260713
日本史【31】三大改革2(近世ー9)
<徳川家斉⑪>1787年~1837年
大御所時代。(家斉の時代は化政時代で、文化が華やぐ時代ではあったが、まともな政治改革はなく、反乱が起こる。)
・1798年 近藤重蔵、千島列島を探検。(択捉島まで行った)
・1804年 レザノフ来航
ロシア使節、長崎に来航。通商を要求。
→拒否
→レザノフ、キレる。(大砲撃って樺太で人襲う。)
↓↓ 幕府ビビる。
・1806年 【文化の薪水給与令】 (ぶんかのしんすいきゅうよれい(【】は幕府の政策)
「文化の撫恤(ぶじゅつ)令」ともいう。
・1808年 間宮林蔵 樺太探検
外国に優しくしようとしたら、2つの事件が起こる。
↓↓
・1808年 フェートン号事件(英)
英船フェートン号がオランダ船を追って、長崎湾内に侵入。長崎が荒らされた。長崎奉行が切腹。
・1811年 ゴローニン事件(露)
日本人がロシア人ゴローニンを国後で捕らえる。
→翌年、報復に国後で捕らえられた高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)と交換で帰国。
↓↓ 厳しい方針に転換
・1825年 【異国船打払令】
外国船撃退命令。「無二念 打払令(むにねん うちはらいれい)」ともいう。「外国の船は迷わず撃て!」
(覚え方:いっぱつゴン1825と打ち払え)
・1832年 天保の大飢饉:東北→全国へ
(cf. 天明の大飢饉1782年~87年)
・1837年 大塩平八郎の乱
陽明学者・大坂町奉行所・元与力(警察官)が大坂で反乱。
「幕府の役人」の反乱は衝撃。幕府の権威が落ちてきた証拠・・。
<徳川家慶(いえよし)⑫>1837年~1853年
・1837年 モリソン号事件(米)
米商船モリソン号を浦賀(相模)と山川(薩摩)で打ち払う。
・1839年 蛮社の獄(ばんしゃのごく)
モリソン号事件を批判した渡辺崋山(『慎機論』)、高野長英(『戊戌夢物語』)を弾圧。
・1840年 アヘン戦争
清がイギリスに敗北。南京条約締結。
<天保の改革>
★老中・水野忠邦「天保の改革」1841年~1843年(2年)
・1841年 株仲間解散令(特権をなくす)
物価の引き下げをはかる。
→効果出ず。業者の反対もあり、元に戻る。
・1842年 【天保の薪水(しんすい)給与令】
モリソン号事件、アヘン戦争の結果などを見て、日本も外国への態度を再度緩める。
1806【文化の薪水給与令】(優)→1825【異国船打払令】(厳)→1842【天保の薪水給与令】(優)
・1843年 「人返し令(ひとがえしれい)」 無宿人対策③
(①人足寄場②旧里帰農令)
都市に流入した農民の「強制」帰村。
・1843年 「上知例(あげちれい)」
江戸・大坂周辺の土地を、幕府が直轄化する計画。
→替地を命じられた有力な譜代大名らが反対。(元・浜松藩主程度の水野ごときに言われる筋合いはない!)→幕府の権威が落ちている。(ペリー来航10年前)
→失敗し、水野忠邦は失脚。
<諸藩の改革(薩摩・長州)>
・諸藩の改革【天保~幕末期】
→「雄藩(ゆうはん)」として、力(経済力)を持ち始める。
薩摩・長州・土佐・肥前
★薩摩藩
薩摩・大隅の2国(鹿児島)(正式には鹿児島藩)
・家老(幕府でいう老中)調所広郷(ずしょひろさと)(元下級武士)・・奄美の砂糖の専売制。
・大名・島津斉彬(なりあきら)・・反射炉(大砲工場)を築造
西郷隆盛、大久保利通
★長州藩
長門・周防の2国(山口)
・藩士・村田清風(せいふう)
「越荷方(こしにかた)」の役所を設置(委託販売)
→借金返済するなど経済力が付いた。→倒幕へ
高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)
<諸藩の改革(肥前・土佐)>
★肥前藩(佐賀藩ともいう)
肥前の1国(長崎・佐賀)
大名・鍋島直正(なべしまなおまさ)・・反射炉を築造。(幕府・薩摩より先)
★土佐藩
土佐の1国(高知)
大名・山内豊信(やまのうちとよしげ)(容堂)ようどう
坂本龍馬→脱藩