中東 – 歴史note

【10】イスラーム世界

【10】イスラーム世界
(1)ムハンマド時代
(2)アラブ帝国からイスラーム帝国へ
(3)西方イスラーム世界
(4)東方イスラーム世界
(5)アフリカ・東南アジアのイスラーム化
(6)イスラームの社会・文化


(1)ムハンマド時代(610~632)

■ イスラーム教の誕生秘話
ビザンツ帝国 VS ササン朝 戦い
争いを避けて商人は南下。アラビア半島を行くようになる。

・アラビア半島(アラブ人)
メッカ
クライシュ族の支配、多神教、貧富の差

・ムハンマド(570~632)
メッカで生まれた。クライシュ族。ハーシム家。
神の啓示(610)→イスラーム教の創始。

■ ムハンマドの苦難の道
・ヒジュラ(622)聖遷
(=イスラーム暦の元年)
メッカで迫害。メディナへ移動

・ウンマ(イスラーム共同体・国)
・メッカを征服(630)
・ムハンマド死去(632)

・イスラーム・・神への絶対的服従。
・ムスリム・・イスラーム教徒。信者はみな平等。

■ イスラーム教
・アッラー・・唯一神

・「ムハンマドは『最後』にして最高の預言者」⇒モーセやイエスも預言者として認めている。イスラーム教はユダヤ教やキリスト教に影響を受けて生まれた。

・偶像崇拝の禁止。聖職者は存在せず。

・『コーラン』(クルアーン)・・聖典(650)
アラビア語で「読誦すべきもの」

・六信五行
(五行)
喜捨・・貧しい人への施し
断食・・ラマダーン

・カーバ神殿(メッカ)
立方体。メッカはイスラム教徒しか入れない。
イスラームの聖地:メッカ
第2の聖地:メディナ
第3の聖地:イェルサレム


(2)アラブ帝国からイスラーム帝国へ
■ カリフって何

・正統カリフ時代(632~661)30年
カリフ・・代理人。
ムハンマドの後継者。宗教的指導権はない。アッラーの声は聞けない。

・「正統カリフ」・・選挙で選ばれた4人
1. アブー・バクル
2. ウマル
3. ウスマーン(ウマイヤ朝)「コーラン」編纂
4. アリー

領土拡大
・ジハード(聖戦)
神のため自己を犠牲にして戦う。

・ニハーヴァンドの戦い(642)
正統カリフ〇  VS  ✕ササン朝ペルシア(イラン・イラクを征服)

・ビザンツ帝国からエジプト・シリアを奪う

・ミスル(軍営都市)を各地に建設

■ ウマイヤ朝の支配は苦痛
ウマイヤ朝(661~750)約90年
(都:ダマスクス)
・ムアーウィヤ(建国)シリア総督
カリフをウマイヤ家の世襲にした。さらなる領土拡大。

・西ゴート王国の征服(711)
イベリア半島。ゲルマン人国家。

・トゥール・ポワティエ間の戦い(732)
ウマイヤ朝✕  VS  〇フランク王国(メロヴィング朝)宰相カール・マルテル

・アラブ人のみ優遇、免税。
非アラブ人(イラン人、エジプト人)は、イスラーム教でもジズヤ(人頭税)、ハラージュ(地税)が課税される。

■ アッバース朝の支配は完璧
アッバース朝(750~1258)
(都:バグダード)
アブー・アル・アッバース(建国)(位749~7)

・タラス河畔の戦い(751)
唐✕ VS 〇アッバース朝
製紙法が唐から伝わる。

・5代 ハールーン=アッラシード(全盛期)
イスラーム帝国

・イスラーム教徒はハラージュのみ払う。
※人種に関係なく、イスラーム教徒はみなジズヤ免税。
・非イスラーム教徒はジズヤとハラージュを払う。

・アミール(軍隊の司令官・総督)が自立化

・モンゴル・フラグにより滅亡(1258)


(3)西方イスラーム世界
■ キリスト教徒と混在する地域

イベリア地方~マグリブ地方(北西アフリカ)
1.後ウマイヤ朝
2.ムラービト朝
3.ムワッヒド朝
4.ナスル朝

 

1.後ウマイヤ朝(756~1031)
都:コルドバ

2.ムラービト朝(1056~1147)
北アフリカのベルベル人が建国

3.ムワッヒド朝(1130~1259)
ベルベル人

4.ナスル朝(1232~1492)
都:グラナダ
アルハンブラ宮殿(獅子の噴水)
レコンキスタ

■ エジプトの王朝は商売上手!?

エジプト(都:カイロ)
1.ファーティマ朝
2.アイユーブ朝
3.マムルーク朝

 

1.ファーティマ朝(909~1171)
・シーア派。こだわりの強い派。
アリーの子孫のみが後継者と認める。(子孫のみにシーヤ)
・アズハル学院・・イスラム最古の大学

2.アイユーブ朝(1169~1250)
・サラディン(建国)
・十字軍

3.マムルーク朝(1250~1517)
・カーリミー商人を保護(アイユーブ朝の頃から活躍)
木造船を使った貿易。エジプトに莫大な富をもたらした。
ダウ船。三角の帆。地中海、インド洋。
(cf:中国商人はジャンク船)


(4)東方イスラーム世界
■ 中央アジア。東西交易の要衝にイスラーム教が浸透!

中央アジア
1.サーマーン朝
2.カラハン朝
3.西遼(カラキタイ)
4.チャガタイ・ハン国

 

カスピ海の東辺り。

1.サーマーン朝(875~999)
多くのトルコ人奴隷を西アジアに輸出して利益を得ていた。

2.カラハン朝(940~1132)
最初のトルコ系イスラーム王朝(※トルコ人奴隷が乗っ取った。)

3.西遼(カラキタイ)(1132~1211)
耶律大石(建国)(中国系)
(北宋時代に遼(契丹)が金に滅ぼされ、西へ逃げてきた。)

4.チャガタイ=ハン国(1227~14C後半)
(モンゴル系)

 

■ 西アジアが支配したイスラーム王朝

西アジア(イラン・イラク)
1.ブワイフ朝
2.セルジューク朝
3.ホラズム・シャー朝
4.イル・ハン国

 

カスピ海の南

1.ブワイフ朝(932~1062)
・シーア派
・バグダード入城。アッバース朝のカリフに圧力をかけ、大アミールの称号を得る。軍事、行政権を獲得。

2.セルジューク朝(1038~1194)
(トルコ系)
・トゥグリル・ベク(鷹の君主)(建国)
・ブワイフ朝を滅ぼしアッバース朝のカリフを救済。スルタンの称号をもらう。
・ビザンツ帝国を撃破。小アジア、エルサレム。十字軍の原因となる。
・イクター制の整備(ブワイフ朝で始まる)
軍人・官僚に土地の管理と徴税権を与えた制度。(給料を現金でなく)

3.ホラズム=シャー朝(1071~1231)
アフガニスタン方面へと領土拡大
モンゴル・チンギス・ハンにより滅亡(1220 or 1231)

4.イル・ハン国(1258~1353)

・フラグ(建国)
アッバース朝を滅ぼす

・ガザン=ハン(全盛期)
宰相ラシード=アッディーン『集史』

 

■ インドにイスラーム教が浸透

インド
1.ガズナ朝
2.ゴール朝
3.デリー・スルタン朝
ー 1.奴隷王朝
ー 2.ハルジー朝
ー 3.トゥグルク朝
ー 4.サイイド朝
ー 5.ロディー朝

 

インドがヒンドゥー教からイスラーム教へ。
アフガニスタンから西北インドに成立した王朝

1.ガズナ朝(962~1186)
北インドに侵入を繰り返し、ヒンドゥー教の寺院を破壊。
フィルドゥシー『シャー=ナーメ』

2.ゴール朝(1148~1215)
北インドのイスラーム化を促進。

3.デリー・スルタン朝(1206~1526)
インド初のイスラーム王朝。
五つの王朝をまとめた言い方
(都:デリー)

①奴隷王朝(1206~1290)
・アイバク(建国)元奴隷
アフガニスタン(インダス川の西)からインドの西北

・クトゥブ・ミナールを建設(高い塔・イスラーム寺院)
インド最古の大モスク

②ハルジー朝

③トゥグルク朝
・イブン・バットゥータが来訪
・ティムールが征服

④サイイド朝
⑤ロディー朝


(5)アフリカ・東南アジアのイスラーム化

■ アフリカにも広がるイスラーム!?

〇西アフリカ(ニジェール川流域)
・サハラ交易
ニジェール産:金
↑↓
サハラ産:岩塩

西アフリカ
1.ガーナ王国
2.マリ王国
3.ソンガイ王国東南アフリカ
・モノモタパ王国スワヒリ文化(アフリカ東海岸)
・マリンディ、モンバサなど

1.ガーナ王国(7C~)

2.マリ王国(1240~1473)
(都:トンブクトゥ)
マンサ=ムーサ

3.ソンガイ王国
(都:トンブクトゥ)

〇東南アフリカ(ザンベジ川流域)

・モノモタパ王国(11~19C)
大ジンバブエ遺跡

〇アフリカ東海岸

・スワヒリ文化
スワヒリ語
現地語+アラビア語

スワヒリ文化の都市:マリンディ、モンバサ、ザンジバル、キルワ

 

■ 東南アジアは一部だけイスラーム化
イスラム商人が船で立ち寄る港町

東南アジア
1.マラッカ王国(マレー)
2.マタラム王国(ジャワ東)
3.アチェ王国(スマトラ北)

 

・マラッカ王国(14C末~1511)
マレー半島

・マタラム王国(1580~1755)
ジャワ島・東

・アチェ王国(15C末~1912)
スマトラ島・北

 


(6)イスラームの社会・文化
■ 活気にあふれるイスラーム社会
社会基盤
・シャリーア・・イスラーム法
(コーランやハディースが基となる)

・ハディース・・ムハンマドの言行の記録

・モスク・・礼拝施設。
ミナレット(光塔)が付いている→礼拝への呼びかけ

・マドラサ・・学院
・ウラマー・・学者・知識人
・ワクフ・・財産寄進の制度。モスクやマドラサの運営。

・市場・・スーク、バザール
・キャラバンサライ・・隊商宿

■ ヨーロッパよりも優れた高度な文明?!
ギリシアの哲学や科学がさらに発達。

文学
・フィルドゥシー『シャー=ナーメ(古代イラン王の書)』(10C)
ガズナ朝でイラン=イスラーム文化が開花。ペルシア文学の最高峰。

・ウマル=ハイヤーム『ルバイヤート』四行詩集(11~12C)
(セルジューク朝)

・『千夜一夜物語』『アラビアン・ナイト』(→ルイ14世から欧に広がる)

歴史学
・イブン=ハルドゥーン『世界史序説』(14C)
王様ではなく、人々の社会生活、環境(農業、商業など)に固有の文明があると考えた。当時、中国や欧にもない考え。
チュニス生まれ→ナスル朝(グラナダ)→晩年はマムルーク朝(カイロ)で仕えた。

旅行家
・イブン=バットゥータ『三大陸周遊記(旅行記)』(1304~1368?)
モロッコ(タンジール)生まれ。中国、インド、西アジア、アフリカなどを旅する。

哲学・神学
・イブン=ルシュド(ラテン語名:アヴェロエス)(11~12C)
アリストテレスの全著作に分かりやすい解説を付けた。→欧でも読まれる。

・ガザーリー・・スーフィズム(神秘主義思想)を研究。神をもっと近くに感じよう。体で表現。踊りながら神を感じる。一般に受け入れられた。

科学(医学・数学)
・イブン=シーナー(ラテン語名:アヴィケンナ)
『医学典範』(10~11C)手術、薬の研究。→欧で読まれる。

・フワーリズミー・・インド数学を導入。代数学の発展。

芸術
・アラベスク・・美術工芸品、建築の模様(植物の茎など)
・細密画(ミニアチュール)・・精密な技法。挿絵、写本の絵画。


世界史タイトル一覧

トライ世界史【10】イスラーム世界 □⇒

 

 

 

 

【02】古代オリエント

【2】古代オリエント
・メソポタミア
・エジプト
・シリア・パレスチナ
・イラン高原

<メソポタミア>
ティグリス川・ユーフラテス川の間

メソポタミアは山脈や砂漠がなく、開放的な地形。
ゆえに様々な民族が入ってくる。

・シュメール人(B3000)
ウル・ウルク・ラガシュ
神権政治。

ジッグラト(聖塔)・多神教

楔形文字。粘土板。
ベヒストゥン碑文(現イラン)
(ダレイオス1世の功績を記念する碑文)
英ローリンソンが解読(1847)

60進法、太陰暦、1週7日制。

・アッカド人(セム語系)(B24C)
シュメール人の国家をまとめ、メソポタミアを統一。
軍事力に頼りすぎて長く続かず。
サルゴン王。

・アムル人(セム語系)(B19C~B16C)
バビロン第一王朝(古バビロニア王国)
ハンムラビ法典。秩序の形成。
↓↓
北方からヒッタイトが侵入。
小アジア(アナトリア)からメソポタミアへ。
バビロン第一王朝を滅ぼす。
その後エジプトへ。

・ヒッタイト人(B17C~B12C)
(インド=ヨーロッパ系)
世界初の鉄の使用。馬車。

バビロン第一王朝
↓↓
北・ミタンニ
南・カッシート


<エジプト>
初期王国(B3000)
ノモス(小国家)
王:ファラオ
(太陽神ラーの子)

ギリシア歴史家・ヘロドトス
「エジプトはナイルのたまもの」(贈り物)

・古王国(B27C~B22C)
(都:メンフィス)
ピラミッド(ギザ)公共事業
クフ王(最大)、カフラー王、メンカウラー王

・中王国(B21C~B18C)
(都:テーベ)
ヒクソス(アジア系)の侵入
軍事国家。一時エジプトを支配。

・新王国(B16C~B11C)
(都:テーベ)

アメンホテプ4世(B14C)
アモン・ラー
(テーベの守り神)
神官の台頭。

唯一神アトンに変えた。
テル・エル・アマルナに遷都。
イクナートンに改名。
(「アトン神に愛される」の意味)

B1286年 カデシュの戦い
エジプト VS ヒッタイト
世界初の平和条約

オシリス(死と復活の神)
「死者の書」多神教
魂の復活のためミイラ

パピルス
ロゼッタ・ストーン。仏シャンポリオン(1822)
神聖文字(ヒエログリフ)
民用文字(デモティック)
ギリシア文字

十進法、太陽暦
アマルナ美術(自由で写実的)


<地中海東岸(シリア・パレスチナ)>
商業、遊牧など。

<シリア>
・海の民の台頭(B13C)
ヒッタイト滅亡。
エジプト弱体化。

・アラム人
内陸貿易
ダマスクス

アラム語
西アジアの国際語になる。
アラム文字⇒アラビア文字

・フェニキア人
シドン
ティルス⇒北アフリカ・カルタゴを作る

レバノン杉
その木で船を作る。木自体をも輸出する。

フェニキア文字⇒ギリシア文字⇒アルファベット


<パレスチナ>
・ユダヤ人
ヘブライ人
自分たちはイスラエルという

出エジプト(B14C)・モーセ
ヤハウェ・十戒
ユダヤ教

・ヘブライ王国
2代目 ダヴィデ王(B10C)
(都エルサレム)
3代目 ソロモン王・神殿
↓↓
北:イスラエル王国←アッシリア王国により滅亡

南:ユダ王国←新バビロニアにより滅亡
バビロン捕囚(強制連行)
50年後、アケメネス朝ペルシア、キュロス2世が解放
↓↓
ユダヤ教
旧約聖書、終末思想
メシア(救世主)


<オリエント最初の統一国家>
オリエントはメソポタミア、シリア、エジプト

★アッシリア(B7C)
アッシュル=バニパル
ニネヴェ 図書館
属州に総督を派遣
B612 滅亡

★四カ国
・メディア(イラン高原)
・リディア(アナトリア)、最古の金属貨幣
・新バビロニア(メソポタミア)カルデア人が建国
・エジプト

★アケメネス朝ペルシア(B550-B330)
(イラン人・ペルシア人)

・キュロス2世(建国)
(都スサ)

・カンヴュセス2世
エジプト征服 (B525)

・ダレイオス1世(全盛期)
最大領土
知事(サトラップ)
王の目、王の耳
都ペルセポリス

駅伝制(王の道)スサ~サルデス
寛容な統治

・ゾロアスター教(拝火教)
経典アヴェスター
善悪二元論
善神アフラ・マズダ、悪神アーリマン
最後の審判(終末思想)←最古


<イラン>
東西交易の中心地。イラン高原。
(中央アジア、中国と、メソポタミア、エジプトの中継地点)
貿易管理で繁栄。

アレクサンドロス大王
↓↓
・アンティゴノス朝マケドニア
・プトレマイオス朝エジプト
・セレウコス朝シリア
↓↓
★パルティア(B3C~3C)
アルサケス(建国)
中国から安息(あんそく)と呼ばれる。
(都:クテシフォン)
東西交易の中心地
ローマと抗争
(パルティアン・ショット)
↓↓
★ササン朝ペルシア(3C~7C)
(都:クテシフォン)
・アルダシール1世(建国)
ゾロアスター教を国教化

・シャープール1世(3C)
東:クシャーナ朝を破る
西:ローマ皇帝 ウァレリアヌスを捕縛

・ホスロー1世(6C)
東:突厥と組んでエフタルを滅ぼす
西:東ローマ皇帝
ユスティニアヌス帝と抗争
アンティオキア占領

642 ニハーヴァンドの戦い
イスラム・正統カリフ〇 VS ✕ササン朝ペルシア

651 ササン朝ペルシア 滅亡

 

・マニ教
ゾロアスター教+キリスト教+仏教
ササン朝で弾圧⇒中国、ヨーロッパで広がる。

・ササン朝美術
中国・日本へ。奈良・正倉院

 

【30】アジア諸地域の植民地化

世界史【30】アジア諸地域の植民地化(トライ高校世界史B)


30ーキーワード
<東南アジア>
・仏⇒仏領インドシナ(ベトナム・カンボジア・ラオス)
・蘭⇒オランダ領東インド(インドネシア)
・英⇒マレー連合州(マレーシア)、海峡植民地=シンガポール、ペナン、マラッカ
<インド>
・英⇒印:シパーヒーの反乱(1857)⇒ムガル帝国滅亡(1858)⇒インド帝国(1877)
<オスマン帝国>
・アブデュル=メジト1世「タンジマート(恩恵改革)」
・ミドハト=パシャ「ミドハト憲法」(1876)
<他>
・タバコボイコット運動(イラン)
・ウラービー運動(エジプト)


30ーガイダンス(1~6)
・東南アジア・・仏・蘭・英。(ある思惑が。。)
・インド・・英(英仏の戦争に英が勝ったため単独支配)
英本国ではなく英東インド会社(貿易会社)がインド経営をする。(ある変化が。。)
・西アジア・・オスマン帝国の衰退・近代化。イラン・アフガニスタンなど。


30ー1  仏のインドシナ進出

<ベトナム・カンボジア・ラオス>
仏(ナポレオン3世)がインドシナ(現ベトナム・カンボジア・ラオス)に進出。

・阮朝(げんちょう)ベトナム
建国:阮福映(げんふくえい)。仏宣教師ピニョー支援。
清の朝貢国(弟分)。清からは越南国(えつなんこく)と呼ばれる。

仏のインドシナ進出理由⇒アロー戦争で仏は中国進出を始めた。中継基地が欲しかった。
↓↓
仏越(ふつえつ)戦争。〇仏ナポ3世VS越✕
仏・サイゴンを獲得。カンボジアを保護国化。

ユエ条約・・ベトナム保護国化。
↓↓
清がベトナムの宗主権(指導する権利)を主張。(朝鮮の時と同じ)
↓↓
清仏戦争(〇仏VS清✕)(1884~5)
天津条約・・清はベトナムの宗主権を放棄。
↓↓
仏領インドシナ連邦
(1887~1945)
(現ベトナム・カンボジア・ラオス)

 


30ー2 蘭・英の進出

<インドネシア>

オランダのジャワ・スマトラ(インドネシア)植民地化=オランダ領東インド

・イギリス=オランダ協定
マラッカ海峡を境界に北は英、南は蘭と分けた。

・ジャワ戦争(1825)〇蘭VSジャワ✕⇒蘭は財政窮乏に

強制栽培制度(1830)
商品作物(コーヒー)⇒ヨーロッパに販売。
オランダ産業革命の資金源になる。

・アチェ戦争(1873)
スマトラ島の北端。✕アチェ王国VS蘭〇⇒オランダ領東インド支配(現インドネシア)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
・英のマレー半島進出
<マレーシア>
英が東南アジアを植民地化するワケは・・
↓↓
英植民地のインドと清をつなぐために(海回り)中継基地としてマレー半島が必要。

ぺナン、シンガポール、マラッカの獲得=海峡植民地。

マレー連合州。
・錫(すず)。華僑
・ゴム。印僑。
インドや中国から移民。

英⇒ミャンマー(ビルマ)に侵略。
ビルマ(ミャンマー)戦争
コンバウン朝を滅ぼしインド帝国に併合。


30ー3 英 東インド会社のインド経営

<インド>
プラッシーの戦い(1757)
インド・ベンガルをめぐって 〇英VS仏✕

イギリス東インド会社(貿易会社)
インド北東・ベンガル(豊かな土地)の徴税権を得る。

イギリスインド会社の商業活動停止⇒インド統治機関へと移行。⇒各地戦争へ。。

南・マイソール戦争、中デカン高原・マラーター戦争、北西パンジャーブ・シク戦争。あとはムガル帝国のみ。。

<征服地への税制>
・ザミンダーリー制
地主・領主から直接地税を徴収
・ライヤットワーリー制
自作農民から直接地税を徴収

徴税に加え、プランテーション経営もするようになる。
茶、アヘンの栽培。

・シパーヒーの反乱(1857~59)
シパーヒーとはイギリス東インド会社に雇われたインド人傭兵(ヒンドゥー教徒+イスラム教徒)。薬包に牛と豚の脂を使っていると噂。

デリー城を占拠。ムガル皇帝を擁立
↓↓
インド大反乱に発展。
↓↓
英本国軍が鎮圧。ムガル帝国が滅亡。
↓↓
イギリス東インド会社は解散。統治権は英本国に移る。(=英はただ同然でインドを手に入れる形になった。噂は本国が流した・・?)

↓↓

・インド帝国1877~1947)成立
初代インド皇帝 ヴィクトリア女王
(ディズレーリ保守党内閣)

植民地なのに「帝国」と付いているのは、他のヨーロッパ諸国に向けた、英はインドを重要視しているというメッセージ。触れたらあきまへんえ・・の威嚇。

・分割統治
保守的な藩王国を懐柔。間接統治。(=農民の怒りは地主へ行く。英本国には行かない。)

 


30ー4 オスマン帝国の衰退

<アラビア半島>
・アラビア半島自立の動き

ワッハーブ運動
ムハンマド時代のイスラーム教復帰を目指す。
サウード家と結んでワッハーブ王国建設。都:リヤド

エジプトのムハンマド・アリーの攻撃で滅亡。
⇒アラビア半島の自立は失敗。

 

<エジプト>
・エジプト自立の動き
仏・ナポレオン1世のエジプト占領(1798~99)

ナポレオンはエジプト先住民(アラブ人)にオスマン帝国(トルコ人)への反抗を呼びかけた。

・ムハンマド=アリー
エジプトからナポレオンを追い出す。オスマン皇帝に変わってエジプト総督の地位を授かる。エジプト近代化を目指す。

オスマン帝国に要求。

第1次エジプト=トルコ戦争(1831~33)
オスマン帝国にシリアの領有を要求し、開戦。
〇エジプト VS トルコ✕
⇒シリアを獲得

第2次エジプト=トルコ戦争(1839~40)
エジプトとシリアの世襲権要求。
△エジプト VS トルコ
⇒シリアを返還。エジプトとスーダンの世襲権は獲得。

 

・スエズ運河 開通(1869)エジプト
(仏・技術者)レセップス
(英)ディズレーリ内閣。スエズ運河会社の株を買収。支配権獲得。

地中海からインド洋に直接行ける。

 

ウラービー運動(1881)(エジプトの反英運動)
「エジプト人のためのエジプト」英に反乱するが、鎮圧される。
↓↓
英はエジプトを保護国化する。植民地化。

 


30ー5 オスマン帝国の近代化

<オスマン帝国>
・アブデュル=メジト1世

「タンジマート(恩恵改革)」
皇帝が率先して近代化。上からの改革運動。司法、行政など。

非イスラムへの平等課税。法的にも。

クリミア戦争(1853~56)
〇オスマン帝国 VS ロシア✕
英・仏・サルディーニャ。

タンジマートの成果が出てトルコは勝利。しかしトルコは英・仏に借金。財政面では英仏の従属状態に・・。

 

・アブデュル=ハミト2世

宰相ミドハト=パシャ

・ミドハト憲法(1876)
アジア初の憲法。(大日本帝国憲法(1889)より13年早い。)立憲君主制への移行を目指した。皇帝の独占ではなく議会で話し合いをしよう。

 

ロシア=トルコ(露土)戦争(1877)
↓↓
アブデュル=ハミト2世が、皇帝の力を制限されるのを嫌ってミドハト憲法を停止。

宰相ミドハト=パシャを解任(1877)。戦争の責任を押し付けて島流しに。。

結局、皇帝独裁政治が変わらぬまま、英仏に財政面で頭が上がらないまま。。

 


30ー6 イラン・アフガニスタンの植民地化

<イラン>
・イランをめぐって英VS露
イランの植民地化。

・(イラン)カージャール朝(1796~1925)
北にはカスピ海、南にはペルシア湾。
北からロシアが狙う・・。南東から英が狙う。

 

トルコマンチャーイ条約(1828)
=イランにロシアが押しつけた不平等条約

(※オスマン帝国とは関係ない。トルコマンチャーイは町の名前)

ロシアはイラン・カージャール朝にこの条約を突きつけて、アルメニアの大半を獲得。治外法権を承認。

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・バーブ教徒の乱(イスラーム教・シーア派の一派)
貧困農民中心

英・露・イラン政府に反対するも、イラン政府に鎮圧される。

 

タバコ=ボイコット運動(1891~92)(イランの反英運動)

タバコの独占販売権がイラン政府から英業者に渡される。⇒民衆はタバコをボイコット。知識人(ウラマー)らも含めた反英・反国王運動。

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鎮圧される。英露のプレッシャーは続く。イランの植民地化は避けられない。

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<アフガニスタン>

英「アフガニスタンを絶対渡したくない・・!」

英のアフガニスタン侵略。

アフガニスタンはインドの北。英はインドが大事。ロシアからの侵攻の防波堤としてアフガニスタンは押さえておきたい。
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第1次アフガン戦争(1838~42)
英・完敗(全滅)

1878 ベルリン会議
ロシアのバルカン半島方面の南下を阻止した。
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そうするとロシアは違う地域から降りてくるかも・・。やばい。アフガニスタンにも来るかも。
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第2次アフガン戦争1878~80)
今度は英勝利。アフガニスタンを保護国化。

 


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