歴史note – 歴史の学びメモ

日本史【31】三大改革2(近世ー9)

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日本史【31】三大改革2(近世ー9)

<徳川家斉⑪>1787年~1837年
大御所時代。(家斉の時代は化政時代で、文化が華やぐ時代ではあったが、まともな政治改革はなく、反乱が起こる。)

・1798年 近藤重蔵、千島列島を探検。(択捉島まで行った)

・1804年 レザノフ来航
ロシア使節、長崎に来航。通商を要求。
→拒否
→レザノフ、キレる。(大砲撃って樺太で人襲う。)
↓↓ 幕府ビビる。
・1806年 【文化の薪水給与令】 (ぶんかのしんすいきゅうよれい(【】は幕府の政策)
「文化の撫恤(ぶじゅつ)令」ともいう。

・1808年 間宮林蔵 樺太探検

外国に優しくしようとしたら、2つの事件が起こる。
↓↓
・1808年 フェートン号事件(英)
英船フェートン号がオランダ船を追って、長崎湾内に侵入。長崎が荒らされた。長崎奉行が切腹。

・1811年 ゴローニン事件(露)
日本人がロシア人ゴローニンを国後で捕らえる。
→翌年、報復に国後で捕らえられた高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)と交換で帰国。

↓↓ 厳しい方針に転換

・1825年 【異国船打払令】
外国船撃退命令。「無二念 打払令(むにねん うちはらいれい)」ともいう。「外国の船は迷わず撃て!」
(覚え方:いっぱつゴン1825と打ち払え)

・1832年 天保の大飢饉:東北→全国へ
(cf. 天明の大飢饉1782年~87年)

・1837年 大塩平八郎の乱
陽明学者・大坂町奉行所・元与力(警察官)が大坂で反乱。
「幕府の役人」の反乱は衝撃。幕府の権威が落ちてきた証拠・・。

<徳川家慶(いえよし)⑫>1837年~1853年
・1837年 モリソン号事件(米)
米商船モリソン号を浦賀(相模)と山川(薩摩)で打ち払う。

・1839年 蛮社の獄(ばんしゃのごく)
モリソン号事件を批判した渡辺崋山(『慎機論』)、高野長英(『戊戌夢物語』)を弾圧。

・1840年 アヘン戦争
清がイギリスに敗北。南京条約締結。

<天保の改革>
★老中・水野忠邦「天保の改革」1841年~1843年(2年)

・1841年 株仲間解散令(特権をなくす)
物価の引き下げをはかる。
→効果出ず。業者の反対もあり、元に戻る。

・1842年 【天保の薪水(しんすい)給与令】
モリソン号事件、アヘン戦争の結果などを見て、日本も外国への態度を再度緩める。
1806【文化の薪水給与令】(優)→1825【異国船打払令】(厳)→1842【天保の薪水給与令】(優)

・1843年 「人返し令(ひとがえしれい)」 無宿人対策③
(①人足寄場②旧里帰農令)
都市に流入した農民の「強制」帰村。

・1843年 「上知例(あげちれい)」
江戸・大坂周辺の土地を、幕府が直轄化する計画。
→替地を命じられた有力な譜代大名らが反対。(元・浜松藩主程度の水野ごときに言われる筋合いはない!)→幕府の権威が落ちている。(ペリー来航10年前)

→失敗し、水野忠邦は失脚。

<諸藩の改革(薩摩・長州)>

・諸藩の改革【天保~幕末期】
→「雄藩(ゆうはん)」として、力(経済力)を持ち始める。

薩摩・長州・土佐・肥前

★薩摩藩
薩摩・大隅の2国(鹿児島)(正式には鹿児島藩)
・家老(幕府でいう老中)調所広郷(ずしょひろさと)(元下級武士)・・奄美の砂糖の専売制。
・大名・島津斉彬(なりあきら)・・反射炉(大砲工場)を築造
西郷隆盛、大久保利通

★長州藩
長門・周防の2国(山口)
・藩士・村田清風(せいふう)
「越荷方(こしにかた)」の役所を設置(委託販売)
→借金返済するなど経済力が付いた。→倒幕へ
高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)

<諸藩の改革(肥前・土佐)>

★肥前藩(佐賀藩ともいう)
肥前の1国(長崎・佐賀)
大名・鍋島直正(なべしまなおまさ)・・反射炉を築造。(幕府・薩摩より先)

★土佐藩
土佐の1国(高知)
大名・山内豊信(やまのうちとよしげ)(容堂)ようどう
坂本龍馬→脱藩

 

日本史【30】三大改革1(近世ー8)

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日本史【30】三大改革1(近世ー8)
①享保の改革→田沼時代
②寛政の改革→大御所時代
③天保の改革

<徳川吉宗⑧>1716年~1745年
紀伊藩主→将軍へ
★「享保の改革」
・1719年 「相対済し令(あいたいすましれい)」
武士の借金が増えていた。幕府は金銭貸借関係の訴訟(金公事・かねくじ)を受け付けない。裁判の迅速化が目的。

・1720年 「町火消し(まちびけし)」設置
いろは47組(それまでは幕府の定火消(じょうびけし)のみ)。町人たちの消防隊。

・1721年 「目安箱」設置
庶民の意見を直接将軍が聞き入れる。記名式。
→「小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)」(薬・病院)設置

・1722年(~1730年)「上米(あげまい)の制」
大名1万石につき100石(1%)の米を幕府へ出させる。
代わりに大名の参勤交代の在江戸期間を半年に軽減。
→財政回復した。

・1723年 「足高(たしだか)の制」
人材登用に際し、「在職期間のみ」石高の不足分を「加増」する。→辞職後戻す。
支出抑制と、家各(かかく)にこだわらない人材登用が可能になる。

・1730年 「株仲間」公認
「専売同業者組合」を「幕府が公認」した。
(株仲間自体は前からあった。)
→その代わり運上・冥加などの税金徴収。

・1742年 「公事方御定書(くじがたおさだめがき)」 制定
裁判の基本となる刑罰法。(罪と罰)
下巻を「御定書百箇条」といい、以後の裁判の基準となる。

<徳川家治⑩>1767年~1786年
★「田沼時代」
側用人→老中:田沼意次
・1767年 田沼意次、側用人に就任
・1772年 田沼意次、老中に就任

(商業政策)農民から商人へシフト
・幕府の専売制度(独占販売)の拡張
ex. 銅座・朝鮮人参座
(今までは金座、銀座、鉄座などが幕府専売)

・株仲間奨励(享保時は「公認」→「積極的公認」へ)

・「南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)」
(秤量貨幣→計数銀貨へ)発行(1772年)
大黒常是(だいこくじょうぜ)・銀座
1両=16朱
南鐐二朱銀が8つで小判1両と交換できる。

(貿易拡大)
・長崎貿易の制限(「海舶互市新例」新井白石)を緩和

・銀の代わりに銅・俵物(中国向け海産物)で支払う。
(いりこ・ふかひれ・ほしあわび)

・1782年~ 印旛沼(いんばぬま)・手賀沼(てがぬま)(下総)の開拓→失敗(洪水などが起きた)

・1782年~87年 天明の大飢饉

・1783年 浅間山(あさまやま)噴火
(上野(群馬)と信濃(長野)の境)

・1784年 田沼意知(意次の子)暗殺
(賄賂政治に対する不満)→田沼意次も失脚

・1787年 天明の打ちこわし

(蝦夷地開発)
・1783年 工藤平助(仙台藩医)が『赤蝦夷風説考』(北海道はロシアのものになってしまう)を献上
→蝦夷地開発を計画
↓↓
・1785年 最上徳内(もがみとくない)(出羽)が蝦夷地探検

<徳川家斉⑪>1787年~1837年(いえなり・遊び人)
松平定信「寛政の改革」1787年~1793年(6年)

・1787年 陸奥・白河藩主・松平定信が老中就任

・1789年 「棄捐令(きえんれい)」
旗本・御家人の札差からの借金を帳消し。

1789年 「囲米(かこいまい)」の制
大名1万石につき50石の米を蓄えさせる。(0.5%)
義倉(ぎそう)倉庫:富裕者
社倉(しゃそう):一般

・1790年 「人足寄場(にんそくよせば)」 設置(無宿人対策①)
無宿人などに職業指導。石川島(江戸隅田川)に置かれた。

・1790年 「旧里帰農令(きゅうりきのうれい)」(無宿人対策②)
都市に流入した農民の帰村を「奨励」(旅費などを支給。→まだ優しい方)。

・1791年 「七分積金(しちぶつみきん)」
江戸町費(町入用・まちにゅうよう)を節約させ、節約分の7割を積み立てさせ、災害への備えとする。「七分金積立」ともいう。

林子平「海国兵談」(ロシア南下の警告)を記した直後に・・
↓↓
・1792年 ラックスマン来航
ロシア皇帝エカテリーナ2世の命を受け、根室に来航し、通商を要求。幕府は信牌(長崎入港証)を渡し、帰国させる。
漂流してロシアにいた大黒屋光大夫(だいこくやこうだゆう)(伊勢の商人)を伴う。

☆庶民の不満
「白河の清きに魚も住みかねて、元の濁りの田沼恋しき」
「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶというて夜も寝られず」

1793年 松平定信、失脚

<諸藩の改革(寛政期)>
・熊本藩・細川重賢(しげかた)
・米沢藩(山形)・上杉治憲(はるのり)(上杉鷹山(ようざん))
・秋田藩・佐竹義和

<農民の抵抗(百姓一揆)>
・百姓一揆
農民が領主(幕府や藩)などを襲う。

☆百姓一揆の3つの種類
17C 代表越訴型一揆 (だいひょうおっそがたいっき)
代表者が領主に直訴。
ex.下総・佐倉惣五郎
(越訴は死罪。命がけで訴えた)
↓↓
18C 惣百姓一揆
農民が団結して蜂起
↓↓
19C 世直し一揆
政治的変革を求める。
・甲斐郡内(かいぐんない)一揆
・三河加茂(みかわかも)一揆

<農民の抵抗(その他)>

・村方騒動(むらかたそうどう)
貧農が豪農(村役人)を襲う。(農民同士)村方は農村のこと。

・打ちこわし
金融業者・商人などを襲う。

・国訴(こくそ)
合法的訴え。国や群の規模、大人数で訴える。

☆傘連判状
一揆の首謀者が分からないように円形に署名。

 

日本史【29】文治政治(近世ー7)

260712
日本史【29】文治政治(近世ー7)

<武断(ぶだん)政治>(武力で威圧)
家康①・秀忠②・家光③
武断政治。50年間。(1603~1650頃)
武力で威圧→牢人・かぶき者(荒くれ者)の増加。社会不安。
牢人:主君、大名を失った武士。仕事がなくなる。

・1651年 「慶安の変(けいあんのへん)」(慶安事件)
由井正雪(ゆいしょうせつ)(駿河の学者)による幕府への反乱未遂事件。(将軍代替わりを狙われた。)
→「文治政治」に変わるきっかけになった。

<徳川家綱④>1651~1680年
(補佐)
前半:保科正之(ほしなまさゆき)(家光③の弟)
後半:大老・酒井忠清(ただきよ)

1651年 「末期養子の禁(まつごようしのきん)緩和」
(前提)大名(殿)が後継ぎを決めないまま亡くなると、領地取り上げだった。

死の直前に養子を取ることも禁止されていたが、これを緩和した。→50歳以下は末期養子(死の直前に養子を取る)を認めた。

★文治(ぶんち)政治(儒教的・徳治政治)のあらわれ

1657年 明暦の大火(振袖火事)
江戸の半分を焼く→財政難

1669年 シャクシャインの乱

1673年 分地制限令

<諸藩の文治政治>
「名藩主のもとに名学者あり!」
(藩主)______(学者)
・会津藩・保科正之・・山崎闇斎(やまざきあんさい)(儒学・垂加神道)
・岡山藩・池田光政・・熊沢蕃山(くまざわばんざん)(陽明学)
・水戸藩・水戸光圀・・朱舜水(しゅ・しゅんすい)(明)
・加賀藩・前田綱紀(つなのり)・・木下順庵(きのしたじゅんあん)(新井白石の師匠)

<徳川綱吉⑤>1680~1709年
館林(たてばやし)藩主
補佐:大老・堀田正俊(ほったまさとし)
側用人→老中・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)

★儒教重視政策
①「武家諸法度・天和令(てんなれい)」1683年
(元和げんな→寛永→天和)
「文武忠孝を励(れい)し、礼儀を正すべき事」

②「湯島聖堂(ゆしませいどう)」創建(孔子をまつるお堂)

③併設して「聖堂学問所(せいどうがくもんじょ)」 設立
大学頭(だいがくのかみ)に林信篤(鳳岡・ほうこう)を任命(林羅山(「武家諸法度(寛永令)」起草)の孫)
「幕府御用達の塾」となっていく。

・1685年~ 生類憐みの令
極端な動物愛護令。
(母・桂昌院の影響)犬公方

・1695年 「元禄金銀(げんろくきんぎん)」鋳造
小判を作り直した。
<勘定吟味役:荻原重秀(おぎわらしげひで)>
貨幣の質を「慶長金銀(金84%含)」より落とし、出目(差額)で幕府の財政は一時回復。「元禄金銀(56%)」。
→インフレ(物価高・貨幣価値下がる)で経済混乱。

<徳川家宣⑥>1709年~1713年
<徳川家継⑦>1713年~1716年
補佐:新井白石(侍講)「正徳(しょうとく)の治」

1710年 閑院宮家(かんいんのみやけ)創設
幕府が費用を出して、朝廷に新しい宮家を創設。

1711年 朝鮮使節(通信使)の待遇を簡素化
費用を削減する一方、朝鮮から徳川将軍への呼称を「日本国大君(にほんこくたいくん)」(朝鮮ではトップ以外も使う)から「日本国王」(トップのみの称号)へ変更させる。

1714年 「正徳金銀」鋳造(←品位を慶長小判に戻す)

1715年 「海舶互市新例(かいはくごししんれい)」(長崎新令・正徳新令)
長崎貿易を制限し、金銀の海外流出を防止
(銀は輸出品だったが、銀が取れなくなってきたから貿易を減らす)
・中国(清)・・船30隻まで、銀6000貫だけ渡していい
・オランダ・・船2隻まで、銀3000貫だけ渡していい

 

日本史【28】江戸時代の社会経済(近世ー6)

260707
日本史【28】江戸時代の社会経済(近世ー6)

<農具・肥料の改良>
☆農具
・備中鍬(びっちゅうぐわ):深耕用
・こき箸(こきばし)手で→千歯扱(せんばこき):脱穀(別名:後家倒し)
※脱穀:稲から食べられる玄米を取り出す作業
・唐竿(からさお):脱穀。麦、ソバなど。
・唐箕(とうみ):選別具。脱穀したあと、風でもみがらを飛ばす。
・千石簁(せんごくどおし):選別具。米の大小をより分ける。
・踏車(ふみぐるま):水車(竜骨車(りゅうこつしゃ)・前期)

☆肥料の改良
・金肥(きんぴ)(購入肥料)の使用
ex. 干鰯(ほしか)、油粕(あぶらかす)、〆粕(しめかす)
干鰯は九十九里浜(千葉)のいわし漁からたくさん作られた。
(自作の肥料・・(鎌倉)刈敷、草木灰(そうもくかい)、(室町)下肥(しもごえ))

<商品作物の栽培>
☆四木(しぼく)
・漆(うるし)・・漆塗り、漆器
・茶(ちゃ)・・お茶
・楮(こうぞ)・・和紙
・桑(くわ)・・養蚕(ようさん)、まゆを取る→生糸→絹織物

☆三草(さんそう)
・麻(あさ)・・布
・紅花(べにばな)・・染料(赤)。出羽
・藍(あい)・・染料(青)。阿波
出羽の紅花、阿波の藍(でわのべにばな、あわのあい)

☆その他
・木綿(もめん)・・綿の花から綿糸を作る。手工業で綿糸に加工され綿織物に。三河、尾張、河内。
・菜種(なたね)・・油の材料
・たばこ
・い草・・畳の材料

<鉱業>
この4つは江戸幕府の直轄。(100年ほどで枯渇)
[1]佐渡・相川(あいかわ)金山(新潟)
[2]但馬・生野(いくの)銀山(兵庫)
[3]石見(いわみ)・大森銀山(島根)(世界遺産)
[4]足尾銅山(下野/栃木)

→幕府は金・銀・銅を独占し、圧倒的財力で長期的に安定した政権を維持できた。(1837年の大塩平八郎の乱まで大きな反乱は起こらず)

・別子(べっし)銅山(伊予/愛媛)→住友家の所有

・出雲の砂鉄(たたら製鉄)

<手工業の経営形態の変遷>
17C 農村 家内工業・・内職のような形

18C 問屋制 家内工業・・問屋(業者)が材料道具を提供し、都市部で販売する。

19C 工場制 手工業・・工場で分業・協業。17C摂津の酒造で始まる。

<各地の名産品>
・西陣織→足利(下野/栃木)・桐生(上野/群馬):絹織物
・有松絞(ありまつしぼり)(尾張/愛知):綿織物

・輪島塗(能登/石川):漆器
・有田焼(肥前/佐賀):陶磁器
酒井田柿右衛門などが発展させた。ヨーロッパに輸出もされた。
・灘の酒(摂津/兵庫)
・伊丹の酒(摂津/兵庫)
・野田の醤油(下総/千葉)
・銚子の醤油(下総/千葉)
・鳥の子紙(とりのこがみ):(越前/福井)
・美濃紙(みのがみ):(美濃/岐阜)

<五街道と三都>
☆五街道
①東海道(江戸~京都・53宿)『東海道五十三次』歌川広重
②中山道(なかせんどう)(江戸~草津・67宿)
③甲州道中(街道)(江戸~下諏訪で中山道と合流)甲斐を通る
④日光道中(街道)(江戸~宇都宮~日光)
⑤奥州道中(街道)(江戸(宇都宮)~白河(陸奥/福島))

☆三都
・江戸・・100万人。消費都市。人口の半分は武士。参勤交代で江戸に来る。残り半分は町人。「将軍のお膝元」
・大阪・・40万人。商業都市。「天下の台所」
・京都・・朝廷・天皇・公家。手工業都市。

<交通の整備(陸上交通)>
☆脇街道:五街道以外の街道。
☆一里塚:1里(約4km)ごとに設置した標識。木が植えられている。

☆関所:江戸への「入鉄砲に出女」などを取り締まる。通行手形を示して通過。ex. 箱根
江戸に鉄砲が入らないように、また人質の大名の妻子が江戸から出ないように、厳しく取り締まる。関所で昔はお金を取ったが、江戸では人の取り締まり。

☆宿場(宿駅)
・問屋場(とんやば):宿場の事務所
・本陣(ほんじん):大名の宿。立派。
・旅籠(はたご):一般用宿。
・木賃宿(きちんやど):安い宿。

☆飛脚:運輸・通信業者。
町飛脚、継飛脚(つぎびきゃく)など。

<交通の整備(海上交通)>
①東廻り航路(海運)(北)
酒田(出羽/山形)(最上川)~青森~江戸

②西回り航路(海運)(南)
酒田~山口~大坂

河村瑞賢:両航路を整備。

③南海路(なんかいろ):大阪~江戸を往復。
・菱垣廻船(ひがきかいせん):大型(最初はこちらが主流)
↓↓
・樽廻船(たるかいせん):小型(スピードが速い。後に主流になった)

※下り物(くだりもの)(=高品質):上方(大阪)から江戸へ送られる商品。大坂から来るモノは品質が良い。→江戸は消費の町。
「下らない」(=良くないもの)の語源。

<モノの流れ>
(1)蔵物(くらもの)・・蔵屋敷を通るモノや米
(2)納屋物(なやもの)・・蔵屋敷を通らないモノや米
(3)蔵米取(くらまいどり)・・蔵屋敷から武士へ現物支給

(1)蔵物(くらもの)
「蔵屋敷(くらやしき)」
幕府や大名が江戸や大坂に作る大きな倉庫。集めた年貢などをこの「蔵屋敷」に納める。

・蔵屋敷→問屋→小売→一般市民

・蔵屋敷の管理
商人の職業の名前
・「蔵元(くらもと)」:モノの管理
・「掛屋(かけや)」:カネの管理。会計係。

(2)「納屋物(なやもの)」
蔵屋敷を通さず、直接問屋に売られるもの。(蔵屋敷を作れるほどリッチではない大名の場合)

(3)「蔵米取(くらまいどり)」
江戸の武士の旗本や御家人の給料が、米で現物支給される制度。またその武士。蔵屋敷からもらう。
↓↓
「札差(ふださし)」:「米」を「お金」にする換金業務を行なった。高利貸しにもなる。

<市場と問屋>
☆卸売市場(各問屋が集まる町)
大阪
・堂島の米市
・雑喉場(ざこば)の魚市
・天満の青物市
江戸
・日本橋の魚市
・神田の青物市

☆問屋の「株仲間」(専売同業者組合)(室町時代の「座」)
大阪・・二十四組問屋(にじゅうしくみとんや)
江戸・・十組問屋(とくみとんや)

<貨幣制度>
・「三貨(さんか)」・・金貨・銀貨・銭貨(ぜにか)
金→江戸で流通
銀→大阪で流通
銭(ぜに)→銅から作られ全国で流通

☆金(江戸)
・小判1枚=1両(約4万円)
(大判1枚=10両(贈答用・記念コインのようなもの))
・「計数貨幣」・・数えて使う貨幣
・金の単位:両・分(ぶ)・朱(しゅ)
(1両=4分=16朱)4進法
・金貨は後藤家の監督。金座で鋳造。

☆銀(大阪)
・丁銀(ちょうぎん)、豆板銀(まめいたぎん)
・「秤量貨幣(しょうりょうかへい)」・・銀の重さを量る。
・銀の単位:匁(もんめ)3.75g(=五円玉の重さ)
金1両=銀50匁(187.5g)
・大黒家(だいこくけ)。銀座で鋳造。

→後に、銀貨だけど数えられる「南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)」が作られた。

☆銭(全国)
・寛永通宝(1636年~)・・日本製。銅。
(前は、永楽通宝・・中国製(明))
1文(もん)=10円
金1両=銭4000文(4貫文)

<藩札と両替商>
・田舎では物々交換。
・各藩では「藩札(はんさつ)」を発行。福井(越前)藩札が最初。(デパートの「商品券」のようなもの)
・両替商:貨幣の交換や貸付(高利貸し)を行う。(今の「銀行」)

※各時代の高利貸し
鎌倉:借上(かしあげ)
室町:酒屋、土倉、寺院
江戸:札差、両替商

<豪商>
江戸初期の豪商(リッチな商人)
(江戸)
①三井家(みついけ)
三井高利(みついたかとし)の越後屋(呉服店・両替商)(三重・松坂)に始まる。(幕府の公的なお金も扱う)。「現金掛け値なし(=「現金払い」のみ)」で成功。江戸や京都に店。(→三井財閥→三井グループ)

②紀伊国屋 門左衛門(きのくにや・ぶんざえもん)
「明暦の大火」の際、材木で巨利を上げる。

(大阪)
③鴻池家(こうのいけけ):十人両替(とにんりょうがえ)の一つ。大名貸しで成長。(→三和銀行)
④住友家:別子銅山(伊予/愛媛)の経営。

 

日本史【27】江戸時代(近世ー5)

260707
日本史【27】江戸時代(近世ー5))

<寺請(てらうけ)制度>
寺に戸籍を作らせて、寺を通じて民衆を把握する。
民衆を檀家(だんか)として寺に登録させる。
登録した民衆に「宗門改」(しゅうもんあらため)(宗教調査)をして、「宗旨人別帳」(しゅうしにんべつちょう)に記載。

<徳川家光③>
大名統制
1635年 「武家諸法度 寛永令」(林羅山起草)
(cf. 1615年・2代秀忠・元和令・崇伝の起草)
①「参勤交代」を制度化
②大船(たいせん)(500石積(こくづみ)以上)建造禁止
☆大名の義務
①参勤交代:江戸と国元を原則1年交代で往復。(夏4月中に。今の5月頃)
②証人の制(人質):妻子や家族、重臣を江戸におく。地元で反乱を起こさないように。

<農民統制>家光③~家綱④
1643年 「田畑永代(でんぱたえいたい)売買の禁」
土地の売買禁止←農民の没落防止

1643年~ 田畑勝手作禁止令
商品作物、栽培禁止令

1673年 分地制限令(ぶんちせいげんれい):土地分割制限
狭い土地(10石以下)を分割するのは禁止。
為政者の農民観
「百姓は財の余らぬように、不足なきように」(本佐録)
「百姓共は死なぬ様に、生きぬ様にと・・」(家康・昇平夜話)

<四つの口・窓>
(鎖国後の外交)
長崎・薩摩・対馬・蝦夷(この4ヶ所で外国と関係を持った)

(1)長崎・・出島(オランダ)
・・唐人屋敷(中国)
(2)薩摩・・島津氏(琉球)
(3)対馬・・宗氏(朝鮮)
(4)蝦夷(松前)・・(蠣崎氏→松前氏)ー蝦夷(アイヌ)
蠣崎→松前 慶広
米が取れない。アイヌと交易。

(1)長崎
・出島(オランダ)
オランダ商館長(カピタン/(キャプテン))が「オランダ風説書(ふうせつがき)(海外事情書)」を幕府に提出。

・唐人屋敷(中国)
明→清 建国(1616年)

(2)薩摩・・島津氏(琉球)
慶賀使(日本の将軍の代替わり)、謝恩使(琉球国王の代替わり)が来日

(3)対馬・・宗氏(朝鮮)
(朝鮮)通信使が来日

(4)蝦夷(松前)
1669年 シャクシャインの戦い:アイヌの反乱
(cf. 室町時代・1457年コシャマインの戦い。コが先→シャが後で覚える。)

「商場(あきないば)知行制」:藩主・松前氏が家臣にアイヌとの交易場所を任せ、交易の利益を取らせる。
↓↓
「場所請負制(ばしょうけおいせい)」:藩主から与えられた交易場所を、さらに商人に任せる。

 

日本史【26】江戸時代(近世ー4)

260707
日本史【26】江戸時代(近世ー4)

<統治機構の全体図>
[将軍]ー(側用人・将軍側近)
_
(・大老(臨時1人)(太政大臣のようなもの))
・老中(もと年寄)(常時3~5人)(左大臣など)
・寺社奉行★
・京都所司代(朝廷の監視)
・若年寄(わかどしより)(老中補佐)
↑↑ここまで譜代大名から任命
(譜代大名:徳川家に古くから仕えていた大名)

ーーーーーーー
[老中]
_
・大目付(おおめつけ)(大名の監視)
・勘定奉行★
ー 郡代(ぐんだい)・・10万石以上の天領の役人
ー 代官(だいかん)・・10万石以下の天領の役人(直接、税金を取る人)(中世の「地頭」「荘官」)
・町奉行(江戸)★
※ただ「町奉行」というと「江戸の町奉行」のことを指す。他は地名が前に付く。「大坂町奉行」など。

(遠国奉行・おんごくぶぎょう)
・町奉行(大阪・京都・駿府)
・奉行(長崎・佐渡・日光・山田(伊勢))
・城代(二条城・伏見城・駿府城)

[若年寄]
_
・目付(直参の監視)
↑↑ここまで旗本から任命

★三奉行(さんぶぎょう):寺社奉行、勘定奉行、町奉行(江戸)。3つのうち最高格は「寺社奉行」。将軍直属。

・1635年 要職は月番制(つきばんせい)1ヶ月交代。権力集中を防ぐ。

<幕府の軍事基盤(武士の種類)>
・「大名(1万石以上)」と「直参(将軍直属)(1万石以下)」に分かれる。

☆大名
・大名(約300人ほど)・・「藩」を作る。(300藩)。藩の中は自由、自己責任。税金など。

・大名は以下の3つに分かれる。
[1]親藩(しんぱん)・・徳川一門。家康の親戚。
(御三家:尾張(義直)、紀伊(頼宣)、水戸(頼房))
2代秀忠の弟たち

[2]譜代(ふだい)・・関ヶ原より前からの家臣

[3]外様(とざま)・・関ヶ原以後の家臣

☆直参(直属部下)藩は作れない

・旗本(はたもと):御目見得(おめみえ)以上→将軍への謁見ができる)
土地をもらったり、米をもらう

・御家人(ごけにん):御目見得以下(将軍へ謁見できない)
土地はもらえず、米をもらう

<幕府の財政機構>
全国の土地から米で収入が入る。
・幕領・天領(幕府の直轄地)・・400万石
・旗本知行地(幕府直属の部下)・・ 300万石
・大名領・・2000万石
・他・・50万石(天皇の禁裏御料、寺社の土地)

・幕府分は700万石(全国の4分の1)→収入が多く、大名の反乱を押さえられる。「安定した政権」につながる。
・大名分は2000万石(4分の3)。大名1人平均6万石。

<朱印船貿易>
朱印船貿易(1601~1635年)
日本人が外国に行って貿易する。
朱印状(渡航許可証)を使用
東南アジアでの、中国との出会貿易が中心(秀吉の時代から)

・背景:明の海禁政策
(日本との直接貿易禁止。日本が中国にも行けないし、中国から日本に来ることもできない)

・貿易地:ルソン(フィリピン)、インドシナ半島→アンナン(ベトナム)、カンボジア、シャム(タイ)

・輸入品:生糸(白糸・しらいと)
・輸出品:銀

<貿易家と日本町>
☆朱印船貿易家
・角倉了以(すみのくらりょうい):京都。大堰川(保津川)や高瀬川の治水事業も。
・茶屋四郎次郎:京都。糸割符仲間。
・末吉(すえよし)孫左衛門:大坂平野(ひらの)
・末次平蔵(すえつぐへいぞう):長崎

☆日本町(にほんまち)の形成
・山田長政(ながまさ):アユタヤ(シャムの首都)の日本人町の長。シャムの王に気に入られて、のちリゴールの太守になる。

<徳川家光③>
1623年 秀忠、将軍職を子の徳川家光に譲り、大御所となる。(→1632年死去)

1623年 イギリス、貿易競争に敗れ、自ら撤退。

1624年 イスパニア船、来航禁止。

1627年 紫衣事件(しえじけん)
後水尾(ごみずのお)天皇が幕府の許可なく与えた紫衣勅許を、幕府(秀忠)が無効とした。抗議した沢庵は流罪。(山形へ)
→後水尾天皇は怒って明正天皇(娘)に譲位。(幕府に政治は任せたが、宗教まで口を出されるいわれはない。)女帝は8人。7番目。

1629年 絵踏開始。
踏絵を使って隠れキリシタンを捜す。

1631年 奉書船(ほうしょせん)制度:海外渡航船に老中奉書の所持を義務づける。(朱印状+奉書)

1633年 鎖国令①
奉書船以外の海外渡航の禁止

1635年 鎖国令③
日本人の海外渡航、及び帰国の全面禁止(奉書船もダメ)

1637年 島原の乱
島原(長崎)・天草(熊本)での圧政(税金取り過ぎ)に対し、天草四郎時貞ら4万の農民が原城(はらじょう)跡に立てこもる。
→翌年、老中・松平信綱が鎮圧。

1639年 鎖国令⑤
ポルトガル船の来航禁止

1641年 オランダ商館を長崎の出島に移す
→【鎖国の完成】
ただし江戸時代もオランダとは貿易を続けていた。

 

日本史【25】江戸時代(近世ー3)

260707
日本史【25】江戸時代(近世ー3)

<江戸幕府の成立前>
「1600年」は16世紀最後の年。1601年から17C。
・1600年 リーフデ号(蘭の船)、豊後臼杵(ぶんごうすき)に漂着
→乗組員が家康に仕え、外交顧問となる。
・ウィリアム=アダムズ(英)(三浦按針・みうらあんじん)(三浦半島に屋敷をもらったため)
・ヤン=ヨーステン(蘭)(耶揚子・やようす)

紅毛人(こうもうじん)・・イギリス・オランダ。キリスト教の布教ではなく貿易優先。
(南蛮人・・イスパニア・ポルトガル。)
→肥前平戸の商館で貿易開始(蘭1609・英1613~)

・1600年 関ヶ原の戦い(美濃/岐阜)
西軍・石田三成✕ VS 〇東軍・徳川家康
秀頼

<徳川家康①>
・1603年 徳川家康 征夷大将軍となる。(後陽成天皇から任命。)
・1604年 「糸割符制度(いとわっぷせいど)」
中国のマカオから、中国産の生糸(白糸)を日本に持ち込み、暴利をあげていたポルトガル人対策。(需要が多く、オークションのように価格が上がっていった。)

消費財の購入に、日本の銀が流出するのは良くない→糸割符仲間に価格を決めて一括購入させる。

糸割符仲間(五箇所商人)5つの町
割符→生糸を買っていいよという札
長崎・堺・京都 + 大坂・江戸

・1605年 将軍職を秀忠に譲り、駿府(静岡市)に引退。大御所(引退した将軍)となる。
→「徳川の世襲(せしゅう)」を世に知らしめたかった。

<徳川秀忠②> 親子2人の政治
・1607年 朝鮮から「通信使」が来日。捕虜を返還。

・1609年 「己酉約条(きゆうやくじょう)」(慶長条約)
「朝鮮」と「対馬の宗氏」の通商条約。(仲直り条約)

・1609年 島津家久、琉球を武力で征服。
→以後、琉球から使節が来日。
「慶賀使(けいがし)」・・徳川将軍の交代ごと。「おめでとうございます」の意。
「謝恩使(しゃおんし)」・・琉球の国王の交代ごと

・1613年 慶長遣欧使節
仙台藩主・伊達政宗が、藩士・支倉常長(はせくらつねなが)をイスパニア(スペイン)へ派遣した。直接貿易を要請→失敗

ーーーーーー
・1612年 天領(幕府の直接支配地)に禁教令→翌年、全国に禁教令。
・1614年 キリシタン大名・高山右近らを国外追放。

(大名統制)
・1615年 大坂夏の陣
豊臣秀頼(秀吉の子)、自刃。豊臣氏滅亡。
元和偃武(げんなえんぶ)の宣言:戦争終結、平和宣言。

・1615年 一国一城令:本城以外の城の破却を命令。

・1615年 「武家諸法度・元和令(げんなれい)」
(「御成敗式目」(1232年・北条泰時)を元にしている。)
(金地院 崇伝(こんちいん すうでん)の起草)
①大名間の同盟・私婚の禁止
②城の無断修築・新築の禁止

☆大名への罰
・改易(かいえき)・・領地取り上げ。取り潰し(一番厳しい)
・転封(てんぽう)・・別の場所へ移転させられる。
・減封(げんぽう)・・領地を削減される。

(朝廷統制)
①1615年 「禁中並公家諸法度」(17条・金地院崇伝の起草)

②朝廷の直轄地:「禁裏御料(きんりごりょう)」→あえて少なくしている。多くすると軍事力につながるため。1万石。(幕府は400万石。)

(寺院統制)
①1601~16年 「寺院法度(じいんはっと)」
各宗派ごとに発布。「諸宗諸本山法度」ともいう。(崇伝)

1616年 家康、没
1619年 福島正則、改易:広島城の無断修築のため。
1622年 元和の大殉教:55名の宣教師、信者が長崎で殉教。

 

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(26)「信長を笑わせろ!」(2026/7/5放送)

260707
『豊臣兄弟!』(26)「信長を笑わせろ!」(2026/7/5放送)

【あらすじ】信長(小栗 旬)は、長宗我部元親(磯部寛之)との約束を翻し、労せずして阿波と讃岐を手中に収める。元親は激怒し、間を取り持った光秀(要 潤)は苦しい立場に陥る。そんな中、信長は甥(おい)の信澄(緒形 敦)が長宗我部と内通して謀反を企てていると疑い、蟄居(ちっきょ)を命じる。光秀から事の顛末(てんまつ)を聞き、信長の苦しみを察した小一郎(仲野太賀)と秀吉(池松壮亮)。羽柴家一同である計画を立て、信長と市(宮﨑あおい)を長浜城に招く。(ーNHK公式サイトより)


・天正9年(1581年)
近江・安土・桑実寺(くわのみでら)(藤原鎌足の子、定恵(じょうえ)が創建)
信長は阿波の三好一族の願いを受け入れ、長宗我部の四国統一を翻す。
三好康長。

四国担当は明智光秀から→織田信孝(信長三男)に変えられる。
今井宗久に鉄砲を依頼。
※三宗匠(さんそうしょう)・・今井宗久(そうきゅう)、津田宗及(そうぎゅう)、千利休

一行は賊に襲われ、織田信澄(のぶずみ)(信長の弟・信勝の子)が信長を守りケガをする。

・秀吉、鳥取攻め終了。次は備中。秀吉は茶会、茶の湯を希望する。秀吉と光秀には茶会を許されている。

・信澄が長宗我部と通じていたと、信長は謀反を疑う。信澄は談判していただけと弁明。

・羽柴秀勝
秀吉の養子。信長の五男。

ーーーーーーーーーーーーー

「豊臣兄弟!紀行」(26)

・末森城跡(愛知県・名古屋市)
織田信勝(信長の弟)の子、信澄(のぶずみ)は、柴田勝家の元で養育された。興福寺の僧侶の日記『多門院日記抄』には「一段の逸物(いちぶつ)なり(並外れた器量の持ち主)」と記されている。琵琶湖を囲むように建てられた4つの城の一つ、大溝城(おおみぞじょう)の城主となる。

____________
_______/___/ 長浜城(秀吉)
_ 大溝城▲ /___/
_(信澄) /___/
___ _/____/ ▲安土城(信長)
坂本城▲ /___/
(明智)

 

日本史【24】豊臣秀吉(近世ー2)

260704
日本史【24】豊臣秀吉(近世ー2)

<豊臣秀吉・全国への進出>
1582年 「山崎(やまさき)の戦い」:本能寺の変後、毛利氏と講和し京都へ戻り、明智光秀を破る(山城)。自分が後継者だと表明。

1583年 「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」:近江で柴田勝家を破る。

1583年 大坂城築城:石山本願寺の跡地。
(※大「阪」になるのは明治。)

1584年 「小牧・長久手の戦い」:徳川家康・織田信雄(信長の次男)連合軍と講和(尾張)。

<朝廷権威の利用・西の平定>
1585年 関白就任(→日本全国に命令できる。)
惣無事令(戦争禁止令)を発布。
(戦国時代の「喧嘩両成敗」を継いだ。)

1585年 【四国平定】:長宗我部元親を破る。

1586年 太政大臣就任:豊臣の姓をもらう。
羽柴→豊臣

1587年 【九州平定】:島津義久を破る。

<人民統制・東の平定>
1587年 「バテレン追放令」:宣教師の国外退去令(20日以内)

1588年 「刀狩令」:農民の武器所有を禁止。
一揆の防止と、兵農分離が目的。

1590年 【小田原平定】(相模):北条氏政・氏直親子を破る。

1590年 【東北平定】:伊達政宗(独眼竜)が小田原攻めの際に帰属し、全国平定。

1591年 「人掃令」(ひとばらいれい)(身分統制令):武士の農民への転換などを禁止。目的は「兵農分離」。→江戸の「士農工商」につながる。

1592年 「文禄の役」(朝鮮出兵①)
(朝鮮の暦から壬辰倭乱(じんしんわらん)と呼ぶことも。)

加藤清正、小西行長らを朝鮮に派遣。
秀吉は名護屋(肥前/佐賀)で指揮。

李舜臣(亀甲船)や義兵(一般民兵)などの強い抵抗で苦戦。

1596年 「サン・フェリペ号事件」:スペインの船が土佐に漂着。乗務員が「領土拡張に宣教師を利用している」と証言。↓↓
1596年 「二十六聖人殉教(にじゅうろくせいじん・じゅんきょう)事件」:フランシスコ会などの宣教師・信者26人を長崎で処刑。
(殉教:宗教で命を落とすこと)

1597年 「慶長の役」(朝鮮出兵②)
(丁酉倭乱(ていゆうわらん)ともいう)

1598年 秀吉の死去により撤退。

<太閤検地>
天正の石直し(こくなおし)
「山崎の戦い」以降、直接役人を派遣し、全国を検地して石高を決定した。
(太閤:前関白。関白を譲って辞めた人。)

☆単位の統一
・長さ:六尺三寸(=1間(けん)=191cm)四方を、一歩(いっぷ)とする。

・面積:町(ちょう)・段(たん)・畝(せ)・歩(ぷ)
(1町=10段=100畝=3000歩)(1段=300歩)

・はかり(容積):「京枡」を採用。米を数える。

→公正に税金を取る。

☆「石高制(こくだかせい)」を採用
(前は貴高制(かんだかせい))

・石高は「米の量」
石高=面積 × 石盛(こくもり)(1段あたりの標準収穫高)
1石(こく)=10斗=180リットル

「貴」(お金の単位)から「石高」(容積・体積)に代わった。

石高に応じた年貢を課す。
上田(じょうでん)、中田(ちゅうでん)、下田(げでん)、下々田(げげでん)

年貢率は「二公一民」(税率66%)が原則
→各地で一揆誘発。

☆「一地一作人(いっちいっさくにん)」の原則
直接、耕作民を「検地帳」に登録し、その作人から年貢を徴収。
「中間搾取層(作合)」(荘官、領家、本家など)の否定。
→「荘園制(私有地)」の崩壊
すべての土地は秀吉(次は江戸幕府)のもの。

<秀吉の諸政策>
☆直轄地=「蔵入地(くらいりち)」(200万石)
(cf. 江戸幕府「天領」「幕領」
室町幕府「御料所」)

☆重要鉱山の直轄化
・佐渡・相川金山
・石見(いわみ)・大森銀山(島根)(元は毛利氏のもの)
・但馬・生野銀山
軍隊を編成する、武器を買うなど。

☆貨幣鋳造
天正大判(金貨)(恩賞用・by 後藤徳乗)

<五奉行と五大老>
☆五奉行(秀吉の部下)
・浅野長政
・石田三成
・前田玄以
・増田(ました)長盛
・長束(なつか)正家

☆五大老(有力大名)
・徳川家康(関東)
・前田利家(加賀)
・宇喜多秀家(中国)
・毛利輝元(中国)(元就の孫)
・(小早川隆景(北九州))
・上杉景勝(北陸)

 

日本史【23】大航海時代・織田信長(近世ー1)

260702
日本史【23】大航海時代(近世ー1)

<大航海時代>
ポルトガル、イスパニア(スペイン)などが世界各地を探検、航海。

(拠点)
①ポルトガル→ゴア(インド)、マカオ(中国)
②イスパニア(エスパーニャ)(スペイン語読み)スペイン
→マニラ(フィリピン)

<鉄砲伝来>
1543年 種子島(大隅)にポルトガル人が漂着(中国船・倭寇の船)

・島主・種子島時尭(たねがしま ときたか)は鉄砲(火縄銃)2丁を購入。1丁は種子島に、もう1丁は本州へ。

・鉄砲鍛冶・・堺(和泉)、国友(くにとも)(近江)、根来(ねごろ)(紀伊)

・ポルトガルと貿易開始(南蛮貿易)

<キリスト教伝来>
宣教師(バテレン)パードレ

(1)フランシスコ=ザビエル(スペイン)
1549年 鹿児島(薩摩・島津貴久)に来日、布教→京都で天皇や将軍には会えず、布教は許可されず。山口(周防・大内義隆)・府内(豊後・大友義鎮/宗麟)で布教後、2年あまりで帰る。(イエズス会の中心メンバー。)

(2)ガスパル=ビレラ(ポルトガル)
帰国後「耶蘇会士(やそかいし)日本通信」を著し、堺の状況などを報告。耶蘇会はイエズス会のこと。カトリックの派の一つ。

(3)ルイス=フロイス(ポルトガル)
・信長、秀吉と親交あり。
・『日本史』執筆。

(4)アレクサンドロ=ヴァリニャーニ(イタリア)
学校の設立
・セミナリオ・・神学校。安土、有馬などに。
・コレジオ・・教育者(宣教師)養成。

・「活字印刷機」を伝える→キリシタン版(天草版)出版。

・「天正遣欧使節」を勧める(途中まで同行)。

<遣欧使節>
・天正遣欧使節(1582年~1590年)
4人の少年がヨーロッパに使節として派遣された。
正使:伊東マンショ、千々石(ちぢわ)ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ
→ローマでローマ教皇(グレゴリオ13世)に謁見。
(→1590年帰国。バテレン追放令でキリスト教は迫害されていた。)

ヴァリニャーニ

送った3人のキリシタン大名
・大友義鎮(よししげ)(宗麟)・・豊後
・大村純忠・・肥前
・有馬晴信・・肥前

<織田信長>
統一事業 全国への進出

1560年 桶狭間の戦い
京都に行く途中の今川義元を破る(尾張)

1567年 美濃攻め:稲葉山城の斎藤竜興(道三の孫)を破る。→岐阜城と改名。本拠地を置く。
1567年以降「天下布武」の印章を使う。

1568年 入京:15代将軍・足利義昭を擁立(信長は将軍を政治的に利用しようと思った。)→のちに対立。信長包囲網。

1570年 姉川の戦い:浅井(あざい)長政・朝倉義景・連合軍を破る(近江)

1571年 延暦寺焼討ち:浅井・朝倉に加担した比叡山を焼き払う。

1573年 室町幕府滅亡:足利義昭を追放。

1575年 長篠の戦い(三河):信長・家康連合軍が武田勝頼を破る。(足軽鉄砲隊の活躍)(三段討ちは有名だが実証はされていない)

1576年 安土城築城:5層7重の天守閣。
「本能寺の変」後に焼失(近江)。
翌年、安土城下に楽市令発布。

1580年 石山合戦終了:石山本願寺(一向宗)と11年間の合戦の末、顕如と講和。(顕如が出ていく)

1582年 天目山(てんもくざん)の戦い:武田勝頼、自刃。

1582年 本能寺の変(京都):家臣の明智光秀が謀反。信長自刃。

<土地政策>
①指出検地(さしだしけんち):自己申告制

<宗教政策>
①キリスト教→保護
ルイス=フロイス(ポル)との親交

②仏教→弾圧
延暦寺焼き討ち、一向一揆平定。
抵抗勢力を弾圧した。

<商業政策>
①楽市令:座の特権廃止。加納(美濃)・安土(近江)→商売が盛んに。
(楽市令は六角氏が初。)

②関所撤廃
→関銭の撤廃。

③撰銭令(えりぜにれい):悪銭の交換比率を設定。

④鉱山の直轄化:生野銀山(いくのぎんざん)。
武田信玄も金山を持っていた。

⑤重要都市の直轄化:堺
商人、鉄砲鍛冶。