歴史note – 歴史の学びメモ

日本史【37】政党の結成(近代ー6)

260724
日本史【37】政党の結成(近代ー6)
(1881~1885年)

<政党の結成>(国会を作る)
☆政府を批判する政党
・1881年 「自由党」
党首:板垣退助
機関誌:自由新聞
フランス流・自由主義的・急進(過激)
「自由民権運動」の人たち
支持層:士族、豪農、商工業者

・1882年 「立憲改進党」
党首:大隈重信
機関誌:郵便報知新聞
イギリス流・穏健
支持層:都市の実業家・知識層

☆政府の味方の政党
・1882年 「立憲帝政党」
党首:福地源一郎
機関誌:東京日日新聞
保守的・政府系

★私擬憲法
政党など民間で作られた憲法の私案
・東洋大日本国国憲按:植木枝盛(うえき・えもり)(自由党系)(国民の自由を強く認めよう)
・私擬憲法案:交詢社(こうじゅんしゃ)(福沢諭吉系)

<憲法制定の準備>
政府の中心:伊藤博文
82~84年準備。85年内閣制度ができる。→89憲法→90国会

<1882年→伊藤が渡欧。自由党が激化。朝鮮で政変>

・1882年 伊藤博文、渡欧
グナイスト(ベルリン大学)
シュタイン(ウィーン大学)
に師事。プロイセン憲法(ドイツ憲法)を学ぶ。
「国家主義」国民一人一人より国を優先。国権論。

・1884年 「華族令」
貴族院創設に備え、5爵の爵位を創設。華族の数を増やす。
(華族:江戸時代の大名。身分の高い貴族)
例:公、侯、伯、子、男

<自由党の激化事件>
(政府:伊藤博文)
自由党が警察と衝突して過激になっていく。

・1882年 「福島事件」(福島県)
福島県令・三島通庸(みしまみちつね)の圧政(税金取り過ぎ&労役)に、農民や自由党員が抵抗。自由党幹部・河野広中(こうのひろなか)ら逮捕。

・1884年 「加波山(かばさん)事件」(茨城県)
栃木県令・三島通庸の暗殺計画→失敗
→「自由党」解党へ
(「政党」とは国会議員のグループ。「国会」とは法律を作るところ。党員が違法なことをしてはいけない。)

・1884年 「秩父事件」(埼玉県)
借金党・困民党(こんみんとう)など数千人から数万の貧農が蜂起。警官と自由党がぶつかる。

・1885年 「大阪事件」(大阪)
朝鮮で政権打倒計画(朝鮮政府を乗っ取って、日本政府(伊藤)に圧力をかけようとした)→渡航直前に大阪で逮捕。
大井憲太郎・景山英子・磯山清兵衛ら。

<朝鮮問題>
政府:伊藤博文
日本と中国(清)が朝鮮を取り合う。
(壬午軍乱82・甲申事変84→天津条約85)

・1882年 「壬午軍乱(じんごぐんらん)(事変)」
実権:閔妃(王の后)(親日)
↑↑
大院君(王の父)(親清)がクーデター
日本公使館・襲撃
(クーデター:非合法に武力などで政権を奪取すること)
(日本が援助してクーデターを阻止)

・1882年 「済物浦(さいもっぽ)条約」(日朝間)
日本は朝鮮に賠償金を払わせた。

・1884年 「甲申事変」
閔妃:事大党(親清)
↑↑
金玉均(きんぎょくきん)・朴泳孝(ぼくえいこう)(独立党)(親日)がクーデター。失敗。

・1885年 「天津条約」(日清間)
全権 日本:伊藤博文 清:李鴻章
・日清両国は朝鮮から撤兵
・以後、出兵時には相互に事前通達する

★脱亜論
・1885年 福沢諭吉が主張。
「脱亜入欧(だつあにゅうおう)」を唱える。

 

日本史【36】自由民権運動(近代ー5)

260723
日本史【36】自由民権運動(近代ー5)

<征韓論>
・1873年 岩倉遣外使節団、帰国
〇(征韓論反対・洋行組)
岩倉具視(公家)、大久保利通(薩摩)、伊藤博文(長州)、木戸孝允(長州)
VS
✕(征韓論賛成・留守組)
西郷隆盛(薩摩)、板垣退助(土佐)、後藤象二郎(土佐)、江藤新平(肥前)、副島種臣(そえじまたねおみ)(肥前)

・1873年 留守組5人は下野→「明治六年の政変」
→その後、大久保利通中心の政府に。下野組は文句を言う。

<自由民権運動(士族民権運動)>
内務卿:大久保利通(政府)
↑↑
・1874年 「愛国公党」設立
板垣・後藤・江藤・副島らが設立。(政府に文句を言う)

※「自由民権運動」の目的は「国会」や「憲法」を作ること。

・1874年 「民撰議院 設立建白書」(国会を作れ)
板垣・後藤・江藤・副島ら、8人が左院に提出→政府は無視
↓↓
・1874年 「立志社(りっししゃ)」設立(土佐)政治団体
板垣・片岡健吉らが設立。(民衆は各地で盛り上がる)
↓↓
・1875年 「愛国社」設立(大坂)
各地の団体をまとめる全国的組織。板垣らが設立。
↓↓
(運動が大きくなってきたので政府が動く)

[政]・1875年 「大阪会議」(←明治から「阪」になる)
大久保が下野していた板垣・木戸を呼んで三者会議を行う。

①(漸次・ぜんじ)「立憲政体樹立の詔」
→国会開設の準備をする。(期限はなし)
(立憲政体:憲法に基づく政治体制)

②元老院(立法)・大審院(だいしんいん)(司法)(最高裁の前身)・地方官会議を設置。

→板垣は政府に戻る。

[政]・1875年 「讒謗律(ざんぼうりつ)」(讒謗:人を悪く言うの意味)、「新聞紙条例」
弾圧立法。政府の批判を禁止→「愛国社」解散

※盛り上がった「愛国社」を、政府は「大阪会議」と「讒謗律」「新聞紙条例」でつぶした。

<士族の解体>
内務卿:大久保利通

[政]・1876年 「廃刀令」
警察官・軍人以外の帯刀を禁止。

[政]・1876年 「秩禄処分(ちつろくしょぶん)」
家禄の支給を停止し、代わりに「金禄公債(きんろくこうさい)証書」(退職金の紙)を発行。(6年~30年後にお金に換えられる。くじで決定。)
武士はそれを元手に商売を始めるも「士族(武士)の商法」で失敗。
→政府は士族授産(救済政策)で対応。
ex. 屯田兵(北海道の開拓)

★地租改正反対一揆
(1873年 地租改正)
・1877年 地租を軽減 3%→2.5%へ。
「竹槍でドンとつきだす2分5厘」

<士族の反乱>
・1874年 佐賀の乱(佐賀):江藤新平←征韓論の挫折など
(「民撰議院設立建白書」を出したあと佐賀にもどった。)
・1876年 秋月(あきづき)の乱(福岡)
・1876年 萩の乱(山口)

・1877年(明治10年) 西南戦争(鹿児島):西郷隆盛
(国内最後の内乱)

・1878年(明治11年) 紀尾井坂(きおいざか)の変
大久保利通の暗殺事件

(木戸孝允も明治10年に病気で亡くなっており、これで「維新の三傑」全員が亡くなった。→中心は伊藤博文らへ・・。)

<自由民権運動(豪農民権運動・民権運動Part2)>
内務卿:伊藤博文

・1877年 「立志社」(土佐)建白
政府を批判、国会開設などを要求

・1878年 全国組織「愛国社」を再興。盛り上がる。
↓↓
・1880年 「国会期成同盟」:愛国社を改称し結成
期成・・作り上げる
↓↓
[政]・1880年 「集会条例」
弾圧立法。集会の許可制・警察官監視制など

・「愛国社」は「讒謗律・新聞紙条例」につぶされる。
・「国会期成同盟」は、「集会条例」につぶされる。

もう国会開設はダメかと思いきや・・ここで!
↓↓
・1881年(明治14年) (北海道)開拓使 官有物払下(はらいさげ)事件

(払下げ:国のものを民間に売ること)

政府の黒田清隆(薩摩)(北海道開拓使)が、タダ同然で官有物を、同じ薩摩出身の政商・五代友厚に払い下げようとしたことが発覚。
→政府に批判集中

(大久保・伊藤博文など政府は、国会開設はまだ早いと思っていた。最初は欧米に学んだ自分たちプロがやるべきだと。しかしこの事件で「やっぱり政府はダメだ」となってしまった。)
↓↓
・1881年(明治14年) 「国会開設の勅諭」
政府は10年後(1890年)の国会開設を公約。
(→実際、伊藤は1890年に開いた。)

・1881年(明治14年) 「明治十四年の政変」
伊藤博文は、大隈重信(国会開設・賛成派)を事件と関係ありとみて(リークしたのでは?証拠はなし)と追放

↓↓
「政党」の結成へ・・

 

日本史【35】明治初期の外交(近代ー4)

260722
日本史【35】明治初期の外交(近代ー4)

<条約改正問題>
幕末に結んだ不平等条約の解消
①領事裁判権の撤廃(=法権回復)
②関税自主権の回復(=税権回復)

・1871年(明治4年)11月~1873年(明治6年)9月(約2年間)
岩倉遣外使節
予備交渉に失敗し、欧米視察して帰国

・1878年(明治11年) 外務卿・寺島宗則の交渉
税権回復に米が賛成も、英・独の反対で失敗。
(米も白紙に→米に最恵国待遇があるから。)

<清との関係>
・1871年(明治4年) 「日清修好条規」
※最初の対等条約

・1871年 琉球漂流民事件
台湾に漂着した琉球漁民が、台湾原住民に✕。
↓↓
・1874年(明治7年) 台湾出兵
西郷従道(つぐみち)(西郷隆盛の弟)が指揮を取る。
※木戸孝允、台湾出兵に反対して下野。(政府をやめる)

<琉球との関係>
・江戸時代は日中両属(日清双方に朝貢)。
琉球から江戸に慶賀使、謝恩使が行っていた。

・1872年 「琉球藩」設置
国王・尚泰(しょうたい)を藩王として華族に列する。
(いきなり沖縄県(日本の領土)とすると、中国や琉球から文句を言われるかも、なので。)
↓↓
・1879年 「沖縄県」設置
琉球王国(1429年建国・尚巴志)を廃止。廃藩置県を断行(琉球処分)。
→清の抗議。日中関係が悪くなる。

<朝鮮との関係>
・「征韓論」問題
留守政府は鎖国中の朝鮮を、武力により開国させることを主張。
→岩倉使節帰国
→征韓論中止
→1873年 明治六年の政変

・1875年 「江華島(こうかとう)事件」
日本の軍隊が鎖国中の韓国を挑発
→砲撃を受ける
↓↓
・1876年 「日朝修好条規」
日本が朝鮮を開国させる。
日本全権:黒田清隆(きよたか)(薩摩)
※日本優位の不平等条約

<ロシアとの関係>
領土問題
・1854年 「日露和親条約」
日本領:択捉島以南 ロシア領:得撫(ウルップ)島以北
樺太:両国雑居(実際は、ほぼロシア人)
↓↓
・1875年 「樺太・千島交換条約」
日本全権:榎本武揚(えのもとたけあき)
(旧幕臣→この条約から政府に復帰)
・樺太:(雑居→)ロシア領に
・千島列島:(択捉以南→)千島全島を日本領に

 

日本史【34】明治維新(近代ー3)

260721
日本史【34】明治維新(近代ー3)

<戊辰戦争>1868.1月~1869.5月
〇官軍(薩長)新政府軍
VS
✕旧幕府軍

・1868年(明治元年)1月 鳥羽・伏見の戦い
京都近郊で旧幕府軍撤退

・1868年 4月 江戸無血開城
西郷隆盛・勝義邦(海舟)の会談により実現

奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟
陸奥・出羽・越後など。
会津若松城の戦い、長岡城の戦い

・1868年 10月(~1869年) 五稜郭の戦い
榎本武揚(えのもとたけあき)ら旧幕臣がたてこもる。
「箱館戦争」ともいう。

<新政府の動き>
・1868年 3月 五箇条の(御)誓文
天皇が神に誓う。政府の方針表明。
「会議をしながらいい政治をしていく」

・1868年 3月 五榜の掲示(ごぼうのけいじ)
政府から庶民へ。ex. キリスト教禁止(最初の5年間)

・1868年 閏4月 政体書
政治組織として太政官制(だじょうかんせい)を採用

・1868年 9月 明治改元(慶応→明治)
一世一元の制。
一人の天皇の間、一つの元号を使う。
(現在は法制化されている)

・1869年(明治2年)
東京遷都

<地方の政治制度>
幕藩体制の、今度は300の「藩」の方をつぶしていく。
(第1弾)
・1869年(明治2年) 「版籍奉還」
藩主が領地(版図=土地)と領民(戸籍=人民)を天皇へ返上。
「旧藩主」を「知藩事(ちはんじ)」に任命し、石高の1割を家禄(俸禄)として支給。(名前が変わっただけ)
↓↓
(第2弾)
・1871年(明治4年) 7月 「廃藩置県」
薩摩・長州・土佐の精兵(1万)を集めて御親兵(ごしんぺい)とし、その武力を背景に断行。
→中央政府から府知事・県令を派遣。大名は全員罷免。
(東京府・大阪府・京都府。残りは県。300→70→47)

<中央の動き>
・「藩閥(はんばつ)政府」
薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)出身の実力者が、政府の実権を握る。

・1871年11月 岩倉遣外使節
欧米に条約改正・欧米視察のために渡航。(不平等な条約の改正は相手にしてもらえず。)
(大使)
岩倉具視・・公家
(副使)
大久保利通・・薩摩
木戸孝允・・長州
伊藤博文・・長州

<身分制度>
・1869年(明治2年) 四民平等
近世の身分制度(士農工商)を撤廃し、平民にも苗字、通婚、移転の自由を認めた。
華族・・藩主、上層公家
士族・・武士
平民・・農工商民

・1872年(明治5年) 壬申戸籍(じんしんこせき)作成
最初の近代的戸籍。全国を調査。

<金融制度>
・不換紙幣(ふかんしへい)の発行
(例:戊辰戦争の戦費調達・太政官札(だじょうかんさつ)など)
本位貨幣(金や銀)と交換できない紙幣。
→信用できないから貨幣価値が下がって物価が上がる。

・1871年(明治4年) 「新貨条例」
円・銭・厘採用。
「金本位制」確立が目的。
(※金本位制:「金」と「貨幣」を交換する制度。)
→金不足で実際は銀も使っていた(貿易には銀を使う)
→「金銀複本位制(きんぎんふくほんいせい)」。
↓↓
・1872年(明治5年) 「国立銀行条例」
アメリカのナショナル・バンクにならった「民間」の銀行。
「兌換(だかん)紙幣」発行。
(※兌換(だかん)紙幣:いつでも金銀と交換できる紙幣)
(中心:渋沢栄一)
例:「第一国立銀行」(名前は「国立」だが、「民間」)
政府にお金がない(金(きん)がない)から民間でやる。
→最初は4行。
→その後、兌換義務を廃止(1876年)したので、153行まで続いてできた。
→貨幣価値が低くなる
→インフレ(物価高)に・・。
(→後に「松方デフレ」に)

<軍隊制度>
・1872年 徴兵告諭(ちょうへいこくゆ):徴兵の予告。
国民皆兵を宣言。
→徴兵反対「血税一揆」を誘発。

・1873年(明治6年) 徴兵令:法制定
大村益次郎(戊辰戦争で活躍)(長州)
(構想→1869年暗殺)

山県有朋(実現)(長州)
20歳以上の男子が3年間、軍に入る。

☆「兵役免除規定」が多くあり
例:官吏(役人)、戸主や跡継ぎ、代人料270円を納めた者など。→日清戦争の前ぐらいまでに免除規定も減り、国民皆兵となった。

<警察制度>
・1873年(明治6年) 「内務省」設置。(力は大きい)
警察を管轄下に置き、政府の最高権力を握る。
初代内務卿:大久保利通

「内務省」の下に
↓↓
・1874年 「警視庁」創設:東京

(※現在)
・警察庁

・警視庁(東京)
・都道府県警(地方。例・大阪府警、神奈川県警など)

<土地制度の変化>
★地租(土地の税金)改正

・1871年 田畑勝手作の禁 解禁
→商品作物OKになる。

・1872年 田畑永代売買の禁 解禁
→田畑の売買もOKになる。

・「地価」を国が決定し、「地券」を発行する。

※「地価」・・現在の「土地の価格」とは違う。「地価」は「地券」に書かれた「固定価格」のこと。物価が上下しても「地価」は変わらない。

土地の「所有権」を認める。
例:「壬申地券(じんしんちけん)」1872年(明治5年)

・1873年(明治6年) 「地租改正条例」公布
(改正前):「石高(収穫)」(不定)を「耕作者」が「原則物納」
↓↓
(改正後):「地価」の「3%」を「土地所有者」が「金納」

・今までは「土地の値段」というのはなかった。(土地の売買はできなかった)。米の収穫が基準の「石高」があったのみ。

・(前)米の収穫500万の半分250万
↓↓
(後)地価1億円の3%の、300万円。
など、たいてい税金はアップした。

・1876年(明治9年) 「地租改正反対一揆」へ

 

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(28)「急げ!秀吉」(2026/7/19放送)

260720
2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(28)「急げ!秀吉」(2026/7/19放送)

【あらすじ】信長を討った光秀(要 潤)は家臣の斎藤利三(内藤剛志)に、小一郎(仲野太賀)を捕らえるよう指示。京に潜伏する小一郎は、備中の秀吉(池松壮亮)と、家族のいる長浜に急を知らせるとともに、畿内周辺の諸将が明智方につかないよう足止めをはかる。事態を知った家康(松下洸平)、勝家(山口馬木也)らもそれぞれの思惑で動く中、秀吉は信長の生存を信じ、毛利との和睦を急ぐ。そしてついに“中国大返し”が始まる!!(ーNHK公式サイトより)


・天正10年(1582年)6月
<本能寺の変のあと>
・京都
小一郎、浅野長吉、前野長康、藤堂高虎
信忠のなきがらも見つからず。

・摂津・住吉
織田信孝(信長の三男)、丹羽長秀。
四国攻めに行く途中だった。

・摂津・大坂城
織田信澄、謀反。明智側に付く。

・堺・津田宗及(つだそうぎゅう)の屋敷
徳川家康。本多忠勝、石川数正。
伊賀越えはせず、海路で三河・岡崎城に戻る。

・美濃・岐阜城
お市。気を失う。

・北近江・長浜城
羽柴家。
城を捨てて逃げるよう、浅野長吉が指示。
平野長泰、副田(そえだ)甚兵衛、石田三成。
長尾弥兵衛(ともの夫)
羽柴与一朗(小一郎の嫡男)

・一縷の望み(いちるののぞみ)
ごくわずかな望み。

・備中・高松城・秀吉
本能寺の変の2日後。毛利と和睦。
和睦の条件を緩める。備中、美作、伯耆の3ヶ国を織田側へ。
城主・清水宗治の切腹。
中国大返し。

・越中・魚津城
柴田勝家。前田利家。佐々成政。
上杉攻めの途中。
柴田は今すぐに明智を討ちに帰りたいが
上杉に背後を襲われるので、すぐには帰れない。

・近江・安土城
明智が入る。
細川、筒井、中川、高山、長宗我部から返信は来ず。
丹波・宮津城・城主 細川藤孝

備中から姫路城まで2日で入った。
小一郎は尼崎城で合流せよと指令。

・山城 下鳥羽 明智の陣
細川藤孝は出家し、忠興に家督を譲る。
明智軍は朝廷から織田に代わって畿内を守ることを託された。
勝龍寺(しょうりゅうじ)城へ。

ーーーーーーーーーーーーー

「豊臣兄弟!紀行」(28)

・備中高松城跡(岡山県・岡山市)
周囲の沼地を利用した難攻不落の城。秀吉はその立地を逆手にとり、堤防を築き水攻めを行う。

 

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(27)「本能寺の変」(2026/7/12放送)

260718
2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(27)「本能寺の変」(2026/7/12放送)

【あらすじ】信澄(緒形敦)は光秀(要潤)に信長(小栗旬)への積年の思いを打ち明ける。光秀は驚愕しつつも、表沙汰にしないことを決める。一方、備中で毛利攻めの任にあたる秀吉(池松壮亮)は、戦の総仕上げのために信長を連れてくるよう小一郎(仲野太賀)に依頼する。折しも安土城では信長が家康(松下洸平)を接待していたが、食事に毒が盛られていたことが発覚。饗応役の光秀が首謀者をかばっていると察した信長は逆上する。(ーNHK公式サイトより)


信澄は信長を討つことが悲願だと告白。

・天正10年3月
甲斐・武田家、滅亡。

柴田勝家は上杉攻めへ。
信孝は四国攻め。

・備中・高松城
秀吉、水攻め。
高松城主・清水宗治の切腹。
秀吉は馬印をひょうたんにしている。

・安土城で信長は家康の饗応・もてなし。
家康の正妻・築山殿(つきやまどの)と、嫡男の松平信康は、信長からの謀反の疑いで命を落とす。

・信長と小一郎
信長は6月4日、本能寺から備中へ向かうと告げる。

・天正10年5月29日
信長はわずかな供回りを連れて本能寺に入る。

・明智光秀
家臣・斎藤利三。
公方様に断られて信長襲撃を決意。

・本能寺の変
天正10年(1582年)6月2日早朝。
白の桔梗門。明智の軍勢。
信長、没。

ーーーーーーーーーーーーー

「豊臣兄弟!紀行」(27)

・本能寺跡(京都府・京都市)
大規模な城郭寺院で防御の堅いこの寺を、信長は宿所として利用していた。本能寺の変のあと、場所を変えて再建された。

現在では信長ゆかりの品々が展示されている。

香炉「三足の蛙」。
事件の夜、蛙が突如鳴き出し、異変を知らせたと言われる。

・阿弥陀寺(寺町)
信長の墓所。僧侶、清玉(せいぎょく)が信長を密かに埋葬したともいわれる。
近年、明智光秀は京の南、鳥羽にいたという説もある。

日本史【33】幕末の動乱(近代ー2)

260718
日本史【33】幕末の動乱(近代ー2)

<徳川家茂⑭の時代>
大老:井伊直弼
アメリカ以外の他国とも「修好通商条約」を結ぶ。
・和親条約は4ヶ国(アオイロ)
・通商条約は5ヶ国。
米・蘭・英・仏・露(ア・オ・イ・フ・ロ)
→「安政の五カ国条約」
(すべて「違勅条約」(無許可))

・1859年 貿易開始
(輸入品)
(1)毛織物(40%)(2)綿織物(3)武器物
(輸出品)
(1)生糸(絹織物の原料)(80%)(2)茶(3)蚕卵紙
(※生糸は日本の輸出品のメインになっていく)

中心港:横浜(神奈川という町からちょっと離れた場所)
(貿易は、横浜・箱館・長崎)
中心相手国:イギリス
(アメリカは南北戦争中・1861~65)

★井伊直弼への非難
・1858年~1859年 安政の大獄(あんせいのたいごく)
井伊直弼を批判した吉田松陰(長州)や橋本左内(越前)らを処刑。→100名以上を処罰

・1860年 桜田門外の変(江戸城の外)
水戸浪士(+薩摩浪士)らが井伊直弼を暗殺。

★開国・貿易開始の影響(経済)
①在郷商人(農村の商人)が江戸を通さず、居留地(横浜)へ直送。
(居留地:外国人の住む場所。ここで貿易をする)
↓↓
・1860年 「五品江戸廻送令(ごしな えどかいそうれい)」
雑穀、水油、ろう、呉服、生糸
この五品は「必ず江戸を通すこと」という令。
→反発が起きる。

②金貨大量流出
金銀交換比率の相違。
日本金:銀=1:5
外国金:銀=1:15
金の価値が外国金の方が高い。比べて日本金は安い。
→外国に日本から金を持っていって、両替するようになる。
→日本から金が流出。金がかなり少なくなる。

・1860年 「万延小判(まんえんこばん)」鋳造
金の含有量を3分の1に減らす。
(=外国とレートを同じにした。)

貨幣価値が下がる。
インフレ。物価高。庶民の生活を圧迫。

攘夷(外国排斥)運動へ・・

<老中(井伊直弼→)安藤信正へ>

・1862年 和宮降嫁
孝明天皇の妹・和宮(かずのみや)を、徳川家茂⑭の夫人に迎える。(公武合体政策)(京都(上方)から江戸へ下る。)
(「幕府を討て」派の人を押さえられる。)
↓↓
・1862年 坂下門外の変
老中・安藤信正(あんどうのぶまさ)が尊攘派に襲われ負傷。

★幕末の思想
「尊王攘夷論」(尊攘派)
天皇中心。幕府打倒を図る(=幕府は不要)
VS
「公議政体(こうぎせいたい)論」
雄藩連合の会議による政治。(=幕府は残す)

<徳川家茂⑭>
・1862年 文久の(幕政)改革
薩摩藩・島津久光による幕政改革。
薩摩から江戸に行って幕府を立て直す。
(内容)
(1)将軍後見職(将軍のサポート):一橋慶喜
(2)政事総裁職(せいじそうさいしょく)(慶喜のサポート):松平慶永(よしなが)(親藩大名)
(3)京都守護職(京都の治安維持):松平容保(かたもり)(会津藩)
会津(東北)から江戸を通って京都へ。その途中で募集されたのが新撰組。近藤勇。土方歳三。
(※「京都所司代」の上に「京都守護職」を置いた。)

ほかに「参勤交代の数を減らす」など。
↓↓
(薩摩への復路でのできごと)
・1862年8月 生麦(なまむぎ)事件
薩摩藩士が武蔵(神奈川県)・生麦でイギリス人3人を殺傷。
↓↓
・1863年 「薩英戦争」
英〇 VS ✕薩
双方、被害を受け、講和。
→双方接近(お互い認め合う。)
(薩摩は攘夷は無理だと悟る。→外国とは手を組んで幕府を討とう。)
→後に薩長が幕府を倒すとき、英がバックアップする。

・1863年 「長州藩・外国船砲撃事件」(下関事件)
長州藩が、米・仏・蘭の船を下関で攻撃。
(5月10日。幕府の決定した攘夷の決行)

★幕府に対する挙兵
・1863年 ①生野の変(但馬)
・1864年 ②天狗党の乱(常陸)

・1864年 「池田屋事件」
幕府の警備隊「新撰(選)組」(近藤勇ら)が、尊攘派(長州中心)を襲う。
↓↓
・1864年 「禁門の変」(蛤御門(はまぐりごもん)の変)
長州藩が報復に京都(幕府)に攻め込む。
→京都の幕府軍(諸藩(薩摩・桑名・会津))が長州藩を討つ。
↓↓
・1864年 「第一次長州征伐(征討)」
(長州が弱っている今がチャンス)
幕府による長州攻撃→長州降伏

・1864年 「四国艦隊 下関砲撃事件」
「下関事件」(外国船に大砲を撃った)の報復に、英・米・仏・蘭が長州藩を攻撃。→下関を占領
(長州も攘夷は無理だと悟る。→外国とは手を組んで幕府を討とう。)
↓↓
・1866年 「薩長同盟(連合)」
仲が悪かった両藩が連合し、相互援助・武力倒幕を約す。(下級藩士が台頭)
・薩摩:西郷隆盛
・長州:桂小五郎(後の木戸孝允)
・仲介:土佐・坂本龍(竜)馬(商人)(海援隊(会社の始まり))
龍馬→薩摩が長崎でトーマス・グラバー(英)から武器を買う。その仲介、交渉をするなど。
↓↓
・1866年 「第二次長州征討」
→薩摩は参加せず(長州と同盟を組んでるから。)
→幕府が苦戦。

<徳川慶喜⑮>
・1866年 孝明天皇死去
薩長は天皇による「幕府討伐命令」を出してほしい。
(孝明天皇は出さなかった。)→明治天皇へ

・1867年10月14日 ①「討幕の密勅」
公家・岩倉具視の尽力。
「錦の御旗」新政府軍が正義の軍隊を掲げられる。

↓↓(同じ日)

・1867年 ②「大政奉還」(たいせいほうかん)
(江戸時代終わり。1603~1867年)
慶喜が朝廷に提出し、将軍職を返上。
幕府の方から、幕府、将軍をやめる。権力を天皇に返す。
→「討幕の密勅」が意味をなさないものになる。
(幕府を攻めさせないため。薩長との全面戦争を避けるため。)

<江戸幕府の滅亡>
☆1867年12月9日 「王政復古の大号令」
・摂関・幕府の廃止
・「三職」を設置
①総裁(そうさい):有栖川宮 熾仁(ありすがわのみや・たるひと)親王(皇族)
②議定(ぎじょう):公家、藩主
③参与(さんよ):下級武士 下級貴族

※ここに徳川慶喜が入ってない
=江戸幕府は絶対的な権力。対等、平等にはならない。
↓↓
(同じ日)
☆1867年12月9日 「小御所会議(こごしょかいぎ)」
・徳川慶喜の「辞官」(将軍だけでなく内大臣も辞退させる)
・「納地」を決定(領地を返上)
(=薩長は煽っている。そうすれば徳川軍を反乱軍として討てるので。)
↓↓
慶喜は挑発に乗らず、受け入れる。
↓↓
しかし「幕臣」が暴発。「戊辰戦争」へ・・。
(直参たちのプライドが許さない。)

☆世直し一揆・打ちこわしの頻発
「ええじゃないか」の乱舞(1867年)
世の中が退廃的なムードに・・。

 

日本史【32】開国(近代ー1)

260717
日本史【32】開国(近代ー1)

<徳川家慶⑫>
(水野忠邦→)老中・阿部正弘(あべまさひろ)

☆各国の開国要求
・1844年 オランダ国王の開国勧告(蘭)(「オランダとは貿易してるけど、他国とも開国した方がいいよ」)→幕府拒否。

・1846年 ビッドル来航(米)
浦賀に来航し、強硬に開国要求→幕府拒否。「大統領の国書を持ってこい」という。

・1853年 ペリー来航(米)
アメリカ大統領フィルモアの国書を持参し、浦賀に来航。
(浦賀:相模(神奈川県・横須賀市)。モリソン号(米)事件も浦賀。)一回帰る。

・1853年 プチャーチン来航(露)
長崎に来航し、開国要求。

<徳川家定⑬>
1854年 ペリー、再び浦賀に来航。

1854年 「日米和親条約」(神奈川条約)
老中・阿部正弘
(天皇からは一応OKが出ていたが、「すぐに鎖国に戻す」という約束だった。)
①下田(伊豆)、箱館(松前)の開港
②薪水、食料の給与
③アメリカに(一方的・片務的(へんむてき))最恵国待遇を与える。(米に与えた条件より他国との条件がいい場合、米にも同じ条件を認める。)
④領事(大使)の下田在住。

↓↓(他国とも結ぶ)
ア・オ・イ・ロ
(アメリカ、オランダ、イギリス、ロシア)

1854年 「日露和親条約」
①下田、箱館、長崎の開港
②国境規定
☆千島列島
・得撫(うるっぷ)島以北→ロシア領
・択捉(えとろふ)島以南→日本領
☆樺太
ロシア・日本、両国雑居地

<老中首座・堀田正睦(ほったまさよし)>
(cf.堀田正俊は綱吉⑤)

1856年 アロー号事件(英)
英船アロー号が清に臨検(検査)されたことに、英が抗議
→アロー戦争(第2次アヘン戦争)

1856年 下田に総領事としてハリス着任。
→「通商条約」の締結を強く求める。
老中首座・堀田正睦が京都に行くが、条約勅許を得られず。

<徳川家定⑬>
<大老・井伊直弼>
1858年 井伊直弼、大老就任
→無勅許(天皇の許可なし)のまま、条約調印。

1858年 「日米修好通商条約」
①神奈川、長崎、新潟、兵庫の開港
②江戸、大坂の開市
③「領事裁判権(治外法権)の承認」
④「関税自主権の欠如」(協定関税制)
(→この2つはその後、50年ほど戻らない)
関税:貿易に対してかけられる税金

★将軍継嗣問題(家定⑬のあと)(1857年)

〇 南紀派(なんぎは):徳川慶富(よしとみ)(紀伊藩・若年)→家茂⑭
井伊直弼ら譜代大名(大老・老中・寺社奉行・京都所司代・若年寄)
VS
✕ 一橋派(ひとつばしは):一橋慶喜(よしのぶ)・・水戸斉昭の子。水戸藩から一橋家に養子に出ていた。(頭のいい切れ者)
外様大名ら、島津斉彬、山内豊信(とよしげ)、松平慶永(まつだいら・よしなが)

 

日本史【31】三大改革2(近世ー9)

260713
日本史【31】三大改革2(近世ー9)

<徳川家斉⑪>1787年~1837年
大御所時代。(家斉の時代は化政時代で、文化が華やぐ時代ではあったが、まともな政治改革はなく、反乱が起こる。)

・1798年 近藤重蔵、千島列島を探検。(択捉島まで行った)

・1804年 レザノフ来航
ロシア使節、長崎に来航。通商を要求。
→拒否
→レザノフ、キレる。(大砲撃って樺太で人襲う。)
↓↓ 幕府ビビる。
・1806年 【文化の薪水給与令】 (ぶんかのしんすいきゅうよれい(【】は幕府の政策)
「文化の撫恤(ぶじゅつ)令」ともいう。

・1808年 間宮林蔵 樺太探検

外国に優しくしようとしたら、2つの事件が起こる。
↓↓
・1808年 フェートン号事件(英)
英船フェートン号がオランダ船を追って、長崎湾内に侵入。長崎が荒らされた。長崎奉行が切腹。

・1811年 ゴローニン事件(露)
日本人がロシア人ゴローニンを国後で捕らえる。
→翌年、報復に国後で捕らえられた高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)と交換で帰国。

↓↓ 厳しい方針に転換

・1825年 【異国船打払令】
外国船撃退命令。「無二念 打払令(むにねん うちはらいれい)」ともいう。「外国の船は迷わず撃て!」
(覚え方:いっぱつゴン1825と打ち払え)

・1832年 天保の大飢饉:東北→全国へ
(cf. 天明の大飢饉1782年~87年)

・1837年 大塩平八郎の乱
陽明学者・大坂町奉行所・元与力(警察官)が大坂で反乱。
「幕府の役人」の反乱は衝撃。幕府の権威が落ちてきた証拠・・。

<徳川家慶(いえよし)⑫>1837年~1853年
・1837年 モリソン号事件(米)
米商船モリソン号を浦賀(相模)と山川(薩摩)で打ち払う。

・1839年 蛮社の獄(ばんしゃのごく)
モリソン号事件を批判した渡辺崋山(『慎機論』)、高野長英(『戊戌夢物語』)を弾圧。

・1840年 アヘン戦争
清がイギリスに敗北。南京条約締結。

<天保の改革>
★老中・水野忠邦「天保の改革」1841年~1843年(2年)

・1841年 株仲間解散令(特権をなくす)
物価の引き下げをはかる。
→効果出ず。業者の反対もあり、元に戻る。

・1842年 【天保の薪水(しんすい)給与令】
モリソン号事件、アヘン戦争の結果などを見て、日本も外国への態度を再度緩める。
1806【文化の薪水給与令】(優)→1825【異国船打払令】(厳)→1842【天保の薪水給与令】(優)

・1843年 「人返し令(ひとがえしれい)」 無宿人対策③
(①人足寄場②旧里帰農令)
都市に流入した農民の「強制」帰村。

・1843年 「上知例(あげちれい)」
江戸・大坂周辺の土地を、幕府が直轄化する計画。
→替地を命じられた有力な譜代大名らが反対。(元・浜松藩主程度の水野ごときに言われる筋合いはない!)→幕府の権威が落ちている。(ペリー来航10年前)

→失敗し、水野忠邦は失脚。

<諸藩の改革(薩摩・長州)>

・諸藩の改革【天保~幕末期】
→「雄藩(ゆうはん)」として、力(経済力)を持ち始める。

薩摩・長州・土佐・肥前

★薩摩藩
薩摩・大隅の2国(鹿児島)(正式には鹿児島藩)
・家老(幕府でいう老中)調所広郷(ずしょひろさと)(元下級武士)・・奄美の砂糖の専売制。
・大名・島津斉彬(なりあきら)・・反射炉(大砲工場)を築造
西郷隆盛、大久保利通

★長州藩
長門・周防の2国(山口)
・藩士・村田清風(せいふう)
「越荷方(こしにかた)」の役所を設置(委託販売)
→借金返済するなど経済力が付いた。→倒幕へ
高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)

<諸藩の改革(肥前・土佐)>

★肥前藩(佐賀藩ともいう)
肥前の1国(長崎・佐賀)
大名・鍋島直正(なべしまなおまさ)・・反射炉を築造。(幕府・薩摩より先)

★土佐藩
土佐の1国(高知)
大名・山内豊信(やまのうちとよしげ)(容堂)ようどう
坂本龍馬→脱藩

 

日本史【30】三大改革1(近世ー8)

2607
日本史【30】三大改革1(近世ー8)
①享保の改革→田沼時代
②寛政の改革→大御所時代
③天保の改革

<徳川吉宗⑧>1716年~1745年
紀伊藩主→将軍へ
★「享保の改革」
・1719年 「相対済し令(あいたいすましれい)」
武士の借金が増えていた。幕府は金銭貸借関係の訴訟(金公事・かねくじ)を受け付けない。裁判の迅速化が目的。

・1720年 「町火消し(まちびけし)」設置
いろは47組(それまでは幕府の定火消(じょうびけし)のみ)。町人たちの消防隊。

・1721年 「目安箱」設置
庶民の意見を直接将軍が聞き入れる。記名式。
→「小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)」(薬・病院)設置

・1722年(~1730年)「上米(あげまい)の制」
大名1万石につき100石(1%)の米を幕府へ出させる。
代わりに大名の参勤交代の在江戸期間を半年に軽減。
→財政回復した。

・1723年 「足高(たしだか)の制」
人材登用に際し、「在職期間のみ」石高の不足分を「加増」する。→辞職後戻す。
支出抑制と、家各(かかく)にこだわらない人材登用が可能になる。

・1730年 「株仲間」公認
「専売同業者組合」を「幕府が公認」した。
(株仲間自体は前からあった。)
→その代わり運上・冥加などの税金徴収。

・1742年 「公事方御定書(くじがたおさだめがき)」 制定
裁判の基本となる刑罰法。(罪と罰)
下巻を「御定書百箇条」といい、以後の裁判の基準となる。

<徳川家治⑩>1767年~1786年
★「田沼時代」
側用人→老中:田沼意次
・1767年 田沼意次、側用人に就任
・1772年 田沼意次、老中に就任

(商業政策)農民から商人へシフト
・幕府の専売制度(独占販売)の拡張
ex. 銅座・朝鮮人参座
(今までは金座、銀座、鉄座などが幕府専売)

・株仲間奨励(享保時は「公認」→「積極的公認」へ)

・「南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)」
(秤量貨幣→計数銀貨へ)発行(1772年)
大黒常是(だいこくじょうぜ)・銀座
1両=16朱
南鐐二朱銀が8つで小判1両と交換できる。

(貿易拡大)
・長崎貿易の制限(「海舶互市新例」新井白石)を緩和

・銀の代わりに銅・俵物(中国向け海産物)で支払う。
(いりこ・ふかひれ・ほしあわび)

・1782年~ 印旛沼(いんばぬま)・手賀沼(てがぬま)(下総)の開拓→失敗(洪水などが起きた)

・1782年~87年 天明の大飢饉

・1783年 浅間山(あさまやま)噴火
(上野(群馬)と信濃(長野)の境)

・1784年 田沼意知(意次の子)暗殺
(賄賂政治に対する不満)→田沼意次も失脚

・1787年 天明の打ちこわし

(蝦夷地開発)
・1783年 工藤平助(仙台藩医)が『赤蝦夷風説考』(北海道はロシアのものになってしまう)を献上
→蝦夷地開発を計画
↓↓
・1785年 最上徳内(もがみとくない)(出羽)が蝦夷地探検

<徳川家斉⑪>1787年~1837年(いえなり・遊び人)
松平定信「寛政の改革」1787年~1793年(6年)

・1787年 陸奥・白河藩主・松平定信が老中就任

・1789年 「棄捐令(きえんれい)」
旗本・御家人の札差からの借金を帳消し。

1789年 「囲米(かこいまい)」の制
大名1万石につき50石の米を蓄えさせる。(0.5%)
義倉(ぎそう)倉庫:富裕者
社倉(しゃそう):一般

・1790年 「人足寄場(にんそくよせば)」 設置(無宿人対策①)
無宿人などに職業指導。石川島(江戸隅田川)に置かれた。

・1790年 「旧里帰農令(きゅうりきのうれい)」(無宿人対策②)
都市に流入した農民の帰村を「奨励」(旅費などを支給。→まだ優しい方)。

・1791年 「七分積金(しちぶつみきん)」
江戸町費(町入用・まちにゅうよう)を節約させ、節約分の7割を積み立てさせ、災害への備えとする。「七分金積立」ともいう。

林子平「海国兵談」(ロシア南下の警告)を記した直後に・・
↓↓
・1792年 ラックスマン来航
ロシア皇帝エカテリーナ2世の命を受け、根室に来航し、通商を要求。幕府は信牌(長崎入港証)を渡し、帰国させる。
漂流してロシアにいた大黒屋光大夫(だいこくやこうだゆう)(伊勢の商人)を伴う。

☆庶民の不満
「白河の清きに魚も住みかねて、元の濁りの田沼恋しき」
「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶというて夜も寝られず」

1793年 松平定信、失脚

<諸藩の改革(寛政期)>
・熊本藩・細川重賢(しげかた)
・米沢藩(山形)・上杉治憲(はるのり)(上杉鷹山(ようざん))
・秋田藩・佐竹義和

<農民の抵抗(百姓一揆)>
・百姓一揆
農民が領主(幕府や藩)などを襲う。

☆百姓一揆の3つの種類
17C 代表越訴型一揆 (だいひょうおっそがたいっき)
代表者が領主に直訴。
ex.下総・佐倉惣五郎
(越訴は死罪。命がけで訴えた)
↓↓
18C 惣百姓一揆
農民が団結して蜂起
↓↓
19C 世直し一揆
政治的変革を求める。
・甲斐郡内(かいぐんない)一揆
・三河加茂(みかわかも)一揆

<農民の抵抗(その他)>

・村方騒動(むらかたそうどう)
貧農が豪農(村役人)を襲う。(農民同士)村方は農村のこと。

・打ちこわし
金融業者・商人などを襲う。

・国訴(こくそ)
合法的訴え。国や群の規模、大人数で訴える。

☆傘連判状
一揆の首謀者が分からないように円形に署名。