【27】19世紀の欧米諸国(2)露・米 – 歴史note

【27】19世紀の欧米諸国(2)露・米

【27】19世紀の欧米諸国(2)露・米
(1)ロシアの南下政策
(2)ロシアの近代化とバルカン進出
(3)アメリカ合衆国の発展
(4)アメリカが抱えた問題
(5)南北戦争とその後

(1)ロシアの南下政策
ポイント①ロシアがこだわった南下政策とは?
なぜロシアは凍らない港を求めるのか

英に対抗するため産業革命を進めたい。お金が必要。
→麦などを輸出したい。農作物販路の確保を目指す

バルカン半島ルートが行きやすい・・
口実に
ギリシア正教徒の保護
パン=スラヴ主義
を掲げ、黒海・地中海へ
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ポイント②南下政策の本格化!
ギリシア独立戦争とエジプト=トルコ戦争

ロシア南下政策・両海峡をめぐる3つの戦争。
(有利になるように首をつっこむ)

[1]【ギリシア独立戦争(1821~1829)】
〇 ギリシア+英仏露+ロマン派文化人・英バイロン・仏ドラクロワ
VS
✕ オスマン帝国+エジプト(ムハンマド=アリー)

ギリシア独立達成。
ロシアがオスマン帝国に要求
ダーダネルス・ボスフォラス両海峡の自由通航権を獲得
(黒海の南西)

[2]【第1次エジプト=トルコ戦争(1831~1833)】
エジプト総督ムハンマド=アリーがシリアを要求→獲得
〇エジプト+英仏墺
VS
✕オスマン帝国+
→オスマン帝国に協力したので、要求する。
→露が両海峡を独占できるようになる。

[3]【第2次エジプト=トルコ戦争(1839~1840)】
エジプト総督ムハンマド=アリー
エジプトとシリアの世襲権を要求

エジプト+仏
VS
オスマン帝国+英露墺普

・ロンドン会議(1840)
エジプトはシリアを返還
その代わり→エジプト・スーダンの世襲権を承認

すべての外国軍艦が両海峡を通航することを禁止
→露も通れなくなった・・

「黒海ルート」が塞がれた・・


(2)ロシアの近代化とバルカン進出
ポイント①クリミア戦争がその後のロシアを変えた!?
ロシアの南下政策とそれを阻止する大規模な衝突

クリミア戦争】(1853~1856)
オスマン帝国が仏に聖地(イェルサレム)管理権を譲渡。
ロシア・ニコライ1世はギリシア正教徒の保護を口実に開戦。

ロシア ✕ VS 〇オスマン帝国+英仏サルディーニャ
↓↓
【パリ条約】(1856)
黒海の中立化
→南下政策失敗

皇帝アレクサンドル2世】(位1855~1881)
クリミア戦争に負けてロシアの遅れを痛感。近代化をめざす。
農奴解放令(1861)
農奴は解放。ただし土地は有償
↓↓
ミール農村共同体)シェアハウス
・ポーランド反乱(一月蜂起)←鎮圧
↓↓
アレクサンドル2世
「改革をすると他の民族が独立を求めてしまう。皇帝独裁に戻そう・・。」
↓↓
ナロードニキ(人民主義者)の活動。ナロード=人民
インテリゲンツィア(知識人)中心。平等社会をめざす。
スローガン「ヴ=ナロード(人民の中へ)」
→農民に理解されず。。失敗。徐々に過激に・・。
↓↓
アレクサンドル2世の暗殺
テロリズムの横行

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ポイント②バルカン半島へ方向を転換!
執拗に南下を試みるロシアの動き

南下政策を諦めない・・!今度は「バルカン半島」ルートだ。

ロシア=トルコ戦争(1877~1878)】
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの反乱←鎮圧
(↑スラヴ人が多い)
ロシア、パン=スラヴ主義を掲げて宣戦
ロシア〇 VS ✕オスマン帝国
↓↓
サン・ステファノ(講和)条約(1878)】
ルーマニア、セルビア、モンテネグロの独立
ブルガリアの自治権獲得(ロシアが保護)

↓↓ 「ちょっと待ったーー」by英・墺

ベルリン会議(1878)】
主催者:ビスマルク「誠実な仲買人(なかがいにん)」フェアに調整します。
【ベルリン条約(1878)】
(サン・ステファノ条約をやりなおす)
・ルーマニア、セルビア、モンテネグロは変更なし(=独立を承認)
ブルガリアの領土縮小(ロシアの保護廃止→単にオスマン帝国の自治領土になった)→ロシア通れなくなる・・

<さらにロシアを見張るため・・>
・ボスニア・ヘルツェゴビナ→が統治(後のWW1の原因へ・・)
キプロス島が統治

南下政策「バルカン半島」ルートも失敗。次はアジアだ・・。


(3)アメリカ合衆国の発展
ポイント①19世紀前半の大統領と合衆国の成長
初期の資本主義的な産業が成長する

【4代・マディソン大統領】(任1809~1817)
アメリカ=イギリス戦争(1812~1814)
第2次独立戦争
ナポレオンの大陸封鎖令に対抗して、英が海上封鎖。
→米の通商が妨害される。両国で開戦。
→米の商工業が育つようになる。英からの経済自立
保護関税政策・・米国内の初期産業を育成

【5代・モンロー大統領】(任1817~1825)
モンロー宣言(1823)
米欧の相互不干渉=孤立主義

7代・ジャクソン大統領】(任1829~1837)
ジャクソニアン=デモクラシー
白人男性だけに普通選挙権。(✕先住民、✕黒人、✕女性)

先住民強制移住法(1830)
先住民をミシシッピ川以西の荒地に強制的に移住
チェロキー族の「涙の道

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ポイント②領土を広げることは「神の思し召し」!?
西側へと領域を拡大する合衆国

【西部開拓(西漸(せいぜん)運動)(漸は「近づいていく」の意)
フロンティア(辺境)
アメリカ西部における開拓地と未開拓地の境界線

マニフェスト=ディスティニー(明白な天命)」当然である

西へ領土拡大
ルイジアナ買収
ミシシッピ川以西のルイジアナ
フランスより買収

フロリダ買収(1819) 5代モンロー大統領時
スペインより

テキサス併合
テキサス共和国がメキシコから独立
→合衆国に編入

・〇アメリカ=メキシコ✕戦争
カリフォルニア獲得。
↓↓
ゴールド=ラッシュ
カリフォルニアで金鉱発見
西側の人口が増える。

 


(4)アメリカが抱えた問題
ポイント①アメリカの北部と南部ではここまで違うの!?
南北間に生じた軋轢・・

・黒人奴隷問題

北部 南部
経済 資本主義的商工業 綿花プランテーション
(→英に輸出)
支持基盤 産業資本家・銀行家 大農園者(プランター)
貿易 保護貿易
(国内産業を育てたい)
自由貿易
奴隷制 反対
(工場で働いてほしい)
賛成
政治体制 連邦主義(中央集権)
政府強い
州権主義(地方分権)
政府弱い
政党 共和党 民主党

 

ポイント②奴隷州拡大の危機を迎える!
国内では奴隷賛成派・反対派で世論が二極化

自由州 VS 奴隷州
(奴隷NG) (奴隷OK)

ミズーリ協定(1820)
モンロー大統領
北緯36度30分以北:自由州
以南:奴隷州
州の数は同じが望ましい

↓↓ ミズーリ協定が破られる

カンザス・ネブラスカ法(1854)
自由州になるか奴隷州になるかを住民投票で決める。
カンザス州・ネブラスカ州は奴隷を使いたい・・
↓↓
共和党の結成(1854)
奴隷制反対運動
ストウ夫人『アンクル=トムの小屋』
(ハリエット・ストウ)


(5)南北戦争とその後
ポイント①アメリカの市民が殺しあう!?南北戦争の勃発!
奴隷制度の賛否をめぐる問題から内戦へ突入

南北戦争(1861~1865)
リンカン大統領(任1861~1865)共和党
奴隷廃止!を主張

南部諸州が合衆国より離脱
・「アメリカ連合国(連邦)」を建国
都:リッチモンド
反連邦主義、奴隷制擁護、自由貿易

・南軍の攻撃により開戦(1861)
初期は南軍が優勢

↓↓ それに対してリンカン大統領は・・

ホームステッド法(自営農地法)
公有地で5年間定住・開墾
→一定限度の土地を無償で与える
西部の開拓農民から支持

奴隷解放宣言(1863)
戦争目的の明確化。国際世論も味方にする(英仏はすでに奴隷廃止)

ゲティスバーグの戦い(1863)
最大の激戦地
人民の、人民による、人民のための政治」演説

・リッチモンド陥落(1865.4.9)
北軍の勝利

・リンカン大統領暗殺(1865.4.15)

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ポイント②19世紀後半のアメリカは急速に成長する!
国内の市場統合、鉄道の開通、労働力の確保

・黒人奴隷の解放
憲法修正第13条により奴隷制度の廃止
↓↓
黒人は北部の工場に行かず農場にとどまった
シェアクロッパー(分益小作人)となる
南部の土地制度

K・K・K(クー・クラックス・クラン)
テネシー州で結成された反黒人秘密結社

<経済状況>
・産業の急成長
北部主導で商工業が発達
資本主義の発達→第2次産業革命(1870年代)

アメリカ労働総同盟(AFL)の結成
(穏健的。熟練の労働者が意見を社長に伝える)

移民の増加→労働力不足を解消する
旧移民(1840~50)アイルランド系(ジャガイモ飢饉1845)、ドイツ系、アジア系
新移民(1880)東欧系

大陸横断鉄道の開通(1869)
東部・西部の結合
アメリカの政治的・経済的統一が進展

フロンティアの消滅(1890年代)
海外市場の確保を目指し、カリブ海や中国へ進出

英を抜いて世界1位に・・!

 


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