260702
日本史【23】大航海時代(近世ー1)
<大航海時代>
ポルトガル、イスパニア(スペイン)などが世界各地を探検、航海。
(拠点)
①ポルトガル→ゴア(インド)、マカオ(中国)
②イスパニア(エスパーニャ)(スペイン語読み)スペイン
→マニラ(フィリピン)
<鉄砲伝来>
1543年 種子島(大隅)にポルトガル人が漂着(中国船・倭寇の船)
・島主・種子島時尭(たねがしま ときたか)は鉄砲(火縄銃)2丁を購入。1丁は種子島に、もう1丁は本州へ。
・鉄砲鍛冶・・堺(和泉)、国友(くにとも)(近江)、根来(ねごろ)(紀伊)
・ポルトガルと貿易開始(南蛮貿易)
<キリスト教伝来>
宣教師(バテレン)パードレ
(1)フランシスコ=ザビエル(スペイン)
1549年 鹿児島(薩摩)に来日、布教→京都で天皇や将軍には会えず、布教は許可されず。山口(周防)・府内(豊後)で布教後、2年あまりで帰る。(イエズス会の中心メンバー。)
(2)ガスパル=ビレラ(ポルトガル)
帰国後「耶蘇会士(やそかいし)日本通信」を著し、堺の状況などを報告。耶蘇会はイエズス会のこと。カトリックの派の一つ。
(3)ルイス=フロイス(ポルトガル)
・信長、秀吉と親交あり。
・『日本史』執筆。
(4)アレクサンドロ=ヴァリニャーニ(イタリア)
学校の設立
・セミナリオ・・神学校。安土、有馬などに。
・コレジオ・・教育者(宣教師)養成。
・「活字印刷機」を伝える→キリシタン版(天草版)出版。
・「天正遣欧使節」を勧める(途中まで同行)。
<遣欧使節>
・天正遣欧使節(1582年~1590年)
4人の少年がヨーロッパに使節として派遣された。
正使:伊東マンショ、千々石(ちぢわ)ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ
→ローマでローマ教皇(グレゴリオ13世)に謁見。
(→1590年帰国。バテレン追放令でキリスト教は迫害されていた。)
ヴァリニャーニ
+
送った3人のキリシタン大名
・大友義鎮(よししげ)(宗麟)・・豊後
・大村純忠・・肥前
・有馬晴信・・肥前
<織田信長>
統一事業 全国への進出
1560年 桶狭間の戦い
京都に行く途中の今川義元を破る(尾張)
1567年 美濃攻め:稲葉山城の斎藤竜興(道三の孫)を破る。→岐阜城と改名。本拠地を置く。
1567年以降「天下布武」の印章を使う。
1568年 入京:15代将軍・足利義昭を擁立(信長は将軍を政治的に利用しようと思った。)→のちに対立。信長包囲網。
1570年 姉川の戦い:浅井(あざい)長政・朝倉義景・連合軍を破る(近江)
1571年 延暦寺焼討ち:浅井・朝倉に加担した比叡山を焼き払う。
1573年 室町幕府滅亡:足利義昭を追放。
1575年 長篠の戦い(三河):信長・家康連合軍が武田勝頼を破る。(足軽鉄砲隊の活躍)(三段討ちは有名だが実証はされていない)
1576年 安土城築城:5層7重の天守閣。
「本能寺の変」後に焼失(近江)。
翌年、安土城下に楽市令発布。
1580年 石山合戦終了:石山本願寺(一向宗)と11年間の合戦の末、顕如と講和。(顕如が出ていく)
1582年 天目山(てんもくざん)の戦い:武田勝頼、自刃。
1582年 本能寺の変(京都):家臣の明智光秀が謀反。信長自刃。
<土地政策>
①指出検地(さしだしけんち):自己申告制
<宗教政策>
①キリスト教→保護
ルイス=フロイス(ポル)との親交
②仏教→弾圧
延暦寺焼き討ち、一向一揆平定。
抵抗勢力を弾圧した。
<商業政策>
①楽市令:座の特権廃止。加納(美濃)・安土(近江)→商売が盛んに。
(楽市令は六角氏が初。)
②関所撤廃
→関銭の撤廃。
③撰銭令(えりぜにれい):悪銭の交換比率を設定。
④鉱山の直轄化:生野銀山(いくのぎんざん)。
武田信玄も金山を持っていた。
⑤重要都市の直轄化:堺
商人、鉄砲鍛冶。