朝鮮 – 歴史note

【16】中国周辺地域史

【16】中国周辺地域史
(1)モンゴル高原・内陸アジア
(2)チベット・雲南地方
(3)朝鮮半島の分裂の時代
(4)朝鮮半島の統一の時代
※中国が文化の発信地。中国の王朝をセットで覚える。


(1)モンゴル高原・内陸アジア
ポイント①中国を苦しめた最恐の民族!
匈奴の中国侵入

【中国:秦・漢】
匈奴(B3~1C)
騎馬遊牧民。機動性に富んだ高い軍事力。

スキタイ(B6~B3C)(イラン系)
南ロシアの草原地帯。後世の騎馬遊牧民に影響。

冒頓単于
匈奴の全盛期。前漢の高祖を破る(B200)。
↓↓
・前漢の武帝に敗れて衰退(B129)
・匈奴の東西分裂(B1C)
東匈奴(内モンゴル)→漢に服属
西匈奴(天山山脈)→漢に敗れて滅亡
↓↓
・東匈奴の南北分裂(1C)
南匈奴→後漢に服属
北匈奴→後漢の攻撃を受ける(モンゴル高原)
→ヨーロッパ方面へ西走?(末裔がフン族に?)

ポイント②後漢から唐にかけて中国に侵入した民族
鮮卑・柔然・突厥・ウィグル

【中国:後漢~魏晋南北朝】
鮮卑(2~5C)
五胡の一つ。拓跋氏が北魏を建国。
「カガン(可汗)」の称号(君主)を使用→「ハン」につながる

柔然(5~6C)
北魏・太武帝と対抗

【中国:隋・唐】
トルコ人は中央アジア、西アジアへ移っていった。

突厥(6~8C)トルコ系
・柔然を破る
・ササン朝のホスロー1世とともに、エフタル(イラン系・トルコ系)を滅ぼす→西へ進み、中央アジアまで進出。
突厥文字・・北方遊牧民最古
・隋の時代に東西に分裂

ウィグル(8~9C)トルコ系
・安史の乱では唐を助けた
・中央アジアあたりまで西進
ウィグル文字
マニ教を国教化(後にイスラーム教
・軍事に長けていた←イスラーム王朝が軍人奴隷(マムルーク)として採用。西アジア各地に輸出。

 


(2)チベット・雲南地方
中国の西や南

ポイント①中国?インド?どっちの影響が強い?
チベットの歴史

<チベット>
中国とインドの間。インドの影響が強い。

吐蕃(とばん)(7~9C)
(都:ラサ)
ソンツェン=ガンポ(建国)
チベット文字
インドの文字を元に制作

<中国は【唐】>
・インド・中国の仏教文化を導入
チベット仏教
インドの大乗仏教にチベットの民間宗教が融合。(7C)

ーーーーーーー
・パスパ(高僧)(13C)
フビライに従事。チベット仏教が中国に伝わるきっかけとなる。
↓↓
ツォンカパの改革(14C)
腐敗したチベット仏教を立て直す。
ツォンカパの改革以降、チベット仏教を「黄帽派(こうぼうは)」と呼ぶようになる。

・ダライ=ラマ
チベット仏教のリーダー。政教一致の最高権力者
ポタラ宮殿(ラサ北西)に住む。

ポイント②雲南地方ってどんな地域?
モンゴル時代に中国領土になったわけ

<雲南地方>
中国から東南アジアへの出入口

2つの国
1.南詔(なんしょう)(?~902)
<中国は【唐】>
・中国・チベット・インド文化が融合

2.大理(だいり)(937~1254)
<中国は【宋】>
・フビライ・ハンにより滅亡(1254)
理由:東南アジアへの出入口を抑えたかったため。
・雲南はここで初めて中国領土に組み込まれた


(3)朝鮮半島の分裂の時代

ポイント①古代の朝鮮は「中国」?
古代朝鮮と中国の関係

古代朝鮮は中国の一部だった。

衛氏朝鮮(B190~B108)
・衛満(えいまん)(建国)
中国の戦国時代に中国から渡ってきた。
・前漢・武帝により滅亡(B108)

〇中国・前漢の支配下
朝鮮4郡(拠点)
楽浪郡を置く(B108~313)
(現在の北朝鮮・平壌・ピョンヤン
漢の政治・文化を伝導。
漢王朝が滅亡して目が行き届かなくなる。
高句麗により滅亡(313)

↓↓
馬韓→百済(ひゃくさい/くだら)
辰韓→新羅(しんら/しらぎ)
弁韓→任那(みまな)(加羅/から・加耶/かや)→新羅に征服される

ポイント②朝鮮にも三国時代があった!?
高句麗・新羅・百済の対立

朝鮮の三国時代(4C半~7C)

高句麗(B1C~668)
朝鮮半島北から中国東北部。
・漢の拠点、楽浪郡を征服(313)
・広開土王(位391~412)全盛期
広開土王碑(好太王碑)の建立(414)
朝鮮や日本との戦いが記録されている
・新羅・唐に滅ぼされる(668)

百済(4C半~660)
馬韓(左側)
高句麗、新羅に対抗するために日本と結ぶ。
唐・新羅により滅亡(660)
白村江の戦い(663)
復活しようと試みるが✕
日本・百済復興勢力✕ VS 〇新羅・唐

新羅(4C半~935)
・辰韓(右側)
・加羅を征服(4C)
・唐(3代・高宗)(当時アジア最強)と連合。
百済(660)、高句麗(668)を滅ぼす。

↓↓
※三国時代の勝者は「新羅」!

ーーーーーーーーーーーーーーーー
渤海(698~926)
(都:上京竜泉府)長安をモデル
高句麗の末裔や、靺鞨人(まっかつじん・ツングース系)が中国の東へ移動して建国
・大祚栄(だいそえい)(建国者)
・唐や日本とも交流


(4)朝鮮半島の統一の時代
ポイント①仏教文化がさかん!新羅の時代
朝鮮半島初の統一。新羅。

朝鮮半島を統一した3つの国

新羅(4C半~935)
(都:慶州(昔:金城))
高句麗と百済を倒して、朝鮮半島統一。

・唐は朝鮮半島の北西部に都護府を設置。→新羅にとっては屈辱・・!都護府は異民族を監視する機関。国として認められていない。。
↓↓
新羅は唐を排除。都護府を落とした。
↓↓
朝鮮半島統一(676)
唐に朝貢、冊封下へ入る。

唐の影響を受ける。

骨品制(こっぴんせい)(特権的な身分制度=貴族制度)
唐がモデル

仏国寺(ぶっこくじ)
慶州郊外にある仏教寺院。石の多宝塔。高度な技術。

ポイント②すごく似ている2つの王朝!
高麗と朝鮮の歴史。

高麗(935~1392)
(都:開城
王建(建国)

この頃、中国は【宋】
↓↓
・両班(ヤンバン)
骨品制貴族はいなくなり、特権官僚が登場。中国・宋と同じ。(両班が確立されるのは次の李氏朝鮮時代。)

高麗版大蔵経・・仏教文化がさかん。木版印刷
・金属活字・・世界最古。出版技術が早くから発達していた。
高麗青磁・・宋代の陶磁器(宋磁)の影響を受け、宋より高技術とも。

 

朝鮮李氏朝鮮・李朝(1392~1910)
(都:漢城(漢陽)現ソウル。元・帯方郡)

李成桂(建国)。李さんが作ったので李氏朝鮮。

この頃中国は【明・清】
↓↓
朱子学の官学化(上下関係を重んじる)
科挙の実施
両班(ヤンバン)特権身分階級
高級官職独占が登場。中国と同じ。

世宗(せいそう)(現在の1万ウォン札に描かれている)
訓民正音(くんみんせいおん)(1446)(表音文字)
漢字は庶民は読めない→ハングル文字

・豊臣秀吉の朝鮮侵攻
壬辰・丁酉(じんしん・ていゆう)の倭乱
(文禄1592・慶長1597の役)

李舜臣・・亀船(亀甲船)の使用で、日本の侵略を食い止めた。

「小中華」の芽生え
明滅亡後の、清(満州人国家)を正統な中国と認めない。
正統な中華を守っている継承者は朝鮮だ!という意識。
清に対して敵対心があった。


 

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【33】帝国主義と東アジア(中国・朝鮮)

世界史【33】帝国主義と東アジア
・義和団事件1900⇒8カ国共同出兵⇒北京議定書1901
・日露戦争1904⇒ポーツマス条約1905
33ー1中国分割と近代化運動の行方
33ー2中国をめぐる日本とロシアの対立
33ー3朝鮮の行く末と清末の改革
33ー4辛亥革命


33ー1 中国分割と近代化運動の行方
①日清戦争後
・中国分割

借款(しゃっかん)=借金
賠償金を払うために欧から借りる。担保として鉄道施設権や鉱山採掘権を奪われる。

租借(そしゃく)・・他国の領土の一部を条約によって借りること(事実上の領土割譲)

米は米西戦争で中国に構ってるひまがなかった。

門戸開放宣言
米・国務長官ジョン・ヘイ

<租借地>
膠州湾(こうしゅうわん)
遼東(りょうとう)半島南部。旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)
威海衛(いかいえい)、九竜半島(クーロン/きゅうりゅう)
広州湾(こうしゅうわん)
遼東半島南部(旅順・大連)
(※日露戦争で日本に移る)
<勢力圏> 鉄道施設権
山東省(さんとうしょう)
満州・モンゴル 東清鉄道
長江流域
広東・広西・雲南省
福建省 南満州鉄道

 

②中国の近代化

日清戦争に負けた中国はショック。
↓↓
近代化運動へ

光緒帝(こうしょてい)。
康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう) など公羊 (くよう) 学派の官僚らが日本の明治維新を模範にする。

憲法を立てて、皇帝を立てる=立憲君主制をめざした。

戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)
立憲君主制をめざし憲法制定に動いたが・・
↑↑(弾圧)
戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)(1898)
西太后(せいたいこう)など保守派が改革を弾圧。改革は失敗に終わる。光緒帝は幽閉状態へ。

 


33ー2 中国をめぐる日本とロシアの対立

①外国は出ていけ。義和団事件。

・仇教運動(きゅうきょううんどう)
反キリスト教運動

義和団事件(白蓮教系の宗教結社)(北清事変)(1900)
排外主義「扶清滅洋(ふしんめつよう)」清を助けて欧を追い出す

ドイツ人宣教師✕⇒ドイツの山東進出
↓↓
清は「こいつら使える・・」と、この義和団を使って欧を追い出そうとした。
↓↓
義和団が北京占領。独、日公使を襲う。
清「欧米日かかってこいやー。」西欧列強に宣戦布告。(西太后)
↓↓
八カ国共同出兵
英仏独米露日伊墺
↓↓
清・義和団敗れる。北京が占領される。
↓↓
北京議定書(1901)
・巨額の賠償金。
・北京駐兵権。(軍事占領)⇒半植民地化

②日本とロシアの狙った場所が同じ。

ロシアは満州から軍をひかない。朝鮮半島まで狙ってる・・?

日とロシアが満州・大韓帝国(だいかんていこく)の取り合い。
↓↓
日露戦争(1904)
日本の攻撃で始まる。

日本海海戦で日が勝つ。
バルチック艦隊を破る。

・第1次ロシア革命

日もお金が厳しい、ロシアも革命でやめたい。
↓↓
米・セオドア・ローズヴェルト大統領が仲介。
↓↓
ポーツマス条約(1905)(米)
ロシアは満州・朝鮮から撤退⇒大韓帝国の指導・監督権を日本が得る。
遼東半島南部の租借権をロシアから日本に渡す。(⇒関東州と呼ぶようになる。)
(※遼東半島は日清戦争でいったん日本が取得したものの三国干渉で返さざるを得なかったところ)
・遼東半島に接続する南満州鉄道の敷設権(ふせつけん)利権を日本が得る。
・南樺太を日本に渡す。

 


33ー3 朝鮮の行く末と清末の改革
日清戦争後「朝鮮」は「大韓帝国」と改称。自主独立国家となった。清からの自立。

①日露戦争後の日本の朝鮮支配
・日韓協約(1904~07)
(第1次は日露戦争のさなか。)

第2次日韓協約(1905)
韓国の保護国化。⇒外交権を朝鮮から奪う。
初代統監。伊藤博文(いとうひろぶみ)。
反日義兵闘争の激化。

・ハーグ密使事件(1907)
高宗が第2回万国平和会議オランダに密使を派遣。⇒失敗

・第3次日韓協約(1907)
韓国は内政権を喪失。

・伊藤博文ハルビン駅で暗殺(1909)
安重根(あんじゅうこん)。
(韓国の切手にもなっている。)

・韓国併合(1910)
韓国という国は消え、日本領土に組み込まれた。
朝鮮総督府が設置。(天皇直属機関)
軍事・行政を統括していく。

ーーーーー
②清朝最後のあがき
本音と建て前は。

清末の改革。
・「光緒新政」(こうしょしんせい)・・国内改革
(光緒帝は捕らえられている)
・新軍の整備。(西洋式軍隊)
・科挙の廃止
・北京大学創設(官僚育成)

・「憲法大綱(たいこう)」の発布。
日本の明治憲法を模範。(強力な君主権)
・国会開設公約

「建前は国内改革と言ってるが本音は皇帝や貴族のためでは・・?日本をモデルにすると皇帝の力が強いままになるのではないか。。」
↓↓
「それならもう満州人を追い出して、皇帝も追い出して、自分たち民衆のための漢民族の国を作りたい。」
↓↓
革命派の台頭
留学生が中心。
華僑が資金を出す。

革命派のリーダー
孫文
「興中会」の結成。
他の革命団体も一緒に団結しよう。
「中国同盟会」の結成(1905)東京で。
機関誌『民法』
三民主義
・民族の独立(漢民族の独立)
・民権の伸長(一般民衆の権利を認めよう)
・民生の安定(人々の生活の安定)


33ー4 辛亥革命
①2000年の皇帝政治の終焉。
辛亥革命(1911~12)
きっかけ:清が「幹線鉄道の国有化」を宣言。
これを担保に外国からお金を借りようとした。そんなことをしたらさらに中国の植民地化が進む・・。
↓↓
四川暴動
↓↓
清は軍隊を派遣したが、その軍が清を裏切った。
↓↓
武昌蜂起(1911)
湖北省・湖北新軍の革命派が武装蜂起。色んな省でも独立を宣言。
これらが合体。
↓↓
・中華民国建国(1912)
臨時大総統:孫文
都:南京

清はまだ北に残ってる。
・清の大臣、袁世凱(えんせいがい)が清を裏切る。
・孫文と取引を行い清を滅ぼした。
・「その代わり私を中華民国のリーダーにしてください」⇒孫文は受け入れる。
宣統帝(溥儀)が退位。(ラストエンペラー)

②中華民国の苦悩。
中華民国。臨時大総統:袁世凱が就任(1912)
首都。南京⇒北京へ移す。民衆のためではなく独裁色を強める。
↓↓
袁世凱の暴走を防ぐべく国民党の結成。
孫文・中国同盟会が中心。
↓↓
・第二革命(1913)
〇袁世凱の独裁  VS  ✕国民党(→解散させられた)
正式な大総統に就任。袁世凱は皇帝になろうとした。
↓↓
・第三革命(1915)
✕袁世凱帝政  VS  〇国内軍部(袁世凱の元部下)、革命派、日本、欧。
袁世凱の部下の軍部も裏切る。
↓↓
帝政取り消し。袁世凱病死。その後も民主政治にはならず軍部が力を握る。
軍閥(軍事政権)の割拠。
北京政府の実権をめぐって争う。


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【29】中国と朝鮮の植民地化

トライイット高校世界史B【29】/47 中国と朝鮮の植民地化


【清】
・アヘン戦争(1840)⇒南京条約(1842)
・アロー戦争(1856)⇒天津・北京条約(1860)
↓↓重税
・太平天国の乱(1851~64)洪秀全「滅満興漢」
・洋務運動(1860~90)「中体西用」
【朝鮮】
・江華島事件(1875)⇒日朝修好条規(1876)
・壬午軍乱(1882)⇒閔氏が日から清に傾く。
・甲申政変(1884)開化派(親日)クーデター⇒清に制圧される。
・甲午農民戦争(東学党の乱)(1894)⇒日清戦争(1894)⇒下関条約(1895)⇒三国干渉(1895)


29-ガイダンス
18C後~19C
<中国>
・英が産業革命⇒市場を求めて中国(広い領土・多い人口)に進出。当時、中国は銀であふれて世界一お金持ち。

・英は中を武力で開国⇒アヘン戦争・アロー戦争⇒賠償金から農民への重税へ。

・ロシアの南下⇒洋務運動(国内改革)。

<朝鮮>
・日本が朝鮮進出。朝鮮が弟。兄貴分の中国と対立。


29-1  アジア三角貿易とアヘン戦争
18C。清の4康熙帝、5雍正帝、6乾隆帝の全盛期は過ぎていた。

中国の状況
・白蓮教徒の乱(暴動)(1796~1804)
・貿易港は広州1港に限定。
・公行(こうこう)=貿易独占の特許商人組合。

英と清(中国)は貿易関係。
(片貿易)・・物と銀の交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒清 銀
「英の銀がなくなる・・そうだ!」
 ↓↓
(アジア三角貿易)・・物々交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒印 綿製品
・印⇒清 アヘン(お茶代をアヘンで支払う)⇒中毒⇒需要増大⇒アヘン密輸。支払いは銀で⇒清から銀が流出⇒英銀の回収成功。

 

東インド会社の中国貿易独占権廃止⇒民間貿易会社も中国へ行けるようになる。⇒アヘンを売りにいく。

英から使節(英が自由貿易を求める⇒✕)
・マカートニー・・乾隆帝に謁見
・アマースト・・謁見できず⇒力づくでやるしかない
 ↓↓
林則徐(りんそくじょ)
・アヘンの没収と焼却など
 ↓↓
英は「待ってました・・!」これを口実に戦争をしかける。
アヘン戦争(1840~1842)
清が圧倒的に敗北
 ↓↓
南京条約
(1842)
・1港(広州)⇒5港に。+上海、厦門(あもい)、福州、寧波(にんぽう)。中国の南側
・公行廃止
・英に香港を割譲
・賠償金の支払い⇒民衆に重税

・租界の設置。外国人居留地。初めて上海に設置。

<不平等条約>
・治外法権の承認
・関税自主権の喪失=安い英製品をそのままの値段で売らなければいけない。
・他国とも不平等条約。
対英 虎門寨追加条約 こもんさい
対米 望厦条約 ぼうか
対仏 黄埔条約 こうほ


29-2.アロー戦争

「戦争に勝ったけど貿易でもうからないな。港の数増やす?」

アロー号事件(1856)
アロー号は英の国旗を掲げていた。英を侮辱している!という口実。英は仏・ナポレオン3世を誘って戦争をしかける。
↓↓
アロー戦争(1856~1860)
↓↓
天津条約
清が発砲してしまう。戦争再開。
↓↓
英・仏軍が北京占領。皇帝の離宮・円明園(えんめいえん)を破壊。(伊カスティリオーネが設計。ヴェルサイユ宮殿を手本)
↓↓
北京条約(1860)
・外国公使の北京駐在(大使館)⇒総理各国事務衙門(がもん)(=外務省)の設置。
・キリスト教布教の自由。
・南京を含む10港の開港。+天津。
・英に九龍半島南部を割譲
・賠償金⇒重税へ

 

アヘン(1840)アロー(1856)戦争による農民への重税
↓↓
太平天国の乱
(1851~1864)
洪秀全。「滅満興漢(めつまんこうかん)」

・「天国を樹立する。清(満州人)は滅びるべきだ。」キリスト教の影響。拝上帝会(キリスト教の結社)。太平天国の建国。南京を占領⇒天京(てんけい)。

・天朝田畝制度(てんちょうでんぽ)。土地を均等に配分。地主廃止。
・男女平等、纏足(てんそく)・辮髪(べんぱつ)廃止
↓↓
地主が反対。義勇軍・郷勇(きょうゆう)を作る。
・湘軍(しょうぐん)・曾国藩(そうこくはん)
・淮軍(わいぐん)・李鴻章(りこうしょう)

常勝軍・・ウォード(米)、ゴードン(英)
↓↓
太平天国の乱は鎮圧される。

ロシア「ふーん、中国今弱ってるな~・・」


29-3. ロシアの極東南下・中国洋務運動。
★ロシアの極東南下
4つの条約
①アイグン(愛琿)条約(1858)露と清
ロシア・東シベリア総督:ムラヴィヨフ
黒竜江(こくりゅうこう)(=アムール川)以北をロシアとする。
海岸線まであと少し。

②北京条約(アロー戦争の調停をした代償)(1860)露と清
沿海州(えんかいしゅう)の獲得。(ついに海岸線にたどり着いた!)(ウスリー江以東を獲得。要塞ウラジヴォストーク港を建設)

③樺太・千島交換条約(1875)露と日
(対日)ロシアは樺太全島を獲得。沿海州の真向かい。千島を日本にあげる。

④イリ条約(1881)露と清
中央アジア方面に降りるときに。東トルキスタンの一部。保険をかけていた。

ーーーーーーー

★中国・洋務運動(改革)(1860~1890)

中国「ロシアめ・・。このまま黙ってるわけにはいかない・・」

同治帝(摂政は母の西太后)時代
「中体西用(ちゅうたいせいよう)」
国の制(=皇帝独裁)維持にあたり、西洋の軍事・産業技術(だけ)をいる。

曾国藩・李鴻章(太平天国の乱を鎮圧した2人)
欧風な町並みに。。しかし・・清仏戦争、日清戦争のどちらも清が負ける。⇒富国強兵にはなってなかった。


29-4. 日本、朝鮮へ

★朝鮮開国と閔氏(びんし)の心変わり

19C後半。国王・高宗(こうそう)←力がない。
后:閔妃(びんひ)。奥さんの一族:閔氏(びんし)。

高宗の父・大院君(たいいんくん)が力を持っていた。⇒閔氏は面白くない。日本と組んで大院君を失脚させた。⇒日本はそれをきっかけに朝鮮進出。
↓↓
江華島事件
(1875)
日本の船が砲撃を受けた。朝鮮に開国を迫る。
↓↓
日朝修好条規
(1876)
・朝鮮・自主独立。
・3港の開港。(釜山・元山・仁川)
・日本の領事裁判権を承認

「閔氏独裁になってから日本が来るようになった・・。前の大院君の方がよかった。閔氏ひっこめ」
↓↓
壬午軍乱(じんごぐんらん)(1882)
大院君軍による閔氏への反乱。日・清が鎮圧。

清:大院君をつかまえる。閔氏を支援。
日:閔氏・朝鮮側へ多くの要求。
↓↓
閔氏は日本と手を切って清に傾く・・。

朝鮮は真っ二つに
事大党(親清)閔氏
VS
開化派(親日)留学生・金玉均(きんぎょくきん)近代化目指す。
↓↓
甲申政変
(こうしんせいへん)(1884)
開化派のクーデター。日本の武力を借りて武装蜂起。閔氏を追放。
清に鎮圧される。
↓↓
朝鮮をめぐって日本と清がバチバチに・・。

ーーーーー

★朝鮮国内の動乱と日清戦争

・西学。キリスト教。
・東学。儒・仏・道教。創始者・崔済愚(さいせいぐ)
⇒東学の信者はアジア以外、外国を嫌うように。。

甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)(1894)=東学党の乱
朝鮮南部。全琫準(ぜんほうじゅん)の暴動。清に助けを求める。清が出兵。日本も出兵。
↓↓
日清戦争(1894~95)日〇 VS ✕清
↓↓
下関条約
・朝鮮独立(清はもう関係ない=清は宗主権放棄)
・日本は清から台湾、澎湖(ほうこ)諸島、遼東半島を獲得。
・開港場での企業の設立
↓↓
三国干渉(1895)
ロシア「おい日本。朝鮮通って何中国に来ようとしてんだ・・。その遼東半島はオレが狙ってるんだよ。」
ロシア・独・仏がクレーム。遼東半島は清に返還。

閔妃はロシアに接近。⇒日本は閔妃を殺害(1895)⇒朝鮮をめぐって日本とロシアとの関係悪化・・。

 


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