日本史まとめ – ページ 2 – 歴史note

日本史【13】院政(中世ー2)

260609
日本史【13】院政(中世2)
<院政>
・上皇・・院。譲位した天皇。太上天皇(だじょうてんのう)、治天の君(実質の政権の担い手)。
・法皇・・出家した上皇。

<統治機構>
・院庁(いんのちょう)・・院の役所。
・院司(いんし)・・院の近臣、側近。
・院宣(いんぜん)・・院の命令(直接)。
・院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)・・院庁から出る命令。
(これまで天皇は詔(みことのり)、宣旨(せんじ)、)

<軍事力>
・北面の武士(白河上皇)
・西面の武士(後鳥羽上皇)

<財政基盤>
(私有地から)
①荘園からの年貢。
上皇に寄進された荘園
・八条(女)院領(はちじょうにょいんりょう)・・鳥羽が寄進され、娘に伝えた荘園群
・長講堂領(ちょうこうどうりょう)・・後白河が寄進された荘園群

(公領から)
②知行国(院分国)からの年貢。
朝廷(天皇)が上皇に支配権を渡した国。(国司に任命)
知行国主=上皇

・平安の3人の上皇。白河、鳥羽、後白河

(1)<白河院政>
白河上皇
平氏:平正盛

《1086年》白河上皇、堀河天皇(8歳)に譲位。
→院政の開始(43年間)
・「北面の武士」の設置。院の警備をする武士。

・仏教崇拝
法勝寺(ほっしょうじ)建立。高野詣(こうやもうで)。熊野詣(くまのもうで)。

・僧兵の強訴(そうへいのごうそ)
僧が税金などの要求を強く迫る。

(南都北嶺)
・北嶺(ほくれい)・・比叡山・延暦寺の僧兵:日吉(ひよし/ひえ)神社の神輿(しんよ/みこし)をかつぐ。
・南都(なんと)・・興福寺(平城京)の僧兵:春日大社の神木をかつぐ。

・天下三不如意(てんか・さんふにょい)
(白河上皇が思い通りにならないもの)
①賀茂川の水、②双六の賽、③山法師(延暦寺の僧兵)

《1108年》平正盛(平清盛の祖父)(北面の武士)
源義親の乱を出雲で鎮圧。海賊を討伐。

(2)<鳥羽院政>
鳥羽上皇
平氏:平忠盛

《1129年》白河上皇没後、鳥羽上皇が院政開始。(27年間)

《1132年》平忠盛(清盛の父)、瀬戸内海の海賊を討伐し、昇殿を許される。

鳥羽没後・・
《1156年》保元(ほうげん)の乱

  〇
 〇後白河天皇 ✕崇徳上皇
〇藤原忠通(76) VS ✕藤原頼長
〇平清盛 おい おじ ✕平忠正
〇源義朝(頼朝の父) ✕源為義
✕源為朝

 

(3)<後白河院政>
後白河上皇
平氏:平清盛

後白河院政開始後、近臣が対立
《1159年》平治の乱

〇 平氏 ✕ 源氏
〇平清盛(父) VS ✕源義朝(父)
〇平重盛(子) ✕源頼朝(子)

→伊豆(静岡)へ配流

〇藤原通憲

(信西)

✕藤原信頼

後白河上皇が院政を開始するが、平清盛に実権を奪われる。
→平氏政権へ・・

<平氏政権>
後白河院
平氏:平清盛

保元・平治の乱のあと、平清盛が実権を掌握。
平氏政権(六波羅政権)
・外戚政策(貴族的)
・経済基盤・・知行国(公領・30国以上)と、荘園(私有地・500ヶ所)
・日宋貿易
輸入:宋銭→貨幣が流通するようになる
輸出:金
・港 大輪田泊(おおわだのとまり)(摂津・神戸)

《1167》平清盛 太政大臣になる
→貴族の役職に武士の清盛がなった。
(他には足利義満、豊臣秀吉ぐらい。)

※清盛は貴族と武士の両方の性格を併せ持つ。

《1177》鹿ヶ谷(ししがたに)の陰謀(京都・東山)
平氏打倒クーデター計画
by 俊寛(しゅんかん)、藤原成親、西光

《1179》後白河法皇を幽閉→院政停止

<治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱>・・源平の争乱

《1180》安徳天皇即位。高倉天皇と清盛の娘・徳子の子。
→清盛は外祖父に。

平清盛
_
徳子=高倉天皇
__
_安徳天皇

・以仁王(もちひとおう)(後白河の第三皇子)の、令旨(りょうじ)
→平氏追討・挙兵(失敗)

・福原に遷都。大輪田泊のそば。(5ヶ月で戻る。平安京の千年の歴史で、都が移ったのはこのときだけ。794~1868)

・源義仲が挙兵。信野・木曽

・富士川の戦い:源頼朝。駿河で平維盛に勝利→鎌倉に戻り、幕府を開く準備をする。

・南都焼き討ち
→興福寺や東大寺・大仏殿など、南都の寺社(反・平家)を、平重衡(清盛の五男)が焼き討ち。

《1181》平清盛、没
→後白河院、院政再開。

《1183》寿永二年十月宣旨
京都を荒らす木曽義仲や、西日本にいる平氏を討つよう、頼朝に依頼→東海道、東山道の支配権を与える。

《1184》一ノ谷の戦い(摂津/兵庫)
頼朝の弟ら、範頼(のりより)・義経が平氏を破る。

《1185》屋島の戦い(讃岐/香川)

《1185》壇ノ浦の戦い(長門/山口)
平氏滅亡。安徳天皇、入水。

《1189》奥州合戦:源頼朝が、義経をかくまったとして藤原泰衡を滅ぼす。

《1190》右近衛(うこのえ)大将・任命:頼朝は辞退。

《1192》征夷大将軍・任命:法王死後。
鎌倉幕府完成。

 

 

 

日本史【12】荘園公領制(中世ー1)

260608
日本史【12】荘園公領制(平安3)

・土地には、「公領(公地)」と「荘園(私有地)」がある。

・荘園公領制・・「公領(公)」と「荘園(私)」が入り交じり、重層的に管理された体制のこと

★「公領」について
<9~10C初の公領>
・公領(国衙領)・・国司(国)の支配地域=荘園(私有地)ではない所、口分田。
(国衙:国司のいる役所)

・班田収授法が浮浪、逃亡などでうまく機能せず。→直営田が生まれる。
・直営田・・空いた班田、土地を貴族が勝手に使い収入を得ること。
(直営田の例)
・公営田(くえいでん)(大宰府の財源。勝手に使う。)
・官田 (政府役所)
・勅旨田(天皇)
→国家に収入が入らない
↓↓
①禁止:延喜の荘園整理令《902年》(醍醐天皇)
②最後の班田実施→失敗
↓↓
「土地制度の大転換」が必要・・!

<10C半以降の公領>

荘園公領制

・名(みょう)・・口分田をいくつかまとめて、ある程度大きな一まとまりの土地にしたもの。

・田堵(たと)・・有力農民

・国司は、田堵に、名(土地)の経営を任せる。

・大名田堵(だいみょうたと)・・大規模経営を行なう田堵のこと。

・国司は農民一人ずつから税金を取るのではなく、田堵からまとめて取る。

国司

郡司(ぐんじ)、郷司(ごうじ)、保司(ほじ)
税金の名前が租庸調から→「官物(かんもつ)(米)」、「臨時雑役(りんじぞうやく)(労役)」になる。

田堵

作人(耕作者)、下人・所従(隷属民)

<国司の実態>
国司は儲かるようになってくる。(都に一定額を納めれば、あとは自分のものにできるため。)

国司の地位が売買されるようになる。
→売官売位(ばいかんばいい)

賄賂を送って国司になる。
(寺社の修築をやる、私財を投じるなど)

・成功(じょうごう)・・国司になる。(1回目)

・重任(ちょうにん)・・任期を延長。もう一度同じ国の国司に任命してもらう。(2回目以降)

・遙任(ようにん)・・任国に赴任しない国司。目代(もくだい)(代理人)を派遣する。

※実際には在庁官人(ざいちょうかんじん)(地元の役人=郡司・郷司など)が政治を行なう。

・受領(ずりょう)・・任国に赴任する国司
下級・強欲貴族
ex 藤原元命(ふじわらのもとなが)
「尾張国郡司百姓等解文(おわりのくに・ぐんじ・ひゃくせいら・げぶみ)」《988》で訴えられる。

 

★「私有地(荘園)」について

<荘園の発生>・・「初期荘園」

・荘園は私有地。公地公民の例外の土地のこと。

・荘園には「初期荘園(墾田地系荘園)」と「寄進地系荘園」がある。

・奈良時代の墾田永年私財法《743》により、「初期荘園」が発生。大貴族や大寺社などが経営。

・このころは輸租田で、税金の義務があった。

・平安時代には衰退し、延喜の荘園整理令《902》でなくなる。

<荘園の開発>・・「寄進地系荘園」

・大名田堵なども開墾を行なうようになる→開発領主(土地の持ち主)になる。

・国司の税金の圧力から逃れるため、都にいる貴族や寺社に寄進する。(土地を寄付する。所有権を渡す。)

・開発領主は寄進後、荘官(現地管理人)になる。

→寄進地系荘園(寄進した荘園)の誕生

<寄進地系荘園>

・荘園領主(本家、領家)・・都にいる土地の所有者
・本所(ほんじょ)・・荘園への実質的支配権を持つ

ーーーーーーーーーーーーー
[都]
・本家(ほんけ)(身分の高い貴族など)
↑↑
↑↑(再寄進)
・領家(りょうけ)(身分の低い貴族など)
↑↑
↑↑(寄進)
ーーーーーーーーーーーーー
[現地]
・荘官(元・田堵で開発領主)
(=預所・あずかりどころ、下司・げし、公文・くもん)
↑↑
(税金の種類)
・年貢(米)←(元・租)
・公事(くじ)(米以外の物)←(元・庸調)
・夫役(ぶやく・ぶえき)(労役)←(元・雑徭)
(10C半ば平安~19C江戸まで続く)
↑↑
・田堵(有力農民。後に名主(みょうしゅ)と呼ばれる)
荘官と契約し、名(名田)を耕作する。
↑↑
・作人(耕作民)、下人・所従(隷属民)

ーーーーーーーーーーーーー

・荘官は荘園領主に寄進した見返りに「特権」をもらう。

→「不輸不入の権」

国司の圧力に対抗する。
・不輸の権・・税の免除(寄進することで、その土地は不輸租田に変わる)
・不入の権・・役人(検田使)の立入を拒否できる

※税金を国司に払うより、荘園領主(貴族)に払う方が安くすむ。

寄進地系荘園の発展
↓↓
藤原氏(貴族)が繁栄
↓↓
藤原氏の財源をつぶしたい。
「延久の荘園整理令《1069年》」を発布。
(覚え方)登録(トウロク1069)を抹消

後三条天皇。
=貴族に寄進せず、国司(天皇)に払いなさい。
↓↓
天皇の政治復活。(院政など)

 

日本史【11】平安時代(古代ー8)

260607
日本史【11】平安時代(平安2)

延喜・天暦の治(親政=天皇自ら政治)
<醍醐天皇>
「延喜の治」

901年 昌泰(しょうたい)の変☆
右大臣・菅原道真、大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷。
(左大臣・藤原時平の陰謀)
・長官・・大宰帥(だざいのそち)
・仮の長官・・大宰権帥(だざいごんのそち)

902年 延喜の荘園整理令
初期荘園、勅旨田(直営田)(貴族の私有地)などの廃止。
班田実施。→うまく行かず。最後となった。
(cf. 後の「延久の荘園整理令」寄進地系荘園と区別。)

914年 三善清行(みよしきよゆき/つら)の意見封事十二箇条
地方政治の乱れを指摘。政治改革を提案。

<承平・天慶(じょうへい・てんぎょう)の乱>
武士の反乱
朱雀天皇・藤原忠平

★承平・天慶の乱(935~941年)
・2つの反乱を合わせてこう呼ぶ。
・「恵美押勝の乱」などは貴族の反乱。その下の武士が反乱するのはこれが初。
・東西で同時に起こる。政府の力が落ちている証拠。

・平将門の乱
935年 叔父・平国香(たいらのくにか)(国司)を討ち、北関東の国府を襲う。新皇と称す(桓武平氏)。
(根拠地:猿島(さしま)下総(千葉・茨城))
940年 鎮圧:平貞盛(国香の子) 、 押領使(地方を抑える役職)藤原秀郷

・藤原純友の乱
939年 海賊を率いて瀬戸内海で反乱。
根拠地:日振島(ひぶりじま)(伊予(愛媛))
941年 鎮圧:源経元(みなもとのつねもと)(清和源氏の祖)

<村上天皇>
村上天皇
天暦の治(てんりゃくのち)

958年 乾元大宝(けんげんたいほう)鋳造
→皇朝十二銭の最後。(天皇家が作った貨幣。最初は和同開珎)

<冷泉・円融天皇>
政:藤原実頼
天皇の権力は弱い。

969年 安和の変(あんなのへん)(☆他氏排斥の最後)
・源満仲の密告で、左大臣・源高明(みなもとのたかあきら)が大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷。→以後、摂関常置。
※源満仲は源経基の子で源氏。源高明は醍醐天皇の子。源氏ではなく、源姓を名乗っているだけ。

<円融・花山天皇>
政:6人
氏の長者(一族の長)をめぐる争い

<一条・三条・後一条天皇>
政:藤原道長
(内覧→摂政→太政大臣)
摂関政治の全盛期

・法成寺(ほうじょうじ)建立。「御堂関白(みどうかんぱく)」と呼ばれる。(関白にはなっていない)

望月の歌「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
※権力を誇った歌と言われてきたが、近年では一族の繁栄を喜んだ歌だという解釈もある。

1019年 刀伊の入寇(といのにゅうこう)
大宰権帥・藤原隆家が九州で女真族(刀伊)を撃退。

<後一条・後朱雀・後冷泉天皇>
政:藤原頼通
(摂政→関白)在位50年間

1028年 平忠常の乱
上総(千葉)で反乱。
鎮圧者:源頼信

1051年 前九年の合戦
陸奥の安倍氏の反乱。
鎮圧者:源頼義・義家親子。

1053年 宇治(京都南)に平等院鳳凰堂を建立(宇治殿)
阿弥陀如来。

<後三条天皇>
藤原氏と外戚関係なし。→親政。

1069年 延久(えんきゅう)の荘園整理令(建議:大江匡房)
・藤原氏の財源・勢力をそぐ。
・1045年以降の新規荘園、書類不十分の荘園を廃止。
・「記録荘園券契所(きろくしょうえん・けんけいじょ)」、略して「記録所(きろくじょ)」を設置。(実行チーム)
→以降、藤原氏の勢力は衰えていく・・

<白河天皇>
1083年 後三年の合戦
清原氏の内紛。
鎮圧者:源義家。清原清衡に味方して乱を鎮圧。

★奥州藤原氏の繁栄。平泉(岩手)百年、栄華が続く
・清原→藤原に名を戻す
1藤原(清原)清衡→2基衡→3秀衡(→4泰衡)
(きもをひやす)
・金と馬で繁栄

奥州→陸奥(むつ)

 

 

 

日本史【10】平安時代(古代ー7)

260606
日本史【10】平安時代(平安1)

<桓武天皇>
・784年 長岡京
・785年 藤原種継暗殺
・792年 健児の制(こんでいのせい)
軍団制(一般からの強制兵役)を廃止→郡司の師弟を兵士とする。有給。

・794年 平安京
山背から→山城へ

・民衆負担の軽減
①雑徭の半減(国衙で労役)60日→30日
②公出挙の利息軽減 5割→3割
③班田の起源倍増 6年→12年

・797年 勘解由使(かげゆし)設置。
(令外官(りょうげのかん))
解由状(げゆじょう)による国司の審査。

・797年 征夷大将軍・坂上田村麻呂を派遣
・多賀城(聖武天皇時)(宮城)鎮守府を置く。
・胆沢城(いさわじょう)(岩手)鎮守府がここに移る。802年
・志波城(しわじょう)(岩手)803年

・805年 徳政相論(とくせいそうろん)
藤原緒嗣(おつぐ)(式家)&菅野真道(すがののまみち)の論争。
軍事(蝦夷征伐)、造作(平安京造営)→中止

<平城天皇>兄
病気で譲位→政権回復めざす

<嵯峨天皇>弟
政・藤原冬嗣

・810 蔵人所(くろうどどころ)(令外官)の設置。
蔵人頭(くろうどのとう):藤原冬嗣。

・810年 薬子の変(平城上皇の変)
〇 嵯峨天皇、藤原冬嗣(北家)
VS
✕ 平城上皇、藤原薬子(式家)、藤原仲成(式家)

816年 検非違使(令外官)設置。
京都の警察、治安維持

・820年 弘仁格式(こうにんきゃくしき)編纂
格(きゃく)・・律令の補足
式(しき)・・律令の施行細則

・弘仁格式 嵯峨帝
・貞観格式(じょうがんきゃくしき)清和帝
・延喜格式(えんぎきゃくしき)醍醐帝
↓↓
三代格式(さんだいきゃくしき)と呼ぶ。

(令外官まとめ)
桓武→勘解由使
嵯峨→検非違使・蔵人所・征夷大将軍

今後は藤原氏が台頭。天皇はあまり出てこなくなる。

<藤原氏の権力掌握術>
①他氏排斥(承和の変~安和の変)
②外戚政策(母方の親戚)・・天皇の外祖父(母方の祖父)となって権力をふるう。

摂政・・幼少の天皇を代行。藤原良房が人臣(天皇家以外)で最初。
関白・・成人の天皇を補佐。藤原基経。

<藤原良房>
天皇:淳和、仁明、文徳、清和
政権:藤原良房

・833年 令義解(りょうのぎげ)
養老令の官選注釈書。

・842年 承和の変(☆←他氏排斥マーク)
謀反の疑いで、橘逸勢(たちばなのはやなり)、伴健岑(とものこわみね)、皇太子の恒貞親王らを配流。代わりに良房の甥の道康親王(文徳)を皇太子とする。

・858年 良房が9歳の清和天皇の外祖父として摂政に就任(人臣初)

良房

明子=文徳

清和

・866年 応天門の変☆
応天門の放火犯として伴善男(とものよしお)らを配流。

<藤原基経>
・884年 藤原基経が実質的関白に就任(初)。光孝天皇は政治は基経に任せる。

・887年 阿衡の紛議
宇多天皇✕ VS 〇藤原基経
宇多帝が基経を関白ではなく阿衡に任命したことで対立。基経の示威(じい)事件。→基経は関白に就任。

基経没

<宇多天皇>
政権:菅原道真

・891年 菅原道真・文章博士(もんしょうはかせ)蔵人頭に就任(摂関置かず)。
藤原氏をトップには置かない→「寛平の治(かんぴょうのち)」

・894年 遣唐使廃止
藤原氏が菅原道真を遣唐使に推薦。
菅原道真、遣唐使自体の廃止を建議。

 

 

 

日本史【9】奈良時代(古代ー6)

260602
日本史【9】奈良時代後半(奈良2)

<孝謙天皇>
749年 政・(橘諸兄→)藤原仲麻呂(武智麻呂の子、不比等の孫)

(743年↓)
752年 大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようのえ)
753年 唐から鑑真が来日(6回目で)

756年 聖武上皇没
757年 養老律令施行(718年に祖父・不比等が制定)

757年 橘奈良麻呂の乱(橘諸兄の子)
失敗。仲麻呂の権限強大化。

<淳仁天皇>
758年 政・藤原仲麻呂
→恵美押勝に改名。
太政大臣

760年 光明皇太后、没。
→仲麻呂没落→道鏡の進出

764年 恵美押勝の乱
〇 孝謙上皇・道鏡
__VS
✕ 淳仁天皇・恵美押勝
↓↓
淡路に配流(史上初)

<称徳天皇>=孝謙が復活して重祚
政・道鏡
太政大臣禅師(政治トップ)、法王(宗教トップ)

765年 加墾禁止令:寺院以外の開墾を禁止。

769年 宇佐八幡神託事件(豊前国・大分)
和気清麻呂が神託は嘘と報告。
↓↓
和気清麻呂(わけのきよまろ)は穢麻呂(きたなまろ)に改名させられ、大隅(鹿児島)に配流。
(姉の広虫(ひろむし)は狭虫(せまむし)に改名させられ、備後(広島)に配流。

770年 称徳天皇没。道鏡は下野国(栃木)薬師寺に左遷。
和気清麻呂は復帰。

 

<光仁天皇>(天智の孫)
天武系の断絶。
奈良時代の政治の混乱は、天武系だったからではという考え。→天智系に戻す。

政・藤原百川(三男・宇合の子)(式家)
藤原種継(宇合の孫)(式家)

 

<奈良・平安の外交>
奈良時代は唐、新羅、渤海の3つの国と外交した。

・遣唐使
630年(飛鳥)~838年(平安)
4隻の船・・「よつのふね」

阿倍仲麻呂 帰国できず
藤原清河

北路(ほくろ)・・朝鮮半島(新羅)の近くを通る。
新羅との関係悪化(8C)
↓ 危険
南路(なんろ)、南島路・・九州から直接行く。

894年 菅原道真 行くのをやめた。

・新羅使
630年 新羅統一

・渤海使(ぼっかいし)
中国北東部・渤海。
渤海から使節が来る(渤海使)
こちらからも送る(遣渤海使)

松原客院(越前)、能登客員(能登)、都の鴻臚館(こうろかん)に滞在。
(鴻臚館:7~11C,京都・太宰府・難波(なにわ)・博多に置かれ、外国からの来朝者を接待した館舎)

 

 

 

日本史【8】奈良時代(古代ー5)

260602
日本史【8】奈良時代(奈良1)
<権力者の移り変わり>
藤原不比等→長屋王→藤原四子→橘諸兄→藤原仲麻呂(恵美押勝)→道鏡→藤原百川

<元明天皇>聖武の祖母
藤原京
政権・藤原不比等

708年 和同開珎(わどうかいちん/ほう)
元号を「和銅」に改元。
「皇朝十二銭」の最初
(最後は乾元大宝(村上朝))

710年 平城京へ遷都(藤原京から)
都城制。唐の長安をならう。
天子南面。天皇から見る。

___平城宮
____朱     外京(げきょう)
右京  雀  左京
____大
____路

外京に東大寺、興福寺がある。

飛鳥寺(法興寺)(by蘇我馬子)は平城京に移されて元興寺(がんごうじ)となった。

木簡が出土。

・711年 蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)
お金を貯めれば位を高くする。失敗。800年廃止。

712年 『古事記』
稗田阿礼(ひえだのあれ)の暗記を、太安麻呂(おおのやすまろ)が筆録。

・713年 『風土記』

国域の拡大
・出羽国(でわのくに)設置。(日本海側・秋田、山形)
蝦夷対策
・大隅国(おおすみのくに)設置。(鹿児島)
隼人(はやと)対策

<元正天皇>聖武の叔母
(政)藤原不比等
・718年養老律令制定(施行は757年~)
(不比等の功名心から。大宝律令と内容大差なし)

720年 『日本書紀』(神代~持統。編年体)
舎人(とねり)親王(天武の子)

・720年 (政)不比等没→長屋王が実権掌握。

・722年 百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうぶ)
口分田が足りない。田を開墾。→失敗。(計画倒れ)

・723年三世一身の法(さんぜいいっしんのほう)
ー 新たに開墾→ひ孫までの3代
ー 既墾地を開墾→本人1代
の「土地所有」を認める。死後は国に返還。
→一時的な「私有地」の誕生。律令制度(公地公民)が崩れ始める。

 

<聖武天皇>
(政)長屋王
・724年多賀城(陸奥国/宮城県)に、鎮守府(ちんじゅふ)(東北の役所)を設置。蝦夷対策の拠点。

・729年長屋王の変
藤原不比等の娘、藤原光明子が聖武の皇后(正式な妻)になるのを、長屋王が反対。→藤原四子により謀反の意図ありと死に追い込まれる。

(政)藤原四子(よんし/しし)
長男:藤原武智麻呂(南家)
次男:藤原房前(北家)
三男:藤原宇合(式家)
四男:藤原麻呂(京家)

737年 藤原四子が天然痘で没

(政)橘諸兄(たちばなのもろえ)→左大臣
吉備真備(吉備地方の出身)
玄昉(げんぼう)
(アンチ藤原が力を握った)

・740年 太宰少弐藤原広嗣(ひろつぐ)の乱→鎮圧
(おもしろくない藤原氏が反乱)

・740年 恭仁京(山城)へ遷都(平城京から)
(聖武天皇が自分のせいだと嘆いて遷都)

・741年国分寺建立の詔(国分尼寺(こくぶんにじ))
鎮護国家思想①(仏教によって国を治める)

・742年 近江・紫香楽宮(しがらきのみや)造営

743年 墾田永年私財法
開墾地の永久私有を認める→大貴族、大寺社が開墾。
「荘園」(初期荘園)の誕生。

743年 大仏建立の詔
鎮護国家思想②
紫香楽宮→奈良・平城京へ

平城京から
・740年 山城・恭仁京(くにきょう)へ遷都
・744年 摂津・難波宮(にわのみや)へ遷都(海)
・745年 近江・紫香楽宮(がらきのみや)へ遷都(山)
(→山の中過ぎて頓挫)
・745年 大和・平城京へ遷都(戻る)
5年で3回遷都した後、平城京に戻る。定まった「くに・な・し」。

 

日本史【7】律令制度(古代ー4)

260527
日本史【7】律令制度(飛鳥2)

<文武天皇>
701 大宝律令
・刑部親王(おさかべしんのう)(天武の子)
・藤原不比等(鎌足の子)

法律
(りつ)・・刑法(罪と罰)
五刑・八虐(ごけい・はちぎゃく)
五つの刑罰・八つの罪
・笞(鞭で打つ)
・杖(棒でたたく)
・徒(懲役刑・・牢屋)
・流(島流し)
・死(死刑)
(ち・じょう・ず・る・し)

(りょう)・・民法、行政法

<中央の統治機構>
二官八省一台五衛府

二官
太政官(だいじょうかん)(上)政務
太政大臣(だいじょうだいじん)(臨時職=大きな権力)
左大臣
右大臣

大納言

左弁官
少納言
右弁官

神祇官(じんぎかん)(下)祭祀

八省
太政官の下にある八つの省
(左弁官)
中務(なかつかさ)省・・詔勅の起草(天皇の命令づくり)
・式部(しきぶ)省・・役人の人事・教育
・治部(じぶ)省・・仏事・外交
民部(みんぶ)省・・戸籍・税務

(右弁官)
・兵部(ひょうぶ)省・・軍事
・刑部(ぎょうぶ)省・・裁判・刑罰
・大蔵省・・財政
・宮内省・・宮中

■ 一台
・弾正台(だんじょうだい)
役人の監視

■ 五衛府(ごえふ)
都の警備
・衛門府
・左右・衛士府
・左右・兵衛府

<行政区>
■ 畿内(五畿・ごき
・山城(京都)
・大和(奈良)
・河内(大阪)
・和泉(大阪)
・摂津(大阪・兵庫)

■ 七道(しちどう)
「道」と「地方」の2つの意味がある
・東海道
・東山銅(とうざんどう)
・北陸道
・山陽道(南)
・山陰道(北)
・南海道(四国他)
・西海道(九州)

<地方の統治機構>
国・郡・里
国司(こくし)・・中央から来る。役所:国衙(こくが)国府。
郡司(ぐんじ)・・地方の人がなる
里長(さとおさ・りちょう)

戸(こ)(2、30人の固まり)×50で里という。(千人ぐらい)

・京師(けいし)(都):京職(きょうしき)

・九州:大宰府
(古代は「太」ではないので注意)
遠の朝廷(とおのみかど)」

・摂津:摂津職(せっつしき)。難波宮がある。

<官職・位階>
令外官(りょうげのかん)
律令制定後に加えられた官職。
中納言、関白など。

官位相当制(かんいそうとうのせい)
三十の位階に応じた官職が与えられた。
一位が太政大臣になれる、二位は左右大臣など。
(位階は試験と勤務評定で上がる)

蔭位の制(おんいのせい)
親の位に応じて位がもらえる。
親が一位なら、子は「従五位下(じゅごいのげ)」からスタートできる。
(貴族層の固定化)

四等官制(しとうかんせい)
各役所の幹部を、長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん)の四階級に分かれる。

<税の種類>
租・庸・調

【物】
(地方政府(国衙)へ)
・・米(3%)
・公出挙(くすいこ)稲の強制貸付
・義倉(ぎそう)(粟などを貯蔵)

(中央へ)
・・布(2丈6尺・8mぐらい)

調・・特産物(布や材木など)
(調布市の由来・・調に布を納めていたから)
↓↓
運脚・・中央まで持っていく

【労役】
(地方)
雑徭(ぞうよう)・・国衙で労役(年に60日)

(中央)
・歳役(さいえき)・・土木工事。10日間。

【兵役】
(地方)
・軍団・・各地で10日間

(中央)
・衛士

(九州)
・防人

正丁の3、4人に一人

食費、交通費、武器が自費
↓↓
浮浪(所在確認)
逃亡(所在不明)
偽籍(男→女。税金が軽いから)
などの増加。

<課役>
課役(庸・調・雑徭)は人頭税。

男性のみ
正丁(せいてい)・・(21~60歳)(雑徭60日)

・中男(ちゅうなん)(小丁・しょうてい)(17~20歳)
正丁の4分の1(雑徭15日)

・老丁(次丁・じてい)(61~65歳)
正丁の2分の1(雑徭30日)

<身分制度>
良民(りょうみん)
賤民(せんみん)
↓↓
五色の賤(ごしきのせん)
・陵戸(りょうこ)(官有)(墓警備)
・官戸(かんこ)(官有)
・家人(けにん)(私有)
・公奴婢(くぬひ)(官有)
・私奴婢(しぬひ)(私有)
官有・・大王家
私有・・豪族

<基本台帳>
戸籍
6年に1回作成。
班田を行うための基本台帳。租のため。

計帳(けいちょう)
毎年作成。
課役(庸・調・雑徭)のため。

班田収授法
6歳以上の男女口分田を班給。
6年に1回班給し、死後は国に返す。

良民 私有賤民
  2段(720歩) 240歩(良民の3分の1)
 女 480歩(男性の3分の2) 160歩(良民の3分の1)

祖:1段(たん)につき、2束2把(にそくにわ)
1段(たん)=20m×50m
1段=360歩(ぷ)

・良民・男子の祖は4束4把(よんそくよんわ)になる。
・祖だけは女性も負担。

<田地(でんち)>
不輸租田(ふゆそでん)
税(祖)を納めなくてよい田
神田(じんでん)(神社)、寺田(じでん)(寺)、
職田(しきでん)(官職)、乗田(じょうでん)(余り)

輸租田(ゆそでん)
税(租)を納める田
口分田、位田(いでん)(位階)、功田(こうでん)(功績)

・土地は条里制にもとづいて整然と区画された。田んぼを句切る。

__一里 二里 三里
一条
二条
三条

 

 

 

日本史【6】飛鳥時代(古代ー3)

260527
日本史【6】飛鳥時代(飛鳥1)

《崇峻天皇》
が中国を統一(589

飛鳥・地名
《推古天皇(推古朝)》
3人の協力
(1)天皇・推古天皇
(2)摂政・聖徳太子(厩戸王)
(3)大臣・蘇我馬子

<4つの事業>
[1]冠位十二階(603)
家柄(氏)に関係なく、個人に与える。

[2]憲法第十七条(604)
役人の心得

[3]遣隋使派遣
小野妹子(607)
隋の皇帝・煬帝
対等外交を求める。(朝貢ではない)
妹子の帰国時、隋の裴世清(はいせいせい)が隋使として来日。

・遣隋使派遣(608)
1・小野妹子

留学生学僧
2・高向玄理(たかむこのげんり/くろまろ)
3・(みん)(僧)
4・南淵請安(みなみぶちのしょうあん)
(今度の608年はこの4人で隋に渡る)

・「天皇記」「国記」の編纂(620)
(現存せず)

《皇極天皇》
乙巳(いっし)の変(645)
(「大化の改新」は、それ以降の政治改革のことを指す)

✕蘇我蝦夷(そがのえみし)
✕蘇我入鹿
↑↑ クーデター
中大兄皇子(舒明天皇・皇極天皇の子)
中臣鎌足

中大兄皇子(舒明天皇・皇極天皇の子)
中臣鎌足 内臣(うちつおみ)
阿倍内麻呂
蘇我(蔵山田)石川麻呂

国博士(くにはかせ)・・政治顧問
帰国した高向玄理、旻など。

・初の年号「大化」(645)

《孝徳天皇》
摂津・難波宮(なにわのみや)へ

改新の詔(かいしんのみことのり)(646)
律令制樹立への基本方針を表明

(1)公地公民制
・部曲(かきべ)(豪族の私有民)
・子代・名代(天皇家の私有民)
・田荘(豪族の私有地)
・屯倉(大王家の私有地)
↑これらを廃止。
代わりに豪族には食封(じきふ)を与える。
(2)地方制度:国、評など
(3)班田収授法
(4)税制:租・庸・調など

《斉明天皇(実際は中大兄皇子)》
皇極天皇が重祚(ちょうそ)して、斉明天皇に。
658 阿倍比羅夫、蝦夷・粛慎(みしはせ)を征討

660 唐・新羅が百済を滅ぼす。
百済の王が降伏。復興をめざす。

《中大兄皇子の称制
(称制:皇太子が即位せず政治をつかさどること)

663 白村江(はくそんこう)の戦い
百済と日本は大敗
倭・百済✕  VS  〇唐・新羅

九州の警備を固める
・防人(警備)
・烽(とぶひ)のろし(通信手段)
・水城(みずき)・・土塁
・(朝鮮式)山城

667 近江・大津宮(おうみ・おおつのみや)へ遷都
中国式の律令国家をめざす

《天智天皇》
668 中大兄皇子が即位して天智天皇となる。

668 近江令(おうみりょう)制定

669 中臣鎌足死去。藤原の姓と大織冠(役職)を賜る。
藤原氏の祖。

670 庚午年籍(こうごねんじゃく)
最初の全国的戸籍。

天智天皇没後↓↓
672 壬申の乱
大友皇子✕ VS 〇大海人皇子
(天智の子)    (天智の弟)
(弘文天皇)

《天武天皇》
大和 飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)
近江・大津宮から飛鳥宮に戻る。

・皇親政治
大臣を置かず、天皇一族のみで政治

天皇の神格化(現人神思想)
「大王は神にしませば・・」
天武天皇から1300年ほど(1946年まで)「天皇は神」という時代が続いた。

・「天皇」を使用し始める

681 飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)制定
実際に施行された。
(前の近江令は施行されていない。)

681 「帝紀」「旧辞」の再編纂開始

683 富本銭
(使用・流通まではいっていない)

684 八色の姓(やくさのかばね)
真人(まひと)、朝臣(あそみ)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)

《持統天皇》
689 飛鳥浄御原令施行
690 庚寅年籍
694 藤原京に遷都(飛鳥の北)

・最初の都城制(とじょうせい)(計画的帝都)
「宮」(天皇の住まい、政治)と「京」(人々が住む所)の両方を兼ね備える。

・大和三山(畝傍山、耳成山、天香具山)に囲まれる。

《文武天皇》
701 大宝律令
・刑部親王(おさかべしんのう)(天武の子)
・藤原不比等(鎌足の子)

 

日本史【5】ヤマト政権(古代ー2)

260525
日本史【5】ヤマト政権(古墳2)

<ヤマト(大和)政権の支配構造>
(1)大王
大王(おおきみ)(後の天皇)

(2)豪族
(中央):大臣(おおおみ)、大連(おおむらじ)
伴造(とものみやつこ)

(地方):国造(くにのみやつこ)、県主(あがたぬし)

(3)部民(べみん/べのたみ)(農民・一般)
部曲(かきべ)=豪族の私有民(蘇我部、大友部など )
・名代(なしろ)・子代(こしろ)=大王家の直属民(長谷部、春日部など)
・伴(とも)=役人

・品部(しなべ)=技術者集団。渡来人。
ー 陶部(すえつくりべ)・・陶器作り(須恵器)
ー 韓鍛冶部(からかぬちべ)・・鉄加工、鍛冶
ー 錦織部(にしごりべ)
ー 鞍作部(くらつくりべ)
ー 史部(ふひとべ)・・朝廷の記録、外交の文書作成

★土地は2種類
・朝廷のもの・・屯倉(みやけ)
・豪族のもの・・田荘(たどころ)

ヤマト政権に
・抵抗した豪族からは・・⇒土地を奪い、ヤマト朝廷の直轄地(屯倉・みやけ)にする。田部(たべ)が耕作。

・服属した豪族は・・⇒国造に任命し、土地(=田荘・たどころ)を与える。部曲(かきべ)が耕作。

氏姓(しせい)制度
(うじ)(集団)に対して、(かばね)(称号)を与えること。

(うじ)・・同族中心の集団のこと
・血縁関係
氏上(うじがみ/うじのかみ)長
氏人(うじびと)構成員

・部曲(かきべ)・・労働者

・奴婢(ぬひ)・・奴隷
奴(ぬ)・・男の奴隷
婢(ひ)・・女の奴隷

(かばね)・・(氏に与えられる)身分・地位を示す称号
=豪族にランクを付ける。

(おみ)・・平群・葛城・蘇我
(むらじ)・・中臣・大友・物部
(特定職業を名とする)

・君(きみ)・・筑紫・毛野
(大王から分かれた地方豪族に与えられた)
他に、直、造、首、史、村主など

<朝鮮半島>
[4C前半]
帯方郡・高句麗
馬韓|辰韓
弁韓
↓↓
[4C後半]
高句麗
百済|新羅
伽耶 (かや)
(加羅(から)・任那(みまな))

<古墳文化の政治>
【4C】
・倭が朝鮮へ出兵、高句麗と交戦(391)

高句麗 好太王碑
(広開土王)
by 長寿王
丸都(がんと)・高句麗の都(現在の中国)
目的:朝鮮南部の鉄資源や先進技術の獲得
ーーーーーーーーーーーーー
【5C】
倭の五王
『宋書』倭国伝 by 沈約

中国(宋)に朝貢。
讃・珍・済・興・武
(さんちんせいこうぶ)


済・・允恭天皇
興・・安康天皇

ワカタケル大王(=雄略天皇 21代
5C(478) 「安東大将軍」に任命

ーーーーーーーーーーーーー
【6C】
《継体天皇 26代
・527 近江毛野(おうみのけぬ)を大将に朝鮮出兵。
その際に筑紫国造・磐井の乱
新羅と結んだ磐井が九州で反乱。

・6C初 儒教伝来
孔子、孟子。
百済から五経博士が来日。
ex 段楊爾(だんように)

《欽明天皇 29代
・562 任那(みまな)日本府滅亡。新羅に滅ぼされる。
朝鮮半島の拠点を失う。

仏教公伝
百済聖明王より
538年説(ご参拝)
『上宮聖徳法王帝説』聖徳太子の伝記
『元興寺縁起』

②552年説
『日本書紀』

《敏達天皇 30代
・崇仏論争
大臣・蘇我馬子(崇仏派)
VS
大連・物部守屋(排仏派)

587 丁未の乱(ていびのらん)
蘇我馬子〇 VS ✕物部守屋

(蘇我氏)
蘇我高麗(こま)(渡来系)
|
蘇我稲目(いなめ)
|
蘇我馬子(うまこ)
|
蘇我毛人(えみし)
|
蘇我入鹿(いるか)

(物部氏)
物部麁鹿火(もののべのあらかい)
|
物部尾輿(おこし)
|
物部守屋(もりや)

 

 

日本史【4】古墳文化(古代ー1)

260524
日本史【4】古墳文化

古墳時代(3C後半~6C)
・前期 4C
・中期 5C
・後期 6C

[古墳]
前期4c・・丘陵
中期5c・・前方後円墳(平野部)、竪穴式石室
後期6c・・円墳、横穴式石室

[埴輪]
前期・・円筒埴輪(えんとうはにわ)
↓↓
中・後期・・形象埴輪(人物、動物、家)

[副葬品]
前期・・呪術的。銅鏡。三角縁神獣鏡。
↓↓
中・後期・・実用的。武具、馬具。

[代表古墳]
・前期(4C)・・箸墓古墳

・中期(5C)・・大仙陵(だいせんりょう)古墳(世界最大の墓)
百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)堺市
応神天皇 誉田山古墳

・後期(6C)・・群集墳
吉見百穴(よしみひゃっけつ)(埼玉)
(有力農民も葬られた)

[住居]
・豪族居館(ごうぞくきょかん)
支配者(豪族)が住む

・一般の人の竪穴住居にはかまどが出現

[土器]
土師器(はじき)・・弥生土器風(赤褐色・せきかっしょく)
↓↓
須恵器(すえき)・・朝鮮式新技術(灰色)
ろくろ・登り窯を使う。硬質。

[渡来人]
朝鮮半島や大陸から来た人々。

・弓月君(ゆづきのきみ)
秦氏(はたし/はたうじ)の祖。
養蚕・機織り(はたおり)を伝える。

・阿知使主(あちのおみ)
東漢氏(やまとのあやうじ)の祖。
文筆に優れる。

王仁(わに)
西文氏(かわちのふみうじ)の祖。
漢字を伝える。
「論語」儒学の教科書
「千字文(せんじもん)」

[習俗]
・太占(ふとまに)
シカの骨で吉凶を占う。

・盟神探湯(くがたち)
熱湯に手を入れる。裁判。

・禊(みそぎ)
水で浄化

・祓(はらえ)
水以外で浄化

[社(やしろ)]
伊勢神宮(三重)
天照大神(アマテラスオオミカミ)

・出雲大社(島根)
大国主神(オオクニヌシノカミ)

[農耕儀礼]
(春)・祈年祭(きねんさい/としごいのまつり)
(豊作を祈る)

(秋)・新嘗祭(にいなめのまつり)
(収穫の感謝)
=現在は祝日・11/23 勤労感謝の日

(秋)・大嘗祭(だいじょうさい/おおなめのまつり)
天皇即位後、最初の新嘗祭。

[漢字・伝在品]
江田船山古墳(えたふなやまこふん)(熊本)
鉄刀

稲荷山古墳(いなりやまこふん)(埼玉)
鉄剣

「ワカタケル大王(おおきみ)」の記載がある。
=雄略天皇 21代

471年 辛亥年(しんがいどし)