13_大正時代 – 歴史note

日本史【47】大正デモクラシー(近代ー16)

260802
日本史【47】大正デモクラシー(近代ー16)

<大正デモクラシー(理論的支柱)>

大正デモクラシー:民衆運動。第一次護憲運動から、男性普通選挙制・成立までの、時代思潮や社会運動。

・「民本(みんぽん)主義」:吉野作造
※「民主主義」だと「国民主権」になって、「天皇主権」に反することになるので「民本」を使った。憲法の中で、できる限り国民の権利を重視する考え。

・1918年 「黎明会」結成。学者の団体。

・「天皇機関説」:美濃部達吉
天皇を国家の一つの機関と考える。
↕ 論争
・「天皇主権説」:上杉慎吉

「民本主義」も「天皇機関説」も憲法と矛盾しない。憲法を否定するものではない。

<大正デモクラシー(労働運動)>
・1911年(明治43年) 「工場法」制定
初の労働者保護立法・制定→施行延期→1916年施行
12歳未満:就労不可
15歳未満・女性:12時間を越える就労不可・深夜業禁止
15人未満の工場には不適用

★労働組合の全国組織
(明治)
「労働組合期成会」
「社会民主党」→「日本社会党」
↓↓
(大正)
・1912年 「友愛会」(労資協調・まだ穏やか)
会長:鈴木文治(ぶんち)

↓↓(発展)

・1919年 「大日本 労働総同盟 友愛会」
(WW1戦後恐慌で運動が激しくなる。戦後恐慌と労働運動は表裏一体)
・1920年 第一回メーデー(原内閣)5月1日に労働者が集会

↓↓(発展)

・1921年 「日本労働 総同盟(階級闘争・激しくなる)」
↓↓(一部分裂)

・1925年 「日本労働組合 評議会」
日本労働総同盟を除名された左派によって結成。

<大正デモクラシー(社会主義)>
・1922年 「日本共産党」(社会主義の一つ。)
堺利彦・片山潜らが、ソ連のコミンテルン(国際共産党(本部モスクワ)の指導のもと、日本で非合法に結成。

・大杉栄:無政府主義者(→関東大震災1923、甘粕事件で✕)

★「社会主義」について
左翼全体を、広い意味で「社会主義」と呼ぶ。その中に「共産主義」、「無政府主義」、「社会主義」などがある。

<大正デモクラシー(婦人解放運動)>

・1911年 「青鞜(せいとう)社」(文学者団体)
平塚らいてう(平塚明・はる)(「らいちょう」と読む)
雑誌『青鞜』
「原始女性は太陽であった。」
↓↓
・1920年 「新婦人協会」
平塚らいてう(平塚明)、市川房枝
「治安警察法 5条」(女性の政治活動禁止)改正が目的→改正された。

「赤瀾会(せきらんかい)」
・1921年 山川菊栄・伊藤野枝(女性の社会主義団体)

「婦人参政権 獲得 期成同盟会」
・1924年 市川房枝
→戦後まで達成されず。(1945年に達成)

<大正デモクラシー(その他運動)>
☆部落解放運動
・1922年 「全国水平社」設立
被差別部落の差別解消目的。

☆農民運動
・1920年 小作争議の激化
小作人の闘争・小作料引き下げを求める

・1922年 「日本農民組合(小作人組合)」設立
杉山元治郎らによる。

☆無産政党
労働者や農民などを支持する政党

無産者階級(プロレタリアート)
VS
資本家(お金持ち)階級(ブルジョアジー)

・1926年(昭和元年) 「労働農民党」
杉山元治郎ら→同年分裂

 

 

日本史【46】大正時代(近代ー15)

260802
日本史【46】大正時代(近代ー15)

<原敬 内閣(大戦終結以前)>(19代)
・最初の本格的・政党内閣(外・陸・海相以外は政友会)
「平民宰相(へいみんさいしょう)」と呼ばれる。
(※最初の政党内閣は「大隈重信・内閣①」だったが、4ヶ月で終わったため、「政治をした」という意味では今回が初。)

・1919年 三・一独立運動
朝鮮での反日独立運動。「万歳事件」ともいう。

・1919年 衆議院議員選挙法・改正
直接国税規定を10円→3円へ(5.5%に)
小選挙区制を導入。解散後の選挙で政友会が圧勝。
(→国民は0円を求めていたから、不満が鬱積)

<原敬 内閣(パリ講和条約とその影響)>
・1919年 パリ講和会議
第一次世界大戦の講和会議
英〇・仏〇(露・離脱) VS ✕独

ヴェルサイユ条約・調印
全権:西園寺公望
(内容)
①山東省の旧ドイツ権益の継承。
(※「21カ条の要求」で中華民国に認めさせていたものを、欧にも認めさせた。)
②赤道以北の旧ドイツ領・南洋群島の委任統治。
↓↓
(中国からすると、当然日本に出て行ってほしい。)
・1919年 五・四運動
中国での民族運動。

・1920年 国際連盟・加盟
米大統領ウィルソンの提唱。(本部:ジュネーブ)
常任理事国:英・日・仏・伊(米・ソは不参加)
(※日本は現在の国際連合の常任理事国ではない。)

<原敬 内閣(大戦後の状況)>
・1920年 尼港事件
ニコラエフスク(尼港・にこう)で抗日パルチザン(非正規軍)に敗北。(シベリア出兵がうまくいかなかった。)

・1920年 戦後恐慌
(欧での戦争が終わって、欧の生産力が戻った。日本の物は売れなくなった。)
→労働運動激化
→翌年、原敬首相が東京駅で社会主義者に✕。
↓↓
同じ政友会の高橋是清が総理へ

<高橋是清 内閣>(20代)
・1921年~22年 ワシントン会議
(全権:加藤友三郎(海軍)(→21代総理に)・幣原喜重郎(→44代総理に))
米・大統領ハーディングの提唱
※日本がWW1(ヴェルサイユ条約)でもらった権利が、取り上げられる。(山東半島の独領など)
(1)四カ国条約 太平洋問題→「日英同盟」破棄
(2)九カ国条約 中国問題→「石井・ランシング協定」廃棄
(3)ワシントン海軍軍縮条約
主力艦 保有率(上限)
英5:米5:日3:仏1.67:伊1.67
(持ちすぎている分は壊さないといけない)
当時、日本は国際連盟の常任理事国。自分だけ軍備拡大というわけにはいかないため調印。

<加藤友三郎 内閣>(21代)
・1922年 日本共産党結成。堺利彦、山川均。非合法のうちに。
・1922年 シベリア撤兵完了
・1923年 首相在任中に病死

<山本権兵衛 内閣②>(22代)
(組閣中)
・1923年(大正12年)9月1日 関東大震災
大震災直後に組閣→震災の処理
例:戒厳令(軍による治安維持令)公布
(1905日比谷焼打事件で戒厳令)
・朝鮮人✕事件:在日朝鮮人✕
・亀戸(かめいど)事件:労働家✕
・甘粕事件:大杉栄・伊藤野枝(のえ)ら✕(甘粕正彦・憲兵大尉による)
・虎ノ門事件:裕仁親王(摂政)狙撃→内閣総辞職

・1923年 震災恐慌へ

<清浦奎吾 内閣>(23代)
清浦奎吾 貴族院中心の超然内閣を作る。(民主的ではない)
↑↑ (批判)
☆1924年 第二次護憲運動(「憲法を守れ」という運動)
護憲三派
・加藤高明(憲政会)
・犬養毅(革新倶楽部)
・高橋是清(政友会)
清浦は、この↑3つの政党「護憲三派」に批判される。

清浦内閣・総辞職

(cf. 第一次護憲運動は桂太郎内閣③が攻撃された。攻撃したのは犬養毅(立憲国民党)・尾崎行雄(政友会)など。)
↓↓
桂太郎は「立憲国民党」を引き抜いて「立憲同志会」を作る。→これが後に「立憲憲政会」になる。明治時代の「憲政党」とは別物。
↓↓
「憲政会」と「政友会」は二大政党のようになっていく。

<加藤高明 内閣①②>(24代)
「憲政会」総裁・加藤高明を首相とする「護憲三派」(憲政会・政友会・革新倶楽部)内閣

→「憲政の常道」(=民主的なあるべき姿)
(加藤高明 24代~犬養毅 29代の政党内閣)開始。

・1925年 日ソ基本条約
(シベリア出兵をしていたが撤兵)
ソ連と国交樹立←幣原外相の協調外交

・1925年 普通選挙法(アメ)
25歳以上の男子。直接国税の条件はなくなる。

・1925年 治安維持法(ムチ)
反政府運動を弾圧。
天皇制・私有財産制を否認する結社の禁止。(国民主権はダメ)
(1900年の「治安警察法」(山県有朋②)は依然としてそのままある。)

・1925年 五・三〇事件
在華紡の中国人労働者のスト
(在華紡(ざいかぼう):中国に進出した日本の紡績工場)

→大ストライキから、反日・反帝国主義運動へ

 

日本史【45】大正時代(近代ー14)

260801
日本史【45】大正時代(近代ー14)

<西園寺公望内閣②>(14代)

・1912年 大正改元

・1912年 陸軍の二個師団増設要求
→西園寺内閣②は、財政難を理由に拒否
→上原勇作陸相、辞任(陸軍のストライキ。大臣を出さない。=軍務大臣現役武官制を使う。)

→西園寺内閣・総辞職
(軍が内閣をつぶしてしまった)

<桂太郎内閣③>(15代)
・1912年 内大臣だった桂太郎が、宮中と府中の別を破って組閣したため批判が集中。「天皇を利用しているだけだ」。

☆1912年 第一次護憲運動
・尾崎行雄:(立憲)政友会
・犬養毅:立憲国民党
「憲政擁護」、「閥族打破」
↓↓
桂太郎は、新党結成で対抗。
・国民党の一部を吸収して「立憲同志会」を設立(桂の死後)

民衆のデモ。国会の周りを民衆が取り巻いた。
→内閣総辞職(大正政変)
(民主主義的風潮が強くなってきた証)

<山本権兵衛①>(16代)
・1913年 薩摩・海軍の山本権兵衛が組閣。
(与党:立憲政友会)

・1913年 軍部大臣 現役武官制 改正
現役規定を予備役・後備役(OBなど)にまで拡大

・1914年 ジーメンス(シーメンス)事件
海軍賄賂事件。独の会社。
→総辞職

<大隈重信②(第一次世界大戦)>(17代)
・1914年 第一次世界大戦(~1918年)
三国同盟
ドイツ・イタリア・オーストリア
VS
三国協商
イギリス・フランス・ロシア

サラエボ事件がきっかけ
(オーストリア皇太子が暗殺された事件)
・日本は日英同盟のよしみで参戦
・「中国・太平洋のドイツ領」を攻撃
・青島(山東半島)、南洋諸島の一部を占領

<大隈重信②(二十一カ条の要求)>
・1915年 (対華)二十一カ条の要求
外相:加藤高明(立憲同志会・内閣の中心)
↓↓
中華民国・大総統:袁世凱
5月9日 一部を除いて受諾
→この日を中国は「国恥(こくち)記念日」とする。
(内容)
①山東省の旧ドイツ権益の継承
②漢冶萍公司(かんやひょう・こんす)(製鉄会社)の共同経営
※公司(コンス)は中国語で「会社」

<寺内正毅内閣(大戦景気)>(18代)
・1915年~18年 大戦景気
①輸出急増(生糸・綿織物)
②世界第3位の海運国へ→船成金などの登場
③満鉄による鞍山(アンシャン)製鉄所設立(1918年)
→工業国へ

・1917年 西原借款(しゃっかん)
借款:国が国にお金を貸すこと。
日本政府・西原亀三(かめぞう)→段祺瑞(だんきずい)政権へ。中国への経済援助。(袁世凱の次の権力闘争)中国での権益拡大を意図。
→失敗(お金を貸したが段祺瑞が失脚)

・1917年 金輸出禁止(金本位制を停止)

<寺内正毅内閣(ロシア革命)>(18代)
・1917年 ロシア革命
ロマノフ王朝が倒れる。
レーニンの主導で、最初の「社会主義政権」成立。
↓↓
①1917年 石井・ランシング協定
日・米間。中国における日本の権益を承認。
(明治の終わりには仲が悪かった日米が、仲直り)
↓↓
②1918年 シベリア出兵
チェコスロバキア軍救出を名目に、英・米・仏と共に出兵。
(戦争中は物価が上がる。)
→米の買い占め、売り惜しみ→米価急騰
↓↓
・1918年 米騒動
富山の漁民主婦の蜂起(越中女一揆)から全国へ
内閣は軍を出して鎮圧。
寺内内閣・総辞職