260802
日本史【46】大正時代(近代ー15)
<原敬 内閣(大戦終結以前)>(19代)
・最初の本格的・政党内閣(外・陸・海相以外は政友会)
「平民宰相(へいみんさいしょう)」と呼ばれる。
(※最初の政党内閣は「大隈重信・内閣①」だったが、4ヶ月で終わったため、「政治をした」という意味では今回が初。)
・1919年 三・一独立運動
朝鮮での反日独立運動。「万歳事件」ともいう。
・1919年 衆議院議員選挙法・改正
直接国税規定を10円→3円へ(5.5%に)
小選挙区制を導入。解散後の選挙で政友会が圧勝。
(→国民は0円を求めていたから、不満が鬱積)
<原敬 内閣(パリ講和条約とその影響)>
・1919年 パリ講和会議
第一次世界大戦の講和会議
英〇・仏〇(露・離脱) VS ✕独
ヴェルサイユ条約・調印
全権:西園寺公望
(内容)
①山東省の旧ドイツ権益の継承。
(※「21カ条の要求」で中華民国に認めさせていたものを、欧にも認めさせた。)
②赤道以北の旧ドイツ領・南洋群島の委任統治。
↓↓
(中国からすると、当然日本に出て行ってほしい。)
・1919年 五・四運動
中国での民族運動。
・1920年 国際連盟・加盟
米大統領ウィルソンの提唱。(本部:ジュネーブ)
常任理事国:英・日・仏・伊(米・ソは不参加)
(※日本は現在の国際連合の常任理事国ではない。)
<原敬 内閣(大戦後の状況)>
・1920年 尼港事件
ニコラエフスク(尼港・にこう)で抗日パルチザン(非正規軍)に敗北。(シベリア出兵がうまくいかなかった。)
・1920年 戦後恐慌
(欧での戦争が終わって、欧の生産力が戻った。日本の物は売れなくなった。)
→労働運動激化
→翌年、原敬首相が東京駅で社会主義者に✕。
↓↓
同じ政友会の高橋是清が総理へ
<高橋是清 内閣>(20代)
・1921年~22年 ワシントン会議
(全権:加藤友三郎(海軍)(→21代総理に)・幣原喜重郎(→44代総理に))
米・大統領ハーディングの提唱
※日本がWW1(ヴェルサイユ条約)でもらった権利が、取り上げられる。(山東半島の独領など)
(1)四カ国条約 太平洋問題→「日英同盟」破棄
(2)九カ国条約 中国問題→「石井・ランシング協定」廃棄
(3)ワシントン海軍軍縮条約
主力艦 保有率(上限)
英5:米5:日3:仏1.67:伊1.67
(持ちすぎている分は壊さないといけない)
当時、日本は国際連盟の常任理事国。自分だけ軍備拡大というわけにはいかないため調印。
<加藤友三郎 内閣>(21代)
・1922年 日本共産党結成。堺利彦、山川均。非合法のうちに。
・1922年 シベリア撤兵完了
・1923年 首相在任中に病死
<山本権兵衛 内閣②>(22代)
(組閣中)
・1923年(大正12年)9月1日 関東大震災
大震災直後に組閣→震災の処理
例:戒厳令(軍による治安維持令)公布
(1905日比谷焼打事件で戒厳令)
・朝鮮人✕事件:在日朝鮮人✕
・亀戸(かめいど)事件:労働家✕
・甘粕事件:大杉栄・伊藤野枝(のえ)ら✕(甘粕正彦・憲兵大尉による)
・虎ノ門事件:裕仁親王(摂政)狙撃→内閣総辞職
・1923年 震災恐慌へ
<清浦奎吾 内閣>(23代)
清浦奎吾 貴族院中心の超然内閣を作る。(民主的ではない)
↑↑ (批判)
☆1924年 第二次護憲運動(「憲法を守れ」という運動)
護憲三派
・加藤高明(憲政会)
・犬養毅(革新倶楽部)
・高橋是清(政友会)
清浦は、この↑3つの政党「護憲三派」に批判される。
清浦内閣・総辞職
(cf. 第一次護憲運動は桂太郎内閣③が攻撃された。攻撃したのは犬養毅(立憲国民党)・尾崎行雄(政友会)など。)
↓↓
桂太郎は「立憲国民党」を引き抜いて「立憲同志会」を作る。→これが後に「立憲憲政会」になる。明治時代の「憲政党」とは別物。
↓↓
「憲政会」と「政友会」は二大政党のようになっていく。
<加藤高明 内閣①②>(24代)
「憲政会」総裁・加藤高明を首相とする「護憲三派」(憲政会・政友会・革新倶楽部)内閣
→「憲政の常道」(=民主的なあるべき姿)
(加藤高明 24代~犬養毅 29代の政党内閣)開始。
・1925年 日ソ基本条約
(シベリア出兵をしていたが撤兵)
ソ連と国交樹立←幣原外相の協調外交
・1925年 普通選挙法(アメ)
25歳以上の男子。直接国税の条件はなくなる。
・1925年 治安維持法(ムチ)
反政府運動を弾圧。
天皇制・私有財産制を否認する結社の禁止。(国民主権はダメ)
(1900年の「治安警察法」(山県有朋②)は依然としてそのままある。)
・1925年 五・三〇事件
在華紡の中国人労働者のスト
(在華紡(ざいかぼう):中国に進出した日本の紡績工場)
→大ストライキから、反日・反帝国主義運動へ