フランス – 歴史note

【39】世界恐慌とファシズム諸国の侵略

【39】世界恐慌とファシズム諸国の侵略
(1)世界恐慌の到来
(2)イギリス・フランスの対応
(3)日本の中国侵略
(4)ナチ党の勢力拡大
(5)ナチス=ドイツの動向
(6)ファシズム諸国の協力体制
(7)第二次世界大戦へ


(1)世界恐慌の到来
ポイント①アメリカから始まった恐慌が世界へ波及!!
「暗黒の木曜日」から始まる経済危機

米の繁栄。空前の株式ブーム。

世界恐慌(1929年10月24日(木))
ブラックサーズデー「暗黒の木曜日」
NY株式市場 ウォール街で株価大暴落
→米で金融恐慌→全世界へ波及
↓↓
・フーヴァー大統領(任1929~1933)
特に対策せず。
フーヴァー=モラトリアム
→欧への支援を1年止める。→欧の経済悪化・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランクリン=ローズヴェルトの改革!
経済には国家が積極的に介入すべき

フランクリン=ローズヴェルト(民主党)(位1933~1945)
ニューディール政策
新規まきなおし。国家の経済介入

農業調整法(AAA)トリプルA
農民を救済。生産制限、過剰生産物の政府買い上げ。

全国産業復興法(NIRA)
企業の救済。労働者の団結権・団体交渉権を承認。

↓↓ 企業を助けるのは憲法違反と言われる。

ワグナー法
労働者の団結権・団体交渉権を改めて承認

テネシー川流域開発公社(TVA)
政府が総合開発に着手。公共事業ダム建設など。
多くの失業者を吸収。

<外交>
善隣外交(1933)
経済的、政治的な南北アメリカの一体化へ
(強い外交から→友好的な外交へ)

キューバ独立の承認

ソ連の承認(1933)
市場になるのでは・・との狙いもあり


(2)イギリス・フランスの対応
ポイント①イギリスは自由貿易路線を止める!?
広大な植民地をもつイギリスが取った方法とは

(英の世界恐慌対策)
第2次マクドナルド内閣(任1929~1931)>
・労働党(社会主義政党)
失業保険の削減
労働党の反対で総辞職、除名
↓↓
マクドナルド挙国一致内閣(任1931~1935)>
恐慌対策
金本位制停止・・金が国外へ流出するのを防ぐ
(金本位制とは・・紙幣と金との交換が保障されている制度。信用度を保つ。)

オタワ連邦会議(イギリス連邦経済会議)
イギリスは自由貿易をやめる。自治領と植民地とのみ貿易する。
ブロック経済の採用
スターリング=ブロック(ポンド=ブロック)
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ポイント②フランスの対応はグダグダ!?
恐慌への対策に遅れをとったフランスは・・

(仏の世界恐慌対策)
フラン=ブロック(英と同じようにした)

国内改革はできず不安定
・小党分立・政局不安定→ファシズム勢力の拡張(反社会主義・反共産主義)

↓↓ ファシズムを押さえ込むために

人民戦線の結成(反ファシズム)
フランス社会党・急進社会党・フランス共産党
↓↓
ブルム人民戦線内閣の成立(フランス社会党)


(3)日本の中国侵略
ポイント①日本の軍国主義化
第一次世界大戦後の日本の政治はどうなる!?

金融恐慌に世界恐慌が加わる。軍部が力を持つように。。「持たざる国」の日本は植民地を求めて中国侵略を強める。

満州事変(1931)>
柳条湖事件(1931.9.18)
日本の関東軍が奉天郊外で南満州鉄道を自ら爆破。自作自演。中国側の仕業だと言う。
↓↓
さらに満州から目をそらすために・・
↓↓
上海事変(1932)
日本人殺害事件を口実に、日本の海軍が進出。

↓↓ その間に・・

満州国の建国(1932)遼東半島の北
執政:溥儀(清の宣統帝)

リットン調査団の報告
→柳条湖事件は日本の自作自演で侵略。満州建国は認めない。
→日本、国際連盟を脱退(1933)

・五・一五事件(1932)
海軍将校が犬養毅首相を暗殺(政党政治が終わる・・)

・二・二六事件(1936)
陸軍の急進派将校らが重臣・閣僚などを暗殺(高橋是清・大蔵大臣や斎藤実・内大臣など。岡田啓介首相は難を逃れる。)
↓↓
日本は軍国主義へ・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②中国では国民党と共産党の対立が進む
共産党の毛沢東が蒋介石に呼びかけたこととは?

中国国内は国共が対立してまとまっていない・・

長征(大西遷・だいせいせん)>
・国民党の攻撃
→共産党軍の大移動
→毛沢東は本拠地を瑞金から→延安へ。12,500km

八・一宣言の発表(1935)
国民党へ内戦の停止と抗日民族統一戦線の結成を訴える
→蒋介石は聞かず。
↓↓
西安事件(しーあん/せいあん/じけん)(1936)
張学良が蒋介石を監禁・説得。
→蒋介石は抗日への姿勢を示す(しぶしぶ)
(※蒋介石はその後も張学良を許さず、WW2後に台湾で張学良をずっと軟禁していたほど。)

盧溝橋事件(1937.7.7)北京郊外
日本と中国の軍事衝突=日中戦争が始まる
→同時に第2次国共合作の成立

日中戦争(1937~1945)>
・南京占領→南京事件
→日本は中国各地へと侵略。中国側は劣勢。日本が優勢。

・国民政府(蒋介石)は南京を捨て→重慶へと遷都
重慶政府(抗日最後の拠点)
VS
・「南京国民政府」の樹立・・日本の傀儡政権
指導者:汪兆銘
(北伐で蒋介石と対立。別ルートを行った)


(4)ナチ党の勢力拡大
ポイント①ドイツ国民を魅了したナチ党の政策!
合法的な手段で政権の獲得を目指すヒトラー

ナチ党(国民(国家)社会主義ドイツ労働者党)>ファシズム政党
「国民社会主義」の意味・・資本主義で生じた問題を、ロシアのような社会主義ではなく、国家が率先して解決する。独裁権力を使う。ファシズム。

指導者:ヒトラー
・反ユダヤ主義、反共産主義
ユダヤ人は商売、金貸しが多い→貧富の差が拡大している。
・植民地の再分割を目指す
↓↓
・中間層(中産階級)や軍部の支持
↓↓
突撃隊(SA)
反対派を暴力で打倒。ナチスの私軍。

親衛隊(SS)
幹部の身辺警護組織
→後にゲシュタポ(秘密警察=スパイ)を創設
反対派を抑圧していく。

ミュンヘン一揆(1923)→✕失敗
ナチ党のクーデタ
ヴァイマル政府の打倒を掲げ、政権獲得を目指す
(ムッソリーニのローマ進軍のように。)
→鎮圧される。
(ドイツ国民はルールを重んじるため)
→合法的な手段に変えていく

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ヒトラーの政権獲得。第三帝国の成立
世界恐慌を機に一気に党勢を拡大するナチ党・・

<世界恐慌によるドイツ経済の破綻>
ヴァイマル共和国
・2代ヒンデンブルク大統領(任1925~1934)
世界恐慌の波及
→効果的な対策を打てず、失業者は増加を続ける

1932年選挙
第1党:ナチス 第2党:社会民主党 第3党:共産党
↓↓
ヒトラー内閣の発足(1933)
ヒトラーは即座に国会解散宣言
→国会議事堂放火事件
ドイツ共産党弾圧(解散)→ナチ党に吸収

<第三帝国(1933~1945)>
全権委任法・・政府に立法権を委ねる
(ヴァイマル憲法が停止。死文化)
(第一帝国:神聖ローマ帝国。第二帝国:ドイツ帝国)

・ヒンデンブルク大統領の死
大統領・首相・党首の全権を掌握
総統(フューラー)


(5)ナチス=ドイツの動向
ポイント①ナショナリズムを利用した政治
ヒトラー政権が支持された最大の要因とは・・

<経済政策>
アウトバーン建設・・高速自動車道路網(独ー墺間)
失業者を大量に吸収

・四カ年計画・・軍事最優先の生産活動

ユダヤ人排斥> ナショナリズムの利用
・ホロコースト・・ユダヤ人大虐殺
各地にゲットー(強制隔離居住区)を設置
強制収容所・・アウシュヴィッツ(ポーランド南部)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ヴェルサイユ体制の打破!軍備を拡大するドイツ
国際連盟の脱退後の急激な軍備拡張

<ナチス=ドイツの外交>
国際連盟の脱退(1933)・・日本についで2番目
ザール編入・・石炭。住民投票で独領に。独仏国境
再軍備宣言(1935)・・徴兵制復活(義務兵役)。ヴェルサイユ条約の破棄

<ヨーロッパ諸国の対応>
仏:仏ソ相互援助条約締結
(その後、仏・チェコスロバキア・ソ連が同盟を組む)
は独の再軍備を警戒

英:英独海軍協定の締結(1935)
→英は独の再軍備を容認した。ソ連の社会主義勢力を抑えたい。
→ナチス暴走。
↓↓
ラインラント進駐(1936)・・仏ソが組んだことに反発。西欧の安全をうたったロカルノ条約破棄


(6)ファシズム諸国の協力体制
ポイント①ファシズム勢力を抑えこめ!
各国の共産党はファシズムを第一の敵とする

ファシズムは反共産・反社会主義
<コミンテルン第7回大会(1935)>
・「味方でないものは敵」→「敵でない者は味方」
各国の共産党はあらゆる反ファシズム勢力と協力
人民戦線の結成

スペイン人民戦線の結成(1936)>
・スペイン=ブルボン朝の崩壊
→ファシズム政党が党勢を拡大

アサーニャ人民戦線内閣
社会主義的改革を実施

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ファシズム国家の同盟成立
ドイツとイタリアが急接近。一体何が?

独はヨーロッパで孤立している。イタリアが追う。

<ファシズム国家の国際的孤立>
(ムッソリーニ)、エチオピア侵入(1935)
恐慌による国内の経済危機から国民の目をそらすために決行。
(※第1次エチオピア戦争(アドゥワの戦い1896)はエチオピアが勝利し、伊を追い出したが、今回の第2次はイタリアが勝利し、エチオピアを併合した。)

→国際連盟、イタリアに経済制裁を実施
→イタリアも孤立していく・・

↓↓ この内戦をきっかけに独・伊が仲良くなる

スペイン内戦(1936~1939)>
・アサーニャ人民戦線内閣(社会主義)
→軍人フランコの反乱(ファシズム支持)
↓↓
ファシズム(フランコ側)ドイツ・イタリア
VS
社会主義(アサーニャ側)ソ連、国際義勇軍(米:ヘミングウェー)↓↓
不干渉政策
英・仏など20カ国は内政不干渉を宣言。
→「独伊ファシズムはソ連の社会主義を倒してくれるのでは・・」という浅はかな期待を持つ・・

↓↓ 怒られないな・・

ベルリン=ローマ枢軸の成立(独と伊の同盟)
三国防共協定の成立(日独伊
防共」=「ぐ。産、社会主義を」

英仏「日独伊でソ連を囲んでる・・!つぶしてくれるかも」
独伊「防共と言えば何をしてもいいんだな」→悪い自信を付けてしまう。

→イタリア国際連盟脱退(1937)3番目の脱退

ドイツ空軍のゲルニカ(バスク地方の町)無差別爆撃
ピカソ『ゲルニカ』を描いて抗議

・首都マドリード陥落
フランコ独裁政権(ファシズム政権)の成立
✕アサーニャ人民戦線内閣(社会主義)


(7)第二次世界大戦へ
ポイント①暴走するヒトラーを放置する英・仏
領土拡大に動くナチス=ドイツを黙認する理由は?

スペイン内戦で自信をつけたヒトラー、さらに暴走・・
<ドイツ人地域への進出>
オーストリア併合(1938.3)同じゲルマン民族だから
ヴェルサイユ条約やサン=ジェルマン条約で禁止されているのに、誰にも文句を言われない

・ドイツがズデーテン地方(チェコスロバキア・ドイツ系住民多い)の割譲を要求→チェコスロバキアは拒否
↓↓
ミュンヘン会談>(1938.9)
・英:ネヴィル=チェンバレン
・仏:ダラディエ
・独:ヒトラー
・伊:ムッソリーニ
(※ソ連、チェコスロバキアの代表は未招集)

宥和(ゆうわ)政策・・独に譲歩。英仏はヒトラーの要求を受諾。(=防共を期待しているため)
↓↓
・ドイツ、ズデーテン地方を併合
英「これが最後だよ」独「分かった」

↓↓ と言いつつ暴走は止まらない

・チェコスロバキア解体

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界に激震!ドイツがある国と同盟を締結!
第二次世界大戦へと突入するヨーロッパ

ダンツィヒ・ポーランド回廊の割譲要求>
・ポーランドは英仏の支援を期待して拒否

↓↓独「ポーランドを攻めたらソ連が来るな。戦うより利用してやれ」

独ソ不可侵条約の締結(1939.8)
(2国の思惑)
ドイツ・・両面戦争(仏とソ連に挟みうち)の回避
ソ連・・英仏への不信感
↓↓
世界が衝撃!
(日本、35代平沼騏一郎「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた。」総辞職(日独伊で防共するんじゃないの?共の親玉のソ連とくっつくの?))
↓↓
ドイツ、ポーランド侵攻(1939.9.1)
→第二次世界大戦の開始

 


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【37】第一次世界大戦後の欧米諸国

【37】第一次世界大戦後の欧米諸国
(1) 戦勝国アメリカの栄華
(2) 戦勝国イギリス・フランス
(3) 敗戦国ドイツの復興
(4) ファシズムの台頭
(5) 東欧諸国の動向


(1)戦勝国アメリカの栄華
ポイント①第一次世界大戦を勝利に導いたウィルソン!
急速に保守化するアメリカ社会・・

米が政治・経済No1に!排他・排外的になる。

民主党政権(1913~1921)>
28代ウィルソン大統領
禁酒法(1920~1933)
(厳格なプロテスタント(ピューリタン)の意思を反映)

女性参政権(1920)男女平等選挙権
(総力戦で女性も兵器工場で働いた。→女性の地位向上)

モンロー主義「米は米、欧は欧」のように昔に戻そう。
ヴェルサイユ条約の批准を拒否(上院の反対)
米は国際連盟不参加
さらに保守化が進み、次は共和党が政権を取る。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②排外的なアメリカ社会の「裏」の顔
共和党政権下に露わになったアメリカの「光」と「影」

共和党政権(1921~1933)>3代続く
排外的。(外国人出ていけ)。さらに保守的に。

債権国アメリカ
米は債務国から→債権国になった。
WW1の連合国の兵器工場になったため。

・大量生産・大量消費
へ。
大衆消費社会。新聞やラジオ放送など。

WASP(ワスプ)北部都市・白人中心階級
白人(White)、アングロ・サクソン(AS)、プロテスタント(P)。
↓↓
・K・K・K(クー・クラックス・クラン)活動再開。
黒人、黄色人種の差別。
↓↓
・サッコ・ヴァンゼッティ事件(伊系・冤罪)
2人のイタリアの無政府主義者への冤罪事件

移民法(1920)
アジアからの移民は全面禁止。排日移民法。


(2)戦勝国イギリス・フランス
ポイント①躍進する社会主義勢力
イギリスでは初の社会主義政党が政権を獲得

<英>
ウィンザー朝(1917~現在)
(王家が変わったのではなく、ハノーヴァー朝から改名。ハノーヴァーはドイツ読みなので。)
スチュワート朝⇒ハノーヴァー朝(独出身の諸侯)
(ウィンザーはバッキンガム宮殿がある地名)

ロイド・ジョージ挙国一致内閣
・第4回選挙法改正(1918)
21才以上の男性、30才以上の女性に選挙権。
イギリス初の女性選挙
(※世界初の女性選挙権はニュージーランド。(1893))

第1次マクドナルド内閣(1924)
英で労働党内閣。(社会主義政党)。自由党と連立したが崩壊。

第5回選挙法改正(1928)
21歳以上の男女に選挙権。

お金に余裕がないので植民地支配の方針を変更
↓↓
ウエストミンスター憲章(1931)
自治領をイギリス本国と同党の地位を与える。法的に制定。
大英帝国」⇒「イギリス連邦」と改称。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランス外交は「本音」と「建て前」!?
ヨーロッパ諸国の顔色をうかがう外交

<仏>
対ドイツ強硬外交
・クレマンソー挙国一致内閣
・ポワンカレ内閣。
ルール占領(ルール出兵)→仏は他の欧米に怒られた。
↓↓
対ドイツ協調外交に変更
本音:独のことキライ。
建前:手のひら返しで独と協調

・左派連合政権
ソ連の承認、ロカルノ条約締結。

・ポワンカレ内閣
不戦条約(1928)パリで調印。
米ケロッグ、仏ブリアン。


(3)敗戦国ドイツの復興
ポイント①第一次世界大戦後のドイツ国内の混乱!
帝政から共和制へ移行するドイツが直面した問題

ドイツ革命(1918~1919)>
キール軍港の水兵反乱。
「評議会(レーテ)」が成立。労働者・兵士の代表が集まる会議。
(ロシアでは「ソビエト」、ドイツでは「レーテ」と呼ばれる。)
ヴィルヘルム2世亡命。
↓↓
ドイツ共和国成立。(王や皇帝がいない)
ドイツ休戦協定を締結。

スパルタクス団の結成。(「ドイツ共産党」の母体)
ドイツをロシアのような社会主義国家にしようと暴動。←鎮圧。
・カール・リープクネヒト
・ローザ・ルクセンブルク(ポーランド出身の女性革命者)

ヴァイマル国民議会の開催(1919)
社会民主党が主導
初代大統領・・エーベルト
↓↓
ヴァイマル(ワイマール)憲法
当時世界で最も民主的主権在民、男女平等の普通選挙。労働者の団結権、団体交渉権の保障。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界でもっとも民主的な国が抱えたトラブル!
巨額の賠償金がドイツ社会に大きな影響を及ぼす・・

ヴァイマル共和国(ドイツ共和国)

<賠償問題>
仏にルール占領される⇒激しいインフレ
・帝政派の軍部クーデタ
・ドイツ共産党の武装蜂起など
国内は混乱・・

シュトレーゼマン大連合内閣>
・首相:シュトレーゼマン
レンテンマルク紙幣の発効。(1兆マルク=1レンテンマルク)
インフレを奇跡的に収束。
↓↓
<2代目大統領 ヒンデンブルク
・協調外交(シュトレーゼマン外相)
ロカルノ条約の締結→ドイツの国際連盟の加盟。
不戦条約の締結

着実に復興を歩む・・。
(シュトレーゼマンはノーベル平和賞受賞。仏ブリアンとともに。)


(4)ファシズムの台頭
ポイント①戦勝国なのに混乱するイタリア
民主主義の矛盾をついた新しい政治思想の登場

(イタリア)
ヴェルサイユ体制への不満
戦勝国だけど不満→参戦の条件に英仏と約束した「未回収のイタリア」が一部回収できなかったから。
↓↓
フィウメ問題(イタリア人が多く住む地域)
南チロル、トリエステは回収できたが、フィウメはユーゴスラヴィア領に→その後、国際連盟の管理下に

・戦後の不況問題
北イタリアでストライキ。←政府(イタリア社会党)が鎮圧。
「社会党(社会主義)」は労働者の味方じゃないのか!」失望・・。
↓↓
新しい政治思想。ファシズムの台頭。
貧富どちらにも支持される。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ムッソリーニの一党独裁体制の確立!
民衆から支持を集め、独裁政治を行う

<ムッソリーニ(ファシスト党)(1883~1945)>
ファシスト党の結成
反社会主義
→資本家・地主・軍部に支持を拡大

国家による経済統制
仕事は与える。物価は下げる。
→下層階級からも支持
↓↓
「ただし言論の自由は許さない!」
ファシズム全体主義

ローマ進軍
ムッソリーニのクーデター。
国王はムッソリーニの組閣を承認。政権を獲得
↓↓
・フィウメ併合
国民から支持が高まる
↓↓
ファシスト党の一党独裁制
の成立
ファシズム代表議会

アルバニア保護国化
植民地拡大(バルカン半島・モンテネグロの南)
強いイタリアをアピール

ラテラン条約(1929)
ローマ教皇との和解
(イタリア政府とローマ教皇は断絶していた。→イタリア統一運動の普仏戦争1870で教皇領を奪ったため。)
→ヴァチカン市国(しこく)の成立承認。
(※ナポレオンもローマ教皇と和解して国民の人気を獲得していた)

↓↓
イタリア国民の仲間意識を高めていく。
当時イタリア国民はファシズムを支持


(5)東欧諸国の動向
ポイント①独裁政治のほうが都合が良い!?
西ヨーロッパ諸国は東欧の独裁政治を認める

・ウィルソン提唱の「民族自決」が東欧には適用され独立。

東欧諸国の独裁ポーランド)>
・ソヴィエト✕=ポーランド戦争〇
ポーランドは勝利し、領土を獲得。
ピウスツキの独裁体制(議会は無視)

東欧諸国の独裁ハンガリー)>
ハンガリー革命(1918~1919)
社会党や共産党がソヴィエト政権(社会主義)を樹立。
→ハンガリー共和国の独立←ルーマニア軍介入で崩壊。
↓↓
・ホルティの独裁
王政を復活。社会主義を阻止

西欧の考え
→「社会主義さえ阻止してくれれば、独裁でもいい」

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界が注目!ソ連経済の急成長
社会主義国家の計画経済とは?

レーニンの死(1924)ロシア革命の指導者・ソ連の創始者
後継者をめぐって2人が争う。
↓↓
[1]トロツキー✕:「世界革命論
西欧や世界に革命を広げよう。政治的援助が必要。
(→メキシコで暗殺される)
VS
[2]スターリン〇:「一国社会主義論
社会主義の建設はソヴィエト一国で充分。

スターリン体制(1930年代)>
粛正
スターリン反対派を大量に処刑。

スターリン憲法(1936)
形式的な民主主義。男女平等。民族平等。(→書いただけで実際はやらない)

<ソ連の計画経済>
第1次五カ年計画(1928~1932)
重工業重視の工業化。→工業国へと急成長。
農業の集団化、機械化。
コルホーズ(集団農場)桑・機械などを共同で利用
ソフホーズ(国営農場)作物は国のもの。賃金を支払う。

■ 第2次五カ年計画(1933~1937)
・軽工業の発展

↓↓
ソ連は欧米に並ぶ経済大国に成長。西欧には社会主義が脅威となってくる・・。

 


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【35】第一次世界大戦とロシア革命

【35】第一次世界大戦とロシア革命
<第一次世界大戦>1914-1918
(1) 20世紀初頭の国際情勢
(2) 第一次世界大戦の勃発
(3) 第一次世界大戦の終結
(4) ロシア二月革命
(5) ロシア十月革命。史上初、社会主義国家の誕生
(6) 内戦と諸外国の干渉


(1)20世紀初頭の国際情勢
ポイント①もう一度確認!20世紀初頭の列強の同盟関係
ドイツに対抗するために生まれた国際関係を整理

ドイツ VS ロシア
(ビスマルク時代)
・三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)
・独と露は再保障条約(秘密条約)

(ヴィルヘルム2世時代)
再保障条約を更新せず、ロシアとけんかを始める。
↓↓
仏はそれをのがさず、露と手を結ぶ。
露仏同盟(1891)
ヨーロッパの情勢が一気に変わる。

※三国同盟のイタリアオーストリアは領土をめぐって、実はギクシャク状態。(未回収のイタリア

ヴィルヘルム2世はこれを解決せず、露にけんかを売ってしまった。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生!
三国同盟と三国協商の対立

ドイツ VS イギリス(三国協商の成立)

独はロシアにけんかを売ったあと、英にもけんかを売る。
ドイツの方が工業力で上になった。
↓↓
「光栄ある孤立」だった英が、他の国と初めてくっつく。
・日英同盟(1902)
↓↓
・英仏協商(1904)
一緒にドイツを止めましょう。エジプト(英)とモロッコ(仏)の相互承認。
↓↓
英露協商(1907)
↓↓
三国協商(1907)

三国同盟:独・伊・オーストリア
VS
三国協商:英・仏・露
↑↑
独キライ同盟。
露仏同盟(1891)。英仏協商(1902)。英露協商(1907)。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント③バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」
一つの火種が大爆発を起こす

<バルカン半島の危機>
なぜ危険?→の思惑がバルカン半島にあったため。

パン=ゲルマン主義(ドイツ)
VS
パン=スラヴ主義(ロシア)
セルビア・・パン=スラヴ主義の中心勢力。バルカン半島はスラブ人が多い。独は入ってくるな。

バルカン半島の情勢が悪化していく・・

青年トルコ革命(1908)→オスマン帝国(トルコ国内が混乱)
・便乗する形でブルガリアが独立。
・そのすきにオーストリアが無理やり隣のボスニア・ヘルツェゴビナ併合。バルカン半島に勢力を伸ばしてくる。
↓↓
隣のセルビアは反発。

・イタリア=トルコ戦争
イタリアが、弱っているオスマン帝国に侵入。アフリカのリビアを獲得。
↓↓
セルビアは、この弱っているオスマン帝国の領土を奪う
↓↓
バルカン同盟(1912)
セルビア・ブルガリア・モンテネグロ・ギリシアの同盟(+ロシアの支援)

第1次バルカン戦争(1912)
バルカン同盟 〇VS ✕オスマン帝国敗北

第2次バルカン戦争(1913)
セルビア・モンテネグロ・ギリシア ルーマニア・オスマン帝国〇VS✕ブルガリア。仲間割れしてブルガリアが敗北
↓↓
負けたオスマン帝国ブルガリアは、セルビアロシアに反感を持つようになる。
↓↓
独、オーストリア側(三国同盟側)に付く。


(2)第一次世界大戦の勃発
ポイント①第一次世界大戦の引き金をひいたある事件!
セルビアの青年が放った銃弾が世界大戦を引き起こす・・

サライェヴォ事件(1914.6.28)
オーストリア帝位継承者夫妻・フェルディナント夫妻。
陸軍演習の視察でサライェヴォ(ボスニアの州都)を訪問。ボスニアはオーストリアが無理に併合した地域。

セルビア青年が夫妻を暗殺。
「にっくきオーストリアめ・・」
↓↓
オーストリアセルビアに宣戦
↓↓
ロシア協商国=連合国)がセルビアを支援。
↓↓
ドイツ同盟国)がオーストリア側に付く。露・仏に宣戦布告
↓↓
第一次世界大戦へ・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ロシア・フランス・イギリスに囲まれたドイツの戦術とは?
<ドイツの短期決戦作戦>
独は不利。三方を囲まれている。


独は短期決戦をめざし、まずは全力でを倒してその後ロシアへ。

■ 西部戦線との戦い)
独はベルギーの中立を侵犯し、仏・パリを攻めようとした。
(中立国は攻めてはいけない。国際ルール)
が怒る⇒英の対ドイツ宣戦。

マルヌの戦い(1914.9)
〇仏 VS ✕独

東部戦線との戦い)
タンネンベルクの戦い(1914.8)
仏に向かうさなか、ロシアが後ろから来た。独はロシアに勝利。
〇独 VS ✕露
勝った勢いのままロシアに侵攻するが、そこでは独は敗北

→膠着状態。長期戦へ・・。

海上戦との戦い)
独は潜水艦を使う。
ルシタニア号の撃沈。軍艦ではなく一般客船。
の国民が犠牲に。⇒米が怒る


(3)第一次世界大戦の終結
ポイント①日本の参戦!イタリアの裏切り!?
各国の思惑が一気に噴出した大戦の様相

日本の参戦(1914)
日英同盟
があったため英側協商国側)に付く。
が持つ中国領土を攻める。
・膠州湾青島(チンタオ)を占領。
二十一カ条の要求・・大隈重信内閣(早稲田大学創設)
どさくさに紛れて中国の植民地化を進める。
ドイツ領南洋諸島占領(マーシャル諸島など)

イタリアの参戦(1915)>
三国同盟の伊は中立を保っていた。それに英と仏は目を付ける。
→「未回収のイタリア」を渡すから・・と交渉。
イタリアの裏切り!三国同盟を離脱して英・仏に付く。

英の秘密条約
どうしても勝ちたいの3枚舌外交。オスマン帝国領土の3重契約。
[1]フセイン・マクマホン協定
オスマン帝国は英の敵の独側(同盟国側)。そこでアラブ人をオスマン帝国内で反乱を起こすようけしかける。アラブ人国家の独立を約束。(映画『アラビアのロレンス』)

[2]サイクス・ピコ協定
オスマン帝国領を英・仏・露で分割しよう。

[3]バルフォア宣言
パレスチナ(オスマン帝国領内)におけるユダヤ人国家建設を支援。「だからユダヤ人さん、お金を貸して」
↓↓
現在まで続く中東問題の諸悪の根源に・・。

・英は植民地のインドにも自治の約束

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界大戦の終結に向けて
1917年は世界大戦の動向に大きな影響を与えた年!

協商国連合国)英・仏・露・米・日・伊など20カ国
VS
同盟国 独・墺・オスマン帝国・ブルガリア

総力戦
国民全員で一致団結。
女性の工場労働。兵器工場。

ヴェルダン要塞をめぐる攻防
独✕ VS 〇仏

ソンムの戦い
英軍が初めて戦車(タンク)を使う。→決着は付かず

独・無制限潜水艦作戦(1917)
「すべての船を無警告で撃沈する。」
が怒る。米参戦を決定。(1918)
ウィルソン大統領
十四カ条の発表

ロシアの単独講和
ブレスト=リトフスク条約(1918)
ロシア革命が起こり、ロシアは戦線離脱。独と休戦

・ブルガリア、オスマン帝国、オーストリア降伏

ドイツ革命(1918~19)
キール軍港の水兵反乱
各地にレーテ(評議会)が成立
皇帝ヴィルヘルム2世は亡命共和制へ・・。

ドイツ休戦協定
第一次世界大戦終結

 


(4)ロシア二月革命
ポイント①ついにロシアで不満が爆発!ロシア二月革命
第一次世界大戦の戦況悪化が革命の引き金に・・

ロシア二月革命(1917)(西暦では三月革命)
第一次世界大戦で民衆が不満を高める。
ペトログラード蜂起(←ロシア読み。「ペテルブルク」は独語)
労働者、兵士も合流。
↓↓
ソヴィエトの結成
労働者と兵士の代表による評議会(会議)。皇帝に対し早く戦争終結を求める。
↓↓
皇帝ニコライ2世の退位
ロマノフ朝の滅亡。皇帝がいなくなり共和制(王や皇帝がいない)へと移る。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②二重権力の時代
臨時政府とソヴィエトが併存するロシア社会の行方

臨時政府
中心:立憲民主党
金持ちが支持。戦争継続の方針。

ロシアの4つの政党
[1]立憲民主党・・富裕層が支持
[2]社会革命党・・農民が支持
[3]メンシェヴィキ・・穏健派
[4]ボリシェヴィキ・・急進派

ソヴィエト
中心:社会革命党・メンシェヴィキ
即時講和(戦争を終わらせる)

二重権力
臨時政府 VS ソヴィエト

レーニン(ボリシェヴィキ)
亡命先のスイスから帰国し「四月テーゼ」を発表。
「すべての権力をソヴィエトへ」臨時政府はいらない。
即時講和を主張。
→臨時政府に追われて亡命

ケレンスキー
社会革命党=ソヴィエトの主導者
臨時政府首相に就任。二重権力のリーダーが同じになった。
→戦争が終わると思いきや、何と戦争継続の方針を継続。
→民衆は社会革命党(ソヴィエト)に失望・・。
↓↓
ボリシェヴィキに期待するようになる・・。

 


(5)ロシア十月革命。史上初、社会主義国家の誕生
ポイント①臨時政府を打倒!ロシア十月革命の勃発
ついにすべての権力がソヴィエトへ結集

ロシア十月革命(1917)(西暦では十一月革命)
レーニン・ボリシェヴィキの武装蜂起
臨時政府の消滅
世界史上初社会主義国家を樹立

全ロシア=ソヴィエト会議
臨時政府打倒とソヴィエト権力の樹立を宣言

「平和に関する布告」の採択
無併合・無償金・民族自決・・領土を取らない。賠償金を請求しない。独立は認める。
全交戦国に講和条約のあり方を提唱した(→欧は黙殺)

・「土地に関する布告
地主廃止
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ボリシェヴィキの独裁体制へ!
レーニンの強引な政権の掌握

ボリシェビキの一党支配

・憲法制定のための選挙を実施
→第1党:社会革命党(農民支持)
第2党:ボリシェヴィキ
(何とレーニン負ける。)

どこにアンチがいるかあぶり出す・・

チェカ(非常委員会)を作る
革命政権を守るための治安組織。秘密警察。

憲法制定会議の開催
1週間で武力で解散。
↓↓
ボリシェヴィキの一党支配に(プロレタリア独裁期間)

ブレスト=リトフスク条約
ロシア全権:トロツキー
との単独講和。第一次世界大戦から離脱

赤軍(せきぐん)の設立
社会主義の色

ロシア共産党と改称
ボリシェヴィキは「多数派」の意味。「ロシア」を政党名に入れて愛国心の高揚をめざす。

モスクワへ遷都
欧とは距離を置くため


(6)内戦と諸外国の干渉
ポイント①国内は混乱!外国勢力も干渉!どうするロシア・・
社会主義政権に反発する内外の勢力

ロシア内戦(1917~1921)
反革命軍白軍・はくぐん)の蜂起
ソヴィエト政権に反対する勢力。地主・貴族・反ボリシェヴィキの反乱+諸外国

対ソ干渉戦争(1918~22)
シベリア出兵。チェコ兵救済を理由に勝手にロシアの領土に入る。

・ポーランド=ソヴィエト戦争
ポ〇 VS ✕ソ

↓↓ これに対してレーニンは・・

コミンテルンを結成
ロシア共産党が中心。全世界で革命を起こさせよう!

(経済政策)
戦時共産主義(1918~1921)
「みんな、ごめん。外国を追い出すから食料を政府がいったんもらうね・・」農作物を強制徴発・食料配給制に。→人々はやる気を失う。生産力低下。
↓↓
新経済政策(ネップ)(1921~27)
穀物徴発制の廃止。小規模私企業、小農の経営を認める。→やる気を取り戻す。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ソ連の誕生!
内戦を終結したロシアは新体制へ移行

・ソヴィエト社会主義共和国連邦(1922)
(ソ連、ソ連邦)

4つの共和国で発足
ロシア
ウクライナ
ベラルーシ/白(はく)ロシア
ザカフカース(現ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン)カフカス山脈の南。
→後に15の共和国に。

・ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法の制定

<各国のソ連承認>
ラパロ条約(1922) がソ連を承認。欧で初。
・英、伊、仏、日の順に承認。
アメリカのソ連承認(1933)→ソ連国際連盟加入。

 


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【32】世界分割と列強の対立

【32】世界分割と列強の対立
(1)アフリカ分割の始まり
(2)英のアフリカ進出
(3)仏のアフリカ進出
(4)独・伊のアフリカ進出
(5)欧米の太平洋地域進出
(6)ラテンアメリカ・メキシコの動向
(7)列強の二極化。三国同盟VS三国協商


(1) アフリカ分割の始まり

ポイント①アフリカってどんなところ?
「暗黒大陸」の悲惨な歴史と探検家の活動

「暗黒大陸」
奴隷の獲得⇒資源の獲得
プランテーションの労働力。
商品作物。サトウキビ、タバコ、綿花

大西洋三角貿易(16~18C)
黒人奴隷貿易
1.西欧⇒西アフリカ(武器)
2.西アフリカ⇒米大陸(奴隷)黒人2000万人ほど
3.米大陸⇒西欧(商品作物)

奴隷制度の廃止(19C)
奴隷以外にアフリカには何がある・・?
↓↓
2人の探検家
[1]リヴィングストン(英・宣教使)
ナイル川の水源調査。消息不明。
↑↑(救出)
[2]スタンリー(英生まれ米)
リヴィングストンの救出に成功。
→コンゴ(アフリカの真ん中)探検。(ベルギー王が支援)。
→ベルギー王コンゴの領有を宣言
の反発。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②アフリカをもらうなら「早い者勝ち」!?
ヨーロッパ国際会議で決定した驚きの事実とは・・

ベルリン会議(1884~85)
(※「ベルリン会議」は2つある。1つ目は19Cロシア南下⇒ロシア=トルコ戦争のあと。ビスマルク調停(1878))

今回もビスマルク主催。
先占権(せんせいけん)(早い者勝ち)⇒アフリカ分割に拍車をかける。
コンゴ自由国ベルギーの支配下に。


(2)英のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部への進出
何があってもエジプトとスーダンだけは他国に渡せない!

英の縦断政策(アフリカ北部)>
スエズ運河ができたことで、英のアフリカ進出が始まる。
スエズ運河
沿いの2つの国、エジプト(北)・スーダン(南)が欲しい。安全性を確保したい。

<英がエジプトに進出>
ウラービー運動(1879~82)
陸軍大臣アフマド・ウラービー「エジプト人のためのエジプト」。→鎮圧される→エジプトは英の保護国化に。

<英がスーダンに進出>
マフディーの反乱(1881~98)17年
マフディー=「救世主」の意味。
ムハンマド・アフマド。
総督ゴードン戦死。
(↑ 清の太平天国の乱を鎮圧した常勝軍。)
↓↓
ファショダ事件(1898)
✕仏 VS 英〇
スーダンのファショダという地で対峙(にらみ合い)。

英の3C政策
ケープタウン(南ア)、カイロ(エ・埃)、カルカッタ(印)。
インドへの道を盤石なものにしたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②金とダイヤモンドをめぐる南アフリカ戦争
ブール人国家との戦争

<英アフリカ縦断政策(南アフリカ)>

ケープ植民地(中心ケープタウン)南ア
元々オランダ領だったが、ナポレオンなきあと欧の国際秩序のためのウィーン会議(1814)で蘭領から→英領となる。
(→オランダの人は北へ移動し、トランスヴァール共和国を建国。ブール人と呼ばれる。)

セシル・ローズ
英領有の南ア・ケープ植民地の首相。元企業家。金・ダイヤモンド鉱山を発見!

金が見つかったのは隣の、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国。(英領ではない。ケープ植民地の北東)。ブール人(=オランダ人)の国。→大義名分などない、金とダイヤの争奪。
↓↓
南アフリカ戦争(1899)
英本国から派遣⇒植民相ジョゼフ=チェンバレン
全植民地統括の大臣が来る。40万人以上の兵。
〇英 VS 蘭✕
↓↓
南アフリカ連邦(自治領)
(ケープ植民地と、トランヴァール、オレンジを併合)
白人を優遇。白人優位の人種差別が芽生える。黒人と白人の対立を作ることで英本国への恨みをそらす。

 


(3)仏のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部から東西へと拡大
イギリスのアフリカ縦断政策と衝突した結果・・

仏アフリカ横断政策
モロッコ・アルジェリア・チュニジア
サハラ砂漠・ジブチ・マダガスカル

アルジェリア出兵。植民地化(19C前)
(ウィーン会議で絶対王政に戻り、仏ブルボン朝が復活。王シャルル10世。国民の不満を外へ向けた)

アルジェリアを起点に東西に拡大。
チュニジア保護国化(1881)(アルジェリアの東横)
と関係悪化⇒独ビスマルクは見逃さない。翌年・三国同盟(独・オーストリア・伊)(1882)

ジブチを建設。(紅海の一番下)
紅海からインド洋への出口。

マダガスカル(アフリカ南東の島)
サハラ砂漠(アフリカ西)

ファショダ事件(1898)
スーダンのファショダで対峙。英〇 VS ✕仏
(仏が譲った理由)とけんか状態。英ともけんかすると敵が増えてしまう・・。仏は英に譲る。
↓↓
英仏の関係が良くなる。
↓↓
英仏協商(1904)
英はエジプト取るから仏はモロッコ行きなよ。相互承認。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②モロッコをめぐるドイツとの対立
2度にわたって衝突!イギリスが取った行動は?

モロッコの領有問題
モロッコを押さえると、英のインド進出を邪魔できるので、が狙っていた。

第1次モロッコ事件(タンジール事件)(1905)
モロッコをめぐって、 VS 対立。独皇帝ヴィルヘルム2世がモロッコのタンジール港に入ってきた。仏出ていけ。
→英援助 〇仏 VS ✕ 独
(タンジールはイブン・バットゥータの生まれ故郷。スペインの向かい・ジブラルタル海峡のアフリカ側)

第2次モロッコ事件(アガディール事件)(1911)
また独はモロッコ・アガディール港に入る。
英援助 〇仏 VS ✕ 独

仏モロッコ保護国化(1912)


(4)独・伊のアフリカ進出

ポイント①ドイツ・イタリアのアフリカ進出
イギリス・フランスに遅れを取って進出開始

<独>
カメルーン(西)、東アフリカ植民地(現タンザニアなど/マダガスカル島の対面北)

<伊>
・イタリア軍がエチオピアに侵入
エチオピア〇勝利! VS ✕伊
イタリア敗北!

イタリア「このままではアフリカに植民地を持てない・・」と焦る
↓↓
・イタリア=トルコ戦争
オスマントルコとの戦争でリビア(アフリカ北)を獲得。

・ソマリランド(アフリカの角/つの)獲得。
北から英仏伊で分けた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦開始まで独立を保持した2つの国
独立を維持できた要因は?

独立を保持した2つの国

[1]エチオピア帝国(東)
アドワで撃退。優秀な君主。の軍事支援もあった。

[2]リベリア共和国(西アフリカの海岸線)
アフリカ最初共和国。アメリカで解放された黒人たちがアフリカに帰ってきて作った国。国名はLibertyリバティ(自由)から。                                                →主権国家として認められていたので欧は手を出せなかった。


(5)欧米の太平洋オセアニア進出

ポイント①オセアニアってどういうところ?
2人の探検家に注目!

・オセアニア・・オーストラリア、ニュージーランド、太平洋に浮かぶ島々の辺り。

2人の探検家
[1]タスマン(17Cオランダ人)タスマニア・ニュージーランドに到達。オーストラリア大陸。

[2]クック(18Cイギリス人)タヒチ、NZ、オーストラリアを探検。オーストラリアやNZを英の所有と宣言。(侵入者と勘違いされハワイで島民に殺害される。)
↓↓
オーストラリア
先住民:アボリジニー
1850年代 金鉱の発見。英本国やアジア各地から移民が増える。
→英自治領に。オーストラリア連邦

ニュージーランド
先住民:マオリ人
→英自治領に。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②太平洋に浮かぶ島々も欧米諸国の領土に!?
オセアニア諸地域の分割へ

・列強諸国の南洋諸島(太平洋の島々)進出
ニューギニア
西部:オランダ|東部英・独

・英領・・ソロモン諸島(独と分割)、フィジー、トンガ
・仏領・・ニューカレドニア、タヒチ
・独領・・ビスマルク諸島、マリアナ諸島、マーシャル諸島
・米領・・フィリピン、グアム島、ハワイ


(6)ラテンアメリカの従属化
ポイント①メキシコの内乱とフランスの干渉
初の先住民出身の大統領の苦悩

<ラテンアメリカ>
19C前半に多くの国が独立を達成。ベネズエラ、コロンビア、ボリビア、エクアドル(シモン・ボリバル)。ペルー、アルゼンチン、チリ(サン・マルティン)。ブラジル
→独立したものの、英の経済的従属下に置かれる。メキシコだけは例外!

<メキシコ>
フアレス〇→ディアス✕→メキシコ革命・マデロ△→サパタ・ビリャ→憲法

フアレス大統領先住民インディオ出身
自由主義革命(インディオの権利獲得など)

↓↓ 保守派が抵抗。

メキシコ内乱(1861~67)
この内乱に仏ナポレオン3世がちょっかいを出してくる。(仏メキシコ出兵)→が、フアレスはナポ3を追い出す。米も抗議。良い改革、国作りへ・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②メキシコ革命の勃発!
近代化を成し遂げられるのか!?

フアレスのあと・・
ディアス大統領
独裁政治
。地主階級の特権を復活させてしまう。(先住民切り捨て)。
英、米から莫大な借金。頭が上がらない状態に・・。

↓↓ メキシコが食い物にされる!

メキシコ革命(1910~17)
マデロ大統領が、ディアスを打倒し自由主義的改革をしたが、土地の改革には消極的だった。地主の権利を守ったまま。。
↓↓
サパタ・ビリャ(農民の代表)の蜂起。マデロ失脚。サパタ・ビリャも暗殺される・・。
↓↓
憲法制定(1917)
土地改革、地下資源の国有化。民主的。→しかし憲法はうまく機能せず。米、英の従属から逃れられなかった。

 


(7)列強の二極化

ポイント①ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の無謀な政策
第2次産業革命で自信をつけた皇帝の海外進出策

・独皇帝ヴィルヘルム2世(任1888~1918)
第2次産業革命で世界2位になり自信が付く→英を越えるぞ!ドイツも外へ出て行くんだ!

・元々、普仏戦争で、と対立している。
↓↓
(さらに新たな敵)
海軍大拡張により⇒と対立。
パン=ゲルマン主義で⇒ロシアと対立。
3B政策。ベルリン・ビザンティウム・バグダード。ペルシア湾から海へ出ようと考えた。
↓↓
英・露・仏が対立関係に。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生
三国同盟と三国協商の対立

<ビスマルク時代>
・三国同盟(独・オーストリア・伊)1880 軍事同盟

再保障条約(お互い攻めない)ロシアと独
・英「光栄ある孤立」
↓↓
ライバル仏を孤立させることに成功。

<ヴィルヘルム2世時代>
ロシアの手を離したことから、国際関係が変わっていく。。

・独はロシアとの再保障条約を拒否!(1890)
「オーストリアと一緒にバルカン半島に行くんだ」
ロシアの手が離れた・・!これをは見逃さない!キラリ✨
↓↓
露仏同盟(1891)
ロシアに接近。手を組む。仏が露に資金提供⇒露産業革命に成功。

・英海軍拡大に焦りを感じ始める。「光栄ある孤立」をついに解く。
↓↓
日英同盟(1902)
東アジアの防衛に日本の軍事力を当てにした。
英のドアが開いた!ここでにも近づく!
↓↓
英仏協商(1904)
独嫌いだよねーでくっつく。
↓↓
英露協商(1907)
日露戦争が終わってロシアはバルカン半島に戻ってこようとする。またと対立する。ロシアに接近する形を取った。
↓↓
三国協商(英・仏・露)VS 三国同盟(独・墺・伊)になる。
↓↓
第一次世界大戦へ

 


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世界史タイトル一覧

 

 

 

【31】帝国主義の時代

世界史【31】帝国主義の時代
(1)イギリスの動向
(2)フランスの動向
(3)ドイツの動向
(4)ロシアの動向
(5)アメリカの動向
31ーキーワード
帝国主義・・植民地(市場)を求めて外に出て行く時代
(英)ディズレーリ(保)。インド帝国。スエズ運河+キプロス島。
(仏)第三共和政。
(独)ビスマルク⇒皇帝ヴィルヘルム2世。3B政策。
(露)第1次ロシア革命⇒十月宣言(ウィッテ)⇒社会主義の政党。ボリシェヴィキ(レーニン)、 メンシェヴィキ。
(米)カリブ海政策。米西戦争(25代マッキンリー)。棍棒外交(26代S・ローズヴェルト)。宣教師外交(27代ウィルソン)


31ーガイダンス
・欧米各国で帝国主義(植民地獲得)、労働運動が起こる。
・第2次産業革命(19C後)⇒英以外の欧米。重化学(鉄鋼・造船・石油・電力)。生産増大。強い企業(独占資本)が銀行と結びつく。(第1次は英綿工業)
・1870年代世界的不況。⇒植民地(市場、原料供給、資本輸出)を求めて帝国主義へ。


イギリスの動向(1)
ポイント①イギリスの方向転換?帝国主義へ突入!
19C後以降のイギリスの帝国主義政策

首相ディズレーリ(保守党)(任1868、1874~1880)
自由貿易から⇒帝国主義(植民地獲得)へ方向転換。

インドへの道を確保したい(エジプトルートと南アフリカルート)
スエズ運河株式買収、インド帝国の完成
・ベルリン会議への参加
キプロス島の統治権を獲得。=スエズ運河の真上の島。ロシアが入ってこないように監視。
↓↓
植民地相:ジョゼフ=チェンバレン(保守党)

南アフリカ戦争。英の支配下においた。→南アを安心して通れる。

「対外政策にお金を費やしたい。国内にお金を使いたくない・・」
↓↓
自由党内閣の時
・議会法の制定
上院・下院のうち、下院(一般市民の代表者)の優位を確立。

・アイルランド自治法の成立
しかしWW1で延期⇒イースター蜂起(シン・フェイン党も参加)

<植民地帝国の再編>
・自治領(白人が支配層の地域)を形成していく
自治を与えて、英本国はお金を使わないようにした
カナダ⇒オーストラリア⇒NZ⇒南アフリカ連邦

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②イギリスの労働運動
大英帝国の「光」と「影」

<社会主義運動の高まり>
フェビアン協会
知識人中心(ウェッブ夫妻・劇作家バーナード=ショー)。
改良主義的な社会主義団体。ゆっくりでいいから改善。
↓↓ +他の団体
労働代表委員会・・選挙で議席数を獲得するまでに。
↓↓
労働党(現在まで続く)・・合法的。穏健。議会を通じて社会改革をめざす改良主義。民主的な手段。(暴力は使わない)


フランスの動向(2)
ポイント①混乱が続くフランスの第三共和制
国内の世論を二分化する重大事件発生!

二月革命(1848)の結果、王様がいなくなった。=第二共和政になった。男性普通選挙の実現。→混乱。
↓↓
ナポレオン3世の第二帝政でまとまる。普仏戦争(1870)で捕虜に。
↓↓
第三共和政ができるが混乱・・

・第三共和政(1870/71~1940)
弱さを露呈した、2つの大きな事件
ブーランジェ事件
陸相ブーランジェ。反議会主義的運動。共和制をやめる?→未遂に。

ドレフュス事件(冤罪事件)
ユダヤ系将校ドレフュスがスパイ容疑で逮捕。⇒冤罪だった。仏軍部が隠蔽。反ユダヤ感情をあおる。国内世論が批判。エミール・ゾラ「私は弾劾する」(ドレフュス擁護派)⇒ドレフュスは無罪に。釈放。
↓↓
シオニズム・・自らのユダヤ人国家を設立しようとする運動。イェルサレム(パレスチナ)に戻ろう・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランスの労働運動
フランス革命の意志を受け継ぐ直接行動主義
<社会主義運動>
サンディカリズム
議会や政党の否定。英のような議会ではなく、労働者による直接行動主義。(フランス革命のように自由平等は自分たちで勝ち取るんだ。)↑↑ VS(対立)
フランス社会党(統一社会党 / 社会党)
議会重視。社会主義派が結成。


ドイツの動向(3)
ポイント①ビスマルクの辞職!?ドイツの取った「新航路」
皇帝と意見が衝突したビスマルク

<ドイツ皇帝の交代>
ヴィルヘルム1世(ビスマルクが仕えていた)⇒フリードリヒ(病気で100日で交代)⇒ヴィルヘルム2世(位1888~1918)

ヴィルヘルム2世:「独も植民地を求めて外に出るべき」
VS
ビスマルク:「外交でやっと収めたのに。反対。」
意見衝突。社会主義者鎮圧法の再更新も対立。
ビスマルク辞職(1890)

<ヴィルヘルム2世の対外政策>
[1]海軍の大拡張「ドイツの将来は海上にあり」⇒と対立。

[2]パン=ゲルマン主義
パン=「広げる」の意味。ゲルマン人(ドイツ系民族)オーストリアとの連携。⇒ロシアと対立。
バルカン半島→小アジア→ペルシア湾へ。独から東南方向。
↓↓
独・3B政策(さんびーせいさく)(英露と対立)
ベルリン(ドイツ)、ビザンティウム(トルコ)、バグダード(イラク)を接続する。バグダード鉄道の建設を考えた。⇒もし実現すれば海で英と対立する。また、バルカン半島を狙うロシアとも対立する・・。
(cf 英・3C政策。ケープタウン、カイロ、カルカッタ)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ドイツの労働運動
ドイツで生まれた新しい社会主義の潮流

世界初の社会主義政党
ドイツ社会主義労働者党(ビスマルク時代)
社会主義者鎮圧法
ビスマルクは警戒し、この労働者党を非合法化した。せっかく統一したドイツが資本家と労働者に分裂するのを避けたかったから。⇒労働者・失業者は国が守ると主張。
↓↓
ビスマルク退陣
↓↓
ドイツ社会民主党
「復活のチャンスだ!」名前をこれに変える。マルクス主義理論を採用。暴力革命を提唱。
↓↓ 徐々にこちらへ変わっていった
修正主義
ベルンシュタイン。議会を通じて社会主義化を提唱。改良主義。
(英の労働運動を参考にした。)


(4)ロシアの動向
ポイント①急激な近代化で生まれた社会の歪み
フランス資本の導入で産業革命を急いだ結果・・

ロマノフ朝(皇帝独裁政治)
南下して穀物を輸出して産業革命したい・・
⇒仏資本の導入。露仏同盟(1891)
⇒ロシアの近代化。産業革命の本格化
↓↓
シベリア鉄道の建設(1891)
中国方面に進出したい。全長9300㎞。
(ウラジオストク(東)からモスクワ(西)まで)
ペテルブルグ(西端)

中国東北をめぐって日本と衝突。⇒日露戦争(1904)

血の日曜日事件(1905)
戦争反対の市民デモ。軍隊が発砲。ニコライ2世
↓↓
第1次ロシア革命(1905)
労働者中心に暴動・スト。
↓↓
都のペテルブルグで、ソヴィエト(評議会)が成立=各地の工場の代表者が集まって話す会議。
↓↓
日露戦争終結
ポーツマス条約(1905)

戦争は終わったが革命は終わらない。
・「十月宣言」(革命を終わらせる)
起草者:ウィッテ
ドゥーマ(国会)を開設。
・憲法制定。立憲民主党の結成。(お金をもっている人たち)
↓↓
ウィッテは首相となり、民主的な、自由主義的な改革を行う(革命は収束へ・・)
↓↓
改革が落ち着くと突如ウィッテは首になった。
↓↓
ストルイピンの改革
ドゥーマ(国会)を解散
ミール(農村共同体)を解体。⇒国内は混乱。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ロシアの労働運動
労働者は不満爆発!多くの社会主義者政党が登場

<社会主義運動>
ロシア社会民主労働党
2つの社会主義政党に分裂(この2つは労働者を代表)
↓↓
[1] ボリシェヴィキ(指導者:レーニン
革命家による武装革命。(少数で一気に壊す。)

[2]メンシェヴィキ (指導者:プレハーノフ)
ブルジョワ民主主義革命。(多数でゆっくりで革命する。)

社会革命党
ナロードニキの流れをくむ。こちらは農民を代表。
テロリズムによる専制政治の打倒をめざす。


(5)アメリカの動向
ポイント①世界第1位の工業生産数
イギリスを抜いた合衆国の未来とは・・

<独占の規制>
1890年代。米が世界No1に。
一部の富裕層が独占。政治的にも強くなる。
↓↓
革新主義(進歩主義)
政治経済の独占の規制。経済自由化。

カリブ海政策(20C初)>(米の海外進出)
米がいよいよ外へ出ていく。
↓↓
第1回パン=アメリカ会議
「アメリカの製品を買いなさい」。中南米(ラテンアメリカ)の国々に指導。

・フロンティアの消滅(1890)
白人入植者が全域に広がった。

ーーーーーーーーーー

ポイント②カリブ海政策の推進
2人の大統領とその時代の海外進出方法

[1]25代・マッキンリー大統領(任1897~1901)
アメリカ=スペイン(米西)戦争(1898)
米はカリブ海へ進出。中南米に影響力のあったスペインと戦う。
〇米 VS 西✕

きっかけはキューバ独立運動1895キューバはスペインから独立を試みようとしていた。
↓↓
そんなときハバナ湾で米艦隊メイン号が撃沈。米はスペインのしわざとしてスペインに戦争をしかける。スペインは「え?」(米の自作自演?)
↓↓
米はフィリピン、グアム、プエルトリコという西の植民地を獲得。
キューバを独立させて保護国化
↓↓
さらに太平洋へも進出。
ハワイ併合(1898)
(※米西戦争の結果ではなく単独で。)

門戸開放宣言(1899)
国務長官 ジョン=ヘイ
中国市場への進出をも狙う。門戸開放、機会均等、領土保全。

[2]26代・セオドア・ローズヴェルト大統領(任1901~09)
「カリブ海政策」を引き続き推進。

・「棍棒外交」(20C初)
口調は穏やかに、棍棒をたずさえて話す。(威嚇)
(例)無理やりパナマをコロンビアから分離・独立。

パナマ運河の建設(1904~1914)
中米と南米の間。カリブ海と太平洋を接続。

ーーーーーーーーーー

ポイント③ウィルソン大統領の時代に起きた変化とは?
合衆国が持つ外交上の「使命」

28代・ウッドロー=ウィルソン大統領(任1913~1921)
・米国内「新しい自由」
弱者救済。

・対外「宣教師外交
「アメリカと同じ民主政治をすればアメリカと同等に発展できるよ」
米風の政治を世界に伝える。それが米国の義務
↓↓
現在でも米は独裁政治を嫌う。世界へ干渉する口実。

 


・【32】世界分割と列強の対立
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【26】19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独

【26】19世紀の欧米諸国(1) 英・仏・伊・独
(1)イギリスの自由主義 世界No1!
(2)ヴィクトリア時代のイギリス
(3)フランスの政体変遷
(4)イタリアの統一
(5)ドイツの統一
(6)ドイツの発展
(7)ビスマルク体制


(1)イギリスの自由主義
ポイント①宗教で差別されることはない!
キリスト教徒であれば差別されることはなくなった

・アイルランド併合(1801)
カトリックが多い
↓↓
2つの法で宗教自由が達成
[1]審査法廃止(1828)
非国教徒(ピューリタンなど)も公職就任が可能に(カトリック教徒は除く
※「審査法」はチャールズ2世時のカトリック勢力に対抗して議会側が制定(1673)した。=イギリス国教会のみ公職に就ける法。
↓↓
[2]カトリック教徒解放法(1829)
オコンネル尽力。カトリック教徒も公職就任が認可

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②みんなが選挙に行けるための改革!
数回にわたる選挙法改正と選挙権の拡大

産業資本家の台頭
第1回選挙法改正(グレイ内閣)(1832)
腐敗選挙区の廃止
産業資本家に選挙権付与(労働者はまだ)
↓↓
チャーティスト運動(1830~1850末)
労働者の政治運動
人民憲章(ピープルズ=チャーター)
↓↓
第2回選挙法改正(1867)
都市労働者に選挙権付与
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント③自由な貿易を目指して!
イギリスの自由貿易主義体制の確立

19C英の産業資本家は自由貿易主義(体制)を望む

・穀物法の制定
地主保護のため輸入穀物に高関税。
→英国内の高い穀物を買わなくてはいけない・・。
↓↓
産業資本家は反発。(給料を上げないとダメだから)
↓↓
反穀物法同盟(1839)
コブデン、ブライト

さらに・・
ジャガイモ飢饉(1845~1847)
アイルランドで発生。餓死者も出る。
↓↓
ついに
[1]穀物法廃止(1846)

[2]東インド会社中国貿易独占権の廃止
→商業活動そのものも全面禁止
→民間の会社が貿易できるようになる。
(→中国にアヘンを売りに行く)

[3]航海法廃止(1849)
(「航海法」の制定はクロムウェル(1651)。自国か相手国の船のみに制限する法)

↓↓
これら3つで、自由貿易主義が完成。

 


(2)ヴィクトリア時代のイギリス
ポイント①当時のイギリスは世界一の国家
産業革命を完成したイギリスの繁栄

(イギリス)
【ヴィクトリア女王】(位1837~1901)64年
ヴィクトリア時代=「世界の工場
ロンドン万国博覧会(1851)
世界初。英の国力を見せつけた

パクス=ブリタニカ(イギリスの平和)
圧倒的な工業力と軍事力
世界に自由貿易主義を拡大

イギリス二大政党
自由党(旧ホイッグ党)】グラッドストン
・産業資本家・労働者の支持
・自由貿易主義、平和外交
・アイルランド自治に寛容

保守党(旧トーリ党)】ディズレーリ
・地主・貴族の支持
・保護主義、強硬外交
・アイルランド自治に否定的

ポイント②自由党と保守党の内閣
政策は違うけれど、目指すものは同じ

グラッドストン(自由党)】国内
教育法(1870)
学校を作った。投票の仕方などを教える。
労働組合法(1871)
第3回選挙法改正(1884)
農村、鉱山労働者に選挙権付与
注・✕アイルランド自治法案は「否決」される

ディズレーリ(保守党)】外交(強硬)
スエズ運河の支配(1875)
インド帝国の成立(1877)
ベルリン会議に参加(1878)

交代でバランスよく内外政策を進めた

 


(3)フランスの政体変遷

ポイント①念願の普通選挙!のはずが…
まとまらないフランスの第二共和政

(フランス)
二月革命(1848.2)で国王ルイ=フィリップが亡命
↓↓
【第二共和制】(1848~1852)
臨時政府(1848.2)
ルイ=ブラン
(社会主義者・・労働者や失業者の支援)
・男性普通選挙の公約
国立作業場(失業者対策)
↓↓
四月普通選挙
社会主義力の敗北(産業資本家、農民から反発)
国立作業場の閉鎖
↓↓
六月蜂起(暴動)→鎮圧
社会主義者、労働者が蜂起
↓↓
ルイ=ナポレオン
が大統領に
(ナポレオン1世の甥)
1851年クーデタ
武力で議会を解散。独裁体制に。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②皇帝政治の復活!?ナポレオン3世の登場
フランスをどのようにまとめたの?

第二帝政(1852~1870)
ナポレオン3世 大統領→国民投票で皇帝に
ボナパルティズム(統治体制)ボナパルト風=ナポレオン1世と似た
→全フランス国民の利害対立を利用し政権を維持(独裁)
国内は平和

(多くの対外戦争)
・クリミア戦争(1853~1856)
・アロー戦争(1856~1860)
・インドシナ出兵(1858~1867)
・イタリア統一戦争(1859)
メキシコ出兵(1861~1867)→失敗
プロイセン=フランス(普仏)戦争(1870~1871)
スダンの戦いに敗れ捕虜となる
↓↓
第三共和制へ・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント③第三共和制の時代
独裁者がいなくなったフランスはやはり・・

第三共和制(1870~1940)70年
臨時政府の発足
代表:ティエール→独(旧プロイセン)と休戦
独の条件を何でも飲む

↓↓ 弱腰に市民は反発

パリ=コミューン(1871)
労働者による自治政府→独と仏政府ティエールに弾圧される
「血の1週間」

初代大統領ティエール(任1871~1873)
第三共和制のスタート
しかし情勢は不安定・・


(4)イタリアの統一
ポイント①イタリア統一の難しさとは?
北部・中部・南部で異なる世界が展開

西のサルデーニャ王国が統一運動のメインとなる
北部:ロンバルディア・ヴェネツィア・南チロル(墺領)
中部:ローマ教皇領など(仏軍)
南部:両シチリア王国

※サルデーニャ王国領のサヴォイヤ、ニースは仏人が多い。

ポイント②統一運動の開始!
外交や交渉を駆使した巧みな統一方法

【サルデーニャ王国】(1720~1861)
国王:ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
首相:カヴール(現実主義・冷静)→巧みな外交

クリミア戦争参戦(露英仏VSトルコ)
英仏の要請→仏ナポ3世に顔を売った。。
サルデーニャの国際的地位が向上。

イタリア統一運動】(1859)
イタリア統一戦争(1859)
サルデーニャ王国 VS オーストリア
・北部ロンバルディア獲得(墺→伊)
↓↓
中部イタリア併合
中部には仏軍がいる。ナポレオン3世と交渉
→仏にサヴォイア・ニースを割譲。
→併合を承認される。
↓↓
・南部:ガリバルディ(千人隊・赤シャツ隊)(元青年イタリア)
両シチリア王国を征服
→サルデーニャに領土を譲る
↓↓
イタリア王国の成立(1861)
↓↓
カブール没→大きな戦争に便乗する戦略に変わる。
ヴェネツィア併合(1866)(墺→伊)
普墺戦争
(ビスマルクが事前に伊と同盟)
↓↓
教皇領占領(1870)(仏→伊)
普仏戦争

ポイント③イタリア統一後のトラブル!!
イタリアが抱えた問題をみる

「未回収のイタリア」
トリエステ
南チロル(墺領土のまま)
→墺 VS 伊 対立に・・


(5)ドイツの統一
ポイント①ドイツ統一の難しさとは?
キリスト教の宗派対立が大きな問題となる

キリスト教の宗派対立
・プロイセン王国+北ドイツ→プロテスタント
VS
・西南ドイツ→カトリック
西南ドイツの本音「プロイセンよりオーストリア(カトリック)にドイツ統一してほしい・・」

プロイセン「墺が負けたら今度は仏に泣きつくかもしれない・・その2つとくっつくのは邪魔したい。」

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ドイツは「鉄」と「血」で統一する!?
プロイセン王国がドイツの統一にむけて動き始める

プロイセン王国の統一(プロテスタント)

国王:ヴィルヘルム1世(位1861~1888)
↓↓ 任命
首相:ビスマルク(任1862~1890)28年(ユンカー出身)
「鉄血政策」
→ドイツ統一は、宗教が違うので話し合いや多数決ではムリ。武器(鉄)と兵士(血)で、軍事的に統一するしかない・・。

ビスマルクのドイツ統一の3つの戦争
[1]デンマーク戦争(1864)
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン(ドイツ人が多い)(デ→普)
墺を誘って戦う。普〇 VS デ✕
墺との共同管理をもちかけていたが・・やっぱり墺には管理させない(挑発)
↓↓
[2]プロイセン・オーストリア(普墺)戦争(1866)
普〇 VS ✕墺
↓↓
北ドイツ連邦を発足
プロイセンが盟主となってまとまる。西南ドイツは入らない。
「次は仏を討つ・・」

普墺戦争に敗れた墺は国の体制を変える・・
オーストリア=ハンガリー(二重)帝国
ハンガリーに自治を付与して昇格させた。その代わりスラヴ人が暴動を起こしたら一緒に鎮圧してもらうことを約束。

スペイン王位継承問題
普王ヴィルヘルム1世と仏が会談。
→ビスマルクは仏を無礼な態度だったと発表して挑発。
↓↓
[3]プロイセン・フランス(普仏)戦争(1870~1871)
ナポレオン3世 スダンで捕縛
普〇 VS ✕仏
仏が敗れたことで、西南ドイツは頼る相手がいなくなり、ドイツに組み込まれる。
↓↓
ドイツ帝国成立(1871)
ドイツ統一達成
(仏ヴェルサイユ宮殿にて)

(岩倉使節団 訪独1873)


(6)ドイツの発展
ポイント①ドイツ帝国の大いなる発展!
イギリスを猛追するドイツの工業化

ドイツ帝国(1871~1918)47年
皇帝:ヴィルヘルム1世
宰相:ビスマルク(任1871~1890)

連邦参議院
帝国各地の代表者。立法・条約。

帝国議会
全ドイツ25歳以上の男性普通選挙で選ばれる。予算の審議権。

普仏戦争→仏との講和条約(1871)
多額の賠償金とアルザス・ロレーヌを獲得(仏→独)
地下資源(石炭・鉄鉱石)豊富な鉱山地帯。
↓↓
第2次産業革命(重工業)
保護関税法
輸入品に関税。国内産業を守る。
→1880年代末、工業生産数は世界第2位!(1位は米)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②「ドイツ国民」としての団結は超重要!
ビスマルクが徹底してこだわったこと

ドイツ国民の団結を揺るがすものはつぶす・・!
ドイツ「帝国の敵」を作る
[1]VS カトリック
・文化闘争
西南ドイツカトリック政党が反発
→ビスマルクは圧力をかける

【ビスマルクの社会政策】
[2]VS 社会主義勢力

ドイツ社会主義労働者党の結成(1875)
世界初の社会主義政党

社会主義者鎮圧法の制定
非合法とした。

労働者と資本家のけんかを止める。
「労働者は社会主義が守るんじゃなくて国が守るから!」
→疾病保険制度、災害保険法、養老保険法


(7)ビスマルク体制
ポイント①当時のヨーロッパは一触即発!?
問題を抱えていた国々とビスマルクの狙いとは?

[1]独 VS 仏
普仏戦争以降関係悪化・・(ドイツを許せない by 仏)

[2]露 VS 墺
バルカン半島をめぐり対立→ビスが三帝同盟で仲介

[3]伊 VS 墺
「未回収のイタリア」をめぐり対立→ビスが三国同盟で仲介

ポイント②目指すはフランスの孤立!
ドイツの安定のために外交述を駆使するビスマルク

ビスマルク体制】(1870~1890年代)
ビスマルク(独)は、仏に露や墺と手を組んでほしくない。
挟み撃ちされたくない。仏を孤立させたい。

三帝同盟(1873~1878)
ドイツ、オーストリア、ロシア

ベルリン会議(1878)
主催者:ビスマルク
露・墺がバルカン半島をめぐり対立
独は墺の要求を飲んだ。
↓↓
ロシアはいったん手を離す。

・独墺同盟(1879)

新三帝同盟(三帝協商)(1881~1887)
ドイツ、オーストリア、ロシアが再度手を結ぶ

仏と伊がチュニジア保護国をめぐってけんか。
↓↓
三国同盟(1882)
ドイツ・オーストリア・イタリア

・新三帝同盟の崩壊

再保障条約(1887~1890)
ドイツ・ロシアの秘密条約

「光栄ある孤立」
19C後半以降のイギリス

仏はビスマルクの思惑どおり、ひとりぼっちに・・

 


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【25】ウィーン体制の成立と崩壊

【25】ウィーン体制の成立と崩壊
(1)絶対王政時代への復帰
(2)ウィーン体制への反発
(3)ウィーン体制の動揺
(4)ウィーン体制の崩壊
1830七月革命、1848二月革命でウィーン体制は崩れていく・・


(1)絶対王政時代への復帰
ポイント①会議は踊る!されど進まず・・・
ナポレオン失脚後のヨーロッパ秩序の回復

絶対王政に戻そう

【ウィーン会議】(1814~1815)オーストリアの首都
メッテルニヒが主催(オーストリア外相→宰相)
オスマン帝国を除く全ヨーロッパ君主
→大国の勢力均衡を協議

理念を決めたのはタレーラン(仏外相)
正統主義・・フランス革命前の状態、絶対王政へ戻そう。領土・主権。

「会議は踊る。されど進まず」
各国の利害がぶつかって進展せず・・1年かけてようやくまとまる。

ポイント②フランス革命前のヨーロッパへ!
各国の領土変更と国家体制の変更

ウィーン議定書(1815)
<領土変更>
・イギリス・・セイロン島(蘭→英)、ケープ植民地(南ア)獲得
・ロシア・・ポーランド立憲王国の国王を兼ねる(ポーランド復活)
・プロイセン・・ラインラントを獲得
・オーストリア・・ロンバルディア・ヴェネツィア獲得→北イタリア
(19Cイタリア統一時のトラブルの種に・・)
・オランダ・・南ネーデルラント(ベルギー)獲得

<国家体制の変更(国の形の変更)>
ドイツ連邦の成立(盟主オーストリア)
「革命前に戻すなら神聖ローマ帝国復活じゃないのか・・?いや、どうせみんな皇帝の言うことは聞かない。それなら墺がリーダーでまとめよう。」
スイス永世中立(他国の戦争に干渉しない)
・フランス・スペイン・・ブルボン朝復活
・オランダ王国の成立

ポイント③ウィーン体制を支える2本の柱
各地の自由主義・国民主義を弾圧

ウィーン体制
革命前の絶対王政に戻す。市民が反発してきたらつぶす。2つの同盟
↓↓
1【神聖同盟】(1815)
アレクサンドル1世(ロシア皇帝)が提唱
「同じキリスト教同士、助け合おう(カトリックもプロテスタントも)」
・全ヨーロッパ君主参加
(不参加)
・英(英にとって不都合)
・オスマン(イスラーム)
・ローマ教皇(カトリックだから。プロテスタントはちょっと・・)

2【四国同盟】(1815)
・ヨーロッパの現状維持を目的
・英・露・墺・普の軍事同盟
途中で仏が加盟して五国同盟となる


(2)ウィーン体制への反発
ポイント①ヨーロッパで起きたウィーン体制への反発
自由主義運動・国民主義運動の頻発

4つの自由主義運動→全て失敗✕
[1]✕ブルシェンシャフト(ドイツ学生同盟)ドイツの自由を!
→オーストリア軍により鎮圧

[2]✕カルボナリ(炭焼党)イタリアの自由を!
→オーストリア軍の干渉により鎮圧

[3]✕スペイン立憲革命「憲法を作ってブルボン朝の王の力を制限しよう」→フランス軍の干渉で挫折

[4]✕デカブリストの乱(1825)ロシア「皇帝独裁反対!」
→新帝ニコライ1世により鎮圧

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ナショナリズム(国民主義)】→独立したい!
・〇ギリシア独立戦争(1821~1829)→成功
(当時、オスマン帝国領土。俺たちはトルコ人じゃない、ギリシア人だ!)英、仏、露も参戦。英バイロン、仏ドラクロワも応援。
→ロンドン会議(1830)
ギリシアの独立を国際的に承認
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ラテンアメリカの独立
独立にあたってヨーロッパはどう対応したのか・・

【ラテンアメリカ】
ハイチ独立(1804)カリブ海の小さな国(仏の支配下)
ラテンアメリカで初の独立。黒人共和国。
トゥサン=ルベルチュール(黒人指導者)の独立闘争
ナポレオン軍により捕縛・獄死

シモン=ボリバルの活躍(ベネズエラ出身)
現地生まれの白人地主クリオーリョ(※自分たちの利益のために独立したので、その後も先住民は土地問題に悩まされる・・)
ナポレオンが暴れてヨーロッパが混乱。独立するなら今かも?
(スペイン支配下)ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ボリビア独立

サン=マルティンの活躍(アルゼンチン出身)
クリオーリョ
(スペイン支配下)アルゼンチン、チリ、ペルー

【その他】
・メキシコ独立 スペイン支配→イダルゴ神父の独立宣言
ブラジル独立 ポルトガル支配→ポルトガル王子が皇帝即位

ラテンアメリカ独立に際して、列強指導者の対応は・・
(墺)メッテルニヒ・・反対!独立運動の弾圧を企図→断念
(英)カニング・・賛成!ラテンアメリカをイギリスの製品市場にしたい
(米)モンロー・・賛成!米欧両大陸の相互不干渉 モンロー宣言(教書)→アメリカで起きていることに欧は口出ししないで・・とメッテルニヒを牽制


(3)ウィーン体制の動揺
ポイント①ブルボン復古王政と七月革命
復活した王朝への不満と革命の勃発

(フランス)ナポレオン失脚後・・
ブルボン復古王政】(1814~1830)
ルイ18世(位1814~1824)
↓↓
シャルル10世(位1824~1830)
反動政治の強化

・アルジェリア出兵(1830)
政治から外に目をそらせた

その間に絶対王政への復帰を急いだ・・
・未招集議会の解散(議会を開くと言いながら開かなかった)
・選挙資格の大幅制限
・言論・出版の統制を強化

↓↓そんなことはさせない!

七月革命】(1830)
市民が暴動を起こす。
シャルル10世は亡命、ブルボン朝は崩壊。
ルイ=フィリップの即位(オルレアン家)

ポイント②七月革命の影響
ヨーロッパ各地で起きたウィーン体制への反発

ヨーロッパの自由主義、国民主義

【七月革命の影響】
↓↓
・〇ベルギー独立
オランダから

・✕ポーランド蜂起
ロシア支配から離脱を求め蜂起→鎮圧
ショパン『英雄』。祖国ポーランドへの思いとロシアへの怒り)

・✕ドイツ反乱
各地で憲法が制定→鎮圧

・✕イタリア反乱
カルボナリが蜂起するもオーストリア軍により鎮圧
→カルボナリは解散
→「青年イタリア」リーダーはマッツィーニ

 


(4)ウィーン体制の崩壊
ポイント①金持ちしか相手にしてくれない!?
フランスの七月王政への不満と革命の勃発

七月革命によりブルボン朝が倒れ・・

七月王政(1830~1848)
ルイ=フィリップ
・極端な制限選挙
少数の銀行家・大ブルジョワジー(金持ち)の利益を中心とした政治
人口の1%未満しか投票に行けない

・産業革命の進展
中小産業資産家や労働者の登場(新しい階級の登場)
男性普通選挙を求めて、選挙法改正運動を展開

↓↓ パリ市民の不満が爆発。

二月革命(1848)
パリの労働者、学生、資本家による暴動。七月王政を打倒。

カール・マルクス(独)の影響
「万国のプロレタリア(労働者)よ、団結せよ!」

↓↓
第二共和制へ・・

社会主義者 ルイ・ブラン
労働者、失業者側の味方
国立作業場を作る→選挙で負けて後に閉鎖・・

ポイント②二月革命の各地への影響
ウィーン体制の完全崩壊と新たなヨーロッパへ・・

仏二月革命はヨーロッパ各国に大きな影響を与えた!
「諸国民の春」(1848年革命)

【二月革命の影響】
↓↓
ウィーン三月革命
→メッテルニヒ失脚。ウィーン体制の崩壊。

ベルリン三月革命
国王に憲法制定を約束
ーーーーーーーーーーーーーーーー

オーストリアは多民族国家
・✕ハンガリー民族運動
マジャール人(アジア系)がオーストリアから独立を求めた。
コシュートの独立宣言→鎮圧

・✕ベーメン(ボヘミア)民族運動
チェック人(スラヴ系)がオーストリアから独立を求めた。
プラハを中心に蜂起→鎮圧

ーーーーーーーーーーーーーーー

(独)【フランクフルト国民議会】→失敗
ドイツ統一と憲法制定を協議

大ドイツ主義✕ VS 〇小ドイツ主義
大ドイツ主義:オーストリア中心で独統一しよう
小ドイツ主義プロイセン中心で独統一しよう・オーストリアは除く(ドイツ人以外も住んでるから)
→小ドイツ主義が勝ったが、プロイセンの王が独統一を拒む。オーストリアに対して気まずいから。

(伊)【イタリア民族運動】
・サルデーニャ王国の統一運動→✕
・ローマ共和国の建国(青年イタリアのマッツィーニが自分たちの国を作ろうとした)→✕ルイ・ナポレオンにより鎮圧

(英)【チャーティスト運動
労働者の参政権要求。議会請願、デモ運動、ストライキの実施。

 


 

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【24】フランス革命とナポレオン

【24】フランス革命とナポレオン
(1)革命前夜の状況と革命の勃発
(2)国民議会と立法議会
(3)国民公会と総裁政府
(4)ナポレオン時代のはじまり(1799~1815)
(5)ナポレオン時代の終焉

・国民議会(立憲君主)王様はあり。ルールに基づく。
・立法議会(穏健共和)王様は不要。(緩く)
・国民公会(急進共和)王様は不要。(早く・独裁)
・総裁政府(5人。混乱)
(ナポレオン)
・統領政府(秩序の回復)
・第一帝政(大陸制覇)仏革命の理論を拡大


(1)革命前夜の状況と革命の勃発

ポイント①こんなフランスはおかしい!
アンシャン・レジームの矛盾と財政の危機

アンシャン・レジーム(旧体制)
第一身分:聖職者 (特権身分)免税 ↘
第二身分:貴族  (特権身分)免税 →人口の2%
第三身分:平民 98%
・富裕層(立憲王政)王様はいてもいい。法律に則ってほしい。
・中産階級(穏健共和)王様は要らない
下層階級(急進共和)王様は要らない。早急な改革を望む。
→小作人2000万人・都市労働者400万人。人口の90%

束縛はイヤだ
・啓蒙思想の普及。自由、平等。
・アメリカ独立革命の成功

ヨーロッパ内の戦争、植民地戦争、米独立戦争の支援など
↓↓
財政難

ポイント②革命前夜の財政改革
特権身分への課税を試みるも・・

【財政改革(ルイ16世・マリ=アントワネット)】
2人の改革
テュルゴー
重農主義。穀物取引の自由化、ギルドの廃止→失敗

財務総監ネッケル
特権身分への課税→猛反発

↓↓

三部会の再開(1789)170年ぶり
(1302年フィリップ4世が開く→1614年ルイ13世が停止)
身分別議決法(課税反対2・賛成1にしかならない)をめぐり紛糾。

シェイエス(下級聖職者)
『第三身分とは何か』・・特権身分を批判
(「全てだ」)

・第三身分の代表者が三部会から離脱
↓↓
・「国民議会」の開催(1789年6月)
球戯場(テニスコート)の誓い(1789)
「憲法制定まで解散しない!」

国王軍がヴェルサイユへ集まり始める・・


(2)国民議会と立法議会
ポイント①いよいよ革命のスタート
革命の初期は思いもよらぬ形で波瀾万丈・・

国民議会】(1789~1791)
立憲君主派が中心=王様はいてもいい。

<フランス革命スタート!>
バスティーユ牢獄襲撃(1789.7.4)
政治犯が収容。武器があった。
ネッケルの罷免と国王軍のヴェルサイユ集結に市民が反発。襲撃。
↓↓
しかし農民反乱を誘発してしまった。全国に広がる。
↓↓
国民議会はあわてて農民反乱をおさえようとする。
<2つの策>
[1]封建的特権の廃止
中世から続く諸々の税を廃止(領主裁判権、十分の一税、死亡税など)
※封建地代は有償廃止=「ただし土地代だけは払ってね。」
→このときの国民議会(立憲君主派)は地主が多いため。

[2]「人権宣言」の発表(1789)
革命の方向性を示す
貴族:ラ・ファイエットら起草(米独立戦争の義勇軍)
自由・平等

ポイント②革命の急進化!国王への信頼は下がり続ける↓↓
共和主義者の人気が上昇

ヴェルサイユ行進(1789.10)
パリの穀物価格高騰を受け、婦人らが雨中20kmを行進。
「パンが買えない!」
国王一家がヴェルサイユからパリへ連行される。

ミラボーの死去
国王と国民議会との裏取引役。王は不安に・・
↓↓
ヴァレンヌ逃亡事件(1791.6)
国王一家がオーストリアへ逃亡→失敗。国王の権威失墜・・!
→代わりに共和主義者の台頭。

ピルニッツ宣言(1791.8)
オーストリア皇帝とプロイセンが革命への干渉を諸国へ呼びかけ。
「仏王に手を出すな」と脅迫。
↓↓
国民議会はプロイセンとの関係を考え、憲法制定。

1791年憲法の制定
立憲君主政、財政資格選挙(金持ちのみ選挙)→国民議会の解散

 

ポイント③国王のいないフランスへ
共和制へ向けての移行と訪れた苦難

制限選挙(金持ちのみ投票)が行われる
↓↓
立法議会(1791~1792)】(穏健共和)

・議会内での対立
フイヤン派(立憲王政=国民議会)vs ジロンド派(穏健共和)

ジロンド派内閣の成立
王様には消えてほしいが、ピルニッツ宣言がある・・。それならまずオーストリアを倒す必要がある。

対オーストリア宣戦→フランスは劣勢
各地より義勇軍がパリに集結。

8月10日事件(1792.8)】(=テュイルリー宮殿襲撃)
・サンキュロット(都市労働者)や義勇兵が、仏国王のいるテュイルリー宮殿を襲撃。
・議会は裕福な人たちだから通らない。直接王に直談判。実力行使。
→立法議会は王権の停止を宣言。議会を解散。
普通選挙を約束して混乱を鎮める。

↓↓ 革命軍はやる気が上がって

ヴァルミーの戦い(1792.9.20)
仏革命軍が初めてプロイセン軍に勝利〇

 


(3)国民公会と総裁政府
ポイント①ついに初の男性普通選挙の開催
ジャコバン派政権の恐怖政治

初の男性普通選挙の結果・・
国民公会(1792~1795)】
ジャコバン派(急進共和派)
貧困市民・農民代表

ルイ16世処刑(1793)
第一共和政(仏初の王がいない状態)(1793~1804)

第1回対仏大同盟(1793~1797)
英首相ピットの提案
「他の国に広がらないようにフランス革命をぶっつぶそう・・」

それに対して国民公会は
・徴兵制の実施
→ヴァンデーの農民反乱(徴兵制は失敗)
山岳派(ジャコバン派の過激派)が急速に台頭

恐怖政治(1793~1794)
公安委員会に権力を集中
指導者:ロベスピエール
反対派はギロチンで処刑される。

封建地代の無償廃止
借りていた土地はただで農民のものになった。小作農→自作農に。
これで農民はもう満足してしまった。
<※人口の8割以上が自作農に→仏で産業革命が遅れる原因になる>

・最高価格令、革命暦(共和暦)、メートル法の制定

1793年(ジャコバン)憲法
男性普通選挙制、主権在民、人民の生活権、労働権
→混乱していて実施されず。。

テルミドール(9日)のクーデタ(1794.7)
ロベスピエール派の逮捕・処刑

 

ポイント②もう独裁はこりごり。リーダー5人の政府
右派・左派の攻撃をうけ動揺する政府

総裁政府(1795~1799)】
1795年憲法の制定
財産資格による制限選挙制の復活
5人の総裁による政府
→時間がかかる・・

王党派の反乱(フランス革命を抑えたい)(右派・保守)

バブーフの陰謀(左派)
私有財産の廃止を計画。共産主義のはしり。→処刑される

ナポレオン=ボナパルトの登場】
イタリア遠征
仏〇 VS ✕ オーストリア
→第1回対仏大同盟の崩壊

エジプト遠征
仏✕ VS 〇英
英のインドルートを邪魔しようと思ったが・・
→英提督ネルソンに敗北
第2回対仏大同盟の結成

フランス革命の敵であるオーストリアと英と戦ったので国民に人気が出る。
↓↓
ブリュメール18日のクーデタ(1799.11)
ナポレオン、総裁政府を打倒
→フランス革命の集結

<フランス革命はバスティーユで始まりブリュメール18日で終わる>

 


(4)ナポレオン時代のはじまり
ポイント①統領政府時代のナポレオン
国民からの人気を集めるための方法

統領政府(1799~1804)】
・リーダー3人の統領。ナポレオンは第一統領。事実上の独裁官。

ローマ教皇と和解
カトリック信仰を正式に復活。
(対立していた理由。フランス革命はキリスト教に敵対する革命でもあったから。第一身分が聖職者なので)

アミアンの和約
英との休戦条約
第2回対仏大同盟が崩壊
→フランスに平和が戻る
終身統領に。。

ナポレオン法典(1804)
私有財産の不可侵
、契約の自由などを規定
=フランス革命の成果を法的に保障した。
(ナポレオンの人気が一気に上昇!)

ポイント②皇帝に即位した英雄ナポレオンの動向
大陸制覇にむけての遠征をスタート

国民投票でナポレオンが皇帝に即位
第一帝政(1804~1815)
ナポレオン1世(位1804~1815)

周りの諸国が警戒
↓↓
第3回対仏大同盟(1804~1815)(英・墺・露)

トラファルガーの海戦 ✕
英提督ネルソンに敗北

アウステルリッツの三帝会戦
ロシア皇帝、オーストリア皇帝、仏ナポレオン皇帝が三つ巴。
仏勝利〇、ロシアオーストリアを撃破
第3回対仏大同盟が消滅

ライン同盟の結成(1806)
西南ドイツ諸侯とナポレオンの同盟
→神聖ローマ帝国消滅(1806)

大陸封鎖令(ベルリン勅令)(1806)
(プロイセンをぶっとばして、プロイセンの首都ベルリンで発布したので「ベルリン勅令」ともいう。)
→大陸諸国とイギリスの通商や交通を全面的に禁止。
「今まで英から買っていたものは仏から買いなさい」→他国を仏の市場にする

ティルジット条約
プロイセンは莫大な賠償金と領土の大半の割譲

 


(5)ナポレオン時代の終焉
ポイント①ナポレオンを追い出せ!
プロイセンの近代化改革とスペイン反乱

プロイセンはティルジット条約が許せない・・
↓↓
プロイセン改革】強い国にする!
首相シュタインハルデンベルク
農民解放
・行政機構の改革、営業の自由化など

「ドイツ国民に告ぐ」フィヒテ
「私たちはドイツ人なんだ。仏の支配はおかしい」
国民意識を人々に植え付けた。

スペイン反乱】(1808~1814)
ナポレオン兄が国王に即位
↓↓
農民が主体となってゲリラ戦で抵抗
(→絵画『1808年5月3日』ゴヤ)

 

ポイント②ナポレオンの没落までの道
各地で発生したナショナリズム運動

“ナポレオンの牙が折れる瞬間・・!”

ロシア(モスクワ)遠征(1812)
ロシアは大陸封鎖令を無視。英と貿易再開。
ナポレオン軍モスクワへ・・
→ロシアの焦土戦術により失敗
60万の軍が壊滅・・
↓↓
【ナポレオンの失脚】
ライプツィヒの戦い(1813)=諸国民戦争
ヨーロッパ連合〇 VS ✕ナポレオン
ナポレオン皇帝退位
エルバ島へ流刑。(実家コルシカ島のすぐ北)
↓↓
ブルボン朝の復活(1814)
絶対王政に戻りそうになる・・
→ナポレオン、エルバ島を脱出
パリに帰国、皇帝に復位
↓↓
ワーテルローの戦い(1815)
ヨーロッパ諸国が攻める。
ナポレオン再退位
セントヘレナ島へ流刑(アフリカの西)

※ナポレオンの侵攻により国民意識(ナショナリズム)が芽生えた。「自分たちはドイツ人、スペイン人。フランス人は嫌だ」

 


 

世界史タイトル一覧

 

 

漫画『ベルサイユのばら』文庫5巻メモ

漫画『ベルサイユのばら』文庫5巻メモ

1789年7月14日
バスティーユ監獄
フランス革命

1789年8月26日
「人権宣言」十七条

国王一家はベルサイユからパリのテュイルリー宮へと移される。
ルイ14世以来使っていない廃城。

1790年
ナンシー事件

1791年6月20日
ヴァレンヌ逃亡事件。
国王一家がオーストリアへ逃亡しようとするも見つかる。
王の権威が失墜。王政から共和制へと移るきっかけとなる。

「それはさながらフランス王政の終焉。
ルイ14世太陽王を頂点とするブルボン朝の葬列であった・・」

ジャコバン派とフゥイヤン派の対立
ラ・ファイエットの辞職

1791年9月14日
フランス国憲法

1792年4月20日
オーストリア皇帝レオポルド2世(マリーの兄)は、プロイセン王とともに「ピルニッツ宣言」を出し、王政の復活を要求。
↓↓
フランス VS オーストリア・プロシア連合軍。
プロシア軍にゲーテが従軍していた。
最後は仏が勝つ。

ラ・マルセイエーズ
フランス国歌。

急進派ジャコバン派(平民)と穏健派ジロンド派(ブルジョア)の対立。

1792年9月21日
国民公会
王政⇒共和制となる。

1793年
ルイ16世、マリー・アントワネット処刑
(38歳)
 

 

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