日本史【10】平安時代(古代ー7) – 歴史note

日本史【10】平安時代(古代ー7)

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日本史【10】平安時代(平安1)

<桓武天皇>
・784年 長岡京
・785年 藤原種継暗殺
・792年 健児の制(こんでいのせい)
軍団制(一般からの強制兵役)を廃止→郡司の師弟を兵士とする。有給。

・794年 平安京
山背から→山城へ

・民衆負担の軽減
①雑徭の半減(国衙で労役)60日→30日
②公出挙の利息軽減 5割→3割
③班田の起源倍増 6年→12年

・797年 勘解由使(かげゆし)設置。
(令外官(りょうげのかん))
解由状(げゆじょう)による国司の審査。

・797年 征夷大将軍・坂上田村麻呂を派遣
・多賀城(聖武天皇時)(宮城)鎮守府を置く。
・胆沢城(いさわじょう)(岩手)鎮守府がここに移る。802年
・志波城(しわじょう)(岩手)803年

・805年 徳政相論(とくせいそうろん)
藤原緒嗣(おつぐ)(式家)&菅野真道(すがののまみち)の論争。
軍事(蝦夷征伐)、造作(平安京造営)→中止

<平城天皇>兄
病気で譲位→政権回復めざす

<嵯峨天皇>弟
政・藤原冬嗣

・810 蔵人所(くろうどどころ)(令外官)の設置。
蔵人頭(くろうどのとう):藤原冬嗣。

・810年 薬子の変(平城上皇の変)
〇 嵯峨天皇、藤原冬嗣(北家)
VS
✕ 平城上皇、藤原薬子(式家)、藤原仲成(式家)

816年 検非違使(令外官)設置。
京都の警察、治安維持

・820年 弘仁格式(こうにんきゃくしき)編纂
格(きゃく)・・律令の補足
式(しき)・・律令の施行細則

・弘仁格式 嵯峨帝
・貞観格式(じょうがんきゃくしき)清和帝
・延喜格式(えんぎきゃくしき)醍醐帝
↓↓
三代格式(さんだいきゃくしき)と呼ぶ。

(令外官まとめ)
桓武→勘解由使
嵯峨→検非違使・蔵人所・征夷大将軍

今後は藤原氏が台頭。天皇はあまり出てこなくなる。

<藤原氏の権力掌握術>
①他氏排斥(承和の変~安和の変)
②外戚政策(母方の親戚)・・天皇の外祖父(母方の祖父)となって権力をふるう。

摂政・・幼少の天皇を代行。藤原良房が人臣(天皇家以外)で最初。
関白・・成人の天皇を補佐。藤原基経。

<藤原良房>
天皇:淳和、仁明、文徳、清和
政権:藤原良房

・833年 令義解(りょうのぎげ)
養老令の官選注釈書。

・842年 承和の変(☆←他氏排斥マーク)
謀反の疑いで、橘逸勢(たちばなのはやなり)、伴健岑(とものこわみね)、皇太子の恒貞親王らを配流。代わりに良房の甥の道康親王(文徳)を皇太子とする。

・858年 良房が9歳の清和天皇の外祖父として摂政に就任(人臣初)

良房

明子=文徳

清和

・866年 応天門の変☆
応天門の放火犯として伴善男(とものよしお)らを配流。

<藤原基経>
・884年 藤原基経が実質的関白に就任(初)。光孝天皇は政治は基経に任せる。

・887年 阿衡の紛議
宇多天皇✕ VS 〇藤原基経
宇多帝が基経を関白ではなく阿衡に任命したことで対立。基経の示威(じい)事件。→基経は関白に就任。

基経没

<宇多天皇>
政権:菅原道真

・891年 菅原道真・文章博士(もんしょうはかせ)蔵人頭に就任(摂関置かず)。
藤原氏をトップには置かない→「寛平の治(かんぴょうのち)」

・894年 遣唐使廃止
藤原氏が菅原道真を遣唐使に推薦。
菅原道真、遣唐使自体の廃止を建議。