12_明治時代 – 歴史note

日本史【37】政党の結成(近代ー6)

260724
日本史【37】政党の結成(近代ー6)
(1881~1885年)

<政党の結成>(国会を作る)
☆政府を批判する政党
・1881年 「自由党」
党首:板垣退助
機関誌:自由新聞
フランス流・自由主義的・急進(過激)
「自由民権運動」の人たち
支持層:士族、豪農、商工業者

・1882年 「立憲改進党」
党首:大隈重信
機関誌:郵便報知新聞
イギリス流・穏健
支持層:都市の実業家・知識層

☆政府の味方の政党
・1882年 「立憲帝政党」
党首:福地源一郎
機関誌:東京日日新聞
保守的・政府系

★私擬憲法
政党など民間で作られた憲法の私案
・東洋大日本国国憲按:植木枝盛(うえき・えもり)(自由党系)(国民の自由を強く認めよう)
・私擬憲法案:交詢社(こうじゅんしゃ)(福沢諭吉系)

<憲法制定の準備>
政府の中心:伊藤博文
82~84年準備。85年内閣制度ができる。→89憲法→90国会

<1882年→伊藤が渡欧。自由党が激化。朝鮮で政変>

・1882年 伊藤博文、渡欧
グナイスト(ベルリン大学)
シュタイン(ウィーン大学)
に師事。プロイセン憲法(ドイツ憲法)を学ぶ。
「国家主義」国民一人一人より国を優先。国権論。

・1884年 「華族令」
貴族院創設に備え、5爵の爵位を創設。華族の数を増やす。
(華族:江戸時代の大名。身分の高い貴族)
例:公、侯、伯、子、男

<自由党の激化事件>
(政府:伊藤博文)
自由党が警察と衝突して過激になっていく。

・1882年 「福島事件」(福島県)
福島県令・三島通庸(みしまみちつね)の圧政(税金取り過ぎ&労役)に、農民や自由党員が抵抗。自由党幹部・河野広中(こうのひろなか)ら逮捕。

・1884年 「加波山(かばさん)事件」(茨城県)
栃木県令・三島通庸の暗殺計画→失敗
→「自由党」解党へ
(「政党」とは国会議員のグループ。「国会」とは法律を作るところ。党員が違法なことをしてはいけない。)

・1884年 「秩父事件」(埼玉県)
借金党・困民党(こんみんとう)など数千人から数万の貧農が蜂起。警官と自由党がぶつかる。

・1885年 「大阪事件」(大阪)
朝鮮で政権打倒計画(朝鮮政府を乗っ取って、日本政府(伊藤)に圧力をかけようとした)→渡航直前に大阪で逮捕。
大井憲太郎・景山英子・磯山清兵衛ら。

<朝鮮問題>
政府:伊藤博文
日本と中国(清)が朝鮮を取り合う。
(壬午軍乱82・甲申事変84→天津条約85)

・1882年 「壬午軍乱(じんごぐんらん)(事変)」
実権:閔妃(王の后)(親日)
↑↑
大院君(王の父)(親清)がクーデター
日本公使館・襲撃
(クーデター:非合法に武力などで政権を奪取すること)
(日本が援助してクーデターを阻止)

・1882年 「済物浦(さいもっぽ)条約」(日朝間)
日本は朝鮮に賠償金を払わせた。

・1884年 「甲申事変」
閔妃:事大党(親清)
↑↑
金玉均(きんぎょくきん)・朴泳孝(ぼくえいこう)(独立党)(親日)がクーデター。失敗。

・1885年 「天津条約」(日清間)
全権 日本:伊藤博文 清:李鴻章
・日清両国は朝鮮から撤兵
・以後、出兵時には相互に事前通達する

★脱亜論
・1885年 福沢諭吉が主張。
「脱亜入欧(だつあにゅうおう)」を唱える。

 

日本史【36】自由民権運動(近代ー5)

260723
日本史【36】自由民権運動(近代ー5)

<征韓論>
・1873年 岩倉遣外使節団、帰国
〇(征韓論反対・洋行組)
岩倉具視(公家)、大久保利通(薩摩)、伊藤博文(長州)、木戸孝允(長州)
VS
✕(征韓論賛成・留守組)
西郷隆盛(薩摩)、板垣退助(土佐)、後藤象二郎(土佐)、江藤新平(肥前)、副島種臣(そえじまたねおみ)(肥前)

・1873年 留守組5人は下野→「明治六年の政変」
→その後、大久保利通中心の政府に。下野組は文句を言う。

<自由民権運動(士族民権運動)>
内務卿:大久保利通(政府)
↑↑
・1874年 「愛国公党」設立
板垣・後藤・江藤・副島らが設立。(政府に文句を言う)

※「自由民権運動」の目的は「国会」や「憲法」を作ること。

・1874年 「民撰議院 設立建白書」(国会を作れ)
板垣・後藤・江藤・副島ら、8人が左院に提出→政府は無視
↓↓
・1874年 「立志社(りっししゃ)」設立(土佐)政治団体
板垣・片岡健吉らが設立。(民衆は各地で盛り上がる)
↓↓
・1875年 「愛国社」設立(大坂)
各地の団体をまとめる全国的組織。板垣らが設立。
↓↓
(運動が大きくなってきたので政府が動く)

[政]・1875年 「大阪会議」(←明治から「阪」になる)
大久保が下野していた板垣・木戸を呼んで三者会議を行う。

①(漸次・ぜんじ)「立憲政体樹立の詔」
→国会開設の準備をする。(期限はなし)
(立憲政体:憲法に基づく政治体制)

②元老院(立法)・大審院(だいしんいん)(司法)(最高裁の前身)・地方官会議を設置。

→板垣は政府に戻る。

[政]・1875年 「讒謗律(ざんぼうりつ)」(讒謗:人を悪く言うの意味)、「新聞紙条例」
弾圧立法。政府の批判を禁止→「愛国社」解散

※盛り上がった「愛国社」を、政府は「大阪会議」と「讒謗律」「新聞紙条例」でつぶした。

<士族の解体>
内務卿:大久保利通

[政]・1876年 「廃刀令」
警察官・軍人以外の帯刀を禁止。

[政]・1876年 「秩禄処分(ちつろくしょぶん)」
家禄の支給を停止し、代わりに「金禄公債(きんろくこうさい)証書」(退職金の紙)を発行。(6年~30年後にお金に換えられる。くじで決定。)
武士はそれを元手に商売を始めるも「士族(武士)の商法」で失敗。
→政府は士族授産(救済政策)で対応。
ex. 屯田兵(北海道の開拓)

★地租改正反対一揆
(1873年 地租改正)
・1877年 地租を軽減 3%→2.5%へ。
「竹槍でドンとつきだす2分5厘」

<士族の反乱>
・1874年 佐賀の乱(佐賀):江藤新平←征韓論の挫折など
(「民撰議院設立建白書」を出したあと佐賀にもどった。)
・1876年 秋月(あきづき)の乱(福岡)
・1876年 萩の乱(山口)

・1877年(明治10年) 西南戦争(鹿児島):西郷隆盛
(国内最後の内乱)

・1878年(明治11年) 紀尾井坂(きおいざか)の変
大久保利通の暗殺事件

(木戸孝允も明治10年に病気で亡くなっており、これで「維新の三傑」全員が亡くなった。→中心は伊藤博文らへ・・。)

<自由民権運動(豪農民権運動・民権運動Part2)>
内務卿:伊藤博文

・1877年 「立志社」(土佐)建白
政府を批判、国会開設などを要求

・1878年 全国組織「愛国社」を再興。盛り上がる。
↓↓
・1880年 「国会期成同盟」:愛国社を改称し結成
期成・・作り上げる
↓↓
[政]・1880年 「集会条例」
弾圧立法。集会の許可制・警察官監視制など

・「愛国社」は「讒謗律・新聞紙条例」につぶされる。
・「国会期成同盟」は、「集会条例」につぶされる。

もう国会開設はダメかと思いきや・・ここで!
↓↓
・1881年(明治14年) (北海道)開拓使 官有物払下(はらいさげ)事件

(払下げ:国のものを民間に売ること)

政府の黒田清隆(薩摩)(北海道開拓使)が、タダ同然で官有物を、同じ薩摩出身の政商・五代友厚に払い下げようとしたことが発覚。
→政府に批判集中

(大久保・伊藤博文など政府は、国会開設はまだ早いと思っていた。最初は欧米に学んだ自分たちプロがやるべきだと。しかしこの事件で「やっぱり政府はダメだ」となってしまった。)
↓↓
・1881年(明治14年) 「国会開設の勅諭」
政府は10年後(1890年)の国会開設を公約。
(→実際、伊藤は1890年に開いた。)

・1881年(明治14年) 「明治十四年の政変」
伊藤博文は、大隈重信(国会開設・賛成派)を事件と関係ありとみて(リークしたのでは?証拠はなし)と追放

↓↓
「政党」の結成へ・・

 

日本史【35】明治初期の外交(近代ー4)

260722
日本史【35】明治初期の外交(近代ー4)

<条約改正問題>
幕末に結んだ不平等条約の解消
①領事裁判権の撤廃(=法権回復)
②関税自主権の回復(=税権回復)

・1871年(明治4年)11月~1873年(明治6年)9月(約2年間)
岩倉遣外使節
予備交渉に失敗し、欧米視察して帰国

・1878年(明治11年) 外務卿・寺島宗則の交渉
税権回復に米が賛成も、英・独の反対で失敗。
(米も白紙に→米に最恵国待遇があるから。)

<清との関係>
・1871年(明治4年) 「日清修好条規」
※最初の対等条約

・1871年 琉球漂流民事件
台湾に漂着した琉球漁民が、台湾原住民に✕。
↓↓
・1874年(明治7年) 台湾出兵
西郷従道(つぐみち)(西郷隆盛の弟)が指揮を取る。
※木戸孝允、台湾出兵に反対して下野。(政府をやめる)

<琉球との関係>
・江戸時代は日中両属(日清双方に朝貢)。
琉球から江戸に慶賀使、謝恩使が行っていた。

・1872年 「琉球藩」設置
国王・尚泰(しょうたい)を藩王として華族に列する。
(いきなり沖縄県(日本の領土)とすると、中国や琉球から文句を言われるかも、なので。)
↓↓
・1879年 「沖縄県」設置
琉球王国(1429年建国・尚巴志)を廃止。廃藩置県を断行(琉球処分)。
→清の抗議。日中関係が悪くなる。

<朝鮮との関係>
・「征韓論」問題
留守政府は鎖国中の朝鮮を、武力により開国させることを主張。
→岩倉使節帰国
→征韓論中止
→1873年 明治六年の政変

・1875年 「江華島(こうかとう)事件」
日本の軍隊が鎖国中の韓国を挑発
→砲撃を受ける
↓↓
・1876年 「日朝修好条規」
日本が朝鮮を開国させる。
日本全権:黒田清隆(きよたか)(薩摩)
※日本優位の不平等条約

<ロシアとの関係>
領土問題
・1854年 「日露和親条約」
日本領:択捉島以南 ロシア領:得撫(ウルップ)島以北
樺太:両国雑居(実際は、ほぼロシア人)
↓↓
・1875年 「樺太・千島交換条約」
日本全権:榎本武揚(えのもとたけあき)
(旧幕臣→この条約から政府に復帰)
・樺太:(雑居→)ロシア領に
・千島列島:(択捉以南→)千島全島を日本領に

 

日本史【34】明治維新(近代ー3)

260721
日本史【34】明治維新(近代ー3)

<戊辰戦争>1868.1月~1869.5月
〇官軍(薩長)新政府軍
VS
✕旧幕府軍

・1868年(明治元年)1月 鳥羽・伏見の戦い
京都近郊で旧幕府軍撤退

・1868年 4月 江戸無血開城
西郷隆盛・勝義邦(海舟)の会談により実現

奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟
陸奥・出羽・越後など。
会津若松城の戦い、長岡城の戦い

・1868年 10月(~1869年) 五稜郭の戦い
榎本武揚(えのもとたけあき)ら旧幕臣がたてこもる。
「箱館戦争」ともいう。

<新政府の動き>
・1868年 3月 五箇条の(御)誓文
天皇が神に誓う。政府の方針表明。
「会議をしながらいい政治をしていく」

・1868年 3月 五榜の掲示(ごぼうのけいじ)
政府から庶民へ。ex. キリスト教禁止(最初の5年間)

・1868年 閏4月 政体書
政治組織として太政官制(だじょうかんせい)を採用

・1868年 9月 明治改元(慶応→明治)
一世一元の制。
一人の天皇の間、一つの元号を使う。
(現在は法制化されている)

・1869年(明治2年)
東京遷都

<地方の政治制度>
幕藩体制の、今度は300の「藩」の方をつぶしていく。
(第1弾)
・1869年(明治2年) 「版籍奉還」
藩主が領地(版図=土地)と領民(戸籍=人民)を天皇へ返上。
「旧藩主」を「知藩事(ちはんじ)」に任命し、石高の1割を家禄(俸禄)として支給。(名前が変わっただけ)
↓↓
(第2弾)
・1871年(明治4年) 7月 「廃藩置県」
薩摩・長州・土佐の精兵(1万)を集めて御親兵(ごしんぺい)とし、その武力を背景に断行。
→中央政府から府知事・県令を派遣。大名は全員罷免。
(東京府・大阪府・京都府。残りは県。300→70→47)

<中央の動き>
・「藩閥(はんばつ)政府」
薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)出身の実力者が、政府の実権を握る。

・1871年11月 岩倉遣外使節
欧米に条約改正・欧米視察のために渡航。(不平等な条約の改正は相手にしてもらえず。)
(大使)
岩倉具視・・公家
(副使)
大久保利通・・薩摩
木戸孝允・・長州
伊藤博文・・長州

<身分制度>
・1869年(明治2年) 四民平等
近世の身分制度(士農工商)を撤廃し、平民にも苗字、通婚、移転の自由を認めた。
華族・・藩主、上層公家
士族・・武士
平民・・農工商民

・1872年(明治5年) 壬申戸籍(じんしんこせき)作成
最初の近代的戸籍。全国を調査。

<金融制度>
・不換紙幣(ふかんしへい)の発行
(例:戊辰戦争の戦費調達・太政官札(だじょうかんさつ)など)
本位貨幣(金や銀)と交換できない紙幣。
→信用できないから貨幣価値が下がって物価が上がる。

・1871年(明治4年) 「新貨条例」
円・銭・厘採用。
「金本位制」確立が目的。
(※金本位制:「金」と「貨幣」を交換する制度。)
→金不足で実際は銀も使っていた(貿易には銀を使う)
→「金銀複本位制(きんぎんふくほんいせい)」。
↓↓
・1872年(明治5年) 「国立銀行条例」
アメリカのナショナル・バンクにならった「民間」の銀行。
「兌換(だかん)紙幣」発行。
(※兌換(だかん)紙幣:いつでも金銀と交換できる紙幣)
(中心:渋沢栄一)
例:「第一国立銀行」(名前は「国立」だが、「民間」)
政府にお金がない(金(きん)がない)から民間でやる。
→最初は4行。
→その後、兌換義務を廃止(1876年)したので、153行まで続いてできた。
→貨幣価値が低くなる
→インフレ(物価高)に・・。
(→後に「松方デフレ」に)

<軍隊制度>
・1872年 徴兵告諭(ちょうへいこくゆ):徴兵の予告。
国民皆兵を宣言。
→徴兵反対「血税一揆」を誘発。

・1873年(明治6年) 徴兵令:法制定
大村益次郎(戊辰戦争で活躍)(長州)
(構想→1869年暗殺)

山県有朋(実現)(長州)
20歳以上の男子が3年間、軍に入る。

☆「兵役免除規定」が多くあり
例:官吏(役人)、戸主や跡継ぎ、代人料270円を納めた者など。→日清戦争の前ぐらいまでに免除規定も減り、国民皆兵となった。

<警察制度>
・1873年(明治6年) 「内務省」設置。(力は大きい)
警察を管轄下に置き、政府の最高権力を握る。
初代内務卿:大久保利通

「内務省」の下に
↓↓
・1874年 「警視庁」創設:東京

(※現在)
・警察庁

・警視庁(東京)
・都道府県警(地方。例・大阪府警、神奈川県警など)

<土地制度の変化>
★地租(土地の税金)改正

・1871年 田畑勝手作の禁 解禁
→商品作物OKになる。

・1872年 田畑永代売買の禁 解禁
→田畑の売買もOKになる。

・「地価」を国が決定し、「地券」を発行する。

※「地価」・・現在の「土地の価格」とは違う。「地価」は「地券」に書かれた「固定価格」のこと。物価が上下しても「地価」は変わらない。

土地の「所有権」を認める。
例:「壬申地券(じんしんちけん)」1872年(明治5年)

・1873年(明治6年) 「地租改正条例」公布
(改正前):「石高(収穫)」(不定)を「耕作者」が「原則物納」
↓↓
(改正後):「地価」の「3%」を「土地所有者」が「金納」

・今までは「土地の値段」というのはなかった。(土地の売買はできなかった)。米の収穫が基準の「石高」があったのみ。

・(前)米の収穫500万の半分250万
↓↓
(後)地価1億円の3%の、300万円。
など、たいてい税金はアップした。

・1876年(明治9年) 「地租改正反対一揆」へ

 

2021年大河ドラマ『青天を衝け』総集編・第四部メモ(DISC2)

230608
2021年(令和3年)大河ドラマ『青天を衝け』
総集編 DISC2 第四部 メモ

渋沢栄一
1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才

慶喜は駿府(静岡)で暮らしていた。

お目通り:目上の人に会う。

右大臣 岩倉具視 暗殺未遂事件。
喰違の変(くいちがいのへん)明治7年(1874年)

不平士族
江藤新平 佐賀の乱

大隈重信

大久保利通。不平士族の不満をそらすために台湾出兵を主張。
(ドラマにはないが木戸孝允(きど・たかよし)は反対して政府をやめた)

台湾への船を三菱に頼む。
三菱商会(創業者)
岩崎弥太郎。(土佐)

栄一は大蔵省(官)をやめて国立銀行の頭取(民)になる。

三井銀行開業。

金中心の世に憂う。金は卑しの武士の世が終わり、誰もが金を崇拝し始めた。開けてはならぬ扉を開けたのではないか・・。

栄一は「東京商法会議所」を作る。他業種のつながり。

栄一は合本でみんなで大きくなるべしと主張。国利民福(こくりみんぷく)(国の利益と人民の幸福)。

これに対して岩崎は儲けたい強い一人が全力を尽くすから前進する。欲は悪くないと主張。

「東京養育院」
生活に困る人を守る。

米 グラント将軍(前大統領)来日。
岩倉使節団のときの大統領。

栄一の妻たちは、大隈邸で井上馨、大倉喜八郎、益田孝の夫人に教えをこう。

・1881年(明治14年)
開拓使官有物払下げ事件。
黒田清隆が北海道の官営事業を、同郷の薩摩の五代友厚に不当に安く払下げたと新聞に報じられた。

五代「名誉や金より大切なのは目的だ。豊かな日本を作ることが正義だと信じている。」

【偕老同穴】かいろうどうけつ
夫婦なかよく、生きてはともに年をとり、死んではいっしょに葬られること。

栄一の長女・歌子と穂積 陳重(ほづみ のぶしげ)(法学者)が結婚。

五代。電話、馬車鉄道の事業。

【青天白日】せいてんはくじつ
心にやましい所が全くないこと。

銀行、製紙、紡績、鉄鋼、建築、食品、鉄道、鉱山、電力、造船、など多くの産業に関わった。

女性が国際化に対応できる学校、病院、養育院、教育、福祉など。

・1904年(明治37年)
日露戦争

慶喜の告白。
家臣を止めることはできない状況だった。

「人は誰が何を言おうと戦争をしたくなれば必ずするのだ。欲望は道徳や倫理よりずっと強い。」

・1909年(明治42年)
渡米。平和外交。移民のために。

徳川慶喜公 稿本

・1921年(大正10年)
ワシントン会議

・1923年(大正12年)
関東大震災

「政治経済を道徳と一致せしめて真正なる世界の平和を招来せんことを諸君と共に努めたいのであります。」渋沢栄一

 

 

 

2021年大河ドラマ『青天を衝け』総集編・第三部メモ(DISC2)

230608
2021年(令和3年)大河ドラマ『青天を衝け』
総集編(DVD2枚組) DISC2 第三部 メモ

渋沢栄一
1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才


薩摩藩士 五代才助/友厚
天璋院様御守衛 西郷隆盛(吉之助)
薩摩藩士 大久保利通(一蔵)
岩倉具視

フランスから借款はできなかった。

目付⇒外国奉行:栗本 鋤雲(くりもと じょうん)(安芸守)

証券取引所
債権、国債

1867年 10月 大政奉還
王政復古

薩摩に江戸城に火を付けられる。

1868年 1月 戊辰戦争。
鳥羽・伏見の戦い(淀・橋本)
慶喜は朝敵となった。開陽丸で大阪へ
(ナポレオン三世にフランス軍服をもらう慶喜)

上野 彰義隊。浅草本願寺。
箱館 五稜郭

・明治維新
明治時代が始まる。
コンパニー。合本(がっぽん)

栄一は駿府にいたが、政府の大隈重信(佐賀・肥前)にスカウトされる。
太政官より呼び出し。

伊藤博文(いとう ひろぶみ)

民部大蔵省(みんぶおおくらしょう)租税

改正掛(かいせいがかり)

租税、貨幣

前島密(まえじまひそか)郵便制度を作る。漢学者が使う文字。

井上馨(いのうえかおる)廃藩置県。
新政府は安定した税収を得ることができた。

官営 富岡製糸場。

主要輸出品である生糸(きいと)の増産。
養蚕(ようさん)

大阪 造幣局。
円。新貨条例。バンク。

国立銀行
名は国立だが民で作る。
三井組と小野組。
官金=政府の金

三井組ハウス。両替店。
銀行にされる。

 

 

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2021年大河ドラマ『青天を衝け』総集編・第二部メモ(DISC1)

230607
2021年(令和3年)大河ドラマ『青天を衝け』
総集編 DISC1 第二部 メモ

渋沢栄一
1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才


・文久3年(1863年)
栄一は一橋家で働く。
慶喜は一橋家に養子に入っている。

政の中心は江戸から京へ。

孝明天皇。朝議参与に任命。
「参与会議」

薩摩藩国父 島津久光(しまづ ひさみつ)
一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ)
前福井藩主 松平春嶽(まつだいら しゅんがく)
会津藩主  松平容保(まつだいら かたもり)
前土佐藩主 山内容堂(やまうち ようどう)
前宇和島藩主 伊達宗城(だて むねなり)

薩摩が武力に勝る。

横浜鎖港(さこう)をめぐり、慶喜は朝廷と幕府の間で板挟みに。
朝廷は薩摩の助言で意見がすぐコロコロ変わる。

慶喜は港は閉じると主張。
朝廷(中川宮朝彦親王(なかがわのみや-あさひこしんのう))に対して強く述べる。

結果⇒薩摩と強く対立することに。。参与会議は消滅。

慶喜は禁裏(=京都御所)を警備する禁裏御守衛総督(きんりごしゅえいそうとく)に任命される。

栄一は俸禄をもらう=武士になる。

「池田屋事件」

攘夷派の長州が、「天子様をそそのかす一橋や中川を討つ」という相談。
新選組が阻止。副長土方歳三。攘夷派を討つ。

水戸藩など攘夷派志士たちの怒りの矛先が一橋の慶喜に向かう。平岡が慶喜をそそのかしたと思い込み、水戸藩士に平岡が討たれる。

十二代家慶は慶喜のことをかっていた。「徳川を頼む」と。

「自分の輝きは幻」だと慶喜は言ったが、平岡は「その輝きは消えない、自分は尽未来際(じんみらいさい)仕える」といった。

尽未来際(じんみらいさい):仏語。 未来の果てに至るまで。 未来永劫 (えいごう) 。 永遠。

その後、平岡が討たれる。

・元治元年(1864年)7月19日
「禁門の変」
長州が御所に突入。蛤御門。
江戸幕府開府以来はじめての、京を戦場とする内戦。

一橋と薩摩藩の連合軍(幕府軍)が抑える。
慶喜「御所に筒先を向けるとは・・何が尊王だ・・」

幕府軍の勝利で終結。

西郷隆盛(吉之助)が慶喜を認める。「もう少し仲良くしておいた方がいいか・・」

家茂「一橋に比べ無力だ・・」
天璋院「旗本八万騎が忠誠を尽くしたいと望むのは水戸一橋ではなくあなた(徳川家茂)です」

水戸藩も内部で対立。攘夷派の武田 耕雲斎(たけだ こううんさい)(水戸藩・天狗党)らが幕府軍と戦う。

水戸の攘夷派が京都に来るが、慶喜は京を守るのが自分の役目だ・・と京都に入れない。

斉昭は「烈公(れっこう)」と呼ばれていた。

栄一は一橋を経済的に支えることにする。

懐具合をよくする。斉昭もそうだった。水戸のために、林、ガラス、茶畑を作り、ハチミツを集めた。

やったこと。
・米の入札払い
一橋の領家の年貢米は出来が良く限りがあるので、売るときに入れ札(いれふだ)で販売する。

・硝石(火薬の原料)の製造

・銀札(ぎんさつ)の発行
勘定組頭になる。

御注進:事件

家茂が逝去(せいきょ)。慶喜が将軍となる。

一橋の家臣の一部は、幕臣となる。

大阪 幕府陸軍奉行所

目付:栗本 鋤雲(くりもと じょうん)
勘定奉行:小栗忠順(おぐり ただまさ)(上野介)
(⇒2027大河ドラマ『逆賊の幕臣』主役)

「パリ博覧会」
慶応3年(1867) 遣欧使節団

慶喜の弟。徳川昭武(あきたけ)民部公子(みんぶこうし)
600万ドルの借款。

55日かけてフランスへ。
横浜、上海、香港、サイゴン、セイロン、アデン、スエズ、地中海、フランス・パリへ。。

スエズ運河建設中。国ではなく民間。

蒸気機関。

医師・高松凌雲(たかまつ りょううん)

薩摩・島津・琉球王国

外国奉行 支配組頭:田辺太一
薩摩藩士、実業家:五代才助/友厚(ごだい ともあつ)
薩摩藩士:大久保利通(一蔵)

イギリス公使:ハリー・パークス

「大君は日本の皇帝ではない」とパリの新聞に書かれた。

 

 

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2021年大河ドラマ『青天を衝け』総集編・第一部メモ(DISC1)

「青天を衝け」2021年(令和3年)大河ドラマ

 

総集編 DISC1 第一部 メモ

渋沢栄一
後に「近代日本経済の父」と呼ばれる。

1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才
武蔵国生まれ。

藍(あい)作り。染料にする。

1853年(嘉永6年)
マシューペリー(ペルリ)来日

前水戸藩主 徳川斉昭(なりあき)
開国には反対。尊王攘夷派

息子:七郎麻呂(後の15代将軍 徳川慶喜)
水戸から一橋家に入り、当主となる。

十二代 徳川家慶
十三代 徳川家定(家祥いえさち)

御三家:初代家康の子供の代で分かれた。
尾張、紀伊、水戸

御三卿:八代吉宗の子供の代で分かれた。
清水家(長男・家重)、田安家(次男・宗武)、一橋家(三男・宗忠)

岡部藩 代官

陣屋(じんや):徳川幕府直轄領の遠国奉行(おんごくぶぎょう)や代官の住居および役所が置かれた建物。

下郎(げろう):身分の低い者。ののしっていう場合にも用いる。

 

平岡 円四郎(ひらおか えんしろう)は、川路 聖謨(かわじ としあきら/せいたん)や藤田東湖(ふじたとうこ)(水戸・徳川斉昭の懐刀(ふところがたな))から見いだされ、徳川慶喜の小姓となった。

旗本の四男。

 

紀州藩主。徳川慶福(よしとみ)→後の十四代 徳川家茂(いえもち)

十三代・家定の御台所、篤姫。(後の天璋院)

 

井伊直弼(掃部頭)が大老となる。
老中首座。堀田 正睦(ほった まさよし)(備中頭)

安政5年6月。1858年。日米修好通商条約。
天皇の許しを得ないままの調印。

 

徳川家定は水戸や越前が嫌い。処分せよと井伊に命令。
「安政の大獄」

開国派の井伊が尊王攘夷派を弾圧。

水戸藩徳川斉昭、慶喜を蟄居。
福井藩、橋本佐内を処刑。

大橋 訥庵(おおはし とつあん):儒学者、尊王論者。坂下門外の変を計画。

 

幕府が朝廷に対して不敬を繰り返したことで尊王攘夷の志士たちが過激化していった。

東禅寺(イギリス公使館)通訳殺害事件、オランダ人船長惨殺(横浜)

1860年(安政7年)3月 桜田門外の変

 

老中 安藤信正(対馬守)
孝明天皇の妹、和宮が家茂に嫁ぐ。
河野顕三(こうのけんぞう)
坂下門外の変

平岡と川村 恵十郎(かわむら えじゅうろう)が栄一と出会う。

横浜居留地焼き討ち計画を立てる。⇒中止に。

孔子。「過(あやま)ちを改(あらた)めざる これを過(あやま)ちという。」


1862年(文久2年)

慶喜は将軍後見職に。
京都へ向かう

栄一も京都へ。


 

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