中東 – 歴史note

【47】現代文明と各地の紛争

【47】現代文明と各地の紛争
(1)アフリカの紛争
(2)パレスチナ問題の行方
(3)イラク・アフガニスタン情勢
(4)現代の文化と人類の課題


(1)アフリカの紛争
ポイント①アパルトヘイトに苦しむ南アフリカ!
人種差別に立ち向かったマンデラとその苦悩

<ジンバブエ>
ローデシアの独立
白人政府によるアパルトヘイト政策の実施
→黒人が解放戦線を結成
↓↓
ジンバブエ独立・・黒人政権
(ローデシア(白人)→ジンバブエ(黒人)に改名)

南アフリカ共和国独立>
・イギリス連邦より離脱
国連総会が対南ア経済制裁を決議
・アフリカ民族会議(ANC)の抗議活動

アパルトヘイト諸法撤廃(1991)
↓↓
・全人種による大統領選挙の実施(1994)
マンデラ大統領(任1994~1999)
元ANCの指導者
南アフリカ初の黒人大統領

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②紛争が続くアフリカ諸国
民族、宗教、地下資源・・絶えることのない紛争

旧ポルトガル領からの独立>
1970年代、ポルトガル国内で民主化。それに連動してアフリカの国が3つ独立。
[1]ギニアビサウ独立
[2]アンゴラ独立
[3]モザンビーク独立
→いずれの国も、政府派 VS 反政府派の内戦へ・・

<アフリカ諸地域の紛争>
ナイジェリア内戦(ビアフラ戦争)
東部に住むイボ族がビアフラ共和国を建国
(石油が取れる地域)

ソマリア内戦(1980年代~)
多数のグループによる武装闘争が激化
→武力行使を認められた国連PKOの派遣→失敗
無政府状態に・・(1991~2012)21年間
海賊行為で公海を荒らす

ルワンダ内戦(1990~1994)
フツ族によるツチ族の大量虐殺


(2)パレスチナ問題の行方
ポイント①第4次中東戦争後の和平への動き
エジプトの下した決断とアラブ諸国の反応

<エジプトとイスラエルの歩み寄り>
中東和平合意
カーター大統領(米)の仲介
イスラエル首相:ベギン
エジプト大統領:サダト
(第4次中東戦争。現実主義者。エジプトを守るため動いたが・・)

エジプト=イスラエル平和条約の締結
エジプトがアラブ諸国の中で初めてイスラエルを公式に承認
↓↓
アラブ諸国からは猛反発。断交など。
↓↓
サダト大統領暗殺(1981)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ついに解決!?パレスチナ暫定自治協定!
20世紀末に調印された協定の「理想」と「現実」

<1980年代のパレスチナ>
シナイ半島返還(1982)
イスラエルから→エジプトへ返還

関係が良くなると思いきや・・
↓↓
・イスラエルのレバノン侵攻
パレスチナ解放機構(PLO)の本部を攻撃
↓↓
インティファーダの開始
パレスチナ人の大衆的抵抗運動。メディアで国際世論に訴える。

<イスラエルとパレスチナの歩み寄り>
パレスチナ暫定自治協定の締結(オスロ合意)(1993)
イスラエル首相:ラビン
PLO議長:アラファト
(クリントン(米)/ 引き合わせたのはノルウェー、米)
↓↓
パレスチナ暫定自治政府の樹立
ガザ地区などで自治が始まる

↓↓ しかし・・

ラビン首相暗殺(1995)
この後イスラエルは和平へ消極的になっていく・・
(アラブ人に強気な方が支持率が上がる)

アラファト議長の死去(2004)

・ガザ地区はイスラエルのシャロン首相により壁が作られ、隔離された・・。(2023年10月~ガザとイスラエルは再び戦闘に・・)


(3)イラク・アフガニスタン情勢
ポイント①アメリカに踊らされた!?イラクの動向
サダム・フセインの暴走とアメリカの思惑

サダム・フセイン大統領(任1979~2003)>スンナ派
イラン革命。ホメイニ。第2次オイルショック。(1979)
↓↓
イラン・イラク戦争(1980~1988)
米がイラクを支援。(米はイランが嫌いなので)
↓↓
・クェート侵攻
湾岸戦争(1991)
ブッシュ(父)大統領。多国籍軍の派遣。

・米軍、イラク攻撃(イラク戦争)(2003)
ブッシュ(子)大統領。
大量破壊兵器の保持を口実にイラクへ侵攻。
フセイン政権の崩壊
→米軍がイラクにとどまる。米軍駐留。
民主政治を導入するも・・スンナ派、シーア派、クルド人が混在しているため、民主政治ではまとまらない。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②国際テロ組織をかくまっていた!?アフガニスタンの行方
闇が深いアフガニスタン情勢

<アフガニスタン(社会主義政権)>
ソ連軍、アフガニスタンへ侵攻(1979)
→社会主義政権を擁立
→アメリカの反発
→内戦状態へ・・(ソ連の財政圧迫)

<アフガニスタン(ターリバーン政権)>
・ソ連軍、アフガニスタン撤退(1988~1989)
ゴルバチョフ書記長
↓↓
ソ連がいなくなったあと、アフガニスタンでは・・
→イスラーム武装勢力:ターリバーンが首都を制圧

同時多発テロ事件(2001.9.11)
アメリカはアル・カーイダ(国際テロ組織)の犯行と断定。
→アフガニスタンのターリバーン政権が、アル・カーイダをかくまっていると断定。
米軍、アフガニスタン攻撃
ターリバーン政権の崩壊
→米軍、撤退。
→再度、ターリバーン政権が復活

※イラクもアフガニスタンも、米の軍事介入で政権が崩れた。現在も情勢は混乱、不安定。


(4)現代の文化と人類の課題
ポイント①20世紀の文化
激動の世紀を反映した文学・芸術・哲学とは

<哲学・精神分析>
フロイト(墺)・・精神分析学
「夢はあなたの精神状態を表しているんです」

デューイ(米)・・プラグマティズム(実用主義)
「哲学は実生活で使えないと意味がないんだ」
教育学

<経済学>
マックス・ヴェーバー(独)
「カルヴァニストあるところに資本主義あり」
カルバンを賞賛

<文学>
・シュペングラー『西洋の没落』
・トーマス・マン『魔の山』ファシズムを批判

<芸術>
ピカソ『ゲルニカ』
・ジャズ
・・米で生まれた黒人音楽

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ポイント②科学の進歩と人類にとっての大きな「課題」
発達する科学の裏側で悲鳴を上げ続ける「宇宙船」

<20世紀を代表する技術・発明>
自動車(発明は19C末)一般への浸透
ラジオ、映画

・飛行機、人工衛星、クローン技術、生命工学(バイオテクノロジー)

<科学の躍進>
アインシュタイン
相対性理論を提唱
第二次世界大戦後、核兵器の廃絶を訴える

環境問題(環境破壊)
・人口爆発と飢餓
・オゾン層の破壊、地球温暖化、砂漠化

・環境と開発に関する国連会議(地球サミット)
開催地:リオデジャネイロ(ブラジル)
「持続可能な開発」にむけての国際会議

京都会議(地球温暖化防止会議)の開催(1997)
温暖化の原因の、温室効果ガス(二酸化炭素)の排出量を減らそう
日本EU諸国は議定書に批准
(ブッシュ(子))・中国は批准を拒否
(先進国だけ厳しい!と不満)

ロシアの批准(2005)
「京都議定書」の発効

 


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【45】アジア諸地域の紛争

【45】アジア諸地域の紛争
(1)ベトナム戦争
(2)カンボジア・ラオスの情勢
(3)インドシナ半島以外の東南アジア
(4)南アジアの紛争
(5)中東戦争
(6)イラン革命


(1)ベトナム戦争
ポイント①社会主義の拡大を防ぎたい!
アメリカ、ベトナム戦争へ介入するも財政悪化

<インドシナ戦争後のベトナム>北緯17度線
・北ベトナム:ベトナム民主共和国(ホーチミン)
VS
・南ベトナム:ベトナム国(バオダイ)が擁立
↓↓
ベトナム共和国の成立(1955)が擁立
ゴ・ディン・ジエム大統領
→南北統一選挙を拒否。親米・反共の独裁政治。

南ベトナム解放民族戦線の結成(解放戦線)
一部の民衆が抵抗。「北とくっつきたい」。南ベトナムの内部でできた組織。南ベトナムでクーデタ頻発。
→ゴ・ディン・ジエム暗殺

↓↓ 焦るアメリカ・・
(トンキン湾事件をねつ造)

ベトナム戦争(1955~1975)>
米国の北ベトナム爆撃(北爆)(1965)
36代 ジョンソン大統領
米、韓国、フィリピン、オーストラリアなど50万人以上の軍を派遣

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ベトナム戦争の泥沼化・・
アメリカの国際的威信は大きく低下。停戦を求めて動き始める。

<ベトナム戦争>
・南ベトナム解放民族戦線が各地で猛反撃(ゲリラ戦)
ベトナム反戦運動の高揚
米国内をはじめ欧州・日本でも展開
→アメリカの国際的孤立

・パリ和平会談
ジョンソン大統領が北爆の部分停止を表明

ニクソン訪中(1972)
中国に頼んだ「アメリカに不利にならないように斡旋して下さい」
↓↓
ベトナム(パリ)和平協定(1973)
米軍のベトナム撤退
37代 ニクソン大統領
(※ベトナム戦争はジョンソンで始め、ニクソンで終わる)
↓↓
・サイゴン攻略(1975)
南ベトナム政府が壊滅
↓↓
ベトナム社会主義共和国の成立(1976)南北ベトナム統一
北ベトナムが南ベトナムを吸収。
↓↓
ドイモイ(刷新)の展開(1980年代)
改革・開放路線


(2)カンボジア・ラオスの情勢
ポイント①ベトナム戦争に巻き込まれた?
米軍、ベトナムの隣国カンボジア、ラオスへ侵攻

<カンボジア>
カンボジア独立(1953)(仏→日→仏より)
国王シハヌーク(親中派
社会主義へ傾倒
↓↓
・米軍のカンボジア侵攻
シハヌークを追放
ロン=ノル政権(親米派)

<ラオス>
ラオス独立(1953)(仏→日→仏より)
政情不安定が続く
親米派首相 VS 左派勢力(社会主義)
米軍のラオス侵攻

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②カンボジアにおける内戦の激化
米軍撤退後、暗黒の時代へ突入・・

国王シアヌーク追放後・・
民主カンプチア(民主カンボジア)
米軍ベトナムから撤退。ロン・ノルは後ろ盾(米)を失う
↓↓
ポル・ポト政権>(1975~1979)
・親中派(中国をモデルにした国づくり)
・赤色(せきしょく)クメール(クメールルージュ)
農村を基盤とする極端な共産主義社会の建設
反対派を虐殺。
↓↓
ヘン・サムリン政権・・反ポルポト。ベトナムの支援を受ける。
ベトナム軍のカンボジア侵攻
ポル・ポト政権の崩壊
↓↓
中越(中国=ベトナム)戦争(1979)
中国(ポルポト)✕  VS  〇ベトナム(ヘンサムリン)
(初の社会主義同士の戦い)
↓↓
ヘン・サムリン政権はベトナムの力を借りて長期政権へ。


(3)インドシナ半島以外の東南アジア
ポイント①開発独裁の行き詰まり
フィリピン・インドネシアでみられた独裁の終焉

(フィリピン)
マルコス大統領(任1965~1986)>(反共・親米)
開発独裁
反政府運動の高まり
イスラーム勢力

======
(インドネシア)
<初代 スカルノ大統領(任1945~1967)>
・九・三〇事件(軍部クーデタ)
軍部保守派が実験を掌握
↓↓
<2代 スハルト大統領(任1968~1998)>(反共・親米)

東南アジア諸国連合結成(ASEAN)アセアン
Association of South-East Asian Nations)
東南アジアの社会主義化を防ぐためにできた。
→後に反共の色は薄れ、経済協力組織になっていく。現在でもある。(高市首相も参加 2025/10/26)

(cf ※東南アジア条約機構(SEATO)はベトナム戦争の終結で解消。現在はもうない。)

・東ティモール、アチェ、インドネシアからの独立の動き
・アジア通貨危機の混乱
→スハルト退陣

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②マレー半島内部の民族対立
現地マレー人と華僑の対立

(マレーシア)
マラヤ連邦の成立
イギリス連邦の自治領

マレーシア連邦の成立
マラヤ連邦・シンガポールなど

現地マレー人を優遇する経済政策
→貧富の差を解消することが目的
↓↓
華僑(中国からの移民)が反発
マレーシアから独立
↓↓
シンガポール、分離・独立(1965)
新興工業経済地域(NIES/ニーズの一員へ
(韓国・台湾・香港・シンガポール・ブラジル)
発展途上国の中から急速な工業化に成功し高い経済成長率を実現。


(4)南アジアの紛争
ポイント①インド VS パキスタン
東パキスタンの独立を支援するインド

第1次インド・パキスタン戦争(1947~1949)>
カシミール帰属問題
住民はイスラーム系、藩王はヒンドゥー系
・ガンディー暗殺(1948)

・インドの核保有(1974)
世界で6番目

パキスタン共和国独立(1947)>
初代総督:ジンナー(任1947~1948)
全インド=ムスリム連盟の指導者

バングラデシュ(東パキスタン)分離・独立(1971)
インドが支援
↓↓
第3次インド・パキスタン戦争(1971)

・パキスタンの核保有(1998)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②スリランカの内戦
宗教対立が火種に・・

<スリランカ内戦>
・スリランカ(セイロン)独立(1948)
(セイロン→スリランカに改名(1972))

・スリランカ内戦(1983~2009)26年
タミル人(少数派・ヒンドゥー教徒)
VS
シンハラ人(先住民・仏教徒)

※英が茶葉の栽培の労働力のため、南インドからタミル人を強制連行した。


(5)中東戦争
ポイント①第1次・第2次中東戦争
パレスチナ分割案が引きがねに・・

WW1後、英がパレスチナを管理
WW2、英が管理を放棄
↓↓
<第1次中東戦争(1948)>
パレスチナ分割案が国連総会で可決
→ユダヤ人がイスラエル建国
アラブ諸国連盟✕ VS 〇イスラエル
→アラブ人がパレスチナ難民に・・

=========
<第2次中東戦争(スエズ戦争)1956)>
ナセル大統領(エジプト)
スエズ運河国有化宣言
→イスラエル、英、仏が出兵
→国連が即時停戦を決議
→停戦

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第3次・第4次中東戦争
アラブ人を追い出した!非道なイスラエル

<第3次中東戦争(1967)> イスラエル圧勝〇
パレスチナ解放機構(PLO)結成
アラファト議長(任1969~2004)
難民を救済。アラブ人の権利を守っていこう。

イスラエルがエジプト・シリア・ヨルダンに先制攻撃
[1]シナイ半島(エジプト)
[2]ガザ地区(エジプト)
[3]ヨルダン川西岸(ヨルダン)
[4]ゴラン高原(シリア)
を軍事占領
→ますます難民が増える・・

=========
<第4次中東戦争(1973)>
サダト参戦
アラブ石油輸出国機構(OAPEC)の結成
石油が取れるアラブ人国家

アラブ側が先制攻撃
→イスラエルの反撃

・アラブ産油国が石油戦略を発動
第1次石油危機(オイルショック)
OAPEC・・親イスラエル諸国への石油輸出停止
OPEC(石油輸出国機構)・・原油価格を値上


(6)イラン革命
ポイント①イラン=イスラーム共和国の成立
イスラーム原理主義を掲げ、革命が発生

イラン(首都:テヘラン、他の都市:イスファハーン)右・東
イラク(首都:バグダッド)左・西
イ|イ
ラ|ラ
ク|ン
ーーーーーーー
クウェ|
ペルシア湾

イランで起きた革命
国王パフレヴィー2世(位1941~1979)>親米、親英、反共
・「上からの近代化」を推進
・バグダード条約機構(中東条約機構・METO)に加盟
反共路線
→中央条約機構に加盟(CENTO)

↓↓ 貧富の差が拡大

イラン=イスラーム革命(1979)>
シーア派ホメイニが指導
イスラーム原理主義
(※シーア派は少数派で、人口の10%だが、イランシーア派が多い。→サファヴィー朝ペルシアで、シーア派が国教だったため)

→パフレヴィー2世の亡命
イラン=イスラーム共和国が成立
これまでの路線をガラッと変える→反米、反英

・産油量の削減
第2次石油危機(オイルショック)

アメリカとイランの関係は急速に悪化。米はイラクが憎い!国交断絶に・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②湾岸戦争、勃発
イラク、クウェートへ侵攻

イラクの動向>(都:バグダッド)

イラク革命・・王政を廃止

サダム・フセイン大統領(任1979~2003)>
独裁権力(→イラクにはシーア派、スンナ派、その他の民族が混在しているため)

隣のイランでシーア派のホメイニが革命を起こした(イラン=イスラーム革命1979)。イラクでもシーア派が立ち上がられたら困る・・。
↓↓
イラン・イラク戦争(1980~1988)
米が味方になってくれる(米はイランが嫌いなので)
長期戦、勝負は引き分け。財政難に・・。
↓↓
クウェート侵攻(1990)
石油が取れる地域。フセインが「元々クウェートはイラクの領土だ」と言って侵攻する。
↓↓
湾岸戦争(1991)
米を中心とする多国籍軍がイラクを空爆

多国籍軍(米)〇 VS ✕イラク(フセイン)
(米の手のひら返し・・)

 


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【30】アジア諸地域の植民地化

【30】アジア諸地域の植民地化
(1)フランスのインドシナ進出
(2)オランダ・イギリスの東南アジア進出
(3)イギリス東インド会社のインド経営
(4)オスマン帝国の衰退
(5)オスマン帝国の近代化
(6)イラン・アフガニスタンの植民地化


30ーキーワード
<東南アジア>
・仏⇒仏領インドシナ(ベトナム・カンボジア・ラオス)
・蘭⇒オランダ領東インド(インドネシア)
・英⇒マレー連合州(マレーシア)=海峡植民地(シンガポール、ペナン、マラッカ)+α。ミャンマー。
<インド>
・英⇒印:シパーヒーの反乱(1857)⇒ムガル帝国滅亡(1858)⇒インド帝国(1877)
<オスマン帝国>
・アブデュル=メジト1世「タンジマート(恩恵改革)」
・ミドハト=パシャ「ミドハト憲法」(1876)
<その他>
・ウラービー運動(エジプトの反英運動)
・タバコボイコット運動(イランの反英運動)


30ーガイダンス(1~6)
・東南アジア・・仏・蘭・英(仏は中国への中継基地がほしい)
・インド・・英の単独支配(英仏の戦争に英が勝ったため)
英本国ではなく英東インド会社(貿易会社)がインド経営をする。(ある変化が。。貿易→徴税)
・西アジア・・オスマン帝国の衰退・近代化。イラン・アフガニスタンなど。


(1)フランスのインドシナ進出
ポイント①ナポレオン3世のインドシナ進出
なぜこのタイミングでベトナムを攻めるの?

(ナポレオン3世)がインドシナ(=現ベトナム・カンボジア・ラオス)に進出。

<ベトナム>
阮朝(げんちょう)/ 越南国
建国:阮福映(げんふくえい)。仏宣教師ピニョーが支援。
清の朝貢国(弟分)。清からは越南国(えつなんこく)と呼ばれる。

ラオス  |ベ
_________|ト
カンボジア|ナ
_________|ム

仏のインドシナ(ベトナム)進出理由は・・
→アロー戦争で仏は中国進出を始めた。中継基地が欲しかった。
↓↓
仏越(ふつえつ)戦争。〇仏ナポ3世 VS 越✕
仏がベトナムのサイゴンを獲得。
カンボジアを保護国化。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②フランス領インドシナ連邦の成立
ベトナム・カンボジア・ラオスの植民地化

ユエ条約・・ベトナム保護国化
↓↓
(兄)がベトナム(弟)の宗主権(指導する権利)を主張。(清は仏にクレーム)(朝鮮の時と同じ。清は日本にクレーム。)
↓↓
清仏戦争(〇仏 VS 清✕)(1884~5)
天津条約・・清はベトナムの宗主権を放棄
↓↓
・仏領インドシナ連邦
(1887~1945)
(現ベトナム・カンボジア・ラオス)

 


(2)オランダ・イギリスの東南アジア進出

ポイント①オランダのジャワ・スマトラの植民地化
現在のほぼインドネシアにあたる地域をオランダが植民地化

オランダ領東インド
オランダのジャワ・スマトラ(インドネシア)を植民地化

・イギリス=オランダ協定(イギリスとオランダの打ち合わせ)
マラッカ海峡を境界に北は、南はと分けた。

・ジャワ戦争(1825)〇蘭 VS ジャワ✕
⇒蘭は勝ったが、財政窮乏に・・
↓↓
強制栽培制度(1830)
商品作物(コーヒー)⇒ヨーロッパに販売。
オランダ産業革命の資金源になる。
↓↓
・アチェ戦争(1873)
スマトラ島の北端。✕アチェ王国 VS 蘭〇
オランダ領東インド完成(現インドネシア)

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②イギリスが東南アジアを植民地化するわけは?
インド帝国とのアクセスを最優先

英植民地のインド清(中国)をつなぐために(海回り)中継基地としてマレー半島が必要。

ぺナン、シンガポール、マラッカ(=海峡植民地)の獲得
↓↓
マレー連合州(現マレーシア)の成立
プランテーション
(すず)・・華僑(中国)を労働力
ゴム・・印僑(インド)を労働力

ビルマ(ミャンマー)戦争
コンバウン朝を滅ぼしインド帝国に併合

 


(3)イギリス東インド会社のインド経営
ポイント①東インド会社のインド植民地の動き
商業活動を停止された会社が生き残るための工夫

<英東インド会社の進出>
プラッシーの戦い(1757)
インド・ベンガル地方をめぐって争う 〇英 VS 仏✕

イギリス東インド会社(貿易会社)は、ベンガル(インド北東・ガンジス川下流域・豊かな土地)の徴税権を得る。
↓↓
イギリス東インド会社が商業活動停止される(1833)
↓↓
インド統治機関へと移行。
↓↓
<各地で戦争へ>
マイソール戦争(南インド)
マラーター戦争(中部・デカン高原)
マラーター同盟・インドの豪族
シク戦争(北西パンジャーブ地方)シク教徒
あとはムガル帝国のみ。。

<征服地への税制>
ザミンダーリー制
地主・領主から直接地税を徴収。(ベンガル地方)

ライヤットワーリー制
自作農民から直接地税を徴収。(シンド地方、南インド)

徴税に加え、プランテーション経営もするようになる。
→茶、アヘンの栽培・輸出

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②全インドを揺るがす大反乱
イギリスのインド支配における転換期

・シパーヒーの反乱(1857~1859)
シパーヒーとはイギリス東インド会社に雇われたインド人傭兵(ヒンドゥー教徒+イスラム教徒)。薬包に牛と豚の脂を使っていると噂。

デリー城を占拠。ムガル皇帝を擁立
↓↓
インド大反乱に発展。
↓↓
英本国軍が鎮圧。ムガル帝国が滅亡(1858)
↓↓
イギリス東インド会社は解散。統治権は英本国に移る。(=英はただ同然でインドを手に入れる形になった。噂は英本国が流した・・?)

↓↓

・インド帝国1877~1947)成立
初代インド皇帝 ヴィクトリア女王
(ディズレーリ保守党内閣)

植民地なのに「帝国」と付いているのは、他のヨーロッパ諸国に向けた、英はインドを重要視しているというメッセージ。触れたらあきまへんえ・・の威嚇。

分割統治
保守的な藩王国を懐柔。間接統治。(=農民の怒りは地主へ行く。英本国には行かない。)

 


(4)オスマン帝国の衰退
ポイント①アラビア半島での独立の動き
ムハンマドの教えに帰れ!ワッハーブ運動の展開

<アラビア半島>
オスマン帝国支配下で自立の動き
ワッハーブ運動(ワッハーブ派)
ムハンマド時代のイスラーム教復帰を目指す。
↓↓
豪族サウード家と結んでワッハーブ王国建設。
都:リヤド
↓↓
エジプトのムハンマド・アリーの攻撃でワッハーブ王国は滅亡。
⇒アラビア半島の自立は失敗。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②エジプトでの自立の動き
オスマン帝国の部下であって部下でない?

<エジプト自立の動き>
仏・ナポレオンのエジプト占領(1798~99)
→ナポレオンはエジプト先住民(アラブ人)にオスマン帝国(トルコ人)への反抗を呼びかけた。「悔しくないのか?民族の誇りを持つべきだ!」

↓↓ エジプト自立の運動の中心

・ムハンマド=アリー
エジプトからナポレオンを追い出す。オスマン皇帝に変わってエジプト総督の地位を授かる。エジプトの自立・近代化を目指す。

オスマン帝国に要求。

第1次エジプト=トルコ戦争(1831~33)
オスマン帝国にシリアの領有を要求し、開戦。
〇エジプト VS トルコ✕
シリアを獲得

第2次エジプト=トルコ戦争(1839~40)
エジプトとシリアの世襲権要求。
△エジプト VS トルコ(欧の干渉もあり)
⇒シリアを返還。エジプトとスーダンの世襲権は獲得。

ムハンマド・アリーの死後・・

・スエズ運河 開通(1869)at エジプト
(仏・技術者)レセップス
地中海からインド洋に直接行ける。英は喉から手が出るほど欲しい。(英)ディズレーリ内閣。スエズ運河会社の株を買収。支配権獲得

↓↓ トルコの次はイギリスかよ・・

ウラービー運動(反乱)(1881)(エジプトの反英運動)
「エジプト人のためのエジプト」英支配に抵抗するが、鎮圧される。
↓↓
エジプトは英の保護国化に。(英の植民地に・・)

 


(5)オスマン帝国の近代化
ポイント①ついに目覚めたオスマン帝国!
皇帝が率先して行う「上からの近代化」とは?

<オスマン帝国>
・アブデュル=メジト1世
(位1839~1861)
「タンジマート(恩恵改革)」(1839)
ギュルハネ勅令

・皇帝が率先して近代化。「上からの改革」。司法、行政、財政、軍事、文化など。
・非イスラムへの平等課税。法的にも平等。

↓↓ 一定の成果が出たが・・(オスマン帝国を敗れるぐらい成長)

クリミア戦争(1853~56)
〇オスマン帝国 VS ロシア✕
英・仏・サルディーニャ。

タンジマートの成果が出てトルコは勝利!
→しかしトルコは英・仏に借金。財政面では英仏の従属状態に・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②アジア初の憲法が制定されるも・・
立憲君主政への移行と皇帝の思惑

・アブデュル=ハミト2世(位1876~1909)

宰相 ミドハト=パシャ

・ミドハト憲法
(1876)
アジア初の憲法
。(大日本帝国憲法(1889)より13年早い。)

・二院制議会、責任内閣制
立憲君主制への移行を目指した。皇帝の独占ではなく議会で話し合いをしよう。
↓↓
ロシア=トルコ(露土)戦争(1877)
アブデュル=ハミト2世が、皇帝の力を制限されるのを嫌ってミドハト憲法を停止!

宰相ミドハト=パシャを解任(1877)。
戦争の責任を押し付けて島流しに。。

結局、皇帝独裁政治が変わらぬまま、英仏に財政面で頭が上がらないまま・・

 


(6)イラン・アフガニスタンの植民地化
ポイント①イランの植民地化
イランをめぐるイギリスとロシアの熾烈な争い

(イラン)カージャール朝(1796~1925)
北にはカスピ海、南にはペルシア湾。
北から海を求めてロシアが狙う・・。南東から英が狙う。

トルコマンチャーイ条約(1828)
イランにロシアが押しつけた不平等条約。
アルメニアの大半を獲得。治外法権を承認。
(※トルコだがオスマントルコとは関係ない。トルコマンチャーイという町の名前)

↓↓ 何でイラン政府はロシアの言いなりなんだ・・!

バーブ教徒の乱(イスラーム教・シーア派の一派)
イラン・カージャール朝の貧困農民中心の反乱
英・露・弱腰なイラン政府に反対するも、鎮圧される。

タバコ=ボイコット運動(1891~92)(イランの反英運動)
タバコの独占販売権がイラン政府から英業者に渡される。
⇒民衆はタバコをボイコット。知識人(ウラマー)らも含めた反英・反国王運動。
↓↓
鎮圧される。英露のプレッシャーは続く。イランの植民地化は避けられない・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②なぜアフガニスタン?
イギリスはアフガニスタンを絶対に渡したくない!

英の2回のアフガン戦争
アフガニスタンはインドの真上。英はインドが大事。北からのロシアからの侵攻の防波堤として、アフガニスタンは押さえておきたい。
↓↓
第1次アフガン戦争(1838~42)英✕ VS 〇アフガニスタン
何と、英・完敗!

ベルリン会議(1878)
ロシアのバルカン半島方面の南下を阻止した。
↓↓
英「そうするとロシアは違う地域から降りてくるかも・・。やばい。アフガニスタンにも来るかも・・!」
↓↓
第2次アフガン戦争1878~80)英〇 VS ✕アフガニスタン
今度は英勝利。アフガニスタンを保護国化

 


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【10】イスラーム世界

【10】イスラーム世界
(1)ムハンマド時代
(2)アラブ帝国からイスラーム帝国へ
(3)西方イスラーム世界
(4)東方イスラーム世界
(5)アフリカ・東南アジアのイスラーム化
(6)イスラームの社会・文化


(1)ムハンマド時代(610~632)

■ イスラーム教の誕生秘話
ビザンツ帝国 VS ササン朝 戦い
争いを避けて商人は南下。アラビア半島を行くようになる。

・アラビア半島(アラブ人)
メッカ
クライシュ族の支配、多神教、貧富の差

・ムハンマド(570~632)
メッカで生まれた。クライシュ族。ハーシム家。
神の啓示(610)→イスラーム教の創始。

■ ムハンマドの苦難の道
・ヒジュラ(622)聖遷
(=イスラーム暦の元年)
メッカで迫害。メディナへ移動

・ウンマ(イスラーム共同体・国)
・メッカを征服(630)
・ムハンマド死去(632)

・イスラーム・・神への絶対的服従。
・ムスリム・・イスラーム教徒。信者はみな平等。

■ イスラーム教
・アッラー・・唯一神

・「ムハンマドは『最後』にして最高の預言者」⇒モーセやイエスも預言者として認めている。イスラーム教はユダヤ教やキリスト教に影響を受けて生まれた。

・偶像崇拝の禁止。聖職者は存在せず。

・『コーラン』(クルアーン)・・聖典(650)
アラビア語で「読誦すべきもの」

・六信五行
(五行)
喜捨・・貧しい人への施し
断食・・ラマダーン

・カーバ神殿(メッカ)
立方体。メッカはイスラム教徒しか入れない。
イスラームの聖地:メッカ
第2の聖地:メディナ
第3の聖地:イェルサレム


(2)アラブ帝国からイスラーム帝国へ
■ カリフって何

・正統カリフ時代(632~661)30年
カリフ・・代理人。
ムハンマドの後継者。宗教的指導権はない。アッラーの声は聞けない。

・「正統カリフ」・・選挙で選ばれた4人
1. アブー・バクル
2. ウマル
3. ウスマーン(ウマイヤ朝)「コーラン」編纂
4. アリー

領土拡大
・ジハード(聖戦)
神のため自己を犠牲にして戦う。

・ニハーヴァンドの戦い(642)
正統カリフ〇  VS  ✕ササン朝ペルシア(イラン・イラクを征服)

・ビザンツ帝国からエジプト・シリアを奪う

・ミスル(軍営都市)を各地に建設

■ ウマイヤ朝の支配は苦痛
ウマイヤ朝(661~750)約90年
(都:ダマスクス)
・ムアーウィヤ(建国)シリア総督
カリフをウマイヤ家の世襲にした。さらなる領土拡大。

・西ゴート王国の征服(711)
イベリア半島。ゲルマン人国家。

・トゥール・ポワティエ間の戦い(732)
ウマイヤ朝✕  VS  〇フランク王国(メロヴィング朝)宰相カール・マルテル

・アラブ人のみ優遇、免税。
非アラブ人(イラン人、エジプト人)は、イスラーム教でもジズヤ(人頭税)、ハラージュ(地税)が課税される。

■ アッバース朝の支配は完璧
アッバース朝(750~1258)
(都:バグダード)
アブー・アル・アッバース(建国)(位749~7)

・タラス河畔の戦い(751)
唐✕ VS 〇アッバース朝
製紙法が唐から伝わる。

・5代 ハールーン=アッラシード(全盛期)
イスラーム帝国

・イスラーム教徒はハラージュのみ払う。
※人種に関係なく、イスラーム教徒はみなジズヤ免税。
・非イスラーム教徒はジズヤとハラージュを払う。

・アミール(軍隊の司令官・総督)が自立化

・モンゴル・フラグにより滅亡(1258)


(3)西方イスラーム世界
■ キリスト教徒と混在する地域

イベリア地方~マグリブ地方(北西アフリカ)
1.後ウマイヤ朝
2.ムラービト朝
3.ムワッヒド朝
4.ナスル朝

 

1.後ウマイヤ朝(756~1031)
都:コルドバ

2.ムラービト朝(1056~1147)
北アフリカのベルベル人が建国

3.ムワッヒド朝(1130~1259)
ベルベル人

4.ナスル朝(1232~1492)
都:グラナダ
アルハンブラ宮殿(獅子の噴水)
レコンキスタ

■ エジプトの王朝は商売上手!?

エジプト(都:カイロ)
1.ファーティマ朝
2.アイユーブ朝
3.マムルーク朝

 

1.ファーティマ朝(909~1171)
・シーア派。こだわりの強い派。
アリーの子孫のみが後継者と認める。(子孫のみにシーヤ)
・アズハル学院・・イスラム最古の大学

2.アイユーブ朝(1169~1250)
・サラディン(建国)
・十字軍

3.マムルーク朝(1250~1517)
・カーリミー商人を保護(アイユーブ朝の頃から活躍)
木造船を使った貿易。エジプトに莫大な富をもたらした。
ダウ船。三角の帆。地中海、インド洋。
(cf:中国商人はジャンク船)


(4)東方イスラーム世界
■ 中央アジア。東西交易の要衝にイスラーム教が浸透!

中央アジア
1.サーマーン朝
2.カラハン朝
3.西遼(カラキタイ)
4.チャガタイ・ハン国

 

カスピ海の東辺り。

1.サーマーン朝(875~999)
多くのトルコ人奴隷を西アジアに輸出して利益を得ていた。

2.カラハン朝(940~1132)
最初のトルコ系イスラーム王朝(※トルコ人奴隷が乗っ取った。)

3.西遼(カラキタイ)(1132~1211)
耶律大石(建国)(中国系)
(北宋時代に遼(契丹)が金に滅ぼされ、西へ逃げてきた。)

4.チャガタイ=ハン国(1227~14C後半)
(モンゴル系)

 

■ 西アジアが支配したイスラーム王朝

西アジア(イラン・イラク)
1.ブワイフ朝
2.セルジューク朝
3.ホラズム・シャー朝
4.イル・ハン国

 

カスピ海の南

1.ブワイフ朝(932~1062)
・シーア派
・バグダード入城。アッバース朝のカリフに圧力をかけ、大アミールの称号を得る。軍事、行政権を獲得。

2.セルジューク朝(1038~1194)
(トルコ系)
・トゥグリル・ベク(鷹の君主)(建国)
・ブワイフ朝を滅ぼしアッバース朝のカリフを救済。スルタンの称号をもらう。
・ビザンツ帝国を撃破。小アジア、エルサレム。十字軍の原因となる。
・イクター制の整備(ブワイフ朝で始まる)
軍人・官僚に土地の管理と徴税権を与えた制度。(給料を現金でなく)

3.ホラズム=シャー朝(1071~1231)
アフガニスタン方面へと領土拡大
モンゴル・チンギス・ハンにより滅亡(1220 or 1231)

4.イル・ハン国(1258~1353)

・フラグ(建国)
アッバース朝を滅ぼす

・ガザン=ハン(全盛期)
宰相ラシード=アッディーン『集史』

 

■ インドにイスラーム教が浸透

インド
1.ガズナ朝
2.ゴール朝
3.デリー・スルタン朝
ー 1.奴隷王朝
ー 2.ハルジー朝
ー 3.トゥグルク朝
ー 4.サイイド朝
ー 5.ロディー朝

 

インドがヒンドゥー教からイスラーム教へ。
アフガニスタンから西北インドに成立した王朝

1.ガズナ朝(962~1186)
北インドに侵入を繰り返し、ヒンドゥー教の寺院を破壊。
フィルドゥシー『シャー=ナーメ』

2.ゴール朝(1148~1215)
北インドのイスラーム化を促進。

3.デリー・スルタン朝(1206~1526)
インド初のイスラーム王朝。
五つの王朝をまとめた言い方
(都:デリー)

①奴隷王朝(1206~1290)
・アイバク(建国)元奴隷
アフガニスタン(インダス川の西)からインドの西北

・クトゥブ・ミナールを建設(高い塔・イスラーム寺院)
インド最古の大モスク

②ハルジー朝

③トゥグルク朝
・イブン・バットゥータが来訪
・ティムールが征服

④サイイド朝
⑤ロディー朝


(5)アフリカ・東南アジアのイスラーム化

■ アフリカにも広がるイスラーム!?

〇西アフリカ(ニジェール川流域)
・サハラ交易
ニジェール産:金
↑↓
サハラ産:岩塩

西アフリカ
1.ガーナ王国
2.マリ王国
3.ソンガイ王国東南アフリカ
・モノモタパ王国スワヒリ文化(アフリカ東海岸)
・マリンディ、モンバサなど

1.ガーナ王国(7C~)

2.マリ王国(1240~1473)
(都:トンブクトゥ)
マンサ=ムーサ

3.ソンガイ王国
(都:トンブクトゥ)

〇東南アフリカ(ザンベジ川流域)

・モノモタパ王国(11~19C)
大ジンバブエ遺跡

〇アフリカ東海岸

・スワヒリ文化
スワヒリ語
現地語+アラビア語

スワヒリ文化の都市:マリンディ、モンバサ、ザンジバル、キルワ

 

■ 東南アジアは一部だけイスラーム化
イスラム商人が船で立ち寄る港町

東南アジア
1.マラッカ王国(マレー)
2.マタラム王国(ジャワ東)
3.アチェ王国(スマトラ北)

 

・マラッカ王国(14C末~1511)
マレー半島

・マタラム王国(1580~1755)
ジャワ島・東

・アチェ王国(15C末~1912)
スマトラ島・北

 


(6)イスラームの社会・文化
■ 活気にあふれるイスラーム社会
社会基盤
・シャリーア・・イスラーム法
(コーランやハディースが基となる)

・ハディース・・ムハンマドの言行の記録

・モスク・・礼拝施設。
ミナレット(光塔)が付いている→礼拝への呼びかけ

・マドラサ・・学院
・ウラマー・・学者・知識人
・ワクフ・・財産寄進の制度。モスクやマドラサの運営。

・市場・・スーク、バザール
・キャラバンサライ・・隊商宿

■ ヨーロッパよりも優れた高度な文明?!
ギリシアの哲学や科学がさらに発達。

文学
・フィルドゥシー『シャー=ナーメ(古代イラン王の書)』(10C)
ガズナ朝でイラン=イスラーム文化が開花。ペルシア文学の最高峰。

・ウマル=ハイヤーム『ルバイヤート』四行詩集(11~12C)
(セルジューク朝)

・『千夜一夜物語』『アラビアン・ナイト』(→ルイ14世から欧に広がる)

歴史学
・イブン=ハルドゥーン『世界史序説』(14C)
王様ではなく、人々の社会生活、環境(農業、商業など)に固有の文明があると考えた。当時、中国や欧にもない考え。
チュニス生まれ→ナスル朝(グラナダ)→晩年はマムルーク朝(カイロ)で仕えた。

旅行家
・イブン=バットゥータ『三大陸周遊記(旅行記)』(1304~1368?)
モロッコ(タンジール)生まれ。中国、インド、西アジア、アフリカなどを旅する。

哲学・神学
・イブン=ルシュド(ラテン語名:アヴェロエス)(11~12C)
アリストテレスの全著作に分かりやすい解説を付けた。→欧でも読まれる。

・ガザーリー・・スーフィズム(神秘主義思想)を研究。神をもっと近くに感じよう。体で表現。踊りながら神を感じる。一般に受け入れられた。

科学(医学・数学)
・イブン=シーナー(ラテン語名:アヴィケンナ)
『医学典範』(10~11C)手術、薬の研究。→欧で読まれる。

・フワーリズミー・・インド数学を導入。代数学の発展。

芸術
・アラベスク・・美術工芸品、建築の模様(植物の茎など)
・細密画(ミニアチュール)・・精密な技法。挿絵、写本の絵画。


世界史タイトル一覧

トライ世界史【10】イスラーム世界 □⇒

 

 

 

 

【02】古代オリエント

【2】古代オリエント
・メソポタミア
・エジプト
・シリア・パレスチナ
・イラン高原

<メソポタミア>
ティグリス川・ユーフラテス川の間

メソポタミアは山脈や砂漠がなく、開放的な地形。
ゆえに様々な民族が入ってくる。

・シュメール人(B3000)
ウル・ウルク・ラガシュ
神権政治。

ジッグラト(聖塔)・多神教

楔形文字。粘土板。
ベヒストゥン碑文(現イラン)
(ダレイオス1世の功績を記念する碑文)
英ローリンソンが解読(1847)

60進法、太陰暦、1週7日制。

・アッカド人(セム語系)(B24C)
シュメール人の国家をまとめ、メソポタミアを統一。
軍事力に頼りすぎて長く続かず。
サルゴン王。

・アムル人(セム語系)(B19C~B16C)
バビロン第一王朝(古バビロニア王国)
ハンムラビ法典。秩序の形成。
↓↓
北方からヒッタイトが侵入。
小アジア(アナトリア)からメソポタミアへ。
バビロン第一王朝を滅ぼす。
その後エジプトへ。

・ヒッタイト人(B17C~B12C)
(インド=ヨーロッパ系)
世界初の鉄の使用。馬車。

バビロン第一王朝
↓↓
北・ミタンニ
南・カッシート


<エジプト>
初期王国(B3000)
ノモス(小国家)
王:ファラオ
(太陽神ラーの子)

ギリシア歴史家・ヘロドトス
「エジプトはナイルのたまもの」(贈り物)

・古王国(B27C~B22C)
(都:メンフィス)
ピラミッド(ギザ)公共事業
クフ王(最大)、カフラー王、メンカウラー王

・中王国(B21C~B18C)
(都:テーベ)
ヒクソス(アジア系)の侵入
軍事国家。一時エジプトを支配。

・新王国(B16C~B11C)
(都:テーベ)

アメンホテプ4世(B14C)
アモン・ラー
(テーベの守り神)
神官の台頭。

唯一神アトンに変えた。
テル・エル・アマルナに遷都。
イクナートンに改名。
(「アトン神に愛される」の意味)

B1286年 カデシュの戦い
エジプト VS ヒッタイト
世界初の平和条約

オシリス(死と復活の神)
「死者の書」多神教
魂の復活のためミイラ

パピルス
ロゼッタ・ストーン。仏シャンポリオン(1822)
神聖文字(ヒエログリフ)
民用文字(デモティック)
ギリシア文字

十進法、太陽暦
アマルナ美術(自由で写実的)


<地中海東岸(シリア・パレスチナ)>
商業、遊牧など。

<シリア>
・海の民の台頭(B13C)
ヒッタイト滅亡。
エジプト弱体化。

・アラム人
内陸貿易
ダマスクス

アラム語
西アジアの国際語になる。
アラム文字⇒アラビア文字

・フェニキア人
シドン
ティルス⇒北アフリカ・カルタゴを作る

レバノン杉
その木で船を作る。木自体をも輸出する。

フェニキア文字⇒ギリシア文字⇒アルファベット


<パレスチナ>
・ユダヤ人
ヘブライ人
自分たちはイスラエルという

出エジプト(B14C)・モーセ
ヤハウェ・十戒
ユダヤ教

・ヘブライ王国
2代目 ダヴィデ王(B10C)
(都エルサレム)
3代目 ソロモン王・神殿
↓↓
北:イスラエル王国←アッシリア王国により滅亡

南:ユダ王国←新バビロニアにより滅亡
バビロン捕囚(強制連行)
50年後、アケメネス朝ペルシア、キュロス2世が解放
↓↓
ユダヤ教
旧約聖書、終末思想
メシア(救世主)


<オリエント最初の統一国家>
オリエントはメソポタミア、シリア、エジプト

★アッシリア(B7C)
アッシュル=バニパル
ニネヴェ 図書館
属州に総督を派遣
B612 滅亡

★四カ国
・メディア(イラン高原)
・リディア(アナトリア)、最古の金属貨幣
・新バビロニア(メソポタミア)カルデア人が建国
・エジプト

★アケメネス朝ペルシア(B550-B330)
(イラン人・ペルシア人)

・キュロス2世(建国)
(都スサ)

・カンヴュセス2世
エジプト征服 (B525)

・ダレイオス1世(全盛期)
最大領土
知事(サトラップ)
王の目、王の耳
都ペルセポリス

駅伝制(王の道)スサ~サルデス
寛容な統治

・ゾロアスター教(拝火教)
経典アヴェスター
善悪二元論
善神アフラ・マズダ、悪神アーリマン
最後の審判(終末思想)←最古


<イラン>
東西交易の中心地。イラン高原。
(中央アジア、中国と、メソポタミア、エジプトの中継地点)
貿易管理で繁栄。

アレクサンドロス大王
↓↓
・アンティゴノス朝マケドニア
・プトレマイオス朝エジプト
・セレウコス朝シリア
↓↓
★パルティア(B3C~3C)
アルサケス(建国)
中国から安息(あんそく)と呼ばれる。
(都:クテシフォン)
東西交易の中心地
ローマと抗争
(パルティアン・ショット)
↓↓
★ササン朝ペルシア(3C~7C)
(都:クテシフォン)
・アルダシール1世(建国)
ゾロアスター教を国教化

・シャープール1世(3C)
東:クシャーナ朝を破る
西:ローマ皇帝 ウァレリアヌスを捕縛

・ホスロー1世(6C)
東:突厥と組んでエフタルを滅ぼす
西:東ローマ皇帝
ユスティニアヌス帝と抗争
アンティオキア占領

642 ニハーヴァンドの戦い
イスラム・正統カリフ〇 VS ✕ササン朝ペルシア

651 ササン朝ペルシア 滅亡

 

・マニ教
ゾロアスター教+キリスト教+仏教
ササン朝で弾圧⇒中国、ヨーロッパで広がる。

・ササン朝美術
中国・日本へ。奈良・正倉院