260618
日本史【14】鎌倉幕府(中世2)
<鎌倉幕府の統治機構>
鎌倉幕府・相模国(神奈川県・鎌倉市)
_将軍
(後に執権、連署(れんじょ)、評定衆、引付衆など)
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地方 中央
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(中央)鎌倉
・侍所(さむらいどころ)・・武士の統率、リーダー。
初代別当(長官)→和田義盛(武士)(1180)
・公文所(くもんじょ)→政所(まんどころ)・・政務一般。
初代別当(長官)→大江広元(貴族)(1184)
(※後三条天皇時・大江匡房の子孫)
・問注所(もんちゅうしょ)・・訴訟・裁判所
初代執事(長官)→三善康信(貴族)(1184)
(※醍醐天皇時・三善清行の子孫)
(地方)
・京都守護(京都)(1185)→後の六波羅探題(1221)
・鎮西奉行(九州)(1185)→後の鎮西探題(1293)
・奥州総奉行(陸奥)
☆守護(1185年)
・国ごとに設置。
・職務は最初「大犯三カ条(たいぼんさんかじょう)」のみ。(大番(おおばん)催促、謀反人逮捕、殺害人逮捕)
☆地頭(1185年)=御家人
・公領(郡・郷・保)や、荘園ごとに設置。(国にたくさんいる。)
・職務は税徴収、土地管理、治安維持。
(荘園の荘官、公領の郡司だった人が地頭に任命される。)
・地頭たちの中から守護(リーダー)が一人選ばれる。
<封建制度>
主人と従者が土地を通じて「御恩」と「奉公」の関係で結ばれている制度。
_[将軍]
↓御恩↓ ↑奉公↑
_[御家人]
鎌倉幕府は全国の御家人(将軍の家来・武士)を束ねる政府。
(「御家人」とは家人(けにん・家来)を丁寧に言っている)
<御恩と奉公>
☆「御恩」・・御家人を地頭に任命すること(税収を認める。領有権を保障する。)
・本領安堵(ほんりょうあんど)領有権を承認。
・新恩給与(しんおんきゅうよ)新たに与える。
※平安時代までは朝廷貴族が政治をしていたが、鎌倉幕府(武家政権)に変わってどうなるか不安。支配者が変わっても土地を承認してほしい。この「承認」のことを「御恩」という。
☆「奉公」・・軍役や警備
戦時:軍役「いざ鎌倉」
平時:御家人役(ごけにんやく)
①京都大番役(朝廷警護)
②鎌倉番役(幕府警護)
最初は非御家人も多くいたが、御家人(鎌倉幕府の家来)が増えていく。
<鎌倉時代の政治>
初期:「将軍」独裁(初代・源頼朝のみ)
中期:「執権」政治(北条氏)
後期:「得宗」専制(北条氏の嫡流・本家)
<源頼朝>
・1192年 源頼朝・征夷大将軍に就任
・1199年 頼朝・没
<初代執権・北条時政>
北条時政(頼朝を監視していた)
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北条政子=源頼朝
☆北条時政が他氏排斥(ライバル潰し)を行なう。
・1200年 梶原景時の乱【他氏排斥①】
・1203年 比企能員の乱(頼家の義父)【他氏排斥②】
・1205年 畠山重忠の乱【他氏排斥③】
☆時政は将軍までも排斥
・1203年 3代将軍・源実朝が就任。
→2代頼家を伊豆・修善寺(しゅぜんじ)に幽閉。
・1204年 源頼家を討つ。@修善寺
☆北条時政、政所(元・公文所)別当に就任。
別当が二人体制に。
・貴族出身 大江広元
・武士出身 北条時政
<2代執権・北条義時>
・北条義時も他氏排斥をする。
1213年 和田合戦:和田義盛(侍所の初代別当)を破る。【他氏排斥④】
→北条義時が「侍所」と「政所」の別当を兼務。
→この兼務する人を「執権」と呼ぶようになる。
→「執権」の地位を確立。
1219年 3代将軍・源実朝が甥の公曉(くぎょう)に暗殺される。鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)@鎌倉(義時の陰謀?)
この時点では、鎌倉幕府は東国支配のみ。
<承久の乱>
(乱の前)
「公武二元支配」
後鳥羽上皇(西国支配)ー北条義時(東国支配)
貴族・朝廷 VS 武士
1221年 承久の乱
後鳥羽上皇✕ VS 〇北条義時
・朝廷・後鳥羽上皇が義時追討の院宣を出す。
・朝廷を攻めるのは御家人の士気が低い→北条政子(尼将軍)が檄を飛ばす「今こそ将軍・幕府に恩を返すとき」→御家人奮起
・北条泰時(義時の子)と北条時房(義時の弟)が京都を攻め、幕府軍の圧勝。
↓↓
以降、幕府の支配地域が西日本にまで広がる(九州は別)。
武士の時代へ・・!となるターニングポイント。