日本 – 歴史note

【42】冷戦の激化と西欧・日本の経済復興

【42】冷戦の激化と西欧・日本の経済復興
(1)朝鮮戦争と軍拡競争
(2)核開発と平和運動
(3)ヨーロッパ諸国の経済統合
(4)日本の成長と冷戦の転機


(1)朝鮮戦争と軍拡競争
ポイント①米ソの代理戦争!朝鮮戦争の勃発
アメリカ・ソ連がそれぞれ支持する国々が衝突

朝鮮戦争(1950~1953)>
北朝鮮 VS 韓国
北朝鮮軍が軍事侵攻。ソウル占領。
→韓国は釜山まで追い詰められる。
↓↓
国連軍出動(主体)仁川(じんせん)上陸
(安保理はソ連がボイコットしたが米が強引に決めた)
→北朝鮮軍を中国国境まで追い込む
↓↓
中国人民義勇軍(ボランティア兵)を派遣し北朝鮮を支援。
↓↓
朝鮮休戦協定(1953)at 板門店(はんもんてん)
暫定的な軍事境界線
北緯38度線
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ポイント②ソ連に負けるな!アメリカの「巻き返し政策」
全世界と反共軍事同盟の締結を狙うアメリカ

33代トルーマンの次・・
<34代 アイゼンハワー大統領(任1953~1961)>
「ソ連をつぶす。米が世界の国々と軍事同盟を結ぶ・・!」
=巻き返し政策

マッカーシズムの流行(1950年代初)
議員:マッカーシ
ソ連派をヒステリックに追放(赤狩り

<世界各地に成立した反共軍事同盟> ソ連との対決に備える
日米安全保障条約(1952)
・米韓相互防衛条約
・米華相互防衛条約(台湾)
・太平洋安全保障条約(ANZUS)
・東南アジア条約機構(SEATO)
・中東条約機構(バグダード条約機構、METO)
・アメリカ州機構(米州機構、OAS)


(2)核開発と平和運動
ポイント①核を保有すると、発言力が強くなる!?
米ソに対抗し、次々と核を保有する国が登場

原子爆弾
・ウランやプルトニウムの核分裂を利用してつくる大量破壊兵器。
核実験・・が世界で初めて成功

<各国の核の保有>
の核実験・・1945年
ソ連の核実験・・1949年
・米は水素爆弾の実験にも成功→ソ連も猛追
の核実験・・1952年
の核実験・・1960年
中国の核実験・・1964年
インドの核実験・・1974年
パキスタンの核実験・・1998年
北朝鮮も核を保有

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ポイント②平和な世界にするために…
世界各地で行われた平和運動・核兵器廃絶運動

<核兵器の廃絶にむけて>
ビキニ水爆実験
米、中部太平洋、マーシャル諸島のビキニ環礁で核実験実施
「死の灰」により周辺住民は被曝
↓↓
第五福竜丸事件(1954)
日本のマグロ漁船の乗組員が「死の灰」を浴び被曝
↓↓
原水爆禁止運動
東京都杉並区の主婦の運動から始まる
→世界的運動に発展

・バートランド・ラッセル(英哲学者)
「多くの人が核の廃絶を訴えることが重要」
↓↓
ラッセル・アインシュタイン宣言
核兵器・核戦争の危険性を訴えた宣言
↓↓
パグウォッシュ会議(カナダ)
科学者による核兵器禁止運動
科学と国際問題について協議


(3)ヨーロッパ諸国の経済統合
ポイント①目指すのは経済的な「第三の巨人」
独立を維持した状態で、経済的に全面協力

<これまでのヨーロッパの戦争を反省・・>
仏外相:シューマン
「地下資源豊富な地域をめぐって何度も争ってきた。特に独と仏は・・」アルザス・ロレーヌは普仏戦争、WW1、2で取り合い。→みんなで共有したらどうだ?
シューマン=プラン

↓↓ 独立は維持したまま、お互い経済的に協力する組織

ヨーロッパ共同体(EC)(1967)>
仏、西独、伊、ベネルクス3国、の6カ国

・ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)
・ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)ユラトム
・ヨーロッパ経済共同体(EEC)
→この3つが合わさってヨーロッパ共同体(EC)ができる。
VS
・ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)
の提案で発足。工業製品の共同市場。

拡大EC
1970年代:、アイルランド、デンマーク
1980年代:ギリシア、スペイン、ポルトガル(加盟12カ国に)

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ポイント②アメリカもイギリスも嫌い?フランスの独自路線
第五共和政のスタート!フランスの新たな動き

(仏)
第四共和制・・議会重視
植民地(インドシナ・アルジェリア)の独立運動など、混乱
↓↓
第五共和制(1958~現在)>
ド=ゴール大統領(任1958~1969)
「強力な力が必要だ。俺が仏を立て直す!」
米英に追随しない。頼らない。
→大統領権限を重視
・核保有
・アルジェリア独立を承認(エビアン協定1962)
・中華人民共和国の承認
NATO軍事機構を脱退
↓↓
・五月危機(五月革命)
独裁を嫌う学生、労働者、市民らによる大規模な反ド=ゴール運動


(4)日本の成長と冷戦の転機
ポイント①ソ連がアメリカに歩み寄る!?
1950年代のソ連外交に大きな変化が訪れる

スターリンの死(1953)
→<フルシチョフ書記長(任1953~1964)>
「ソ連とアメリカ、世界は平和に共存できるはず」

スターリン批判(1956)
ソ連共産党第20回大会
↓↓
「雪どけ」>ソ連・エレンブルクの小説より
ジュネーヴ四巨頭会談(1955)
米・ソ・英・仏の首脳が平和共存を確認

・ソ連・西独国交回復

コミンフォルム解散(共産党情報局)

フルシチョフ訪米
ソ連のリーダーとして初めて訪米。
フルシチョフとアイゼンハワー
キャンプ・デービッド
↓↓
<ソ連支配に対する民主化運動>
ポーランド反政府反ソ暴動(ポズナニ暴動)
ゴムウカがポーランドの自主路線を約束して事態収拾(自主解決)

ハンガリー反ソ暴動(ハンガリー事件)→✕失敗
ナジ=イムレが首相に復帰
→ソ連の軍事介入により失敗。ナジ=イムレは処刑。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②「もはや戦後ではない」
1950年代以降、急激に成長する日本経済

<日本の経済成長>
特需・・朝鮮戦争
米軍の必需品を日本が生産・輸出→経済復興へ

日ソ国交回復(1956)「雪どけ」のタイミング
日本の国連加盟(1956)

・高度経済成長期(1950年代)

※ただし、ヨーロッパと違い、アメリカよりの外交。


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【40】第二次世界大戦と戦後秩序の形成

【40】第二次世界大戦と戦後秩序の形成
(1)ドイツとソ連の猛進撃
(2)ヨーロッパ戦線の終結へ
(3)アジア・太平洋戦線
(4)日本支配への抵抗と日本の敗北
(5)敗戦国の処理
(6)国際連合の設立と戦後経済の再建


(1)ドイツとソ連の猛進撃
ポイント①ドイツのヨーロッパ進撃!
ヨーロッパを席巻するドイツの「電撃戦」とは?

<ドイツの進撃>
・ポーランド侵攻(1939.9.1)
第二次世界大戦の開始
強制収容所の建設 アウシュヴィッツ
デンマーク・ノルウェーに侵入
オランダ・ベルギーに侵入
=イギリスを牽制しながらフランスへ進む。

電撃戦・・首都までの道を空爆。兵隊をトラックで首都まで運んで都を占領。

(英)
弱腰のネヴィル・チェンバレンから→チャーチルへ
チャーチル挙国一致内閣

(伊)
・イタリア参戦

(仏)
<パリ占領(フランス降伏)>
ヴィシー政府
南仏・首班ペタン
対独協力政権
VS
自由フランス政府
ロンドンに亡命。軍人ド=ゴール
レジスタンス(抵抗)運動を指導

(米)
・アメリカの軍事支援
武器貸与法・・孤立したを支援

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ポイント②ソ連も攻める!社会主義圏の拡大へ!
国際連盟はソ連の暴走を止められず・・

<ソ連の進撃>
ポーランド侵攻
バルト3国へ侵攻→後に併合
・ソ連=フィンランド戦争(冬戦争)
→国際連盟、ソ連を除名(それでもソ連は止まらず)


(2)ヨーロッパ戦線の終結へ
ポイント①戦局が大きく変わった!?独ソ戦争の開始!
独ソの対立でヨーロッパ戦線の流れがかわる

独ソがバルカン半島を取り合う

<ドイツのバルカン制圧(1941)>
・ドイツ軍がユーゴスラヴィア・ギリシアを占領
ティトー(共産主義)、独の支配に対してパルチザン闘争(ゲリラ戦)

<ドイツ VS ソ連>
日ソ中立条約(1941)ソ連は後ろを守る

独ソ戦争の開始(仲間割れ)
独ソ不可侵条約は破棄。
ドイツは電撃作戦を実行。
→当初は戦局有利

大西洋上会談(米英首脳会談)(1941)
米フランクリン・ローズヴェルトと英チャーチル
大西洋憲章

独伊、対米宣戦

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ポイント②連合国の反撃!ドイツの降伏!
ファシズム VS 反ファシズムへ

米軍も動き始めた
<伊・独の苦戦>
・連合軍、北アフリカ上陸
スターリングラードの戦い(1942)(ソ連内)
独✕ VS 〇ソ連
これ以降ドイツは劣勢に・・

<イタリアの降伏>
・連合軍、シチリア島上陸
イタリア新政府、無条件降伏(1943.9.8)

テヘラン会談(1943.11)
米・英・ソ
対ドイツ戦の基本方針

<ドイツの降伏>
・ソ連軍、東欧に侵攻

ノルマンディー上陸作戦(北仏に連合軍が上陸)
最高司令官:アイゼンハワー

・パリ解放
ドイツ軍撤退

ヤルタ会談(1945.2)(ウクライナ・クリミア半島)
米・英・ソ
対ドイツ戦後処理を協議:ヤルタ協定

ベルリン陥落
ドイツ無条件降伏(1945.5.7)


(3)アジア・太平洋戦線
ポイント①日本の東南アジア進出!
日本は欧米諸国の対中国支援を断ち切ろうと・・

<日中戦争(1937~1945)>
蒋介石 重慶政府
VS
日本(汪兆銘) 南京国民政府

欧米が東南アジアから中国を支援

「大東亜共栄圏」
日本を盟主とする東アジアのブロック構想

・北部フランス領インドシナ進駐

日独伊三国軍事同盟(1940.9)

日米交渉
米は一方的。中国からの日本軍の撤退、三国同盟からの撤退が議題。

日ソ中立条約(1941.4)北の防衛に成功

・南部フランス領インドシナ進駐

→米、対日石油禁輸策で対抗=ABCDライン
(Aアメリカ、Bイギリス、C中国、Dオランダ)

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ポイント②ついにアメリカが動いた!日米の開戦!
連合軍と枢軸国の対決へ

太平洋戦争(1941~1945)

真珠湾奇襲(1941.12.8)
→独・伊の対米宣戦

連合国 米・英・仏・ソ・中(反ファシズム)
VS
枢軸国 日・独・伊(ファシズム)

日本は石油を探す・・
・フィリピン占領
・マレー・シンガポール占領
・ジャワ・スマトラ占領
・ビルマ(ミャンマー)占領
現地の資源、労働力を使う。


(4)日本支配への抵抗と日本の敗北
ポイント①日本よ、出ていけ!
アジア諸地域で日本支配に抵抗する動きが活発に

<日本の植民地支配>
皇民化政策(日中戦争開始以降)朝鮮にて
神社参拝、日本語強制、創氏改名

朝鮮人の強制連行(太平洋戦争開始以降)

<日本支配への抵抗運動>
<中国・朝鮮>
(中国)・・共産党軍と国民党軍の合流
(朝鮮)・・金日成(きんにちせい/キムイルソン)(朝鮮共産党)の抵抗運動

<東南アジア>
・ベトナム独立同盟(ベトミン)
指導者:ホーチミン

・ミャンマー
アウン・サン
日本支配に抵抗

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ポイント②タイムリミットは8月7日…
戦後処理をめぐって焦るアメリカの思いとは?

<日本の劣勢>
ミッドウェー海戦(1942.6.5~6.7)
日本✕ VS 〇アメリカ
日本の主力部隊が敗れる。ここから日本は劣勢に・・

・日本、ガダルカナル島より撤退

カイロ会談(1943.11)
米・英・中
対日本戦の基本方針を決定:カイロ宣言

・米軍、日本本土空襲
・米軍、沖縄本島上陸

ポツダム会談(1945.7)
トルーマン(米)、チャーチル(→アトリー)(英)、スターリン(ソ)

Fローズヴェルトはヤルタ会談まで。→このとき米ソは密約。「独が降伏した後、3カ月たっても日本が降伏しない場合、日ソ中立条約を破棄して、ソ連も入ってきてくれ。」と。
→しかしトルーマンは戦後の日本を米だけで占領したかったので、ソ連が入ってくる期限の8/7までに戦争を終わらせたかった

戦後のドイツと日本の処理を協議
ポツダム宣言:日本に対し無条件降伏を勧告

・アメリカ、広島に原爆投下(1945.8.6)
・ソ連、対日宣戦(1945.8.8)
・米、長崎に原爆投下(1945.8.9)
(→5年間で30万人以上の人が亡くなる・・)
日本無条件降伏(1945.8.15)
第二次世界大戦の集結


(5)敗戦国の処理
ポイント①ヨーロッパの戦後処理
ドイツは徹底して戦勝国が管理するシステムへ

<ドイツの戦後処理>厳重に管理
ニュルンベルク裁判
・ドイツ4カ国分割占領(分割管理)
西側管理地区:米・英・仏
東側管理地区:ソ連
・ベルリン分割管理

<その他の戦後処理>
・オーストリア
4カ国共同管理・・米・英・仏・ソ
オーストリア国家条約・・主権回復(永世中立国になる)

・パリ講和条約(1947)
伊、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランド
領土変更や賠償金などを規定

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ポイント②日本の戦後処理
ドイツとは違ってアメリカが単独で管理

<日本の戦後処理>
東京裁判(極東国際軍事裁判)
・連合国軍総司令部(GHQ)
マッカーサー元帥
日本政府を通して日本国民を間接的に支配。
(米単独支配→アジアの反共の防壁にしたかった。)

・日本の非軍事化と民主化
軍隊の解散、農地改革、財閥解体など

日本国憲法の発布
(公布)1946年11月3日
(施行)1947年5月3日(→憲法記念日に)

・サンフランシスコ講和会議
日本と連合国との講和条約討論
↓↓
サンフランシスコ平和(講和)条約(1952)
日本、主権を回復

 


(6)国際連合の設立と戦後経済の再建
ポイント①世界大戦を防ぐための、新たな組織
国際連盟の失敗をいかした集団安全保障体制

<戦後の国際平和構想>
・ダンバートン=オークス会議
米英ソ中の代表により「国際連合憲章」の原案が作成

・ヤルタ会談
常任理事国に拒否権を付与
↓↓
サンフランシスコ会議(1945)
(※「サンフランシスコ講和会議」とは別物。→これは日本の主権回復の話)
国際連合憲章の発表→国際連合の創設

国際連合(国連)本部:ニューヨーク>
・総会:加盟各国1票の投票権をもつ多数決制
緊急時は・・
↓↓
安全保障理事会(安保理)
常任理事国(米英仏ソ中)拒否権を有する

<付属機関>
・経済社会理事会
・国際労働機関(ILO)
・国際司法裁判所
・ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)UNESCO
・世界保健機関(WHO)

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ポイント②戦後の経済秩序の再建!
アメリカが中心となって世界経済の再建を試みる

第二次世界大戦の原因は「世界恐慌」による経済困窮。

ブレトン=ウッズ国際経済体制>米中心の経済体制
ブレトン=ウッズ会議
・国際通貨基金(IMF)=緊急時。財政破綻。
・国際復興開発銀行(IBRD)=戦後の復興の支援

唯一爆撃を受けていない国はアメリカ
・米ドルと各国通貨の交換比率を固定・・固定為替相場

・ガット(GATT・関税および貿易に関する一般協定)
自由で平等な国際貿易を目指す。ブロック経済はしないように。
↓↓
・世界貿易機関(WTO)へと発展・解消(1995)
自由貿易拡大のためのルールづくり
経済のグローバル化を促進する

 


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【39】世界恐慌とファシズム諸国の侵略

【39】世界恐慌とファシズム諸国の侵略
(1)世界恐慌の到来
(2)イギリス・フランスの対応
(3)日本の中国侵略
(4)ナチ党の勢力拡大
(5)ナチス=ドイツの動向
(6)ファシズム諸国の協力体制
(7)第二次世界大戦へ


(1)世界恐慌の到来
ポイント①アメリカから始まった恐慌が世界へ波及!!
「暗黒の木曜日」から始まる経済危機

米の繁栄。空前の株式ブーム。

世界恐慌(1929年10月24日(木))
ブラックサーズデー「暗黒の木曜日」
NY株式市場 ウォール街で株価大暴落
→米で金融恐慌→全世界へ波及
↓↓
・フーヴァー大統領(任1929~1933)
特に対策せず。
フーヴァー=モラトリアム
→欧への支援を1年止める。→欧の経済悪化・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランクリン=ローズヴェルトの改革!
経済には国家が積極的に介入すべき

フランクリン=ローズヴェルト(民主党)(位1933~1945)
ニューディール政策
新規まきなおし。国家の経済介入

農業調整法(AAA)トリプルA
農民を救済。生産制限、過剰生産物の政府買い上げ。

全国産業復興法(NIRA)
企業の救済。労働者の団結権・団体交渉権を承認。

↓↓ 企業を助けるのは憲法違反と言われる。

ワグナー法
労働者の団結権・団体交渉権を改めて承認

テネシー川流域開発公社(TVA)
政府が総合開発に着手。公共事業ダム建設など。
多くの失業者を吸収。

<外交>
善隣外交(1933)
経済的、政治的な南北アメリカの一体化へ
(強い外交から→友好的な外交へ)

キューバ独立の承認

ソ連の承認(1933)
市場になるのでは・・との狙いもあり


(2)イギリス・フランスの対応
ポイント①イギリスは自由貿易路線を止める!?
広大な植民地をもつイギリスが取った方法とは

(英の世界恐慌対策)
第2次マクドナルド内閣(任1929~1931)>
・労働党(社会主義政党)
失業保険の削減
労働党の反対で総辞職、除名
↓↓
マクドナルド挙国一致内閣(任1931~1935)>
恐慌対策
金本位制停止・・金が国外へ流出するのを防ぐ
(金本位制とは・・紙幣と金との交換が保障されている制度。信用度を保つ。)

オタワ連邦会議(イギリス連邦経済会議)
イギリスは自由貿易をやめる。自治領と植民地とのみ貿易する。
ブロック経済の採用
スターリング=ブロック(ポンド=ブロック)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランスの対応はグダグダ!?
恐慌への対策に遅れをとったフランスは・・

(仏の世界恐慌対策)
フラン=ブロック(英と同じようにした)

国内改革はできず不安定
・小党分立・政局不安定→ファシズム勢力の拡張(反社会主義・反共産主義)

↓↓ ファシズムを押さえ込むために

人民戦線の結成(反ファシズム)
フランス社会党・急進社会党・フランス共産党
↓↓
ブルム人民戦線内閣の成立(フランス社会党)


(3)日本の中国侵略
ポイント①日本の軍国主義化
第一次世界大戦後の日本の政治はどうなる!?

金融恐慌に世界恐慌が加わる。軍部が力を持つように。。「持たざる国」の日本は植民地を求めて中国侵略を強める。

満州事変(1931)>
柳条湖事件(1931.9.18)
日本の関東軍が奉天郊外で南満州鉄道を自ら爆破。自作自演。中国側の仕業だと言う。
↓↓
さらに満州から目をそらすために・・
↓↓
上海事変(1932)
日本人殺害事件を口実に、日本の海軍が進出。

↓↓ その間に・・

満州国の建国(1932)遼東半島の北
執政:溥儀(清の宣統帝)

リットン調査団の報告
→柳条湖事件は日本の自作自演で侵略。満州建国は認めない。
→日本、国際連盟を脱退(1933)

・五・一五事件(1932)
海軍将校が犬養毅首相を暗殺(政党政治が終わる・・)

・二・二六事件(1936)
陸軍の急進派将校らが重臣・閣僚などを暗殺(高橋是清・大蔵大臣や斎藤実・内大臣など。岡田啓介首相は難を逃れる。)
↓↓
日本は軍国主義へ・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②中国では国民党と共産党の対立が進む
共産党の毛沢東が蒋介石に呼びかけたこととは?

中国国内は国共が対立してまとまっていない・・

長征(大西遷・だいせいせん)>
・国民党の攻撃
→共産党軍の大移動
→毛沢東は本拠地を瑞金から→延安へ。12,500km

八・一宣言の発表(1935)
国民党へ内戦の停止と抗日民族統一戦線の結成を訴える
→蒋介石は聞かず。
↓↓
西安事件(しーあん/せいあん/じけん)(1936)
張学良が蒋介石を監禁・説得。
→蒋介石は抗日への姿勢を示す(しぶしぶ)
(※蒋介石はその後も張学良を許さず、WW2後に台湾で張学良をずっと軟禁していたほど。)

盧溝橋事件(1937.7.7)北京郊外
日本と中国の軍事衝突=日中戦争が始まる
→同時に第2次国共合作の成立

日中戦争(1937~1945)>
・南京占領→南京事件
→日本は中国各地へと侵略。中国側は劣勢。日本が優勢。

・国民政府(蒋介石)は南京を捨て→重慶へと遷都
重慶政府(抗日最後の拠点)
VS
・「南京国民政府」の樹立・・日本の傀儡政権
指導者:汪兆銘
(北伐で蒋介石と対立。別ルートを行った)


(4)ナチ党の勢力拡大
ポイント①ドイツ国民を魅了したナチ党の政策!
合法的な手段で政権の獲得を目指すヒトラー

ナチ党(国民(国家)社会主義ドイツ労働者党)>ファシズム政党
「国民社会主義」の意味・・資本主義で生じた問題を、ロシアのような社会主義ではなく、国家が率先して解決する。独裁権力を使う。ファシズム。

指導者:ヒトラー
・反ユダヤ主義、反共産主義
ユダヤ人は商売、金貸しが多い→貧富の差が拡大している。
・植民地の再分割を目指す
↓↓
・中間層(中産階級)や軍部の支持
↓↓
突撃隊(SA)
反対派を暴力で打倒。ナチスの私軍。

親衛隊(SS)
幹部の身辺警護組織
→後にゲシュタポ(秘密警察=スパイ)を創設
反対派を抑圧していく。

ミュンヘン一揆(1923)→✕失敗
ナチ党のクーデタ
ヴァイマル政府の打倒を掲げ、政権獲得を目指す
(ムッソリーニのローマ進軍のように。)
→鎮圧される。
(ドイツ国民はルールを重んじるため)
→合法的な手段に変えていく

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ヒトラーの政権獲得。第三帝国の成立
世界恐慌を機に一気に党勢を拡大するナチ党・・

<世界恐慌によるドイツ経済の破綻>
ヴァイマル共和国
・2代ヒンデンブルク大統領(任1925~1934)
世界恐慌の波及
→効果的な対策を打てず、失業者は増加を続ける

1932年選挙
第1党:ナチス 第2党:社会民主党 第3党:共産党
↓↓
ヒトラー内閣の発足(1933)
ヒトラーは即座に国会解散宣言
→国会議事堂放火事件
ドイツ共産党弾圧(解散)→ナチ党に吸収

<第三帝国(1933~1945)>
全権委任法・・政府に立法権を委ねる
(ヴァイマル憲法が停止。死文化)
(第一帝国:神聖ローマ帝国。第二帝国:ドイツ帝国)

・ヒンデンブルク大統領の死
大統領・首相・党首の全権を掌握
総統(フューラー)


(5)ナチス=ドイツの動向
ポイント①ナショナリズムを利用した政治
ヒトラー政権が支持された最大の要因とは・・

<経済政策>
アウトバーン建設・・高速自動車道路網(独ー墺間)
失業者を大量に吸収

・四カ年計画・・軍事最優先の生産活動

ユダヤ人排斥> ナショナリズムの利用
・ホロコースト・・ユダヤ人大虐殺
各地にゲットー(強制隔離居住区)を設置
強制収容所・・アウシュヴィッツ(ポーランド南部)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ヴェルサイユ体制の打破!軍備を拡大するドイツ
国際連盟の脱退後の急激な軍備拡張

<ナチス=ドイツの外交>
国際連盟の脱退(1933)・・日本についで2番目
ザール編入・・石炭。住民投票で独領に。独仏国境
再軍備宣言(1935)・・徴兵制復活(義務兵役)。ヴェルサイユ条約の破棄

<ヨーロッパ諸国の対応>
仏:仏ソ相互援助条約締結
(その後、仏・チェコスロバキア・ソ連が同盟を組む)
は独の再軍備を警戒

英:英独海軍協定の締結(1935)
→英は独の再軍備を容認した。ソ連の社会主義勢力を抑えたい。
→ナチス暴走。
↓↓
ラインラント進駐(1936)・・仏ソが組んだことに反発。西欧の安全をうたったロカルノ条約破棄


(6)ファシズム諸国の協力体制
ポイント①ファシズム勢力を抑えこめ!
各国の共産党はファシズムを第一の敵とする

ファシズムは反共産・反社会主義
<コミンテルン第7回大会(1935)>
・「味方でないものは敵」→「敵でない者は味方」
各国の共産党はあらゆる反ファシズム勢力と協力
人民戦線の結成

スペイン人民戦線の結成(1936)>
・スペイン=ブルボン朝の崩壊
→ファシズム政党が党勢を拡大

アサーニャ人民戦線内閣
社会主義的改革を実施

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ファシズム国家の同盟成立
ドイツとイタリアが急接近。一体何が?

独はヨーロッパで孤立している。イタリアが追う。

<ファシズム国家の国際的孤立>
(ムッソリーニ)、エチオピア侵入(1935)
恐慌による国内の経済危機から国民の目をそらすために決行。
(※第1次エチオピア戦争(アドゥワの戦い1896)はエチオピアが勝利し、伊を追い出したが、今回の第2次はイタリアが勝利し、エチオピアを併合した。)

→国際連盟、イタリアに経済制裁を実施
→イタリアも孤立していく・・

↓↓ この内戦をきっかけに独・伊が仲良くなる

スペイン内戦(1936~1939)>
・アサーニャ人民戦線内閣(社会主義)
→軍人フランコの反乱(ファシズム支持)
↓↓
ファシズム(フランコ側)ドイツ・イタリア
VS
社会主義(アサーニャ側)ソ連、国際義勇軍(米:ヘミングウェー)↓↓
不干渉政策
英・仏など20カ国は内政不干渉を宣言。
→「独伊ファシズムはソ連の社会主義を倒してくれるのでは・・」という浅はかな期待を持つ・・

↓↓ 怒られないな・・

ベルリン=ローマ枢軸の成立(独と伊の同盟)
三国防共協定の成立(日独伊
防共」=「ぐ。産、社会主義を」

英仏「日独伊でソ連を囲んでる・・!つぶしてくれるかも」
独伊「防共と言えば何をしてもいいんだな」→悪い自信を付けてしまう。

→イタリア国際連盟脱退(1937)3番目の脱退

ドイツ空軍のゲルニカ(バスク地方の町)無差別爆撃
ピカソ『ゲルニカ』を描いて抗議

・首都マドリード陥落
フランコ独裁政権(ファシズム政権)の成立
✕アサーニャ人民戦線内閣(社会主義)


(7)第二次世界大戦へ
ポイント①暴走するヒトラーを放置する英・仏
領土拡大に動くナチス=ドイツを黙認する理由は?

スペイン内戦で自信をつけたヒトラー、さらに暴走・・
<ドイツ人地域への進出>
オーストリア併合(1938.3)同じゲルマン民族だから
ヴェルサイユ条約やサン=ジェルマン条約で禁止されているのに、誰にも文句を言われない

・ドイツがズデーテン地方(チェコスロバキア・ドイツ系住民多い)の割譲を要求→チェコスロバキアは拒否
↓↓
ミュンヘン会談>(1938.9)
・英:ネヴィル=チェンバレン
・仏:ダラディエ
・独:ヒトラー
・伊:ムッソリーニ
(※ソ連、チェコスロバキアの代表は未招集)

宥和(ゆうわ)政策・・独に譲歩。英仏はヒトラーの要求を受諾。(=防共を期待しているため)
↓↓
・ドイツ、ズデーテン地方を併合
英「これが最後だよ」独「分かった」

↓↓ と言いつつ暴走は止まらない

・チェコスロバキア解体

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界に激震!ドイツがある国と同盟を締結!
第二次世界大戦へと突入するヨーロッパ

ダンツィヒ・ポーランド回廊の割譲要求>
・ポーランドは英仏の支援を期待して拒否

↓↓独「ポーランドを攻めたらソ連が来るな。戦うより利用してやれ」

独ソ不可侵条約の締結(1939.8)
(2国の思惑)
ドイツ・・両面戦争(仏とソ連に挟みうち)の回避
ソ連・・英仏への不信感
↓↓
世界が衝撃!
(日本、35代平沼騏一郎「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた。」総辞職(日独伊で防共するんじゃないの?共の親玉のソ連とくっつくの?))
↓↓
ドイツ、ポーランド侵攻(1939.9.1)
→第二次世界大戦の開始

 


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【33】帝国主義と東アジア(中国・朝鮮)

【33】帝国主義と東アジア
(1)中国分割と近代化運動の行方
(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
(3)朝鮮の行く末と清末の改革
(4)辛亥革命
・義和団事件1900→8カ国共同出兵→北京議定書1901
・日露戦争1904→ポーツマス条約1905


(1)中国分割と近代化運動の行方
ポイント①日本に負けた!?植民地化がさらに加速!
日清戦争後の中国の状況は?

中国分割
借款(しゃっかん)を行う=「借金」のこと
日清戦争への賠償金を払うために欧から借りる。担保として鉄道敷設(ふせつ)権鉱山採掘権を奪われる。

租借(そしゃく)・・他国の領土の一部を条約によって借りること(事実上の領土割譲)(ジャイアン・・。一生借りてるだけだぞ。)

米は米西戦争(1898)で中国に構ってるひまがなかった。出遅れて焦った
↓↓
門戸開放宣言
門戸開放・機会均等・領土保全(米も入れてくれ)
米・国務長官ジョン・ヘイ

租借地>借りると言いつつ、ほぼ領土割譲
 独 膠州湾(こうしゅうわん)
 露 遼東(りょうとう)半島南部。旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)
 英 威海衛(いかいえい)、九竜半島(クーロン/きゅうりゅう)
 仏 広州湾(こうしゅうわん)
 日 遼東半島南部(旅順・大連)(※日露戦争で日本に移る)
<勢力圏>影響力を持っていた地域 鉄道敷設権
 独 山東省(さんとうしょう)
 露 満州・モンゴル 東清鉄道
 英 長江流域
 仏 広東・広西・雲南省
 日 福建省 南満州鉄道

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ポイント②日本にならって近代化を!
中国で芽生えた本格的な近代化運動

変法運動
日清戦争に負けた中国はショック!
↓↓
近代化運動へ・・(皇帝中心)

・11代 光緒帝(こうしょ/ちょてい)(位1875~1908)
康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう) などの、官僚らが日本の明治維新を模範にする。公羊学(くようがく)派。

憲法を立てて、皇帝を立てる=立憲君主制をめざした。(皇帝が好き勝手に政治をするのではなく、憲法やルールにのっとって政治をする。)

戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)
立憲君主制をめざし憲法制定に動いたが・・
↑↑(弾圧)
戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)(1898)
西太后(せいたいこう)など保守派が改革を弾圧。改革は失敗に終わる。光緒帝は幽閉状態へ・・。


(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
ポイント①外国勢力は出ていけ!中国で起きた排外運動
義和団事件とその結果は・・

「外国勢力、全員出ていけ!」
・仇教運動(きゅうきょううんどう)
反キリスト教(反ヨーロッパ)運動

・義和団事件(白蓮教系の宗教結社)(北清事変)(1900~1901)
扶清滅洋(ふしんめつよう)」・・を助けて、を追い出そう。
排外主義

ドイツ人宣教師が殺害✕→ドイツが山東へ進出。武力鎮圧。
↓↓
清は「こいつら使える・・」と、この義和団を使って欧を追い出そうとした。
↓↓
義和団が北京占領。独公使、日公使を襲う。
清「欧米日かかってこいやー!」西欧列強に宣戦布告。(西太后)
↓↓
8カ国共同出兵

「ほな、やったろかい」英仏独米露日伊墺。そうそうたるメンバー集結。
↓↓
清・義和団敗れる。北京占領される。
↓↓
北京議定書(1901)
・巨額の賠償金。
北京駐兵権(軍事占領)⇒中国半植民地化になる・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②日本とロシアの狙った場所が同じ!?
日露戦争へとつながる両国の帝国主義政策とは・・

<ロシアの中国東北進出>
義和団事件のあと、日本とロシアの仲が急速に悪化・・。

・ロシアの満州占領
義和団事件が終わったのに、ロシア満州から軍をひかない。中国東北地方朝鮮半島まで狙ってる・・?(『はいからさんが通る』)

※朝鮮は日清戦争1894で独立し、国名を大韓帝国(だいかんていこく)に。清の影響から抜けた独立国とアピール。日本が狙っていた。

ロシア満州・大韓帝国の取り合い。
↓↓
日露戦争(1904~1905)
日本の攻撃で始まる。

日本海海戦で日が勝つ。
ロシアの海軍バルチック艦隊を破る。

↓↓ そんな中、、ロシア国内で

第1次ロシア革命
ロシアは革命で戦争をやめたい。日本もお金が厳しい。
↓↓
米・セオドア・ローズヴェルト大統領が仲介。
↓↓
ポーツマス条約(1905)(米)
→中国東北(満州)・大韓帝国(朝鮮)を日本が得る

大韓帝国指導・監督権を日本が得る。
・ロシアは中国東北から撤退。遼東半島南部の租借権をロシアから日本に渡す。(⇒関東州と呼ぶようになる。)(※遼東半島は日清戦争で日本が取得したが三国干渉で返したところ。ここを再度取り返した。)
・遼東半島に接続する南満州鉄道敷設権(ふせつけん)、周りの利権を日本が得る。
南樺太をロシア→日本に渡す。


(3)朝鮮の行く末と清末の改革
ポイント①日本の朝鮮支配完成
日露戦争後の日本の挑戦支配の動向

・日韓協約(1904~07)
(第1次は日露戦争のさなか。)

第2次日韓協約(1905)
韓国の保護国化外交権を朝鮮から奪う。
初代統監:伊藤博文(いとうひろぶみ)
↓↓
反日義兵闘争の激化

ハーグ密使事件(1907)
高宗が第2回万国平和会議(オランダ)に密使を派遣。日本が不当な支配をしていると訴えた⇒失敗
↓↓
第3次日韓協約(1907)
韓国は内政権を喪失。
↓↓
伊藤博文暗殺(1909)
ハルビン駅で安重根(あんじゅうこん)に暗殺される。(韓国の切手にもなっている。)

↓↓ 日本は強硬手段に出る

韓国併合(1910)
韓国という国は消え、日本領土に組み込まれた。
朝鮮総督府が設置。(天皇直属機関)
軍事・行政を統括していく。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②清朝末期の最期の「あがき」とは?
光緒新政の「本音」と「建て前」

義和団事件のあと・・
<清末の改革>
光緒新政(こうしょしんせい)・・国内改革
(戊戌の政変で光緒帝は捕らえられている)
新軍の整備(西洋式軍隊)
科挙の廃止(隋から続く)→北京大学創設(官僚育成)
憲法大綱(たいこう)の発布。
日本の明治憲法を模範(強力な君主権)
国会開設公約

「日本の大日本帝国憲法は、天皇大権(たいけん)という強い権力がある。」
↓↓
「建前は国内改革と言ってるが、本音は皇帝や貴族のためでは・・?日本をモデルにすると皇帝の力が強いままになるのではないか。。」
↓↓
「それならもう満州人を追い出して、皇帝も追い出して、自分たち民衆のための漢民族の国を作りたい。」
↓↓
革命派の台頭
留学生が中心。
華僑が資金を出す。

革命派のリーダー
孫文
興中会
の結成。
↓↓
他の革命団体も一緒に団結しよう。
中国同盟会の結成(1905)
東京で結成。日露戦争に刺激を受けた。機関誌『民報

(中国同盟会の理念)
三民主義
民族の独立(漢民族の独立)
民権の伸長(一般民衆の権利を認めよう)
民生の安定(人々の生活の安定)


(4)辛亥革命
ポイント①皇帝政治を終わらせ、民に力を!
中国2000年の皇帝政治の終焉

辛亥革命(1911~12)
(きっかけ)清が幹線鉄道の国有化を宣言。
これを担保に外国からお金を借りようとした。そんなことをしたらさらに中国の植民地化が進む・・。
↓↓
四川暴動
市民が四川省で暴動。清は軍隊を派遣したが、その軍が清を裏切った。
↓↓
武昌蜂起(1911)
湖北省の湖北新軍の革命派が武昌で蜂起。色んな省でも独立を宣言。

↓↓ これら各省の代表者が集まり合体した。

・中華民国建国(1912)
臨時大総統:孫文
都:南京
(黃河、長江沿岸あたり)
↓↓
はまだ北に残ってる。清は中華民国をつぶそうとしている。
↓↓
清の大臣、袁世凱(えんせいがい)が孫文と取引を行い、清を裏切る。「その代わり私を中華民国のリーダーにしてください」

→「中華民国の軍は整っていない。戦っても清の軍に負けるだろう・・。」孫文は受け入れる。

→清の最後の皇帝・12代宣統帝(溥儀)が退位(1912)(ラストエンペラー)

清が滅亡(277年の歴史)。2000年の皇帝政治が終わる・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②新生!中華民国の抱えた苦悩
皇帝政治が終わっても民が虐げられる時代へ・・

中華民国
臨時大総統:孫文→袁世凱が就任(1912)
首都:南京⇒北京へ移す。(袁世凱の本拠地)
民衆のためではなく独裁色を強める。
↓↓
袁世凱の暴走を防ぐべく国民党の結成。
中国同盟会が中心。
↓↓
・第二革命(1913)
〇袁世凱の独裁  VS  ✕国民党(→解散させられた)
正式な大総統に就任。袁世凱は皇帝になろうとした。
↓↓
・第三革命(1915)
袁世凱帝政  VS 〇国内の軍部(袁世凱の元部下)、革命派、日本、欧。
↓↓
袁世凱は帝政取り消し。数ヶ月後、病死・・。その後も民主政治にはならず軍部が力を握る。
↓↓
軍閥(軍事政権)の割拠。
軍部が力を持ち抗争する。北京政府の実権をめぐって争う。


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