放。

1575年 長篠の戦い(三河):信長・家康連合軍が武田勝頼を破る。(足軽鉄砲隊の活躍)(三段討ちは有名だが実証はされていない)

1576年 安土城築城:5層7重の天守閣。
「本能寺の変」後に焼失(近江)。
翌年、安土城下に楽市令発布。

1580年 石山合戦終了:石山本願寺(一向宗)と11年間の合戦の末、顕如と講和。(顕如が出ていく)

1582年 天目山(てんもくざん)の戦い:武田勝頼、自刃。

1582年 本能寺の変(京都):家臣の明智光秀が謀反。信長自刃。

<土地政策>
①指出検地(さしだしけんち):自己申告制

<宗教政策>
①キリスト教→保護
ルイス=フロイス(ポル)との親交

②仏教→弾圧
延暦寺焼き討ち、一向一揆平定。
抵抗勢力を弾圧した。

<商業政策>
①楽市令:座の特権廃止。加納(美濃)・安土(近江)→商売が盛んに。
(楽市令は六角氏が初。)

②関所撤廃
→関銭の撤廃。

③撰銭令(えりぜにれい):悪銭の交換比率を設定。

④鉱山の直轄化:生野銀山(いくのぎんざん)。
武田信玄も金山を持っていた。

⑤重要都市の直轄化:堺
商人、鉄砲鍛冶。

 

日本史【22】戦国時代・都市(中世ー11)

260702
日本史【22】戦国時代・都市(中世ー11)

<都市(港町)>
・港町
①十三湊(とさみなと)(陸奥)
対蝦夷(えぞ)貿易の拠点
②兵庫(摂津)
もと大輪田泊
③草戸千軒町(くさどせんげんちょう)(備後/広島)
1673年 洪水で水没

・自由都市
④堺(和泉)
36人の会合衆によって運営
⑤博多(筑前)
12人の年行司によって運営

<都市(城下町)>
・城下町
①小田原:北条氏
②府中:今川氏
③一乗谷:朝倉氏
④山口:大内氏→陶氏→毛利氏
⑤豊後府内(豊後):大友氏
⑥鹿児島(薩摩):島津氏

・寺内町(じないまち/ちょう)
寺を中核に発展。一向宗が多い。お寺の中に町があり一体化。
①吉崎(越前)・・蓮如
②石山(摂津)
③富田林(河内)
④山科(山城)

・門前町(もんぜんまち/ちょう)
寺や神社の門前に発展。
①長野(信濃・善光寺)
②坂本(近江・延暦寺)・・正長の土一揆、坂本の馬借。
③宇治・山田(伊勢神宮/三重)
(※京都の宇治ではない)

<戦国大名の諸政策>
①寄親・寄子(よりおや・よりこ)の制
国人や地侍を家臣とし、武将を親、家臣を子とする擬制的親子関係。

②指出検地(さしだしけんち)
土地を調査して提出させる(自己申告制)。

③貫高制 (かんだかせい)
土地からの「年貢収入」を銭(単位:1貫=3.75kg)で表す。軍役も課す。貫は重さの単位で、銭の単位にもなっていく。
(⇒後に秀吉の「太閤検地」と「石高(こくだか)制」に変わっていく。)

④分国法
領国(分国・ぶんこく)支配のために制定。家法(かほう)、壁書(かべがき)ともいう。

⑤下剋上
下の者が上の者に実力で打ち勝ち、地位を奪う。

<戦国大名>
☆東北
・陸奥・・伊達稙宗(だてたねむね)
『塵芥集(じんかいしゅう)』

☆関東
・伊豆/相模・・北条早雲(後北条氏・ごほうじょうし)
幕府の役人だった早雲は、伊豆で堀越公方(足利政知・6代義教の子)を滅ぼし、伊豆・相模を平定。
(城下町:小田原)
『早雲寺殿 二十一箇条(そううんじどの にじゅういっかじょう)』

☆中部
・越後・・上杉謙信
長尾景虎が関東管領・山内上杉氏を継ぐ

・甲斐/信濃・・武田信玄
『甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい)』(信玄家法)
信玄堤(水害対策)

・駿河/遠江・・今川義元
『今川仮名目録(いまがわ かなもくろく)』
(城下町:府中)

・越前・・朝倉孝景『朝倉敏景 十七箇条』
(城下町:一乗谷)

・尾張・・織田信秀(信長の父)

☆近畿
・近江・・浅井(あざい)長政

☆中国
・周防・・大内義隆(よしたか)→「寧波の乱」(1523年)で細川氏に勝ち、日明貿易で栄えた大内氏。「応永の乱」(1399年)で義満に討たれたのは大内義弘(よしひろ)。
(城下町:山口)
1551年 陶晴賢(すえはるたか)が大内氏を滅ぼす。
1555年 毛利元就が陶氏を滅ぼす。 中国統一。
→後に長州藩(長門)となっても幕末まで毛利氏は出てくる。

☆四国
・讃岐・・三好長慶
1549年 将軍、管領を追放し、京都を制圧。
1563年 松永久秀に実権を奪われる。

・土佐・・長宗我部元親
『長宗我部元親 百箇条』

☆九州
・豊後(大分)・・大友義鎮(よししげ)宗麟。
ザビエルが来る。キリシタン大名。
(城下町:府内)

・薩摩・・島津貴久(たかひさ)
(城下町:鹿児島)
ザビエルが来る。

日本史【21】室町時代の社会経済(中世ー10)

260627
日本史【21】室町時代の社会経済(中世ー10)

<惣(そう)>
・惣(惣村)・・村の地縁的(土地のつながり・地元の人)自治結合(自然村落)
「荘園公領制」の内部にこういう「惣村」ができてきた。
・惣のリーダー・・乙名(おとな)・沙汰人(さたにん)

☆惣の組織
・寄合(会議)
・惣掟(そうおきて)・・村掟、地下掟(じげおきて)、法律
・自検断(地下検断・じげけんだん)・・警察
・入会地(いりあいち)・・共同利用地
・百姓請(地下請・じげうけ)・・年貢徴収請負
・宮座・・神社に集まる

☆惣百姓による領主への抵抗
・強訴(集団で訴える)
・逃散(集団で逃げる)
・一揆(集団武装蜂起)・・元々は「一致団結する」の意味。

<農業の発達>
・二毛作→全国的に
(鎌倉時代は二毛作は畿内中心)
・三毛作(米・麦・そば)→畿内中心
・品種改良
早稲(わせ)(大唐米)、中稲(なかて)、晩稲(おくて)
・肥料:刈敷、草木灰、下肥(しもごえ)

<貨幣の流通>
・経済の発達
明との勘合貿易による「明銭」の大量輸入。
永楽通宝、洪武通宝。
(cf 鎌倉は宋銭)
→代銭納(だいせんのう)の一般化。年貢の代わりにお金で納める。

・貨幣不足
→私鋳銭(しちゅうせん)の増加。偽金。びた銭。
→撰銭(えりぜに)の増加。
店側が悪銭を拒否して、良銭を要求→社会混乱。
→「撰銭令(えりぜにれい)」発布
撰銭を禁止。私鋳銭の交換基準を定める。
(後に信長も撰銭令を出す。)

<商工業の発達>
・酒屋・土倉(倉庫業)・寺院・・高利貸し
・六斎市・・定期市

・馬借(ばしゃく)・車借(しゃしゃく)・・陸上運送
・廻船(かいせん)・・海上運送
・問屋(といや/とんや)・・卸売商人
※鎌倉の運送業者「問丸(といまる)」が、卸売り(取り次ぎ)を専門にするようになった。

☆職人
・鍛冶(かじ)・・武器
・鋳物師(いもじ)・・釜・鍋
・番匠(ばんしょう)・・大工

☆行商人(売り歩き)
・振売(ふりうり)・・呼び売り
・大原女(おはらめ)・・炭や薪
・桂女(かつらめ)・・鮎
・連雀商人(れんじゃくしょうにん)・・連雀(背中の荷物)

☆「座」の発達(平安後期から出現)
専売同業者組合。特権。
荘園公領制がまだある。荘園で一番えらい人。
本所(荘園領主)による保護を受け、独占的利益をあげる。
(座)大山崎油屋←(本所)石清水八幡宮

<自由都市>室町後半
・自由都市(自治都市)
大名、幕府などの支配を受けず、商人などが自治を行う。
・堺・・36人の会合衆(えごうしゅう)
・博多・・12人の年行司(ねんぎょうじ)
・京都・・町衆(まちしゅう)

 

日本史【20】室町時代の外交(中世ー9)

2606
日本史【20】室町時代の外交(中世ー9)

<明(日明貿易開始まで)>
1368年 朱元璋(洪武帝)が明を建国
→倭寇に苦しむ

1369年 洪武帝が懐良(かねよし)親王(征西将軍)に倭寇禁圧を要求→南北朝動乱の中で対応できず

1401年 義満が遣明船派遣
祖阿(そあ)(僧侶)と肥富(こいずみ)(博多商人)を明に派遣。

1404年 日明貿易・開始(3代義満)
「勘合貿易」朝貢形式
勘合のチェックは港町の寧波(ニンポー)でして、交易は北京(順天府)でする。

<明(日明貿易の展開)>
1411年 日明貿易・中断(4代義持)
(朝貢形式を屈辱として)

1432年 日明貿易・再開(6代義教)
(貿易の利益に着目)

・日明貿易の実権は、応仁の乱後「幕府」から「大名」へ。(幕府は税金を取る)。

1523年 寧波の乱(にんぽうのらん)
貿易の実権をめぐって、寧波で日本人同士が衝突

〇 大内氏(博多商人)→以後、貿易独占
VS
✕ 細川氏(堺商人)

1551年 大内氏滅亡→貿易衰退
(大内義隆✕)

<朝鮮>
1392年 「朝鮮」建国(~1910)
李成桂が「高麗」を滅ぼし建国

・日朝貿易、開始
→対馬の宗氏が仲介。

1419年 応永の外寇
朝鮮軍が対馬を倭寇の根拠地とみなして襲撃。
→日朝貿易、衰退

1443年 嘉吉条約:日朝貿易、本格化(復活)

1510年 三浦の乱(さんぽのらん)
倭館の置かれた三浦(さんぽ)(塩浦えんぽ・富山浦ふざんほ・乃而浦ないじほ)で日本人が反乱
→日朝貿易、衰退

<日明・日朝貿易の輸出入品>

輸入 輸出
日明貿易 明銭(銅銭「永楽通宝」)→経済発展
生糸
銅・工芸品
硫黄・刀剣
日朝貿易 木綿
(衣服が麻→木綿へ)
銅・工芸品
硫黄・刀剣

<琉球>
1429年 琉球王国 建国
中山王・尚巴志(しょうはし)が三山を統一(都:首里)
(北山・中山・南山)

「中継貿易」で繁栄。

<蝦夷地>
・和人が蝦夷ヶ島(北海道南部)に進出。港や館(たち・たて)をつくる。函館は12個の館の一つ。

1457年 コシャマインの戦い
アイヌの首長が蜂起

 

日本史【19】室町時代の政治(中世ー8)

260626
日本史【19】室町時代の政治(中世ー8)

室町幕府
<3代将軍・足利義満>
1391年 明徳の乱
山名氏清 討伐(六分一殿・11ヶ国/66支配)

1392年 南北朝の合一(ごういつ)
覚え方「いざ国を統一1392」
後亀山天皇(南朝)が→後小松天皇(北朝)に譲位(返す)

<4代義持>
・義満は将軍職は4代義持に譲り、自らは太政大臣となり政治を続ける。

1399年 応永の乱
守護大名・大内義弘 討伐(中国・北九州6ヶ国支配)

4代義持没後
1428年 正長の土一揆(しょうちょうのどいっき)
土民(一般農民)が高利貸しを襲う。
近江・坂本の馬借(ばしゃく)(運送業者)が徳政令を要求→鎮圧される。
※幕府は「徳政令」は出していない。

<室町6代将軍・足利義教(よしのり)>
くじ引きで就任→「万人恐怖」政治

1429年 播磨の土一揆
守護の赤松氏の国外退去を要求。
守護・赤松満祐(みつすけ)が鎮圧。

1438年 永享の乱
✕足利持氏(鎌倉公方・鎌倉府No1)
VS
〇上杉憲実(関東管領・鎌倉府No2)

6代・足利義教が、足利持氏を滅ぼす。

1441年 嘉吉の乱
播磨守護・赤松満祐が6代将軍・義教を謀殺。
↓↓
1441年 嘉吉の土一揆
「代始めの徳政」を要求。
※幕府はここで最初の「徳政令」を出した。

<8代将軍・足利義政>
1455年~ 鎌倉公方の分裂
次の鎌倉公方をめぐって対立

堀越公方(ほりごえくぼう)伊豆
足利政知(まさとも)(義教の子)
VS
古河公方(こがくぼう)下総
足利成氏(しげうじ)(持氏の子)

☆関東管領・上杉氏の分裂
扇屋上杉氏(おうぎがやつ・うえすぎし
VS
山内上杉氏(やまのうち・うえすぎし)

関東地方は一足先に戦国時代へ・・。

・1467年~1477年 応仁(・文明)の乱(11年間)
西・山名持豊 VS 東・細川勝元

(西軍)
・山名持豊(山名宗全)
・足利義尚(義政の子)
・日野富子
・斯波義廉(よしかど)
・畠山義就(よしなり)
VS
(東軍)
・細川勝元(管領)
・足利義親(よしみ)(義政の弟)
・斯波義敏
・畠山政長
↓↓
京都は荒廃。将軍も管領家も力を失う・・。戦国の世へ。

<各地の一揆>
1485年 山城の国一揆(やましろのくにいっき)
国人(元・地頭)が守護・畠山氏を追放。(下剋上)。南山城を8年間国人たちが自治支配。

1488年 加賀の一向一揆
一向宗(浄土真宗)の信徒が守護・富樫政親(とがしまさちか)を滅ぼす。以後100年間、加賀一国を支配。

 

日本史【18】室町時代(中世ー7)

260626
日本史【18】室町幕府(中世ー7)

<室町幕府の政治機構>
・将軍
・奉公衆(ほうこうしゅう)(直轄軍300人)

(中央)京都・室町
管領(かんれい)→将軍補佐

・侍所
・政所
・問注所
・評定衆

(地方)
・鎌倉府
・九州探題
・守護
・地頭

(中央)京都・室町
☆管領(かんれい)
「三管領(さんかんれい)」・・畠山、斯波、細川。
源氏の血を引く三家。足利の仲間。交代で努める。
→権力集中を防ぐため。

※鎌倉幕府は将軍が源氏で、サポートの執権は平氏、と違う流れだった。しかも北条氏一つの家だけ。室町の将軍サポートの管領は同じ源氏で、しかも三つの家から出す。

☆侍所(京都警備)の所司(しょし)(長官)
「四職(ししき)」・・京極、山名、赤松、一色
こちらも源氏の血を引く四家。
覚え方「京都の山は赤一色」

(地方)
☆「鎌倉府」・・ミニチュア幕府
・「鎌倉公方」関東No1
(公方は将軍の意味)
初代・足利基氏(もとうじ)(尊氏の四男)

・「関東管領」関東No2(上杉氏が世襲)

☆九州探題
今川了俊(貞世・さだよ)

・守護の力が強くなってくる。

<室町幕府の財源>
①「御料所(ごりょうしょ)」(直轄領)から→土地が少ない
年貢・公事(くじ)・夫役(ぶやく)
(荘園と同様)

②それ以外から
農民から
・段銭(たんせん)・・田畑
・棟別銭(むなべつせん)・・家屋

商人(高利貸し)から
・酒屋役(さかややく)
・土倉役(どそうやく)/倉役(くらやく)

港から
・津料(つりょう)・・入港料

関所から
・関銭(せきせん)・・通行料
※江戸時代の関所は人のチェック。室町時代は税金。

貿易の関税
・抽分銭(ちゅうぶんせん)

徳政令の手数料
・分一銭(ぶいちせん)

<守護の成長>
守護の職務は、鎌倉時代は「大犯(たいぼん)三箇条」だけだったが、室町時代ではパワーアップ。

・「刈田狼藉(検断)権」(かりたろうぜきけん)
→稲の強盗の取り締まり

・「使節遵行権」(しせつじゅんぎょうけん)
→幕府の裁定の強制執行権

・「半済令」(はんぜいれい)
・「守護請」(しゅごうけ)
土地の支配権を得る
↓↓
「守護大名」に成長

<守護領国制(しゅごりょうこくせい)>
守護大名を中心とした支配体制。(ピラミッド型、他の人が家来になった。)
・守護(もしくは守護代)
・国人(こくじん)・・地元の有力武士(荘官・地頭から成長)
・地侍(じざむらい)・・地主、有力農民(乙名・沙汰人。名主から成長)
・土民(どみん)・・一般庶民(農民・漁民・馬借など)

 

 

日本史【17】建武の新政と南北朝動乱(中世ー6)

260623
日本史【17】建武の新政(中世ー6)

<建武の新政>
1333年 建武の新政
後醍醐天皇(大覚寺統)による、「延喜・天暦の治」(醍醐帝・村上帝)を理想とする親政。(後醍醐の次は後村上天皇)

・「綸旨」(りんじ)(天皇の命令・簡易的)が絶対的効力を持つ
・3年足らずで崩壊。
(理由)
①貴族に厚く、武士に薄い恩賞(武士の不満)
②社会の混乱。「二条河原の落書(にじょうがわらのらくしょ)」

<建武の新政の政治機構>
(中央)京都
・「記録所(きろくじょ)」・・政務全般
(後三条帝の「記録荘園券契所」をなぞらえて復活させた。)
・「雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)」・・訴訟・裁判
・恩賞方(おんしょうがた)・・恩賞
・武者所(むしゃどころ)・・武士の統率。頭人:新田義貞

(地方)
・鎌倉将軍府
・陸奥将軍府
・国司(貴族)
・守護(武士)
1つの国に「国司」と「守護」を併置するのは、トラブルの元に・・。→うまくいかない。

<南北朝の動乱>・・1336年~1392年まで(56年間)

1335年 中先代の乱
北条時行(執権14代・北条高時の子)が信濃で挙兵、鎌倉を奪回する。
→足利尊氏が京都から鎌倉へ向かい、鎮圧。
→乱後、尊氏は天皇に反旗を翻し、京都に攻め入る。

1336年 湊川の戦い
足利尊氏〇 VS ✕楠木正成
入京。

1336年 足利尊氏が、光明天皇(北2)(持明院統)を擁立。(北朝)

1336年 「建武式目」を制定(基本政策。17条)not 法律

1336年 後醍醐天皇が皇居を吉野(大和・奈良)に移す。
三種の神器を持っていく。(南朝)
→南北朝が並立。(天皇が2人)

 

<室町将軍・初代・足利尊氏>
(南北朝の動乱)
1338年 足利尊氏 征夷大将軍となる。室町幕府の初代将軍。
1339年 南朝・後醍醐天皇が病死→後村上天皇が即位。

1350年 観応の擾乱:北朝内部の争い
軍事権 足利尊氏(兄)・高師直
VS
政治 足利直義(ただよし)(弟)

1352年 尊氏が直義を毒殺→観応の擾乱終了

1352年 「半済令(はんぜいれい)」
「守護」に「荘園領主」の年貢の半分を与える。
(尊氏の求心力が下がっていたので、守護に権利を与えた。)
→守護が収入を手にする。
ーーーーーーーーーーー
荘園領主 200
守護 0

地頭 200

荘園 400
ーーーーーーーーーーー
⇩⇩
(半済令)
荘園領主 100
守護 100(パワーアップ)

地頭 200

荘園 400
ーーーーーーーーーーー

1354年 北畠親房(きたばたけちかふさ)、没。
『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』
南朝の正当性を主張。

1358年 足利尊氏亡くなる。
→将軍は2代足利義詮(よしあきら)へ。

 

日本史【16】鎌倉時代の社会経済(中世ー5)

260622
日本史【16】鎌倉時代の社会経済(中世5)

鎌倉時代の人々の生活
<惣領制>
惣領:一族の長
庶子:それ以外の人
一門:一族全体

武家の中心
惣領
|  |
庶子 庶子

「惣領」が幕府と主従関係を結び、地頭に任命され「御家人」となる。

・相続の方法
分割相続(鎌倉時代)→単独相続(鎌倉末期)になった。
跡継ぎにだけ。所領の細分化になってしまうため。

<武士(御家人・地元のリーダー)の生活>
・館(やかた):武士の居館。所領の中心地。武家造。
武士の館『一遍上人絵伝』に残る。

・武芸
☆騎射三物(きしゃみつもの)(馬と弓)
・流鏑馬(やぶさめ)(連射)
・笠懸(かさがけ)
・犬追物(いぬおうもの)先は丸いかぶら矢

☆兵の道(つわもののみち):武士の守るべき道徳

<地頭の荘園侵略>
・地頭(元・荘官)の仕事・・荘民(農民)から税金を取り、荘園領主に渡す

荘園領主
↑↑(渡す)
地頭(集める)
↑↑(税金納める)
荘民

①「荘民」への侵略・・税金の取り過ぎ
紀伊国 阿氐河荘(きいのくに あてがわのしょう)

②「荘園領主」への侵略・・税金を渡さない
「承久の乱」以降、武士が貴族の言うことを聞かなくなってきた。
↓↓
(解決法・妥協案)
・「地頭請」(じとううけ)
荘園領主が地頭に、荘園の支配権(税金何%など)を譲る代わりに、年貢を納めることを約束させる。

・「下地中分」(したじちゅうぶん)
「荘園領主」と「地頭」で土地を半分ずつ支配する。
「伯耆国東郷荘(ほうきのくに・とうごうのしょう)」(鳥取)

・「悪党」(あくとう)
「鎌倉幕府」や「荘園領主」に抵抗した地頭や、非御家人などの「新興武士層」のこと。
例・楠木正成など

<鎌倉時代の農業>
・二毛作(1年の間に別のモノを作る。米と麦など。)
(cf.二期作→1年の間に同じ物を2度作る)
裏作:麦。畿内・西日本で広がる。

・鉄製農具、牛馬耕の普及。

・副業の発達
荏胡麻(えごま)(灯油の原料)などを栽培。→家の中に灯がともるようになった。

・肥料の発達
刈敷(かりしき)・・草を刈って敷く→肥料に。
草木灰(そうもくかい)・・草木を燃やして灰にする→肥料に。

<鎌倉時代の経済>
・宋銭の流通→経済が発達

・三斎市(さんさいいち)・・定期市
備前国 福岡市 定期市(岡山県)『一遍上人絵伝』

・見世棚(みせだな)・・常設店舗
(「店」の語源。)

・借上(かしあげ)・・高利貸し
・問丸(といまる)・・運送業者
・為替(かわせ/かわし)・・遠隔地間の手形決済制度。お金の代わりの紙。

日本史【15】鎌倉時代(中世ー4)

260620
日本史【15】鎌倉幕府(中世4)

<承久の乱の結果>
1221年 承久の乱
後鳥羽上皇✕ VS 〇鎌倉幕府(2代執権・北条義時)
(朝廷・貴族✕ VS 〇武士)

☆3上皇の配流
・後鳥羽上皇→隠岐(島根)
・土御門上皇→土佐(高知)
・順徳上皇 →佐渡(新潟)

・譲位 仲恭天皇→後堀河天皇へ譲位させられる 。

・京都守護→「六波羅探題」設置。(六波羅は平清盛が政治していた所。ここで北条氏が政治をする。)
初代・北条泰時・時房→西国支配権も確立。(政治・裁判)

・「新補地頭(しんぽじとう」)・・乱後、新たに任命した地頭(幕府の御家人)のこと。
(補任(ぶにん)=任命すること)
→得分は「新補率法(しんぽりっぽう)」による。(反別五升の加徴米・特別権利)。(そうすると集まりやすいから。)
_

<3代執権・北条泰時>
2代執権・義時が亡くなり、子の義時が、京都・六波羅探題から鎌倉幕府に戻ってきて、3代執権になる。

1225年 「連署(れんしょ)」(=執権補佐・署名を連ねる)を設置→初代・北条時房(泰時の叔父)

1225年 「評定衆(ひょうじょうしゅう)」設置
合議制機関(政務・裁判)
13人(執権1人+連署1人+評定衆11人)

1226年 摂家将軍(藤原将軍)擁立
→初代・九条頼経(くじょうよりつね)(=関白・藤原道家の子・藤原頼経・幼名「三寅(みとら)」北条政子が後見人に。)

☆藤原氏の分裂→五摂家
近衛(筆頭格)、一条、二条、九条、鷹司

<貞永式目(じょうえいしきもく)>
1232年(貞永元年) 「貞永式目(御成敗式目・ごせいばいしきもく)」制定。
(式目・・法律の条文。「法式条目(ほうしきじょうもく)」の略。)
・最初の武家法。
・平易で文字の読めない武士も理解した。対象は武士のみ。(幕府と御家人のルール)
朝廷→公家法(=律令)。荘園→本所法。(本所は荘園領主のこと)

※鎌倉時代は武士と農民がきちんと分かれていない。普段農民をしていて戦になると戦う。こういう人は貞永式目の対象に含まれていない。あくまで「御家人」のためのルール。

・51ヶ条。「守護・地頭の職務」、「所領問題」が中心。
(法律・条文は17条がいいと言われた。十七条憲法などから。その3倍)

・「道理」・・武家社会の慣習。
(現代の「道理」とは意味が違うので注意。)
・「先例」・・頼朝以来の政治・裁判。
(土地を20年支配したらその御家人のもの。→今の民法にもつながる。)

・追加法は「式目追加」という。

<5代執権・北条時頼>(3代泰時の孫)
1247年 宝治合戦(ほうじかっせん):三浦泰村滅亡(他氏排斥⑤最後)

1249年 「引付衆(ひきつけしゅう)」を設置。
「裁判事務」を行ない、「評定衆」を補佐。

1252年 「皇族将軍」(親王将軍)を擁立。
(摂家(藤原)将軍よりレベルアップ。)
宗尊(むねたか)親王・後嵯峨天皇の子。

(出家後→最明寺入道時頼)
(徒然草184段。時頼の母・松下禅尼。母の兄・安達義景。)

 

<鎌倉幕府将軍 9人>
・源氏将軍(3人)・・①源頼朝②源頼家③源実朝
・摂家(藤原)将軍(2人)・・④九条頼経⑤九条頼嗣
・皇族(親王)将軍(4人)・・⑥宗尊親王⑦惟康親王⑧久明親王⑨守邦親王

1253年 建長寺(けんちょうじ)創建。(鎌倉五山第一位)
(開山・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう))

 

<執権8代・北条時宗>

★元寇(蒙古襲来)
・チンギス=ハン(カーン)がモンゴル統一。
・孫のフビライ(クビライ)=ハンが元を建国。日本へ服属要求→時宗は何度も拒否。

・1274年 文永の役
元軍は暴風雨で撤退。

・異国警固番役(いこくけいごばんやく)を強化(1275年)。
沿岸に石塁(せきるい)(石築地(いしついじ))を設置。

・1281年 弘安の役
元軍は暴風雨で撤退。(もしくは統制が取れていなかった。南宋は服属したばかり(→1276年)で、元にやらされているので。)

・元軍のてつはう(火薬)攻撃と集団戦法に苦戦。
・恩賞不十分→御家人困窮・・。

・『蒙古襲来絵巻(もうこしゅうらいえまき)』御家人・竹崎季長(たけさきすえなが)
(絵を描かせた。自分が描かれている。)

 

<執権9代・北条貞時>
鎌倉時代後期
1293年 「鎮西探題」を設置。
九州の支配権を強化。

1285年 霜月騒動(しもつきそうどう)
→「得宗専制体制」が確立。合議ではなく得宗の独裁になっていく・・。

〇平頼綱(内管領・うちかんれい)
VS
✕安達泰盛(有力御家人)

・得宗・・北条氏の嫡流
・御内人(みうちびと)・・得宗の家臣
・内管領・・御内人の最有力者

・将軍=御家人・・力弱まる
・得宗=御内人(トップは内管領)・・力強まる

1293年 平禅門(ぜんもん)(頼綱)の乱
平頼綱が北条貞時に滅ぼされる。

<永仁の徳政令>
1297年 永仁の徳政令
目的:元寇で窮乏した御家人の救済

・売却や質入れされた「土地を御家人に返還」する。
(御家人が借金のかたに取られた土地を無償で返還してもらえる。借金の帳消しのようなもの)

・金貸しは土地を取られて困るが、幕府にとって御家人の方が重要だから(戦ってくれるから)この法令が出された。

(例外)(金貸しにではなく)御家人に売却した土地で、しかも売却後20年以上経った場合は返還不要。

 

<執権14代・北条高時>
(朝廷)
皇統の分裂
後嵯峨法王の死後、皇位をめぐり対立。

兄・後深草天皇 VS 弟・亀山天皇
持明院統       大覚寺統
(長講堂領)     (八条女院領)

この争いに鎌倉幕府が仲介に入る。
1317年 文保の和談(ぶんぽうのわだん)(幕府の仲介)
①両統迭立(りょうとう てつりつ)
交互に皇位に就く
②後醍醐天皇(大覚寺統)皇位就任

執権14代・北条高時は、政治に興味なし。闘犬・田楽など。
→内管領・長崎高資(たかすけ)が実権。
鎌倉幕府はうまく機能せず、人々は不満が高まる。

・倒幕計画(by 後醍醐天皇)
1331年 元弘(げんこう)の変
(※1331年(元弘元年)『徒然草』が書かれた。)

幕府は後醍醐天皇を捕らえて、隠岐に配流。

倒幕に向けて、各地で武士が立ち上がる。

①楠木正成(くすのきまさしげ)、河内(山中の砦)で挙兵。
②後醍醐天皇、隠岐を脱出。
③足利高氏(尊氏)、六波羅探題を攻め落とす。(下野国(栃木)・足利の出身・源氏)
④新田義貞(にったよしさだ)、(上野国(群馬)出身・源氏)鎌倉を攻め落とす。
→北条高時自刃。鎌倉幕府滅亡(1333年)

 

 

日本史【14】鎌倉時代(中世ー3)

260618
日本史【14】鎌倉幕府(中世2)

<鎌倉幕府の統治機構>
鎌倉幕府・相模国(神奈川県・鎌倉市)

_将軍
(後に執権、連署(れんじょ)、評定衆、引付衆など)
__
ーーーーー
|   |
地方 中央
_
(中央)鎌倉
・侍所(さむらいどころ)・・武士の統率、リーダー。
初代別当(長官)→和田義盛(武士)(1180)

・公文所(くもんじょ)→政所(まんどころ)・・政務一般。
初代別当(長官)→大江広元(貴族)(1184)
(※後三条天皇時・大江匡房の子孫)

・問注所(もんちゅうしょ)・・訴訟・裁判所
初代執事(長官)→三善康信(貴族)(1184)
(※醍醐天皇時・三善清行の子孫)

(地方)
・京都守護(京都)(1185)→後の六波羅探題(1221)
・鎮西奉行(九州)(1185)→後の鎮西探題(1293)
・奥州総奉行(陸奥)

☆守護(1185年)
・国ごとに設置。
・職務は最初「大犯三カ条(たいぼんさんかじょう)」のみ。(大番(おおばん)催促、謀反人逮捕、殺害人逮捕)

☆地頭(1185年)=御家人
・公領(郡・郷・保)や、荘園ごとに設置。(国にたくさんいる。)
・職務は税徴収、土地管理、治安維持。
(荘園の荘官、公領の郡司だった人が地頭に任命される。)
・地頭たちの中から守護(リーダー)が一人選ばれる。

<封建制度>
主人と従者が土地を通じて「御恩」と「奉公」の関係で結ばれている制度。

_将軍
↓御恩↓ ↑奉公↑
_[御家人]

鎌倉幕府は全国の御家人(将軍の家来・武士)を束ねる政府。
(「御家人」とは家人(けにん・家来)を丁寧に言っている)

<御恩と奉公>
☆「御恩」・・御家人を地頭に任命すること(税収を認める。領有権を保障する。)
・本領安堵(ほんりょうあんど)領有権を承認。
・新恩給与(しんおんきゅうよ)新たに与える。

※平安時代までは朝廷貴族が政治をしていたが、鎌倉幕府(武家政権)に変わってどうなるか不安。支配者が変わっても土地を承認してほしい。この「承認」のことを「御恩」という。

☆「奉公」・・軍役や警備
戦時:軍役「いざ鎌倉」
平時:御家人役(ごけにんやく)
①京都大番役(朝廷警護)
②鎌倉番役(幕府警護)

最初は非御家人も多くいたが、御家人(鎌倉幕府の家来)が増えていく。

<鎌倉時代の政治>
初期:「将軍」独裁(初代・源頼朝のみ)
中期:「執権」政治(北条氏)
後期:「得宗」専制(北条氏の嫡流・本家)

<源頼朝>
・1192年 源頼朝・征夷大将軍に就任
・1199年 頼朝・没

<初代執権・北条時政>
北条時政(頼朝を監視していた)

北条政子=源頼朝

☆北条時政が他氏排斥(ライバル潰し)を行なう。
・1200年 梶原景時の乱【他氏排斥①】
・1203年 比企能員の乱(頼家の義父)【他氏排斥②】
・1205年 畠山重忠の乱【他氏排斥③】

☆時政は将軍までも排斥
・1203年 3代将軍・源実朝が就任。
→2代頼家を伊豆・修善寺(しゅぜんじ)に幽閉。
・1204年 源頼家を討つ。@修善寺

☆北条時政、政所(元・公文所)別当に就任。
別当が二人体制に。
・貴族出身 大江広元
・武士出身 北条時政

<2代執権・北条義時>
・北条義時も他氏排斥をする。
1213年 和田合戦:和田義盛(侍所の初代別当)を破る。【他氏排斥④】
→北条義時が「侍所」と「政所」の別当を兼務。
→この兼務する人を「執権」と呼ぶようになる。
→「執権」の地位を確立。

1219年 3代将軍・源実朝が甥の公曉(くぎょう)に暗殺される。鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)@鎌倉(義時の陰謀?)

この時点では、鎌倉幕府は東国支配のみ。

<承久の乱>
(乱の前)
「公武二元支配」
後鳥羽上皇(西国支配)ー北条義時(東国支配)
貴族・朝廷 VS 武士

1221年 承久の乱
後鳥羽上皇✕ VS 〇北条義時
・朝廷・後鳥羽上皇が義時追討の院宣を出す。
・朝廷を攻めるのは御家人の士気が低い→北条政子(尼将軍)が檄を飛ばす「今こそ将軍・幕府に恩を返すとき」→御家人奮起

・北条泰時(義時の子)と北条時房(義時の弟)が京都を攻め、幕府軍の圧勝。
↓↓
以降、幕府の支配地域が西日本にまで広がる(九州は別)。

武士の時代へ・・!となるターニングポイント。