日本史まとめ – ページ 3 – 歴史note

日本史【35】明治初期の外交(近代ー4)

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日本史【35】明治初期の外交(近代ー4)

<条約改正問題>
幕末に結んだ不平等条約の解消
①領事裁判権の撤廃(=法権回復)
②関税自主権の回復(=税権回復)

・1871年(明治4年)11月~1873年(明治6年)9月(約2年間)
岩倉遣外使節
予備交渉に失敗し、欧米視察して帰国

・1878年(明治11年) 外務卿・寺島宗則の交渉
税権回復に米が賛成も、英・独の反対で失敗。
(米も白紙に→米に最恵国待遇があるから。)

<清との関係>
・1871年(明治4年) 「日清修好条規」
※最初の対等条約

・1871年 琉球漂流民事件
台湾に漂着した琉球漁民が、台湾原住民に✕。
↓↓
・1874年(明治7年) 台湾出兵
西郷従道(つぐみち)(西郷隆盛の弟)が指揮を取る。
※木戸孝允、台湾出兵に反対して下野。(政府をやめる)

<琉球との関係>
・江戸時代は日中両属(日清双方に朝貢)。
琉球から江戸に慶賀使、謝恩使が行っていた。

・1872年 「琉球藩」設置
国王・尚泰(しょうたい)を藩王として華族に列する。
(いきなり沖縄県(日本の領土)とすると、中国や琉球から文句を言われるかも、なので。)
↓↓
・1879年 「沖縄県」設置
琉球王国(1429年建国・尚巴志)を廃止。廃藩置県を断行(琉球処分)。
→清の抗議。日中関係が悪くなる。

<朝鮮との関係>
・「征韓論」問題
留守政府は鎖国中の朝鮮を、武力により開国させることを主張。
→岩倉使節帰国
→征韓論中止
→1873年 明治六年の政変

・1875年 「江華島(こうかとう)事件」
日本の軍隊が鎖国中の韓国を挑発
→砲撃を受ける
↓↓
・1876年 「日朝修好条規」
日本が朝鮮を開国させる。
日本全権:黒田清隆(きよたか)(薩摩)
※日本優位の不平等条約

<ロシアとの関係>
領土問題
・1854年 「日露和親条約」
日本領:択捉島以南 ロシア領:得撫(ウルップ)島以北
樺太:両国雑居(実際は、ほぼロシア人)
↓↓
・1875年 「樺太・千島交換条約」
日本全権:榎本武揚(えのもとたけあき)
(旧幕臣→この条約から政府に復帰)
・樺太:(雑居→)ロシア領に
・千島列島:(択捉以南→)千島全島を日本領に

 

日本史【34】明治維新(近代ー3)

260721
日本史【34】明治維新(近代ー3)

<戊辰戦争>1868.1月~1869.5月
〇官軍(薩長)新政府軍
VS
✕旧幕府軍

・1868年(明治元年)1月 鳥羽・伏見の戦い
京都近郊で旧幕府軍撤退

・1868年 4月 江戸無血開城
西郷隆盛・勝義邦(海舟)の会談により実現

奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟
陸奥・出羽・越後など。
会津若松城の戦い、長岡城の戦い

・1868年 10月(~1869年) 五稜郭の戦い
榎本武揚(えのもとたけあき)ら旧幕臣がたてこもる。
「箱館戦争」ともいう。

<新政府の動き>
・1868年 3月 五箇条の(御)誓文
天皇が神に誓う。政府の方針表明。
「会議をしながらいい政治をしていく」

・1868年 3月 五榜の掲示(ごぼうのけいじ)
政府から庶民へ。ex. キリスト教禁止(最初の5年間)

・1868年 閏4月 政体書
政治組織として太政官制(だじょうかんせい)を採用

・1868年 9月 明治改元(慶応→明治)
一世一元の制。
一人の天皇の間、一つの元号を使う。
(現在は法制化されている)

・1869年(明治2年)
東京遷都

<地方の政治制度>
幕藩体制の、今度は300の「藩」の方をつぶしていく。
(第1弾)
・1869年(明治2年) 「版籍奉還」
藩主が領地(版図=土地)と領民(戸籍=人民)を天皇へ返上。
「旧藩主」を「知藩事(ちはんじ)」に任命し、石高の1割を家禄(俸禄)として支給。(名前が変わっただけ)
↓↓
(第2弾)
・1871年(明治4年) 7月 「廃藩置県」
薩摩・長州・土佐の精兵(1万)を集めて御親兵(ごしんぺい)とし、その武力を背景に断行。
→中央政府から府知事・県令を派遣。大名は全員罷免。
(東京府・大阪府・京都府。残りは県。300→70→47)

<中央の動き>
・「藩閥(はんばつ)政府」
薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)出身の実力者が、政府の実権を握る。

・1871年11月 岩倉遣外使節
欧米に条約改正・欧米視察のために渡航。(不平等な条約の改正は相手にしてもらえず。)
(大使)
岩倉具視・・公家
(副使)
大久保利通・・薩摩
木戸孝允・・長州
伊藤博文・・長州

<身分制度>
・1869年(明治2年) 四民平等
近世の身分制度(士農工商)を撤廃し、平民にも苗字、通婚、移転の自由を認めた。
華族・・藩主、上層公家
士族・・武士
平民・・農工商民

・1872年(明治5年) 壬申戸籍(じんしんこせき)作成
最初の近代的戸籍。全国を調査。

<金融制度>
・不換紙幣(ふかんしへい)の発行
(例:戊辰戦争の戦費調達・太政官札(だじょうかんさつ)など)
本位貨幣(金や銀)と交換できない紙幣。
→信用できないから貨幣価値が下がって物価が上がる。

・1871年(明治4年) 「新貨条例」
円・銭・厘採用。
「金本位制」確立が目的。
(※金本位制:「金」と「貨幣」を交換する制度。)
→金不足で実際は銀も使っていた(貿易には銀を使う)
→「金銀複本位制(きんぎんふくほんいせい)」。
↓↓
・1872年(明治5年) 「国立銀行条例」
アメリカのナショナル・バンクにならった「民間」の銀行。
「兌換(だかん)紙幣」発行。
(※兌換(だかん)紙幣:いつでも金銀と交換できる紙幣)
(中心:渋沢栄一)
例:「第一国立銀行」(名前は「国立」だが、「民間」)
政府にお金がない(金(きん)がない)から民間でやる。
→最初は4行。
→その後、兌換義務を廃止(1876年)したので、153行まで続いてできた。
→貨幣価値が低くなる
→インフレ(物価高)に・・。
(→後に「松方デフレ」に)

<軍隊制度>
・1872年 徴兵告諭(ちょうへいこくゆ):徴兵の予告。
国民皆兵を宣言。
→徴兵反対「血税一揆」を誘発。

・1873年(明治6年) 徴兵令:法制定
大村益次郎(戊辰戦争で活躍)(長州)
(構想→1869年暗殺)

山県有朋(実現)(長州)
20歳以上の男子が3年間、軍に入る。

☆「兵役免除規定」が多くあり
例:官吏(役人)、戸主や跡継ぎ、代人料270円を納めた者など。→日清戦争の前ぐらいまでに免除規定も減り、国民皆兵となった。

<警察制度>
・1873年(明治6年) 「内務省」設置。(力は大きい)
警察を管轄下に置き、政府の最高権力を握る。
初代内務卿:大久保利通

「内務省」の下に
↓↓
・1874年 「警視庁」創設:東京

(※現在)
・警察庁

・警視庁(東京)
・都道府県警(地方。例・大阪府警、神奈川県警など)

<土地制度の変化>
★地租(土地の税金)改正

・1871年 田畑勝手作の禁 解禁
→商品作物OKになる。

・1872年 田畑永代売買の禁 解禁
→田畑の売買もOKになる。

・「地価」を国が決定し、「地券」を発行する。

※「地価」・・現在の「土地の価格」とは違う。「地価」は「地券」に書かれた「固定価格」のこと。物価が上下しても「地価」は変わらない。

土地の「所有権」を認める。
例:「壬申地券(じんしんちけん)」1872年(明治5年)

・1873年(明治6年) 「地租改正条例」公布
(改正前):「石高(収穫)」(不定)を「耕作者」が「原則物納」
↓↓
(改正後):「地価」の「3%」を「土地所有者」が「金納」

・今までは「土地の値段」というのはなかった。(土地の売買はできなかった)。米の収穫が基準の「石高」があったのみ。

・(前)米の収穫500万の半分250万
↓↓
(後)地価1億円の3%の、300万円。
など、たいてい税金はアップした。

・1876年(明治9年) 「地租改正反対一揆」へ

 

日本史【33】幕末の動乱(近代ー2)

260718
日本史【33】幕末の動乱(近代ー2)

<徳川家茂⑭の時代>
大老:井伊直弼
アメリカ以外の他国とも「修好通商条約」を結ぶ。
・和親条約は4ヶ国(アオイロ)
・通商条約は5ヶ国。
米・蘭・英・仏・露(ア・オ・イ・フ・ロ)
→「安政の五カ国条約」
(すべて「違勅条約」(無許可))

・1859年 貿易開始
(輸入品)
(1)毛織物(40%)(2)綿織物(3)武器物
(輸出品)
(1)生糸(絹織物の原料)(80%)(2)茶(3)蚕卵紙
(※生糸は日本の輸出品のメインになっていく)

中心港:横浜(神奈川という町からちょっと離れた場所)
(貿易は、横浜・箱館・長崎)
中心相手国:イギリス
(アメリカは南北戦争中・1861~65)

★井伊直弼への非難
・1858年~1859年 安政の大獄(あんせいのたいごく)
井伊直弼を批判した吉田松陰(長州)や橋本左内(越前)らを処刑。→100名以上を処罰

・1860年 桜田門外の変(江戸城の外)
水戸浪士(+薩摩浪士)らが井伊直弼を暗殺。

★開国・貿易開始の影響(経済)
①在郷商人(農村の商人)が江戸を通さず、居留地(横浜)へ直送。
(居留地:外国人の住む場所。ここで貿易をする)
↓↓
・1860年 「五品江戸廻送令(ごしな えどかいそうれい)」
雑穀、水油、ろう、呉服、生糸
この五品は「必ず江戸を通すこと」という令。
→反発が起きる。

②金貨大量流出
金銀交換比率の相違。
日本金:銀=1:5
外国金:銀=1:15
金の価値が外国金の方が高い。比べて日本金は安い。
→外国に日本から金を持っていって、両替するようになる。
→日本から金が流出。金がかなり少なくなる。

・1860年 「万延小判(まんえんこばん)」鋳造
金の含有量を3分の1に減らす。
(=外国とレートを同じにした。)

貨幣価値が下がる。
インフレ。物価高。庶民の生活を圧迫。

攘夷(外国排斥)運動へ・・

<老中(井伊直弼→)安藤信正へ>

・1862年 和宮降嫁
孝明天皇の妹・和宮(かずのみや)を、徳川家茂⑭の夫人に迎える。(公武合体政策)(京都(上方)から江戸へ下る。)
(「幕府を討て」派の人を押さえられる。)
↓↓
・1862年 坂下門外の変
老中・安藤信正(あんどうのぶまさ)が尊攘派に襲われ負傷。

★幕末の思想
「尊王攘夷論」(尊攘派)
天皇中心。幕府打倒を図る(=幕府は不要)
VS
「公議政体(こうぎせいたい)論」
雄藩連合の会議による政治。(=幕府は残す)

<徳川家茂⑭>
・1862年 文久の(幕政)改革
薩摩藩・島津久光による幕政改革。
薩摩から江戸に行って幕府を立て直す。
(内容)
(1)将軍後見職(将軍のサポート):一橋慶喜
(2)政事総裁職(せいじそうさいしょく)(慶喜のサポート):松平慶永(よしなが)(親藩大名)
(3)京都守護職(京都の治安維持):松平容保(かたもり)(会津藩)
会津(東北)から江戸を通って京都へ。その途中で募集されたのが新撰組。近藤勇。土方歳三。
(※「京都所司代」の上に「京都守護職」を置いた。)

ほかに「参勤交代の数を減らす」など。
↓↓
(薩摩への復路でのできごと)
・1862年8月 生麦(なまむぎ)事件
薩摩藩士が武蔵(神奈川県)・生麦でイギリス人3人を殺傷。
↓↓
・1863年 「薩英戦争」
英〇 VS ✕薩
双方、被害を受け、講和。
→双方接近(お互い認め合う。)
(薩摩は攘夷は無理だと悟る。→外国とは手を組んで幕府を討とう。)
→後に薩長が幕府を倒すとき、英がバックアップする。

・1863年 「長州藩・外国船砲撃事件」(下関事件)
長州藩が、米・仏・蘭の船を下関で攻撃。
(5月10日。幕府の決定した攘夷の決行)

★幕府に対する挙兵
・1863年 ①生野の変(但馬)
・1864年 ②天狗党の乱(常陸)

・1864年 「池田屋事件」
幕府の警備隊「新撰(選)組」(近藤勇ら)が、尊攘派(長州中心)を襲う。
↓↓
・1864年 「禁門の変」(蛤御門(はまぐりごもん)の変)
長州藩が報復に京都(幕府)に攻め込む。
→京都の幕府軍(諸藩(薩摩・桑名・会津))が長州藩を討つ。
↓↓
・1864年 「第一次長州征伐(征討)」
(長州が弱っている今がチャンス)
幕府による長州攻撃→長州降伏

・1864年 「四国艦隊 下関砲撃事件」
「下関事件」(外国船に大砲を撃った)の報復に、英・米・仏・蘭が長州藩を攻撃。→下関を占領
(長州も攘夷は無理だと悟る。→外国とは手を組んで幕府を討とう。)
↓↓
・1866年 「薩長同盟(連合)」
仲が悪かった両藩が連合し、相互援助・武力倒幕を約す。(下級藩士が台頭)
・薩摩:西郷隆盛
・長州:桂小五郎(後の木戸孝允)
・仲介:土佐・坂本龍(竜)馬(商人)(海援隊(会社の始まり))
龍馬→薩摩が長崎でトーマス・グラバー(英)から武器を買う。その仲介、交渉をするなど。
↓↓
・1866年 「第二次長州征討」
→薩摩は参加せず(長州と同盟を組んでるから。)
→幕府が苦戦。

<徳川慶喜⑮>
・1866年 孝明天皇死去
薩長は天皇による「幕府討伐命令」を出してほしい。
(孝明天皇は出さなかった。)→明治天皇へ

・1867年10月14日 ①「討幕の密勅」
公家・岩倉具視の尽力。
「錦の御旗」新政府軍が正義の軍隊を掲げられる。

↓↓(同じ日)

・1867年 ②「大政奉還」(たいせいほうかん)
(江戸時代終わり。1603~1867年)
慶喜が朝廷に提出し、将軍職を返上。
幕府の方から、幕府、将軍をやめる。権力を天皇に返す。
→「討幕の密勅」が意味をなさないものになる。
(幕府を攻めさせないため。薩長との全面戦争を避けるため。)

<江戸幕府の滅亡>
☆1867年12月9日 「王政復古の大号令」
・摂関・幕府の廃止
・「三職」を設置
①総裁(そうさい):有栖川宮 熾仁(ありすがわのみや・たるひと)親王(皇族)
②議定(ぎじょう):公家、藩主
③参与(さんよ):下級武士 下級貴族

※ここに徳川慶喜が入ってない
=江戸幕府は絶対的な権力。対等、平等にはならない。
↓↓
(同じ日)
☆1867年12月9日 「小御所会議(こごしょかいぎ)」
・徳川慶喜の「辞官」(将軍だけでなく内大臣も辞退させる)
・「納地」を決定(領地を返上)
(=薩長は煽っている。そうすれば徳川軍を反乱軍として討てるので。)
↓↓
慶喜は挑発に乗らず、受け入れる。
↓↓
しかし「幕臣」が暴発。「戊辰戦争」へ・・。
(直参たちのプライドが許さない。)

☆世直し一揆・打ちこわしの頻発
「ええじゃないか」の乱舞(1867年)
世の中が退廃的なムードに・・。

 

日本史【32】開国(近代ー1)

260717
日本史【32】開国(近代ー1)

<徳川家慶⑫>
(水野忠邦→)老中・阿部正弘(あべまさひろ)

☆各国の開国要求
・1844年 オランダ国王の開国勧告(蘭)(「オランダとは貿易してるけど、他国とも開国した方がいいよ」)→幕府拒否。

・1846年 ビッドル来航(米)
浦賀に来航し、強硬に開国要求→幕府拒否。「大統領の国書を持ってこい」という。

・1853年 ペリー来航(米)
アメリカ大統領フィルモアの国書を持参し、浦賀に来航。
(浦賀:相模(神奈川県・横須賀市)。モリソン号(米)事件も浦賀。)一回帰る。

・1853年 プチャーチン来航(露)
長崎に来航し、開国要求。

<徳川家定⑬>
1854年 ペリー、再び浦賀に来航。

1854年 「日米和親条約」(神奈川条約)
老中・阿部正弘
(天皇からは一応OKが出ていたが、「すぐに鎖国に戻す」という約束だった。)
①下田(伊豆)、箱館(松前)の開港
②薪水、食料の給与
③アメリカに(一方的・片務的(へんむてき))最恵国待遇を与える。(米に与えた条件より他国との条件がいい場合、米にも同じ条件を認める。)
④領事(大使)の下田在住。

↓↓(他国とも結ぶ)
ア・オ・イ・ロ
(アメリカ、オランダ、イギリス、ロシア)

1854年 「日露和親条約」
①下田、箱館、長崎の開港
②国境規定
☆千島列島
・得撫(うるっぷ)島以北→ロシア領
・択捉(えとろふ)島以南→日本領
☆樺太
ロシア・日本、両国雑居地

<老中首座・堀田正睦(ほったまさよし)>
(cf.堀田正俊は綱吉⑤)

1856年 アロー号事件(英)
英船アロー号が清に臨検(検査)されたことに、英が抗議
→アロー戦争(第2次アヘン戦争)

1856年 下田に総領事としてハリス着任。
→「通商条約」の締結を強く求める。
老中首座・堀田正睦が京都に行くが、条約勅許を得られず。

<徳川家定⑬>
<大老・井伊直弼>
1858年 井伊直弼、大老就任
→無勅許(天皇の許可なし)のまま、条約調印。

1858年 「日米修好通商条約」
①神奈川、長崎、新潟、兵庫の開港
②江戸、大坂の開市
③「領事裁判権(治外法権)の承認」
④「関税自主権の欠如」(協定関税制)
(→この2つはその後、50年ほど戻らない)
関税:貿易に対してかけられる税金

★将軍継嗣問題(家定⑬のあと)(1857年)

〇 南紀派(なんぎは):徳川慶富(よしとみ)(紀伊藩・若年)→家茂⑭
井伊直弼ら譜代大名(大老・老中・寺社奉行・京都所司代・若年寄)
VS
✕ 一橋派(ひとつばしは):一橋慶喜(よしのぶ)・・水戸斉昭の子。水戸藩から一橋家に養子に出ていた。(頭のいい切れ者)
外様大名ら、島津斉彬、山内豊信(とよしげ)、松平慶永(まつだいら・よしなが)

 

日本史【31】三大改革2(近世ー9)

260713
日本史【31】三大改革2(近世ー9)

<徳川家斉⑪>1787年~1837年
大御所時代。(家斉の時代は化政時代で、文化が華やぐ時代ではあったが、まともな政治改革はなく、反乱が起こる。)

・1798年 近藤重蔵、千島列島を探検。(択捉島まで行った)

・1804年 レザノフ来航
ロシア使節、長崎に来航。通商を要求。
→拒否
→レザノフ、キレる。(大砲撃って樺太で人襲う。)
↓↓ 幕府ビビる。
・1806年 【文化の薪水給与令】 (ぶんかのしんすいきゅうよれい(【】は幕府の政策)
「文化の撫恤(ぶじゅつ)令」ともいう。

・1808年 間宮林蔵 樺太探検

外国に優しくしようとしたら、2つの事件が起こる。
↓↓
・1808年 フェートン号事件(英)
英船フェートン号がオランダ船を追って、長崎湾内に侵入。長崎が荒らされた。長崎奉行が切腹。

・1811年 ゴローニン事件(露)
日本人がロシア人ゴローニンを国後で捕らえる。
→翌年、報復に国後で捕らえられた高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)と交換で帰国。

↓↓ 厳しい方針に転換

・1825年 【異国船打払令】
外国船撃退命令。「無二念 打払令(むにねん うちはらいれい)」ともいう。「外国の船は迷わず撃て!」
(覚え方:いっぱつゴン1825と打ち払え)

・1832年 天保の大飢饉:東北→全国へ
(cf. 天明の大飢饉1782年~87年)

・1837年 大塩平八郎の乱
陽明学者・大坂町奉行所・元与力(警察官)が大坂で反乱。
「幕府の役人」の反乱は衝撃。幕府の権威が落ちてきた証拠・・。

<徳川家慶(いえよし)⑫>1837年~1853年
・1837年 モリソン号事件(米)
米商船モリソン号を浦賀(相模)と山川(薩摩)で打ち払う。

・1839年 蛮社の獄(ばんしゃのごく)
モリソン号事件を批判した渡辺崋山(『慎機論』)、高野長英(『戊戌夢物語』)を弾圧。

・1840年 アヘン戦争
清がイギリスに敗北。南京条約締結。

<天保の改革>
★老中・水野忠邦「天保の改革」1841年~1843年(2年)

・1841年 株仲間解散令(特権をなくす)
物価の引き下げをはかる。
→効果出ず。業者の反対もあり、元に戻る。

・1842年 【天保の薪水(しんすい)給与令】
モリソン号事件、アヘン戦争の結果などを見て、日本も外国への態度を再度緩める。
1806【文化の薪水給与令】(優)→1825【異国船打払令】(厳)→1842【天保の薪水給与令】(優)

・1843年 「人返し令(ひとがえしれい)」 無宿人対策③
(①人足寄場②旧里帰農令)
都市に流入した農民の「強制」帰村。

・1843年 「上知例(あげちれい)」
江戸・大坂周辺の土地を、幕府が直轄化する計画。
→替地を命じられた有力な譜代大名らが反対。(元・浜松藩主程度の水野ごときに言われる筋合いはない!)→幕府の権威が落ちている。(ペリー来航10年前)

→失敗し、水野忠邦は失脚。

<諸藩の改革(薩摩・長州)>

・諸藩の改革【天保~幕末期】
→「雄藩(ゆうはん)」として、力(経済力)を持ち始める。

薩摩・長州・土佐・肥前

★薩摩藩
薩摩・大隅の2国(鹿児島)(正式には鹿児島藩)
・家老(幕府でいう老中)調所広郷(ずしょひろさと)(元下級武士)・・奄美の砂糖の専売制。
・大名・島津斉彬(なりあきら)・・反射炉(大砲工場)を築造
西郷隆盛、大久保利通

★長州藩
長門・周防の2国(山口)
・藩士・村田清風(せいふう)
「越荷方(こしにかた)」の役所を設置(委託販売)
→借金返済するなど経済力が付いた。→倒幕へ
高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)

<諸藩の改革(肥前・土佐)>

★肥前藩(佐賀藩ともいう)
肥前の1国(長崎・佐賀)
大名・鍋島直正(なべしまなおまさ)・・反射炉を築造。(幕府・薩摩より先)

★土佐藩
土佐の1国(高知)
大名・山内豊信(やまのうちとよしげ)(容堂)ようどう
坂本龍馬→脱藩

 

日本史【30】三大改革1(近世ー8)

2607
日本史【30】三大改革1(近世ー8)
①享保の改革→田沼時代
②寛政の改革→大御所時代
③天保の改革

<徳川吉宗⑧>1716年~1745年
紀伊藩主→将軍へ
★「享保の改革」
・1719年 「相対済し令(あいたいすましれい)」
武士の借金が増えていた。幕府は金銭貸借関係の訴訟(金公事・かねくじ)を受け付けない。裁判の迅速化が目的。

・1720年 「町火消し(まちびけし)」設置
いろは47組(それまでは幕府の定火消(じょうびけし)のみ)。町人たちの消防隊。

・1721年 「目安箱」設置
庶民の意見を直接将軍が聞き入れる。記名式。
→「小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)」(薬・病院)設置

・1722年(~1730年)「上米(あげまい)の制」
大名1万石につき100石(1%)の米を幕府へ出させる。
代わりに大名の参勤交代の在江戸期間を半年に軽減。
→財政回復した。

・1723年 「足高(たしだか)の制」
人材登用に際し、「在職期間のみ」石高の不足分を「加増」する。→辞職後戻す。
支出抑制と、家各(かかく)にこだわらない人材登用が可能になる。

・1730年 「株仲間」公認
「専売同業者組合」を「幕府が公認」した。
(株仲間自体は前からあった。)
→その代わり運上・冥加などの税金徴収。

・1742年 「公事方御定書(くじがたおさだめがき)」 制定
裁判の基本となる刑罰法。(罪と罰)
下巻を「御定書百箇条」といい、以後の裁判の基準となる。

<徳川家治⑩>1767年~1786年
★「田沼時代」
側用人→老中:田沼意次
・1767年 田沼意次、側用人に就任
・1772年 田沼意次、老中に就任

(商業政策)農民から商人へシフト
・幕府の専売制度(独占販売)の拡張
ex. 銅座・朝鮮人参座
(今までは金座、銀座、鉄座などが幕府専売)

・株仲間奨励(享保時は「公認」→「積極的公認」へ)

・「南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)」
(秤量貨幣→計数銀貨へ)発行(1772年)
大黒常是(だいこくじょうぜ)・銀座
1両=16朱
南鐐二朱銀が8つで小判1両と交換できる。

(貿易拡大)
・長崎貿易の制限(「海舶互市新例」新井白石)を緩和

・銀の代わりに銅・俵物(中国向け海産物)で支払う。
(いりこ・ふかひれ・ほしあわび)

・1782年~ 印旛沼(いんばぬま)・手賀沼(てがぬま)(下総)の開拓→失敗(洪水などが起きた)

・1782年~87年 天明の大飢饉

・1783年 浅間山(あさまやま)噴火
(上野(群馬)と信濃(長野)の境)

・1784年 田沼意知(意次の子)暗殺
(賄賂政治に対する不満)→田沼意次も失脚

・1787年 天明の打ちこわし

(蝦夷地開発)
・1783年 工藤平助(仙台藩医)が『赤蝦夷風説考』(北海道はロシアのものになってしまう)を献上
→蝦夷地開発を計画
↓↓
・1785年 最上徳内(もがみとくない)(出羽)が蝦夷地探検

<徳川家斉⑪>1787年~1837年(いえなり・遊び人)
松平定信「寛政の改革」1787年~1793年(6年)

・1787年 陸奥・白河藩主・松平定信が老中就任

・1789年 「棄捐令(きえんれい)」
旗本・御家人の札差からの借金を帳消し。

1789年 「囲米(かこいまい)」の制
大名1万石につき50石の米を蓄えさせる。(0.5%)
義倉(ぎそう)倉庫:富裕者
社倉(しゃそう):一般

・1790年 「人足寄場(にんそくよせば)」 設置(無宿人対策①)
無宿人などに職業指導。石川島(江戸隅田川)に置かれた。

・1790年 「旧里帰農令(きゅうりきのうれい)」(無宿人対策②)
都市に流入した農民の帰村を「奨励」(旅費などを支給。→まだ優しい方)。

・1791年 「七分積金(しちぶつみきん)」
江戸町費(町入用・まちにゅうよう)を節約させ、節約分の7割を積み立てさせ、災害への備えとする。「七分金積立」ともいう。

林子平「海国兵談」(ロシア南下の警告)を記した直後に・・
↓↓
・1792年 ラックスマン来航
ロシア皇帝エカテリーナ2世の命を受け、根室に来航し、通商を要求。幕府は信牌(長崎入港証)を渡し、帰国させる。
漂流してロシアにいた大黒屋光大夫(だいこくやこうだゆう)(伊勢の商人)を伴う。

☆庶民の不満
「白河の清きに魚も住みかねて、元の濁りの田沼恋しき」
「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶというて夜も寝られず」

1793年 松平定信、失脚

<諸藩の改革(寛政期)>
・熊本藩・細川重賢(しげかた)
・米沢藩(山形)・上杉治憲(はるのり)(上杉鷹山(ようざん))
・秋田藩・佐竹義和

<農民の抵抗(百姓一揆)>
・百姓一揆
農民が領主(幕府や藩)などを襲う。

☆百姓一揆の3つの種類
17C 代表越訴型一揆 (だいひょうおっそがたいっき)
代表者が領主に直訴。
ex.下総・佐倉惣五郎
(越訴は死罪。命がけで訴えた)
↓↓
18C 惣百姓一揆
農民が団結して蜂起
↓↓
19C 世直し一揆
政治的変革を求める。
・甲斐郡内(かいぐんない)一揆
・三河加茂(みかわかも)一揆

<農民の抵抗(その他)>

・村方騒動(むらかたそうどう)
貧農が豪農(村役人)を襲う。(農民同士)村方は農村のこと。

・打ちこわし
金融業者・商人などを襲う。

・国訴(こくそ)
合法的訴え。国や群の規模、大人数で訴える。

☆傘連判状
一揆の首謀者が分からないように円形に署名。

 

日本史【29】文治政治(近世ー7)

260712
日本史【29】文治政治(近世ー7)

<武断(ぶだん)政治>(武力で威圧)
家康①・秀忠②・家光③
武断政治。50年間。(1603~1650頃)
武力で威圧→牢人・かぶき者(荒くれ者)の増加。社会不安。
牢人:主君、大名を失った武士。仕事がなくなる。

・1651年 「慶安の変(けいあんのへん)」(慶安事件)
由井正雪(ゆいしょうせつ)(駿河の学者)による幕府への反乱未遂事件。(将軍代替わりを狙われた。)
→「文治政治」に変わるきっかけになった。

<徳川家綱④>1651~1680年
(補佐)
前半:保科正之(ほしなまさゆき)(家光③の弟)
後半:大老・酒井忠清(ただきよ)

1651年 「末期養子の禁(まつごようしのきん)緩和」
(前提)大名(殿)が後継ぎを決めないまま亡くなると、領地取り上げだった。

死の直前に養子を取ることも禁止されていたが、これを緩和した。→50歳以下は末期養子(死の直前に養子を取る)を認めた。

★文治(ぶんち)政治(儒教的・徳治政治)のあらわれ

1657年 明暦の大火(振袖火事)
江戸の半分を焼く→財政難

1669年 シャクシャインの乱

1673年 分地制限令

<諸藩の文治政治>
「名藩主のもとに名学者あり!」
(藩主)______(学者)
・会津藩・保科正之・・山崎闇斎(やまざきあんさい)(儒学・垂加神道)
・岡山藩・池田光政・・熊沢蕃山(くまざわばんざん)(陽明学)
・水戸藩・水戸光圀・・朱舜水(しゅ・しゅんすい)(明)
・加賀藩・前田綱紀(つなのり)・・木下順庵(きのしたじゅんあん)(新井白石の師匠)

<徳川綱吉⑤>1680~1709年
館林(たてばやし)藩主
補佐:大老・堀田正俊(ほったまさとし)
側用人→老中・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)

★儒教重視政策
①「武家諸法度・天和令(てんなれい)」1683年
(元和げんな→寛永→天和)
「文武忠孝を励(れい)し、礼儀を正すべき事」

②「湯島聖堂(ゆしませいどう)」創建(孔子をまつるお堂)

③併設して「聖堂学問所(せいどうがくもんじょ)」 設立
大学頭(だいがくのかみ)に林信篤(鳳岡・ほうこう)を任命(林羅山(「武家諸法度(寛永令)」起草)の孫)
「幕府御用達の塾」となっていく。

・1685年~ 生類憐みの令
極端な動物愛護令。
(母・桂昌院の影響)犬公方

・1695年 「元禄金銀(げんろくきんぎん)」鋳造
小判を作り直した。
<勘定吟味役:荻原重秀(おぎわらしげひで)>
貨幣の質を「慶長金銀(金84%含)」より落とし、出目(差額)で幕府の財政は一時回復。「元禄金銀(56%)」。
→インフレ(物価高・貨幣価値下がる)で経済混乱。

<徳川家宣⑥>1709年~1713年
<徳川家継⑦>1713年~1716年
補佐:新井白石(侍講)「正徳(しょうとく)の治」

1710年 閑院宮家(かんいんのみやけ)創設
幕府が費用を出して、朝廷に新しい宮家を創設。

1711年 朝鮮使節(通信使)の待遇を簡素化
費用を削減する一方、朝鮮から徳川将軍への呼称を「日本国大君(にほんこくたいくん)」(朝鮮ではトップ以外も使う)から「日本国王」(トップのみの称号)へ変更させる。

1714年 「正徳金銀」鋳造(←品位を慶長小判に戻す)

1715年 「海舶互市新例(かいはくごししんれい)」(長崎新令・正徳新令)
長崎貿易を制限し、金銀の海外流出を防止
(銀は輸出品だったが、銀が取れなくなってきたから貿易を減らす)
・中国(清)・・船30隻まで、銀6000貫だけ渡していい
・オランダ・・船2隻まで、銀3000貫だけ渡していい

 

日本史【28】江戸時代の社会経済(近世ー6)

260707
日本史【28】江戸時代の社会経済(近世ー6)

<農具・肥料の改良>
☆農具
・備中鍬(びっちゅうぐわ):深耕用
・こき箸(こきばし)手で→千歯扱(せんばこき):脱穀(別名:後家倒し)
※脱穀:稲から食べられる玄米を取り出す作業
・唐竿(からさお):脱穀。麦、ソバなど。
・唐箕(とうみ):選別具。脱穀したあと、風でもみがらを飛ばす。
・千石簁(せんごくどおし):選別具。米の大小をより分ける。
・踏車(ふみぐるま):水車(竜骨車(りゅうこつしゃ)・前期)

☆肥料の改良
・金肥(きんぴ)(購入肥料)の使用
ex. 干鰯(ほしか)、油粕(あぶらかす)、〆粕(しめかす)
干鰯は九十九里浜(千葉)のいわし漁からたくさん作られた。
(自作の肥料・・(鎌倉)刈敷、草木灰(そうもくかい)、(室町)下肥(しもごえ))

<商品作物の栽培>
☆四木(しぼく)
・漆(うるし)・・漆塗り、漆器
・茶(ちゃ)・・お茶
・楮(こうぞ)・・和紙
・桑(くわ)・・養蚕(ようさん)、まゆを取る→生糸→絹織物

☆三草(さんそう)
・麻(あさ)・・布
・紅花(べにばな)・・染料(赤)。出羽
・藍(あい)・・染料(青)。阿波
出羽の紅花、阿波の藍(でわのべにばな、あわのあい)

☆その他
・木綿(もめん)・・綿の花から綿糸を作る。手工業で綿糸に加工され綿織物に。三河、尾張、河内。
・菜種(なたね)・・油の材料
・たばこ
・い草・・畳の材料

<鉱業>
この4つは江戸幕府の直轄。(100年ほどで枯渇)
[1]佐渡・相川(あいかわ)金山(新潟)
[2]但馬・生野(いくの)銀山(兵庫)
[3]石見(いわみ)・大森銀山(島根)(世界遺産)
[4]足尾銅山(下野/栃木)

→幕府は金・銀・銅を独占し、圧倒的財力で長期的に安定した政権を維持できた。(1837年の大塩平八郎の乱まで大きな反乱は起こらず)

・別子(べっし)銅山(伊予/愛媛)→住友家の所有

・出雲の砂鉄(たたら製鉄)

<手工業の経営形態の変遷>
17C 農村 家内工業・・内職のような形

18C 問屋制 家内工業・・問屋(業者)が材料道具を提供し、都市部で販売する。

19C 工場制 手工業・・工場で分業・協業。17C摂津の酒造で始まる。

<各地の名産品>
・西陣織→足利(下野/栃木)・桐生(上野/群馬):絹織物
・有松絞(ありまつしぼり)(尾張/愛知):綿織物

・輪島塗(能登/石川):漆器
・有田焼(肥前/佐賀):陶磁器
酒井田柿右衛門などが発展させた。ヨーロッパに輸出もされた。
・灘の酒(摂津/兵庫)
・伊丹の酒(摂津/兵庫)
・野田の醤油(下総/千葉)
・銚子の醤油(下総/千葉)
・鳥の子紙(とりのこがみ):(越前/福井)
・美濃紙(みのがみ):(美濃/岐阜)

<五街道と三都>
☆五街道
①東海道(江戸~京都・53宿)『東海道五十三次』歌川広重
②中山道(なかせんどう)(江戸~草津・67宿)
③甲州道中(街道)(江戸~下諏訪で中山道と合流)甲斐を通る
④日光道中(街道)(江戸~宇都宮~日光)
⑤奥州道中(街道)(江戸(宇都宮)~白河(陸奥/福島))

☆三都
・江戸・・100万人。消費都市。人口の半分は武士。参勤交代で江戸に来る。残り半分は町人。「将軍のお膝元」
・大阪・・40万人。商業都市。「天下の台所」
・京都・・朝廷・天皇・公家。手工業都市。

<交通の整備(陸上交通)>
☆脇街道:五街道以外の街道。
☆一里塚:1里(約4km)ごとに設置した標識。木が植えられている。

☆関所:江戸への「入鉄砲に出女」などを取り締まる。通行手形を示して通過。ex. 箱根
江戸に鉄砲が入らないように、また人質の大名の妻子が江戸から出ないように、厳しく取り締まる。関所で昔はお金を取ったが、江戸では人の取り締まり。

☆宿場(宿駅)
・問屋場(とんやば):宿場の事務所
・本陣(ほんじん):大名の宿。立派。
・旅籠(はたご):一般用宿。
・木賃宿(きちんやど):安い宿。

☆飛脚:運輸・通信業者。
町飛脚、継飛脚(つぎびきゃく)など。

<交通の整備(海上交通)>
①東廻り航路(海運)(北)
酒田(出羽/山形)(最上川)~青森~江戸

②西回り航路(海運)(南)
酒田~山口~大坂

河村瑞賢:両航路を整備。

③南海路(なんかいろ):大阪~江戸を往復。
・菱垣廻船(ひがきかいせん):大型(最初はこちらが主流)
↓↓
・樽廻船(たるかいせん):小型(スピードが速い。後に主流になった)

※下り物(くだりもの)(=高品質):上方(大阪)から江戸へ送られる商品。大坂から来るモノは品質が良い。→江戸は消費の町。
「下らない」(=良くないもの)の語源。

<モノの流れ>
(1)蔵物(くらもの)・・蔵屋敷を通るモノや米
(2)納屋物(なやもの)・・蔵屋敷を通らないモノや米
(3)蔵米取(くらまいどり)・・蔵屋敷から武士へ現物支給

(1)蔵物(くらもの)
「蔵屋敷(くらやしき)」
幕府や大名が江戸や大坂に作る大きな倉庫。集めた年貢などをこの「蔵屋敷」に納める。

・蔵屋敷→問屋→小売→一般市民

・蔵屋敷の管理
商人の職業の名前
・「蔵元(くらもと)」:モノの管理
・「掛屋(かけや)」:カネの管理。会計係。

(2)「納屋物(なやもの)」
蔵屋敷を通さず、直接問屋に売られるもの。(蔵屋敷を作れるほどリッチではない大名の場合)

(3)「蔵米取(くらまいどり)」
江戸の武士の旗本や御家人の給料が、米で現物支給される制度。またその武士。蔵屋敷からもらう。
↓↓
「札差(ふださし)」:「米」を「お金」にする換金業務を行なった。高利貸しにもなる。

<市場と問屋>
☆卸売市場(各問屋が集まる町)
大阪
・堂島の米市
・雑喉場(ざこば)の魚市
・天満の青物市
江戸
・日本橋の魚市
・神田の青物市

☆問屋の「株仲間」(専売同業者組合)(室町時代の「座」)
大阪・・二十四組問屋(にじゅうしくみとんや)
江戸・・十組問屋(とくみとんや)

<貨幣制度>
・「三貨(さんか)」・・金貨・銀貨・銭貨(ぜにか)
金→江戸で流通
銀→大阪で流通
銭(ぜに)→銅から作られ全国で流通

☆金(江戸)
・小判1枚=1両(約4万円)
(大判1枚=10両(贈答用・記念コインのようなもの))
・「計数貨幣」・・数えて使う貨幣
・金の単位:両・分(ぶ)・朱(しゅ)
(1両=4分=16朱)4進法
・金貨は後藤家の監督。金座で鋳造。

☆銀(大阪)
・丁銀(ちょうぎん)、豆板銀(まめいたぎん)
・「秤量貨幣(しょうりょうかへい)」・・銀の重さを量る。
・銀の単位:匁(もんめ)3.75g(=五円玉の重さ)
金1両=銀50匁(187.5g)
・大黒家(だいこくけ)。銀座で鋳造。

→後に、銀貨だけど数えられる「南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)」が作られた。

☆銭(全国)
・寛永通宝(1636年~)・・日本製。銅。
(前は、永楽通宝・・中国製(明))
1文(もん)=10円
金1両=銭4000文(4貫文)

<藩札と両替商>
・田舎では物々交換。
・各藩では「藩札(はんさつ)」を発行。福井(越前)藩札が最初。(デパートの「商品券」のようなもの)
・両替商:貨幣の交換や貸付(高利貸し)を行う。(今の「銀行」)

※各時代の高利貸し
鎌倉:借上(かしあげ)
室町:酒屋、土倉、寺院
江戸:札差、両替商

<豪商>
江戸初期の豪商(リッチな商人)
(江戸)
①三井家(みついけ)
三井高利(みついたかとし)の越後屋(呉服店・両替商)(三重・松坂)に始まる。(幕府の公的なお金も扱う)。「現金掛け値なし(=「現金払い」のみ)」で成功。江戸や京都に店。(→三井財閥→三井グループ)

②紀伊国屋 門左衛門(きのくにや・ぶんざえもん)
「明暦の大火」の際、材木で巨利を上げる。

(大阪)
③鴻池家(こうのいけけ):十人両替(とにんりょうがえ)の一つ。大名貸しで成長。(→三和銀行)
④住友家:別子銅山(伊予/愛媛)の経営。

 

日本史【27】江戸時代(近世ー5)

260707
日本史【27】江戸時代(近世ー5))

<寺請(てらうけ)制度>
寺に戸籍を作らせて、寺を通じて民衆を把握する。
民衆を檀家(だんか)として寺に登録させる。
登録した民衆に「宗門改」(しゅうもんあらため)(宗教調査)をして、「宗旨人別帳」(しゅうしにんべつちょう)に記載。

<徳川家光③>
大名統制
1635年 「武家諸法度 寛永令」(林羅山起草)
(cf. 1615年・2代秀忠・元和令・崇伝の起草)
①「参勤交代」を制度化
②大船(たいせん)(500石積(こくづみ)以上)建造禁止
☆大名の義務
①参勤交代:江戸と国元を原則1年交代で往復。(夏4月中に。今の5月頃)
②証人の制(人質):妻子や家族、重臣を江戸におく。地元で反乱を起こさないように。

<農民統制>家光③~家綱④
1643年 「田畑永代(でんぱたえいたい)売買の禁」
土地の売買禁止←農民の没落防止

1643年~ 田畑勝手作禁止令
商品作物、栽培禁止令

1673年 分地制限令(ぶんちせいげんれい):土地分割制限
狭い土地(10石以下)を分割するのは禁止。
為政者の農民観
「百姓は財の余らぬように、不足なきように」(本佐録)
「百姓共は死なぬ様に、生きぬ様にと・・」(家康・昇平夜話)

<四つの口・窓>
(鎖国後の外交)
長崎・薩摩・対馬・蝦夷(この4ヶ所で外国と関係を持った)

(1)長崎・・出島(オランダ)
・・唐人屋敷(中国)
(2)薩摩・・島津氏(琉球)
(3)対馬・・宗氏(朝鮮)
(4)蝦夷(松前)・・(蠣崎氏→松前氏)ー蝦夷(アイヌ)
蠣崎→松前 慶広
米が取れない。アイヌと交易。

(1)長崎
・出島(オランダ)
オランダ商館長(カピタン/(キャプテン))が「オランダ風説書(ふうせつがき)(海外事情書)」を幕府に提出。

・唐人屋敷(中国)
明→清 建国(1616年)

(2)薩摩・・島津氏(琉球)
慶賀使(日本の将軍の代替わり)、謝恩使(琉球国王の代替わり)が来日

(3)対馬・・宗氏(朝鮮)
(朝鮮)通信使が来日

(4)蝦夷(松前)
1669年 シャクシャインの戦い:アイヌの反乱
(cf. 室町時代・1457年コシャマインの戦い。コが先→シャが後で覚える。)

「商場(あきないば)知行制」:藩主・松前氏が家臣にアイヌとの交易場所を任せ、交易の利益を取らせる。
↓↓
「場所請負制(ばしょうけおいせい)」:藩主から与えられた交易場所を、さらに商人に任せる。

 

日本史【26】江戸時代(近世ー4)

260707
日本史【26】江戸時代(近世ー4)

<統治機構の全体図>
[将軍]ー(側用人・将軍側近)
_
(・大老(臨時1人)(太政大臣のようなもの))
・老中(もと年寄)(常時3~5人)(左大臣など)
・寺社奉行★
・京都所司代(朝廷の監視)
・若年寄(わかどしより)(老中補佐)
↑↑ここまで譜代大名から任命
(譜代大名:徳川家に古くから仕えていた大名)

ーーーーーーー
[老中]
_
・大目付(おおめつけ)(大名の監視)
・勘定奉行★
ー 郡代(ぐんだい)・・10万石以上の天領の役人
ー 代官(だいかん)・・10万石以下の天領の役人(直接、税金を取る人)(中世の「地頭」「荘官」)
・町奉行(江戸)★
※ただ「町奉行」というと「江戸の町奉行」のことを指す。他は地名が前に付く。「大坂町奉行」など。

(遠国奉行・おんごくぶぎょう)
・町奉行(大阪・京都・駿府)
・奉行(長崎・佐渡・日光・山田(伊勢))
・城代(二条城・伏見城・駿府城)

[若年寄]
_
・目付(直参の監視)
↑↑ここまで旗本から任命

★三奉行(さんぶぎょう):寺社奉行、勘定奉行、町奉行(江戸)。3つのうち最高格は「寺社奉行」。将軍直属。

・1635年 要職は月番制(つきばんせい)1ヶ月交代。権力集中を防ぐ。

<幕府の軍事基盤(武士の種類)>
・「大名(1万石以上)」と「直参(将軍直属)(1万石以下)」に分かれる。

☆大名
・大名(約300人ほど)・・「藩」を作る。(300藩)。藩の中は自由、自己責任。税金など。

・大名は以下の3つに分かれる。
[1]親藩(しんぱん)・・徳川一門。家康の親戚。
(御三家:尾張(義直)、紀伊(頼宣)、水戸(頼房))
2代秀忠の弟たち

[2]譜代(ふだい)・・関ヶ原より前からの家臣

[3]外様(とざま)・・関ヶ原以後の家臣

☆直参(直属部下)藩は作れない

・旗本(はたもと):御目見得(おめみえ)以上→将軍への謁見ができる)
土地をもらったり、米をもらう

・御家人(ごけにん):御目見得以下(将軍へ謁見できない)
土地はもらえず、米をもらう

<幕府の財政機構>
全国の土地から米で収入が入る。
・幕領・天領(幕府の直轄地)・・400万石
・旗本知行地(幕府直属の部下)・・ 300万石
・大名領・・2000万石
・他・・50万石(天皇の禁裏御料、寺社の土地)

・幕府分は700万石(全国の4分の1)→収入が多く、大名の反乱を押さえられる。「安定した政権」につながる。
・大名分は2000万石(4分の3)。大名1人平均6万石。

<朱印船貿易>
朱印船貿易(1601~1635年)
日本人が外国に行って貿易する。
朱印状(渡航許可証)を使用
東南アジアでの、中国との出会貿易が中心(秀吉の時代から)

・背景:明の海禁政策
(日本との直接貿易禁止。日本が中国にも行けないし、中国から日本に来ることもできない)

・貿易地:ルソン(フィリピン)、インドシナ半島→アンナン(ベトナム)、カンボジア、シャム(タイ)

・輸入品:生糸(白糸・しらいと)
・輸出品:銀

<貿易家と日本町>
☆朱印船貿易家
・角倉了以(すみのくらりょうい):京都。大堰川(保津川)や高瀬川の治水事業も。
・茶屋四郎次郎:京都。糸割符仲間。
・末吉(すえよし)孫左衛門:大坂平野(ひらの)
・末次平蔵(すえつぐへいぞう):長崎

☆日本町(にほんまち)の形成
・山田長政(ながまさ):アユタヤ(シャムの首都)の日本人町の長。シャムの王に気に入られて、のちリゴールの太守になる。

<徳川家光③>
1623年 秀忠、将軍職を子の徳川家光に譲り、大御所となる。(→1632年死去)

1623年 イギリス、貿易競争に敗れ、自ら撤退。

1624年 イスパニア船、来航禁止。

1627年 紫衣事件(しえじけん)
後水尾(ごみずのお)天皇が幕府の許可なく与えた紫衣勅許を、幕府(秀忠)が無効とした。抗議した沢庵は流罪。(山形へ)
→後水尾天皇は怒って明正天皇(娘)に譲位。(幕府に政治は任せたが、宗教まで口を出されるいわれはない。)女帝は8人。7番目。

1629年 絵踏開始。
踏絵を使って隠れキリシタンを捜す。

1631年 奉書船(ほうしょせん)制度:海外渡航船に老中奉書の所持を義務づける。(朱印状+奉書)

1633年 鎖国令①
奉書船以外の海外渡航の禁止

1635年 鎖国令③
日本人の海外渡航、及び帰国の全面禁止(奉書船もダメ)

1637年 島原の乱
島原(長崎)・天草(熊本)での圧政(税金取り過ぎ)に対し、天草四郎時貞ら4万の農民が原城(はらじょう)跡に立てこもる。
→翌年、老中・松平信綱が鎮圧。

1639年 鎖国令⑤
ポルトガル船の来航禁止

1641年 オランダ商館を長崎の出島に移す
→【鎖国の完成】
ただし江戸時代もオランダとは貿易を続けていた。