日本史【11】平安時代(古代ー8) – 歴史note

日本史【11】平安時代(古代ー8)

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日本史【11】平安時代(平安2)

延喜・天暦の治(親政=天皇自ら政治)
<醍醐天皇>
「延喜の治」

901年 昌泰(しょうたい)の変☆
右大臣・菅原道真、大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷。
(左大臣・藤原時平の陰謀)
・長官・・大宰帥(だざいのそち)
・仮の長官・・大宰権帥(だざいごんのそち)

902年 延喜の荘園整理令
初期荘園、勅旨田(直営田)(貴族の私有地)などの廃止。
班田実施。→うまく行かず。最後となった。
(cf. 後の「延久の荘園整理令」寄進地系荘園と区別。)

914年 三善清行(みよしきよゆき/つら)の意見封事十二箇条
地方政治の乱れを指摘。政治改革を提案。

<承平・天慶(じょうへい・てんぎょう)の乱>
武士の反乱
朱雀天皇・藤原忠平

★承平・天慶の乱(935~941年)
・2つの反乱を合わせてこう呼ぶ。
・「恵美押勝の乱」などは貴族の反乱。その下の武士が反乱するのはこれが初。
・東西で同時に起こる。政府の力が落ちている証拠。

・平将門の乱
935年 叔父・平国香(たいらのくにか)(国司)を討ち、北関東の国府を襲う。新皇と称す(桓武平氏)。
(根拠地:猿島(さしま)下総(千葉・茨城))
940年 鎮圧:平貞盛(国香の子) 、 押領使(地方を抑える役職)藤原秀郷

・藤原純友の乱
939年 海賊を率いて瀬戸内海で反乱。
根拠地:日振島(ひぶりじま)(伊予(愛媛))
941年 鎮圧:源経元(みなもとのつねもと)(清和源氏の祖)

<村上天皇>
村上天皇
天暦の治(てんりゃくのち)

958年 乾元大宝(けんげんたいほう)鋳造
→皇朝十二銭の最後。(天皇家が作った貨幣。最初は和同開珎)

<冷泉・円融天皇>
政:藤原実頼
天皇の権力は弱い。

969年 安和の変(あんなのへん)(☆他氏排斥の最後)
・源満仲の密告で、左大臣・源高明(みなもとのたかあきら)が大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷。→以後、摂関常置。
※源満仲は源経基の子で源氏。源高明は醍醐天皇の子。源氏ではなく、源姓を名乗っているだけ。

<円融・花山天皇>
政:6人
氏の長者(一族の長)をめぐる争い

<一条・三条・後一条天皇>
政:藤原道長
(内覧→摂政→太政大臣)
摂関政治の全盛期

・法成寺(ほうじょうじ)建立。「御堂関白(みどうかんぱく)」と呼ばれる。(関白にはなっていない)

望月の歌「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
※権力を誇った歌と言われてきたが、近年では一族の繁栄を喜んだ歌だという解釈もある。

1019年 刀伊の入寇(といのにゅうこう)
大宰権帥・藤原隆家が九州で女真族(刀伊)を撃退。

<後一条・後朱雀・後冷泉天皇>
政:藤原頼通
(摂政→関白)在位50年間

1028年 平忠常の乱
上総(千葉)で反乱。
鎮圧者:源頼信

1051年 前九年の合戦
陸奥の安倍氏の反乱。
鎮圧者:源頼義・義家親子。

1053年 宇治(京都南)に平等院鳳凰堂を建立(宇治殿)
阿弥陀如来。

<後三条天皇>
藤原氏と外戚関係なし。→親政。

1069年 延久(えんきゅう)の荘園整理令(建議:大江匡房)
・藤原氏の財源・勢力をそぐ。
・1045年以降の新規荘園、書類不十分の荘園を廃止。
・「記録荘園券契所(きろくしょうえん・けんけいじょ)」、略して「記録所(きろくじょ)」を設置。(実行チーム)
→以降、藤原氏の勢力は衰えていく・・

<白河天皇>
1083年 後三年の合戦
清原氏の内紛。
鎮圧者:源義家。清原清衡に味方して乱を鎮圧。

★奥州藤原氏の繁栄。平泉(岩手)百年、栄華が続く
・清原→藤原に名を戻す
1藤原(清原)清衡→2基衡→3秀衡(→4泰衡)
(きもをひやす)
・金と馬で繁栄

奥州→陸奥(むつ)