朝鮮 – 歴史note

【44】自立を強める東アジア

【44】自立を強める東アジア
(1)激動の中華人民共和国
(2)中国の「暗黒」の時代
(3)急成長を遂げた大国!中国
(4)朝鮮半島分断国家の行方


[1]毛沢東→[2]劉少奇→[3]復活・毛沢東→[4]鄧小平

(1)激動の中華人民共和国
ポイント①毛沢東の暴走!
ソ連や近隣諸国との関係が悪化

<ソ連との関係が悪化>
・中ソ友好同盟相互援助条約(軍事同盟)(1950)
スターリンの死後、中ソ関係が悪化・・
↓↓
中ソ論争(中ソ対立)
ソ連の平和共存政策(フルシチョフ)によるアメリカとの接近に中国が反発
→キューバ危機以降は公開論争へと発展(1960年代)

チベット反乱(1959)
チベット仏教僧侶を中心とした反中国反乱
→人民解放軍により鎮圧
ダライ・ラマ14世はインドへ亡命
↓↓ 身柄引き渡しをめぐって・・
中印国境紛争(1959~1962)
中国〇 VS ✕インド
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ポイント②毛沢東の失脚!
国内改革に大失敗・・2000万人以上の餓死者が発生

「大躍進」(第2次五カ年計画)>
・工業・農業の急速な発展を目指す
人民公社・・農村部における生産活動と行政・教育活動などを一体化
中ソ技術協定破棄+大規模な自然災害→大失敗。毛沢東辞任。

調整政策
・国家主席:劉少奇
鄧小平による補佐
資本主義経済の仕組みを導入
→農業生産力の回復


(2)中国の「暗黒」の時代
ポイント①毛沢東の復活!?
中国の経済活動・文化活動などすべてを停滞させた魔の時代

プロレタリア文化大革命(1966~1977)>経済・文化の停滞期
・毛沢東による実権派の一掃
劉少奇、鄧小平らを「資本主義復活をはかる者」として批判

紅衛兵の結成(学生中心)赤を守る
全国各地で激しい闘争を行う

「四人組」の横暴
毛沢東の権威を利用して権力を掌握
(毛沢東の妻:紅青など)

中ソ国境紛争(1969)
ウスリー川に位置する島をめぐって中ソが軍事衝突
↓↓ (米がチャンス!と近づく)
中国の国連代表権交代
米が中国に歩み寄り。台湾→中国

ソ連との関係は悪化、代わりに米との関係が良くなる
ニクソン訪中(1972)・・米は中国を事実上承認
日中国交正常化(1972)・・田中角栄内閣-周恩来

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ポイント②大国へと歩み始める中国
毛沢東の死後に目指された中国の新しい目標

・周恩来の死→毛沢東の死(1976)
鄧小平(とうしょうへい)の時代に・・!

・華国鋒が中国共産党主席(首相も兼任)に就任
「四人組」を逮捕

「四つの現代化」
農業・工業・国防・科学技術の近代化を目指す
→文化大革命後の中国の新しい目標に設定

改革・開放政策(1978以降)


(3)急成長を遂げた大国!中国
ポイント①改革・開放政策の進展
急速に発展する中国経済と高まる民主化運動

鄧小平の時代>
人民公社解体
農村部に生産責任制を導入(生産請負制)
資本主義の仕組みを取り入れた。作ったものは好きにしていい。(=販売、貯蔵、廃棄など)

社会主義市場経済の導入
経済特区の指定

より広い自由化を求める大規模な民主化要求運動が発生
→(第2次)天安門事件(1989)北京の広場に集まった民衆を弾圧

・鄧小平死去(1997)

江沢民の時代>
香港返還(1997)イギリスより返還
マカオ返還(1999)ポルトガルより返還
領土を回収

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ポイント②台湾(中華民国)の行方
次第に民主化の道へと動き始める台湾

中国国民党
<総統:蒋介石の時代>反共親米・独裁
・日華平和条約
・米韓相互防衛条約

しかし途中で米に裏切られた・・
→中国の国連代表権交代(1971)
・蒋介石死去(1975)

<総統:李登輝(りとうき)の時代(1980年代)>
台湾の民主化が進展
→中国本土との対立が深まる


(4)朝鮮半島分断国家の行方
ポイント①韓国の戦後復興の立役者!
開発独裁ともいわれた強力な指導者の登場

李承晩→
朴正煕(ぼくせいき/パクチョンヒ)(任1963~1979)>反共親米
・韓国軍部クーデタで実権を掌握
開発独裁・・韓国は経済復興に成功

日韓基本条約(1965)
日本と韓国の国交正常化
(米がベトナム戦争で韓国を支援する余裕がなくなった。→米は日本に経済支援を任せた。5億ドル(500億円))

・朴大統領暗殺(1979)

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ポイント②1980年代以降の韓国の情勢
軍部中心の政治からようやく民主化へ・・

盧泰愚(ろたいぐ/ノテウ)(任1988~1993)>
・初の平和的な政権交代
民主化宣言
南北朝鮮、国連同時加盟(1990)

<民主政治の進展(1990年代)>
・金泳三(きんえいさん/キムヨンサム)・・初の文民政権
アジア通貨危機・・韓国・インドネシアなどに広がった通貨下落

金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)(任1998~2003)>
太陽政策(包容政策)
対北朝鮮友好政策

南北両朝鮮首脳会談(2000)
韓国の金大中と北朝鮮の金正日(キムジョンイル)との会談

 


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【42】冷戦の激化と西欧・日本の経済復興

【42】冷戦の激化と西欧・日本の経済復興
(1)朝鮮戦争と軍拡競争
(2)核開発と平和運動
(3)ヨーロッパ諸国の経済統合
(4)日本の成長と冷戦の転機


(1)朝鮮戦争と軍拡競争
ポイント①米ソの代理戦争!朝鮮戦争の勃発
アメリカ・ソ連がそれぞれ支持する国々が衝突

朝鮮戦争(1950~1953)>
北朝鮮 VS 韓国
北朝鮮軍が軍事侵攻。ソウル占領。
→韓国は釜山まで追い詰められる。
↓↓
国連軍出動(主体)仁川(じんせん)上陸
(安保理はソ連がボイコットしたが米が強引に決めた)
→北朝鮮軍を中国国境まで追い込む
↓↓
中国人民義勇軍(ボランティア兵)を派遣し北朝鮮を支援。
↓↓
朝鮮休戦協定(1953)at 板門店(はんもんてん)
暫定的な軍事境界線
北緯38度線
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ソ連に負けるな!アメリカの「巻き返し政策」
全世界と反共軍事同盟の締結を狙うアメリカ

33代トルーマンの次・・
<34代 アイゼンハワー大統領(任1953~1961)>
「ソ連をつぶす。米が世界の国々と軍事同盟を結ぶ・・!」
=巻き返し政策

マッカーシズムの流行(1950年代初)
議員:マッカーシ
ソ連派をヒステリックに追放(赤狩り

<世界各地に成立した反共軍事同盟> ソ連との対決に備える
日米安全保障条約(1952)
・米韓相互防衛条約
・米華相互防衛条約(台湾)
・太平洋安全保障条約(ANZUS)
・東南アジア条約機構(SEATO)
・中東条約機構(バグダード条約機構、METO)
・アメリカ州機構(米州機構、OAS)


(2)核開発と平和運動
ポイント①核を保有すると、発言力が強くなる!?
米ソに対抗し、次々と核を保有する国が登場

原子爆弾
・ウランやプルトニウムの核分裂を利用してつくる大量破壊兵器。
核実験・・が世界で初めて成功

<各国の核の保有>
の核実験・・1945年
ソ連の核実験・・1949年
・米は水素爆弾の実験にも成功→ソ連も猛追
の核実験・・1952年
の核実験・・1960年
中国の核実験・・1964年
インドの核実験・・1974年
パキスタンの核実験・・1998年
北朝鮮も核を保有

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②平和な世界にするために…
世界各地で行われた平和運動・核兵器廃絶運動

<核兵器の廃絶にむけて>
ビキニ水爆実験
米、中部太平洋、マーシャル諸島のビキニ環礁で核実験実施
「死の灰」により周辺住民は被曝
↓↓
第五福竜丸事件(1954)
日本のマグロ漁船の乗組員が「死の灰」を浴び被曝
↓↓
原水爆禁止運動
東京都杉並区の主婦の運動から始まる
→世界的運動に発展

・バートランド・ラッセル(英哲学者)
「多くの人が核の廃絶を訴えることが重要」
↓↓
ラッセル・アインシュタイン宣言
核兵器・核戦争の危険性を訴えた宣言
↓↓
パグウォッシュ会議(カナダ)
科学者による核兵器禁止運動
科学と国際問題について協議


(3)ヨーロッパ諸国の経済統合
ポイント①目指すのは経済的な「第三の巨人」
独立を維持した状態で、経済的に全面協力

<これまでのヨーロッパの戦争を反省・・>
仏外相:シューマン
「地下資源豊富な地域をめぐって何度も争ってきた。特に独と仏は・・」アルザス・ロレーヌは普仏戦争、WW1、2で取り合い。→みんなで共有したらどうだ?
シューマン=プラン

↓↓ 独立は維持したまま、お互い経済的に協力する組織

ヨーロッパ共同体(EC)(1967)>
仏、西独、伊、ベネルクス3国、の6カ国

・ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)
・ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)ユラトム
・ヨーロッパ経済共同体(EEC)
→この3つが合わさってヨーロッパ共同体(EC)ができる。
VS
・ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)
の提案で発足。工業製品の共同市場。

拡大EC
1970年代:、アイルランド、デンマーク
1980年代:ギリシア、スペイン、ポルトガル(加盟12カ国に)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②アメリカもイギリスも嫌い?フランスの独自路線
第五共和政のスタート!フランスの新たな動き

(仏)
第四共和制・・議会重視
植民地(インドシナ・アルジェリア)の独立運動など、混乱
↓↓
第五共和制(1958~現在)>
ド=ゴール大統領(任1958~1969)
「強力な力が必要だ。俺が仏を立て直す!」
米英に追随しない。頼らない。
→大統領権限を重視
・核保有
・アルジェリア独立を承認(エビアン協定1962)
・中華人民共和国の承認
NATO軍事機構を脱退
↓↓
・五月危機(五月革命)
独裁を嫌う学生、労働者、市民らによる大規模な反ド=ゴール運動


(4)日本の成長と冷戦の転機
ポイント①ソ連がアメリカに歩み寄る!?
1950年代のソ連外交に大きな変化が訪れる

スターリンの死(1953)
→<フルシチョフ書記長(任1953~1964)>
「ソ連とアメリカ、世界は平和に共存できるはず」

スターリン批判(1956)
ソ連共産党第20回大会
↓↓
「雪どけ」>ソ連・エレンブルクの小説より
ジュネーヴ四巨頭会談(1955)
米・ソ・英・仏の首脳が平和共存を確認

・ソ連・西独国交回復

コミンフォルム解散(共産党情報局)

フルシチョフ訪米
ソ連のリーダーとして初めて訪米。
フルシチョフとアイゼンハワー
キャンプ・デービッド
↓↓
<ソ連支配に対する民主化運動>
ポーランド反政府反ソ暴動(ポズナニ暴動)
ゴムウカがポーランドの自主路線を約束して事態収拾(自主解決)

ハンガリー反ソ暴動(ハンガリー事件)→✕失敗
ナジ=イムレが首相に復帰
→ソ連の軍事介入により失敗。ナジ=イムレは処刑。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②「もはや戦後ではない」
1950年代以降、急激に成長する日本経済

<日本の経済成長>
特需・・朝鮮戦争
米軍の必需品を日本が生産・輸出→経済復興へ

日ソ国交回復(1956)「雪どけ」のタイミング
日本の国連加盟(1956)

・高度経済成長期(1950年代)

※ただし、ヨーロッパと違い、アメリカよりの外交。


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【41】米ソ冷戦の時代

【41】米ソ冷戦の時代
(1)第二次世界大戦後のヨーロッパ世界
(2)冷戦の始まり
(3)米ソ両陣営の軍事ブロック
(4)中国と朝鮮半島の行方
(5)東南アジア諸地域の独立
(6)南アジア・西アジアの独立


(1)第二次世界大戦後のヨーロッパ世界
ポイント①西ヨーロッパ世界の動向
世界大戦の痛手から復興を目指す

<イギリス>
チャーチル
アトリー内閣(任1945~1951)労働党
・重要産業国有化(イングランド銀行、石炭など)
・社会福祉制度の充実
「ゆりかごから墓場まで」

・エール、イギリス連邦離脱
アイルランドと改称

<フランス>
第四共和政(1946~1958)
議会制内閣を採用
フランス共産党が勢力拡大

<イタリア>
王政廃止
国民投票で王政が廃止され、共和政へ

イタリア共産党
西欧最大の共産党

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②東ヨーロッパ世界には大きな変化が!?
忍び寄るソ連の影響力

<東欧>
ソ連のおかげでナチスを追い出せた。なのでソ連の影響を受ける。ソ連の衛星国に。(言いなりに)
↓↓
人民民主主義
・ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア
・ユーゴスラヴィア
指導者:ティトー(自力でナチスを追い出した。ソ連とは距離を置く)

「鉄のカーテン」演説>
英・元首相チャーチル
シュテッティン(バルト海)からトリエステ(アドリア海)まで
→ソ連の「鉄のカーテン」


(2)冷戦の始まり
ポイント①アメリカの対ソ封じ込め政策とは?
ソ連の影響力拡大を防げ

(政治対立)
<資本主義陣営(アメリカ中心)>
封じ込め政策
トルーマン=ドクトリン(トルーマン宣言)
ギリシア、トルコを援助
両国の共産主義化を阻止

↓↓ 具体的なプラン

マーシャル・プラン(ヨーロッパ経済復興援助計画)
国務長官:マーシャル
全ヨーロッパ対象の経済援助を表明。

<社会主義陣営(ソ連中心)>
コミンフォルム(共産党情報局)の発足
ソ連がリーダー。東欧7カ国+伊仏の共産党。
他国に指示を出す。
途中、ユーゴスラヴィアを除名

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②資本主義陣営に衝撃がはしる!
共産党クーデタが発生

<資本主義陣営の動揺>
チェコスロバキア=クーデタ
共産党クーデタで当時の大統領が辞任
資本主義国→共産党政権が発足
(ナチスからチェコを解放したのはソ連だったため。)
↓↓
西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)
英・仏・ベネルクス3国(オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)の5カ国の軍事同盟


(3)米ソ両陣営の軍事ブロック
ポイント①ドイツをめぐるトラブルの発生!
東西ドイツへの分裂は回避不可能!

<東西ドイツの対立>
・西側管理地区・通貨改革(米英仏)
独立の準備を始める(ソ連に無断)
→ソ連がベルリン封鎖
西ベルリンへの交通を封鎖
↓↓
米は1年間、空輸で物資を運ぶ
↓↓
ベルリン封鎖解除。東西ドイツ、それぞれ独立。

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)
首相:アデナウアー(任1949~)
奇跡の経済復興

ドイツ民主共和国(東ドイツ)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②米ソ両陣営の経済・軍事同盟の成立
ますます対立を深める米ソ両陣営の行方・・

<東西両陣営の対立>
(経済対立)
ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)(資本主義)
マーシャル・プランの受け入れ機関
VS
コメコン(経済相互援助会議、COMECON)(社会主義)
ソ連と東欧6カ国
======
(軍事対立)
北大西洋条約機構(NATO)
アメリカ中心に12カ国加盟
西ドイツ再軍備→NATOに加盟
VS
ワルシャワ条約機構
ソ連の核実験成功。アメリカに次ぐ2番目の核保有国に。
ソ連中心の軍事同盟。NATOに対抗。


(4)中国と朝鮮半島の行方
ポイント①国民党vs共産党
第二次世界大戦後、中国を支配するのはどっち?

<内戦(国共内戦)>
中国共産党
指導者:毛沢東
地主の土地所有を廃止
→農民からの指示拡大
VS
中国国民党
指導者:蒋介石
→国共内戦に敗北
中華民国政府を台湾へうつす

中華人民共和国の成立(1949)
首都:北京
国家主席:毛沢東(任1949~1959)
(中国共産党・党首)
首相:周恩来(任1949~1976)

中ソ友好同盟相互援助条約(1950)
軍事、経済の同盟

・中華人民共和国の承認
建国直後にソ連、東欧、インドが承認

・土地改革
大地主から土地を没収→農民に分配

第1次五カ年計画(1953~1957)
ソ連の援助。
重工業の優先、農業の集団化

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②朝鮮半島の分断化
現在まで続く南北戦争の分断の原因とは?

日本の敗戦。朝鮮から撤退。
↓↓
米ソの分割占領
北緯38度線
大韓民国(韓国)
首都:ソウル
初代大統領:李承晩(りしょうばん/イ・スンマン)

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
首都:ピョンヤン
初代首相:金日成(きんにちせい/キム・イルソン)


(5)東南アジア諸地域の独立
ポイント①ベトナムの独立を認めないフランス!
インドシナ戦争の勃発とその後の展開

<戦後のベトナム>
・ベトナム独立同盟(ベトミン)
指導者:ホーチミン(社会主義
↓↓
ベトナム民主共和国の成立
ホーチミン
↓↓
仏は認めない。日本撤退後は仏が再度支配する。軍事侵攻。
↓↓
インドシナ戦争(1946~1954)>
仏✕ VS 〇ベトナム
ベトナム国の成立(南ベトナム・仏の傀儡国家)
首都:サイゴン
主席:バオダイ

ディエンビエンフーで仏軍が大敗
ジュネーヴ会議(1954)
ジュネーヴ休戦協定・・北緯17度線を暫定的な軍事境界線
↓↓
慌てたのはアメリカ。。このままでは社会主義になる・・。
東南アジア条約機構(SEATO)の結成
反共軍事同盟

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ベトナム以外の東南アジアの独立
旧宗主国からの独立を達成!

<東南アジアの諸島部>
インドネシア共和国独立
首都:ジャカルタ
初代大統領:スカルノ大統領(任1945~1967)
インドネシア国民党

フィリピン共和国独立
首都:マニラ

<東南アジアの大陸部>(から独立)
インドシナ戦争で仏が負けて出ていった
↓↓
カンボジア独立
首都:プノンペン

ラオス独立
首都:ビエンチャン

<東南アジアの大陸部>(から独立)
マラヤ連邦独立
ビルマ独立


(6)南アジア・西アジアの独立
ポイント①インドの独立達成!
統一インドを主張し続けたガンディーは・・

インド独立>(1947)
・インド連邦→インド共和国
首相:ネルー(国民会議派)(任1947~1964)

パキスタン共和国独立 イスラム教徒
総督:ジンナー(任1947~1948)
(全インド=ムスリム連盟)
(※パキスタンは東・西に飛び地だった。東パキスタン→後のバングラデシュに)

スリランカ(セイロン)独立

第1次インド=パキスタン戦争(1947~1949)
カシミール帰属問題(インド北)
住民はイスラーム教徒。王はヒンドゥー教徒。

ガンディー暗殺(1948)
戦争をやめるように訴えた。
同じヒンドゥー教徒に弱腰だと言われ、暗殺される・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②西アジア諸地域の動き
戦後も欧米諸国の思惑に振り回される中東

<イラン>
WW2中、王朝パフレヴィー朝は英米にすりよる外交。(親米・親英)
石油を英米に安く渡していた。
↓↓
WW2が終わると
・首相:モサデグ(任1951~1953)
石油を国有化=資源ナショナリズム
「石油はイランのものだ!」
→英の石油会社の施設を接収
→国王派のクーデタで失脚
↓↓
国王パフレヴィー2世
「上からの近代化」を推進(英・米の支援
貧富の差が拡大

======
パレスチナ>(国ではなく地域)
アラブ人(多)、ユダヤ人(少)が住む。
英が委任統治していたが放棄
↓↓
アラブ諸国連盟の結成
アラブ連盟
↓↓
パレスチナ分割案が国連総会で可決
パレスチナをユダヤ人地域とアラブ人地域に分割。
面積は半分ずつ。ユダヤに有利に。
↓↓
イスラエル建国(ユダヤ人国家)(1948)
↓↓
アラブ人が不満。
・パレスチナ戦争(第1次中東戦争)(1948~1949)
イスラエル+米〇 VS ✕アラブ諸国連盟
↓↓
100万人のパレスチナ難民
(→イスラエルに追い出されたアラブ人)

 


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【38】戦間期のアジア諸地域

【38】戦間期のアジア諸地域
(1) 新文化運動と中国の民衆運動
(2) 北伐と中国共産党の動向
(3) 朝鮮と東南アジアの民族運動
(4) インドの民族運動
(5) トルコ革命
(6) イスラーム諸国の動向


当時植民地にならなかったのは日本とタイだけ。(中央集権化が進んでいたのも一因)。ほとんどのアジアは欧米列強に支配された。第一次世界大戦のあと、戦争でヨーロッパが弱っている、今が独立のチャンスと思った。

(1)新文化運動と中国の民衆運動
ポイント①中国国民を巻き込む一大運動へ!
北京大学の教授陣が中心となった啓蒙運動

新文化運動(文学革命)
北京大学
教授陣が民衆の啓蒙化に尽力。

陳独秀(→後に共産党を創始)
『新青年』
雑誌刊行
「民主主義と科学」をスローガンに。
中国の旧体制、儒学を批判。

胡適(こせき・こてき)
白話(はくわ)文学運動 文語⇒口語

李大釗(りたいしょう)
マルクス主義研究会の創設。中国に社会主義、共産主義を伝える。

魯迅(ろじん)日本の東北大学医学部に留学
『狂人日記』『阿Q正伝』民衆への啓蒙

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②国民党と共産党の協力体制の完成!
孫文が目指した中国の国民革命

<五・四運動(1919)>
パリ講和会議で二十一カ条要求取り下げ認められず
↓↓
北京大学の学生を中心に大規模なデモが発生
→全国的な反帝国主義へ発展。
反欧米、反日、反軍閥政府。
↓↓
軍閥政府はヴェルサイユ条約調印を拒否

中国国民党を結成(資本主義的)
孫文。大衆政党。金持ちの味方。

中国共産党を結成。(社会主義的)
初代委員長:陳独秀。上海で。貧しい人の味方。
(※毛沢東は途中からリーダーになった。)
↓↓
2つの党は相反する主義だが、目的は同じ
「外国を追い出して、中国国民のための国を作る」
↓↓
第1次国共合作(1924)
国民党と共産党が力を合わせる。
孫文「連ソ・容共・扶助工農
(共産党を受け入れよう。中国の工業・農業を育てよう。)
国民革命の遂行(軍閥打倒
まず外国の言いなりになっている軍閥を倒す。そのあと外国勢力を追い出そう。


(2)北伐と中国共産党の動向
ポイント①北京にいる軍閥を倒せ!
国民党と共産党がともに立ち上がるが・・

孫文の死(1925)

五・三〇(ごさんじゅう)運動(1925)>
上海で労働者がスト。英人警察が発砲してしまった。
→再び全国的な反帝国主義運動へ拡大。(外国出てけ。軍閥倒せ。)

北伐(1926)
=「京にいる軍閥を倒せ!つ!」という動きのこと
国民党と共産党は広州(広東かんとん)国民政府を樹立。

2つのルートに分かれて北へ向かう
・国民党右派(反共的)指導者:蒋介石
・国民党左派(容共派)指導者:汪兆銘
↓↓
上海クーデタ(1927)
蒋介石共産党員を虐殺する。
帝国主義勢力や地主・浙江(せっこう)財閥と結託。
(蒋介石自体も浙江財閥の出身)
↓↓
国共分裂
国民党と共産党の関係が悪化
↓↓
南京国民政府(国民党のみで結成)
別ルートに行った国民党左派を南京に呼び寄せる。国民党だけで北伐する。(共産党は逃げる)

当時の軍閥は奉天派と呼ばれ、日本の操り人形。
リーダーは張作霖。蒋介石の北伐に日本は焦る。
↓↓
山東出兵(1927~1928)
日本が山東省に出兵。北伐軍(蒋介石)を邪魔したい。
→しかし蒋介石はひょいとかわし北京に入り、軍閥を倒す。
↓↓
張作霖(軍閥のリーダー)
北伐軍(蒋介石)に敗れて逃亡
↓↓
張作霖爆殺事件(奉天事件)(1928)
日本の関東軍がやった。口封じ。
↓↓
息子の張学良が北伐軍(蒋介石)に降伏
北伐完成
↓↓
南京国民政府が中国の実験を掌握

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②中国共産党の「草の根」運動!
都市から農村へ、共産党は活動場所を変えた。

上海クーデタ後の共産党
紅軍の創設(共産党の軍隊)

中華ソヴィエト共和国臨時政府の成立
主席:毛沢東
都:瑞金(ずいきん)
都市から農村へ。


(3)朝鮮と東南アジアの民族運動
ポイント①朝鮮でおきた「民族自決」を求める動き!
日本の朝鮮総督府、統治方法を転換

・韓国併合(1910)
朝鮮は日本領土に。

朝鮮総督府 支配機関(天皇直属)
武断政治の実施
軍隊・力による韓国支配。
↓↓
三・一独立運動(1919)
第一次世界大戦後のパリ講和会議の民族自決の原則に触発。
朝鮮各地で民衆デモが拡大(※五・四運動より先。同年)
↓↓
朝鮮総督府は焦る・・。
文化政治へ移行
早く日本人にする。日本語や日本文化を強制。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②東南アジアの民族運動!
アジアで最初の「ある組織」が結成

ビルマ(ミャンマー)の独立運動
英領インド帝国(インドの東隣)

タキン党
ビルマの即時完全独立を要求。英の支配を終わらせるのが目的。
指導者:アウン=サン
(現在でもミャンマーでは民族的英雄として崇められている。娘はアウン・サン・スーチー。WW2後、軍部独裁の中、自由と民主化を呼びかけた。ノーベル平和賞)
==============
インドネシア独立運動
オランダ領東インド

インドネシア共産党の結成
(→アジア初の共産党。初は中国ではない。ロシア革命の影響)

インドネシア国民党
指導者:スカルノ
(第3夫人:デヴィ夫人)
==============
インドシナ民族運動(ベトナム、カンボジア、ラオス)
仏領インドシナ

・ベトナム青年革命同志会
↓↓ 発展
インドシナ共産党
指導者:ホー=チ=ミン
労働者・農民に支持を拡大

==============
フィリピン民族運動
フィリピン独立の約束。
フランクリン・ローズヴェルト
フィリピン独立準備政府(武力ではなく平和的に独立)


(4)インドの民族運動
ポイント①インドを裏切ったイギリスに反発!
「非暴力」「不服従」の抵抗運動

<第一次世界大戦中のインドの動き>
国民会議派
ヒンドゥー教徒。人口の80%。反英。
VS
全インド=ムスリム連盟
イスラーム教徒。人口の10%。(英が作った)
大戦中は一時的に反英化。
大戦でオスマン帝国と敵対。
ムハンマドの代理人カリフがいたため。
↓↓
2つは対立していたが、協力関係に。手を結んで反英運動に。
↓↓
焦った英は・・戦後自治の約束。
インドは英に協力した。
↓↓
しかし・・戦争後
ローラット法の制定(1919)
令状なしの逮捕裁判なしの投獄など。)
自治は反故にされる。インド国民は怒り爆発!
↓↓
アムリットサール事件(1919)
英への抗議集会。武力で弾圧される

ガンディーの抵抗運動(1919~1922)
非暴力・不服従
英への抵抗運動。→全インド国民に呼びかけ拡大。
サティヤーグラハ(真理の把握)」を掲げる。
(=「私たちは正しいことを知っている」)

・ラホール大会
国民会議派:ネルー
完全独立(プールナ=スワラージ)
を要求
「自治」ではなく「独立」!英出ていけ

第2次非暴力・不服従運動(1930~1934)
「塩の行進」
英の塩の専売法に反対

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②焦った!イギリス
インドをなだめようとするも・・

イギリスの懐柔策

英印円卓会議の開催(1930~1932)
開催地:ロンドン
ガンディーは1回だけ参加するも、あとは国民会議派はボイコット。
↓↓

新インド統治法(改正インド統治法)(1935)
連邦制と各州の自治制を導入。
↓↓
ネルーは自治ではなく完全独立(プールナ=スワラージ)を要求!
インドの民族運動に拍車を掛ける。


(5) トルコ革命
ポイント①無力なオスマン帝国を滅ぼせ!
国民は弱腰なオスマン帝国に愛想を尽かす・・

オスマン帝国の降伏
第一次世界大戦に参戦。同盟国側敗北
↓↓
連合軍に支援されたギリシア軍がイズミル(トルコ内)に侵入・占領。(皇帝は容認)

セーヴル条約(不平等条約)
領土の大部分を喪失、主権の制限、軍備制限、治外法権。

↓↓ 弱腰の政府に反発!

ムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)
アンカラで臨時政府を樹立。
侵入ギリシア軍との戦い。→成功

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②共和政トルコの新たな改革!
西欧風近代国家を目指せ

共和制トルコ
ムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)

スルタン制廃止(1922)→オスマン帝国の滅亡
スルタン=オスマン皇帝。トルコの国民が立ち上がって弱腰なオスマン帝国を倒した。
↓↓
ローザンヌ条約の締結(1923)
セーブル条約に変わる新しい連合国との講和条約。イズミル回復。軍備制限や治外法権の撤廃。
↓↓
トルコ共和国の成立(1923)
(都:イスタンブルから→アンカラに変わる)

・ムスタファ・ケマルが初代大統領になり、西洋的な近代化を目指す。

カリフ制廃止(カリフ=イスラーム世界のリーダー)
政教分離・・イスラム国家の中では政教分離は珍しい

女性解放

文字改革 ローマ字採用
コーランの文字、アラビア文字⇒ローマ字へ。識字率アップ

・尊称:「アタテュルク(トルコの父)」と議会から称号を付与。

 


(6)イスラーム諸国の動向
ポイント①イギリス支配からの脱却を目指せ
エジプト・イラン・アフガニスタンの動向・・

エジプト
ワフド党(「代表」の意)の結成
エジプトの英からの独立をめざす。

エジプト王国の「条件付き」独立(1922)
英はエジプトの防衛権を保有。英の軍隊がエジプト内にいる。(軍事占領)
↓↓ 軍、出ていって・・

エジプト=イギリス同盟条約(1936)(完全独立
エジプト国内の軍事占領は終了。スエズ運河地帯駐屯権を承認。

============
イラン
カージャール朝
第一次世界大戦前、(北)と(南)に支配されていた
WW1中は両国に占領。→ロシアは革命で抜ける。英の支配
↓↓
英の言いなりの王朝をつぶして、英に出ていってもらおう
↓↓
パフレヴィー朝
建国者:レザー=ハーン(位1925~1941)
英との不平等条約を撤廃!
国号をペルシアから⇒イラン

============
アフガニスタン>インドの北
WWⅠ前 英の保護国
↓↓
第3次アフガン戦争
英✕ VS 〇アフガニスタン
↓↓
アフガニスタン独立(1919)
英はあっさり認める。
インドで独立運動が起こっていてそちらで手一杯。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②現在まで続く、中東問題の諸悪の根源!
ここに原因あり!

<第一次世界大戦中のイギリス外交>
英の3つの秘密条約
[1]フセイン=マクマホン協定
アラブ人国家建設を約束

[2]サイクス・ピコ協定
トルコ領を英仏露で分割

[3]バルフォア宣言
パレスチナ(トルコ領)にユダヤ人国家の建設を支援
↓↓
委任統治(中東地域)
戦後、英仏の委任統治になった。
の管理(北)
シリア、レバノン
の管理(南)
パレスチナ、トランスヨルダン、イラク

英仏が民族、宗派関係なく勝手に国境を引いた。WW2後その国境線のまま独立してしまった。これが今でも中東地域の情勢を不安定にしている要因。
↓↓
・イラク王国独立
・レバノン独立
(WWⅡ後)
・ヨルダン王国独立
・シリア独立

パレスチナ
アラブ人 VS ユダヤ人
この対立を英は無視し続けた。
WWⅡ後、英は手放し、国連に渡す。

 


 

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【33】帝国主義と東アジア(中国・朝鮮)

【33】帝国主義と東アジア
(1)中国分割と近代化運動の行方
(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
(3)朝鮮の行く末と清末の改革
(4)辛亥革命
・義和団事件1900→8カ国共同出兵→北京議定書1901
・日露戦争1904→ポーツマス条約1905


(1)中国分割と近代化運動の行方
ポイント①日本に負けた!?植民地化がさらに加速!
日清戦争後の中国の状況は?

中国分割
借款(しゃっかん)を行う=「借金」のこと
日清戦争への賠償金を払うために欧から借りる。担保として鉄道敷設(ふせつ)権鉱山採掘権を奪われる。

租借(そしゃく)・・他国の領土の一部を条約によって借りること(事実上の領土割譲)(ジャイアン・・。一生借りてるだけだぞ。)

米は米西戦争(1898)で中国に構ってるひまがなかった。出遅れて焦った
↓↓
門戸開放宣言
門戸開放・機会均等・領土保全(米も入れてくれ)
米・国務長官ジョン・ヘイ

租借地>借りると言いつつ、ほぼ領土割譲
 独 膠州湾(こうしゅうわん)
 露 遼東(りょうとう)半島南部。旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)
 英 威海衛(いかいえい)、九竜半島(クーロン/きゅうりゅう)
 仏 広州湾(こうしゅうわん)
 日 遼東半島南部(旅順・大連)(※日露戦争で日本に移る)
<勢力圏>影響力を持っていた地域 鉄道敷設権
 独 山東省(さんとうしょう)
 露 満州・モンゴル 東清鉄道
 英 長江流域
 仏 広東・広西・雲南省
 日 福建省 南満州鉄道

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②日本にならって近代化を!
中国で芽生えた本格的な近代化運動

変法運動
日清戦争に負けた中国はショック!
↓↓
近代化運動へ・・(皇帝中心)

・11代 光緒帝(こうしょ/ちょてい)(位1875~1908)
康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう) などの、官僚らが日本の明治維新を模範にする。公羊学(くようがく)派。

憲法を立てて、皇帝を立てる=立憲君主制をめざした。(皇帝が好き勝手に政治をするのではなく、憲法やルールにのっとって政治をする。)

戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)
立憲君主制をめざし憲法制定に動いたが・・
↑↑(弾圧)
戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)(1898)
西太后(せいたいこう)など保守派が改革を弾圧。改革は失敗に終わる。光緒帝は幽閉状態へ・・。


(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
ポイント①外国勢力は出ていけ!中国で起きた排外運動
義和団事件とその結果は・・

「外国勢力、全員出ていけ!」
・仇教運動(きゅうきょううんどう)
反キリスト教(反ヨーロッパ)運動

・義和団事件(白蓮教系の宗教結社)(北清事変)(1900~1901)
扶清滅洋(ふしんめつよう)」・・を助けて、を追い出そう。
排外主義

ドイツ人宣教師が殺害✕→ドイツが山東へ進出。武力鎮圧。
↓↓
清は「こいつら使える・・」と、この義和団を使って欧を追い出そうとした。
↓↓
義和団が北京占領。独公使、日公使を襲う。
清「欧米日かかってこいやー!」西欧列強に宣戦布告。(西太后)
↓↓
8カ国共同出兵

「ほな、やったろかい」英仏独米露日伊墺。そうそうたるメンバー集結。
↓↓
清・義和団敗れる。北京占領される。
↓↓
北京議定書(1901)
・巨額の賠償金。
北京駐兵権(軍事占領)⇒中国半植民地化になる・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②日本とロシアの狙った場所が同じ!?
日露戦争へとつながる両国の帝国主義政策とは・・

<ロシアの中国東北進出>
義和団事件のあと、日本とロシアの仲が急速に悪化・・。

・ロシアの満州占領
義和団事件が終わったのに、ロシア満州から軍をひかない。中国東北地方朝鮮半島まで狙ってる・・?(『はいからさんが通る』)

※朝鮮は日清戦争1894で独立し、国名を大韓帝国(だいかんていこく)に。清の影響から抜けた独立国とアピール。日本が狙っていた。

ロシア満州・大韓帝国の取り合い。
↓↓
日露戦争(1904~1905)
日本の攻撃で始まる。

日本海海戦で日が勝つ。
ロシアの海軍バルチック艦隊を破る。

↓↓ そんな中、、ロシア国内で

第1次ロシア革命
ロシアは革命で戦争をやめたい。日本もお金が厳しい。
↓↓
米・セオドア・ローズヴェルト大統領が仲介。
↓↓
ポーツマス条約(1905)(米)
→中国東北(満州)・大韓帝国(朝鮮)を日本が得る

大韓帝国指導・監督権を日本が得る。
・ロシアは中国東北から撤退。遼東半島南部の租借権をロシアから日本に渡す。(⇒関東州と呼ぶようになる。)(※遼東半島は日清戦争で日本が取得したが三国干渉で返したところ。ここを再度取り返した。)
・遼東半島に接続する南満州鉄道敷設権(ふせつけん)、周りの利権を日本が得る。
南樺太をロシア→日本に渡す。


(3)朝鮮の行く末と清末の改革
ポイント①日本の朝鮮支配完成
日露戦争後の日本の挑戦支配の動向

・日韓協約(1904~07)
(第1次は日露戦争のさなか。)

第2次日韓協約(1905)
韓国の保護国化外交権を朝鮮から奪う。
初代統監:伊藤博文(いとうひろぶみ)
↓↓
反日義兵闘争の激化

ハーグ密使事件(1907)
高宗が第2回万国平和会議(オランダ)に密使を派遣。日本が不当な支配をしていると訴えた⇒失敗
↓↓
第3次日韓協約(1907)
韓国は内政権を喪失。
↓↓
伊藤博文暗殺(1909)
ハルビン駅で安重根(あんじゅうこん)に暗殺される。(韓国の切手にもなっている。)

↓↓ 日本は強硬手段に出る

韓国併合(1910)
韓国という国は消え、日本領土に組み込まれた。
朝鮮総督府が設置。(天皇直属機関)
軍事・行政を統括していく。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②清朝末期の最期の「あがき」とは?
光緒新政の「本音」と「建て前」

義和団事件のあと・・
<清末の改革>
光緒新政(こうしょしんせい)・・国内改革
(戊戌の政変で光緒帝は捕らえられている)
新軍の整備(西洋式軍隊)
科挙の廃止(隋から続く)→北京大学創設(官僚育成)
憲法大綱(たいこう)の発布。
日本の明治憲法を模範(強力な君主権)
国会開設公約

「日本の大日本帝国憲法は、天皇大権(たいけん)という強い権力がある。」
↓↓
「建前は国内改革と言ってるが、本音は皇帝や貴族のためでは・・?日本をモデルにすると皇帝の力が強いままになるのではないか。。」
↓↓
「それならもう満州人を追い出して、皇帝も追い出して、自分たち民衆のための漢民族の国を作りたい。」
↓↓
革命派の台頭
留学生が中心。
華僑が資金を出す。

革命派のリーダー
孫文
興中会
の結成。
↓↓
他の革命団体も一緒に団結しよう。
中国同盟会の結成(1905)
東京で結成。日露戦争に刺激を受けた。機関誌『民報

(中国同盟会の理念)
三民主義
民族の独立(漢民族の独立)
民権の伸長(一般民衆の権利を認めよう)
民生の安定(人々の生活の安定)


(4)辛亥革命
ポイント①皇帝政治を終わらせ、民に力を!
中国2000年の皇帝政治の終焉

辛亥革命(1911~12)
(きっかけ)清が幹線鉄道の国有化を宣言。
これを担保に外国からお金を借りようとした。そんなことをしたらさらに中国の植民地化が進む・・。
↓↓
四川暴動
市民が四川省で暴動。清は軍隊を派遣したが、その軍が清を裏切った。
↓↓
武昌蜂起(1911)
湖北省の湖北新軍の革命派が武昌で蜂起。色んな省でも独立を宣言。

↓↓ これら各省の代表者が集まり合体した。

・中華民国建国(1912)
臨時大総統:孫文
都:南京
(黃河、長江沿岸あたり)
↓↓
はまだ北に残ってる。清は中華民国をつぶそうとしている。
↓↓
清の大臣、袁世凱(えんせいがい)が孫文と取引を行い、清を裏切る。「その代わり私を中華民国のリーダーにしてください」

→「中華民国の軍は整っていない。戦っても清の軍に負けるだろう・・。」孫文は受け入れる。

→清の最後の皇帝・12代宣統帝(溥儀)が退位(1912)(ラストエンペラー)

清が滅亡(277年の歴史)。2000年の皇帝政治が終わる・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②新生!中華民国の抱えた苦悩
皇帝政治が終わっても民が虐げられる時代へ・・

中華民国
臨時大総統:孫文→袁世凱が就任(1912)
首都:南京⇒北京へ移す。(袁世凱の本拠地)
民衆のためではなく独裁色を強める。
↓↓
袁世凱の暴走を防ぐべく国民党の結成。
中国同盟会が中心。
↓↓
・第二革命(1913)
〇袁世凱の独裁  VS  ✕国民党(→解散させられた)
正式な大総統に就任。袁世凱は皇帝になろうとした。
↓↓
・第三革命(1915)
袁世凱帝政  VS 〇国内の軍部(袁世凱の元部下)、革命派、日本、欧。
↓↓
袁世凱は帝政取り消し。数ヶ月後、病死・・。その後も民主政治にはならず軍部が力を握る。
↓↓
軍閥(軍事政権)の割拠。
軍部が力を持ち抗争する。北京政府の実権をめぐって争う。


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【29】中国と朝鮮の植民地化

【29】中国と朝鮮の植民地化
19C後から欧や日に侵略されていく
(1)アジア三角貿易とアヘン戦争
(2)アロー戦争と太平天国の乱
(3)ロシアの極東南下と洋務運動
(4)日本の朝鮮進出


<清>
・アヘン戦争(1840)⇒南京条約(1842)
・アロー戦争(1856)⇒天津・北京条約(1860)
↓↓重税
・太平天国の乱(1851~64)洪秀全「滅満興漢」
・洋務運動(1860~90)「中体西用」
<朝鮮>
・江華島事件(1875)⇒日朝修好条規(1876)
・壬午軍乱(1882)⇒閔氏への反乱。閔氏が日から清に傾く。
・甲申政変(1884)開化派(親日)クーデター⇒清に制圧される。
・甲午農民戦争(東学党の乱)(1894)⇒日清戦争(1894)⇒下関条約(1895)⇒三国干渉(1895)


29-ガイダンス
18C後~19C
<中国>
なぜ中国は侵略されていくのか?
・英が産業革命⇒市場を求めて中国(広い領土・多い人口)に進出したい。当時、中国はであふれて世界一お金持ち。

・英は中国を武力で開国⇒アヘン戦争・アロー戦争⇒賠償金から農民への重税へ。⇒農民反乱(太平天国)

中国が弱ってるなら今がチャンス・・!
ロシアの南下⇒洋務運動(国内改革)。

<朝鮮>
日本が朝鮮進出。朝鮮が弟。兄貴分の中国と日本が対立。⇒日清戦争へ・・


(1)アジア三角貿易とアヘン戦争
ポイント①当時のイギリスと中国の貿易をみる
中国社会を腐敗させた恐るべき貿易品・・

清の国内混乱と対外貿易

18C。清の4康熙帝、5雍正帝、6乾隆帝の全盛期は過ぎていた・・
<中国の国内状況>
白蓮教徒の乱(暴動)(1796~1804)
・貿易港は広州1港に限定。
公行(こうこう)=貿易独占の特許商人組合。

<英と中国の貿易関係>
(片貿易)・・物と銀の交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒清 
「英の銀がなくなる・・そうだ!」
 ↓↓
アジア三角貿易>・・物々交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒印 綿製品
・印⇒清 アヘン(お茶代を銀の代わりにアヘンで支払う)
→中毒・需要増大
→アヘン密輸。支払いはで。
→清から銀が流出。英は銀の回収に成功

英は東インド会社の中国貿易独占権廃止⇒民間貿易会社も中国へ行けるようになる。⇒アヘンを売りにいく。
↓↓
英から使節(英が自由貿易を求める⇒交渉決裂✕)
マカートニー・・乾隆帝に謁見。乾隆帝は拒否。
アマースト・・頭を下げない(自由で対等な関係を求める)。謁見できず⇒「力づくでやるしかない・・」

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②中国の植民地化が開始!アヘン戦争
圧倒的なイギリスの強さの前に中国は屈服・・
 
林則徐(りんそくじょ)
アヘンの没収と焼却など。
・中国人密貿易者の処罰
・英商館区の封鎖
 ↓↓
英は「待ってました・・!」これを口実に戦争をしかける。
アヘン戦争(1840~1842)
清が圧倒的に敗北
 ↓↓
南京条約
(1842)
・1港(広州)⇒5港に。+上海、厦門(あもい)、福州、寧波(にんぽう)。中国の南側
公行廃止
・英に香港を割譲
賠償金の支払い⇒民衆に重税
 ↓↓
<不平等条約>
治外法権(領事裁判権)の承認
関税自主権の喪失=安い英製品をそのままの値段で売らなければいけない。
租界の設置。外国人居留地。初めて上海に設置。(英の領土のよう)

<他国とも不平等条約>
対英 虎門寨追加条約 (こもんさい)
対米 望厦条約 (ぼうか)
対仏 黄埔条約 (こうほ)


(2)アロー戦争と太平天国の乱
ポイント①また戦争!?イギリスの不正義な戦争
アロー戦争の結果、中国はどうなる?

「戦争に勝ったけど貿易でもうからないな。港の数増やす?」

アロー号事件(1856)
清朝の警察に中国人船員が海賊容疑で逮捕。アロー号は英の国旗を掲げていた。英に許可を得ず逮捕したのは英を侮辱している!という口実。英は仏・ナポレオン3世を誘って戦争をしかける。
↓↓
アロー戦争(1856~1860)
英・仏〇 VS ✕清
↓↓
天津条約
清が発砲してしまう。戦争再開。
↓↓
・英仏軍が清の都・北京を占領。
・皇帝の離宮・円明園(えんめいえん)を破壊。(伊カスティリオーネ(郎世寧/ろうせいねい)が設計。ヴェルサイユ宮殿を手本)
↓↓
北京条約(1860)
・外国公使の北京駐在(大使館)⇒総理各国事務衙門(がもん)(=外務省)の設置。
キリスト教布教の自由。
南京を含む10港の開港。+天津
・英に九龍半島の南部を割譲
・賠償金⇒重税へ

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②農民への重税で起きた大反乱
清を倒して新しい国づくりを・・

アヘン(1840)、アロー(1856)戦争による農民への重税
↓↓
太平天国の乱
(1851~1864)
洪秀全。「滅満興漢(めつまんこうかん)」

・「神の声を聞いた。天国を樹立する。清(満州人)は滅びるべきだ。」キリスト教の影響。
拝上帝会(キリスト教の結社)。太平天国の建国。
南京を占領⇒天京(てんけい)。

天朝田畝制度(てんちょうでんぽ)。土地を均等に配分。地主廃止
男女平等、纏足(てんそく)廃止・辮髪(べんぱつ)廃止
↓↓
地主が反対。義勇軍・郷勇(きょうゆう)を作る。
湘軍(しょうぐん)・曾国藩(そうこくはん)
淮軍(わいぐん)・李鴻章(りこうしょう)

常勝軍・・ウォード(米)、ゴードン(英)
↓↓
太平天国の乱は鎮圧される。

ロシア「ふーん、中国今弱ってるな~・・」


(3)ロシアの極東南下と洋務運動
ポイント①凍らない港を求め、ロシアが中国を狙う!
ロシアは黒海・地中海方面から→中国方面南下へシフト

【ロシアの極東南下】
4つの条約
[1]アイグン(愛琿)条約(1858)露と清
ロシア・東シベリア総督:ムラヴィヨフ
黒竜江(こくりゅうこう)(=アムール川)以北をロシアとする。
海岸線まであと少し。

[2]北京条約(アロー戦争の調停の代償)(1860)露と清
沿海州(えんかいしゅう)(=ウスリー江以東)の獲得。
(ついに海岸線にたどり着いた!)
・要塞ウラジヴォストーク港を建設

[3]樺太・千島交換条約(1875)露と
(対日)ロシアは樺太全島を獲得(沿海州の真向かい。北海道の北)。                                                                                                                                      千島列島は日本にあげる。

[4]イリ条約(1881)露と清
中央アジア方面に降りるときに。東トルキスタンの一部をロシアが獲得。保険をかけていた。

ーーーーーーー
ポイント②このまま黙っているわけにはいかない!中国の改革運動
ヨーロッパの技術。産業を導入するも・・

【中国・洋務運動(改革)】(1860~1890)

中国「ロシアめ・・。このまま黙ってるわけにはいかない・・」

同治の中興」(中興=安定)
同治帝(摂政は母の西太后)時代

中体西用(ちゅうたいせいよう)」基本精神
国の制(=皇帝独裁・儒学)維持にあたり、西洋の軍事・産業技術(だけ)をいる。富国強兵。
↓↓
中心人物(洋務派)曾国藩・李鴻章(太平天国の乱を鎮圧した2人)
欧風な町並みに。。
→しかし・・清仏戦争、日清戦争のどちらも清が負ける。根本的な富国強兵にはなってなかった。ものまね改革で止まった。


(4)日本の朝鮮進出
ポイント①朝鮮の開国と閔氏の心変わり
日本の朝鮮半島進出と中国との対立

<朝鮮国内の状況>
19C後。国王・高宗(こうそう)←力がない。
后:閔妃(びんひ)。奥さんの一族:閔氏(びんし)。

閔氏(妻の一族)はおいしい思いができると期待していたが・・高宗は力がなく、父の大院君(たいいんくん)が力を持っていた。

⇒閔氏は面白くない。日本と組んで大院君を失脚させた。
⇒日本はそれをきっかけに朝鮮進出
(古代中国で跡目争いで騎馬民族に助けを請うて、あとで乗っ取られるのと似てる・・)

↓↓ 
閔氏の独裁

江華島事件(1875)
日本の船が朝鮮から砲撃を受けた。朝鮮に開国を迫る。
↓↓
日朝修好条規
(1876)
朝鮮・自主独立
3港の開港(釜山/ぷさん・元山/げんさん・仁川/じんせん)
・日本の領事裁判権を承認
↓↓
「閔氏独裁になってから日本が来るようになった・・。前の大院君の方がよかったよ。。閔氏ひっこめ!」
↓↓
壬午軍乱(じんごぐんらん)(1882)
大院君軍による閔氏への反乱。←日・清が鎮圧。

<対応の違い>
清:大院君をつかまえる。閔氏を支援
日:閔氏・朝鮮側へ多くの要求。賠償金払え。
↓↓
閔氏は日本と手を切ってに傾く・・。

朝鮮は真っ二つに
事大党(親清)閔氏ら(保守派)が中心
VS
開化派(親日)留学生金玉均(きんぎょくきん)。日本に学び、近代化を目指す。
↓↓
甲申政変
(こうしんせいへん)(1884)
開化派のクーデター。日本の武力を借りて武装蜂起。閔氏を追放
→清に鎮圧される。
↓↓
朝鮮をめぐって日本がバチバチに・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②朝鮮国内の動乱と日清戦争
朝鮮が国際的に独立国であることが承認される

<朝鮮末期の新思想>
・西学・・キリスト教
東学・・民間信仰+儒教・仏教・道教
創始者・崔済愚(さいせいぐ)
⇒東学の信者はアジア以外、外国を嫌うように。。
↓↓
甲午農民戦争
(こうごのうみんせんそう)(1894)=東学党の乱
「外国勢力は出ていけ!」
朝鮮南部。全琫準(ぜんほうじゅん)の暴動。
→清に助けを求める。が出兵。日本も出兵。
↓↓
日清戦争(1894~95)日〇 VS ✕清
↓↓
下関条約
(1895)
朝鮮独立(清はもう関係ない=清は宗主権放棄)が承認
・日本は清から台湾、澎湖(ほうこ)諸島、遼東半島を獲得。
・開港場での企業の設立
↓↓
三国干渉(1895)
ロシア「おい日本。朝鮮を通って何中国に来ようとしてんだ・・。その遼東半島はオレが狙ってるんだよ!」ロシア・独・仏がクレーム
→遼東半島は清に返還。ロシアへの恨み。臥薪嘗胆
↓↓
閔妃はロシアに接近。→日本は閔妃を殺害(1895)
朝鮮をめぐって日本とロシアとの関係悪化・・。

 


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【16】中国周辺地域史

【16】中国周辺地域史
(1)モンゴル高原・内陸アジア
(2)チベット・雲南地方
(3)朝鮮半島の分裂の時代
(4)朝鮮半島の統一の時代
※中国が文化の発信地。中国の王朝をセットで覚える。


(1)モンゴル高原・内陸アジア
ポイント①中国を苦しめた最恐の民族!
匈奴の中国侵入

【中国:秦・漢】
匈奴(B3~1C)
騎馬遊牧民。機動性に富んだ高い軍事力。

スキタイ(B6~B3C)(イラン系)
南ロシアの草原地帯。後世の騎馬遊牧民に影響。

冒頓単于
匈奴の全盛期。前漢の高祖を破る(B200)。
↓↓
・前漢の武帝に敗れて衰退(B129)
・匈奴の東西分裂(B1C)
東匈奴(内モンゴル)→漢に服属
西匈奴(天山山脈)→漢に敗れて滅亡
↓↓
・東匈奴の南北分裂(1C)
南匈奴→後漢に服属
北匈奴→後漢の攻撃を受ける(モンゴル高原)
→ヨーロッパ方面へ西走?(末裔がフン族に?)

ポイント②後漢から唐にかけて中国に侵入した民族
鮮卑・柔然・突厥・ウィグル

【中国:後漢~魏晋南北朝】
鮮卑(2~5C)
五胡の一つ。拓跋氏が北魏を建国。
「カガン(可汗)」の称号(君主)を使用→「ハン」につながる

柔然(5~6C)
北魏・太武帝と対抗

【中国:隋・唐】
トルコ人は中央アジア、西アジアへ移っていった。

突厥(6~8C)トルコ系
・柔然を破る
・ササン朝のホスロー1世とともに、エフタル(イラン系・トルコ系)を滅ぼす→西へ進み、中央アジアまで進出。
突厥文字・・北方遊牧民最古
・隋の時代に東西に分裂

ウィグル(8~9C)トルコ系
・安史の乱では唐を助けた
・中央アジアあたりまで西進
ウィグル文字
マニ教を国教化(後にイスラーム教
・軍事に長けていた←イスラーム王朝が軍人奴隷(マムルーク)として採用。西アジア各地に輸出。

 


(2)チベット・雲南地方
中国の西や南

ポイント①中国?インド?どっちの影響が強い?
チベットの歴史

<チベット>
中国とインドの間。インドの影響が強い。

吐蕃(とばん)(7~9C)
(都:ラサ)
ソンツェン=ガンポ(建国)
チベット文字
インドの文字を元に制作

<中国は【唐】>
・インド・中国の仏教文化を導入
チベット仏教
インドの大乗仏教にチベットの民間宗教が融合。(7C)

ーーーーーーー
・パスパ(高僧)(13C)
フビライに従事。チベット仏教が中国に伝わるきっかけとなる。
↓↓
ツォンカパの改革(14C)
腐敗したチベット仏教を立て直す。
ツォンカパの改革以降、チベット仏教を「黄帽派(こうぼうは)」と呼ぶようになる。

・ダライ=ラマ
チベット仏教のリーダー。政教一致の最高権力者
ポタラ宮殿(ラサ北西)に住む。

ポイント②雲南地方ってどんな地域?
モンゴル時代に中国領土になったわけ

<雲南地方>
中国から東南アジアへの出入口

2つの国
1.南詔(なんしょう)(?~902)
<中国は【唐】>
・中国・チベット・インド文化が融合

2.大理(だいり)(937~1254)
<中国は【宋】>
・フビライ・ハンにより滅亡(1254)
理由:東南アジアへの出入口を抑えたかったため。
・雲南はここで初めて中国領土に組み込まれた


(3)朝鮮半島の分裂の時代

ポイント①古代の朝鮮は「中国」?
古代朝鮮と中国の関係

古代朝鮮は中国の一部だった。

衛氏朝鮮(B190~B108)
・衛満(えいまん)(建国)
中国の戦国時代に中国から渡ってきた。
・前漢・武帝により滅亡(B108)

〇中国・前漢の支配下
朝鮮4郡(拠点)
楽浪郡を置く(B108~313)
(現在の北朝鮮・平壌・ピョンヤン
漢の政治・文化を伝導。
漢王朝が滅亡して目が行き届かなくなる。
高句麗により滅亡(313)

↓↓
馬韓→百済(ひゃくさい/くだら)
辰韓→新羅(しんら/しらぎ)
弁韓→任那(みまな)(加羅/から・加耶/かや)→新羅に征服される

ポイント②朝鮮にも三国時代があった!?
高句麗・新羅・百済の対立

朝鮮の三国時代(4C半~7C)

高句麗(B1C~668)
朝鮮半島北から中国東北部。
・漢の拠点、楽浪郡を征服(313)
・広開土王(位391~412)全盛期
広開土王碑(好太王碑)の建立(414)
朝鮮や日本との戦いが記録されている
・新羅・唐に滅ぼされる(668)

百済(4C半~660)
馬韓(左側)
高句麗、新羅に対抗するために日本と結ぶ。
唐・新羅により滅亡(660)
白村江の戦い(663)
復活しようと試みるが✕
日本・百済復興勢力✕ VS 〇新羅・唐

新羅(4C半~935)
・辰韓(右側)
・加羅を征服(4C)
・唐(3代・高宗)(当時アジア最強)と連合。
百済(660)、高句麗(668)を滅ぼす。

↓↓
※三国時代の勝者は「新羅」!

ーーーーーーーーーーーーーーーー
渤海(698~926)
(都:上京竜泉府)長安をモデル
高句麗の末裔や、靺鞨人(まっかつじん・ツングース系)が中国の東へ移動して建国
・大祚栄(だいそえい)(建国者)
・唐や日本とも交流


(4)朝鮮半島の統一の時代
ポイント①仏教文化がさかん!新羅の時代
朝鮮半島初の統一。新羅。

朝鮮半島を統一した3つの国

新羅(4C半~935)
(都:慶州(昔:金城))
高句麗と百済を倒して、朝鮮半島統一。

・唐は朝鮮半島の北西部に都護府を設置。→新羅にとっては屈辱・・!都護府は異民族を監視する機関。国として認められていない。。
↓↓
新羅は唐を排除。都護府を落とした。
↓↓
朝鮮半島統一(676)
唐に朝貢、冊封下へ入る。

唐の影響を受ける。

骨品制(こっぴんせい)(特権的な身分制度=貴族制度)
唐がモデル

仏国寺(ぶっこくじ)
慶州郊外にある仏教寺院。石の多宝塔。高度な技術。

ポイント②すごく似ている2つの王朝!
高麗と朝鮮の歴史。

高麗(935~1392)
(都:開城
王建(建国)

この頃、中国は【宋】
↓↓
・両班(ヤンバン)
骨品制貴族はいなくなり、特権官僚が登場。中国・宋と同じ。(両班が確立されるのは次の李氏朝鮮時代。)

高麗版大蔵経・・仏教文化がさかん。木版印刷
・金属活字・・世界最古。出版技術が早くから発達していた。
高麗青磁・・宋代の陶磁器(宋磁)の影響を受け、宋より高技術とも。

 

朝鮮李氏朝鮮・李朝(1392~1910)
(都:漢城(漢陽)現ソウル。元・帯方郡)

李成桂(建国)。李さんが作ったので李氏朝鮮。

この頃中国は【明・清】
↓↓
朱子学の官学化(上下関係を重んじる)
科挙の実施
両班(ヤンバン)特権身分階級
高級官職独占が登場。中国と同じ。

世宗(せいそう)(現在の1万ウォン札に描かれている)
訓民正音(くんみんせいおん)(1446)(表音文字)
漢字は庶民は読めない→ハングル文字

・豊臣秀吉の朝鮮侵攻
壬辰・丁酉(じんしん・ていゆう)の倭乱
(文禄1592・慶長1597の役)

李舜臣・・亀船(亀甲船)の使用で、日本の侵略を食い止めた。

「小中華」の芽生え
明滅亡後の、清(満州人国家)を正統な中国と認めない。
正統な中華を守っている継承者は朝鮮だ!という意識。
清に対して敵対心があった。


 

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