【43】第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り – 歴史note

【43】第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り

【43】第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り
(1)非同盟主義の新興国
(2)アフリカ諸国の独立
(3)ラテンアメリカ諸国とキューバ革命
(4)米ソ両大国の動揺
(5)ヨーロッパにおける緊張緩和


(1)非同盟主義の新興国
ポイント①戦後の新興独立国がとった新路線とは?
アジア・アフリカの国々が結束して米ソに対抗

第三勢力
米ソ両陣営に入らず、積極的中立を主張した勢力
アジア・アフリカの新興諸国が中心

[1] ネルー・周恩来会談(1954)
平和五原則の発表

[2] アジア・アフリカ会議(バンドン会議・1955)
スカルノ大統領の提唱(インドネシア)
史上初のアジア・アフリカ首脳会議を主催
平和十原則

[3] 第1回 非同盟諸国首脳会議(1961)
開催地:ベオグラード(ユーゴスラヴィアの首都)
ティトー、ナセル、ネルーの呼びかけ
アジア・アフリカ・ラテンアメリカの非同盟国が参加

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ポイント②エジプトで高まるアラブ民族主義!
非同盟主義の象徴!その人物の名は・・

エジプト革命(1952)>
・自由将校団(改革派グループ) が国王を追放
王政→エジプト共和国の成立(1952)

ナセル大統領(任1956~1970)
「私は非同盟主義です。アメリカにもソ連にも強力しません」
近代化、国内改革
アスワン・ハイダム建設→資金問題の発生
・米英の融資
・ソ連からも融資
↓↓
米英からエジプトへの融資を白紙撤回される。
↓↓
スエズ運河の国有化
ダム建設に足りない資金をスエズ運河の通行料でまかなおうとした。
↓↓
スエズ戦争(第2次中東戦争)(1956)
エジプト〇 VS ✕英仏イスラエル
国連の介入
アラブ民族主義の中心的存在となる


(2)アフリカ諸国の独立
ポイント①20世紀はアフリカの世紀!
第二次世界大戦後、次々と独立を果たすアフリカ

リベリア共和国」のみ独立を維持。他は欧の植民地。
・北部:アラブ人(アラブ=アフリカ)
・南部(サハラ砂漠以南):黒人(ブラック=アフリカ)

[1]<アラブ=アフリカの独立>
(WW2中)
・エチオピア帝国の独立回復

(WW2後)
リビア独立(伊→英仏)
・スーダン独立(英)
・モロッコ独立(仏)
・チュニジア独立(仏)

・アルジェリア独立
アルジェリア戦争
石油が取れるので仏は独立を許したくない。
民族解放戦線〇 VS ✕仏(ド・ゴール)

[2]<ブラック=アフリカの独立>
ガーナ独立(1957)アフリカ中部
初代 エンクルマ大統領
「20世紀はアフリカの世紀」

・ギニア独立

「アフリカの年」(1960)・・17カ国の独立

アフリカ統一機構(OAU)の結成(Organization of African Unity)
(本部:アジスアベバ(エチオピア))
「パン=アフリカニズム」

<アフリカの年>
コンゴ独立
コンゴ動乱(1960)
カタンガ州の分離独立紛争。
豊富な資源を狙って、旧宗主国ベルギーが介入

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ポイント②アフリカが直面する問題
旧宗主国からの独立を果たすも・・

<発展途上国としての苦悩>
国連貿易開発会議(UNCTAD)の設立
貿易・援助を中心とした国際協力を推進

南北問題
先進国と発展途上国との経済格差

南南格差
「南」の中で生じた更なる経済格差
地下資源(石油、石炭)などが取れる地域との格差。


(3)ラテンアメリカ諸国とキューバ革命
ポイント①アメリカ大陸の支配者は合衆国!
ラテンアメリカ諸国に強く干渉する合衆国

アメリカ州機構(OAS)Organization of American States)
南北アメリカ21カ国による反共協力組織

反米的な政権の成立>
アルゼンチン
ペロン大統領:外国資本の国有化、初等教育拡大

ブラジル
ヴァルガス大統領:資源の国有化、労働者の保護

チリ
アジェンデ大統領(選挙による社会主義政権
ところが・・
→チリ軍部クーデタ(米CIAが裏で糸を引く)。アジェンデ死亡
→ピノチェト政権成立
親米軍事政権)

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ポイント②世界を震撼させた重大事件!
アメリカの「裏庭」で起きた革命とその後の様子

キューバ危機(1962)
バティスタ政権
米と結んだ親米独裁政権
↓↓
貧富の差が拡大
キューバ革命(1959)
指導者:カストロ、ゲバラ
バティスタ政権を倒す
↓↓
米、キューバと国交断絶
↓↓
キューバ社会主義宣言
ソ連に接近
ミサイル基地の建設
↓↓
米ケネディ大統領、海上封鎖
ソ連の船が入ってこれないように
↓↓
キューバ危機(1962)
フルシチョフ(ソ)VSケネディ大統領(米)
あわや核戦争・・!?
↓↓
ソ連が譲歩して平和的に解決


(4)米ソ両大国の動揺
ポイント①キューバ危機以降のアメリカ大統領の政策
ケネディとジョンソンの時代に起きた重大事件

33 トルーマン→34 アイゼンハワー→
<35代 ケネディ大統領(任1961~1963)
(米史上初・アイルランド系カトリック出身)

キューバ危機の翌年・・
部分的核実験停止(禁止)条約(PTBT)(1963)
米・英・ソ。大気圏内、宇宙空間、および水中での核兵器実験を禁止
(地下実験はできる)
→仏、中国は強い不快感

ニューフロンティア政策
国内政治の新たな方針。教育、高速道路、住宅建設、社会福祉などに政府が介入。

黒人解放運動(公民権運動)
指導者:キング牧師
(非暴力、不服従。ガンディーと同じ)
演説「私には夢がある」ワシントン大行進

ケネディ暗殺(1963)
at テキサス州ダラス
→副大統領のジョンソンが後を継ぐ

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ジョンソン大統領(任1963~1969)>
「偉大な社会」計画
アメリカから差別と貧困をなくすことを提唱

・「公民権法」の制定
人種・宗教・性別・出身国などによる差別を禁止する法律
(※注:「公民権法」はケネディではなくジョンソンのとき)

しかし・・
ベトナム介入(1965)
=北ベトナム爆撃

ベトナム反戦運動の高揚→世界へ拡大
黒人解放運動とも合流

米は
・財政が圧迫(経済✕)
・国際的に孤立(外交✕)
・差別など国内問題も解決できていない(政治✕)

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ポイント②ソ連陣営はガタガタ!?
ソ連から離れていく東ヨーロッパの国々

スターリン→フルシチョフ→
ブレジネフ書記長(任1964~1982)>

フルシチョフ解任(失脚)
キューバ問題などで

(外交の軸がブレる)
軍縮の動き>米ソ
・核拡散防止条約(NPT)
・第1次戦略兵器制限交渉(SALT1)
・第2次戦略兵器制限交渉(SALT2)(1979)

ソ連軍、アフガニスタンへ軍事介入(1979)
アフガニスタンの社会主義政権を軍事介入で支援。
→米は猛反発。SALT2のサインを拒否。流れてしまう。

(周辺国の対ソ反発)
・アルバニアの対ソ断交・・ホジャ政権。
ルーマニアの対ソ独自外交・・チャウシェスク政権。ソ連と距離を置く。

チェコスロバキアの民主化運動
「プラハの春」(1968)
↓↓
共産党書記長:ドプチェク政権の誕生←ソ連の軍事介入で失敗。
チェコの民主化運動はつぶされる・・。


(5)ヨーロッパにおける緊張緩和
ポイント①西ドイツの平和的な外交
社会主義諸国との関係を次々と改善!奇跡の外交

(ドイツ連邦共和国(西ドイツ))
<初代 アデナウアー首相(任1949~1963)>反共
(政党名:キリスト教民主同盟)

西ドイツの経済復興
(米に次ぐ大国に。親米・反共)
・西ドイツの主権回復→再軍備→NATO加盟

ベルリンの壁の構築(1961)
東ドイツ政府が西ベルリンを遮断。
逃亡者が相次いだため。

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<2代 ブラント首相(任1969~1974)>平和外交
政党:ドイツ社会民主党

東方外交・・社会主義国との和解を促進

西ドイツとポーランドの国交を正常化
ワルシャワでの跪き(ひざまずき)。ホロコーストへの深い謝罪。「ドイツの謝罪」

・東西ドイツ基本条約・・双方の主権を承認
東西ドイツ、国連同時加盟

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ポイント②欧州各地で進む民主化
独裁体制から民主政治へと歩む欧州の小さな国々

(スペイン)
・軍人フランコ(ファシズム)死亡(1975)
スペイン内戦でアサーニャ人民戦線内閣を破った
↓↓
スペイン王政復活(ブルボン朝)
国民投票で新憲法を制定。王政でも民主化が進む。
(現在もスペインはブルボン王家の王がいる。)

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(ポルトガル)
・ポルトガル民主化「リスボンの春」
独裁者死亡→軍部による無血クーデタ→民政へ・・

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(ギリシア)
・WW2後、王政の復古
→軍部クーデタで王政廃止。軍部独裁政権が発足(1967)
↓↓
ギリシア民主制復帰(1974)

 


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