歴史note – 歴史の学びメモ

日本史【27】江戸時代(近世ー5)

260707
日本史【27】江戸時代(近世ー5))

<寺請(てらうけ)制度>
寺に戸籍を作らせて、寺を通じて民衆を把握する。
民衆を檀家(だんか)として寺に登録させる。
登録した民衆に「宗門改」(しゅうもんあらため)(宗教調査)をして、「宗旨人別帳」(しゅうしにんべつちょう)に記載。

<徳川家光③>
大名統制
1635年 「武家諸法度 寛永令」(林羅山起草)
(cf. 1615年・2代秀忠・元和令・崇伝の起草)
①「参勤交代」を制度化
②大船(たいせん)(500石積(こくづみ)以上)建造禁止
☆大名の義務
①参勤交代:江戸と国元を原則1年交代で往復。(夏4月中に。今の5月頃)
②証人の制(人質):妻子や家族、重臣を江戸におく。地元で反乱を起こさないように。

<農民統制>家光③~家綱④
1643年 「田畑永代(でんぱたえいたい)売買の禁」
土地の売買禁止←農民の没落防止

1643年~ 田畑勝手作禁止令
商品作物、栽培禁止令

1673年 分地制限令(ぶんちせいげんれい):土地分割制限
狭い土地(10石以下)を分割するのは禁止。
為政者の農民観
「百姓は財の余らぬように、不足なきように」(本佐録)
「百姓共は死なぬ様に、生きぬ様にと・・」(家康・昇平夜話)

<四つの口・窓>
(鎖国後の外交)
長崎・薩摩・対馬・蝦夷(この4ヶ所で外国と関係を持った)

(1)長崎・・出島(オランダ)
・・唐人屋敷(中国)
(2)薩摩・・島津氏(琉球)
(3)対馬・・宗氏(朝鮮)
(4)蝦夷(松前)・・(蠣崎氏→松前氏)ー蝦夷(アイヌ)
蠣崎→松前 慶広
米が取れない。アイヌと交易。

(1)長崎
・出島(オランダ)
オランダ商館長(カピタン/(キャプテン))が「オランダ風説書(ふうせつがき)(海外事情書)」を幕府に提出。

・唐人屋敷(中国)
明→清 建国(1616年)

(2)薩摩・・島津氏(琉球)
慶賀使(日本の将軍の代替わり)、謝恩使(琉球国王の代替わり)が来日

(3)対馬・・宗氏(朝鮮)
(朝鮮)通信使が来日

(4)蝦夷(松前)
1669年 シャクシャインの戦い:アイヌの反乱
(cf. 室町時代・1457年コシャマインの戦い。コが先→シャが後で覚える。)

「商場(あきないば)知行制」:藩主・松前氏が家臣にアイヌとの交易場所を任せ、交易の利益を取らせる。
↓↓
「場所請負制(ばしょうけおいせい)」:藩主から与えられた交易場所を、さらに商人に任せる。

 

日本史【26】江戸時代(近世ー4)

260707
日本史【26】江戸時代(近世ー4)

<統治機構の全体図>
[将軍]ー(側用人・将軍側近)
_
(・大老(臨時1人)(太政大臣のようなもの))
・老中(もと年寄)(常時3~5人)(左大臣など)
・寺社奉行★
・京都所司代(朝廷の監視)
・若年寄(わかどしより)(老中補佐)
↑↑ここまで譜代大名から任命
(譜代大名:徳川家に古くから仕えていた大名)

ーーーーーーー
[老中]
_
・大目付(おおめつけ)(大名の監視)
・勘定奉行★
ー 郡代(ぐんだい)・・10万石以上の天領の役人
ー 代官(だいかん)・・10万石以下の天領の役人(直接、税金を取る人)(中世の「地頭」「荘官」)
・町奉行(江戸)★
※ただ「町奉行」というと「江戸の町奉行」のことを指す。他は地名が前に付く。「大坂町奉行」など。

(遠国奉行・おんごくぶぎょう)
・町奉行(大阪・京都・駿府)
・奉行(長崎・佐渡・日光・山田(伊勢))
・城代(二条城・伏見城・駿府城)

[若年寄]
_
・目付(直参の監視)
↑↑ここまで旗本から任命

★三奉行(さんぶぎょう):寺社奉行、勘定奉行、町奉行(江戸)。3つのうち最高格は「寺社奉行」。将軍直属。

・1635年 要職は月番制(つきばんせい)1ヶ月交代。権力集中を防ぐ。

<幕府の軍事基盤(武士の種類)>
・「大名(1万石以上)」と「直参(将軍直属)(1万石以下)」に分かれる。

☆大名
・大名(約300人ほど)・・「藩」を作る。(300藩)。藩の中は自由、自己責任。税金など。

・大名は以下の3つに分かれる。
[1]親藩(しんぱん)・・徳川一門。家康の親戚。
(御三家:尾張(義直)、紀伊(頼宣)、水戸(頼房))
2代秀忠の弟たち

[2]譜代(ふだい)・・関ヶ原より前からの家臣

[3]外様(とざま)・・関ヶ原以後の家臣

☆直参(直属部下)藩は作れない

・旗本(はたもと):御目見得(おめみえ)以上→将軍への謁見ができる)
土地をもらったり、米をもらう

・御家人(ごけにん):御目見得以下(将軍へ謁見できない)
土地はもらえず、米をもらう

<幕府の財政機構>
全国の土地から米で収入が入る。
・幕領・天領(幕府の直轄地)・・400万石
・旗本知行地(幕府直属の部下)・・ 300万石
・大名領・・2000万石
・他・・50万石(天皇の禁裏御料、寺社の土地)

・幕府分は700万石(全国の4分の1)→収入が多く、大名の反乱を押さえられる。「安定した政権」につながる。
・大名分は2000万石(4分の3)。大名1人平均6万石。

<朱印船貿易>
朱印船貿易(1601~1635年)
日本人が外国に行って貿易する。
朱印状(渡航許可証)を使用
東南アジアでの、中国との出会貿易が中心(秀吉の時代から)

・背景:明の海禁政策
(日本との直接貿易禁止。日本が中国にも行けないし、中国から日本に来ることもできない)

・貿易地:ルソン(フィリピン)、インドシナ半島→アンナン(ベトナム)、カンボジア、シャム(タイ)

・輸入品:生糸(白糸・しらいと)
・輸出品:銀

<貿易家と日本町>
☆朱印船貿易家
・角倉了以(すみのくらりょうい):京都。大堰川(保津川)や高瀬川の治水事業も。
・茶屋四郎次郎:京都。糸割符仲間。
・末吉(すえよし)孫左衛門:大坂平野(ひらの)
・末次平蔵(すえつぐへいぞう):長崎

☆日本町(にほんまち)の形成
・山田長政(ながまさ):アユタヤ(シャムの首都)の日本人町の長。シャムの王に気に入られて、のちリゴールの太守になる。

<徳川家光③>
1623年 秀忠、将軍職を子の徳川家光に譲り、大御所となる。(→1632年死去)

1623年 イギリス、貿易競争に敗れ、自ら撤退。

1624年 イスパニア船、来航禁止。

1627年 紫衣事件(しえじけん)
後水尾(ごみずのお)天皇が幕府の許可なく与えた紫衣勅許を、幕府(秀忠)が無効とした。抗議した沢庵は流罪。(山形へ)
→後水尾天皇は怒って明正天皇(娘)に譲位。(幕府に政治は任せたが、宗教まで口を出されるいわれはない。)女帝は8人。7番目。

1629年 絵踏開始。
踏絵を使って隠れキリシタンを捜す。

1631年 奉書船(ほうしょせん)制度:海外渡航船に老中奉書の所持を義務づける。(朱印状+奉書)

1633年 鎖国令①
奉書船以外の海外渡航の禁止

1635年 鎖国令③
日本人の海外渡航、及び帰国の全面禁止(奉書船もダメ)

1637年 島原の乱
島原(長崎)・天草(熊本)での圧政(税金取り過ぎ)に対し、天草四郎時貞ら4万の農民が原城(はらじょう)跡に立てこもる。
→翌年、老中・松平信綱が鎮圧。

1639年 鎖国令⑤
ポルトガル船の来航禁止

1641年 オランダ商館を長崎の出島に移す
→【鎖国の完成】
ただし江戸時代もオランダとは貿易を続けていた。

 

日本史【25】江戸時代(近世ー3)

260707
日本史【25】江戸時代(近世ー3)

<江戸幕府の成立前>
「1600年」は16世紀最後の年。1601年から17C。
・1600年 リーフデ号(蘭の船)、豊後臼杵(ぶんごうすき)に漂着
→乗組員が家康に仕え、外交顧問となる。
・ウィリアム=アダムズ(英)(三浦按針・みうらあんじん)(三浦半島に屋敷をもらったため)
・ヤン=ヨーステン(蘭)(耶揚子・やようす)

紅毛人(こうもうじん)・・イギリス・オランダ。キリスト教の布教ではなく貿易優先。
(南蛮人・・イスパニア・ポルトガル。)
→肥前平戸の商館で貿易開始(蘭1609・英1613~)

・1600年 関ヶ原の戦い(美濃/岐阜)
西軍・石田三成✕ VS 〇東軍・徳川家康
秀頼

<徳川家康①>
・1603年 徳川家康 征夷大将軍となる。(後陽成天皇から任命。)
・1604年 「糸割符制度(いとわっぷせいど)」
中国のマカオから、中国産の生糸(白糸)を日本に持ち込み、暴利をあげていたポルトガル人対策。(需要が多く、オークションのように価格が上がっていった。)

消費財の購入に、日本の銀が流出するのは良くない→糸割符仲間に価格を決めて一括購入させる。

糸割符仲間(五箇所商人)5つの町
割符→生糸を買っていいよという札
長崎・堺・京都 + 大坂・江戸

・1605年 将軍職を秀忠に譲り、駿府(静岡市)に引退。大御所(引退した将軍)となる。
→「徳川の世襲(せしゅう)」を世に知らしめたかった。

<徳川秀忠②> 親子2人の政治
・1607年 朝鮮から「通信使」が来日。捕虜を返還。

・1609年 「己酉約条(きゆうやくじょう)」(慶長条約)
「朝鮮」と「対馬の宗氏」の通商条約。(仲直り条約)

・1609年 島津家久、琉球を武力で征服。
→以後、琉球から使節が来日。
「慶賀使(けいがし)」・・徳川将軍の交代ごと。「おめでとうございます」の意。
「謝恩使(しゃおんし)」・・琉球の国王の交代ごと

・1613年 慶長遣欧使節
仙台藩主・伊達政宗が、藩士・支倉常長(はせくらつねなが)をイスパニア(スペイン)へ派遣した。直接貿易を要請→失敗

ーーーーーー
・1612年 天領(幕府の直接支配地)に禁教令→翌年、全国に禁教令。
・1614年 キリシタン大名・高山右近らを国外追放。

(大名統制)
・1615年 大坂夏の陣
豊臣秀頼(秀吉の子)、自刃。豊臣氏滅亡。
元和偃武(げんなえんぶ)の宣言:戦争終結、平和宣言。

・1615年 一国一城令:本城以外の城の破却を命令。

・1615年 「武家諸法度・元和令(げんなれい)」
(「御成敗式目」(1232年・北条泰時)を元にしている。)
(金地院 崇伝(こんちいん すうでん)の起草)
①大名間の同盟・私婚の禁止
②城の無断修築・新築の禁止

☆大名への罰
・改易(かいえき)・・領地取り上げ。取り潰し(一番厳しい)
・転封(てんぽう)・・別の場所へ移転させられる。
・減封(げんぽう)・・領地を削減される。

(朝廷統制)
①1615年 「禁中並公家諸法度」(17条・金地院崇伝の起草)

②朝廷の直轄地:「禁裏御料(きんりごりょう)」→あえて少なくしている。多くすると軍事力につながるため。1万石。(幕府は400万石。)

(寺院統制)
①1601~16年 「寺院法度(じいんはっと)」
各宗派ごとに発布。「諸宗諸本山法度」ともいう。(崇伝)

1616年 家康、没
1619年 福島正則、改易:広島城の無断修築のため。
1622年 元和の大殉教:55名の宣教師、信者が長崎で殉教。

 

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(26)「信長を笑わせろ!」(2026/7/5放送)

260707
『豊臣兄弟!』(26)「信長を笑わせろ!」(2026/7/5放送)

【あらすじ】信長(小栗 旬)は、長宗我部元親(磯部寛之)との約束を翻し、労せずして阿波と讃岐を手中に収める。元親は激怒し、間を取り持った光秀(要 潤)は苦しい立場に陥る。そんな中、信長は甥(おい)の信澄(緒形 敦)が長宗我部と内通して謀反を企てていると疑い、蟄居(ちっきょ)を命じる。光秀から事の顛末(てんまつ)を聞き、信長の苦しみを察した小一郎(仲野太賀)と秀吉(池松壮亮)。羽柴家一同である計画を立て、信長と市(宮﨑あおい)を長浜城に招く。(ーNHK公式サイトより)


・天正9年(1581年)
近江・安土・桑実寺(くわのみでら)(藤原鎌足の子、定恵(じょうえ)が創建)
信長は阿波の三好一族の願いを受け入れ、長宗我部の四国統一を翻す。
三好康長。

四国担当は明智光秀から→織田信孝(信長三男)に変えられる。
今井宗久に鉄砲を依頼。
※三宗匠(さんそうしょう)・・今井宗久(そうきゅう)、津田宗及(そうぎゅう)、千利休

一行は賊に襲われ、織田信澄(のぶずみ)(信長の弟・信勝の子)が信長を守りケガをする。

・秀吉、鳥取攻め終了。次は備中。秀吉は茶会、茶の湯を希望する。秀吉と光秀には茶会を許されている。

・信澄が長宗我部と通じていたと、信長は謀反を疑う。信澄は談判していただけと弁明。

・羽柴秀勝
秀吉の養子。信長の五男。

ーーーーーーーーーーーーー

「豊臣兄弟!紀行」(26)

・末森城跡(愛知県・名古屋市)
織田信勝(信長の弟)の子、信澄(のぶずみ)は、柴田勝家の元で養育された。興福寺の僧侶の日記『多門院日記抄』には「一段の逸物(いちぶつ)なり(並外れた器量の持ち主)」と記されている。琵琶湖を囲むように建てられた4つの城の一つ、大溝城(おおみぞじょう)の城主となる。

____________
_______/___/ 長浜城(秀吉)
_ 大溝城▲ /___/
_(信澄) /___/
___ _/____/ ▲安土城(信長)
坂本城▲ /___/
(明智)

 

日本史【24】豊臣秀吉(近世ー2)

260704
日本史【24】豊臣秀吉(近世ー2)

<豊臣秀吉・全国への進出>
1582年 「山崎(やまさき)の戦い」:本能寺の変後、毛利氏と講和し京都へ戻り、明智光秀を破る(山城)。自分が後継者だと表明。

1583年 「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」:近江で柴田勝家を破る。

1583年 大坂城築城:石山本願寺の跡地。
(※大「阪」になるのは明治。)

1584年 「小牧・長久手の戦い」:徳川家康・織田信雄(信長の次男)連合軍と講和(尾張)。

<朝廷権威の利用・西の平定>
1585年 関白就任(→日本全国に命令できる。)
惣無事令(戦争禁止令)を発布。
(戦国時代の「喧嘩両成敗」を継いだ。)

1585年 【四国平定】:長宗我部元親を破る。

1586年 太政大臣就任:豊臣の姓をもらう。
羽柴→豊臣

1587年 【九州平定】:島津義久を破る。

<人民統制・東の平定>
1587年 「バテレン追放令」:宣教師の国外退去令(20日以内)

1588年 「刀狩令」:農民の武器所有を禁止。
一揆の防止と、兵農分離が目的。

1590年 【小田原平定】(相模):北条氏政・氏直親子を破る。

1590年 【東北平定】:伊達政宗(独眼竜)が小田原攻めの際に帰属し、全国平定。

1591年 「人掃令」(ひとばらいれい)(身分統制令):武士の農民への転換などを禁止。目的は「兵農分離」。→江戸の「士農工商」につながる。

1592年 「文禄の役」(朝鮮出兵①)
(朝鮮の暦から壬辰倭乱(じんしんわらん)と呼ぶことも。)

加藤清正、小西行長らを朝鮮に派遣。
秀吉は名護屋(肥前/佐賀)で指揮。

李舜臣(亀甲船)や義兵(一般民兵)などの強い抵抗で苦戦。

1596年 「サン・フェリペ号事件」:スペインの船が土佐に漂着。乗務員が「領土拡張に宣教師を利用している」と証言。↓↓
1596年 「二十六聖人殉教(にじゅうろくせいじん・じゅんきょう)事件」:フランシスコ会などの宣教師・信者26人を長崎で処刑。
(殉教:宗教で命を落とすこと)

1597年 「慶長の役」(朝鮮出兵②)
(丁酉倭乱(ていゆうわらん)ともいう)

1598年 秀吉の死去により撤退。

<太閤検地>
天正の石直し(こくなおし)
「山崎の戦い」以降、直接役人を派遣し、全国を検地して石高を決定した。
(太閤:前関白。関白を譲って辞めた人。)

☆単位の統一
・長さ:六尺三寸(=1間(けん)=191cm)四方を、一歩(いっぷ)とする。

・面積:町(ちょう)・段(たん)・畝(せ)・歩(ぷ)
(1町=10段=100畝=3000歩)(1段=300歩)

・はかり(容積):「京枡」を採用。米を数える。

→公正に税金を取る。

☆「石高制(こくだかせい)」を採用
(前は貴高制(かんだかせい))

・石高は「米の量」
石高=面積 × 石盛(こくもり)(1段あたりの標準収穫高)
1石(こく)=10斗=180リットル

「貴」(お金の単位)から「石高」(容積・体積)に代わった。

石高に応じた年貢を課す。
上田(じょうでん)、中田(ちゅうでん)、下田(げでん)、下々田(げげでん)

年貢率は「二公一民」(税率66%)が原則
→各地で一揆誘発。

☆「一地一作人(いっちいっさくにん)」の原則
直接、耕作民を「検地帳」に登録し、その作人から年貢を徴収。
「中間搾取層(作合)」(荘官、領家、本家など)の否定。
→「荘園制(私有地)」の崩壊
すべての土地は秀吉(次は江戸幕府)のもの。

<秀吉の諸政策>
☆直轄地=「蔵入地(くらいりち)」(200万石)
(cf. 江戸幕府「天領」「幕領」
室町幕府「御料所」)

☆重要鉱山の直轄化
・佐渡・相川金山
・石見(いわみ)・大森銀山(島根)(元は毛利氏のもの)
・但馬・生野銀山
軍隊を編成する、武器を買うなど。

☆貨幣鋳造
天正大判(金貨)(恩賞用・by 後藤徳乗)

<五奉行と五大老>
☆五奉行(秀吉の部下)
・浅野長政
・石田三成
・前田玄以
・増田(ました)長盛
・長束(なつか)正家

☆五大老(有力大名)
・徳川家康(関東)
・前田利家(加賀)
・宇喜多秀家(中国)
・毛利輝元(中国)(元就の孫)
・(小早川隆景(北九州))
・上杉景勝(北陸)

 

日本史【23】大航海時代・織田信長(近世ー1)

260702
日本史【23】大航海時代(近世ー1)

<大航海時代>
ポルトガル、イスパニア(スペイン)などが世界各地を探検、航海。

(拠点)
①ポルトガル→ゴア(インド)、マカオ(中国)
②イスパニア(エスパーニャ)(スペイン語読み)スペイン
→マニラ(フィリピン)

<鉄砲伝来>
1543年 種子島(大隅)にポルトガル人が漂着(中国船・倭寇の船)

・島主・種子島時尭(たねがしま ときたか)は鉄砲(火縄銃)2丁を購入。1丁は種子島に、もう1丁は本州へ。

・鉄砲鍛冶・・堺(和泉)、国友(くにとも)(近江)、根来(ねごろ)(紀伊)

・ポルトガルと貿易開始(南蛮貿易)

<キリスト教伝来>
宣教師(バテレン)パードレ

(1)フランシスコ=ザビエル(スペイン)
1549年 鹿児島(薩摩・島津貴久)に来日、布教→京都で天皇や将軍には会えず、布教は許可されず。山口(周防・大内義隆)・府内(豊後・大友義鎮/宗麟)で布教後、2年あまりで帰る。(イエズス会の中心メンバー。)

(2)ガスパル=ビレラ(ポルトガル)
帰国後「耶蘇会士(やそかいし)日本通信」を著し、堺の状況などを報告。耶蘇会はイエズス会のこと。カトリックの派の一つ。

(3)ルイス=フロイス(ポルトガル)
・信長、秀吉と親交あり。
・『日本史』執筆。

(4)アレクサンドロ=ヴァリニャーニ(イタリア)
学校の設立
・セミナリオ・・神学校。安土、有馬などに。
・コレジオ・・教育者(宣教師)養成。

・「活字印刷機」を伝える→キリシタン版(天草版)出版。

・「天正遣欧使節」を勧める(途中まで同行)。

<遣欧使節>
・天正遣欧使節(1582年~1590年)
4人の少年がヨーロッパに使節として派遣された。
正使:伊東マンショ、千々石(ちぢわ)ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ
→ローマでローマ教皇(グレゴリオ13世)に謁見。
(→1590年帰国。バテレン追放令でキリスト教は迫害されていた。)

ヴァリニャーニ

送った3人のキリシタン大名
・大友義鎮(よししげ)(宗麟)・・豊後
・大村純忠・・肥前
・有馬晴信・・肥前

<織田信長>
統一事業 全国への進出

1560年 桶狭間の戦い
京都に行く途中の今川義元を破る(尾張)

1567年 美濃攻め:稲葉山城の斎藤竜興(道三の孫)を破る。→岐阜城と改名。本拠地を置く。
1567年以降「天下布武」の印章を使う。

1568年 入京:15代将軍・足利義昭を擁立(信長は将軍を政治的に利用しようと思った。)→のちに対立。信長包囲網。

1570年 姉川の戦い:浅井(あざい)長政・朝倉義景・連合軍を破る(近江)

1571年 延暦寺焼討ち:浅井・朝倉に加担した比叡山を焼き払う。

1573年 室町幕府滅亡:足利義昭を追放。

1575年 長篠の戦い(三河):信長・家康連合軍が武田勝頼を破る。(足軽鉄砲隊の活躍)(三段討ちは有名だが実証はされていない)

1576年 安土城築城:5層7重の天守閣。
「本能寺の変」後に焼失(近江)。
翌年、安土城下に楽市令発布。

1580年 石山合戦終了:石山本願寺(一向宗)と11年間の合戦の末、顕如と講和。(顕如が出ていく)

1582年 天目山(てんもくざん)の戦い:武田勝頼、自刃。

1582年 本能寺の変(京都):家臣の明智光秀が謀反。信長自刃。

<土地政策>
①指出検地(さしだしけんち):自己申告制

<宗教政策>
①キリスト教→保護
ルイス=フロイス(ポル)との親交

②仏教→弾圧
延暦寺焼き討ち、一向一揆平定。
抵抗勢力を弾圧した。

<商業政策>
①楽市令:座の特権廃止。加納(美濃)・安土(近江)→商売が盛んに。
(楽市令は六角氏が初。)

②関所撤廃
→関銭の撤廃。

③撰銭令(えりぜにれい):悪銭の交換比率を設定。

④鉱山の直轄化:生野銀山(いくのぎんざん)。
武田信玄も金山を持っていた。

⑤重要都市の直轄化:堺
商人、鉄砲鍛冶。

 

日本史【22】戦国時代・都市(中世ー11)

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日本史【22】戦国時代・都市(中世ー11)

<都市(港町)>
・港町
①十三湊(とさみなと)(陸奥)
対蝦夷(えぞ)貿易の拠点
②兵庫(摂津)
もと大輪田泊
③草戸千軒町(くさどせんげんちょう)(備後/広島)
1673年 洪水で水没

・自由都市
④堺(和泉)
36人の会合衆によって運営
⑤博多(筑前)
12人の年行司によって運営

<都市(城下町)>
・城下町
①小田原:北条氏
②府中:今川氏
③一乗谷:朝倉氏
④山口:大内氏→陶氏→毛利氏
⑤豊後府内(豊後):大友氏
⑥鹿児島(薩摩):島津氏

・寺内町(じないまち/ちょう)
寺を中核に発展。一向宗が多い。お寺の中に町があり一体化。
①吉崎(越前)・・蓮如
②石山(摂津)
③富田林(河内)
④山科(山城)

・門前町(もんぜんまち/ちょう)
寺や神社の門前に発展。
①長野(信濃・善光寺)
②坂本(近江・延暦寺)・・正長の土一揆、坂本の馬借。
③宇治・山田(伊勢神宮/三重)
(※京都の宇治ではない)

<戦国大名の諸政策>
①寄親・寄子(よりおや・よりこ)の制
国人や地侍を家臣とし、武将を親、家臣を子とする擬制的親子関係。

②指出検地(さしだしけんち)
土地を調査して提出させる(自己申告制)。

③貫高制 (かんだかせい)
土地からの「年貢収入」を銭(単位:1貫=3.75kg)で表す。軍役も課す。貫は重さの単位で、銭の単位にもなっていく。
(⇒後に秀吉の「太閤検地」と「石高(こくだか)制」に変わっていく。)

④分国法
領国(分国・ぶんこく)支配のために制定。家法(かほう)、壁書(かべがき)ともいう。

⑤下剋上
下の者が上の者に実力で打ち勝ち、地位を奪う。

<戦国大名>
☆東北
・陸奥・・伊達稙宗(だてたねむね)
『塵芥集(じんかいしゅう)』

☆関東
・伊豆/相模・・北条早雲(後北条氏・ごほうじょうし)
幕府の役人だった早雲は、伊豆で堀越公方(足利政知・6代義教の子)を滅ぼし、伊豆・相模を平定。
(城下町:小田原)
『早雲寺殿 二十一箇条(そううんじどの にじゅういっかじょう)』

☆中部
・越後・・上杉謙信
長尾景虎が関東管領・山内上杉氏を継ぐ

・甲斐/信濃・・武田信玄
『甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい)』(信玄家法)
信玄堤(水害対策)

・駿河/遠江・・今川義元
『今川仮名目録(いまがわ かなもくろく)』
(城下町:府中)

・越前・・朝倉孝景『朝倉敏景 十七箇条』
(城下町:一乗谷)

・尾張・・織田信秀(信長の父)

☆近畿
・近江・・浅井(あざい)長政

☆中国
・周防・・大内義隆(よしたか)→「寧波の乱」(1523年)で細川氏に勝ち、日明貿易で栄えた大内氏。「応永の乱」(1399年)で義満に討たれたのは大内義弘(よしひろ)。
(城下町:山口)
1551年 陶晴賢(すえはるたか)が大内氏を滅ぼす。
1555年 毛利元就が陶氏を滅ぼす。 中国統一。
→後に長州藩(長門)となっても幕末まで毛利氏は出てくる。

☆四国
・讃岐・・三好長慶
1549年 将軍、管領を追放し、京都を制圧。
1563年 松永久秀に実権を奪われる。

・土佐・・長宗我部元親
『長宗我部元親 百箇条』

☆九州
・豊後(大分)・・大友義鎮(よししげ)宗麟。
ザビエルが来る。キリシタン大名。
(城下町:府内)

・薩摩・・島津貴久(たかひさ)
(城下町:鹿児島)
ザビエルが来る。

コミック『だんドーン』4巻

260702
コミック『だんドーン』4巻 

・「桜田門外の変」
安政7年(1860年)3月3日
大老井伊直弼が水戸・薩摩の脱藩浪士に襲撃され首を刎ねられた事件。

井伊の住む彦根藩邸から江戸城桜田門まではすぐ。

水戸の浪士17名、薩摩・有村次左衛門の、計18名。
襲撃班リーダー 関鉄之介

肥後の細川邸にも協力してもらう。
宮部鼎蔵(みやべていぞう)は吉田松蔭と仲が良かった。

天津日(あまつひ)お日様

長男 有村俊斎
次男 有村雄助
次男は
金子孫二郎。水戸藩。事件の責任者。
薩摩藩は金子を幕府に差し出す。
水戸と薩摩で挙兵予定が、ならず。

月岡芳年(つきおかよしとし)武者絵
薩摩は世論を襲撃側に味方するよう動かす。

次男有村雄助は薩摩藩の沙汰により切腹。

山くぐり衆(薩摩の忍び)は半忍半士。

吉野山 中村半次郎
田中新兵衛 密貿易船の船頭
幕府の間者の船を沈めた
褒美で武士の身分をもらう

太郎少年は中村太郎という2人の従者がモデル

井伊直弼亡き後、幕府を任されたのは老中安藤信正。

彦根藩と水戸藩が戦うとまずい。井伊直弼は跡継ぎ指名して亡くなったということにした。(藩、取り潰しを回避)

自由貿易で品薄、物価上がる

「五品江戸廻送令」
糸、雑穀、水油、呉服、蝋は、江戸の問屋を経由すること。

為替レートが日本に不利。日本の金が海外に流れる。

幕府はもう不要…の流れに。

「尊王攘夷」が激化。

革命家
庄内藩、清河八郎
長州藩、久坂玄瑞

伊牟田尚平が庄内藩に潜入。過激派の情報を得る。

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(25)「変事の予兆」(2026/6/28放送)

260630
『豊臣兄弟!』(25)「変事の予兆」(2026/6/28放送)メモ

【あらすじ】信長(小栗 旬)の新たな城・安土城が完成。祝宴の場で信長は、家臣たちに相撲を取るよう提案し、若き近習・森乱(市川團子)の相手に、なぜか林秀貞(諏訪太朗)や佐久間信盛(菅原大吉)、安藤守就(田中哲司)ら長老格の重臣を指名する。余興と思いきや、あえなく敗北した3人に、信長は問答無用で追放を言い渡す。小一郎と秀吉(池松壮亮)がその理不尽な行動の理由を探ると、光秀(要 潤)が信長の真意を語りだす。(ーNHK公式サイトより)


・北近江・長浜城にて
羽柴家。
龍野城は西播磨の守りの要。普請をする。
蜂須賀正勝が城主に。

・天正8年
安土城完成。
・織田信忠(信長嫡男)
・織田信雄(のぶかつ/のぶお)(信長次男)
・織田信孝(信長三男)
・織田信澄(のぶずみ)(信長の弟・信勝の子)

「お初に御意を得まする」
土佐国主・長宗我部元親
四国を切り取り中。四国統一を目指す。

・前田利家
・滝川一益
・池田恒興

・森乱(信長の近習・森可成の子)

信長に指名され追放される
・林 佐渡守 秀貞
・筆頭家臣・佐久間信盛
・安藤 伊賀守 守就

・安藤家の所領は稲葉良通(一徹)のものになった。嫡男の安藤定治は武田と通じていた。

・佐久間信盛は高野山へと入った。林秀貞は山城国へ身を潜めたが、2ヶ月後に亡くなる。

・天正9年2月
信長は京都で馬揃えを行なう。

・信長は長宗我部の四国統一を認められないと意見を翻す。説き伏せるよう明智に命令。

・将軍義昭から信長を討てと手紙が来る。

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「豊臣兄弟!紀行」(25)

・安土城跡(滋賀県・近江八幡市)
信長が天下一統の礎として築いた安土城は、完成からわずか3年で焼失した幻の城。

三重塔。城跡は信長の菩提寺・摠見寺(そうけんじ)により守られてきた。

令和の大調査で本丸取付台(本丸と天守をつなぐ新たな建物跡)が発見された。意図的に石垣を破壊した破城の痕跡が生々しく残されている。秀吉によるものだとされている。
(JR「安土」下車 徒歩25分)

 

日本史【21】室町時代の社会経済(中世ー10)

260627
日本史【21】室町時代の社会経済(中世ー10)

<惣(そう)>
・惣(惣村)・・村の地縁的(土地のつながり・地元の人)自治結合(自然村落)
「荘園公領制」の内部にこういう「惣村」ができてきた。
・惣のリーダー・・乙名(おとな)・沙汰人(さたにん)

☆惣の組織
・寄合(会議)
・惣掟(そうおきて)・・村掟、地下掟(じげおきて)、法律
・自検断(地下検断・じげけんだん)・・警察
・入会地(いりあいち)・・共同利用地
・百姓請(地下請・じげうけ)・・年貢徴収請負
・宮座・・神社に集まる

☆惣百姓による領主への抵抗
・強訴(集団で訴える)
・逃散(集団で逃げる)
・一揆(集団武装蜂起)・・元々は「一致団結する」の意味。

<農業の発達>
・二毛作→全国的に
(鎌倉時代は二毛作は畿内中心)
・三毛作(米・麦・そば)→畿内中心
・品種改良
早稲(わせ)(大唐米)、中稲(なかて)、晩稲(おくて)
・肥料:刈敷、草木灰、下肥(しもごえ)

<貨幣の流通>
・経済の発達
明との勘合貿易による「明銭」の大量輸入。
永楽通宝、洪武通宝。
(cf 鎌倉は宋銭)
→代銭納(だいせんのう)の一般化。年貢の代わりにお金で納める。

・貨幣不足
→私鋳銭(しちゅうせん)の増加。偽金。びた銭。
→撰銭(えりぜに)の増加。
店側が悪銭を拒否して、良銭を要求→社会混乱。
→「撰銭令(えりぜにれい)」発布
撰銭を禁止。私鋳銭の交換基準を定める。
(後に信長も撰銭令を出す。)

<商工業の発達>
・酒屋・土倉(倉庫業)・寺院・・高利貸し
・六斎市・・定期市

・馬借(ばしゃく)・車借(しゃしゃく)・・陸上運送
・廻船(かいせん)・・海上運送
・問屋(といや/とんや)・・卸売商人
※鎌倉の運送業者「問丸(といまる)」が、卸売り(取り次ぎ)を専門にするようになった。

☆職人
・鍛冶(かじ)・・武器
・鋳物師(いもじ)・・釜・鍋
・番匠(ばんしょう)・・大工

☆行商人(売り歩き)
・振売(ふりうり)・・呼び売り
・大原女(おはらめ)・・炭や薪
・桂女(かつらめ)・・鮎
・連雀商人(れんじゃくしょうにん)・・連雀(背中の荷物)

☆「座」の発達(平安後期から出現)
専売同業者組合。特権。
荘園公領制がまだある。荘園で一番えらい人。
本所(荘園領主)による保護を受け、独占的利益をあげる。
(座)大山崎油屋←(本所)石清水八幡宮

<自由都市>室町後半
・自由都市(自治都市)
大名、幕府などの支配を受けず、商人などが自治を行う。
・堺・・36人の会合衆(えごうしゅう)
・博多・・12人の年行司(ねんぎょうじ)
・京都・・町衆(まちしゅう)