アフリカ – 歴史note

【47】現代文明と各地の紛争

【47】現代文明と各地の紛争
(1)アフリカの紛争
(2)パレスチナ問題の行方
(3)イラク・アフガニスタン情勢
(4)現代の文化と人類の課題


(1)アフリカの紛争
ポイント①アパルトヘイトに苦しむ南アフリカ!
人種差別に立ち向かったマンデラとその苦悩

<ジンバブエ>
ローデシアの独立
白人政府によるアパルトヘイト政策の実施
→黒人が解放戦線を結成
↓↓
ジンバブエ独立・・黒人政権
(ローデシア(白人)→ジンバブエ(黒人)に改名)

南アフリカ共和国独立>
・イギリス連邦より離脱
国連総会が対南ア経済制裁を決議
・アフリカ民族会議(ANC)の抗議活動

アパルトヘイト諸法撤廃(1991)
↓↓
・全人種による大統領選挙の実施(1994)
マンデラ大統領(任1994~1999)
元ANCの指導者
南アフリカ初の黒人大統領

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ポイント②紛争が続くアフリカ諸国
民族、宗教、地下資源・・絶えることのない紛争

旧ポルトガル領からの独立>
1970年代、ポルトガル国内で民主化。それに連動してアフリカの国が3つ独立。
[1]ギニアビサウ独立
[2]アンゴラ独立
[3]モザンビーク独立
→いずれの国も、政府派 VS 反政府派の内戦へ・・

<アフリカ諸地域の紛争>
ナイジェリア内戦(ビアフラ戦争)
東部に住むイボ族がビアフラ共和国を建国
(石油が取れる地域)

ソマリア内戦(1980年代~)
多数のグループによる武装闘争が激化
→武力行使を認められた国連PKOの派遣→失敗
無政府状態に・・(1991~2012)21年間
海賊行為で公海を荒らす

ルワンダ内戦(1990~1994)
フツ族によるツチ族の大量虐殺


(2)パレスチナ問題の行方
ポイント①第4次中東戦争後の和平への動き
エジプトの下した決断とアラブ諸国の反応

<エジプトとイスラエルの歩み寄り>
中東和平合意
カーター大統領(米)の仲介
イスラエル首相:ベギン
エジプト大統領:サダト
(第4次中東戦争。現実主義者。エジプトを守るため動いたが・・)

エジプト=イスラエル平和条約の締結
エジプトがアラブ諸国の中で初めてイスラエルを公式に承認
↓↓
アラブ諸国からは猛反発。断交など。
↓↓
サダト大統領暗殺(1981)

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ポイント②ついに解決!?パレスチナ暫定自治協定!
20世紀末に調印された協定の「理想」と「現実」

<1980年代のパレスチナ>
シナイ半島返還(1982)
イスラエルから→エジプトへ返還

関係が良くなると思いきや・・
↓↓
・イスラエルのレバノン侵攻
パレスチナ解放機構(PLO)の本部を攻撃
↓↓
インティファーダの開始
パレスチナ人の大衆的抵抗運動。メディアで国際世論に訴える。

<イスラエルとパレスチナの歩み寄り>
パレスチナ暫定自治協定の締結(オスロ合意)(1993)
イスラエル首相:ラビン
PLO議長:アラファト
(クリントン(米)/ 引き合わせたのはノルウェー、米)
↓↓
パレスチナ暫定自治政府の樹立
ガザ地区などで自治が始まる

↓↓ しかし・・

ラビン首相暗殺(1995)
この後イスラエルは和平へ消極的になっていく・・
(アラブ人に強気な方が支持率が上がる)

アラファト議長の死去(2004)

・ガザ地区はイスラエルのシャロン首相により壁が作られ、隔離された・・。(2023年10月~ガザとイスラエルは再び戦闘に・・)


(3)イラク・アフガニスタン情勢
ポイント①アメリカに踊らされた!?イラクの動向
サダム・フセインの暴走とアメリカの思惑

サダム・フセイン大統領(任1979~2003)>スンナ派
イラン革命。ホメイニ。第2次オイルショック。(1979)
↓↓
イラン・イラク戦争(1980~1988)
米がイラクを支援。(米はイランが嫌いなので)
↓↓
・クェート侵攻
湾岸戦争(1991)
ブッシュ(父)大統領。多国籍軍の派遣。

・米軍、イラク攻撃(イラク戦争)(2003)
ブッシュ(子)大統領。
大量破壊兵器の保持を口実にイラクへ侵攻。
フセイン政権の崩壊
→米軍がイラクにとどまる。米軍駐留。
民主政治を導入するも・・スンナ派、シーア派、クルド人が混在しているため、民主政治ではまとまらない。

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ポイント②国際テロ組織をかくまっていた!?アフガニスタンの行方
闇が深いアフガニスタン情勢

<アフガニスタン(社会主義政権)>
ソ連軍、アフガニスタンへ侵攻(1979)
→社会主義政権を擁立
→アメリカの反発
→内戦状態へ・・(ソ連の財政圧迫)

<アフガニスタン(ターリバーン政権)>
・ソ連軍、アフガニスタン撤退(1988~1989)
ゴルバチョフ書記長
↓↓
ソ連がいなくなったあと、アフガニスタンでは・・
→イスラーム武装勢力:ターリバーンが首都を制圧

同時多発テロ事件(2001.9.11)
アメリカはアル・カーイダ(国際テロ組織)の犯行と断定。
→アフガニスタンのターリバーン政権が、アル・カーイダをかくまっていると断定。
米軍、アフガニスタン攻撃
ターリバーン政権の崩壊
→米軍、撤退。
→再度、ターリバーン政権が復活

※イラクもアフガニスタンも、米の軍事介入で政権が崩れた。現在も情勢は混乱、不安定。


(4)現代の文化と人類の課題
ポイント①20世紀の文化
激動の世紀を反映した文学・芸術・哲学とは

<哲学・精神分析>
フロイト(墺)・・精神分析学
「夢はあなたの精神状態を表しているんです」

デューイ(米)・・プラグマティズム(実用主義)
「哲学は実生活で使えないと意味がないんだ」
教育学

<経済学>
マックス・ヴェーバー(独)
「カルヴァニストあるところに資本主義あり」
カルバンを賞賛

<文学>
・シュペングラー『西洋の没落』
・トーマス・マン『魔の山』ファシズムを批判

<芸術>
ピカソ『ゲルニカ』
・ジャズ
・・米で生まれた黒人音楽

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ポイント②科学の進歩と人類にとっての大きな「課題」
発達する科学の裏側で悲鳴を上げ続ける「宇宙船」

<20世紀を代表する技術・発明>
自動車(発明は19C末)一般への浸透
ラジオ、映画

・飛行機、人工衛星、クローン技術、生命工学(バイオテクノロジー)

<科学の躍進>
アインシュタイン
相対性理論を提唱
第二次世界大戦後、核兵器の廃絶を訴える

環境問題(環境破壊)
・人口爆発と飢餓
・オゾン層の破壊、地球温暖化、砂漠化

・環境と開発に関する国連会議(地球サミット)
開催地:リオデジャネイロ(ブラジル)
「持続可能な開発」にむけての国際会議

京都会議(地球温暖化防止会議)の開催(1997)
温暖化の原因の、温室効果ガス(二酸化炭素)の排出量を減らそう
日本EU諸国は議定書に批准
(ブッシュ(子))・中国は批准を拒否
(先進国だけ厳しい!と不満)

ロシアの批准(2005)
「京都議定書」の発効

 


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【32】世界分割と列強の対立

【32】世界分割と列強の対立
(1)アフリカ分割の始まり
(2)英のアフリカ進出
(3)仏のアフリカ進出
(4)独・伊のアフリカ進出
(5)欧米の太平洋地域進出
(6)ラテンアメリカ・メキシコの動向
(7)列強の二極化。三国同盟VS三国協商


(1) アフリカ分割の始まり

ポイント①アフリカってどんなところ?
「暗黒大陸」の悲惨な歴史と探検家の活動

「暗黒大陸」
奴隷の獲得⇒資源の獲得
プランテーションの労働力。
商品作物。サトウキビ、タバコ、綿花

大西洋三角貿易(16~18C)
黒人奴隷貿易
1.西欧⇒西アフリカ(武器)
2.西アフリカ⇒米大陸(奴隷)黒人2000万人ほど
3.米大陸⇒西欧(商品作物)

奴隷制度の廃止(19C)
奴隷以外にアフリカには何がある・・?
↓↓
2人の探検家
[1]リヴィングストン(英・宣教使)
ナイル川の水源調査。消息不明。
↑↑(救出)
[2]スタンリー(英生まれ米)
リヴィングストンの救出に成功。
→コンゴ(アフリカの真ん中)探検。(ベルギー王が支援)。
→ベルギー王コンゴの領有を宣言
の反発。
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ポイント②アフリカをもらうなら「早い者勝ち」!?
ヨーロッパ国際会議で決定した驚きの事実とは・・

ベルリン会議(1884~85)
(※「ベルリン会議」は2つある。1つ目は19Cロシア南下⇒ロシア=トルコ戦争のあと。ビスマルク調停(1878))

今回もビスマルク主催。
先占権(せんせいけん)(早い者勝ち)⇒アフリカ分割に拍車をかける。
コンゴ自由国ベルギーの支配下に。


(2)英のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部への進出
何があってもエジプトとスーダンだけは他国に渡せない!

英の縦断政策(アフリカ北部)>
スエズ運河ができたことで、英のアフリカ進出が始まる。
スエズ運河
沿いの2つの国、エジプト(北)・スーダン(南)が欲しい。安全性を確保したい。

<英がエジプトに進出>
ウラービー運動(1879~82)
陸軍大臣アフマド・ウラービー「エジプト人のためのエジプト」。→鎮圧される→エジプトは英の保護国化に。

<英がスーダンに進出>
マフディーの反乱(1881~98)17年
マフディー=「救世主」の意味。
ムハンマド・アフマド。
総督ゴードン戦死。
(↑ 清の太平天国の乱を鎮圧した常勝軍。)
↓↓
ファショダ事件(1898)
✕仏 VS 英〇
スーダンのファショダという地で対峙(にらみ合い)。

英の3C政策
ケープタウン(南ア)、カイロ(エ・埃)、カルカッタ(印)。
インドへの道を盤石なものにしたい。

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ポイント②金とダイヤモンドをめぐる南アフリカ戦争
ブール人国家との戦争

<英アフリカ縦断政策(南アフリカ)>

ケープ植民地(中心ケープタウン)南ア
元々オランダ領だったが、ナポレオンなきあと欧の国際秩序のためのウィーン会議(1814)で蘭領から→英領となる。
(→オランダの人は北へ移動し、トランスヴァール共和国を建国。ブール人と呼ばれる。)

セシル・ローズ
英領有の南ア・ケープ植民地の首相。元企業家。金・ダイヤモンド鉱山を発見!

金が見つかったのは隣の、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国。(英領ではない。ケープ植民地の北東)。ブール人(=オランダ人)の国。→大義名分などない、金とダイヤの争奪。
↓↓
南アフリカ戦争(1899)
英本国から派遣⇒植民相ジョゼフ=チェンバレン
全植民地統括の大臣が来る。40万人以上の兵。
〇英 VS 蘭✕
↓↓
南アフリカ連邦(自治領)
(ケープ植民地と、トランヴァール、オレンジを併合)
白人を優遇。白人優位の人種差別が芽生える。黒人と白人の対立を作ることで英本国への恨みをそらす。

 


(3)仏のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部から東西へと拡大
イギリスのアフリカ縦断政策と衝突した結果・・

仏アフリカ横断政策
モロッコ・アルジェリア・チュニジア
サハラ砂漠・ジブチ・マダガスカル

アルジェリア出兵。植民地化(19C前)
(ウィーン会議で絶対王政に戻り、仏ブルボン朝が復活。王シャルル10世。国民の不満を外へ向けた)

アルジェリアを起点に東西に拡大。
チュニジア保護国化(1881)(アルジェリアの東横)
と関係悪化⇒独ビスマルクは見逃さない。翌年・三国同盟(独・オーストリア・伊)(1882)

ジブチを建設。(紅海の一番下)
紅海からインド洋への出口。

マダガスカル(アフリカ南東の島)
サハラ砂漠(アフリカ西)

ファショダ事件(1898)
スーダンのファショダで対峙。英〇 VS ✕仏
(仏が譲った理由)とけんか状態。英ともけんかすると敵が増えてしまう・・。仏は英に譲る。
↓↓
英仏の関係が良くなる。
↓↓
英仏協商(1904)
英はエジプト取るから仏はモロッコ行きなよ。相互承認。

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ポイント②モロッコをめぐるドイツとの対立
2度にわたって衝突!イギリスが取った行動は?

モロッコの領有問題
モロッコを押さえると、英のインド進出を邪魔できるので、が狙っていた。

第1次モロッコ事件(タンジール事件)(1905)
モロッコをめぐって、 VS 対立。独皇帝ヴィルヘルム2世がモロッコのタンジール港に入ってきた。仏出ていけ。
→英援助 〇仏 VS ✕ 独
(タンジールはイブン・バットゥータの生まれ故郷。スペインの向かい・ジブラルタル海峡のアフリカ側)

第2次モロッコ事件(アガディール事件)(1911)
また独はモロッコ・アガディール港に入る。
英援助 〇仏 VS ✕ 独

仏モロッコ保護国化(1912)


(4)独・伊のアフリカ進出

ポイント①ドイツ・イタリアのアフリカ進出
イギリス・フランスに遅れを取って進出開始

<独>
カメルーン(西)、東アフリカ植民地(現タンザニアなど/マダガスカル島の対面北)

<伊>
・イタリア軍がエチオピアに侵入
エチオピア〇勝利! VS ✕伊
イタリア敗北!

イタリア「このままではアフリカに植民地を持てない・・」と焦る
↓↓
・イタリア=トルコ戦争
オスマントルコとの戦争でリビア(アフリカ北)を獲得。

・ソマリランド(アフリカの角/つの)獲得。
北から英仏伊で分けた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦開始まで独立を保持した2つの国
独立を維持できた要因は?

独立を保持した2つの国

[1]エチオピア帝国(東)
アドワで撃退。優秀な君主。の軍事支援もあった。

[2]リベリア共和国(西アフリカの海岸線)
アフリカ最初共和国。アメリカで解放された黒人たちがアフリカに帰ってきて作った国。国名はLibertyリバティ(自由)から。                                                →主権国家として認められていたので欧は手を出せなかった。


(5)欧米の太平洋オセアニア進出

ポイント①オセアニアってどういうところ?
2人の探検家に注目!

・オセアニア・・オーストラリア、ニュージーランド、太平洋に浮かぶ島々の辺り。

2人の探検家
[1]タスマン(17Cオランダ人)タスマニア・ニュージーランドに到達。オーストラリア大陸。

[2]クック(18Cイギリス人)タヒチ、NZ、オーストラリアを探検。オーストラリアやNZを英の所有と宣言。(侵入者と勘違いされハワイで島民に殺害される。)
↓↓
オーストラリア
先住民:アボリジニー
1850年代 金鉱の発見。英本国やアジア各地から移民が増える。
→英自治領に。オーストラリア連邦

ニュージーランド
先住民:マオリ人
→英自治領に。
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ポイント②太平洋に浮かぶ島々も欧米諸国の領土に!?
オセアニア諸地域の分割へ

・列強諸国の南洋諸島(太平洋の島々)進出
ニューギニア
西部:オランダ|東部英・独

・英領・・ソロモン諸島(独と分割)、フィジー、トンガ
・仏領・・ニューカレドニア、タヒチ
・独領・・ビスマルク諸島、マリアナ諸島、マーシャル諸島
・米領・・フィリピン、グアム島、ハワイ


(6)ラテンアメリカの従属化
ポイント①メキシコの内乱とフランスの干渉
初の先住民出身の大統領の苦悩

<ラテンアメリカ>
19C前半に多くの国が独立を達成。ベネズエラ、コロンビア、ボリビア、エクアドル(シモン・ボリバル)。ペルー、アルゼンチン、チリ(サン・マルティン)。ブラジル
→独立したものの、英の経済的従属下に置かれる。メキシコだけは例外!

<メキシコ>
フアレス〇→ディアス✕→メキシコ革命・マデロ△→サパタ・ビリャ→憲法

フアレス大統領先住民インディオ出身
自由主義革命(インディオの権利獲得など)

↓↓ 保守派が抵抗。

メキシコ内乱(1861~67)
この内乱に仏ナポレオン3世がちょっかいを出してくる。(仏メキシコ出兵)→が、フアレスはナポ3を追い出す。米も抗議。良い改革、国作りへ・・。

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ポイント②メキシコ革命の勃発!
近代化を成し遂げられるのか!?

フアレスのあと・・
ディアス大統領
独裁政治
。地主階級の特権を復活させてしまう。(先住民切り捨て)。
英、米から莫大な借金。頭が上がらない状態に・・。

↓↓ メキシコが食い物にされる!

メキシコ革命(1910~17)
マデロ大統領が、ディアスを打倒し自由主義的改革をしたが、土地の改革には消極的だった。地主の権利を守ったまま。。
↓↓
サパタ・ビリャ(農民の代表)の蜂起。マデロ失脚。サパタ・ビリャも暗殺される・・。
↓↓
憲法制定(1917)
土地改革、地下資源の国有化。民主的。→しかし憲法はうまく機能せず。米、英の従属から逃れられなかった。

 


(7)列強の二極化

ポイント①ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の無謀な政策
第2次産業革命で自信をつけた皇帝の海外進出策

・独皇帝ヴィルヘルム2世(任1888~1918)
第2次産業革命で世界2位になり自信が付く→英を越えるぞ!ドイツも外へ出て行くんだ!

・元々、普仏戦争で、と対立している。
↓↓
(さらに新たな敵)
海軍大拡張により⇒と対立。
パン=ゲルマン主義で⇒ロシアと対立。
3B政策。ベルリン・ビザンティウム・バグダード。ペルシア湾から海へ出ようと考えた。
↓↓
英・露・仏が対立関係に。

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ポイント②第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生
三国同盟と三国協商の対立

<ビスマルク時代>
・三国同盟(独・オーストリア・伊)1880 軍事同盟

再保障条約(お互い攻めない)ロシアと独
・英「光栄ある孤立」
↓↓
ライバル仏を孤立させることに成功。

<ヴィルヘルム2世時代>
ロシアの手を離したことから、国際関係が変わっていく。。

・独はロシアとの再保障条約を拒否!(1890)
「オーストリアと一緒にバルカン半島に行くんだ」
ロシアの手が離れた・・!これをは見逃さない!キラリ✨
↓↓
露仏同盟(1891)
ロシアに接近。手を組む。仏が露に資金提供⇒露産業革命に成功。

・英海軍拡大に焦りを感じ始める。「光栄ある孤立」をついに解く。
↓↓
日英同盟(1902)
東アジアの防衛に日本の軍事力を当てにした。
英のドアが開いた!ここでにも近づく!
↓↓
英仏協商(1904)
独嫌いだよねーでくっつく。
↓↓
英露協商(1907)
日露戦争が終わってロシアはバルカン半島に戻ってこようとする。またと対立する。ロシアに接近する形を取った。
↓↓
三国協商(英・仏・露)VS 三国同盟(独・墺・伊)になる。
↓↓
第一次世界大戦へ

 


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