06_奈良時代 – 歴史note

日本史【9】奈良時代(古代ー6)

260602
日本史【9】奈良時代後半(奈良2)

<孝謙天皇>
749年 政・(橘諸兄→)藤原仲麻呂(武智麻呂の子、不比等の孫)

(743年↓)
752年 大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようのえ)
753年 唐から鑑真が来日(6回目で)

756年 聖武上皇没
757年 養老律令施行(718年に祖父・不比等が制定)

757年 橘奈良麻呂の乱(橘諸兄の子)
失敗。仲麻呂の権限強大化。

<淳仁天皇>
758年 政・藤原仲麻呂
→恵美押勝に改名。
太政大臣

760年 光明皇太后、没。
→仲麻呂没落→道鏡の進出

764年 恵美押勝の乱
〇 孝謙上皇・道鏡
__VS
✕ 淳仁天皇・恵美押勝
↓↓
淡路に配流(史上初)

<称徳天皇>=孝謙が復活して重祚
政・道鏡
太政大臣禅師(政治トップ)、法王(宗教トップ)

765年 加墾禁止令:寺院以外の開墾を禁止。

769年 宇佐八幡神託事件(豊前国・大分)
和気清麻呂が神託は嘘と報告。
↓↓
和気清麻呂(わけのきよまろ)は穢麻呂(きたなまろ)に改名させられ、大隅(鹿児島)に配流。
(姉の広虫(ひろむし)は狭虫(せまむし)に改名させられ、備後(広島)に配流。

770年 称徳天皇没。道鏡は下野国(栃木)薬師寺に左遷。
和気清麻呂は復帰。

 

<光仁天皇>(天智の孫)
天武系の断絶。
奈良時代の政治の混乱は、天武系だったからではという考え。→天智系に戻す。

政・藤原百川(三男・宇合の子)(式家)
藤原種継(宇合の孫)(式家)

 

<奈良・平安の外交>
奈良時代は唐、新羅、渤海の3つの国と外交した。

・遣唐使
630年(飛鳥)~838年(平安)
4隻の船・・「よつのふね」

阿倍仲麻呂 帰国できず
藤原清河

北路(ほくろ)・・朝鮮半島(新羅)の近くを通る。
新羅との関係悪化(8C)
↓ 危険
南路(なんろ)、南島路・・九州から直接行く。

894年 菅原道真 行くのをやめた。

・新羅使
630年 新羅統一

・渤海使(ぼっかいし)
中国北東部・渤海。
渤海から使節が来る(渤海使)
こちらからも送る(遣渤海使)

松原客院(越前)、能登客員(能登)、都の鴻臚館(こうろかん)に滞在。
(鴻臚館:7~11C,京都・太宰府・難波(なにわ)・博多に置かれ、外国からの来朝者を接待した館舎)

 

 

 

日本史【8】奈良時代(古代ー5)

260602
日本史【8】奈良時代(奈良1)
<権力者の移り変わり>
藤原不比等→長屋王→藤原四子→橘諸兄→藤原仲麻呂(恵美押勝)→道鏡→藤原百川

<元明天皇>聖武の祖母
藤原京
政権・藤原不比等

708年 和同開珎(わどうかいちん/ほう)
元号を「和銅」に改元。
「皇朝十二銭」の最初
(最後は乾元大宝(村上朝))

710年 平城京へ遷都(藤原京から)
都城制。唐の長安をならう。
天子南面。天皇から見る。

___平城宮
____朱     外京(げきょう)
右京  雀  左京
____大
____路

外京に東大寺、興福寺がある。

飛鳥寺(法興寺)(by蘇我馬子)は平城京に移されて元興寺(がんごうじ)となった。

木簡が出土。

・711年 蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)
お金を貯めれば位を高くする。失敗。800年廃止。

712年 『古事記』
稗田阿礼(ひえだのあれ)の暗記を、太安麻呂(おおのやすまろ)が筆録。

・713年 『風土記』

国域の拡大
・出羽国(でわのくに)設置。(日本海側・秋田、山形)
蝦夷対策
・大隅国(おおすみのくに)設置。(鹿児島)
隼人(はやと)対策

<元正天皇>聖武の叔母
(政)藤原不比等
・718年養老律令制定(施行は757年~)
(不比等の功名心から。大宝律令と内容大差なし)

720年 『日本書紀』(神代~持統。編年体)
舎人(とねり)親王(天武の子)

・720年 (政)不比等没→長屋王が実権掌握。

・722年 百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうぶ)
口分田が足りない。田を開墾。→失敗。(計画倒れ)

・723年三世一身の法(さんぜいいっしんのほう)
ー 新たに開墾→ひ孫までの3代
ー 既墾地を開墾→本人1代
の「土地所有」を認める。死後は国に返還。
→一時的な「私有地」の誕生。律令制度(公地公民)が崩れ始める。

 

<聖武天皇>
(政)長屋王
・724年多賀城(陸奥国/宮城県)に、鎮守府(ちんじゅふ)(東北の役所)を設置。蝦夷対策の拠点。

・729年長屋王の変
藤原不比等の娘、藤原光明子が聖武の皇后(正式な妻)になるのを、長屋王が反対。→藤原四子により謀反の意図ありと死に追い込まれる。

(政)藤原四子(よんし/しし)
長男:藤原武智麻呂(南家)
次男:藤原房前(北家)
三男:藤原宇合(式家)
四男:藤原麻呂(京家)

737年 藤原四子が天然痘で没

(政)橘諸兄(たちばなのもろえ)→左大臣
吉備真備(吉備地方の出身)
玄昉(げんぼう)
(アンチ藤原が力を握った)

・740年 太宰少弐藤原広嗣(ひろつぐ)の乱→鎮圧
(おもしろくない藤原氏が反乱)

・740年 恭仁京(山城)へ遷都(平城京から)
(聖武天皇が自分のせいだと嘆いて遷都)

・741年国分寺建立の詔(国分尼寺(こくぶんにじ))
鎮護国家思想①(仏教によって国を治める)

・742年 近江・紫香楽宮(しがらきのみや)造営

743年 墾田永年私財法
開墾地の永久私有を認める→大貴族、大寺社が開墾。
「荘園」(初期荘園)の誕生。

743年 大仏建立の詔
鎮護国家思想②
紫香楽宮→奈良・平城京へ

平城京から
・740年 山城・恭仁京(くにきょう)へ遷都
・744年 摂津・難波宮(にわのみや)へ遷都(海)
・745年 近江・紫香楽宮(がらきのみや)へ遷都(山)
(→山の中過ぎて頓挫)
・745年 大和・平城京へ遷都(戻る)
5年で3回遷都した後、平城京に戻る。定まった「くに・な・し」。

 

藤原不比等

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藤原不比等(ふじわらのふひと)(659-720)

・持統、文武、元明、元正、と4代の天皇に使えた。右大臣。

・「大宝律令」「日本書紀」「平城京への遷都」などに関わる。

・不比等の子孫だけが「藤原姓」を名乗れて、太政官になれることにした。

・妻:蘇我娼子、五百重娘、賀茂比売、県犬養三千代

 

藤原(中臣)鎌足

藤原不比等

(子供)
長男・武智麻呂(南家)
次男・房前(北家)
三男・宇合(式家)
四男・麻呂(京家)

長女・宮子(軽(文武)へ嫁ぐ)
次女・長娥子(ながこ)
三女・安宿(あすかべ)出家後→光明子(首(聖武)へ嫁ぐ)

 

1-6 奈良時代の生活と天平文化

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中学歴史
1-6 奈良時代の生活と天平文化
大化の改新で律令国家に。国家の形が整う。

645 大化の改新 中大兄皇子(天智天皇)が中臣鎌足と蘇我氏をたおす
豪族の支配から⇒国家が直接支配するように。公地公民。
701 大宝律令。律は刑罰、令は政治上の決まり。律令国家へ。

班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)。6歳以上に口分田。課税。死んだら土地は返す。

710 平城京。奈良時代が始まる。
743 墾田永年私財法。耕した土地は永久に自分と子孫のもの。

聖武天皇。大仏造立の詔(みことのり)。都に東大寺、全国に国分寺・国分尼寺。⇒仏教の力で国を守る

 

天平文化・・貴族を中心に栄えた国際色豊かな仏教文化。遣唐使で唐の制度や文化が取り入れられる。

正倉院。校倉造。ペルシャ(イラン)製のガラスなど。