【42】冷戦の激化と西欧・日本の経済復興 – 歴史note

【42】冷戦の激化と西欧・日本の経済復興

【42】冷戦の激化と西欧・日本の経済復興
(1)朝鮮戦争と軍拡競争
(2)核開発と平和運動
(3)ヨーロッパ諸国の経済統合
(4)日本の成長と冷戦の転機


(1)朝鮮戦争と軍拡競争
ポイント①米ソの代理戦争!朝鮮戦争の勃発
アメリカ・ソ連がそれぞれ支持する国々が衝突

朝鮮戦争(1950~1953)>
北朝鮮 VS 韓国
北朝鮮軍が軍事侵攻。ソウル占領。
→韓国は釜山まで追い詰められる。
↓↓
国連軍出動(主体)仁川(じんせん)上陸
(安保理はソ連がボイコットしたが米が強引に決めた)
→北朝鮮軍を中国国境まで追い込む
↓↓
中国人民義勇軍(ボランティア兵)を派遣し北朝鮮を支援。
↓↓
朝鮮休戦協定(1953)at 板門店(はんもんてん)
暫定的な軍事境界線
北緯38度線
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ポイント②ソ連に負けるな!アメリカの「巻き返し政策」
全世界と反共軍事同盟の締結を狙うアメリカ

33代トルーマンの次・・
<34代 アイゼンハワー大統領(任1953~1961)>
「ソ連をつぶす。米が世界の国々と軍事同盟を結ぶ・・!」
=巻き返し政策

マッカーシズムの流行(1950年代初)
議員:マッカーシ
ソ連派をヒステリックに追放(赤狩り

<世界各地に成立した反共軍事同盟> ソ連との対決に備える
日米安全保障条約(1952)
・米韓相互防衛条約
・米華相互防衛条約(台湾)
・太平洋安全保障条約(ANZUS)
・東南アジア条約機構(SEATO)
・中東条約機構(バグダード条約機構、METO)
・アメリカ州機構(米州機構、OAS)


(2)核開発と平和運動
ポイント①核を保有すると、発言力が強くなる!?
米ソに対抗し、次々と核を保有する国が登場

原子爆弾
・ウランやプルトニウムの核分裂を利用してつくる大量破壊兵器。
核実験・・が世界で初めて成功

<各国の核の保有>
の核実験・・1945年
ソ連の核実験・・1949年
・米は水素爆弾の実験にも成功→ソ連も猛追
の核実験・・1952年
の核実験・・1960年
中国の核実験・・1964年
インドの核実験・・1974年
パキスタンの核実験・・1998年
北朝鮮も核を保有

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ポイント②平和な世界にするために…
世界各地で行われた平和運動・核兵器廃絶運動

<核兵器の廃絶にむけて>
ビキニ水爆実験
米、中部太平洋、マーシャル諸島のビキニ環礁で核実験実施
「死の灰」により周辺住民は被曝
↓↓
第五福竜丸事件(1954)
日本のマグロ漁船の乗組員が「死の灰」を浴び被曝
↓↓
原水爆禁止運動
東京都杉並区の主婦の運動から始まる
→世界的運動に発展

・バートランド・ラッセル(英哲学者)
「多くの人が核の廃絶を訴えることが重要」
↓↓
ラッセル・アインシュタイン宣言
核兵器・核戦争の危険性を訴えた宣言
↓↓
パグウォッシュ会議(カナダ)
科学者による核兵器禁止運動
科学と国際問題について協議


(3)ヨーロッパ諸国の経済統合
ポイント①目指すのは経済的な「第三の巨人」
独立を維持した状態で、経済的に全面協力

<これまでのヨーロッパの戦争を反省・・>
仏外相:シューマン
「地下資源豊富な地域をめぐって何度も争ってきた。特に独と仏は・・」アルザス・ロレーヌは普仏戦争、WW1、2で取り合い。→みんなで共有したらどうだ?
シューマン=プラン

↓↓ 独立は維持したまま、お互い経済的に協力する組織

ヨーロッパ共同体(EC)(1967)>
仏、西独、伊、ベネルクス3国、の6カ国

・ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)
・ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)ユラトム
・ヨーロッパ経済共同体(EEC)
→この3つが合わさってヨーロッパ共同体(EC)ができる。
VS
・ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)
の提案で発足。工業製品の共同市場。

拡大EC
1970年代:、アイルランド、デンマーク
1980年代:ギリシア、スペイン、ポルトガル(加盟12カ国に)

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ポイント②アメリカもイギリスも嫌い?フランスの独自路線
第五共和政のスタート!フランスの新たな動き

(仏)
第四共和制・・議会重視
植民地(インドシナ・アルジェリア)の独立運動など、混乱
↓↓
第五共和制(1958~現在)>
ド=ゴール大統領(任1958~1969)
「強力な力が必要だ。俺が仏を立て直す!」
米英に追随しない。頼らない。
→大統領権限を重視
・核保有
・アルジェリア独立を承認(エビアン協定1962)
・中華人民共和国の承認
NATO軍事機構を脱退
↓↓
・五月危機(五月革命)
独裁を嫌う学生、労働者、市民らによる大規模な反ド=ゴール運動


(4)日本の成長と冷戦の転機
ポイント①ソ連がアメリカに歩み寄る!?
1950年代のソ連外交に大きな変化が訪れる

スターリンの死(1953)
→<フルシチョフ書記長(任1953~1964)>
「ソ連とアメリカ、世界は平和に共存できるはず」

スターリン批判(1956)
ソ連共産党第20回大会
↓↓
「雪どけ」>ソ連・エレンブルクの小説より
ジュネーヴ四巨頭会談(1955)
米・ソ・英・仏の首脳が平和共存を確認

・ソ連・西独国交回復

コミンフォルム解散(共産党情報局)

フルシチョフ訪米
ソ連のリーダーとして初めて訪米。
フルシチョフとアイゼンハワー
キャンプ・デービッド
↓↓
<ソ連支配に対する民主化運動>
ポーランド反政府反ソ暴動(ポズナニ暴動)
ゴムウカがポーランドの自主路線を約束して事態収拾(自主解決)

ハンガリー反ソ暴動(ハンガリー事件)→✕失敗
ナジ=イムレが首相に復帰
→ソ連の軍事介入により失敗。ナジ=イムレは処刑。

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ポイント②「もはや戦後ではない」
1950年代以降、急激に成長する日本経済

<日本の経済成長>
特需・・朝鮮戦争
米軍の必需品を日本が生産・輸出→経済復興へ

日ソ国交回復(1956)「雪どけ」のタイミング
日本の国連加盟(1956)

・高度経済成長期(1950年代)

※ただし、ヨーロッパと違い、アメリカよりの外交。


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