260804
コミック『だんドーン』7巻
・伏見・寺田屋
大久保利通は有田新七を説得できず。
1862.4.23
寺田屋事件
薩摩の同士討ち。
長州、久坂玄瑞は有馬新七との関連を否認。
薩摩は長州に怒りを覚える。
・土佐勤王党
・森山新蔵、切腹。
・長州藩主 毛利慶親(よしちか)
周布政之助(すふまさのすけ)
来島又兵衛
歴史の学びメモ
260804
コミック『だんドーン』7巻
・伏見・寺田屋
大久保利通は有田新七を説得できず。
1862.4.23
寺田屋事件
薩摩の同士討ち。
長州、久坂玄瑞は有馬新七との関連を否認。
薩摩は長州に怒りを覚える。
・土佐勤王党
・森山新蔵、切腹。
・長州藩主 毛利慶親(よしちか)
周布政之助(すふまさのすけ)
来島又兵衛
260803
コミック『だんドーン』6巻
・長州藩
豪商 白石正一郎
森山新蔵(元薩摩の豪商→薩摩藩士)
長州藩の過激派も来る。
桂小五郎、久坂玄瑞、山田市之丞
対馬にロシアが居座る。イギリスの力を借りて撤退させる。
『コンヨ図織』世界地理書
長井雅楽(ながいうた)政治家『航海延暦策』
・薩摩 久光四天王
小松帯刀、大久保利通、堀次郎、中山中左衛門
誠忠組、村田新八
大坂 薩摩藩の蔵屋敷
米の備蓄、蔵を併設。藩屋敷。
弁士 清河八郎
田中河内介 父子。
勤王家。公家の中山家に仕える。(帝ガチ勢)
二才(にせ)→若者
中村半次郎と田中新兵衛が長州久坂と共に行動する。
久坂玄瑞は吉田松蔭の妹と結婚。
福岡の過激派 平野國臣
京都寺田屋。有馬新七など過激派が集結。
260802
日本史【47】大正デモクラシー(近代ー16)
<大正デモクラシー(理論的支柱)>
大正デモクラシー:民衆運動。第一次護憲運動から、男性普通選挙制・成立までの、時代思潮や社会運動。
・「民本(みんぽん)主義」:吉野作造
※「民主主義」だと「国民主権」になって、「天皇主権」に反することになるので「民本」を使った。憲法の中で、できる限り国民の権利を重視する考え。
・1918年 「黎明会」結成。学者の団体。
・「天皇機関説」:美濃部達吉
天皇を国家の一つの機関と考える。
↕ 論争
・「天皇主権説」:上杉慎吉
「民本主義」も「天皇機関説」も憲法と矛盾しない。憲法を否定するものではない。
<大正デモクラシー(労働運動)>
・1911年(明治43年) 「工場法」制定
初の労働者保護立法・制定→施行延期→1916年施行
12歳未満:就労不可
15歳未満・女性:12時間を越える就労不可・深夜業禁止
15人未満の工場には不適用
★労働組合の全国組織
(明治)
「労働組合期成会」
「社会民主党」→「日本社会党」
↓↓
(大正)
・1912年 「友愛会」(労資協調・まだ穏やか)
会長:鈴木文治(ぶんち)
↓↓(発展)
・1919年 「大日本 労働総同盟 友愛会」
(WW1戦後恐慌で運動が激しくなる。戦後恐慌と労働運動は表裏一体)
・1920年 第一回メーデー(原内閣)5月1日に労働者が集会
↓↓(発展)
・1921年 「日本労働 総同盟(階級闘争・激しくなる)」
↓↓(一部分裂)
・1925年 「日本労働組合 評議会」
日本労働総同盟を除名された左派によって結成。
<大正デモクラシー(社会主義)>
・1922年 「日本共産党」(社会主義の一つ。)
堺利彦・片山潜らが、ソ連のコミンテルン(国際共産党(本部モスクワ)の指導のもと、日本で非合法に結成。
・大杉栄:無政府主義者(→関東大震災1923、甘粕事件で✕)
★「社会主義」について
左翼全体を、広い意味で「社会主義」と呼ぶ。その中に「共産主義」、「無政府主義」、「社会主義」などがある。
<大正デモクラシー(婦人解放運動)>
・1911年 「青鞜(せいとう)社」(文学者団体)
平塚らいてう(平塚明・はる)(「らいちょう」と読む)
雑誌『青鞜』
「原始女性は太陽であった。」
↓↓
・1920年 「新婦人協会」
平塚らいてう(平塚明)、市川房枝
「治安警察法 5条」(女性の政治活動禁止)改正が目的→改正された。
「赤瀾会(せきらんかい)」
・1921年 山川菊栄・伊藤野枝(女性の社会主義団体)
「婦人参政権 獲得 期成同盟会」
・1924年 市川房枝
→戦後まで達成されず。(1945年に達成)
<大正デモクラシー(その他運動)>
☆部落解放運動
・1922年 「全国水平社」設立
被差別部落の差別解消目的。
☆農民運動
・1920年 小作争議の激化
小作人の闘争・小作料引き下げを求める
・1922年 「日本農民組合(小作人組合)」設立
杉山元治郎らによる。
☆無産政党
労働者や農民などを支持する政党
無産者階級(プロレタリアート)
VS
資本家(お金持ち)階級(ブルジョアジー)
・1926年(昭和元年) 「労働農民党」
杉山元治郎ら→同年分裂
260802
日本史【46】大正時代(近代ー15)
<原敬 内閣(大戦終結以前)>(19代)
・最初の本格的・政党内閣(外・陸・海相以外は政友会)
「平民宰相(へいみんさいしょう)」と呼ばれる。
(※最初の政党内閣は「大隈重信・内閣①」だったが、4ヶ月で終わったため、「政治をした」という意味では今回が初。)
・1919年 三・一独立運動
朝鮮での反日独立運動。「万歳事件」ともいう。
・1919年 衆議院議員選挙法・改正
直接国税規定を10円→3円へ(5.5%に)
小選挙区制を導入。解散後の選挙で政友会が圧勝。
(→国民は0円を求めていたから、不満が鬱積)
<原敬 内閣(パリ講和条約とその影響)>
・1919年 パリ講和会議
第一次世界大戦の講和会議
英〇・仏〇(露・離脱) VS ✕独
ヴェルサイユ条約・調印
全権:西園寺公望
(内容)
①山東省の旧ドイツ権益の継承。
(※「21カ条の要求」で中華民国に認めさせていたものを、欧にも認めさせた。)
②赤道以北の旧ドイツ領・南洋群島の委任統治。
↓↓
(中国からすると、当然日本に出て行ってほしい。)
・1919年 五・四運動
中国での民族運動。
・1920年 国際連盟・加盟
米大統領ウィルソンの提唱。(本部:ジュネーブ)
常任理事国:英・日・仏・伊(米・ソは不参加)
(※日本は現在の国際連合の常任理事国ではない。)
<原敬 内閣(大戦後の状況)>
・1920年 尼港事件
ニコラエフスク(尼港・にこう)で抗日パルチザン(非正規軍)に敗北。(シベリア出兵がうまくいかなかった。)
・1920年 戦後恐慌
(欧での戦争が終わって、欧の生産力が戻った。日本の物は売れなくなった。)
→労働運動激化
→翌年、原敬首相が東京駅で社会主義者に✕。
↓↓
同じ政友会の高橋是清が総理へ
<高橋是清 内閣>(20代)
・1921年~22年 ワシントン会議
(全権:加藤友三郎(海軍)(→21代総理に)・幣原喜重郎(→44代総理に))
米・大統領ハーディングの提唱
※日本がWW1(ヴェルサイユ条約)でもらった権利が、取り上げられる。(山東半島の独領など)
(1)四カ国条約 太平洋問題→「日英同盟」破棄
(2)九カ国条約 中国問題→「石井・ランシング協定」廃棄
(3)ワシントン海軍軍縮条約
主力艦 保有率(上限)
英5:米5:日3:仏1.67:伊1.67
(持ちすぎている分は壊さないといけない)
当時、日本は国際連盟の常任理事国。自分だけ軍備拡大というわけにはいかないため調印。
<加藤友三郎 内閣>(21代)
・1922年 日本共産党結成。堺利彦、山川均。非合法のうちに。
・1922年 シベリア撤兵完了
・1923年 首相在任中に病死
<山本権兵衛 内閣②>(22代)
(組閣中)
・1923年(大正12年)9月1日 関東大震災
大震災直後に組閣→震災の処理
例:戒厳令(軍による治安維持令)公布
(1905日比谷焼打事件で戒厳令)
・朝鮮人✕事件:在日朝鮮人✕
・亀戸(かめいど)事件:労働家✕
・甘粕事件:大杉栄・伊藤野枝(のえ)ら✕(甘粕正彦・憲兵大尉による)
・虎ノ門事件:裕仁親王(摂政)狙撃→内閣総辞職
・1923年 震災恐慌へ
<清浦奎吾 内閣>(23代)
清浦奎吾 貴族院中心の超然内閣を作る。(民主的ではない)
↑↑ (批判)
☆1924年 第二次護憲運動(「憲法を守れ」という運動)
護憲三派
・加藤高明(憲政会)
・犬養毅(革新倶楽部)
・高橋是清(政友会)
清浦は、この↑3つの政党「護憲三派」に批判される。
清浦内閣・総辞職
(cf. 第一次護憲運動は桂太郎内閣③が攻撃された。攻撃したのは犬養毅(立憲国民党)・尾崎行雄(政友会)など。)
↓↓
桂太郎は「立憲国民党」を引き抜いて「立憲同志会」を作る。→これが後に「立憲憲政会」になる。明治時代の「憲政党」とは別物。
↓↓
「憲政会」と「政友会」は二大政党のようになっていく。
<加藤高明 内閣①②>(24代)
「憲政会」総裁・加藤高明を首相とする「護憲三派」(憲政会・政友会・革新倶楽部)内閣
→「憲政の常道」(=民主的なあるべき姿)
(加藤高明 24代~犬養毅 29代の政党内閣)開始。
・1925年 日ソ基本条約
(シベリア出兵をしていたが撤兵)
ソ連と国交樹立←幣原外相の協調外交
・1925年 普通選挙法(アメ)
25歳以上の男子。直接国税の条件はなくなる。
・1925年 治安維持法(ムチ)
反政府運動を弾圧。
天皇制・私有財産制を否認する結社の禁止。(国民主権はダメ)
(1900年の「治安警察法」(山県有朋②)は依然としてそのままある。)
・1925年 五・三〇事件
在華紡の中国人労働者のスト
(在華紡(ざいかぼう):中国に進出した日本の紡績工場)
→大ストライキから、反日・反帝国主義運動へ
260801
日本史【45】大正時代(近代ー14)
<西園寺公望内閣②>(14代)
・1912年 大正改元
・1912年 陸軍の二個師団増設要求
→西園寺内閣②は、財政難を理由に拒否
→上原勇作陸相、辞任(陸軍のストライキ。大臣を出さない。=軍務大臣現役武官制を使う。)
→西園寺内閣・総辞職
(軍が内閣をつぶしてしまった)
<桂太郎内閣③>(15代)
・1912年 内大臣だった桂太郎が、宮中と府中の別を破って組閣したため批判が集中。「天皇を利用しているだけだ」。
☆1912年 第一次護憲運動
・尾崎行雄:(立憲)政友会
・犬養毅:立憲国民党
「憲政擁護」、「閥族打破」
↓↓
桂太郎は、新党結成で対抗。
・国民党の一部を吸収して「立憲同志会」を設立(桂の死後)
民衆のデモ。国会の周りを民衆が取り巻いた。
→内閣総辞職(大正政変)
(民主主義的風潮が強くなってきた証)
<山本権兵衛①>(16代)
・1913年 薩摩・海軍の山本権兵衛が組閣。
(与党:立憲政友会)
・1913年 軍部大臣 現役武官制 改正
現役規定を予備役・後備役(OBなど)にまで拡大
・1914年 ジーメンス(シーメンス)事件
海軍賄賂事件。独の会社。
→総辞職
<大隈重信②(第一次世界大戦)>(17代)
・1914年 第一次世界大戦(~1918年)
三国同盟
ドイツ・イタリア・オーストリア
VS
三国協商
イギリス・フランス・ロシア
サラエボ事件がきっかけ
(オーストリア皇太子が暗殺された事件)
・日本は日英同盟のよしみで参戦
・「中国・太平洋のドイツ領」を攻撃
・青島(山東半島)、南洋諸島の一部を占領
<大隈重信②(二十一カ条の要求)>
・1915年 (対華)二十一カ条の要求
外相:加藤高明(立憲同志会・内閣の中心)
↓↓
中華民国・大総統:袁世凱
5月9日 一部を除いて受諾
→この日を中国は「国恥(こくち)記念日」とする。
(内容)
①山東省の旧ドイツ権益の継承
②漢冶萍公司(かんやひょう・こんす)(製鉄会社)の共同経営
※公司(コンス)は中国語で「会社」
<寺内正毅内閣(大戦景気)>(18代)
・1915年~18年 大戦景気
①輸出急増(生糸・綿織物)
②世界第3位の海運国へ→船成金などの登場
③満鉄による鞍山(アンシャン)製鉄所設立(1918年)
→工業国へ
・1917年 西原借款(しゃっかん)
借款:国が国にお金を貸すこと。
日本政府・西原亀三(かめぞう)→段祺瑞(だんきずい)政権へ。中国への経済援助。(袁世凱の次の権力闘争)中国での権益拡大を意図。
→失敗(お金を貸したが段祺瑞が失脚)
・1917年 金輸出禁止(金本位制を停止)
<寺内正毅内閣(ロシア革命)>(18代)
・1917年 ロシア革命
ロマノフ王朝が倒れる。
レーニンの主導で、最初の「社会主義政権」成立。
↓↓
①1917年 石井・ランシング協定
日・米間。中国における日本の権益を承認。
(明治の終わりには仲が悪かった日米が、仲直り)
↓↓
②1918年 シベリア出兵
チェコスロバキア軍救出を名目に、英・米・仏と共に出兵。
(戦争中は物価が上がる。)
→米の買い占め、売り惜しみ→米価急騰
↓↓
・1918年 米騒動
富山の漁民主婦の蜂起(越中女一揆)から全国へ
内閣は軍を出して鎮圧。
寺内内閣・総辞職
260731
コミック『だんドーン』5巻
・中村半次郎(薩摩藩の侍)
(→後の桐野利秋)
誠忠組と仲良い。
薩摩一の豪速剣。
集成館(薩摩の工場)
川路正之進
森山新蔵(元商人、薩摩藩士)
1両あれば1ヶ月生活できる。
串木野金山(薩摩)
人吉(ひとよし)
球磨川(くまがわ)うなぎ
温泉など
草莽の志士
有馬新七
永国寺。(後に西南戦争で薩摩軍の本陣となる)
・宮部鼎蔵(肥後)
肥後の議論倒れ
熊本城。加藤清正、築城。
幕末四大人斬り
①河上彦斎(かわかみげんさい)(肥後)
・清河八郎
過激な討幕派。
・伊牟田尚平。ヒュースケン暗殺の犯人。
ヒュースケンはオランダ語と英語が話せたので重宝されていた。
・調所広郷(ずしょひろさと)
薩摩藩、家老。
茶坊主。密貿易などで借金を黒字化。
・間部詮勝。元老中。
南紀派。青鬼。井伊直弼の右腕。
・島津久光は討幕派ではない。
長州藩
藩校、明倫館(山口・萩市)
師・吉田松蔭。
桂小五郎
松下村塾の双璧
・久坂玄瑞(げんずい)
・高杉晋作
・山縣小助(有朋)(日本陸軍の父)
・山田市之丞(顕義)(初代司法大臣)
260731
日本史【44】日露戦争後の政治(近代ー13)
<西園寺公望内閣①(1906年)>(12)
ポーツマス条約で得たところが次につながっていく。
(①韓国の指導権②旅順・東清鉄道)
・1905年 「韓国統監府(とうかんふ)」設置(@漢城)(現ソウル)
初代統監:伊藤博文
・1906年 「日本社会党」結成。
最初の合法的社会主義政党。
堺利彦・片山潜らによる。
(※1901年 最初の社会主義政党「社会民主党」はすぐ解散させられた。)
・1906年 「鉄道国有法」制定
民営鉄道17社を国有化。
・1906年 「関東都督府(かんとう・ととくふ)」設置。
(関東州の統治機関)
@旅順(遼東半島)。中国のこの辺りの地域を関東と呼ぶ。
・1906年 「南満州鉄道 株式会社(満鉄)」設立。
旅順・長春間。ポーツマス条約で手に入れた鉄道利権。
半官半民。
<西園寺公望内閣①(1907年)>(12)
・1907年 「第一次日露協約」
支配権を相互承認
(日露戦争後、ロシアとの関係は良好)
・1907年 「ハーグ密使事件」
韓国が、日本の内政干渉をオランダのハーグ万国平和会議に提訴。
↓↓
・1907年 「第三次日韓協約」
韓国の「内政権」も吸収。
(第二次で外交権)
皇帝を退位させ、韓国の軍隊も解散させる。
→「義兵運動」激化。
<桂太郎内閣②>(13)
・1909年 伊藤博文暗殺事件
ハルビン(ハルピン)(満州)で安重根(あんじゅうこん)に暗殺。
・1909年 ノックスの中立案
米・国務長官ノックスが満鉄中立化(みんなのものにしよう)を提案→日露拒否
・1910年 「大逆(たいぎゃく)事件」
明治天皇暗殺計画を名目に、社会主義者らが大逆罪に問われる。幸徳秋水・菅野(かんの)スガら12名が死刑。
(→1911年 警視庁内(東京)に「特別高等課(特高)」設置。以後、社会主義は冬の時代へ。10年ほど活動できず。)
伊藤暗殺後
↓↓
・1910年 「韓国併合条約」
韓国併合(「韓国」を「朝鮮」と改称)
(国が否定され、日本の一部となる)
→「朝鮮総督府」設置
初代統監:寺内正毅(まさたけ)(→後に18代総理になる。1916)
(※朝鮮:1392年・李成桂が建国。1897年に「韓国」に名前が変わり、1910年にまた「朝鮮」に戻る)
<韓国統監府1905伊藤→朝鮮総督府1910寺内、台湾総督府1895樺山資紀、関東都督府1906>
・1911年 「日米通商航海条約」改正
→税権回復(外相:小村寿太郎)
(明治の最後の年、明治44年に、ようやく回復できた。始まりは日米修好通商条約(1858))
・1911年 「工場法」制定(→戦後の「労働基準法」につながる)
→初の労働者保護立法。施行は1916年。
15人未満の工場には適用せず。
<西園寺公望内閣②>(14)
・1911年 辛亥革命
→1912年 (清→)「中華民国」成立
(臨時大総統:孫文)
(明治まで清。大正から中華民国。)
・1912年7月 明治天皇没
→大正改元
(大正時代は、1926年12月まで。)
260731
日本史【43】日露戦争(近代ー12)
<桂園時代>
桂園時代・・明治の最後の約10年間。1901(明治34)年~1913(大正2)年。
・桂太郎(陸軍・長州閥)・・山県有朋派
・西園寺公望(立憲政友会)・・伊藤博文派
山県有朋や伊藤博文は元老(天皇の非公式顧問)として、影響力を行使した。
<桂太郎内閣①(日露戦争前の政府)>(11)
戦前の国内の状況
■ 政府
・戦争反対派「日露協商論」
「満韓交換」(満韓をロシアと分け合おう。韓国は日本がもらうので満州はロシアへ)
伊藤博文・井上馨・尾崎行雄
VS
・戦争賛成派「日英同盟論」
桂太郎(首相)・小村寿太郎(外相)・山県有朋
↓↓
・1902年 「日英同盟(協約)」締結
一方と他国との交戦時は、もう一方は厳正中立(参加しない)
(→日露戦争へ前向き)
<桂太郎内閣①(日露戦争前の国民)>
「主戦論」
国民の大部分は主戦論。
VS
「非戦論」
幸徳秋水・堺利彦(社会主義)
「万潮報(よろづちょうほう)」(新聞)が戦争賛成に変わったため、そこの記者をやめ、「平民社」設立。
「平民新聞」を発行。反戦を訴え続けた。
内村鑑三(キリスト教)
与謝野晶子(ロマン主義)
「君死にたまふことなかれ」旅順港にいる弟を嘆いた詩
↓↓
<桂太郎内閣①(日露戦争)>(11)
・1904年 「日露戦争」開戦
戦争の経過(一部)
旅順占領:乃木希典
↓↓
日本海海戦:東郷平八郎
バルチック艦隊を破る
日本有利の状況で終戦。
・資金(17億円以上)は国債・増税・煙草の専売制などに頼る。
(戦争中)
・1904年 「第一次日韓協約」
韓国政府内に日本人顧問を採用。
・1905年 「桂・タフト協定」
アメリカが日本の韓国保護国化を承認。
↓↓
・1905年 「ポーツマス条約」
(全権)
日本:小村寿太郎外相
ロシア:ウィッテ
(米大統領・セオドア・ローズヴェルトの仲介)
①「韓国」に対する日本の指導権を認める。(ロシアは手を出さない)。
(※「朝鮮」→「大韓帝国(韓国)」に名称が変わっている)
②旅順・大連(遼東半島)の租借権を日本に譲る。
(日本が取り返した)南満州のあたり。
長春以南の東清鉄道と、その付属利権を日本に譲る。
③北緯50度以南の樺太(サハリン)領有を認める。
※賠償金はなし。
↓↓
・1905年 「日比谷焼打ち事件」
講和反対国民大会でのポーツマス条約の内容を屈辱とした暴動。戒厳令(軍による治安維持)施行。
(日比谷は鹿鳴館があった場所。)
・1905年 ハリマン計画
米鉄道王ハリマンが満鉄の日米共同経営計画を提案。
→政府は拒否。(日米関係が悪化)
・1905年 「第二次日韓協約」
韓国の「外交権」を吸収。
→保護国化
→1906年 「韓国総督府(とうかんふ)」を設置。
260731
2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(29)「天下への道」(2026/7/26放送)
【あらすじ】織田信孝(結木滉星)から明智討伐の差配を任された秀吉(池松壮亮)。焦らず敵を追い詰め、光秀(要 潤)を生け捕りにすべきと考えるが、信長を失った織田勢の足並みはそろわず、逸(はや)った高山右近(市川知宏)らが敵陣に攻め入る。小一郎(仲野太賀)は初陣の与一郎(大西利空)を残し、自身は援軍として戦場へ。だが与一郎は、刺客から信孝を守って負傷してしまう。一方、小一郎は秀吉に、どうしても光秀と話したいと頼まれ…。(ーNHK公式サイトより)
・天正10年(1582年)6月
<本能寺の変の後>
・北畠(織田)信雄(のぶかつ)(信長次男)
・織田信孝(のぶたか)(信長三男)と丹羽長秀
・山崎の戦い
明智軍・勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)
中川清秀(茨木城)、高山右近(高槻城)は織田側に付いた。
池田恒興。
織田家は信雄(次男)と信孝(三男)で割れる。
・家康は三河・岡崎城に戻った。明智討伐には参加せず、甲斐・信濃を守る。
・越前・北庄城
柴田勝家、上杉が落ち着いたので京に戻ろうとするも、すでに時遅し。秀吉が戻っていた。
・天正10年(1582年)6月13日
山崎の戦い
ーーーーーーーーーーーーー
「豊臣兄弟!紀行」(29)
・山崎合戦古戦場(京都府・大山崎町)
山城と摂津の国境。小泉川。川を挟んだ総力戦へ。
明智方1万6千、織田方4万。敗戦の色が濃くなった明智光秀は勝龍寺城から抜けだしたが、その道中非業の最期を遂げたといわれている。
260730
日本史【42】明治時代の産業発展(近代ー11)
<産業革命の全体図>
★軽工業中心(日清戦争前後)1890年代
・製糸業(繭→生糸)
・紡績業(綿花→綿糸)三河・尾張・河内
・綿織物業(綿糸→綿織物)
↓↓
★重工業中心(日露戦争前後)1900年代
・鉱工業の発達
・陸運と海運の整備
・財閥の形成
↓↓
★社会問題の発生
↓↓
★労働運動・社会主義運動の発展
<産業革命(軽工業)>
■ 製糸業
座繰(ざぐり)製糸→器械製糸(富岡製糸場)アメリカ向け輸出産業
■ 紡績業
ガラ紡:発明・臥雲辰致(がうんたっち/ときむね)
→「機械紡績」の登場で紡績業が発展。
中国・インドからの安価な綿花輸入により発展
・1882年 「大阪紡績会社」設立(渋沢栄一ら)翌年開業
・1890年 綿糸「生産」額、「輸入」額を超える。
・1897年 綿糸「輸出」額、「輸入」額を超える。
↓↓
・1897年 「金本位制」採用(←「貨幣法」1897年)
日銀で「銀」ではなく「金」と交換できるようになった。
■ 綿織物
国産力機織 発明:豊田佐吉(とよださきち)
→第一次大戦ごろ、日本の輸出の主力になっていく。
<産業革命(重工業)>
■ 鉄鋼業
(官営)八幡(やはた)製鉄所(福岡)
・1901年 操業開始→鉄鋼の国産化
☆原料
・石炭・・筑豊炭田(福岡)、撫順炭田(ぶじゅんたんでん)(中国から輸入)
・鉄鉱石・・大冶鉄山(だいやてつざん)(中国から輸入)
※鉄鋼は国産化できたとはいえ、まだ輸入が多い。原料も輸入に頼っている。
■ 陸運
・1906年(※日露戦争後) 「鉄道国有法」:民間鉄道の国有化
1/3が国鉄、2/3が民営だったのが逆転する。国が私鉄を買い上げて2/3が国鉄に。←国内輸送の一元化が目的。
■ 海運
・1893年 「ボンベイ航路」開通。
神戸・インド(ボンベイ)間
(※綿花をインドから輸入して運ぶため。)
日本郵船株式会社が開いた航路。
<産業革命(財閥の形成)>
★「財閥」(コンツェルン)の形成
様々な業種・経済体が結合したグループ
例:四大財閥
・三井:三井合名会社
・三菱:三菱合資会社
・住友:住友合資会社(別子銅山)
・安田:安田保善社(安田善次郎)
その他
・古河(ふるかわ):古河鉱業(古河市兵衛)
<産業革命(社会問題と労働者)>
★社会問題の発生
①高島炭鉱事件(長崎・三菱経営)
・1888年 高島炭鉱の暴動が雑誌『日本人』に発表。
②足尾銅山鉱毒事件(栃木・古河経営)
(足尾銅山は江戸時代は幕府経営→古河鉱業の経営に。)
渡良瀬川流域の鉱毒公害事件。
・1901年 代議士(国会議員)の田中正造が天皇に直訴。
③天満紡績スト
・1894年 大阪での大規模な女工のストライキ
(天満・青物市で出てきた)
★労働者の実態
・1889年 日本之下層社会(横山源之助)
・1903年 職工事情(農商務省編)
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労働運動・社会主義運動の発展。
「工場法」制定につながる。