| 名前 | 読み | 建てた人 | 建立年 |
| 法性寺 | ほっしょうじ | 藤原忠平 | 924年 |
| 法成寺 | ほうじょうじ | 藤原道長 | 1020年 |
| 法勝寺 | ほっしょうじ | 白河天皇 | 1075年 |
・法住寺(ほうじゅうじ)・・後白河法王がいた場所
歴史の学びメモ
| 名前 | 読み | 建てた人 | 建立年 |
| 法性寺 | ほっしょうじ | 藤原忠平 | 924年 |
| 法成寺 | ほうじょうじ | 藤原道長 | 1020年 |
| 法勝寺 | ほっしょうじ | 白河天皇 | 1075年 |
・法住寺(ほうじゅうじ)・・後白河法王がいた場所
260609
日本史【13】院政(中世2)
<院政>
・上皇・・院。譲位した天皇。太上天皇(だじょうてんのう)、治天の君(実質の政権の担い手)。
・法皇・・出家した上皇。
<統治機構>
・院庁(いんのちょう)・・院の役所。
・院司(いんし)・・院の近臣、側近。
・院宣(いんぜん)・・院の命令(直接)。
・院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)・・院庁から出る命令。
(これまで天皇は詔(みことのり)、宣旨(せんじ)、)
<軍事力>
・北面の武士(白河上皇)
・西面の武士(後鳥羽上皇)
<財政基盤>
(私有地から)
①荘園からの年貢。
上皇に寄進された荘園
・八条(女)院領(はちじょうにょいんりょう)・・鳥羽が寄進され、娘に伝えた荘園群
・長講堂領(ちょうこうどうりょう)・・後白河が寄進された荘園群
(公領から)
②知行国(院分国)からの年貢。
朝廷(天皇)が上皇に支配権を渡した国。(国司に任命)
知行国主=上皇
・平安の3人の上皇。白河、鳥羽、後白河
(1)<白河院政>
白河上皇
平氏:平正盛
《1086年》白河上皇、堀河天皇(8歳)に譲位。
→院政の開始(43年間)
・「北面の武士」の設置。院の警備をする武士。
・仏教崇拝
法勝寺(ほっしょうじ)建立。高野詣(こうやもうで)。熊野詣(くまのもうで)。
・僧兵の強訴(そうへいのごうそ)
僧が税金などの要求を強く迫る。
(南都北嶺)
・北嶺(ほくれい)・・比叡山・延暦寺の僧兵:日吉(ひよし/ひえ)神社の神輿(しんよ/みこし)をかつぐ。
・南都(なんと)・・興福寺(平城京)の僧兵:春日大社の神木をかつぐ。
・天下三不如意(てんか・さんふにょい)
(白河上皇が思い通りにならないもの)
①賀茂川の水、②双六の賽、③山法師(延暦寺の僧兵)
《1108年》平正盛(平清盛の祖父)(北面の武士)
源義親の乱を出雲で鎮圧。海賊を討伐。
(2)<鳥羽院政>
鳥羽上皇
平氏:平忠盛
《1129年》白河上皇没後、鳥羽上皇が院政開始。(27年間)
《1132年》平忠盛(清盛の父)、瀬戸内海の海賊を討伐し、昇殿を許される。
鳥羽没後・・
《1156年》保元(ほうげん)の乱
| 〇 | ✕ | |||
| 〇後白河天皇 | 弟 | 兄 | ✕崇徳上皇 | |
| 〇藤原忠通(76) | 兄 | VS | 弟 | ✕藤原頼長 |
| 〇平清盛 | おい | おじ | ✕平忠正 | |
| 〇源義朝(頼朝の父) | 兄 | 父 | ✕源為義 | |
| 弟 | ✕源為朝 |
(3)<後白河院政>
後白河上皇
平氏:平清盛
後白河院政開始後、近臣が対立
《1159年》平治の乱
| 〇 平氏 | ✕ 源氏 | |||
| 〇平清盛(父) | VS | ✕源義朝(父) | ||
| 〇平重盛(子) | ✕源頼朝(子) | →伊豆(静岡)へ配流 | ||
| 〇藤原通憲 | (信西) | ✕藤原信頼 | ||
後白河上皇が院政を開始するが、平清盛に実権を奪われる。
→平氏政権へ・・
<平氏政権>
後白河院
平氏:平清盛
保元・平治の乱のあと、平清盛が実権を掌握。
平氏政権(六波羅政権)
・外戚政策(貴族的)
・経済基盤・・知行国(公領・30国以上)と、荘園(私有地・500ヶ所)
・日宋貿易
輸入:宋銭→貨幣が流通するようになる
輸出:金
・港 大輪田泊(おおわだのとまり)(摂津・神戸)
《1167》平清盛 太政大臣になる
→貴族の役職に武士の清盛がなった。
(他には足利義満、豊臣秀吉ぐらい。)
※清盛は貴族と武士の両方の性格を併せ持つ。
《1177》鹿ヶ谷(ししがたに)の陰謀(京都・東山)
平氏打倒クーデター計画
by 俊寛(しゅんかん)、藤原成親、西光
《1179》後白河法皇を幽閉→院政停止
<治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱>・・源平の争乱
《1180》安徳天皇即位。高倉天皇と清盛の娘・徳子の子。
→清盛は外祖父に。
平清盛
_|
徳子=高倉天皇
__|
_安徳天皇
・以仁王(もちひとおう)(後白河の第三皇子)の、令旨(りょうじ)
→平氏追討・挙兵(失敗)
・福原に遷都。大輪田泊のそば。(5ヶ月で戻る。平安京の千年の歴史で、都が移ったのはこのときだけ。794~1868)
・源義仲が挙兵。信野・木曽
・富士川の戦い:源頼朝。駿河で平維盛に勝利→鎌倉に戻り、幕府を開く準備をする。
・南都焼き討ち
→興福寺や東大寺・大仏殿など、南都の寺社(反・平家)を、平重衡(清盛の五男)が焼き討ち。
《1181》平清盛、没
→後白河院、院政再開。
《1183》寿永二年十月宣旨
京都を荒らす木曽義仲や、西日本にいる平氏を討つよう、頼朝に依頼→東海道、東山道の支配権を与える。
《1184》一ノ谷の戦い(摂津/兵庫)
頼朝の弟ら、範頼(のりより)・義経が平氏を破る。
《1185》屋島の戦い(讃岐/香川)
《1185》壇ノ浦の戦い(長門/山口)
平氏滅亡。安徳天皇、入水。
《1189》奥州合戦:源頼朝が、義経をかくまったとして藤原泰衡を滅ぼす。
《1190》右近衛(うこのえ)大将・任命:頼朝は辞退。
《1192》征夷大将軍・任命:法王死後。
鎌倉幕府完成。
260608
日本史【12】荘園公領制(平安3)
・土地には、「公領(公地)」と「荘園(私有地)」がある。
・荘園公領制・・「公領(公)」と「荘園(私)」が入り交じり、重層的に管理された体制のこと
★「公領」について
<9~10C初の公領>
・公領(国衙領)・・国司(国)の支配地域=荘園(私有地)ではない所、口分田。
(国衙:国司のいる役所)
・班田収授法が浮浪、逃亡などでうまく機能せず。→直営田が生まれる。
・直営田・・空いた班田、土地を貴族が勝手に使い収入を得ること。
(直営田の例)
・公営田(くえいでん)(大宰府の財源。勝手に使う。)
・官田 (政府役所)
・勅旨田(天皇)
→国家に収入が入らない
↓↓
①禁止:延喜の荘園整理令《902年》(醍醐天皇)
②最後の班田実施→失敗
↓↓
「土地制度の大転換」が必要・・!
<10C半以降の公領>
荘園公領制
・名(みょう)・・口分田をいくつかまとめて、ある程度大きな一まとまりの土地にしたもの。
・田堵(たと)・・有力農民
・国司は、田堵に、名(土地)の経営を任せる。
・大名田堵(だいみょうたと)・・大規模経営を行なう田堵のこと。
・国司は農民一人ずつから税金を取るのではなく、田堵からまとめて取る。
国司
↑
郡司(ぐんじ)、郷司(ごうじ)、保司(ほじ)
税金の名前が租庸調から→「官物(かんもつ)(米)」、「臨時雑役(りんじぞうやく)(労役)」になる。
↑
田堵
↑
作人(耕作者)、下人・所従(隷属民)
<国司の実態>
国司は儲かるようになってくる。(都に一定額を納めれば、あとは自分のものにできるため。)
国司の地位が売買されるようになる。
→売官売位(ばいかんばいい)
賄賂を送って国司になる。
(寺社の修築をやる、私財を投じるなど)
・成功(じょうごう)・・国司になる。(1回目)
・重任(ちょうにん)・・任期を延長。もう一度同じ国の国司に任命してもらう。(2回目以降)
・遙任(ようにん)・・任国に赴任しない国司。目代(もくだい)(代理人)を派遣する。
※実際には在庁官人(ざいちょうかんじん)(地元の役人=郡司・郷司など)が政治を行なう。
・受領(ずりょう)・・任国に赴任する国司
下級・強欲貴族
ex 藤原元命(ふじわらのもとなが)
「尾張国郡司百姓等解文(おわりのくに・ぐんじ・ひゃくせいら・げぶみ)」《988》で訴えられる。
★「私有地(荘園)」について
<荘園の発生>・・「初期荘園」
・荘園は私有地。公地公民の例外の土地のこと。
・荘園には「初期荘園(墾田地系荘園)」と「寄進地系荘園」がある。
・奈良時代の墾田永年私財法《743》により、「初期荘園」が発生。大貴族や大寺社などが経営。
・このころは輸租田で、税金の義務があった。
・平安時代には衰退し、延喜の荘園整理令《902》でなくなる。
<荘園の開発>・・「寄進地系荘園」
・大名田堵なども開墾を行なうようになる→開発領主(土地の持ち主)になる。
・国司の税金の圧力から逃れるため、都にいる貴族や寺社に寄進する。(土地を寄付する。所有権を渡す。)
・開発領主は寄進後、荘官(現地管理人)になる。
→寄進地系荘園(寄進した荘園)の誕生
<寄進地系荘園>
・荘園領主(本家、領家)・・都にいる土地の所有者
・本所(ほんじょ)・・荘園への実質的支配権を持つ
ーーーーーーーーーーーーー
[都]
・本家(ほんけ)(身分の高い貴族など)
↑↑
↑↑(再寄進)
・領家(りょうけ)(身分の低い貴族など)
↑↑
↑↑(寄進)
ーーーーーーーーーーーーー
[現地]
・荘官(元・田堵で開発領主)
(=預所・あずかりどころ、下司・げし、公文・くもん)
↑↑
(税金の種類)
・年貢(米)←(元・租)
・公事(くじ)(米以外の物)←(元・庸調)
・夫役(ぶやく・ぶえき)(労役)←(元・雑徭)
(10C半ば平安~19C江戸まで続く)
↑↑
・田堵(有力農民。後に名主(みょうしゅ)と呼ばれる)
荘官と契約し、名(名田)を耕作する。
↑↑
・作人(耕作民)、下人・所従(隷属民)
ーーーーーーーーーーーーー
・荘官は荘園領主に寄進した見返りに「特権」をもらう。
→「不輸不入の権」
国司の圧力に対抗する。
・不輸の権・・税の免除(寄進することで、その土地は不輸租田に変わる)
・不入の権・・役人(検田使)の立入を拒否できる
※税金を国司に払うより、荘園領主(貴族)に払う方が安くすむ。
寄進地系荘園の発展
↓↓
藤原氏(貴族)が繁栄
↓↓
藤原氏の財源をつぶしたい。
「延久の荘園整理令《1069年》」を発布。
(覚え方)登録(トウロク1069)を抹消
後三条天皇。
=貴族に寄進せず、国司(天皇)に払いなさい。
↓↓
天皇の政治復活。(院政など)
260607
日本史【11】平安時代(平安2)
延喜・天暦の治(親政=天皇自ら政治)
<醍醐天皇>
「延喜の治」
901年 昌泰(しょうたい)の変☆
右大臣・菅原道真、大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷。
(左大臣・藤原時平の陰謀)
・長官・・大宰帥(だざいのそち)
・仮の長官・・大宰権帥(だざいごんのそち)
902年 延喜の荘園整理令
初期荘園、勅旨田(直営田)(貴族の私有地)などの廃止。
班田実施。→うまく行かず。最後となった。
(cf. 後の「延久の荘園整理令」寄進地系荘園と区別。)
914年 三善清行(みよしきよゆき/つら)の意見封事十二箇条
地方政治の乱れを指摘。政治改革を提案。
<承平・天慶(じょうへい・てんぎょう)の乱>
武士の反乱
朱雀天皇・藤原忠平
★承平・天慶の乱(935~941年)
・2つの反乱を合わせてこう呼ぶ。
・「恵美押勝の乱」などは貴族の反乱。その下の武士が反乱するのはこれが初。
・東西で同時に起こる。政府の力が落ちている証拠。
・平将門の乱
935年 叔父・平国香(たいらのくにか)(国司)を討ち、北関東の国府を襲う。新皇と称す(桓武平氏)。
(根拠地:猿島(さしま)下総(千葉・茨城))
940年 鎮圧:平貞盛(国香の子) 、 押領使(地方を抑える役職)藤原秀郷
・藤原純友の乱
939年 海賊を率いて瀬戸内海で反乱。
根拠地:日振島(ひぶりじま)(伊予(愛媛))
941年 鎮圧:源経元(みなもとのつねもと)(清和源氏の祖)
<村上天皇>
村上天皇
天暦の治(てんりゃくのち)
958年 乾元大宝(けんげんたいほう)鋳造
→皇朝十二銭の最後。(天皇家が作った貨幣。最初は和同開珎)
<冷泉・円融天皇>
政:藤原実頼
天皇の権力は弱い。
969年 安和の変(あんなのへん)(☆他氏排斥の最後)
・源満仲の密告で、左大臣・源高明(みなもとのたかあきら)が大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷。→以後、摂関常置。
※源満仲は源経基の子で源氏。源高明は醍醐天皇の子。源氏ではなく、源姓を名乗っているだけ。
<円融・花山天皇>
政:6人
氏の長者(一族の長)をめぐる争い
<一条・三条・後一条天皇>
政:藤原道長
(内覧→摂政→太政大臣)
摂関政治の全盛期
・法成寺(ほうじょうじ)建立。「御堂関白(みどうかんぱく)」と呼ばれる。(関白にはなっていない)
望月の歌「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
※権力を誇った歌と言われてきたが、近年では一族の繁栄を喜んだ歌だという解釈もある。
1019年 刀伊の入寇(といのにゅうこう)
大宰権帥・藤原隆家が九州で女真族(刀伊)を撃退。
<後一条・後朱雀・後冷泉天皇>
政:藤原頼通
(摂政→関白)在位50年間
1028年 平忠常の乱
上総(千葉)で反乱。
鎮圧者:源頼信
1051年 前九年の合戦
陸奥の安倍氏の反乱。
鎮圧者:源頼義・義家親子。
1053年 宇治(京都南)に平等院鳳凰堂を建立(宇治殿)
阿弥陀如来。
<後三条天皇>
藤原氏と外戚関係なし。→親政。
1069年 延久(えんきゅう)の荘園整理令(建議:大江匡房)
・藤原氏の財源・勢力をそぐ。
・1045年以降の新規荘園、書類不十分の荘園を廃止。
・「記録荘園券契所(きろくしょうえん・けんけいじょ)」、略して「記録所(きろくじょ)」を設置。(実行チーム)
→以降、藤原氏の勢力は衰えていく・・
<白河天皇>
1083年 後三年の合戦
清原氏の内紛。
鎮圧者:源義家。清原清衡に味方して乱を鎮圧。
★奥州藤原氏の繁栄。平泉(岩手)百年、栄華が続く
・清原→藤原に名を戻す
1藤原(清原)清衡→2基衡→3秀衡(→4泰衡)
(きもをひやす)
・金と馬で繁栄
奥州→陸奥(むつ)
260606
日本史【10】平安時代(平安1)
<桓武天皇>
・784年 長岡京
・785年 藤原種継暗殺
・792年 健児の制(こんでいのせい)
軍団制(一般からの強制兵役)を廃止→郡司の師弟を兵士とする。有給。
・794年 平安京
山背から→山城へ
・民衆負担の軽減
①雑徭の半減(国衙で労役)60日→30日
②公出挙の利息軽減 5割→3割
③班田の起源倍増 6年→12年
・797年 勘解由使(かげゆし)設置。
(令外官(りょうげのかん))
解由状(げゆじょう)による国司の審査。
・797年 征夷大将軍・坂上田村麻呂を派遣
・多賀城(聖武天皇時)(宮城)鎮守府を置く。
・胆沢城(いさわじょう)(岩手)鎮守府がここに移る。802年
・志波城(しわじょう)(岩手)803年
・805年 徳政相論(とくせいそうろん)
藤原緒嗣(おつぐ)(式家)&菅野真道(すがののまみち)の論争。
軍事(蝦夷征伐)、造作(平安京造営)→中止
<平城天皇>兄
病気で譲位→政権回復めざす
<嵯峨天皇>弟
政・藤原冬嗣
・810 蔵人所(くろうどどころ)(令外官)の設置。
蔵人頭(くろうどのとう):藤原冬嗣。
・810年 薬子の変(平城上皇の変)
〇 嵯峨天皇、藤原冬嗣(北家)
VS
✕ 平城上皇、藤原薬子(式家)、藤原仲成(式家)
816年 検非違使(令外官)設置。
京都の警察、治安維持
・820年 弘仁格式(こうにんきゃくしき)編纂
格(きゃく)・・律令の補足
式(しき)・・律令の施行細則
・弘仁格式 嵯峨帝
・貞観格式(じょうがんきゃくしき)清和帝
・延喜格式(えんぎきゃくしき)醍醐帝
↓↓
三代格式(さんだいきゃくしき)と呼ぶ。
(令外官まとめ)
桓武→勘解由使
嵯峨→検非違使・蔵人所・征夷大将軍
今後は藤原氏が台頭。天皇はあまり出てこなくなる。
<藤原氏の権力掌握術>
①他氏排斥(承和の変~安和の変)
②外戚政策(母方の親戚)・・天皇の外祖父(母方の祖父)となって権力をふるう。
摂政・・幼少の天皇を代行。藤原良房が人臣(天皇家以外)で最初。
関白・・成人の天皇を補佐。藤原基経。
<藤原良房>
天皇:淳和、仁明、文徳、清和
政権:藤原良房
・833年 令義解(りょうのぎげ)
養老令の官選注釈書。
・842年 承和の変(☆←他氏排斥マーク)
謀反の疑いで、橘逸勢(たちばなのはやなり)、伴健岑(とものこわみね)、皇太子の恒貞親王らを配流。代わりに良房の甥の道康親王(文徳)を皇太子とする。
・858年 良房が9歳の清和天皇の外祖父として摂政に就任(人臣初)
良房
|
明子=文徳
|
清和
・866年 応天門の変☆
応天門の放火犯として伴善男(とものよしお)らを配流。
<藤原基経>
・884年 藤原基経が実質的関白に就任(初)。光孝天皇は政治は基経に任せる。
・887年 阿衡の紛議
宇多天皇✕ VS 〇藤原基経
宇多帝が基経を関白ではなく阿衡に任命したことで対立。基経の示威(じい)事件。→基経は関白に就任。
基経没
<宇多天皇>
政権:菅原道真
・891年 菅原道真・文章博士(もんしょうはかせ)蔵人頭に就任(摂関置かず)。
藤原氏をトップには置かない→「寛平の治(かんぴょうのち)」
・894年 遣唐使廃止
藤原氏が菅原道真を遣唐使に推薦。
菅原道真、遣唐使自体の廃止を建議。