歴史note – 歴史の学びメモ

日本史【55】昭和後期・平成(現代ー4)

260813
日本史【55】昭和後期・平成(現代ー4)

昭和後期・平成1(67代)
<福田赳夫(たけお)内閣>
・1978年 「日中平和友好条約」調印
(1972年 日中共同声明:国交樹立)

<大平正芳内閣①②>(68・69代)
・1979年 第2次石油危機(オイルショック)
イラン革命(イスラム革命)が原因

<鈴木善幸(ぜんこう)内閣>(70代)

<中曽根康弘内閣①~③>(71~73代)
昭和の最後
・1985年 「男女雇用機会均等法」制定
・1985年 5カ国蔵相会議(G5)ジーファイブ
(背景:貿易摩擦)米のモノを日本はもっと買え
→プラザ合意(@米NY・プラザホテル)
→円高へ(円高不況に・・)

★民営化推進
1985年 電電公社→NTT、専売公社→JT
1987年 国鉄→JR(分割民営化)

昭和後期・平成2
<平成の諸内閣(竹下・宇野・海部)>

<竹下内閣>(74代)
・1986年~ バブル景気
「地価」と「株価」が高騰。

・1989年 昭和天皇・崩御(ほうぎょ)
→平成と改元

・1989年 消費税導入
3% 大型間接税の導入
(2026年現在:8%~10%)

・1989年 リクルート事件で総辞職
(未公開株をめぐる贈収賄事件)

<宇野内閣>(75代)

<海部内閣①②>(76・77代)
・1990年 バブル崩壊
(日銀の利上げで株価が下落し始める)

・1991年 湾岸戦争
(イラクのクウェート侵攻に対する武力制裁。米を中心にした多国籍軍。)

<平成の諸内閣(宮沢・細川・羽田)>
<宮沢内閣>(78代)
(平成不況)
・1992年 「PKO協力法」(国連平和 維持活動 協力法)成立
自衛隊の海外派遣
→自衛隊カンボジアへ派遣

・1993年 自民党分裂
→総選挙で自民党が過半数割れ

<細川内閣>(79代)
・1993年 「日本新党」の細川護熙(もりひろ)が首相に就任。非自民8党・連立内閣
→「55年体制(自民一強)」崩壊。

<羽田内閣>(80代)

<平成の諸内閣(村山・橋本)>
<村山富市(とみいち)内閣(社会党)>(81代)
社会党
(社会党の総理は46代片山哲に続いて2人目。)
自民党と社会党が手を組んだ。
・自民・社会・さきがけ連立内閣

・1995年 阪神・淡路大震災

・1995年 地下鉄サリン事件←オウム真理教

<橋本内閣(自民党)①②>(82・83代)
・1997年 消費税5%へ

・1997年 「アイヌ新法」制定
初のアイヌ出身の国会議員(1994~)。明治時代の「北海道旧土人保護法」(アイヌの同化政策)を撤廃。

 

日本史【54】成長の時代(現代ー3)

260813
日本史【54】成長の時代(現代ー3)

昭和戦後10 成長の時代1
<鳩山一郎内閣①~③>(52~54代)(93代鳩山由紀夫は孫)
・1955年 第1回原水爆禁止 世界大会(広島)

・1955年 「日本社会党」再統一。革新が3分の1の勢力に。

・1955年 「自由民主党(自民党)」結成
自由党(吉田茂)・日本民主党(鳩山一郎)が合併(保守合同)
↓↓
「55年体制」へ
1/3 革新
2/3 保守(自民党)
自民党が決めたことが日本の法律になっていく。
約40年続く。(1955~1993年まで)

・1956年 教育委員の任命制(前:公選制→)

・1956年 日ソ共同宣言
ソ連との国交回復。
(鳩山一郎は吉田茂ができなかったことをやりたい。→米ではなくソ連と近づいた。)
(cf. 大正1925年 日ソ基本条約
昭和戦前1941年 日ソ中立条約)

(北方領土)
・択捉・国後
・歯舞・色丹→平和条約の締結後に、この2島を返還する。
(※現在でも平和条約は結ばれず、4島とも返ってきていない。)

ソ連は、日本の国連加盟に反対していたが、日ソの国交回復したので
↓↓
・1956年 国際連合に加盟

<石橋湛山(たんざん)内閣>(55代)
2ヶ月のみ。病気で退陣。
(戦前に「東洋経済新報」で戦争反対を訴えていた)

<岸信介(きしのぶすけ)内閣①②>(56・57代)
佐藤栄作の兄

「日米新時代」
・1958年 「安保条約」改定 交渉開始
→各地で阻止闘争
(革新(左翼)は、そもそも安保条約自体に反対)

・1960年 「日米相互協力 及び 安全保障条約」調印
(=新安保条約)
「安保」は日本が不利だったが、「新安保」で対等に。
条約は参議院の承認を得られないまま、自然成立。(異例)

・吉田茂→安保
・岸信介→新安保

・1960年 三井三池(みついみいけ)炭鉱争議(福岡)
大規模ストライキ
エネルギー転換:石炭→石油へ

昭和戦後11 成長の時代2
<池田勇人内閣①~③>(58~60代)
池田勇人は、元・大蔵大臣。経済の人。
「(国民)所得倍増計画」10年で2倍(→7年で2倍達成)

・1961年 「農業基本法」公布
農業の機械化・近代化

・1962年 「LT貿易」開始
中国との貿易を覚書でやる。(国交は樹立されていない)
(中国側:廖承志(りょう(L)しょうし)&日本側:高碕/たかざき(T)/達之助)
「政経分離」方針のもと行われた民間貿易

・「開放経済」へ
=先進国の証:自国だけではなく、みんなのことを考えるように。
・1963年 GATT 11条国に移行
自国の都合で勝手に貿易制限できない

・1964年 IMF 8条国に移行
自国の都合で勝手に為替管理できない

・1964年 OECD(経済協力開発機構)に加盟
資本(会社)の自由化。外資系会社を受け入れる。

・1964年 「東海道新幹線」開通。
・1964年 「第1回東京オリンピック」開催。

【高度経済成長】景気が右肩上がり
(1955年~73年ごろ。約20年間)
・(吉田)1950~53年 特需景気(朝鮮戦争)
・(鳩山)1955~57年 神武景気
1956年 経済白書「もはや戦後ではない」
・(石橋)
・(岸)1958~61年 岩戸(いわど)景気
・(池田)1963~64年 オリンピック景気
・(佐藤)1966~70年 いざなぎ景気
国民総生産(GNP)(1968年)資本主義国の中で世界第2位に。(1位米。日本は西独を抜いて2位に)
cf(GDP)国内総生産

昭和戦後13 成長の時代4
<佐藤栄作内閣(外交・公害)①~③>(61~63代)
岸信介の弟
・1965年 ベトナム戦争本格化。米軍事介入し、南ベトナムを支援。

・1965年 「日韓基本条約」調印
(全権:朴正熙・ぼくせいき・パクチョンヒ→日本に友好的・前の李承晩は強硬姿勢。)
韓国と国交樹立

いざなぎ景気の影で
・1967年 四大公害訴訟開始(→全て原告勝訴)
①水俣病(熊本)
②イタイイタイ病(富山・神通川・じんずうがわ)
③新潟水俣病(新潟・阿賀野川・あがのがわ)
④四日市ぜんそく(三重)

・1967年 「公害対策基本法」制定
→1971年 「環境庁」設置
(現:環境省)法律と役所をセットで作る。

<佐藤栄作内閣(沖縄返還・ドル危機)>(61~63代)
※小笠原・沖縄・奄美は戦後、米の直接統治下だった。サンフランシスコ平和条約のときに、これらは日本に戻っていなかった。
・1968年 「小笠原返還協定」調印

・1969年 佐藤・ニクソン会談
→日米共同声明(「核抜き」の沖縄返還に合意)
↓↓
・1971年 「沖縄返還協定」調印
(→1972年 沖縄返還)

・1971年 ニクソン・ショック
世界が驚いた。
①中国訪問計画発表(翌年、米中国交正常化)
中国と仲良くなる必要があった。(ベトナム戦争の終結)

②金・ドル交換停止
米が金本位制をやめた
⇒変動相場へ
以前は、金・ドルが交換できた(=金本位制)ので、基軸通貨のドルが安定していたが、戦争などで米ドルをかなり使うことでドルの信用が低下。ドル安・円高になる。

・1971年 円切り上げ(=円高に変えること)
1ドル=308円へ(協定@ワシントン・スミソニアン博物館)
→スミソニアン体制(円高になっていく)

・円安だと輸出が増える(儲かる)
・円高だと輸出が減る→高度経済成長が終わりに近づく

昭和戦後14 成長の時代5
<田中角栄内閣(経済・対中関係)①②>(64・65代)
「日本列島改造論」(列島改造)
経済成長を全国へ。高速道路や新幹線建設促進

・1972年 日中共同声明
中華人民共和国と国交樹立。
(ニクソンショックで米が中国と国交樹立したので、日本もそれに追随)
→台湾(中華民国)とは断交することになる。民間貿易は続く。

・1973年 「変動為替相場制」に移行
(前「固定相場制」→)
・1949年 1ドル=360円(ドッジ・ライン)
・1971年 1ドル=308円(円切り上げ)
・1973年 1ドル200円台へ。円高へ。日本にはダメージ。

<田中角栄内閣(高度経済成長の終焉)>
・1973年 第4次中東戦争(アラブ VS イスラエル)

・1973年 第1次石油危機(オイルショック)
石油価格が高騰→物価が高騰(狂乱物価)

・1974年 不況・インフレ→経済は戦後初のマイナス成長となる。(高度経済成長の終焉)

・1974年 首相の金脈問題で退陣

<三木武夫内閣>(66代)
「クリーンな政治をめざす」

・1976年 自民党分裂
→「新自由クラブ」結成(河野洋平)
(当時は新党結成は珍しかった)

・1976年 ロッキード事件が暴露
(航空機購入をめぐる増収賄)
→田中前首相逮捕

 

日本史【53】占領下の日本2(現代ー2)

260813
日本史【53】占領下の日本2(現代ー2)

占領下の日本5 昭和戦後5
吉田(自由党)①と、吉田②の間に連立内閣が2つあった。

<片山哲(社会党)内閣>(46代)
★戦後すぐ労働運動が激しかった→総選挙で社会党が第一党となり、初の社会党内閣。
(民主党・国民協同党との連立内閣)

・1947年 過度経済力 集中排除法
財閥解体。独占的な巨大企業を分割して、自由競争へ。
銀行は解体されず、不徹底に終わる。

<芦田均(ひとし)(民主党)内閣>(47代)
★民主党・社会党・国民協同党の連立内閣

・1948年 「政令201号」公布
公務員のストを禁止(GHQの要求)
→「国家公務員法」改正

<冷戦構造>
(西側)アメリカ・資本主義
・1947年 マーシャル・プラン(欧州経済復興援助計画)
・1949年 北大西洋条約機構(NATO)結成(軍事同盟)
VS
(東側)ソ連・社会主義
・1955年 ワルシャワ条約機構
@ワルシャワat ポーランド
(東欧8カ国 友好協力 相互援助条約)

<占領政策の転換>
・1948年 米陸軍長官ロイヤルの演説
「日本を反共の防壁に」→逆コースへ

(朝鮮)
・大韓民国(西側・資本主義)
大統領・李承晩
↕ (北緯38度線)
・朝鮮民主主義人民共和国(東側・社会主義)
首相・金日成

(中国)
戦後、内戦がまた始まる。
・蒋介石(国民党)✕→台湾へ(中華民国を存続)(西・資本主義)
VS
・毛沢東(共産党)〇→中華人民共和国成立(1949年)(東・社会主義)
(中国は台湾を認めない。中国の一部だと主張。)

占領下の日本7 昭和戦後7
<吉田茂内閣②③(1948~49年)>(48・49代)
(自由党)
・1948年 極東国際軍事裁判・判決
東条英機・広田弘毅ら、A級戦犯7名死刑

・1948年 経済安定九原則
(朝鮮戦争に向けて忙しいのでもう日本に自立してほしい。)
GHQの指令 例予算均衡・徴税強化・賃金安定

↓↓ この2つで立て直す

(1)1949年 ドッジ・ライン
(米デトロイト銀行の頭取・ドッジ)
単一為替レート(1ドル=360円)を設定。
(※固定相場にして円の貨幣価値を安定させると、貿易がしやすくなる。)
・デフレ政策(物価を下げる→不景気に。リストラが増える)
1949年 怪事件
・下山事件 国鉄総裁暗殺
・三鷹事件 無人電車暴走
・松川事件(福島県) 列車転覆

(2)1949年 シャウプ勧告
税制改革(所得税中心主義)を指導。

<吉田茂内閣③(1950年)>(49代)
・1950年 レッドパージ
職場などで共産党員(左翼)追放
(cf. 公職追放は軍国主義者(右翼)を追放していたが、変わってきた)

・1950年 「朝鮮戦争」勃発
北朝鮮 VS 大韓民国

・1950年 「警察予備隊」設置
再軍備(→1952保安隊、1954自衛隊)

占領下の日本8 昭和戦後8
<吉田茂内閣③(講和)>(49代)
(朝鮮戦争中)
・1951年 サンフランシスコ講和会議(@アメリカ)
〇単独講和論 社会主義国は除いて講和(西側だけ)(保守)
VS
✕全面講和論 交戦国全てと講和(革新)

・1951年9月8日 サンフランシスコ平和条約
(→翌1952年に発行し、占領終了)
48カ国と調印

・参加→不調印
ソ連・チェコスロバキア・ポーランド

・不参加
インド・ユーゴスラビア・ビルマ

・不招待
①中華民国(国民党・台湾)(日華平和条約・1952年)
②中華人民共和国

<吉田茂内閣③(安保条約)>(49代)
※昭和の戦後からは、総理大臣が全権となる。

・1951年9月8日 日米安全保障条約
→日米間の軍事同盟。(今までどおり)米軍の日本駐留を規定。(米軍が日本を守る)。

(←サンフランシスコ平和条約で日本が独立し、米軍がいられなくなったので、駐留できるようにしたのがこの条約。)

・1952年 日米行政協定(→現:日米地位協定)
日米安全保障条約(安保)の細目協定。

・1952年 「保安隊」設置
「警察予備隊」を強化

<吉田茂内閣④⑤(独立後の国内再編)>(50・51代)
・1953年 朝鮮戦争休戦協定
北緯38度線(板門店/ハンモンテン)

・1954年 MSA協定
(日米 相互防衛 援助協定など4協定)
日本の防衛力強化
↓↓
「自衛隊(陸上・海上・航空)」・防衛庁・設置

50年 警察予備隊
52年 保安隊
54年 自衛隊

 

日本史【52】占領下の日本1(現代ー1)

260811
日本史【52】占領下の日本1(現代ー1)

昭和戦後1
占領下の日本1
<東久邇宮内閣>(43代)
東久邇宮稔彦(ひがしくにのみや・なるひこ)(皇族:天皇の一族)
・1945年9月2日 降伏文書に調印(ミズーリ号)
・アメリカ軍単独の間接統治(日本政府が間に入っている)
目的は非軍事化・民主化

☆政策決定
「極東委員会」(ワシントン)11カ国
↓①
米国政府(ワシントン)
↓②
「GHQ」(General HeadQuarters・・)(東京)
連合国軍 最高司令官 総司令部
総司令部マッカーサー元帥→⑤日本政府→⑥国民
↓③ ↑④
「対日理事会」(諮問機関)(東京)
米英中ソ

<幣原喜重郎内閣(五大改革指令)>(44代)
・1945年10月 五大改革指令
マッカーサーが口頭で政府に要求

①圧政的諸制度の撤廃
1945年 治安維持法・治安警察法・特別高等警察・廃止
(内務省(警察トップ)も解体)

②婦人解放
1945年 選挙法改正
・20歳以上の男女。
・婦人参政権を認め、39人の女性代議士(衆議院議員)が誕生

③労働組合の育成
1945年 「労働組合法」制定【労働三法①】
労働三権(団結・団体交渉・争議権)保障

④教育の自由化
1945年 修身(道徳)・日本史・地理の授業停止
→アメリカ教育使節団 来日

⑤経済の民主化
→財閥解体・農地改革

昭和戦後2 占領下の日本2
<幣原喜重郎内閣(財閥解体・農地改革)>
★経済の民主化(五大改革指令の一つ)
①1945年11月 「財閥解体」指令
「持株会社 整理委員会」が解体実行

独占禁止法
(吉田 1947年)

過度経済力 集中排除法
(片山 1947年)

②1945年12月 第一次農地改革(農地調整法改正)
寄生地主制の解体が目的
(寄生地主:高額の小作料を取る地主)
寄生地主から土地を取り上げて、小作人に安く売却→自作農
→内容が不十分であるとして、GHQはさらなる改革を勧告

<幣原喜重郎内閣(その他の内政)>
・1946年1月 公職追放
軍国主義者など21万人を順次公職(議員など)から追放

・1946年2月 「金融緊急措置令」
インフレ抑止のため、新円切り換え・預金封鎖(資金の払い戻し制限)を実施。

・1946年4月 「新選挙法」による最初の総選挙
(革新)左翼
①日本共産党(戦前は非合法)
②日本社会党・片山哲

(保守)右翼
③日本協同党
④(旧・民主党系)日本進歩党
⑤(旧・政友会系)日本自由党・鳩山一郎
(※鳩山一郎は公職追放される→吉田茂)

<東京裁判>
・1946年5月 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷
戦争犯罪人(戦犯)に対する裁判。
・A級戦犯:平和に対する罪。戦争指導者が対象。
・B・C級戦犯:戦時国際法違反・非人道的行為
(B・C級戦犯はアジア各地で裁判)

昭和戦後4 占領下の日本4
<吉田茂(自由党)内閣①(第二次農地改革等)>(45代)
・1946年9月 労働関係調整法【労働三法②】
会社と労働者の間に入って話をおさめる

→1947年 労働基準法【労働三法③】
労働条件(→戦前の工場法)

・1946年10月 第二次農地改革
「自作農創設 特別措置法」制定
「農地調整法」改正
①小作地所有
不在地主→認めず
在村地主→1町歩(北海道は4町歩)
1町歩=1ヘクタール100m×100m

②小作料は金納とする

③農地委員会(構成→地主:自作:小作=3:2:5)
→50%近くあった小作地率は10%台まで低下。80%以上が自作農に。

<吉田茂(自由党)内閣①(日本国憲法など)>(45代)・1946年11月3日 「日本国憲法」制定
(現・文化の日・元明治天皇誕生日(天長節)
・1947年5月3日 施行
(現・憲法記念日)
(cf. 大日本帝国憲法 制定1889.2.11 施行:1890.11.29)
・GHQが草案作成

・基本原則
①基本的人権の尊重
(以前は人権はあったが法律によって制限された。今回は法律でも人権を制限することができない。)
②主権在民(天皇は象徴。政治権力を持たない)
③戦争放棄(平和主義)

・1946年12月 「傾斜生産方式」採用
石炭・鉄鋼・電力(インフラ整備)などに重点的に融資。
(提唱:有沢広巳(ありさわひろみ))
★「復興金融金庫」(国立の銀行)が融資。

<吉田茂(自由党)内閣①(1947年)>(45代)
・1947年 二・一ゼネスト計画
労働運動。ゼネラルストライキ。
公務員を含め600万人がスト計画
→GHQの指令により中止

・1947年 学校教育法
6・3・3・4制

・1947年 教育基本法
義務教育9年・男女共学
(前:6年)

・1947年 地方自治法
地方の首長公選制(選挙)を規定。
(前:市制町村制・府県制郡制では選挙ではなかった)

・1947年 独占禁止法
カルテル(連合)・トラスト(合併)などを禁止。
監視機関は公正取引委員会。

 

日本史【51】軍部の台頭と第二次世界大戦2(近代ー20)

260807
日本史【51】軍部の台頭と第二次世界大戦2(近代ー20)

昭和戦前11
<東条英機内閣>(40代)
太平洋戦争
(日中戦争も続いたまま)
・1941年11月26日 ハル・ノート
「中国から撤兵・三国同盟廃棄・満州事変以前の状態に戻せ」

・1941年12月1日 御前会議で対英米開戦決定
→(アジア)太平洋戦争(大東亜戦争)へ

・1941年12月8日
①真珠湾攻撃(米領)
②マレー半島上陸(英領)

・1942年6月 ミッドウェー海戦
太平洋中部で壊滅的打撃を受ける。ここからは負けが続く。

・1943年9月 イタリア降伏。(残りは独と日本)
↓↓
・1943年11月 「カイロ会談」(@エジプト)
米:フランクリン・ローズベルト
英:チャーチル
中:蒋介石
→「カイロ宣言」
(日本の無条件降伏まで戦う。=アメリカの要求を受け入れる)
↓↓
日本はカイロ宣言を受け入れず。
・1943年11月 大東亜会議
占領地域の代表者を集めて「大東亜共栄圏」の結束強化を宣言。

<小磯国昭内閣>(41代)
・1945年2月 「ヤルタ会談」(@ソ連)
米:フランクリン・ローズベルト
英:チャーチル
ソ:スターリン
「ヤルタ協定」
秘密協定。ドイツ降伏後の、ソ連の対日参戦を決定。
(一応日本とは仲間である(日ソ中立条約がまだ有効)ソ連を米・英側に引き込む。だから表立って宣言はできない。)

・1945年3月 東京大空襲(B29)

・1945年3月 硫黄島の戦い:2万人玉砕

・1945年4月 沖縄戦
鉄血勤皇隊・ひめゆり隊(女子看護学生)など参加

<鈴木貫太郎内閣>(42代)
・1945年5月 ドイツ降伏

・1945年7月 「ポツダム会談」(@ドイツ)
米:(Fローズベルト→)トルーマン
英:チャーチル→アトリー
ソ:スターリン
「ポツダム宣言」
日本の無条件降伏を要求。
→鈴木内閣は「黙殺」。

・1945年8月6日 広島に原子爆弾投下

・1945年8月8日 ソ連参戦:日ソ中立条約を破棄して侵攻

・1945年8月9日 長崎に原子爆弾投下

・1945年8月14日 ポツダム宣言受諾:御前会議で決定

・1945年8月15日 終戦:同時に鈴木内閣、総辞職。

①カイロ会談
②ヤルタ会談
③ポツダム会談

 

コミック『だんドーン』9巻

260807
コミック『だんドーン』9巻

・京都
土佐勤王党、武市半平太
久坂玄瑞は公家(勅使)と共に江戸へ。
公家、姉小路公知、三条実美

・尊融(そんゆう)入道親王(中川宮)→安政の大獄で謹慎。錦の御旗を作った。帝が信用している。

京都 青蓮院

禁闕(きんけつ)→帝の身辺

・高杉晋作
上海留学。

・井上聞多(ぶんた)(馨)

・来島又兵衛、周布政之助

50両→500万円ぐらい
100両→1000万円ぐらい

・土佐藩のトップ 山内容堂

・英国公使館焼き討ち事件(御殿山)
長州過激派がやる。

長州、松門
・山田市之丞
・伊藤俊輔(博文)松下村塾生

・帝(天子様)が「吉田松蔭の処刑は幕府の過ち」と認めた。

・国事周旋(こくじしゅうせん)根回しなど

・桂小五郎、幾松(武家の娘)。伊藤博文が取り持つ

・高杉晋作の妻、雅(まさ)(武士の娘)

・長井雅楽(うた)『航海延暦策』
貿易推進
久坂は「即今攘夷」派。(光明寺党)↑切腹まで追い詰めた。

・5月10日。長州だけ攘夷実行。
→報復される。軍艦全滅。壊滅。

⭐︎長州ファイブ
・伊藤博文
・井上馨
・井上勝
・山尾庸三
・遠藤謹助
国禁を犯し英へ密留学。周布政之助が送る。

「おもしろき こともなき世を おもしろく」
高杉晋作

・川路正之進(利良)としよし
・重野安繹(しげのやすつぐ)漢学の先生。薩摩藩の学者。

・奇兵隊
武士、商人、農民、300人。長州軍の主力となっていく。

日本史【50】軍部の台頭と第二次世界大戦(近代ー19)

260806
日本史【50】軍部の台頭と第二次世界大戦(近代ー19)

昭和戦前7 軍部の台頭1
<陸軍の派閥対立>
陸軍内部の派閥対立
・皇道(こうどう)派(急進派)過激→二・二六事件
真崎甚三郎(まさきじんざぶろう)

・統制派(穏健派)
東条英機・永田鉄山

<岡田啓介内閣>(31代)
・1935年 天皇機関説・問題化
(天皇の権利を押さえて国民の権利を)
内閣は「国体明徴声明」を発表。美濃部学説を否定。
(国体:国の政治体制。天皇制)
→美濃部達吉は貴族院議員を辞職。民主的なものはこのように潰されていく。

・1935年 永田鉄山(統制派)殺害事件
皇道派の相沢三郎が惨殺→皇道派のあせり
↓↓
・1936年 二・二六事件
(追い詰められた)陸軍皇道派・青年将校らのクーデター
1500人以上の兵士。
★戒厳令公布
・暗殺
蔵相:高橋是清
内大臣:斎藤実(元総理(30代目))

・重傷
海軍大将:鈴木貫太郎
↓↓
(結果)
岡田首相は無事だったが、岡田内閣、総辞職。
軍部内は皇道派が一掃され、統制派に一本化。

<広田弘毅内閣>(32代)
「広義国防国家」建設を掲げる

・1936年 「軍部大臣現役武官制」復活
(明治1900年にできた。1913年に改正して、軍が内閣をつぶすことはできなくなっていた。これをまたつぶせるように戻した。)

・1936年 「日独防共協定」調印
秘密協定でソ連を仮想敵国とする。(世界で孤立していた日・独が結び付いた。)

・1936年 西安(しーあん/せいあん)事件
張学良(張作霖の子)が蒋介石(国民党)を監禁。
(蒋介石(国民政府)は満州国を承認するなど、日本に大甘だった。)
→国民政府 VS 中国共産党の国共内戦停止・抗日を要求。
→日中戦争へ

<林銑十郎(せんじゅうろう)>(33代)

<近衛文麿内閣①(日中戦争)>(34代)
・1937年7月7日 盧溝橋事件
北京郊外で日中両軍が衝突。
(cf.1931満州事変・柳条湖事件・奉天郊外)
内閣は不拡大方針。
しかし関東軍は内閣に圧力をかけて戦線拡大。
↓↓
・1937年 日中戦争

・1937年8月 第二次上海事変
(第一次は満州事変のとき)

・1937年12月 南京(国民政府の首都)を占領
南京事件
中国は降伏せず。国民政府は西の重慶まで逃れて抗戦。泥沼の長期戦へ。(~1945.8まで続く)
(援蒋ルート・・米・英から支援を受ける。)

昭和戦前10
<近衛文麿内閣②(新体制運動)>(38代)
(国内)
・1940年 新体制運動
戦争遂行のための国民組織作り
①1940年 政党解散
→「大政翼賛会」(たいせいよくさんかい)結成。
(末端組織:隣組)

②1940年 労働組合解散
→「大日本 産業報国会」結成

③1941年 小学校
→「国民学校」と改称。お国のために尽くすんだ、という教育。

④1941年 米の配給制開始

<近衛文麿内閣②(対外政策)>(38代)
(日中戦争)
・1940年 北部仏印進駐【南進政策①】
(仏印(ふついん):フランス領インドシナ・・現・ベトナム、ラオス、カンボジア)
石油獲得・援蒋ルートの遮断が目的

・1940年 日独伊三国軍事同盟
(前の日独防共協定の仮想敵国はソ連だった)
→今度はアメリカ(米英仏蘭)を仮想敵国とする。米の仲間の仏の領土、仏印に進駐するということが、それを表している。
→アメリカは鉄鋼・くず鉄の禁輸へ(経済制裁)

・1941年 日ソ中立条約
全権:松岡洋右(ようすけ)外相
(米と対立する一方でソ連と手を組む)
(大正・1925年・日ソ基本条約・国交回復)

★近衛は開戦回避のための日米交渉開始。
(近衛総理は外相松岡とは違う動きに。直接米と交渉)
駐米大使:野村吉三郎
国務長官:ハル

<近衛文麿内閣③>(39代)
・1941年7月 南部仏印進駐【南進政策②】
→日米関係はさらに悪化。ABCDライン強化へ。
(米・英・中・蘭の対日経済包囲網)
例:対日石油輸出禁止

・1941年10月 対米強硬路線の陸相・東条英機と近衛内閣は対立
→総辞職

★戦時中の生活
①国内:勤労動員・学徒出陣・女子挺身隊
②朝鮮・台湾
・皇民化政策(日本人化)
創氏改名、日本語強制

 

日本史【49】恐慌の時代と満州事変2(近代ー18)

260806
日本史【49】恐慌の時代と満州事変2(近代ー18)

昭和戦前4
<浜口雄幸(外交・内政)>(27代)
外相:幣原喜重郎
(憲政会→民政党)

・1930年 ロンドン海軍軍縮条約
全権:若槻礼次郎
補助艦保有率
英:米:日=ほぼ10:10:7
(cf.1921-22 ワシントン条約・主力艦(大正時代))
↓↓
・統帥権干犯問題
海軍の条約反対派が首相を攻撃

・1931年 三月事件
軍部によるクーデター未遂事件

・1931年 東京駅で浜口首相は右翼に狙撃され、重傷。翌年亡くなる。
→総辞職

<若槻礼次郎内閣②>(28代)
★満州事変(1931-33)の始まり
・1931年9月18日 柳条湖事件(満州・奉天郊外)
関東軍による南満州鉄道・爆破事件(日本軍の自作自演とも)
若槻内閣は不拡大方針→関東軍は無視して拡大。

・1931年 十月事件
再度のクーデター未遂事件

<犬養毅(外交・内政)>(29代)
(政友会)(浜口・若槻は民政党)
・1932年 血盟団事件
右翼団体の血盟団(中心:井上日召)による、井上準之助(前蔵相)と団琢磨(三井合名会社・理事)の暗殺。

・1932年 満州国建国
清朝最後の皇帝(宣統帝)溥儀、執政就任(後に皇帝になるが日本の傀儡)
(関東軍が、清の満州族・女真族のため建国という名目。日本の侵略ではないと。)

・1932年 リットン調査団
国連から、リットン団長(英)らが来日し調査。

・1932年 五・一五事件
犬養毅首相暗殺→「憲政の常道」終了。
(加藤・若槻①・田中・浜口・若槻②・犬養)

昭和戦前5
<犬養毅(高橋財政)>(29代)
蔵相:高橋是清

★高橋財政
①1931年 金輸出・再禁止
(浜口内閣・井上時の解禁を、もう一度禁止に→また金本位制を停止)
→「管理通貨制度」導入。
国が金(GOLD)を使わないで、お金の価値を調整していく。

②低為替政策(円安政策)
→輸出急増(昭和恐慌を立て直した)
綿織物輸出は英に代わり世界一に。
(経済的にも孤立)

③積極財政
→赤字国債(国の借金)を発行し、景気回復をはかる。
(お金を発行しているのと同じ。貨幣価値は下がる。)
→インフレ

<財界の動き>
★新興財閥(満州事変以降に急成長)
・鮎川義介(あいかわよしすけ)(日産)
・野口遵(のぐちしたがう)(日窒)など
満州へ進出

<斎藤実(まこと)内閣>(30代)軍出身
満州事変
「挙国一致内閣」

・1932年 「日満議定書」締結
→斉藤内閣が満州国を承認。

・1932年 リットン(英)報告書公表
日本の行為を侵略と認定。

・1933年 国連総会(ジュネーブ)
満州国不承認案、採択
賛成42:反対(日本)1:棄権(不参加)(シャム)1
→松岡洋右(ようすけ)・全権退席
→国際連盟からの脱退通告(1933年)
国際社会から孤立していく。

・1933年 塘沽(たんくう)停戦協定
満州事変の停戦協定

 

日本史【48】恐慌の時代と満州事変1(近代ー17)

260806
日本史【48】恐慌の時代と満州事変(近代ー17)
昭和戦前1
<若槻礼次郎内閣①(協調外交)>(25代)
外相:幣原喜重郎
(憲政会)

・1926年12月 大正天皇没、摂政裕仁親王即位。
昭和改元。

・1927年 国民革命軍・蒋介石の北伐に不干渉(邪魔しない)(協調外交)

<若槻礼次郎内閣①(金融恐慌)>
蔵相:片岡直温(なおはる)

・1927年 金融恐慌
(発端)
未決済の震災手形をめぐる片岡直温蔵相の失言
(震災で支払い不能となった手形)
「東京渡辺銀行がつぶれた」と言ってしまった。(つぶれてない)
(内容)
取付騒動→銀行の破産、会社の倒産が続出
(預金者が引き下ろしに殺到)
(例)
鈴木商店(大会社):①倒産
↑↑不正融資(鈴木商店に財産・担保がないのに貸していた)
台湾銀行:②休業
特殊銀行、台湾を支配するために作っていた。

(結果)
若槻内閣:③総辞職
台湾銀行・救済緊急勅令案(国がお金を出す)
↓↓
枢密院は拒否。
(理由:幣原喜重郎外相の協調外交が不満だったから)
若槻礼次郎内閣①は総辞職。

<田中義一内閣(金融政策)>(26代)
蔵相:高橋是清(元20代総理)
(政友会)
今回の内閣は中国にも「強硬外交」。だから潰されない。

金融恐慌を収束。
・「日銀非常貸出」(台湾銀行などに貸す)
・「3週間のモラトリアム(支払猶予令)
の実施。
↓↓
五大銀行の金融支配
三井・三菱・住友・安田・第一(元・第一国立銀行)
(合併・統合が進んで、小さい銀行は倒産。カルテル・トラスト。平成にも同じような銀行再編・統合があり、メガバンクになった。第一→第一勧銀銀行→みずほ銀行に。)

インフレに。

昭和戦前2
<田中義一内閣(外交・内省)>(26代)
田中義一外相
(政友会)
・1928年 「パリ不戦条約」調印
提案:ケロッグ(米)・ブリアン(仏)
「軍艦を使わない」

(強硬外交)
・1927年~ 山東出兵(1次~3次)
(蒋介石の北伐に対する干渉(邪魔をする))
元々日本の利権があったところ。九ヵ国条約で返した。

日本は張作霖(北方軍閥)の支援をしていたが、蒋介石に敗れた。
↓↓
・1928年 張作霖爆殺事件(満州某重大事件)
奉天に帰る途中、列車ごと爆破。
→事件処理をめぐって田中内閣総辞職。

(※明治に置かれた「関東都督府」は、大正に「関東軍(軍)」と「関東庁(役所)」に分かれた。)

(国内)
・1928年 普通選挙法による初の総選挙
→無産政党員8名当選
(大政党に有利な小選挙区制でも、8名も出た)

・1928年 三・一五事件:共産党弾圧

・1928年 治安維持法改正:最高刑を(懲役10年→)死刑に改正

・1928年 特別高等警察・全国設置

・1929年 四・一六事件:共産党弾圧

<浜口雄幸(井上財政)>(27代)
蔵相:井上準之助(後に✕)
(憲政会→民政党)

★井上財政
・1917年 金(輸出)禁止(寺内内閣)
(=金本位制をやめる。欧が戦争中でやめたから。)
↓↓
①1930年1月 金(輸出)解禁
(=金本位制(固定相場制)に復帰した。)
※固定相場だと貿易しやすいから、復帰した。
→世界恐慌のあおり。
欧米と共倒れに・・

②緊縮財政(支出を圧縮する)
(明治・松方正義もやった手法。デフレ物価↓になった)

③産業合理化
(例)「重要産業統制法(1931年)」
会社の合併。カルテル(会社の連携)などの結成を助長。
↓↓
しかし、デフレと世界恐慌の影響で・・
↓↓
・1930年 昭和恐慌(大不況)
– 生糸(絹織物の原料・米向け。NY株暴落)の輸出激減。
– 中小企業、農家の没落。

☆恐慌
(大正)
①1920 戦後(WW1)恐慌
②1923 震災恐慌
(昭和)
③1927 金融恐慌
④1930 昭和恐慌

 

 

 

コミック『だんドーン』8巻

260806
コミック『だんドーン』8巻

・1862 文久の改革
島津久光が幕政改革を依頼しに薩摩から江戸へ。
江戸・伝送(てんそう)屋敷
公家 大原重徳(しげとみ)帝の使い

三事策

・生麦事件
奈良原喜八郎
海江田信義(有村俊斎)

・彦根藩は藩祖井伊直政の時代からの京都守護職も解かれる。

・会津藩主 松平容保が京都守護職に。

・城下士・川畑種長。妹を川路利良に紹介。後に(明治10年)川路の部下となり、田原坂で、半次郎率いる薩摩軍に斬り込む。

・中村半次郎(桐野利秋)
太郎に中村性を与える。

・土佐勤王党リーダー
武市半平太
土佐は京都への進出に薩摩、長州からは遅れをとっている。

いごっそう・・気骨のある快男児

田中新兵衛は、土佐勤王党、長州過激派の手伝いをしていくことになる。
岡田以蔵。四大人斬り3人目