歴史note – 歴史の学びメモ

コミック『だんドーン』6巻

260803
コミック『だんドーン』6巻

・長州藩

豪商 白石正一郎
森山新蔵(元薩摩の豪商→薩摩藩士)
長州藩の過激派も来る。
桂小五郎、久坂玄瑞、山田市之丞

対馬にロシアが居座る。イギリスの力を借りて撤退させる。

『コンヨ図織』世界地理書
長井雅楽(ながいうた)政治家『航海延暦策』

・薩摩 久光四天王
小松帯刀、大久保利通、堀次郎、中山中左衛門

誠忠組、村田新八

大坂 薩摩藩の蔵屋敷
米の備蓄、蔵を併設。藩屋敷。

弁士 清河八郎

田中河内介 父子。
勤王家。公家の中山家に仕える。(帝ガチ勢)
二才(にせ)→若者

中村半次郎と田中新兵衛が長州久坂と共に行動する。

久坂玄瑞は吉田松蔭の妹と結婚。

福岡の過激派 平野國臣

日本史【47】大正デモクラシー(近代ー16)

260802
日本史【47】大正デモクラシー(近代ー16)

<大正デモクラシー(理論的支柱)>

大正デモクラシー:民衆運動。第一次護憲運動から、男性普通選挙制・成立までの、時代思潮や社会運動。

・「民本(みんぽん)主義」:吉野作造
※「民主主義」だと「国民主権」になって、「天皇主権」に反することになるので「民本」を使った。憲法の中で、できる限り国民の権利を重視する考え。

・1918年 「黎明会」結成。学者の団体。

・「天皇機関説」:美濃部達吉
天皇を国家の一つの機関と考える。
↕ 論争
・「天皇主権説」:上杉慎吉

「民本主義」も「天皇機関説」も憲法と矛盾しない。憲法を否定するものではない。

<大正デモクラシー(労働運動)>
・1911年(明治43年) 「工場法」制定
初の労働者保護立法・制定→施行延期→1916年施行
12歳未満:就労不可
15歳未満・女性:12時間を越える就労不可・深夜業禁止
15人未満の工場には不適用

★労働組合の全国組織
(明治)
「労働組合期成会」
「社会民主党」→「日本社会党」
↓↓
(大正)
・1912年 「友愛会」(労資協調・まだ穏やか)
会長:鈴木文治(ぶんち)

↓↓(発展)

・1919年 「大日本 労働総同盟 友愛会」
(WW1戦後恐慌で運動が激しくなる。戦後恐慌と労働運動は表裏一体)
・1920年 第一回メーデー(原内閣)5月1日に労働者が集会

↓↓(発展)

・1921年 「日本労働 総同盟(階級闘争・激しくなる)」
↓↓(一部分裂)

・1925年 「日本労働組合 評議会」
日本労働総同盟を除名された左派によって結成。

<大正デモクラシー(社会主義)>
・1922年 「日本共産党」(社会主義の一つ。)
堺利彦・片山潜らが、ソ連のコミンテルン(国際共産党(本部モスクワ)の指導のもと、日本で非合法に結成。

・大杉栄:無政府主義者(→関東大震災1923、甘粕事件で✕)

★「社会主義」について
左翼全体を、広い意味で「社会主義」と呼ぶ。その中に「共産主義」、「無政府主義」、「社会主義」などがある。

<大正デモクラシー(婦人解放運動)>

・1911年 「青鞜(せいとう)社」(文学者団体)
平塚らいてう(平塚明・はる)(「らいちょう」と読む)
雑誌『青鞜』
「原始女性は太陽であった。」
↓↓
・1920年 「新婦人協会」
平塚らいてう(平塚明)、市川房枝
「治安警察法 5条」(女性の政治活動禁止)改正が目的→改正された。

「赤瀾会(せきらんかい)」
・1921年 山川菊栄・伊藤野枝(女性の社会主義団体)

「婦人参政権 獲得 期成同盟会」
・1924年 市川房枝
→戦後まで達成されず。(1945年に達成)

<大正デモクラシー(その他運動)>
☆部落解放運動
・1922年 「全国水平社」設立
被差別部落の差別解消目的。

☆農民運動
・1920年 小作争議の激化
小作人の闘争・小作料引き下げを求める

・1922年 「日本農民組合(小作人組合)」設立
杉山元治郎らによる。

☆無産政党
労働者や農民などを支持する政党

無産者階級(プロレタリアート)
VS
資本家(お金持ち)階級(ブルジョアジー)

・1926年(昭和元年) 「労働農民党」
杉山元治郎ら→同年分裂

 

 

日本史【46】大正時代(近代ー15)

260802
日本史【46】大正時代(近代ー15)

<原敬 内閣(大戦終結以前)>(19代)
・最初の本格的・政党内閣(外・陸・海相以外は政友会)
「平民宰相(へいみんさいしょう)」と呼ばれる。
(※最初の政党内閣は「大隈重信・内閣①」だったが、4ヶ月で終わったため、「政治をした」という意味では今回が初。)

・1919年 三・一独立運動
朝鮮での反日独立運動。「万歳事件」ともいう。

・1919年 衆議院議員選挙法・改正
直接国税規定を10円→3円へ(5.5%に)
小選挙区制を導入。解散後の選挙で政友会が圧勝。
(→国民は0円を求めていたから、不満が鬱積)

<原敬 内閣(パリ講和条約とその影響)>
・1919年 パリ講和会議
第一次世界大戦の講和会議
英〇・仏〇(露・離脱) VS ✕独

ヴェルサイユ条約・調印
全権:西園寺公望
(内容)
①山東省の旧ドイツ権益の継承。
(※「21カ条の要求」で中華民国に認めさせていたものを、欧にも認めさせた。)
②赤道以北の旧ドイツ領・南洋群島の委任統治。
↓↓
(中国からすると、当然日本に出て行ってほしい。)
・1919年 五・四運動
中国での民族運動。

・1920年 国際連盟・加盟
米大統領ウィルソンの提唱。(本部:ジュネーブ)
常任理事国:英・日・仏・伊(米・ソは不参加)
(※日本は現在の国際連合の常任理事国ではない。)

<原敬 内閣(大戦後の状況)>
・1920年 尼港事件
ニコラエフスク(尼港・にこう)で抗日パルチザン(非正規軍)に敗北。(シベリア出兵がうまくいかなかった。)

・1920年 戦後恐慌
(欧での戦争が終わって、欧の生産力が戻った。日本の物は売れなくなった。)
→労働運動激化
→翌年、原敬首相が東京駅で社会主義者に✕。
↓↓
同じ政友会の高橋是清が総理へ

<高橋是清 内閣>(20代)
・1921年~22年 ワシントン会議
(全権:加藤友三郎(海軍)(→21代総理に)・幣原喜重郎(→44代総理に))
米・大統領ハーディングの提唱
※日本がWW1(ヴェルサイユ条約)でもらった権利が、取り上げられる。(山東半島の独領など)
(1)四カ国条約 太平洋問題→「日英同盟」破棄
(2)九カ国条約 中国問題→「石井・ランシング協定」廃棄
(3)ワシントン海軍軍縮条約
主力艦 保有率(上限)
英5:米5:日3:仏1.67:伊1.67
(持ちすぎている分は壊さないといけない)
当時、日本は国際連盟の常任理事国。自分だけ軍備拡大というわけにはいかないため調印。

<加藤友三郎 内閣>(21代)
・1922年 日本共産党結成。堺利彦、山川均。非合法のうちに。
・1922年 シベリア撤兵完了
・1923年 首相在任中に病死

<山本権兵衛 内閣②>(22代)
(組閣中)
・1923年(大正12年)9月1日 関東大震災
大震災直後に組閣→震災の処理
例:戒厳令(軍による治安維持令)公布
(1905日比谷焼打事件で戒厳令)
・朝鮮人✕事件:在日朝鮮人✕
・亀戸(かめいど)事件:労働家✕
・甘粕事件:大杉栄・伊藤野枝(のえ)ら✕(甘粕正彦・憲兵大尉による)
・虎ノ門事件:裕仁親王(摂政)狙撃→内閣総辞職

・1923年 震災恐慌へ

<清浦奎吾 内閣>(23代)
清浦奎吾 貴族院中心の超然内閣を作る。(民主的ではない)
↑↑ (批判)
☆1924年 第二次護憲運動(「憲法を守れ」という運動)
護憲三派
・加藤高明(憲政会)
・犬養毅(革新倶楽部)
・高橋是清(政友会)
清浦は、この↑3つの政党「護憲三派」に批判される。

清浦内閣・総辞職

(cf. 第一次護憲運動は桂太郎内閣③が攻撃された。攻撃したのは犬養毅(立憲国民党)・尾崎行雄(政友会)など。)
↓↓
桂太郎は「立憲国民党」を引き抜いて「立憲同志会」を作る。→これが後に「立憲憲政会」になる。明治時代の「憲政党」とは別物。
↓↓
「憲政会」と「政友会」は二大政党のようになっていく。

<加藤高明 内閣①②>(24代)
「憲政会」総裁・加藤高明を首相とする「護憲三派」(憲政会・政友会・革新倶楽部)内閣

→「憲政の常道」(=民主的なあるべき姿)
(加藤高明 24代~犬養毅 29代の政党内閣)開始。

・1925年 日ソ基本条約
(シベリア出兵をしていたが撤兵)
ソ連と国交樹立←幣原外相の協調外交

・1925年 普通選挙法(アメ)
25歳以上の男子。直接国税の条件はなくなる。

・1925年 治安維持法(ムチ)
反政府運動を弾圧。
天皇制・私有財産制を否認する結社の禁止。(国民主権はダメ)
(1900年の「治安警察法」(山県有朋②)は依然としてそのままある。)

・1925年 五・三〇事件
在華紡の中国人労働者のスト
(在華紡(ざいかぼう):中国に進出した日本の紡績工場)

→大ストライキから、反日・反帝国主義運動へ

 

日本史【45】大正時代(近代ー14)

260801
日本史【45】大正時代(近代ー14)

<西園寺公望内閣②>(14代)

・1912年 大正改元

・1912年 陸軍の二個師団増設要求
→西園寺内閣②は、財政難を理由に拒否
→上原勇作陸相、辞任(陸軍のストライキ。大臣を出さない。=軍務大臣現役武官制を使う。)

→西園寺内閣・総辞職
(軍が内閣をつぶしてしまった)

<桂太郎内閣③>(15代)
・1912年 内大臣だった桂太郎が、宮中と府中の別を破って組閣したため批判が集中。「天皇を利用しているだけだ」。

☆1912年 第一次護憲運動
・尾崎行雄:(立憲)政友会
・犬養毅:立憲国民党
「憲政擁護」、「閥族打破」
↓↓
桂太郎は、新党結成で対抗。
・国民党の一部を吸収して「立憲同志会」を設立(桂の死後)

民衆のデモ。国会の周りを民衆が取り巻いた。
→内閣総辞職(大正政変)
(民主主義的風潮が強くなってきた証)

<山本権兵衛①>(16代)
・1913年 薩摩・海軍の山本権兵衛が組閣。
(与党:立憲政友会)

・1913年 軍部大臣 現役武官制 改正
現役規定を予備役・後備役(OBなど)にまで拡大

・1914年 ジーメンス(シーメンス)事件
海軍賄賂事件。独の会社。
→総辞職

<大隈重信②(第一次世界大戦)>(17代)
・1914年 第一次世界大戦(~1918年)
三国同盟
ドイツ・イタリア・オーストリア
VS
三国協商
イギリス・フランス・ロシア

サラエボ事件がきっかけ
(オーストリア皇太子が暗殺された事件)
・日本は日英同盟のよしみで参戦
・「中国・太平洋のドイツ領」を攻撃
・青島(山東半島)、南洋諸島の一部を占領

<大隈重信②(二十一カ条の要求)>
・1915年 (対華)二十一カ条の要求
外相:加藤高明(立憲同志会・内閣の中心)
↓↓
中華民国・大総統:袁世凱
5月9日 一部を除いて受諾
→この日を中国は「国恥(こくち)記念日」とする。
(内容)
①山東省の旧ドイツ権益の継承
②漢冶萍公司(かんやひょう・こんす)(製鉄会社)の共同経営
※公司(コンス)は中国語で「会社」

<寺内正毅内閣(大戦景気)>(18代)
・1915年~18年 大戦景気
①輸出急増(生糸・綿織物)
②世界第3位の海運国へ→船成金などの登場
③満鉄による鞍山(アンシャン)製鉄所設立(1918年)
→工業国へ

・1917年 西原借款(しゃっかん)
借款:国が国にお金を貸すこと。
日本政府・西原亀三(かめぞう)→段祺瑞(だんきずい)政権へ。中国への経済援助。(袁世凱の次の権力闘争)中国での権益拡大を意図。
→失敗(お金を貸したが段祺瑞が失脚)

・1917年 金輸出禁止(金本位制を停止)

<寺内正毅内閣(ロシア革命)>(18代)
・1917年 ロシア革命
ロマノフ王朝が倒れる。
レーニンの主導で、最初の「社会主義政権」成立。
↓↓
①1917年 石井・ランシング協定
日・米間。中国における日本の権益を承認。
(明治の終わりには仲が悪かった日米が、仲直り)
↓↓
②1918年 シベリア出兵
チェコスロバキア軍救出を名目に、英・米・仏と共に出兵。
(戦争中は物価が上がる。)
→米の買い占め、売り惜しみ→米価急騰
↓↓
・1918年 米騒動
富山の漁民主婦の蜂起(越中女一揆)から全国へ
内閣は軍を出して鎮圧。
寺内内閣・総辞職

 

コミック『だんドーン』5巻

260731
コミック『だんドーン』5巻

・中村半次郎(薩摩藩の侍)
(→後の桐野利秋)
誠忠組と仲良い。
薩摩一の豪速剣。

集成館(薩摩の工場)

川路正之進
森山新蔵(元商人、薩摩藩士)
1両あれば1ヶ月生活できる。

串木野金山(薩摩)

人吉(ひとよし)
球磨川(くまがわ)うなぎ
温泉など

草莽の志士
有馬新七
永国寺。(後に西南戦争で薩摩軍の本陣となる)

・宮部鼎蔵(肥後)

肥後の議論倒れ
熊本城。加藤清正、築城。

幕末四大人斬り
①河上彦斎(かわかみげんさい)(肥後)

・清河八郎
過激な討幕派。

・伊牟田尚平。ヒュースケン暗殺の犯人。
ヒュースケンはオランダ語と英語が話せたので重宝されていた。

・調所広郷(ずしょひろさと)
薩摩藩、家老。
茶坊主。密貿易などで借金を黒字化。

・間部詮勝。元老中。
南紀派。青鬼。井伊直弼の右腕。

・島津久光は討幕派ではない。

長州藩
藩校、明倫館(山口・萩市)
師・吉田松蔭。
桂小五郎
松下村塾の双璧
・久坂玄瑞(げんずい)
・高杉晋作

・山縣小助(有朋)(日本陸軍の父)
・山田市之丞(顕義)(初代司法大臣)

日本史【44】日露戦争後の政治(近代ー13)

260731
日本史【44】日露戦争後の政治(近代ー13)

<西園寺公望内閣①(1906年)>(12)
ポーツマス条約で得たところが次につながっていく。
(①韓国の指導権②旅順・東清鉄道)
・1905年 「韓国統監府(とうかんふ)」設置(@漢城)(現ソウル)
初代統監:伊藤博文

・1906年 「日本社会党」結成。
最初の合法的社会主義政党。
堺利彦・片山潜らによる。
(※1901年 最初の社会主義政党「社会民主党」はすぐ解散させられた。)

・1906年 「鉄道国有法」制定
民営鉄道17社を国有化。

・1906年 「関東都督府(かんとう・ととくふ)」設置。
(関東州の統治機関)
@旅順(遼東半島)。中国のこの辺りの地域を関東と呼ぶ。

・1906年 「南満州鉄道 株式会社(満鉄)」設立。
旅順・長春間。ポーツマス条約で手に入れた鉄道利権。
半官半民。

<西園寺公望内閣①(1907年)>(12)
・1907年 「第一次日露協約」
支配権を相互承認
(日露戦争後、ロシアとの関係は良好)

・1907年 「ハーグ密使事件」
韓国が、日本の内政干渉をオランダのハーグ万国平和会議に提訴。
↓↓
・1907年 「第三次日韓協約」
韓国の「内政権」も吸収。
(第二次で外交権)
皇帝を退位させ、韓国の軍隊も解散させる。
→「義兵運動」激化。

<桂太郎内閣②>(13)
・1909年 伊藤博文暗殺事件
ハルビン(ハルピン)(満州)で安重根(あんじゅうこん)に暗殺。

・1909年 ノックスの中立案
米・国務長官ノックスが満鉄中立化(みんなのものにしよう)を提案→日露拒否

・1910年 「大逆(たいぎゃく)事件」
明治天皇暗殺計画を名目に、社会主義者らが大逆罪に問われる。幸徳秋水・菅野(かんの)スガら12名が死刑。
(→1911年 警視庁内(東京)に「特別高等課(特高)」設置。以後、社会主義は冬の時代へ。10年ほど活動できず。)

伊藤暗殺後
↓↓
・1910年 「韓国併合条約」
韓国併合(「韓国」を「朝鮮」と改称)
(国が否定され、日本の一部となる)
→「朝鮮総督府」設置
初代統監:寺内正毅(まさたけ)(→後に18代総理になる。1916)
(※朝鮮:1392年・李成桂が建国。1897年に「韓国」に名前が変わり、1910年にまた「朝鮮」に戻る)

<韓国統監府1905伊藤→朝鮮総督府1910寺内、台湾総督府1895樺山資紀、関東都督府1906>

・1911年 「日米通商航海条約」改正
→税権回復(外相:小村寿太郎)
(明治の最後の年、明治44年に、ようやく回復できた。始まりは日米修好通商条約(1858))

・1911年 「工場法」制定(→戦後の「労働基準法」につながる)
→初の労働者保護立法。施行は1916年。
15人未満の工場には適用せず。

<西園寺公望内閣②>(14)
・1911年 辛亥革命
→1912年 (清→)「中華民国」成立
(臨時大総統:孫文)
(明治まで清。大正から中華民国。)

・1912年7月 明治天皇没
→大正改元

(大正時代は、1926年12月まで。)

日本史【43】日露戦争(近代ー12)

260731
日本史【43】日露戦争(近代ー12)

<桂園時代>
桂園時代・・明治の最後の約10年間。1901(明治34)年~1913(大正2)年。
・桂太郎(陸軍・長州閥)・・山県有朋派
・西園寺公望(立憲政友会)・・伊藤博文派
山県有朋や伊藤博文は元老(天皇の非公式顧問)として、影響力を行使した。

<桂太郎内閣①(日露戦争前の政府)>(11)
戦前の国内の状況
■ 政府
・戦争反対派「日露協商論」
「満韓交換」(満韓をロシアと分け合おう。韓国は日本がもらうので満州はロシアへ)
伊藤博文・井上馨・尾崎行雄
VS
・戦争賛成派「日英同盟論」
桂太郎(首相)・小村寿太郎(外相)・山県有朋
↓↓
・1902年 「日英同盟(協約)」締結
一方と他国との交戦時は、もう一方は厳正中立(参加しない)
(→日露戦争へ前向き)

<桂太郎内閣①(日露戦争前の国民)>
「主戦論」
国民の大部分は主戦論。
VS
「非戦論」
幸徳秋水・堺利彦(社会主義)
「万潮報(よろづちょうほう)」(新聞)が戦争賛成に変わったため、そこの記者をやめ、「平民社」設立。
「平民新聞」を発行。反戦を訴え続けた。

内村鑑三(キリスト教)
与謝野晶子(ロマン主義)
「君死にたまふことなかれ」旅順港にいる弟を嘆いた詩

↓↓
<桂太郎内閣①(日露戦争)>(11)
・1904年 「日露戦争」開戦
戦争の経過(一部)
旅順占領:乃木希典
↓↓
日本海海戦:東郷平八郎
バルチック艦隊を破る
日本有利の状況で終戦。

・資金(17億円以上)は国債・増税・煙草の専売制などに頼る。

(戦争中)
・1904年 「第一次日韓協約」
韓国政府内に日本人顧問を採用。

・1905年 「桂・タフト協定」
アメリカが日本の韓国保護国化を承認。

↓↓
・1905年 「ポーツマス条約」
(全権)
日本:小村寿太郎外相
ロシア:ウィッテ
(米大統領・セオドア・ローズヴェルトの仲介)
①「韓国」に対する日本の指導権を認める。(ロシアは手を出さない)。
(※「朝鮮」→「大韓帝国(韓国)」に名称が変わっている)
②旅順・大連(遼東半島)の租借権を日本に譲る。
(日本が取り返した)南満州のあたり。
長春以南の東清鉄道と、その付属利権を日本に譲る。
③北緯50度以南の樺太(サハリン)領有を認める。
※賠償金はなし。
↓↓
・1905年 「日比谷焼打ち事件」
講和反対国民大会でのポーツマス条約の内容を屈辱とした暴動。戒厳令(軍による治安維持)施行。
(日比谷は鹿鳴館があった場所。)

・1905年 ハリマン計画
米鉄道王ハリマンが満鉄の日米共同経営計画を提案。
→政府は拒否。(日米関係が悪化)

・1905年 「第二次日韓協約」
韓国の「外交権」を吸収。
→保護国化
→1906年 「韓国総督府(とうかんふ)」を設置。

 

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(29)「天下への道」(2026/7/26放送)

260731
2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(29)「天下への道」(2026/7/26放送)

【あらすじ】織田信孝(結木滉星)から明智討伐の差配を任された秀吉(池松壮亮)。焦らず敵を追い詰め、光秀(要 潤)を生け捕りにすべきと考えるが、信長を失った織田勢の足並みはそろわず、逸(はや)った高山右近(市川知宏)らが敵陣に攻め入る。小一郎(仲野太賀)は初陣の与一郎(大西利空)を残し、自身は援軍として戦場へ。だが与一郎は、刺客から信孝を守って負傷してしまう。一方、小一郎は秀吉に、どうしても光秀と話したいと頼まれ…。(ーNHK公式サイトより)


・天正10年(1582年)6月
<本能寺の変の後>
・北畠(織田)信雄(のぶかつ)(信長次男)
・織田信孝(のぶたか)(信長三男)と丹羽長秀

・山崎の戦い
明智軍・勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)

中川清秀(茨木城)、高山右近(高槻城)は織田側に付いた。
池田恒興。

織田家は信雄(次男)と信孝(三男)で割れる。

・家康は三河・岡崎城に戻った。明智討伐には参加せず、甲斐・信濃を守る。

・越前・北庄城
柴田勝家、上杉が落ち着いたので京に戻ろうとするも、すでに時遅し。秀吉が戻っていた。

・天正10年(1582年)6月13日
山崎の戦い

ーーーーーーーーーーーーー

「豊臣兄弟!紀行」(29)

・山崎合戦古戦場(京都府・大山崎町)
山城と摂津の国境。小泉川。川を挟んだ総力戦へ。
明智方1万6千、織田方4万。敗戦の色が濃くなった明智光秀は勝龍寺城から抜けだしたが、その道中非業の最期を遂げたといわれている。

 

日本史【42】明治時代の産業発展(近代ー11)

260730
日本史【42】明治時代の産業発展(近代ー11)

<産業革命の全体図>

★軽工業中心(日清戦争前後)1890年代
・製糸業(繭→生糸)
・紡績業(綿花→綿糸)三河・尾張・河内
・綿織物業(綿糸→綿織物)
↓↓
★重工業中心(日露戦争前後)1900年代
・鉱工業の発達
・陸運と海運の整備
・財閥の形成
↓↓
★社会問題の発生
↓↓
★労働運動・社会主義運動の発展

<産業革命(軽工業)>
■ 製糸業
座繰(ざぐり)製糸→器械製糸(富岡製糸場)アメリカ向け輸出産業

■ 紡績業
ガラ紡:発明・臥雲辰致(がうんたっち/ときむね)
→「機械紡績」の登場で紡績業が発展。

中国・インドからの安価な綿花輸入により発展
・1882年 「大阪紡績会社」設立(渋沢栄一ら)翌年開業
・1890年 綿糸「生産」額、「輸入」額を超える。
・1897年 綿糸「輸出」額、「輸入」額を超える。
↓↓
・1897年 「金本位制」採用(←「貨幣法」1897年)
日銀で「銀」ではなく「金」と交換できるようになった。

■ 綿織物
国産力機織 発明:豊田佐吉(とよださきち)
→第一次大戦ごろ、日本の輸出の主力になっていく。

<産業革命(重工業)>
■ 鉄鋼業
(官営)八幡(やはた)製鉄所(福岡)
・1901年 操業開始→鉄鋼の国産化
☆原料
・石炭・・筑豊炭田(福岡)、撫順炭田(ぶじゅんたんでん)(中国から輸入)
・鉄鉱石・・大冶鉄山(だいやてつざん)(中国から輸入)

※鉄鋼は国産化できたとはいえ、まだ輸入が多い。原料も輸入に頼っている。

■ 陸運
・1906年(※日露戦争後) 「鉄道国有法」:民間鉄道の国有化
1/3が国鉄、2/3が民営だったのが逆転する。国が私鉄を買い上げて2/3が国鉄に。←国内輸送の一元化が目的。

■ 海運
・1893年 「ボンベイ航路」開通。
神戸・インド(ボンベイ)間
(※綿花をインドから輸入して運ぶため。)
日本郵船株式会社が開いた航路。

<産業革命(財閥の形成)>
★「財閥」(コンツェルン)の形成
様々な業種・経済体が結合したグループ
例:四大財閥
・三井:三井合名会社
・三菱:三菱合資会社
・住友:住友合資会社(別子銅山)
・安田:安田保善社(安田善次郎)

その他
・古河(ふるかわ):古河鉱業(古河市兵衛)

<産業革命(社会問題と労働者)>
★社会問題の発生
①高島炭鉱事件(長崎・三菱経営)
・1888年 高島炭鉱の暴動が雑誌『日本人』に発表。

②足尾銅山鉱毒事件(栃木・古河経営)
(足尾銅山は江戸時代は幕府経営→古河鉱業の経営に。)
渡良瀬川流域の鉱毒公害事件。
・1901年 代議士(国会議員)の田中正造が天皇に直訴。

③天満紡績スト
・1894年 大阪での大規模な女工のストライキ
(天満・青物市で出てきた)

★労働者の実態
・1889年 日本之下層社会(横山源之助)
・1903年 職工事情(農商務省編)
↓↓
労働運動・社会主義運動の発展。
「工場法」制定につながる。

 

日本史【41】日清戦争(近代ー10)

260730
日本史【41】日清戦争(近代ー10)

<伊藤博文内閣②(朝鮮問題)>(5)
第四議会
・1893年 伊藤内閣は天皇の建艦詔書で予算を成立させる。

★朝鮮問題
(日清戦争のきっかけとなる)
・1894年 甲午農民戦争(東学党の乱)
朝鮮で起きた農民反乱。日・清両国が出兵。(どちらも領土的野心がある。)
→乱は鎮圧も、乱後の朝鮮の内政改革をめぐり、日清両国が衝突。

・1894年7月 「日英通商航海条約」締結
→「法権回復」領事裁判権の撤廃(同時に税権も一部回復)
外相:陸奥宗光
駐英公使:青木周蔵

・1894年 日清戦争

・1895年4月 下関条約
(全権)
〇 日本:伊藤博文首相・陸奥宗光外相
✕ 清:李鴻章
① 清は朝鮮の独立を認める。
② 遼東半島・台湾・澎湖(ほうこ)諸島(60島ほど)の割譲(日本の領土に)。
③ 賠償金2億両(テール・清のお金の単位)
(3億1000万円・当時の日本の国家財政の約3倍)。
④ 重慶・沙市(さし)・蘇州・杭州の開市・開港(長江沿岸)。

<伊藤博文内閣②(日清戦争後)>(5)
・1895年4月 三国干渉
露が独・仏と共に、中国への遼東半島返還を日本に要求。(ほぼ脅迫)
→政府は(渋々)受け入れる。
国民は「臥薪嘗胆」をスローガンに我慢。

・1895年 「台湾総督府」設置
台湾の統治機関。
初代台湾総督:樺山資紀(かばやますけのり)(「蛮勇演説」の人)

・1895年 閔妃✕事件
朝鮮公使・三浦梧楼(みうらごろう)らによる。

・1896年 戦争後は自由党と提携(板垣内相・内務大臣)
→政党も軍備拡張を容認。

<列強の中国分割>
★租借地(借りるが期限を延ばす⇒実質は領土割譲)
・ロシア:旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)
(遼東半島の先の町⇒実質はその北側の大きな部分をロシアが支配)
・イギリス:九竜(きゅうりゅう)半島・威海衛(山東半島)
(租借地でもない長江沿岸をも支配)
・ドイツ:膠州湾(山東半島)
・フランス:広州湾
・列強不割譲(欧に持っていかせないようにした)(日本):福建省。(台湾の向かい)
・アメリカ:当初不参加。(フィリピン占領に忙しい)
→方針転換・国務長官(外務大臣)ジョン・ヘイの三原則
(門戸開放・機会均等・領土保全)
→しかし結局中国の領土は支配できず。

↓↓
★義和団の乱(1900年)
「扶清滅洋」を唱え、中国国民が反抗。←日本を含む8カ国連合軍が鎮圧。北京制圧。

<日清戦争後の政治>

<松方正義②>(6)
(日清戦争で松方から伊藤に総理を渡す。戦後また戻した。)
・1896年 「進歩党」(元・立憲改進党)と松方内閣が提携(大隈外相)
「松隈(しょうわい)内閣」と呼ばれる。

・1897年 「職工義友会」
労働組合の結成を呼びかけ。
アメリカ帰りの高野房太郎らによる。
↓↓
・1897年 「労働組合期成会」に改名
高野房太郎(たかのふさたろう)、片山潜らによる
→各地で「労働組合」結成

<伊藤博文内閣③>(7)
・1898年 「地租増徴案」(2.5%から上げる案)
→「自由党」、「進歩党」が反対。
→この2つが合体して「憲政党」を結成。
(※「憲政会」ではないので注意)

(伊藤:「じゃあ、あんたたち政治やってみれば」)
↓↓
<大隈重信内閣①>(8)
・1898年 初めての「政党内閣」(陸海相以外は憲政党院)。
(=初めての「国民の選んだ国会議員による民主的な内閣」が誕生。それまでは内閣は天皇が選ぶ形だった。)
首相:大隈重信
内相:板垣退助
→「隈板(わいはん)内閣」
↓↓
・1898年 「共和演説事件」
文部大臣・尾崎行雄が共和制を例に出し、金権政治を批判。
↓↓
「憲政党」は分裂し(大隈たちが出ていく→憲政本党)、内閣総辞職。(「政党内閣」は、数カ月でつぶれる・・)

↓↓
「民党のやつら、何もできなかったじゃん。」
「すいません・・」
↓↓
<山県有朋②>(9)
・1898年 地租増徴(2.5%→3.3%)

・1899年 「文官任用令」改正←政党勢力の官吏(役人)進出を防ぐため

(※1900年は19C最後の年。1901年から20C。)

・1900年 「治安警察法」制定:弾圧立法
政治・労働運動の規制を強化

・1900年 「衆議院議員 選挙法」改正
(直接国税15円→)10円、25歳以上の男子。全人口比2.2%。

・1900年 「軍部大臣 現役武官制」制定
陸軍・海軍大臣を現役の大将、中将に限定。(→軍が内閣をつぶすことができるようになる)

・1900年 北清事変
義和団事件を日本他8か国が鎮圧。

・1900年 伊藤博文が、憲政党員(元・自由党員)を中心に「立憲政友会」を結成→伊藤④へ
→幸徳秋水、伊藤博文と組んだ憲政党員を「自由党を祭る文」で批判

<伊藤博文内閣④>(10)
・1900年 内閣成立(外相・陸海相以外は「政友会」員)

・1901年 「八幡製鉄所」操業開始

・1901年 「社会民主党」結成
(法律を作るのは政府ではなく立法機関の国会。)
最初の社会主義政党。(=労働者を守る)
中心:幸徳秋水、片山潜、安部磯雄、木下尚江
→「治安警察法」により禁止。
→すぐに解散させられた。

★日清戦争後の政党の動き

松方② 伊藤③ 大隈① 山県② 伊藤④
自由党(板垣) ↗ → 立憲政友会(伊藤)
(戦後自民党へ)
憲政党
立憲改進党(大隈) →進歩党→ ↘憲政本党
進歩党が内閣と提携 伊藤内閣が超然主義に戻り合体 共和演説事件を機に分裂