政治 – 歴史note

日本史【19】室町時代の政治(中世ー8)

260626
日本史【19】室町時代の政治(中世ー8)

室町幕府
<3代将軍・足利義満>
1391年 明徳の乱
山名氏清 討伐(六分一殿・11ヶ国/66支配)

1392年 南北朝の合一(ごういつ)
覚え方「いざ国を統一1392」
後亀山天皇(南朝)が→後小松天皇(北朝)に譲位(返す)

<4代義持>
・義満は将軍職は4代義持に譲り、自らは太政大臣となり政治を続ける。

1399年 応永の乱
守護大名・大内義弘 討伐(中国・北九州6ヶ国支配)

4代義持没後
1428年 正長の土一揆(しょうちょうのどいっき)
土民(一般農民)が高利貸しを襲う。
近江・坂本の馬借(ばしゃく)(運送業者)が徳政令を要求→鎮圧される。
※幕府は「徳政令」は出していない。

<室町6代将軍・足利義教(よしのり)>
くじ引きで就任→「万人恐怖」政治

1429年 播磨の土一揆
守護の赤松氏の国外退去を要求。
守護・赤松満祐(みつすけ)が鎮圧。

1438年 永享の乱
✕足利持氏(鎌倉公方・鎌倉府No1)
VS
〇上杉憲実(関東管領・鎌倉府No2)

6代・足利義教が、足利持氏を滅ぼす。

1441年 嘉吉の乱
播磨守護・赤松満祐が6代将軍・義教を謀殺。
↓↓
1441年 嘉吉の土一揆
「代始めの徳政」を要求。
※幕府はここで最初の「徳政令」を出した。

<8代将軍・足利義政>
1455年~ 鎌倉公方の分裂
次の鎌倉公方をめぐって対立

堀越公方(ほりごえくぼう)伊豆
足利政知(まさとも)(義教の子)
VS
古河公方(こがくぼう)下総
足利成氏(しげうじ)(持氏の子)

☆関東管領・上杉氏の分裂
扇屋上杉氏(おうぎがやつ・うえすぎし
VS
山内上杉氏(やまのうち・うえすぎし)

関東地方は一足先に戦国時代へ・・。

・1467年~1477年 応仁(・文明)の乱(11年間)
西・山名持豊 VS 東・細川勝元

(西軍)
・山名持豊(山名宗全)
・足利義尚(義政の子)
・日野富子
・斯波義廉(よしかど)
・畠山義就(よしなり)
VS
(東軍)
・細川勝元(管領)
・足利義親(よしみ)(義政の弟)
・斯波義敏
・畠山政長
↓↓
京都は荒廃。将軍も管領家も力を失う・・。戦国の世へ。

<各地の一揆>
1485年 山城の国一揆(やましろのくにいっき)
国人(元・地頭)が守護・畠山氏を追放。(下剋上)。南山城を8年間国人たちが自治支配。

1488年 加賀の一向一揆
一向宗(浄土真宗)の信徒が守護・富樫政親(とがしまさちか)を滅ぼす。以後100年間、加賀一国を支配。

 

日本史【18】室町時代(中世ー7)

260626
日本史【18】室町幕府(中世ー7)

<室町幕府の政治機構>
・将軍
・奉公衆(ほうこうしゅう)(直轄軍300人)

(中央)京都・室町
管領(かんれい)→将軍補佐

・侍所
・政所
・問注所
・評定衆

(地方)
・鎌倉府
・九州探題
・守護
・地頭

(中央)京都・室町
☆管領(かんれい)
「三管領(さんかんれい)」・・畠山、斯波、細川。
源氏の血を引く三家。足利の仲間。交代で努める。
→権力集中を防ぐため。

※鎌倉幕府は将軍が源氏で、サポートの執権は平氏、と違う流れだった。しかも北条氏一つの家だけ。室町の将軍サポートの管領は同じ源氏で、しかも三つの家から出す。

☆侍所(京都警備)の所司(しょし)(長官)
「四職(ししき)」・・京極、山名、赤松、一色
こちらも源氏の血を引く四家。
覚え方「京都の山は赤一色」

(地方)
☆「鎌倉府」・・ミニチュア幕府
・「鎌倉公方」関東No1
(公方は将軍の意味)
初代・足利基氏(もとうじ)(尊氏の四男)

・「関東管領」関東No2(上杉氏が世襲)

☆九州探題
今川了俊(貞世・さだよ)

・守護の力が強くなってくる。

<室町幕府の財源>
①「御料所(ごりょうしょ)」(直轄領)から→土地が少ない
年貢・公事(くじ)・夫役(ぶやく)
(荘園と同様)

②それ以外から
農民から
・段銭(たんせん)・・田畑
・棟別銭(むなべつせん)・・家屋

商人(高利貸し)から
・酒屋役(さかややく)
・土倉役(どそうやく)/倉役(くらやく)

港から
・津料(つりょう)・・入港料

関所から
・関銭(せきせん)・・通行料
※江戸時代の関所は人のチェック。室町時代は税金。

貿易の関税
・抽分銭(ちゅうぶんせん)

徳政令の手数料
・分一銭(ぶいちせん)

<守護の成長>
守護の職務は、鎌倉時代は「大犯(たいぼん)三箇条」だけだったが、室町時代ではパワーアップ。

・「刈田狼藉(検断)権」(かりたろうぜきけん)
→稲の強盗の取り締まり

・「使節遵行権」(しせつじゅんぎょうけん)
→幕府の裁定の強制執行権

・「半済令」(はんぜいれい)
・「守護請」(しゅごうけ)
土地の支配権を得る
↓↓
「守護大名」に成長

<守護領国制(しゅごりょうこくせい)>
守護大名を中心とした支配体制。(ピラミッド型、他の人が家来になった。)
・守護(もしくは守護代)
・国人(こくじん)・・地元の有力武士(荘官・地頭から成長)
・地侍(じざむらい)・・地主、有力農民(乙名・沙汰人。名主から成長)
・土民(どみん)・・一般庶民(農民・漁民・馬借など)

 

 

日本史【17】建武の新政と南北朝動乱(中世ー6)

260623
日本史【17】建武の新政(中世ー6)

<建武の新政>
1333年 建武の新政
後醍醐天皇(大覚寺統)による、「延喜・天暦の治」(醍醐帝・村上帝)を理想とする親政。(後醍醐の次は後村上天皇)

・「綸旨」(りんじ)(天皇の命令・簡易的)が絶対的効力を持つ
・3年足らずで崩壊。
(理由)
①貴族に厚く、武士に薄い恩賞(武士の不満)
②社会の混乱。「二条河原の落書(にじょうがわらのらくしょ)」

<建武の新政の政治機構>
(中央)京都
・「記録所(きろくじょ)」・・政務全般
(後三条帝の「記録荘園券契所」をなぞらえて復活させた。)
・「雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)」・・訴訟・裁判
・恩賞方(おんしょうがた)・・恩賞
・武者所(むしゃどころ)・・武士の統率。頭人:新田義貞

(地方)
・鎌倉将軍府
・陸奥将軍府
・国司(貴族)
・守護(武士)
1つの国に「国司」と「守護」を併置するのは、トラブルの元に・・。→うまくいかない。

<南北朝の動乱>・・1336年~1392年まで(56年間)

1335年 中先代の乱
北条時行(執権14代・北条高時の子)が信濃で挙兵、鎌倉を奪回する。
→足利尊氏が京都から鎌倉へ向かい、鎮圧。
→乱後、尊氏は天皇に反旗を翻し、京都に攻め入る。

1336年 湊川の戦い
足利尊氏〇 VS ✕楠木正成
入京。

1336年 足利尊氏が、光明天皇(北2)(持明院統)を擁立。(北朝)

1336年 「建武式目」を制定(基本政策。17条)not 法律

1336年 後醍醐天皇が皇居を吉野(大和・奈良)に移す。
三種の神器を持っていく。(南朝)
→南北朝が並立。(天皇が2人)

 

<室町将軍・初代・足利尊氏>
(南北朝の動乱)
1338年 足利尊氏 征夷大将軍となる。室町幕府の初代将軍。
1339年 南朝・後醍醐天皇が病死→後村上天皇が即位。

1350年 観応の擾乱:北朝内部の争い
軍事権 足利尊氏(兄)・高師直
VS
政治 足利直義(ただよし)(弟)

1352年 尊氏が直義を毒殺→観応の擾乱終了

1352年 「半済令(はんぜいれい)」
「守護」に「荘園領主」の年貢の半分を与える。
(尊氏の求心力が下がっていたので、守護に権利を与えた。)
→守護が収入を手にする。
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荘園領主 200
守護 0

地頭 200

荘園 400
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⇩⇩
(半済令)
荘園領主 100
守護 100(パワーアップ)

地頭 200

荘園 400
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1354年 北畠親房(きたばたけちかふさ)、没。
『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』
南朝の正当性を主張。

1358年 足利尊氏亡くなる。
→将軍は2代足利義詮(よしあきら)へ。