歴史note – 歴史の学びメモ

日本史【21】室町時代の社会経済(中世ー10)

260627
日本史【21】室町時代の社会経済(中世ー10)

<惣(そう)>
・惣(惣村)・・村の地縁的(土地のつながり・地元の人)自治結合(自然村落)
「荘園公領制」の内部にこういう「惣村」ができてきた。
・惣のリーダー・・乙名(おとな)・沙汰人(さたにん)

☆惣の組織
・寄合(会議)
・惣掟(そうおきて)・・村掟、地下掟(じげおきて)、法律
・自検断(地下検断・じげけんだん)・・警察
・入会地(いりあいち)・・共同利用地
・百姓請(地下請・じげうけ)・・年貢徴収請負
・宮座・・神社に集まる

☆惣百姓による領主への抵抗
・強訴(集団で訴える)
・逃散(集団で逃げる)
・一揆(集団武装蜂起)・・元々は「一致団結する」の意味。

<農業の発達>
・二毛作→全国的に
(鎌倉時代は二毛作は畿内中心)
・三毛作(米・麦・そば)→畿内中心
・品種改良
早稲(わせ)(大唐米)、中稲(なかて)、晩稲(おくて)
・肥料:刈敷、草木灰、下肥(しもごえ)

<貨幣の流通>
・経済の発達
明との勘合貿易による「明銭」の大量輸入。
永楽通宝、洪武通宝。
(cf 鎌倉は宋銭)
→代銭納(だいせんのう)の一般化。年貢の代わりにお金で納める。

・貨幣不足
→私鋳銭(しちゅうせん)の増加。偽金。びた銭。
→撰銭(えりぜに)の増加。
店側が悪銭を拒否して、良銭を要求→社会混乱。
→「撰銭令(えりぜにれい)」発布
撰銭を禁止。私鋳銭の交換基準を定める。
(後に信長も撰銭令を出す。)

<商工業の発達>
・酒屋・土倉(倉庫業)・寺院・・高利貸し
・六斎市・・定期市

・馬借(ばしゃく)・車借(しゃしゃく)・・陸上運送
・廻船(かいせん)・・海上運送
・問屋(といや/とんや)・・卸売商人
※鎌倉の運送業者「問丸(といまる)」が、卸売り(取り次ぎ)を専門にするようになった。

☆職人
・鍛冶(かじ)・・武器
・鋳物師(いもじ)・・釜・鍋
・番匠(ばんしょう)・・大工

☆行商人(売り歩き)
・振売(ふりうり)・・呼び売り
・大原女(おはらめ)・・炭や薪
・桂女(かつらめ)・・鮎
・連雀商人(れんじゃくしょうにん)・・連雀(背中の荷物)

☆「座」の発達(平安後期から出現)
専売同業者組合。特権。
荘園公領制がまだある。荘園で一番えらい人。
本所(荘園領主)による保護を受け、独占的利益をあげる。
(座)大山崎油屋←(本所)石清水八幡宮

<自由都市>室町後半
・自由都市(自治都市)
大名、幕府などの支配を受けず、商人などが自治を行う。
・堺・・36人の会合衆(えごうしゅう)
・博多・・12人の年行司(ねんぎょうじ)
・京都・・町衆(まちしゅう)

 

日本史【20】室町時代の外交(中世ー9)

2606
日本史【20】室町時代の外交(中世ー9)

<明(日明貿易開始まで)>
1368年 朱元璋(洪武帝)が明を建国
→倭寇に苦しむ

1369年 洪武帝が懐良(かねよし)親王(征西将軍)に倭寇禁圧を要求→南北朝動乱の中で対応できず

1401年 義満が遣明船派遣
祖阿(そあ)(僧侶)と肥富(こいずみ)(博多商人)を明に派遣。

1404年 日明貿易・開始(3代義満)
「勘合貿易」朝貢形式
勘合のチェックは港町の寧波(ニンポー)でして、交易は北京(順天府)でする。

<明(日明貿易の展開)>
1411年 日明貿易・中断(4代義持)
(朝貢形式を屈辱として)

1432年 日明貿易・再開(6代義教)
(貿易の利益に着目)

・日明貿易の実権は、応仁の乱後「幕府」から「大名」へ。(幕府は税金を取る)。

1523年 寧波の乱(にんぽうのらん)
貿易の実権をめぐって、寧波で日本人同士が衝突

〇 大内氏(博多商人)→以後、貿易独占
VS
✕ 細川氏(堺商人)

1551年 大内氏滅亡→貿易衰退
(大内義隆✕)

<朝鮮>
1392年 「朝鮮」建国(~1910)
李成桂が「高麗」を滅ぼし建国

・日朝貿易、開始
→対馬の宗氏が仲介。

1419年 応永の外寇
朝鮮軍が対馬を倭寇の根拠地とみなして襲撃。
→日朝貿易、衰退

1443年 嘉吉条約:日朝貿易、本格化(復活)

1510年 三浦の乱(さんぽのらん)
倭館の置かれた三浦(さんぽ)(塩浦えんぽ・富山浦ふざんほ・乃而浦ないじほ)で日本人が反乱
→日朝貿易、衰退

<日明・日朝貿易の輸出入品>

輸入 輸出
日明貿易 明銭(銅銭「永楽通宝」)→経済発展
生糸
銅・工芸品
硫黄・刀剣
日朝貿易 木綿
(衣服が麻→木綿へ)
銅・工芸品
硫黄・刀剣

<琉球>
1429年 琉球王国 建国
中山王・尚巴志(しょうはし)が三山を統一(都:首里)
(北山・中山・南山)

「中継貿易」で繁栄。

<蝦夷地>
・和人が蝦夷ヶ島(北海道南部)に進出。港や館(たち・たて)をつくる。函館は12個の館の一つ。

1457年 コシャマインの戦い
アイヌの首長が蜂起

 

日本史【19】室町時代の政治(中世ー8)

260626
日本史【19】室町時代の政治(中世ー8)

室町幕府
<3代将軍・足利義満>
1391年 明徳の乱
山名氏清 討伐(六分一殿・11ヶ国/66支配)

1392年 南北朝の合一(ごういつ)
覚え方「いざ国を統一1392」
後亀山天皇(南朝)が→後小松天皇(北朝)に譲位(返す)

<4代義持>
・義満は将軍職は4代義持に譲り、自らは太政大臣となり政治を続ける。

1399年 応永の乱
守護大名・大内義弘 討伐(中国・北九州6ヶ国支配)

4代義持没後
1428年 正長の土一揆(しょうちょうのどいっき)
土民(一般農民)が高利貸しを襲う。
近江・坂本の馬借(ばしゃく)(運送業者)が徳政令を要求→鎮圧される。
※幕府は「徳政令」は出していない。

<室町6代将軍・足利義教(よしのり)>
くじ引きで就任→「万人恐怖」政治

1429年 播磨の土一揆
守護の赤松氏の国外退去を要求。
守護・赤松満祐(みつすけ)が鎮圧。

1438年 永享の乱
✕足利持氏(鎌倉公方・鎌倉府No1)
VS
〇上杉憲実(関東管領・鎌倉府No2)

6代・足利義教が、足利持氏を滅ぼす。

1441年 嘉吉の乱
播磨守護・赤松満祐が6代将軍・義教を謀殺。
↓↓
1441年 嘉吉の土一揆
「代始めの徳政」を要求。
※幕府はここで最初の「徳政令」を出した。

<8代将軍・足利義政>
1455年~ 鎌倉公方の分裂
次の鎌倉公方をめぐって対立

堀越公方(ほりごえくぼう)伊豆
足利政知(まさとも)(義教の子)
VS
古河公方(こがくぼう)下総
足利成氏(しげうじ)(持氏の子)

☆関東管領・上杉氏の分裂
扇屋上杉氏(おうぎがやつ・うえすぎし
VS
山内上杉氏(やまのうち・うえすぎし)

関東地方は一足先に戦国時代へ・・。

・1467年~1477年 応仁(・文明)の乱(11年間)
西・山名持豊 VS 東・細川勝元

(西軍)
・山名持豊(山名宗全)
・足利義尚(義政の子)
・日野富子
・斯波義廉(よしかど)
・畠山義就(よしなり)
VS
(東軍)
・細川勝元(管領)
・足利義親(よしみ)(義政の弟)
・斯波義敏
・畠山政長
↓↓
京都は荒廃。将軍も管領家も力を失う・・。戦国の世へ。

<各地の一揆>
1485年 山城の国一揆(やましろのくにいっき)
国人(元・地頭)が守護・畠山氏を追放。(下剋上)。南山城を8年間国人たちが自治支配。

1488年 加賀の一向一揆
一向宗(浄土真宗)の信徒が守護・富樫政親(とがしまさちか)を滅ぼす。以後100年間、加賀一国を支配。

 

日本史【18】室町時代(中世ー7)

260626
日本史【18】室町幕府(中世ー7)

<室町幕府の政治機構>
・将軍
・奉公衆(ほうこうしゅう)(直轄軍300人)

(中央)京都・室町
管領(かんれい)→将軍補佐

・侍所
・政所
・問注所
・評定衆

(地方)
・鎌倉府
・九州探題
・守護
・地頭

(中央)京都・室町
☆管領(かんれい)
「三管領(さんかんれい)」・・畠山、斯波、細川。
源氏の血を引く三家。足利の仲間。交代で努める。
→権力集中を防ぐため。

※鎌倉幕府は将軍が源氏で、サポートの執権は平氏、と違う流れだった。しかも北条氏一つの家だけ。室町の将軍サポートの管領は同じ源氏で、しかも三つの家から出す。

☆侍所(京都警備)の所司(しょし)(長官)
「四職(ししき)」・・京極、山名、赤松、一色
こちらも源氏の血を引く四家。
覚え方「京都の山は赤一色」

(地方)
☆「鎌倉府」・・ミニチュア幕府
・「鎌倉公方」関東No1
(公方は将軍の意味)
初代・足利基氏(もとうじ)(尊氏の四男)

・「関東管領」関東No2(上杉氏が世襲)

☆九州探題
今川了俊(貞世・さだよ)

・守護の力が強くなってくる。

<室町幕府の財源>
①「御料所(ごりょうしょ)」(直轄領)から→土地が少ない
年貢・公事(くじ)・夫役(ぶやく)
(荘園と同様)

②それ以外から
農民から
・段銭(たんせん)・・田畑
・棟別銭(むなべつせん)・・家屋

商人(高利貸し)から
・酒屋役(さかややく)
・土倉役(どそうやく)/倉役(くらやく)

港から
・津料(つりょう)・・入港料

関所から
・関銭(せきせん)・・通行料
※江戸時代の関所は人のチェック。室町時代は税金。

貿易の関税
・抽分銭(ちゅうぶんせん)

徳政令の手数料
・分一銭(ぶいちせん)

<守護の成長>
守護の職務は、鎌倉時代は「大犯(たいぼん)三箇条」だけだったが、室町時代ではパワーアップ。

・「刈田狼藉(検断)権」(かりたろうぜきけん)
→稲の強盗の取り締まり

・「使節遵行権」(しせつじゅんぎょうけん)
→幕府の裁定の強制執行権

・「半済令」(はんぜいれい)
・「守護請」(しゅごうけ)
土地の支配権を得る
↓↓
「守護大名」に成長

<守護領国制(しゅごりょうこくせい)>
守護大名を中心とした支配体制。(ピラミッド型、他の人が家来になった。)
・守護(もしくは守護代)
・国人(こくじん)・・地元の有力武士(荘官・地頭から成長)
・地侍(じざむらい)・・地主、有力農民(乙名・沙汰人。名主から成長)
・土民(どみん)・・一般庶民(農民・漁民・馬借など)

 

 

コミック『だんドーン』3巻

260626
コミック『だんドーン』3巻

薩摩・国分(こくぶ)高級タバコ

水戸藩「戊午の密勅」を持て余してる。
徳川斉昭は永蟄居で家から出られない。

梅田雲浜(うめだうんびん)
反井伊派の学者。拷問死。

月照和尚と西郷が井伊派(多賀者)に狙われる。

・藩主・島津斉彬亡き後の薩摩藩
斉彬の弟、久光が後見に。
久光の長男、忠義が藩主に。
実権は、前々藩主、斉興が握る。
集成館事業、縮小される。いも焼酎。

大久保一蔵。(利通)
西郷の幼馴染。
斉彬派の若い藩士「誠忠組」のまとめ役。

・久光と大久保が手を組む。

月照は日向送り。西郷だけ助ける。西郷は菊池源吾と改名し3年ほど奄美へ。

・水戸藩は「親藩」(将軍家の親戚)だが、政治には参加できていなかった。将軍は昔からの家来「譜代大名」と政治していたから。そこで幕末になると「外様大名」と一緒に政治に口出しするようになる。

・水戸藩は「戊午の密勅」を幕府に渡すかどうかで藩内が揉めている。

・有馬新七。薩摩の藩学問所の教授。過激派。

・南紀派、慶福(よしとみ)は、14代徳川家茂となった。

帝の妹、和宮と婚儀で「公武合体」をめざす。(過激派を抑える)

・日下部祐之進
薩摩と水戸の架け橋

有村兄弟は井伊を討つ気。
三男、有村次左衛門。剣は薬丸自顕流。

多賀、彦根城近く、犬上川(いぬかみがわ)

コミック『だんドーン』2巻

260623
コミック『だんドーン』2巻

・はなれ瞽女(ごぜ)
盲目の女旅芸人。歌や三味線。

・自顕流(じげんりゅう)

・島津斉彬(なりあきら)。薩摩藩主。
日本の近代化を目指した。

海沿いに土塁を作る。異国船を警戒。反射炉で作った大砲。

・「じめさぁ」持明院。初代藩主・島津忠恒(島津義久の三男)の正室。

・薩摩藩の赤字
西洋式工場、集成館、土塁工事、篤姫の輿入れなど。

ガス灯、輸出用ガラス工芸品。
ニセ金作り、密貿易。

・先代薩摩藩主 島津斉興(なりおき)。(斉彬の父)

⭐︎戦国 島津四兄弟
九州のほぼ全域を収める。
・長男 島津義久(関ヶ原で負けたが家康から本領安堵を勝ち取る。交渉上手)大器。
・次男 島津義弘(軍神)剛勇。
・三男 島津歳久。智計。
・四男 島津家久。軍略。

・アメリカ駐日総領事ハリス
・外交官 岩瀬忠震(ただなり)
・堀田正睦
「日米修好通商条約」に朝廷や公家は反対。

一橋派の橋本左内(福井)の動きも実らず、13代家定が、彦根藩主・井伊直弼を大老に抜擢。2人は南紀派。政争は南紀派の勝ちに。一橋派は罰される。

・浜崎太平次、商人。ヤマキ。薩摩藩のサポート。ジャワ島など海外貿易。

・幕府改革を帝に訴えるため、薩摩が京都に卒兵上京の計画。

・小松帯刀
薩摩藩の名門小松家に婿養子に入った。
後に薩摩藩、家老になる。

・ジョゼフ・フーシェ
ナポレオンが恐れ、頼りにした、情報収集の天才。国を守る組織「ポリス」を作った。

西郷隆盛がナポレオンになり、川路がフーシェになれと斉彬が言う。

・1858年7月8日
島津斉彬は突然発病し、亡くなる。
(藩主には斉彬の異母弟である久光の嫡男・忠義を指名。)

・近衛家。月照ら、斉彬派の次の作戦。
「戊午の密勅」

幕府は帝の許可なくアメリカと条約を結んだ。それに朝廷は怒っている。
↓↓
「幕府は各藩と力を合わせて政治改革を。
朝廷と幕府も力を合わせる公武合体をせよ。」

この「勅命」を「幕府」ではなく「水戸藩」(徳川斉昭)に渡して、実行してもらう。
↓↓
「幕府」の面目が潰れる。
「安政の大獄」につながる…。
(幕府側による大弾圧)

・関白・九条家に多賀者、島田が入ってる。

薩摩藩
・薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)
一撃必殺剣
・直心影流(じきしんかげりゅう)
道場剣術。防具、竹刀。

日本史【17】建武の新政と南北朝動乱(中世ー6)

260623
日本史【17】建武の新政(中世ー6)

<建武の新政>
1333年 建武の新政
後醍醐天皇(大覚寺統)による、「延喜・天暦の治」(醍醐帝・村上帝)を理想とする親政。(後醍醐の次は後村上天皇)

・「綸旨」(りんじ)(天皇の命令・簡易的)が絶対的効力を持つ
・3年足らずで崩壊。
(理由)
①貴族に厚く、武士に薄い恩賞(武士の不満)
②社会の混乱。「二条河原の落書(にじょうがわらのらくしょ)」

<建武の新政の政治機構>
(中央)京都
・「記録所(きろくじょ)」・・政務全般
(後三条帝の「記録荘園券契所」をなぞらえて復活させた。)
・「雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)」・・訴訟・裁判
・恩賞方(おんしょうがた)・・恩賞
・武者所(むしゃどころ)・・武士の統率。頭人:新田義貞

(地方)
・鎌倉将軍府
・陸奥将軍府
・国司(貴族)
・守護(武士)
1つの国に「国司」と「守護」を併置するのは、トラブルの元に・・。→うまくいかない。

<南北朝の動乱>・・1336年~1392年まで(56年間)

1335年 中先代の乱
北条時行(執権14代・北条高時の子)が信濃で挙兵、鎌倉を奪回する。
→足利尊氏が京都から鎌倉へ向かい、鎮圧。
→乱後、尊氏は天皇に反旗を翻し、京都に攻め入る。

1336年 湊川の戦い
足利尊氏〇 VS ✕楠木正成
入京。

1336年 足利尊氏が、光明天皇(北2)(持明院統)を擁立。(北朝)

1336年 「建武式目」を制定(基本政策。17条)not 法律

1336年 後醍醐天皇が皇居を吉野(大和・奈良)に移す。
三種の神器を持っていく。(南朝)
→南北朝が並立。(天皇が2人)

 

<室町将軍・初代・足利尊氏>
(南北朝の動乱)
1338年 足利尊氏 征夷大将軍となる。室町幕府の初代将軍。
1339年 南朝・後醍醐天皇が病死→後村上天皇が即位。

1350年 観応の擾乱:北朝内部の争い
軍事権 足利尊氏(兄)・高師直
VS
政治 足利直義(ただよし)(弟)

1352年 尊氏が直義を毒殺→観応の擾乱終了

1352年 「半済令(はんぜいれい)」
「守護」に「荘園領主」の年貢の半分を与える。
(尊氏の求心力が下がっていたので、守護に権利を与えた。)
→守護が収入を手にする。
ーーーーーーーーーーー
荘園領主 200
守護 0

地頭 200

荘園 400
ーーーーーーーーーーー
⇩⇩
(半済令)
荘園領主 100
守護 100(パワーアップ)

地頭 200

荘園 400
ーーーーーーーーーーー

1354年 北畠親房(きたばたけちかふさ)、没。
『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』
南朝の正当性を主張。

1358年 足利尊氏亡くなる。
→将軍は2代足利義詮(よしあきら)へ。

 

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(24)「軍師官兵衛!」(2026/6/21放送)

260623
『豊臣兄弟!』(24)「軍師官兵衛!」(2026/6/21放送)メモ

【あらすじ】村重(トータス松本)に幽閉されて1年、官兵衛(倉 悠貴)は心身共に限界を迎えていた。籠城を続ける村重と織田軍の戦は膠着(こうちゃく)状態にあったが、小一郎(仲野太賀)が兵糧の補給路を断つことに成功。妻・だし(山谷花純)の説得で、村重はついに投降を決意する。信長(小栗 旬)への取り次ぎを任された小一郎は、だしに官兵衛への伝言を託す。無駄な血を流さず戦が終わると思われたやさき、驚きの事態が! 状況は一変し――。(ーNHK公式サイトより)


天正6年(1578年)10月
・秀吉が三木城攻め(別所長治の居城)
兵糧攻め。
福島正則ら、初陣。

・有岡城攻め(荒木村重の居城)
織田信忠(信長の長男)
池田恒興
滝川一益
織田信澄

村重逃亡。家臣、一族は始末される。

・三木城軍略。
力攻めしろという信忠に対して、官兵衛は「別所は播磨で慕われている。力攻めで落としてもそのあと国衆が付いてこない。」と説得。

天正8年1月
三木城城主・別所長治が切腹。家臣は助かる。

ーーーーーーーーーーーーー

「豊臣兄弟!紀行」(24)

・姫路城(兵庫県姫路市)
黒田官兵衛尉義孝(くろだかんべえのじょう よしたか)。西播磨を治めていた小寺の重臣として仕えていた。(御着城)。

官兵衛は姫路城を秀吉に献上する。秀吉は三重天守の巨大な城に作り変えた。

・福岡城跡(福岡県福岡市)
官兵衛は息子の黒田長政と共に、福岡の町の礎を築いていく。

 

日本史【16】鎌倉時代の社会経済(中世ー5)

260622
日本史【16】鎌倉時代の社会経済(中世5)

鎌倉時代の人々の生活
<惣領制>
惣領:一族の長
庶子:それ以外の人
一門:一族全体

武家の中心
惣領
|  |
庶子 庶子

「惣領」が幕府と主従関係を結び、地頭に任命され「御家人」となる。

・相続の方法
分割相続(鎌倉時代)→単独相続(鎌倉末期)になった。
跡継ぎにだけ。所領の細分化になってしまうため。

<武士(御家人・地元のリーダー)の生活>
・館(やかた):武士の居館。所領の中心地。武家造。
武士の館『一遍上人絵伝』に残る。

・武芸
☆騎射三物(きしゃみつもの)(馬と弓)
・流鏑馬(やぶさめ)(連射)
・笠懸(かさがけ)
・犬追物(いぬおうもの)先は丸いかぶら矢

☆兵の道(つわもののみち):武士の守るべき道徳

<地頭の荘園侵略>
・地頭(元・荘官)の仕事・・荘民(農民)から税金を取り、荘園領主に渡す

荘園領主
↑↑(渡す)
地頭(集める)
↑↑(税金納める)
荘民

①「荘民」への侵略・・税金の取り過ぎ
紀伊国 阿氐河荘(きいのくに あてがわのしょう)

②「荘園領主」への侵略・・税金を渡さない
「承久の乱」以降、武士が貴族の言うことを聞かなくなってきた。
↓↓
(解決法・妥協案)
・「地頭請」(じとううけ)
荘園領主が地頭に、荘園の支配権(税金何%など)を譲る代わりに、年貢を納めることを約束させる。

・「下地中分」(したじちゅうぶん)
「荘園領主」と「地頭」で土地を半分ずつ支配する。
「伯耆国東郷荘(ほうきのくに・とうごうのしょう)」(鳥取)

・「悪党」(あくとう)
「鎌倉幕府」や「荘園領主」に抵抗した地頭や、非御家人などの「新興武士層」のこと。
例・楠木正成など

<鎌倉時代の農業>
・二毛作(1年の間に別のモノを作る。米と麦など。)
(cf.二期作→1年の間に同じ物を2度作る)
裏作:麦。畿内・西日本で広がる。

・鉄製農具、牛馬耕の普及。

・副業の発達
荏胡麻(えごま)(灯油の原料)などを栽培。→家の中に灯がともるようになった。

・肥料の発達
刈敷(かりしき)・・草を刈って敷く→肥料に。
草木灰(そうもくかい)・・草木を燃やして灰にする→肥料に。

<鎌倉時代の経済>
・宋銭の流通→経済が発達

・三斎市(さんさいいち)・・定期市
備前国 福岡市 定期市(岡山県)『一遍上人絵伝』

・見世棚(みせだな)・・常設店舗
(「店」の語源。)

・借上(かしあげ)・・高利貸し
・問丸(といまる)・・運送業者
・為替(かわせ/かわし)・・遠隔地間の手形決済制度。お金の代わりの紙。

日本史【15】鎌倉時代(中世ー4)

260620
日本史【15】鎌倉幕府(中世4)

<承久の乱の結果>
1221年 承久の乱
後鳥羽上皇✕ VS 〇鎌倉幕府(2代執権・北条義時)
(朝廷・貴族✕ VS 〇武士)

☆3上皇の配流
・後鳥羽上皇→隠岐(島根)
・土御門上皇→土佐(高知)
・順徳上皇 →佐渡(新潟)

・譲位 仲恭天皇→後堀河天皇へ譲位させられる 。

・京都守護→「六波羅探題」設置。(六波羅は平清盛が政治していた所。ここで北条氏が政治をする。)
初代・北条泰時・時房→西国支配権も確立。(政治・裁判)

・「新補地頭(しんぽじとう」)・・乱後、新たに任命した地頭(幕府の御家人)のこと。
(補任(ぶにん)=任命すること)
→得分は「新補率法(しんぽりっぽう)」による。(反別五升の加徴米・特別権利)。(そうすると集まりやすいから。)
_

<3代執権・北条泰時>
2代執権・義時が亡くなり、子の義時が、京都・六波羅探題から鎌倉幕府に戻ってきて、3代執権になる。

1225年 「連署(れんしょ)」(=執権補佐・署名を連ねる)を設置→初代・北条時房(泰時の叔父)

1225年 「評定衆(ひょうじょうしゅう)」設置
合議制機関(政務・裁判)
13人(執権1人+連署1人+評定衆11人)

1226年 摂家将軍(藤原将軍)擁立
→初代・九条頼経(くじょうよりつね)(=関白・藤原道家の子・藤原頼経・幼名「三寅(みとら)」北条政子が後見人に。)

☆藤原氏の分裂→五摂家
近衛(筆頭格)、一条、二条、九条、鷹司

<貞永式目(じょうえいしきもく)>
1232年(貞永元年) 「貞永式目(御成敗式目・ごせいばいしきもく)」制定。
(式目・・法律の条文。「法式条目(ほうしきじょうもく)」の略。)
・最初の武家法。
・平易で文字の読めない武士も理解した。対象は武士のみ。(幕府と御家人のルール)
朝廷→公家法(=律令)。荘園→本所法。(本所は荘園領主のこと)

※鎌倉時代は武士と農民がきちんと分かれていない。普段農民をしていて戦になると戦う。こういう人は貞永式目の対象に含まれていない。あくまで「御家人」のためのルール。

・51ヶ条。「守護・地頭の職務」、「所領問題」が中心。
(法律・条文は17条がいいと言われた。十七条憲法などから。その3倍)

・「道理」・・武家社会の慣習。
(現代の「道理」とは意味が違うので注意。)
・「先例」・・頼朝以来の政治・裁判。
(土地を20年支配したらその御家人のもの。→今の民法にもつながる。)

・追加法は「式目追加」という。

<5代執権・北条時頼>(3代泰時の孫)
1247年 宝治合戦(ほうじかっせん):三浦泰村滅亡(他氏排斥⑤最後)

1249年 「引付衆(ひきつけしゅう)」を設置。
「裁判事務」を行ない、「評定衆」を補佐。

1252年 「皇族将軍」(親王将軍)を擁立。
(摂家(藤原)将軍よりレベルアップ。)
宗尊(むねたか)親王・後嵯峨天皇の子。

(出家後→最明寺入道時頼)
(徒然草184段。時頼の母・松下禅尼。母の兄・安達義景。)

 

<鎌倉幕府将軍 9人>
・源氏将軍(3人)・・①源頼朝②源頼家③源実朝
・摂家(藤原)将軍(2人)・・④九条頼経⑤九条頼嗣
・皇族(親王)将軍(4人)・・⑥宗尊親王⑦惟康親王⑧久明親王⑨守邦親王

1253年 建長寺(けんちょうじ)創建。(鎌倉五山第一位)
(開山・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう))

 

<執権8代・北条時宗>

★元寇(蒙古襲来)
・チンギス=ハン(カーン)がモンゴル統一。
・孫のフビライ(クビライ)=ハンが元を建国。日本へ服属要求→時宗は何度も拒否。

・1274年 文永の役
元軍は暴風雨で撤退。

・異国警固番役(いこくけいごばんやく)を強化(1275年)。
沿岸に石塁(せきるい)(石築地(いしついじ))を設置。

・1281年 弘安の役
元軍は暴風雨で撤退。(もしくは統制が取れていなかった。南宋は服属したばかり(→1276年)で、元にやらされているので。)

・元軍のてつはう(火薬)攻撃と集団戦法に苦戦。
・恩賞不十分→御家人困窮・・。

・『蒙古襲来絵巻(もうこしゅうらいえまき)』御家人・竹崎季長(たけさきすえなが)
(絵を描かせた。自分が描かれている。)

 

<執権9代・北条貞時>
鎌倉時代後期
1293年 「鎮西探題」を設置。
九州の支配権を強化。

1285年 霜月騒動(しもつきそうどう)
→「得宗専制体制」が確立。合議ではなく得宗の独裁になっていく・・。

〇平頼綱(内管領・うちかんれい)
VS
✕安達泰盛(有力御家人)

・得宗・・北条氏の嫡流
・御内人(みうちびと)・・得宗の家臣
・内管領・・御内人の最有力者

・将軍=御家人・・力弱まる
・得宗=御内人(トップは内管領)・・力強まる

1293年 平禅門(ぜんもん)(頼綱)の乱
平頼綱が北条貞時に滅ぼされる。

<永仁の徳政令>
1297年 永仁の徳政令
目的:元寇で窮乏した御家人の救済

・売却や質入れされた「土地を御家人に返還」する。
(御家人が借金のかたに取られた土地を無償で返還してもらえる。借金の帳消しのようなもの)

・金貸しは土地を取られて困るが、幕府にとって御家人の方が重要だから(戦ってくれるから)この法令が出された。

(例外)(金貸しにではなく)御家人に売却した土地で、しかも売却後20年以上経った場合は返還不要。

 

<執権14代・北条高時>
(朝廷)
皇統の分裂
後嵯峨法王の死後、皇位をめぐり対立。

兄・後深草天皇 VS 弟・亀山天皇
持明院統       大覚寺統
(長講堂領)     (八条女院領)

この争いに鎌倉幕府が仲介に入る。
1317年 文保の和談(ぶんぽうのわだん)(幕府の仲介)
①両統迭立(りょうとう てつりつ)
交互に皇位に就く
②後醍醐天皇(大覚寺統)皇位就任

執権14代・北条高時は、政治に興味なし。闘犬・田楽など。
→内管領・長崎高資(たかすけ)が実権。
鎌倉幕府はうまく機能せず、人々は不満が高まる。

・倒幕計画(by 後醍醐天皇)
1331年 元弘(げんこう)の変
(※1331年(元弘元年)『徒然草』が書かれた。)

幕府は後醍醐天皇を捕らえて、隠岐に配流。

倒幕に向けて、各地で武士が立ち上がる。

①楠木正成(くすのきまさしげ)、河内(山中の砦)で挙兵。
②後醍醐天皇、隠岐を脱出。
③足利高氏(尊氏)、六波羅探題を攻め落とす。(下野国(栃木)・足利の出身・源氏)
④新田義貞(にったよしさだ)、(上野国(群馬)出身・源氏)鎌倉を攻め落とす。
→北条高時自刃。鎌倉幕府滅亡(1333年)