【34】帝国主義とアジアの民族運動
(1)インドの反英運動
(2)東南アジアの民族運動
(3)西アジアの民族運動
(1)インドの反英運動
ポイント①当初は親英的?インド国民議会の結成
インドの民族運動を懐柔するためにイギリスが取った政策
<インド民族運動の形成>
・インド国民会議の結成(ヒンドゥー教徒中心)ボンベイ
英がインド支配にあたってインドの知識人を抱き込む。「君たちの意見を政策に反映させるよ」。
↓↓
・国民会議派
インド国民会議に参加した人々による親英的な政治結社。
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ポイント②イギリスなんて早く出ていけ!
親英的な組織が反親英組織へ・・
<反英運動の高まり>
・ベンガル分割令(1905)(カーゾン法)
ベンガルでイスラーム教徒とヒンドゥー教徒を分けて住まわせる政策。
↓↓
英は宗教対立を引き起こして団結するのを防ごうとした。国民会議派に見破られた。
↓↓
国民会議派は激怒。親英から反親英に。
↓↓
・カルカッタ大会4綱領(こうりょう)の採択
国民会議派の急進派・指導者:ティラク
4つの綱領
[1]英貨排斥(えいかはいせき)(英製品の不買)
[2]スワデーシ(国産品愛用)スワ「自分の」デーシ「国の」
[3]スワラージ(自治の獲得)スワ「自分の」ラージ「支配」
[4]民族教育
英は焦る。
↓↓
・全インド=ムスリム連盟を発足。
英の支援で結成。インドのイスラーム教徒の政治団体。
VS
国民会議派 ヒンドゥー教徒
・ベンガル分割令撤回(1911)
撤回はされたが宗教対立は残ってしまった。
(2)東南アジアの民族運動
ポイント①ベトナム・インドネシアの民族運動
フランス・オランダに対する民族運動の行方・・
<ベトナム民族運動>
フランス支配下・仏領インドシナ
・ファン=ボイ=チャウ
維新会の結成(←日本の明治維新を参考にしている)
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・ドンズー(東遊)運動=日本に留学生を多く送る。
ベトナムの近代化をめざす。日露戦争での日本の勝利に影響。
↓↓ しかし・・日本は仏と手を組みドンズー運動は弾圧を受ける。
・ベトナム光復会(今度は中国をモデルに)
<インドネシア民族運動>
オランダ支配・オランダ領東インド
・サレカット=イスラーム結成
「イスラーム同盟」という意味。商人や知識人を中心に組織を拡大。自治を要求。
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ポイント②フィリピンの民族運動
スペイン支配の次はアメリカ支配!?
<フィリピン独立運動>
スペイン支配下
・ホセ=リサール
小説でスペインを批判。銃殺刑に・・。
・アギナルド
スペイン支配からの独立をめざしフィリピン革命をおこす。革命政府大統領になったがスペインに追われて逃げる。
↓↓
・米西(アメリカ=スペイン)戦争(1898)
アギナルドが米の援助で帰国。フィリピン共和国の建国。スペインからの独立。
↓↓ ところが・・
フィリピンは米の領土になってしまう。
↓↓
・フィリピン=アメリカ戦争(1899~1902)
フィリピン✕ VS 〇アメリカ
アギナルドは反米闘争→逮捕。フィリピンは独立できず米支配に。
(3)西アジアの民族運動
ポイント①オスマン帝国では立憲運動が再発!?
日露戦争の影響がオスマン帝国にまで届く
<オスマン帝国立憲運動>
・皇帝アブデュル=ハミト2世(位1876~1909)
ロシア=トルコ戦争時に、ミドハト憲法を停止した。
↓↓
領土縮小。もう一度皇帝の力を抑えようという動き。
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・「青年トルコ人」の結成
中心団体:「統一と進歩団」
日露で勝った日本に影響。憲法復活をめざす
↓↓
・青年トルコ革命(1908)
ミドハト憲法復活!(日露戦争の影響)
皇帝アブデュル=ハミト2世→退位。
オスマン帝国は立憲君主制を確立。
(しかしもう遅かったか・・。列強の植民地支配から脱却できず。)
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ポイント②イランの立憲運動の行方
英露の干渉に耐えるイランで起きた運動とは?
<イラン立憲運動>
・パン=イスラーム主義
アフガーニーが提唱
「全てのイスラム教徒が団結して、欧米の帝国主義に対抗しよう」
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・タバコ=ボイコット運動(1891)
イランの民衆が反英、反国王運動。
・イラン立憲革命(1905~1911)
日露戦争の影響。日本の明治維新を参考にして仮憲法の制定、国会開設までいくも・・
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・英露協商(1907)
ペルシア分割(イランの領土が一部英露に支配される)
北部:露領(カスピ海の南半分周辺)
南部:英領(ペルシア湾周辺)
※英と露はイランをめぐって対立していたが、独に対抗するため手を結ぶ。
↓↓
イラン立憲革命は英露が干渉し、つぶす。
憲法制定して国内を立て直し、外国を追い出す。
⇒オスマン帝国は成功〇、イランは失敗✕。
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