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鎌倉幕府将軍
初代 源頼朝(みなもとのよりとも)
2代 源頼家(みなもとのよりいえ)
3代 源実朝(みなもとのさねいえ)
4代 藤原頼経(ふじわらのよりつね)(九条頼経)摂家将軍
5代 藤原頼嗣(ふじわらのよりつぐ)
6代 宗尊親王(むねたかしんのう)88代後嵯峨天皇の皇子。
7代 惟康親王(これやすしんのう)
8代 久明親王(ひさあきらしんのう)89代後深草天皇の皇子
9代 守邦親王(もりくにしんのう)
歴史、学びメモ
織田信長 年表
1534.6.23(1歳)・・生誕。尾張国。幼名は吉法師(きちほうし)。
1546(13歳)・・元服。信長となる。
1547(14歳)・・竹千代(徳川家康)が人質として尾張に来る。2年過ごす。
1548(15歳)・・帰蝶(美濃・斎藤道三の娘)と結婚。那古野城。
1552(19歳)・・父信秀没。家督を継ぐ。
1559(26歳)・・尾張統一
1560(27歳)・・桶狭間の戦い
1570(37歳)・・姉川の合戦(近江)
1571.9 (38歳)・・比叡山焼き討ち。
1573.8 (40歳)・・朝倉、浅井を討つ
1575.5(42歳)・・長篠の戦い(三河)
1576.4 (43歳)・・対本願寺、雑賀衆
1577(44歳)・・第二次信長包囲網(上杉謙信)
1578(45歳)・・摂津・有岡城・荒木村重謀反。毛利の村上水軍を九鬼の鉄甲船が敗る。
1582.6 (49歳)・・本能寺の変
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相模国 小田原城
北条家
5代百年に渡り君臨する関東の覇者
北条氏康
北条氏政
北条氏直
支城は百を超える
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薩摩国・島津家
九州は「大友宗麟」「龍造寺」「島津家」の三つ巴だったが「島津家」が勢力を伸ばした。
島津四兄弟
当主 長男 島津義久 くじで決める
次男 島津義弘 勇武英略、外科手術が得意
三男 島津歳久 智計
四男 島津家久 軍法戦術
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秀吉の戦い(本能寺の変以降)
・1582.6 山崎の戦い(明智光秀)
・1583.3 賤ヶ岳の戦い(柴田勝家、三男織田信孝)
・1584. 3 小牧・長久手の戦い(徳川家康、次男織田信雄(のぶかつ))
・1585.3 紀州征伐(根来、雑賀)
・1585 四国征伐(長宗我部元親)
・1585.11 天正大地震(てんしょうおおじしん)→徳川攻めは取りやめ。外交で臣従させる方針へ。
・1586 豊臣秀吉となる
・1586 九州征伐(島津家)
・1590 小田原攻め 相模国(北条氏)→天下統一
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「六国史(りっこくし)」・・奈良時代から平安時代にかけて朝廷が編纂した6つの正史(公式の歴史書)の総称。
1『日本書紀』(にほんしょき)720
2『続日本紀』(しょくにほんぎ)771
3『日本後紀』(にほんこうき)840
4『続日本後紀』(しょくにほんこうき)869
5『日本文徳天皇実録』(にほんもんとくてんのうじつろく)879
6『日本三代実録』(にほんさんだいじつろく)901
<六国史の構成>
1『日本書紀』(にほんしょき):720。神話時代から41代持統天皇まで。
2『続日本紀』(しょくにほんぎ):771。42代文武天皇から48代称徳天皇まで。
3『日本後紀』(にほんこうき):840。50代桓武天皇から54代仁明天皇まで。
4『続日本後紀』(しょくにほんこうき):869。54代仁明天皇から55代文徳天皇まで。
5『日本文徳天皇実録』(にほんもんとくてんのうじつろく):879。55代文徳天皇。
6『日本三代実録』(にほんさんだいじつろく):901。56代清和天皇、57代陽成天皇、58代光孝天皇の3代。
<特徴と重要性>
・正史としての役割:国家の公式記録として、天皇の治世や政治・社会の出来事を記録し、古代史の根本史料となる。
・編纂体制:天皇の命令(勅撰)によって編纂され、平安時代には優れた漢文学者が執筆に参加し、漢文が洗練された。
・内容の変化:初期は国家全体の歴史を扱ったが、後期になるにつれて宮廷社会のより詳細な記録へと変化していった。
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「魏志倭人伝」(著者:陳寿。西晋の歴史家。『三国志』)
「邪馬台国」は三十余のクニグニの頂点に立つクニとされる。これらのクニグニがまとまったものを邪馬台国連合という。
<邪馬台国連合のクニ>
対馬(つしま)、一支(いき)、末盧(まつろ)、伊都(いと)、奴(な)、不弥(ふみ)、投馬(とうま)、斯馬(しま)、巳百支(しはき)、伊邪(いや)、都支(とき)、弥奴(みな)、好古都(ここと)、不呼(ふこ)、姐奴(そな)、対蘇(つそ)、蘇奴(そな)、呼邑(こお)、華奴蘇奴(かなそな)、鬼(き)、為吾(いご)、鬼奴(きな)、邪馬(やま)、躬臣(くし)、巴利(はり)、支惟(きい)、烏奴(うな)
倭の五王(宋書)
421年 讃(さん)・・ 履中(17)(or 応神(15)or 仁徳(16)?)
438年 珍(ちん)・・反正(18)(or 仁徳(16)?)
443年 済(せい)・・允恭(19)
462年 興(こう)・・安康(20)
478年 武(ぶ)・・雄略(21)
中国 南北朝時代
南朝 宋(420~)、済、梁、陳
2025大河ドラマ『べらぼう』
第9回「玉菊燈籠 恋の地獄」メモ(250302放送)
蔦重(横浜流星)は瀬川(小芝風花)の身請け話を耳にして、初めて瀬川を思う気持ちに気づく。新之助(井之脇海)はうつせみ(小野花梨)と吉原を抜け出す計画を立てるが…
蔦屋重三郎(1750~)
玉菊灯籠(たまぎくどうろう)。
鳥山検校「遅かりし由良之助(おそかりしゆらのすけ)」
瀬川「ご生害(しょうがい)には間に合いんしたようで」
待ちかねたときや、時機に間に合わなかったときなどの、残念な気持ちをしゃれていうことば。歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」から。塩谷判官(浅野長矩・ながのり)が腹に短刀を突き立てた直後に大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)(大石内蔵助)が赤穂から到着するが、このときの台詞から。
検校「花魁、何か心掛かりでもあるのか。声音(こわね)が少ししおれておる」
検校(けんぎょう):盲人に与えられた最高の官名
人別(にんべつ):宗門人別帳。戸籍。
近松門左衛門『心中天網島』(しんじゅう てんのあみじま)
瀬川「何言ってんだい。馬鹿らしくて面白かったって言ってんだよ。この馬鹿らしい話を重三が勧めてくれたこと、きっとわっちは一生忘れないよ。とびきりの思い出になったさ。・・じゃ、返したよ。」
〇べらぼう紀行
吉原にお盆をつげる「玉菊灯籠」。
年中行事。
浅草 酉の市(とりのいち)。
2025大河ドラマ『べらぼう』
第8回「逆襲の『金々先生』」メモ(250223放送)
蔦重(横浜流星)が手掛けた瀬川(小芝風花)の名を載せた細見で、吉原には客が押し寄せる。そんな中、瀬川の新たな客として盲目の大富豪、鳥山検校(市原隼人)が現れる。
蔦屋重三郎(1750~)
平賀源内が田沼意次に社参を見世物にして金を得たらどうかと提案。
吉原の引き札屋(チラシ)
本は上方(関西)から流れてきた。
江戸の本屋は最初は須原屋と鱗形屋だけだった。
鳥山検校(とりやまけんぎょう)
盲人は幕府の手厚い保護を受けて生業として
高利貸しも認められ、富を得る者もいた。
『金々先生栄花夢』(恋川春町)1775(安永四年)
黄表紙の最初の作。
金々先生・・通ぶっている人。
田舎の若者がうたた寝する間に見た夢の話。
瀬川が本を読みながら、「ひゅー(口笛)」と(←原文まま)
『女重宝記(おんなちょうほうき)』花嫁修業の本
商家のお内儀(ないぎ)
内儀:町人の妻
「女と博打は麹町の井戸。はまれば底が知れぬ」
麹町は高台にあるので井戸が深い。
〇べらぼう紀行
滝泉寺(目黒不動尊)
東京・目黒区