日本史【8】奈良時代前半(奈良1)

260602
日本史【8】奈良時代(奈良1)

<元明天皇>聖武の祖母
藤原京
政権・藤原不比等

708年 和同開珎(わどうかいちん/ほう)
元号を「和銅」に改元。
「皇朝十二銭」の最初
(最後は乾元大宝(村上朝))

710年 平城京へ遷都(藤原京から)
都城制。唐の長安をならう。
天子南面。天皇から見る。

___平城宮
____朱     外京(げきょう)
右京  雀  左京
____
____

外京に東大寺、興福寺がある。

飛鳥寺(法興寺)(by蘇我馬子)は平城京に移されて元興寺(がんごうじ)となった。

木簡が出土。

・711年 蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)
お金を貯めれば位を高くする。失敗。800年廃止。

712年 『古事記』
稗田阿礼(ひえだのあれ)の暗記を、太安麻呂(おおのやすまろ)が筆録。

・713年 『風土記』

国域の拡大
・出羽国(でわのくに)設置。(日本海側・秋田、山形)
蝦夷対策
・大隅国(おおすみのくに)設置。(鹿児島)
隼人(はやと)対策

<元正天皇>聖武の叔母
(政)藤原不比等
・718年養老律令制定(施行は757年~)
(不比等の功名心から。大宝律令と内容大差なし)

720年 『日本書紀』(神代~持統。編年体)
舎人(とねり)親王(天武の子)

・720年 (政)不比等没→長屋王が実権掌握。

・722年 百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうぶ)
口分田が足りない。田を開墾。→失敗。(計画倒れ)

・723年三世一身の法(さんぜいいっしんのほう)
ー 新たに開墾→ひ孫までの3代
ー 既墾地を開墾→本人1代
の「土地所有」を認める。死後は国に返還。
→一時的な「私有地」の誕生。律令制度(公地公民)が崩れ始める。

 

<聖武天皇>
(政)長屋王
・724年多賀城(陸奥国/宮城県)に、鎮守府(ちんじゅふ)(東北の役所)を設置。蝦夷対策の拠点。

・729年長屋王の変
藤原不比等の娘、藤原光明子が聖武の皇后(正式な妻)になるのを、長屋王が反対。→藤原四子により謀反の意図ありと死に追い込まれる。

(政)藤原四子(よんし/しし)
長男:藤原武智麻呂(南家)
次男:藤原房前(北家)
三男:藤原宇合(式家)
四男:藤原麻呂(京家)

737年 藤原四子が天然痘で没

(政)橘諸兄(たちばなのもろえ)→左大臣
吉備真備(吉備地方の出身)
玄昉(げんぼう)
(アンチ藤原が力を握った)

・740年 太宰少弐藤原広嗣(ひろつぐ)の乱→鎮圧
(おもしろくない藤原氏が反乱)

・740年 恭仁京(山城)へ遷都(平城京から)
(聖武天皇が自分のせいだと嘆いて遷都)

・741年国分寺建立の詔(国分尼寺(こくぶんにじ))
鎮護国家思想①(仏教によって国を治める)

・742年 近江・紫香楽宮(しがらきのみや)造営

743年 墾田永年私財法
開墾地の永久私有を認める→大貴族、大寺社が開墾。
「荘園」(初期荘園)の誕生。

743年 大仏建立の詔
鎮護国家思想②
紫香楽宮→奈良・平城京へ

平城京から
・740年 山城・恭仁京(くにきょう)へ遷都
・744年 摂津・難波宮(にわのみや)へ遷都(海)
・745年 近江・紫香楽宮(がらきのみや)へ遷都(山)
(→山の中過ぎて頓挫)
・745年 大和・平城京へ遷都(戻る)
5年で3回遷都した後、平城京に戻る。定まった「くに・な・し」。

 

日本史【7】律令制度(飛鳥2)

260527
日本史【7】律令制度(飛鳥2)

<文武天皇>
701 大宝律令
・刑部親王(おさかべしんのう)(天武の子)
・藤原不比等(鎌足の子)

法律
(りつ)・・刑法(罪と罰)
五刑・八虐(ごけい・はちぎゃく)
五つの刑罰・八つの罪
・笞(鞭で打つ)
・杖(棒でたたく)
・徒(懲役刑・・牢屋)
・流(島流し)
・死(死刑)
(ち・じょう・ず・る・し)

(りょう)・・民法、行政法

<中央の統治機構>
二官八省一台五衛府

二官
太政官(だいじょうかん)(上)政務
太政大臣(だいじょうだいじん)(臨時職=大きな権力)
左大臣
右大臣

大納言

左弁官
少納言
右弁官

神祇官(じんぎかん)(下)祭祀

八省
太政官の下にある八つの省
(左弁官)
中務(なかつかさ)省・・詔勅の起草(天皇の命令づくり)
・式部(しきぶ)省・・役人の人事・教育
・治部(じぶ)省・・仏事・外交
民部(みんぶ)省・・戸籍・税務

(右弁官)
・兵部(ひょうぶ)省・・軍事
・刑部(ぎょうぶ)省・・裁判・刑罰
・大蔵省・・財政
・宮内省・・宮中

■ 一台
・弾正台(だんじょうだい)
役人の監視

■ 五衛府(ごえふ)
都の警備
・衛門府
・左右・衛士府
・左右・兵衛府

<行政区>
■ 畿内(五畿・ごき
・山城(京都)
・大和(奈良)
・河内(大阪)
・和泉(大阪)
・摂津(大阪・兵庫)

■ 七道(しちどう)
「道」と「地方」の2つの意味がある
・東海道
・東山銅(とうざんどう)
・北陸道
・山陽道(南)
・山陰道(北)
・南海道(四国他)
・西海道(九州)

<地方の統治機構>
国・郡・里
国司(こくし)・・中央から来る。役所:国衙(こくが)国府。
郡司(ぐんじ)・・地方の人がなる
里長(さとおさ・りちょう)

戸(こ)(2、30人の固まり)×50で里という。(千人ぐらい)

・京師(けいし)(都):京職(きょうしき)

・九州:大宰府
(古代は「太」ではないので注意)
遠の朝廷(とおのみかど)」

・摂津:摂津職(せっつしき)。難波宮がある。

<官職・位階>
令外官(りょうげのかん)
律令制定後に加えられた官職。
中納言、関白など。

官位相当制(かんいそうとうのせい)
三十の位階に応じた官職が与えられた。
一位が太政大臣になれる、二位は左右大臣など。
(位階は試験と勤務評定で上がる)

蔭位の制(おんいのせい)
親の位に応じて位がもらえる。
親が一位なら、子は「従五位下(じゅごいのげ)」からスタートできる。
(貴族層の固定化)

四等官制(しとうかんせい)
各役所の幹部を、長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん)の四階級に分かれる。

<税の種類>
租・庸・調

【物】
(地方政府(国衙)へ)
・・米(3%)
・公出挙(くすいこ)稲の強制貸付
・義倉(ぎそう)(粟などを貯蔵)

(中央へ)
・・布(2丈6尺・8mぐらい)

調・・特産物(布や材木など)
(調布市の由来・・調に布を納めていたから)
↓↓
運脚・・中央まで持っていく

【労役】
(地方)
雑徭(ぞうよう)・・国衙で労役(年に60日)

(中央)
・歳役(さいえき)・・土木工事。10日間。

【兵役】
(地方)
・軍団・・各地で10日間

(中央)
・衛士

(九州)
・防人

正丁の3、4人に一人

食費、交通費、武器が自費
↓↓
浮浪(所在確認)
逃亡(所在不明)
偽籍(男→女。税金が軽いから)
などの増加。

<課役>
課役(庸・調・雑徭)は人頭税。

男性のみ
正丁(せいてい)・・(21~60歳)(雑徭60日)

・中男(ちゅうなん)(小丁・しょうてい)(17~20歳)
正丁の4分の1(雑徭15日)

・老丁(次丁・じてい)(61~65歳)
正丁の2分の1(雑徭30日)

<身分制度>
良民(りょうみん)
賤民(せんみん)
↓↓
五色の賤(ごしきのせん)
・陵戸(りょうこ)(官有)(墓警備)
・官戸(かんこ)(官有)
・家人(けにん)(私有)
・公奴婢(くぬひ)(官有)
・私奴婢(しぬひ)(私有)
官有・・大王家
私有・・豪族

<基本台帳>
戸籍
6年に1回作成。
班田を行うための基本台帳。租のため。

計帳(けいちょう)
毎年作成。
課役(庸・調・雑徭)のため。

班田収授法
6歳以上の男女口分田を班給。
6年に1回班給し、死後は国に返す。

良民 私有賤民
  2段(720歩) 240歩(良民の3分の1)
 女 480歩(男性の3分の2) 160歩(良民の3分の1)

祖:1段(たん)につき、2束2把(にそくにわ)
1段(たん)=20m×50m
1段=360歩(ぷ)

・良民・男子の祖は4束4把(よんそくよんわ)になる。
・祖だけは女性も負担。

<田地(でんち)>
不輸租田(ふゆそでん)
税(祖)を納めなくてよい田
神田(じんでん)(神社)、寺田(じでん)(寺)、
職田(しきでん)(官職)、乗田(じょうでん)(余り)

輸租田(ゆそでん)
税(租)を納める田
口分田、位田(いでん)(位階)、功田(こうでん)(功績)

・土地は条里制にもとづいて整然と区画された。田んぼを句切る。

__一里 二里 三里
一条
二条
三条

 

 

 

日本史【6】飛鳥時代(飛鳥1)

260527
日本史【6】飛鳥時代(飛鳥1)

《崇峻天皇》
が中国を統一(589

飛鳥・地名
《推古天皇(推古朝)》
3人の協力
(1)天皇・推古天皇
(2)摂政・聖徳太子(厩戸王)
(3)大臣・蘇我馬子

<4つの事業>
[1]冠位十二階(603)
家柄(氏)に関係なく、個人に与える。

[2]憲法第十七条(604)
役人の心得

[3]遣隋使派遣
小野妹子(607)
隋の皇帝・煬帝
対等外交を求める。(朝貢ではない)
妹子の帰国時、隋の裴世清(はいせいせい)が隋使として来日。

・遣隋使派遣(608)
1・小野妹子

留学生学僧
2・高向玄理(たかむこのげんり/くろまろ)
3・(みん)(僧)
4・南淵請安(みなみぶちのしょうあん)
(今度の608年はこの4人で隋に渡る)

・「天皇記」「国記」の編纂(620)
(現存せず)

《皇極天皇》
乙巳(いっし)の変(645)
(「大化の改新」は、それ以降の政治改革のことを指す)

✕蘇我蝦夷(そがのえみし)
✕蘇我入鹿
↑↑ クーデター
中大兄皇子(舒明天皇・皇極天皇の子)
中臣鎌足

中大兄皇子(舒明天皇・皇極天皇の子)
中臣鎌足 内臣(うちつおみ)
阿倍内麻呂
蘇我(蔵山田)石川麻呂

国博士(くにはかせ)・・政治顧問
帰国した高向玄理、旻など。

・初の年号「大化」(645)

《孝徳天皇》
摂津・難波宮(なにわのみや)へ

改新の詔(かいしんのみことのり)(646)
律令制樹立への基本方針を表明

(1)公地公民制
・部曲(かきべ)(豪族の私有民)
・子代・名代(天皇家の私有民)
・田荘(豪族の私有地)
・屯倉(大王家の私有地)
↑これらを廃止。
代わりに豪族には食封(じきふ)を与える。
(2)地方制度:国、評など
(3)班田収授法
(4)税制:租・庸・調など

《斉明天皇(実際は中大兄皇子)》
皇極天皇が重祚(ちょうそ)して、斉明天皇に。
658 阿倍比羅夫、蝦夷・粛慎(みしはせ)を征討

660 唐・新羅が百済を滅ぼす。
百済の王が降伏。復興をめざす。

《中大兄皇子の称制
(称制:皇太子が即位せず政治をつかさどること)

663 白村江(はくそんこう)の戦い
百済と日本は大敗
倭・百済✕  VS  〇唐・新羅

九州の警備を固める
・防人(警備)
・烽(とぶひ)のろし(通信手段)
・水城(みずき)・・土塁
・(朝鮮式)山城

667 近江・大津宮(おうみ・おおつのみや)へ遷都
中国式の律令国家をめざす

《天智天皇》
668 中大兄皇子が即位して天智天皇となる。

668 近江令(おうみりょう)制定

669 中臣鎌足死去。藤原の姓と大織冠(役職)を賜る。
藤原氏の祖。

670 庚午年籍(こうごねんじゃく)
最初の全国的戸籍。

天智天皇没後↓↓
672 壬申の乱
大友皇子✕ VS 〇大海人皇子
(天智の子)    (天智の弟)
(弘文天皇)

《天武天皇》
大和 飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)
近江・大津宮から飛鳥宮に戻る。

・皇親政治
大臣を置かず、天皇一族のみで政治

天皇の神格化(現人神思想)
「大王は神にしませば・・」
天武天皇から1300年ほど(1946年まで)「天皇は神」という時代が続いた。

・「天皇」を使用し始める

681 飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)制定
実際に施行された。
(前の近江令は施行されていない。)

681 「帝紀」「旧辞」の再編纂開始

683 富本銭
(使用・流通まではいっていない)

684 八色の姓(やくさのかばね)
真人(まひと)、朝臣(あそみ)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)

《持統天皇》
689 飛鳥浄御原令施行
690 庚寅年籍
694 藤原京に遷都(飛鳥の北)

・最初の都城制(とじょうせい)(計画的帝都)
「宮」(天皇の住まい、政治)と「京」(人々が住む所)の両方を兼ね備える。

・大和三山(畝傍山、耳成山、天香具山)に囲まれる。

《文武天皇》
701 大宝律令
・刑部親王(おさかべしんのう)(天武の子)
・藤原不比等(鎌足の子)

 

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(20)「本物の平蜘蛛」(2026/5/24放送)

260527
『豊臣兄弟!』(20)「本物の平蜘蛛」(2026/5/24放送)メモ

【あらすじ】
信長(小栗 旬)は、上杉攻めから離脱し勝手に帰国した秀吉(池松壮亮)に激怒。蟄居(ちっきょ)のうえ、死罪に処すと申し渡す。羽柴家一同が助命嘆願に奔走する中、松永久秀(竹中直人)が再び裏切ったという知らせが入る。九死に一生を得た秀吉と小一郎(仲野太賀)は久秀との談判に臨み、唯一無二の茶器・平蜘蛛を渡せば謀反は不問にするという信長の意向を伝える。だが破格の条件にもかかわらず、久秀はなぜか応じないと言い張る。(NHK公式サイトより)

羽柴筑前守秀吉、北国の戦い(手取川の戦い)から離脱。信長激怒。
織田軍は上杉軍に大敗。兵の半分を失う。

福島正則、加藤清正ら、家中の者たちが起請文、血判状を出す。

・天正5年(1577年)秋
松永久秀謀反。

織田信忠(のぶただ)(信長の長男・嫡男)が総大将となり、大和・信貴山城を攻めた。

大和・筒井城主・筒井順慶
摂津・有岡城主・荒木村重
山城・勝竜寺城主・細川藤孝

松永久秀は、三好長慶に仕えた。

秀吉は次は播磨攻め。

 


「豊臣兄弟!紀行」(20)

・朝護孫子寺(ちょうごそんじじ)(奈良・平群町)
毘沙門天をまつる境内に信貴山城があった。

江戸時代、錦絵などで松永弾正久秀は悪く誇張され、ダークヒーローのような人物像が作られた。

戦国の梟雄(きょうゆう)(残忍で強い人)と呼ばれたが、現在では見直されつつある。

日本史【5】ヤマト政権(古墳2)

260525
日本史【5】ヤマト政権(古墳2)

<ヤマト(大和)政権の支配構造>
(1)大王
大王(おおきみ)(後の天皇)

(2)豪族
(中央):大臣(おおおみ)、大連(おおむらじ)
伴造(とものみやつこ)

(地方):国造(くにのみやつこ)、県主(あがたぬし)

(3)部民(べみん/べのたみ)(農民・一般)
部曲(かきべ)=豪族の私有民(蘇我部、大友部など )
・名代(なしろ)・子代(こしろ)=大王家の直属民(長谷部、春日部など)
・伴(とも)=役人

・品部(しなべ)=技術者集団。渡来人。
ー 陶部(すえつくりべ)・・陶器作り(須恵器)
ー 韓鍛冶部(からかぬちべ)・・鉄加工、鍛冶
ー 錦織部(にしごりべ)
ー 鞍作部(くらつくりべ)
ー 史部(ふひとべ)・・朝廷の記録、外交の文書作成

★土地は2種類
・朝廷のもの・・屯倉(みやけ)
・豪族のもの・・田荘(たどころ)

ヤマト政権に
・抵抗した豪族からは・・⇒土地を奪い、ヤマト朝廷の直轄地(屯倉・みやけ)にする。田部(たべ)が耕作。

・服属した豪族は・・⇒国造に任命し、土地(=田荘・たどころ)を与える。部曲(かきべ)が耕作。

氏姓(しせい)制度
(うじ)(集団)に対して、(かばね)(称号)を与えること。

(うじ)・・同族中心の集団のこと
・血縁関係
氏上(うじがみ/うじのかみ)長
氏人(うじびと)構成員

・部曲(かきべ)・・労働者

・奴婢(ぬひ)・・奴隷
奴(ぬ)・・男の奴隷
婢(ひ)・・女の奴隷

(かばね)・・(氏に与えられる)身分・地位を示す称号
=豪族にランクを付ける。

(おみ)・・平群・葛城・蘇我
(むらじ)・・中臣・大友・物部
(特定職業を名とする)

・君(きみ)・・筑紫・毛野
(大王から分かれた地方豪族に与えられた)
他に、直、造、首、史、村主など

<朝鮮半島>
[4C前半]
帯方郡・高句麗
馬韓|辰韓
弁韓
↓↓
[4C後半]
高句麗
百済|新羅
伽耶 (かや)
(加羅(から)・任那(みまな))

<古墳文化の政治>
【4C】
・倭が朝鮮へ出兵、高句麗と交戦(391)

高句麗 好太王碑
(広開土王)
by 長寿王
丸都(がんと)・高句麗の都(現在の中国)
目的:朝鮮南部の鉄資源や先進技術の獲得
ーーーーーーーーーーーーー
【5C】
倭の五王
『宋書』倭国伝 by 沈約

中国(宋)に朝貢。
讃・珍・済・興・武
(さんちんせいこうぶ)


済・・允恭天皇
興・・安康天皇

ワカタケル大王(=雄略天皇 21代
5C(478) 「安東大将軍」に任命

ーーーーーーーーーーーーー
【6C】
《継体天皇 26代
・527 近江毛野(おうみのけぬ)を大将に朝鮮出兵。
その際に筑紫国造・磐井の乱
新羅と結んだ磐井が九州で反乱。

・6C初 儒教伝来
孔子、孟子。
百済から五経博士が来日。
ex 段楊爾(だんように)

《欽明天皇 29代
・562 任那(みまな)日本府滅亡。新羅に滅ぼされる。
朝鮮半島の拠点を失う。

仏教公伝
百済聖明王より
538年説(ご参拝)
『上宮聖徳法王帝説』聖徳太子の伝記
『元興寺縁起』

②552年説
『日本書紀』

《敏達天皇 30代
・崇仏論争
大臣・蘇我馬子(崇仏派)
VS
大連・物部守屋(排仏派)

587 丁未の乱(ていびのらん)
蘇我馬子〇 VS ✕物部守屋

(蘇我氏)
蘇我高麗(こま)(渡来系)
|
蘇我稲目(いなめ)
|
蘇我馬子(うまこ)
|
蘇我毛人(えみし)
|
蘇我入鹿(いるか)

(物部氏)
物部麁鹿火(もののべのあらかい)
|
物部尾輿(おこし)
|
物部守屋(もりや)

 

 

日本史【4】古墳文化(古墳1)

260524
日本史【4】古墳文化

古墳時代(3C後半~6C)
・前期 4C
・中期 5C
・後期 6C

[古墳]
前期4c・・丘陵
中期5c・・前方後円墳(平野部)、竪穴式石室
後期6c・・円墳、横穴式石室

[埴輪]
前期・・円筒埴輪(えんとうはにわ)
↓↓
中・後期・・形象埴輪(人物、動物、家)

[副葬品]
前期・・呪術的。銅鏡。三角縁神獣鏡。
↓↓
中・後期・・実用的。武具、馬具。

[代表古墳]
・前期(4C)・・箸墓古墳

・中期(5C)・・大仙陵(だいせんりょう)古墳(世界最大の墓)
百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)堺市
応神天皇 誉田山古墳

・後期(6C)・・群集墳
吉見百穴(よしみひゃっけつ)(埼玉)
(有力農民も葬られた)

[住居]
・豪族居館(ごうぞくきょかん)
支配者(豪族)が住む

・一般の人の竪穴住居にはかまどが出現

[土器]
土師器(はじき)・・弥生土器風(赤褐色・せきかっしょく)
↓↓
須恵器(すえき)・・朝鮮式新技術(灰色)
ろくろ・登り窯を使う。硬質。

[渡来人]
朝鮮半島や大陸から来た人々。

・弓月君(ゆづきのきみ)
秦氏(はたし/はたうじ)の祖。
養蚕・機織り(はたおり)を伝える。

・阿知使主(あちのおみ)
東漢氏(やまとのあやうじ)の祖。
文筆に優れる。

王仁(わに)
西文氏(かわちのふみうじ)の祖。
漢字を伝える。
「論語」儒学の教科書
「千字文(せんじもん)」

[習俗]
・太占(ふとまに)
シカの骨で吉凶を占う。

・盟神探湯(くがたち)
熱湯に手を入れる。裁判。

・禊(みそぎ)
水で浄化

・祓(はらえ)
水以外で浄化

[社(やしろ)]
伊勢神宮(三重)
天照大神(アマテラスオオミカミ)

・出雲大社(島根)
大国主神(オオクニヌシノカミ)

[農耕儀礼]
(春)・祈年祭(きねんさい/としごいのまつり)
(豊作を祈る)

(秋)・新嘗祭(にいなめのまつり)
(収穫の感謝)
=現在は祝日・11/23 勤労感謝の日

(秋)・大嘗祭(だいじょうさい/おおなめのまつり)
天皇即位後、最初の新嘗祭。

[漢字・伝在品]
江田船山古墳(えたふなやまこふん)(熊本)
鉄刀

稲荷山古墳(いなりやまこふん)(埼玉)
鉄剣

「ワカタケル大王(おおきみ)」の記載がある。
=雄略天皇 21代

471年 辛亥年(しんがいどし)

 

 

 

日本史 原始時代の遺跡(旧石器・縄文・弥生)6つ

260523
原始時代(旧石器・縄文・弥生)の遺跡
2ヶ所 × 3時代 = 6ヶ所

 旧石器時代(~1万3千年)
(1)野尻湖遺跡(長野)ナウマン象
(2)岩宿遺跡(群馬)旧石器

縄文時代(1万3千年~B5C)
(3)三内丸山遺跡(青森)竪穴住居
(4)大森貝塚(東京)貝塚

弥生時代(B5C~3C)
(5)吉野ヶ里遺跡(佐賀)環濠集落
(6)登呂遺跡(静岡)水田

 

 

 

日本史【3】弥生文化

260523
弥生時代(前5C〜3C)
・弥生文化の特徴
「稲作」と「金属器」

北海道・・続縄文時代
沖縄・・貝塚文化(南島文化)

・稲作
前期 湿田、木製道具、石包丁

後期 乾田(灌漑施設)、鉄製道具、鉄鎌

高床倉庫

・金属器
鉄器・・農具
青銅器・・祭器
銅鐸、銅剣、銅鏡
荒神谷遺跡(島根)・・銅剣

・弥生土器
高音、赤褐色、薄手

・壺・・貯蔵
・甕(かめ)・・煮炊き
・高杯(たかつき)・・食器
・甑(こしき)・・蒸し器

・ムラ(集落)からクニ(小国)へ

・環濠集落
吉野ヶ里遺跡(佐賀)
唐古・鍵遺跡(奈良)

・高地性集落(瀬戸内)
紫雲出山遺跡 (しうでやまいせき)(香川)

・甕棺墓(かめかんぼ)(九州北部。副葬品)
・支石墓(しせきぼ)(九州北部。朝鮮半島の影響)
・方形周溝墓
・墳丘墓(楯築墳丘墓(岡山))

伸葬
副葬品あり

中国の歴史書
[1]『漢書』地理志(前1C)
前1C 百予国。楽浪郡に朝貢
「それ楽浪海中に倭人あり」

[2]『後漢書』東夷伝(1~2C)
57 光武帝。漢委奴国王に金印。
(志賀島(福岡・1784年)で発見)
107 倭王・帥升(すいしょう)が生口(せいこう)奴隷160人
2C後 桓帝、霊帝。倭国大乱

[3]『魏志』倭人伝(3C)
239 卑弥呼。邪馬台国。
親魏倭王。銅鏡など

266 壱与、晋へ朝貢

 

 

十干十二支・年号一覧【1744年~2043年】300年間

260522
十干十二支・年号一覧

【1744年~2043年】300年間

1 甲子 コウシ 1744 1804 1864 1924 1984
2 乙丑 イッチュウ 1745 1805 1865 1925 1985
3 丙寅 ヘイイン 1746 1806 1866 1926 1986
4 丁卯 テイボウ 1747 1807 1867 1927 1987
5 戊辰 ボシン 1748 1808 1868 1928 1988
6 己巳 キシ 1749 1809 1869 1929 1989
7 庚午 コウゴ 1750 1810 1870 1930 1990
8 辛未 シンビ 1751 1811 1871 1931 1991
9 壬申 ジンシン 1752 1812 1872 1932 1992
10 癸酉 キユウ 1753 1813 1873 1933 1993
11 甲戌 コウジュツ 1754 1814 1874 1934 1994
12 乙亥 イツガイ 1755 1815 1875 1935 1995
13 丙子 ヘイシ 1756 1816 1876 1936 1996
14 丁丑 テイチュウ 1757 1817 1877 1937 1997
15 戊寅 ボイン 1758 1818 1878 1938 1998
16 己卯 キボウ 1759 1819 1879 1939 1999
17 庚辰 コウシン 1760 1820 1880 1940 2000
18 辛巳 シンシ 1761 1821 1881 1941 2001
19 壬午 ジンゴ 1762 1822 1882 1942 2002
20 癸未 キビ 1763 1823 1883 1943 2003
21 甲申 コウシン 1764 1824 1884 1944 2004
22 乙酉 イツユウ 1765 1825 1885 1945 2005
23 丙戌 ヘイジュツ 1766 1826 1886 1946 2006
24 丁亥 テイガイ 1767 1827 1887 1947 2007
25 戊子 ボシ 1768 1828 1888 1948 2008
26 己丑 キチュウ 1769 1829 1889 1949 2009
27 庚寅 コウイン 1770 1830 1890 1950 2010
28 辛卯 シンボウ 1771 1831 1891 1951 2011
29 壬辰 ジンシン 1772 1832 1892 1952 2012
30 癸巳 キシ 1773 1833 1893 1953 2013
31 甲午 コウゴ 1774 1834 1894 1954 2014
32 乙未 イツビ 1775 1835 1895 1955 2015
33 丙申 ヘイシン 1776 1836 1896 1956 2016
34 丁酉 テイユウ 1777 1837 1897 1957 2017
35 戊戌 ボジュツ 1778 1838 1898 1958 2018
36 己亥 キガイ 1779 1839 1899 1959 2019
37 庚子 コウシ 1780 1840 1900 1960 2020
38 辛丑 シンチュウ 1781 1841 1901 1961 2021
39 壬寅 ジンイン 1782 1842 1902 1962 2022
40 癸卯 キボウ 1783 1843 1903 1963 2023
41 甲辰 コウシン 1784 1844 1904 1964 2024
42 乙巳 イッシ 1785 1845 1905 1965 2025
43 丙午 ヘイゴ 1786 1846 1906 1966 2026
44 丁未 テイビ 1787 1847 1907 1967 2027
45 戊申 ボシン 1788 1848 1908 1968 2028
46 己酉 キユウ 1789 1849 1909 1969 2029
47 庚戌 コウジュツ 1790 1850 1910 1970 2030
48 辛亥 シンガイ 1791 1851 1911 1971 2031
49 壬子 ジンシ 1792 1852 1912 1972 2032
50 癸丑 キチュウ 1793 1853 1913 1973 2033
51 甲寅 コウイン 1794 1854 1914 1974 2034
52 乙卯 イツボウ 1795 1855 1915 1975 2035
53 丙辰 ヘイシン 1796 1856 1916 1976 2036
54 丁巳 テイシ 1797 1857 1917 1977 2037
55 戊午 ボゴ 1798 1858 1918 1978 2038
56 己未 キビ 1799 1859 1919 1979 2039
57 庚申 コウシン 1800 1860 1920 1980 2040
58 辛酉 シンユウ 1801 1861 1921 1981 2041
59 壬戌 ジンジュツ 1802 1862 1922 1982 2042
60 癸亥 キガイ 1803 1863 1923 1983 2043

 

十干十二支の歴史用語

 

<十干十二支・年号一覧>
・【前57年~243年
・【244年~543年
・【544年~843年
・【844年~1143年
・【1144年~1443年
・【1444年~1743年
・【1744年~2043年