ヨーロッパ – 歴史note

【20】主権国家体制と西欧絶対王政

【20】主権国家体制と西欧絶対王政
(1)絶対王政の特徴
(2)スペイン・オランダ
(3)イギリス・フランス
(4)フランスのルイ14世の時代
(5)第2次英仏百年戦争


(1)絶対王政の特徴
ポイント①一番大事なことは自国の損か得か
主権国家の概念を確認

主権国家体制
明確な領域(国土)を有し、確立した主権が存在する国家。主権は国内では最高権力としての性格を、対外的には独立性を持つ。

(主権国家の争いの初めての例)
→イタリア戦争(1494~1559)
仏と神聖ローマがイタリアをめぐって抗争。
仏と独の仲はとても悪くなる・・。

宗教とは無関係に国際的なつながりが持たれる。
仏(キリスト教)ーオスマン帝国(イスラーム教)
神聖ローマ帝国(カトリック)ーイギリス(プロテスタント)
=宗教・宗派が違っていても、国の損得で結びつく。

カトー=カンブレジ条約(1559)で和議

ポイント②絶対王政の構造を確認しよう
絶対王政を行うために必要なこと

絶対王政の基盤(16~18C)
官僚制・・(封建)貴族。国王の補佐。
→言うことを聞いてもらうために高い給料。→お金がかかる
常備軍・・国王の軍。→お金がかかる
王権神授説・・王の権力は神から授かった。国王権を正当化。

(経済基盤)
重商主義・・国家財政を富ませる政策
・重金主義(16C)・・海外植民地から金・銀を奪う
・貿易差額主義(17C~)・・輸出を増やし、輸入をおさえて儲ける
→工場制手工業(マニュファクチャ)
分業による協業

封建貴族が官僚として国王の政治を補佐。


(2)スペイン・オランダ
ポイント①スペインは「たまたま」絶対王政を完成できた!?
新大陸からの莫大な富だけがスペインを支えた

<スペイン>
カルロス1世(位1516~1556)(西・独)
(=神聖ローマ皇帝 カール5世 位1519~1556)

カルロス1世は父フィリップ(ハプスブルグ家)と、母フアナ(西王家)の子。(フアナはフェルナンドとイサベルとの娘。)

・カルロス1世の時から、スペイン=ハプスブルグ家が成立。

・広大な領土を支配
スペイン、ネーデルラント、オーストリア、シチリア、ナポリ、ミラノ、フィリピン、アメリカ大陸(ポトシ銀山)

スペイン絶対王政の完成

フェリペ2世(位1556~1598)(西・葡)
・ポトシ銀山からの大量の銀→絶対王政の基盤に
(たまたま転がりこんだ富)

カトリック政策を強化
– 英王メアリ1世と結婚。英をカトリックに。
– ネーデルラント植民地に旧教を強制→オランダ独立戦争を招く

レパントの海戦(1571)
〇スペイン・教皇・ヴェネツィア
VS
✕オスマン帝国

1538 ひっこみやプレヴェザ

1571 ひっこまないレパント

マニラの建設(1571)
フィリピン経営の本格化

ポルトガル併合(1580~1640)60年間
母がポルトガル王家出身。王位がとだえ、フェリペ2世がそのまま王位継承。ポルトガルの持つアジア植民地をスペイン領にした。

スペイン・・「太陽の沈まぬ国」

無敵艦隊(アルマダ=スペイン海軍)英に敗北(1588)
アメリカ大陸へ行く道がとだえる。

銀も取り尽くし、スペイン絶対王政は終了・・。
(国内の産業や経済を育てなかった。。)

 

ポイント②17世紀はオランダの世紀!?
海上交易で世界へと進出する「小国」の勇姿

<オランダ>

スペイン(フェリペ2世時)から独立したオランダ
オランダの発展
(首都:アムステルダム

アジア貿易への参入
※アジアはポルトガルが先に開拓していたが、フェリペ2世時にポルトガルはスペインに吸収された。今、船は行っていないからチャンス!

オランダ東インド会社の設立

・ジャワ島にバタヴィア(現ジャカルタ)を建設
総督府の設置。香辛料貿易の独占を狙う。

(ルート)
オランダ→アフリカ南→インド→東南アジア
そのため各地に拠点を作る

台湾を占領
日本、中国との通商の拠点

ケープ植民地建設
アフリカ最南部の植民地

アンボイナ(アンボン)事件(1623)蘭〇 VS ✕英
モルッカ諸島。オランダがイギリス商館員らを虐殺。オランダがこの頃出てきたライバルのイギリスを東南アジアから追い出す。→英はしぶしぶインドに行く。インドに行くきっかけとなった。

北米にも進出
オランダ西インド会社の設立(ヨーロッパから見て米は西)

ニューネーデルラント植民地を作る
中心地:ニューアムステルダム(現ニューヨーク)の町の建設

→交易の拠点に拠点を作りなら、アジア、アメリカへ進出。世界はオランダの船であふれていた。

 


(3)イギリス・フランス
ポイント①イギリスの絶対王政は他の国とは大違い!
伝統的な議会の存在と国王権力とのバランス

<イギリス>
英王(命令)→(中央)議会(模範議会)立法や税徴収など
英王(命令)→(地方)ジェントリ
※英王は議会やジェントリとうまく付き合う必要がある

ジェントリ郷紳・きょうしん)
貴族と平民の中間。地主。
治安判事など地方行政を担う。
ジェントリは無給(ボランティア)なので
工場経営などで生計を立てる。
↓↓
毛織物工業の発達(14C~)生産・輸出
代表的産業に

・官僚制と常備軍は未発達

 

ポイント②テューダー朝の発展
ヘンリ8世からエリザベス1世の時代

<イギリス絶対王政>
ヘンリ8世が始めて、エリザベス1世で完成。

ヘンリ8世(位1509~1547)
民衆から人気。議会も無視できない。。
・首長法(国王至上法)(1534)
星室庁裁判所の設置
身分の高い者を裁く国王直属の裁判所

第1次囲い込みエンクロージャー
牧羊地(モコモコ羊毛がほしい→毛織物→輸出して稼ぐ)
毛織物が代表産業に。ジェントリから支持。
→農民の浮浪化・極貧化

エリザベス1世(位1558~1603)
国民から人気があった。
統一法(1559)
イギリス国教会の確立(カトリック教会とは決別)

積極的な海外進出。重商主義。
ドレーク(1540~1596)
ー 私拿捕船(しだほせん)・私掠船(しりゃくせん)
(=国王公認の海賊船)
スペイン船から金や銀を奪う。

ー ドレークは世界周航を達成。
各地を探検させ新しい土地を探させた

北米ヴァージニア植民地を建設(→失敗に終わる)

・スペインの無敵艦隊(アルマダ)を撃破(1588)
英の経済力、海軍力の強さがヨーロッパに示される

イギリス東インド会社の設立(1600~1858)
専門の貿易会社を作る。

ポイント③フランスは内乱のあとに絶対王政が始まる!
ユグノー戦争の終結と国王権力の拡大

<フランス絶対王政>
内乱ユグノー戦争(1562~1598)で貴族が没落→国王権力が強くなっていく。絶対王政が始まる。

ヴァロワ朝
ブルボン朝(1589~1792)

アンリ4世(位1589~1610)
ユグノー(カルヴァン派)からカトリックへ改宗(1593)
ナントの王令(勅令)(1598)
ユグノー戦争終結

海外進出
・フランス東インド会社→経営不振
ケベックの建設(1608)・・カナダの拠点

ルイ13世(位1610~1643)9才で即位
三部会の招集停止
・名宰相リシュリュー
王権を強化
ドイツ三十年戦争で勝利。


(4)フランスのルイ14世の時代
ポイント①ルイ14世の時代は典型的な絶対王政!
優秀な部下に恵まれた前半の政治と、後半の波乱

<フランス絶対王政>
ルイ14世(位1643~1715)5才で即位。72年間!ギネス
<清の成立1644~康煕帝(位1661~1722)と同じぐらいの時期>

(宰相:マザラン)(注:世界一周はマゼラン)

フロンドの乱(1648~1653)5年
王権の伸長に対する貴族、高等法院(王の命令を審査する貴族)の反乱。←マザランにより鎮圧

1661~マザランが亡くなり、ルイ14世、自ら政治を行う。(23才)
・「朕は国家なり
(私が国だ。私の損得が国の損得だ。)

・神学者ボシュエ
王権神授説を確立。皇太子の教育係。

財務総監コルベール
典型的な重商主義政策(コルベール主義
→国家が直接経済活動に介入し、国を富ませようとした。

フランス東インド会社再建

特権マニュファクチュアの設立
(国内産業の保護。輸入をおさえて質の高い製品を輸出する)

ヴェルサイユ宮殿の完成(1682)
パリ郊外ヴェルサイユに建設。ルイ14世はここで政務を取った。権力の象徴。

ルイジアナの建設(1682)
北米ミシシッピ川流域を領有宣言。フランスの植民地とした。
「ルイ14世」の名前を取ってルイジアナに。(探検家ラ・サール)

ナントの王令(勅令)廃止(1685)
カトリック強制。→ユグノー(カルヴァン派)が国外へ。商工業者が多かったので、フランス産業が衰退。

 

ポイント②ルイ14世の対外戦争!
4回にわたる侵略戦争をみる

ルイ14世の対外侵略戦争

「自然国境説」(国境は川や山などで決めるべき)を唱える。
西のスペインとはピレネー山脈、北の英とはドーバー海峡、南のスイスとはアルプス山脈が国境だ。
→だから東はライン川まで領土を広げよう!

これら↓↓の国はライン川の内側にあるからフランスのものだと主張。(もう、むちゃくちゃ)
[1]・南ネーデルラント継承戦争
[2]・ファルツ戦争

[3]・オランダ(侵略)戦争(南ネーデルラントに味方したから報復)

そしてフランスにとって最も痛い結果に終わったのがこちら
↓↓
[4]・スペイン継承戦争(1701~1713)

スペイン=ハプスブルク家の断絶
→ルイ14世の孫フィリップの王位継承を主張。(ルイ14世の妻がスペイン王家のため)
→フィリップがフェリペ5世として即位(スペイン=ブルボン朝の創始)
↓↓
(ちょっと待ったーー!)
スペイン継承戦争
スペイン・フランス✕ VS 〇英、オランダ、オーストリア
↓↓
ユトレヒト条約(1713)

フェリペ5世の即位は承認されたが・・
「フランス・スペインの合併は永久に禁止」となる。
(同じブルボン朝が合体することができない)
領土拡大は失敗

(cf.ユトレヒト同盟(1579)はオランダ独立戦争で北部7州が結んだ同盟)

↓↓
この4つの戦争で、財政圧迫・・。
このあとは絶対王政が衰退。フランス革命へとつながる。

 


(5)第2次英仏百年戦争
ポイント①イギリスの世界進出!
インド・北米へと進出するイギリスの動き

<イギリス>
〇英のインドへの進出
(中心:東インド会社)
マドラス(インド南東)・ボンベイ(インド西南)の獲得
カルカッタ(インド北東)の獲得(ガンジス川下流)
肥沃なベンガル地方の要地

〇英の北米への進出(13植民地の形成)
アメリカ東海岸
ヴァージニア植民地
最初の北米植民地(エリザベス1世時は失敗。これは再トライでステュアート朝・ジェームズ1世時の話)

ピルグリム=ファーザーズ
清教徒ピューリタン(英のカルヴァン派)中心。
英から米に移る。宗教的自由を求めて。
↓↓
ニューイングランド植民地
米北東部。プリマスなど。

・ニューアムステルダムをオランダから奪って
ニューヨークと改名。

 

ポイント②フランスの世界進出!
インド・北米へと進出するフランスの動き

<フランス>
〇仏のインドへの進出
東インド会社再建(1664)
(↑ルイ14世時の財務総監コルベールにより)

ポンディシェリ(インド東南=マドラス(英)のすぐ南)
シャンデルナゴル(インド北東・ガンジス川流域=カルカッタ(英)のすぐ北)

〇仏の北米への進出
ケベック(カナダ)を建設(1608 アンリ4世)
ルイジアナの建設(1682 ルイ14世)
ミシシッピ川流域(北米大陸の真ん中を北から南まで、斜めに縦断)

 

ポイント③イギリスとフランスの植民地争奪戦!
北米・インドでついに衝突

・第2次英仏百年戦争(1688~1815)
インド・北米の植民地をめぐって英仏が戦う

【北米での英仏戦争】
・アン女王戦争(1702~1713)
北米の植民地争奪戦。英王の名前から。

ヨーロッパで仏ルイ14世がスペイン継承戦争(1701~1713)を起こしたときに、英はあえて仏の敵に回って、英 VS 仏の形を作った。
→結果→英〇 仏✕
↓↓
ユトレヒト条約(1713)
(「スペイン継承戦争」と「アン女王戦争」の条約)

英が領土を多く獲得。
<仏→
→アカディア、ニューファンドランド、ハドソン湾地方(現カナダ)
→英の北米進出の足がかりとなる。

<西→
ジブラルタル(スペイン南)、ミノルカ島(地中海)
→英が地中海の入口を確保

フレンチ・インディアン戦争(1755~1763)(北米)
(ヨーロッパでは七年戦争(1756~1763))
英〇 VS ✕仏
↓↓
パリ条約(1763)
さらに英は領土を広げる。
カナダ・ミシシッピ川以東ルイジアナ、(仏→英)、フロリダ(西→英)(※ミシ以西ルイジアナは仏→西)

(西) (東)
==
=  ==
西==
===
===

これで北米はほぼ英領になった。

【インドでの英仏の戦い】

・カーナティック戦争

プラッシーの戦い(1757)
英の東インド会社の書記長:クライヴの活躍
(カルカッタ(英)とシャンデルナゴル(仏)の近く)

英〇 VS ✕仏・ベンガル太守連合軍

↓↓
結果→第2次英仏百年戦争はイギリスの勝利
英はインド・北米に植民地を増やす!

 

 


 

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【19】宗教改革

【19】宗教改革
(1)ドイツ宗教改革の始まり
(2)ドイツ宗教改革の帰結
(3)スイス・イギリス宗教改革
(4)対抗宗教改革と宗教戦争
(5)フランス・ドイツの宗教戦争
独は分権化へ、英は王権強化。スイスは商人に受け入れ進む。


(1)ドイツ宗教改革の始まり
ポイント①ルターの怒り!カトリック教会の腐敗…
教会批判とルターの主張

<ドイツ宗教改革>

ドイツ(神聖ローマ帝国)
・教皇レオ10世(位1513~1521)
サン・ピエトロ大聖堂の改築
→教皇庁の財政ピンチ
贖宥状(免罪符)の販売を許可。=お金を払えば罪は許される。

当時のドイツは「ローマの牝牛(めうし)」
→(意味)当時神聖ローマ皇帝の力は強くない、管理が行き届かない。だからローマ教皇が好き勝手できた。

↓↓
免罪符にNo!

・マルティン=ルター(1483~1546)
ヴィッテンベルク大学の神学部教授。
ローマ教皇、カトリック聖職者の権威を否定。
聖書主義。
「人は信仰によってのみ義とされる」(信仰義認主義)
「九十五カ条の論題」(1517)
ヴィッテンベルク教会に貼り付けた。

教皇や宗教会議の権威を否定したルターは、教皇レオ10世により破門に。
→ルター「望むところだ・・」

ポイント②国内の諸侯を巻き込む一大変革へ
皇帝と諸侯の対立に宗教が利用される

独(神聖ローマ皇帝)カール5世(1519~1556)
(=スペイン・カルロス1世)
「カトリックの教えを否定するやつは許さん!」
=皇帝はカトリックの守り主。カトリックの批判は自分への批判になるため。

ヴォルムス帝国議会(1521)
撤回を強要。ルターは拒否。→帝国から追放

(cf.ヴォルムス協約(1122)は叙任権が教皇になった)

ザクセン選帝侯フリードリヒ(諸侯の一人)がルターを保護
カール5世と対立している。

ルターは『新約聖書』をドイツ語に訳す
↓↓
グーテンベルク(独)が発明した活版印刷で広がる

ルター派
反教皇、反皇帝派の諸侯から支持

ドイツ国内の混乱

ドイツ農民戦争(1524~1525)
農奴制・領主制・十分の一税の廃止を要求

ミュンツァーが農民軍を指導
宗教改革を農奴解放、共有社会の実現へと結びつける
↓↓
ルターは最初同情するも・・「私はザクセン選帝侯にお世話になった。だから諸侯側を支持する」
↓↓
ルターは農民には受け入れられない。諸侯には人気。


(2)ドイツ宗教改革の帰結
ポイント①ドイツを取り巻く国際情勢の変化!
皇帝はルターよりも厄介な2つの敵に出会う・・

(1つ目の敵)
イタリア戦争(1494~1559)60年間
カール5世VS仏フランソワ1世
イタリアの支配をめぐって対立。独がローマに侵入。
→イタリア・ルネサンスは衰退・・

(2つ目の敵)
・オスマン皇帝の圧迫
ハンガリー併合(1526)
スレイマン1世
仏と争っていたら背後からオスマン帝国が来た!
↓↓
ルター派を利用。ルター派を容認(1526)
国内の結束と団結。
↓↓
第1次ウィーン包囲(1529)
冬が来たのもあり、撃退成功。
↓↓
ルター派を再禁止・弾圧(1529)
ルター派は抗議文を提出・・「プロテスタント」教皇権を否定

 

ポイント②ついに皇帝が妥協した!宗教和議の締結
ドイツに及ぼした影響とは・・

シュマルカルデン同盟の結成(1530)
ルター派の諸侯・都市がカール5世に対抗するため結成。

・シュマルカルデン戦争(1546)
↓↓
皇帝が妥協・・

アウクスブルクの宗教和議(1555)
ルター派
のみ公認。(カルヴァン派は✕。→のちのウェストファリア条約1648で公認される)
諸侯に対してカトリック派 OR ルター派の選択権を認める。
(個人の信仰は認められない。)
↓↓
「領邦教会制」の確立
諸侯は、領邦内の教会への支配権を持つことになった。

皇帝の力は衰え、諸侯が強くなり、ドイツの分裂が続く・・

 


(3)スイス・イギリス宗教改革
ポイント①いまの世界があるのはカルヴァンのおかげ!?
カルヴァンの思想はヨーロッパを変えた

<スイス宗教改革>

(1)ツヴィングリ
スイス・チューリヒ
エラスムスやルターの影響を受ける。

(2)カルヴァン(1509~1564)スイス・ジュネーブ
「魂の救済は意志や善行とは無関係。すでに神によって決められているんだ。」
・『キリスト教綱要』
「予定説」・・神の意志の絶対性、人間の行為の無意味さを強調。
天職に励むこと、仕事の成功で救済を確信。→キリスト教で初めて蓄財を承認。(カトリックは儲けることを否定)→商人に受け入れられ広がる。
・長老主義・・教会の運営は牧師と信徒の代表者
・ジュネーブで神権政治(政教一致体制)を実施
↓↓
ヨーロッパ各地に広がる

カルヴァン派の呼称
・ピューリタン(イングランド)
・プレスビテリアン(スコットランド)
・ゴイセン(ネーデルラント)
・ユグノー(フランス)

 

ポイント②イギリスの宗教改革にはウラがある!?
ヘンリ8世の離婚問題は単なる口実・・

<イギリス宗教改革>

〇テューダー朝(1485〜1603)

(初代ヘンリ7世)
4人の英王
(1)ヘンリ8世(位1509~1547)2代
英は王の力を強くするための宗教改革。(ドイツは民が中心→分裂)

・王妃カザリンとの離婚問題。教皇と対立→カトリックを辞める
・国王至上法(首長法)の発布(1534)
イギリス国教会の創設(=新しいキリスト教を作った。)
「英王は国教会の唯一最高の首長」
・修道院を解散し、没収した土地を新興市民に安く売り渡す

ヘンリ8世の子3人
↓↓
(2)エドワード6世(位1547~1553)3代
・一般祈祷書の制定(1549)
国教会の教義を整備

(3)メアリ1世(位1553~1558)ブラッディメアリ・4代
・スペイン皇太子フェリペ2世(カトリック)と結婚
・カトリックの強制→新教徒(イギリス国教会)を弾圧

(4)エリザベス1世(1558~1603)5代
統一法の制定(1559)
イギリス国教会の確立。国王が宗教も統治。

↓↓
スチュアート朝・ジェームズ1世へ・・

 


(4)対抗宗教改革と宗教戦争
ポイント①カトリックは間違っていない!

<カトリックの対抗>

対抗宗教改革(反宗教改革)
(1)イエズス会(ジェズイット教団)(1534)
この2人のスペイン人↓↓が作った
・イグナティウス=ロヨラ
・フランシスコ=ザビエル
カトリックの世界伝導、ヨーロッパの再カトリック化

(2)トリエント公会議(1545~1563)
教皇至上権、カトリック教義の再確認(やっぱりカトリックは間違ってない!)
禁書目録の制定、宗教裁判、魔女狩りの流行

 

ポイント②スペインに果敢に勝負を挑んだオランダ!
宗派の違いから国家の独立戦争を起こす

<オランダ宗教戦争>

オランダ独立戦争(1568~1609)40年
スペイン王フェリペ2世
重税、カトリック信仰を強制
↓↓
ネーデルラントが反乱(1568)
北部7州(オランダ):ゴイセン(カルヴァン派)が多い
南部10州(ベルギー):カトリック教徒が多い
↓↓
・南部10州の降伏(1579)
↓↓
北部7州ユトレヒト同盟結成(1579)
ホラント州中心(オランダの語源)
指導者:オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム)
↓↓
・独立宣言(1581)
ネーデルラント連邦共和国(オランダ)

・休戦条約(1609)
スペインがオランダの独立を事実上承認

 


(5)フランス・ドイツの宗教戦争
ポイント①フランスで起きた宗教戦争は根が深い!
ただの宗教的な争いではない・・

<フランス宗教戦争>

ユグノー戦争(1562~1598)30年
カトリック(多数) VS ユグノー(カルヴァン派)

国王シャルル9世、摂政・母后カトリーヌ=ド=メディシス
新旧両派の対立に有力貴族の王権をめぐる政治闘争がからむ

サンバルテミの虐殺(1572)
国王シャルル9世の妹(王妃マルゴ・カトリック)と、アンリ(新教徒ユグノー)の婚儀をパリで開催
→王母カトリーヌはパリに集まったユグノーたちを虐殺
→大内乱に・・!

国王暗殺(ヴァロワ朝アンリ3世)
→ブルボン家アンリ4世が国王に即位
ブルボン朝創始(1589)

ナントの勅令(王令)(1598)
アンリ4世がカトリックに改宗してから、新教徒(ユグノー)へ条件付きの信仰の自由を保障→旧教徒とほぼ同様の権利を付与。カトリックが国教のフランスでは画期的なできごと。
↓↓
ユグノー戦争が終結・・!(1598)

(→ナントの勅令は、後にルイ14世が廃止1685)

 

ポイント②ドイツ三十年戦争はその後のヨーロッパを変えた!
主権国家体制の確立はこの時期

<ドイツ宗教戦争>
宗教戦争から国際戦争へ・・

三十年戦争(1618~1648)
・ベーメン(ボヘミア)反乱(1618)
新教徒の多い地域に対して、神聖ローマ皇帝(ハプスブルグ家)がカトリックを強要したため

・デンマークの参戦(1625)✕(プロテスタント国家)
神聖ローマの傭兵隊隊長のヴァレンシュタインに敗北

・スウェーデンの参戦(1630)✕(プロテスタント国家)
国王グスタフ=アドルフ
ヴァレンシュタインを破るが、途中で戦死

フランスの参戦(1635)〇(カトリック国家だが・・新教支援
宰相リシュリュー「宗教なんてどうでもいいわ。独(神聖)倒す」
仏はカトリック国家だが、ハプスブルグ家打倒のため、新教徒支援で参戦。(イタリア戦争からの宿敵を倒したい。)

↓↓
プロテスタント勝利〇
ウェストファリア条約(1648)

・アウグスブルクの宗教和議の再確認
追加事項:カルヴァン派公認

・スイス・オランダの独立・・国際的に承認
・フランスへアルザスを割譲
・スウェーデンへバルト海南岸を割譲

神聖ローマ帝国の有名無実化が決定(あってないようなもの)
ドイツ国内の領邦(諸侯の領土)に、ほぼ完全な主権を承認
↓↓
これ以降ヨーロッパの国は主権国家体制が確立する。
(=宗教の違いではなく、自分の国にとって損か得かで動くようになる。)

 


 

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【18】ルネサンスと大航海時代

【18】ルネサンスと大航海時代
(1)ルネサンスの始まり(14~16C)
(2)イタリア=ルネサンス
(3)ヨーロッパに拡大するルネサンス
(4)大航海時代の幕開け(15~16C)
(5)ヨーロッパ人の「新発見」
(6)古代アメリカの謎に迫る!


(1)ルネサンスの始まり
ポイント①なぜ大昔の文献を読む必要があるの?
ルネサンスは人間らしさを求めた時代

ルネサンス(文芸復興)とは
14Cにイタリアで始まる。15C~西ヨーロッパへ。
14C(1300年代)は教会の権威がゆらいだ時代。十字軍の失敗など。

教会・神中心の価値観
↓↓
個人・個性を重んじる人間中心の価値観へ

基本精神:ヒューマニズム(人文主義)
人間の理性や尊厳を尊重・・ヒューマニスト

キリスト教世界が浸透して1000年・・人間らしく生きる方法が分からない。。その頃の本を読もう。
↓↓
・ギリシア・ローマの古典を研究
教会の価値観から離れた人間社会の赤裸々な描写

ポイント②なぜルネサンスはイタリアで始まるの?
当時のイタリアにはルネサンスがおこる条件がそろった

・イタリア=ルネサンス(14~16C)
ギリシア知識人の亡命。

オスマン帝国がビザンツ帝国(ギリシア)を圧迫(14C)
↓↓
ビザンツ帝国内のギリシア文化の知識人・学者がイタリアへ亡命

メディチ家
フィレンツェの大富豪
毛織物・金融業・東方貿易で繁栄

教皇レオ10世の保護
(メディチ家出身。ジョヴァンニ。)
↓↓
ローマ教皇に保護されているので、イタリア・ルネサンスは教会批判、金持ち批判はできなかった。限界。(西ヨーロッパでは教会批判できた。)

 


(2)イタリア=ルネサンス
ポイント①人間らしさを赤裸々に表現
イタリア・ルネサンスの文学・美術

(文学)
イタリア・ルネサンスの先駆者
ダンテ『神曲(しんきょく)(1265~1321)
トスカナ語で記述。(キリスト教は普通ラテン語)
「聖職者ローマ教皇のためではなくて、トスカナ地方の地元の人達が読みやすい本を書いたんだ。」

・ペトラルカ『叙事詩集』古代ローマ・古典ブームの火付け役
ボッカチオ『デカメロン』14Cペスト流行のフィレンツェ。喜怒哀楽、色と欲。人間らしさ。

(政治学)
マキァヴェリ『君主論』・・イタリア統一の必要性を説く。
「イタリアを統一するにはライオンの勇猛とキツネの狡知が必要。」
冷酷非道なリーダー論。(優れた君主の例としてチェーザレ・ボルジアを挙げている)

(美術)
・ジョット・・ルネサンス絵画の先駆者
ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』『春』
ミケランジェロ(1475~1564)『最後の審判』『天地創造』(天井画)システィーナ礼拝堂。ローマ教皇を選ぶときに使われる場所。現在も同じ。
『ダヴィデ像』
レオナルド=ダ=ヴィンチ(1452~1519)『最後の晩餐』『モナ=リザ』彫刻・建築も。万能の天才。
ラファエロ(1483~1520)多くの『聖母子像』マリアとイエス、『アテネの学堂』(ヴァチカン宮殿)

 

ポイント②教皇だってオシャレに暮らしたい?
ローマ教皇がおこなった文化活動の保護

建築(ルネサンス様式
サン=ピエトロ大聖堂(ヴァチカン市国)
カトリックの主聖堂。
教皇レオ10世が資金調達のために贖宥状の販売を許可。
ブラマンテ・・最初の設計者

サンタ・マリア大聖堂(フィレンツェ)
ブルネレスキ・・赤レンガのドームを設計。

 


(3)ヨーロッパに拡大するルネサンス
ポイント①ルネサンスが西ヨーロッパに拡大する
宗教改革につながる重要な思想

北方ルネサンス(ネーデルラント)=現オランダ・ベルギー・ルクセンブルク(ベネルクス3国)
エラスムス愚神礼賛(ぐしんらいさん)』
16C最大の人文主義者。
カトリック教会、聖職者、王の腐敗を批判→宗教改革につながる。ルターも影響を受けた。

・ファン・アイク兄弟:油絵の技法の改良
ブリューゲル『農民の踊り』当時の様子が分かる

北方ルネサンス(ドイツ)神聖ローマ帝国
デューラー宗教画『四人の使徒』
ホルバイン肖像画。『エラスムス像』。個人の絵、一般市民を描くのは珍しかった。『ヘンリ8世像』

北方ルネサンス(フランス)
ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』
巨人の親子を題材におかしく仏社会を風刺。
モンテーニュ『エセー』(『随想録』)

北方ルネサンス(スペイン)
セルバンテス『ドン=キホーテ』・・近代小説。時代錯誤の騎士。

北方ルネサンス(イギリス)
チョーサー『カンタベリ物語』・・社会風刺
トマス=モア『ユートピア』・・架空の理想社会。(エラスムスと友人。ヘンリ8世に処刑される)
シェイクスピア『ハムレット』『リア王』『マクベス』『オセロー』四大悲劇。

 

ポイント②ルネサンスは発明の時代
個人の能力が尊重される時代

ルネサンス三大発明(14C以降)
(ホントは「改良」。もとは中国・宋代に「発明」されている。)
火薬・・鉄砲の発明。騎士の没落。
羅針盤・・方位。コンパス。遠洋航海術を前進。
活版印刷・・活字を組み合わせて原板を作る印刷方法。グーテンベルク(独)

天文学
・天動説・・地球が中心。中世キリスト教世界で支持。(ローマ文化で出てきた。プトレマイオス。)

地動説・・太陽が中心。地球が回る。(ギリシア・ヘレニズム文化ではすでにあった。アリスタルコス)
↓↓
コペルニクス(ポーランド)・・地動説『天球回転論』。天体観測。教会を敵に回すのでずっと黙っていたが、最後に発表した。

ガリレオ・ガリレイ(イタリア)・・自作の望遠鏡で木星の衛星を観測。コペルニクスの地動説を擁護。「近代科学の父」

→宗教裁判で有罪になり撤回させられたが「それでも地球は回っている」(ラテン語で「Eppur si muove」)と言ったという逸話がある。

 


(4)大航海時代の幕開け
ポイント①なぜ海に出る?そしてなぜ海に出られる?
大航海時代の幕開けとなる要因を見る

〇大航海時代の要因

なぜ海に出たいのか
(要因1)
香辛料が欲しい!
胡椒(インド原産)・クローブ・ナツメグ
ヨーロッパでは手に入らないので、東方貿易(北イタリア商人)でヨーロッパに輸入されていた。
→しかし15C、オスマン帝国が地中海を占領し、東方貿易を阻害。香辛料が割高に・・。
→自分たちでインドへ行こう!

(要因2)
マルコ・ポーロ『世界の記述』ジパング伝説

なぜ海に出られたのか
(1)羅針盤、造船技術などの向上。ガレオン船。
(2)王権が強かった→航海にはリスクもあり資金が必要→国が負担。スポンサー。中央集権的な国、王の強い力で支援した。

ポイント②ポルトガルが目指すはインド!
インドへ向かうルートを模索

〇ポルトガルのインド航路開拓(15C)
ポルトガルが一番に乗り出した理由
・レコンキスタによって成立した国なので王権が強い
・さらにスペインより一足早くレコンキスタが終わっている。

ポルトガルの3人の航海士

「航海王子」エンリケ(15C)
船酔いで船に乗れず。支援する。
アフリカ最西端・ヴェルデ岬へ到達(1445)

バルトロメウ=ディアス
「嵐の岬」へ到達(1488)→喜望峰(アフリカ南端)

ヴァスコ=ダ=ガマ
アフリカ東岸のマリンディを経て、インド西南部(カリカット)へ到達(1498)

 

ポイント③インドのその先には何がある?

ポルトガルのアジア進出16C)
ゴアとマカオは20Cまでポルトガル領・・!

インドよりさらに東へ・・日本にまで!
・セイロン島(スリランカ)へ到達
・インド西岸ゴアを占領(1510~1961)(450年間)。「総督府」を建設。アジア貿易の拠点に。
マラッカ占領(マレー半島南部)
モルッカ諸島(マルク諸島・香料諸島)の占領。香辛料が取れる。

・ホルムズ島の制圧(1515)イスラーム商人の貿易ルートを遮断→後にオスマン帝国が奪還。

中国・マカオ中国から「居住権」を獲得。(1557~1999)
日本・種子島(鹿児島)へ来航(1543)・・鉄砲伝来
平戸(1550)(長崎)

 


(5)ヨーロッパ人の「新発見」
ポイント①コロンブスの挑戦!彼がたどり着いたのは・・

スペインはポルトガルとは別航路でアジアへ出発

コロンブス(1451~1506)(ジェノヴァ出身)
「ポルトガルと別のルートでインドを目指したい・・!」
・友人トスカネリの「地球球体説」を信奉
・スペイン女王イサベル(元カスティリャ王国)の支援。レコンキスタが終了(1492)
・サンサルバドル島へ到達(1492)ヨーロッパにとって新大陸。(現バハマ。西インド諸島と呼ばれる)

ポイント②次々と探検する航海士たち
新大陸の探検活動が活発に行われる
・カブラル(ポルトガル)・・ブラジルへ漂着
・アメリゴ・ヴェスプッチ(フィレンツェ)・・着いたのはアジアではなく「新大陸」であることを報告。
・バルボア・・パナマ地峡(中米)を横断。「南の海」(太平洋)へ到達。

世界周航(1519~1522)
マゼラン(マガリャンイス)
スペイン王カルロス1世(カール5世)の支援
↓↓
スペイン(セビリャ)→アメリカ大陸を南下。→マゼラン海峡を廻航。→太平洋を横断。
→フィリピンへ到達(1521)(マゼランはフィリピンで戦死)
→部下がインド・アフリカをまわってスペインに帰ってきた。→世界一周!

トルデシリャス条約(1494)
スペインとポルトガルの境界線を画定。ブラジルがポルトガル領となる。それ以外はスペイン領に。

ポイント③大航海時代は世界を変えた?
ヨーロッパ、アジア、アメリカの社会に大きな影響を与える

世界の一体化
商業革命
商品の産地・種類・量が地球規模に拡大。
商業中心は大西洋岸都市へと移動。(前は地中海・バルト海)
リスボン、アントウェルペンなど。

価格革命
アメリカ大陸からの大量のが流入。
ヨーロッパの銀価が下落→物価が急激に上昇。
↓↓
西ヨーロッパで商工業が発展。
固定地代としていた領主層の没落。

 


(6)古代アメリカの謎に迫る!
ポイント①古代アメリカには高度な文明が存在した?
ヨーロッパ人が訪れる前のアメリカ

先住民の暮らし
・インディオ(中南米)・インディアン(北米)
先住民
(コロンブスがインドとまちがえたから。)
現在では「ネイティブアメリカン」という

・農耕生活
トウモロコシ、ジャガイモ、トマト

・鉄がない
・牛・馬もいない
・車輪がない
重い荷物の運搬はどうやって?不明・・

メソアメリカ(中米)、アンデスアメリカ(南米)

〇メソアメリカ文明(中米文明)

オルメカ文明(B1200頃まで)
独特な巨石人頭像、神殿ピラミッド

マヤ文明(B1000~16C)
ユカタン半島
高度な文明。ピラミッド状神殿、マヤ文字、二十進法、暦の発達。

・テオティワカン文明(B1~6C)
「太陽のピラミッド」巨大な神殿。

アステカ王国(14~16C)メキシコ
(都:テノチティトラン(現メキシコシティ))
ピラミッド状神殿、象形文字の使用、太陽暦
↓↓
スペインのコルテスが滅ぼす

 

〇アンデス文明(南アメリカ文明)
インカ帝国(15~16C)ペルー
(都:クスコ。標高3400メートル。富士山級)
都市遺跡:マチュ=ピチュ
高度な石造建築、キープ(結縄・けつじょう)数字を表す
↓↓
スペインのピサロにより滅亡

 

ポイント②破壊・略奪!スペイン人の過酷な支配
アメリカ大陸の社会が大きく変わる・・

「征服者」コンキスタドール(コンキスタドレス)
スペインから来た中南米の国々(アステカ王国・インカ帝国)の征服者。

ポトシ銀山の発見(1545)→価格革命の原因
・現在のボリビア
・先住民を酷使して銀を採掘
→ヨーロッパに大量に輸出

エンコミエンダ制(16C)・・先住民をキリスト教化させることを条件に労働力として使役することを許可。→強制労働で酷使。

ラス=カサス『インディオの破壊についての簡潔な報告』
告発した(ドミニコ派修道士)

先住民の代わりに・・
↓↓
・黒人奴隷(アフリカ)の使用。労働力。

アシエンダ制(17~18C)
広大な土地で先住民や黒人奴隷を労働力に商品作物を栽培。

=プランテーション(大農園・大農場制度)
コーヒー、砂糖など

その後スペインは中南米からアジアへアクセス。。

アカプルコ貿易(ガレオン貿易)
・ガレオン船を使用。
・フィリピン・マニラの建設(1571)
中南米を経由してマニラに行き中国商人と取引をする。
(アフリカ南周りはポルトガルに抑えられてるので、スペインはそのルートしかない。)
スペイン~アカプルコ(メキシコ)~マニラ(フィリピン)

 


 

世界史タイトル一覧

トライ世界史【18】ルネサンスと大航海時代□⇒

 

 

 

【13】中世ヨーロッパ世界の各国史

【13】中世ヨーロッパ世界の各国史
(1)イギリス・フランス史
(2)ドイツ史
(3)イタリア・イベリア半島・北欧
(4)ビザンツ帝国の歴史
(5)中世東ヨーロッパ諸国
(6)中世ヨーロッパ文化


(1)イギリス・フランス史
■ 中世イギリスの王様は最初から権力が強い!
⇒その後、王の権力を抑え、徐々に議会の力が強くなる。

・ノルマン朝(1066~1154)
ウィリアム1世(征服王)(1066~1087)
=ノルマンディー公ウィリアム
北仏のノルマンディー公国(ロロが建国)から来て、英を征服した。だから最初から王の力が強い。

・プランタジネット朝(1154~1399)
ヘンリ2世(位1154~1189)
=元々、仏の貴族、アンジュー伯爵だった。妻はアキテーヌ侯爵の一人娘。結婚によりアキテーヌ候領を継承。仏西部大半を領有。
↓↓
英王が仏の領土をたくさん持っているので、仏王との仲が悪くなる。対立が始まる・・。

ジョン王(位1199~1216)
・インノケンティウス3世に破門される。(1209)

・仏王フィリップ2世に敗北。(1214)
大陸英領土の大部分を喪失。

・マグナ・カルタ(大憲章)の承認(1215)
課税する時貴族の同意を必要とする。=王の力を制限する。

ヘンリ3世
貴族シモン・ド・モンフォールの反乱(1258)
シモン・ド・モンフォールの議会
諮問議会の開催(1265)・・イギリス議会の起源

エドワード1世
「模範議会」の招集(1295)・・身分制議会

エドワード3世(1327~1377)
・「二院制議会」・・上院(貴族院)と下院(庶民院)
・仏王位継承権に口出し→百年戦争

ーーーーーーーーーーーーーーーー

■ フランスの王様は権力が弱い
⇒少しずつ領土を広げ力が強くなる↑↑

・カペー朝(987~1328)
フィリップ2世(位1180~1223)
英王ジョンを破り、大陸の英領を没収。

ルイ9世(位1226~1270)
・アルビジョワ十字軍(第6回・7回)(1229)
→異端アルビジョワ派を討伐。南仏を征服。

・ルブルックをモンゴル帝国・カラコルムへ派遣。援軍を要請。

フィリップ4世(位1285~1314)
・三部会の開催(1302)
・アナーニ事件(1303)
・教皇のバビロン捕囚(1309~1377)

 

■ 100年にわたる対立。英仏百年戦争

・ヴァロワ朝(1328~1589)
王位継承権問題
フィリップ6世が仏王に即位してヴァロワ朝を開いたが・・英王エドワード3世がいちゃもんを付ける。「俺が仏王になる権利あるんじゃね?俺はカペー朝の仏王フィリップ4世の孫だぞ。」と王位継承権を主張。

フランドル地方(毛織物)の領有問題
↓↓
百年戦争(1339~1453)
初めは英優勢。→後に仏が巻き返す。

・英エドワード黒太子(エドワード3世の子)の活躍
クレシーの戦い(1346)
長弓兵の使用

ポワティエの戦い(1356)
仏王を捕虜とする
↓↓
仏王シャルル7世の反撃(位1422~1461)
聖女ジャンヌ・ダルクがオルレアンを解放。
仏の逆転勝利。
↓↓
英軍、カレーのみを残して撤退(1453)

その後・・
【英】
・バラ戦争(1455~1485)
ランカスター家🔴(ヘンリー7世)勝ち〇
VS
ヨーク家〇(リチャード3世)負け✕

王位継承権をめぐり争う。
ヘンリー7世が勝ち、テューダー朝(1485)を開く。

【仏】
・イタリア戦争(1494~1498)
仏が独(神聖ローマ皇帝)と対立。伊は戦地になった。

 


(2)ドイツ史(神聖ローマ帝国)
■ ローマ皇帝であるがゆえの苦悩
皇帝の力を強くする工夫は。

オットー1世(位962~973)(東フランク)
初代神聖ローマ皇帝

ローマ皇帝とは地上における神の代理。キリスト教世界を守る。
国内の諸侯が言うことを聞いてくれない(仏と同じ悩み)
↓↓
・帝国教会政策・・教会を味方に付けて諸侯に対抗しようとした。聖職者の任命権を皇帝が持つ。聖職者を仲間にしようとした。

・イタリア政策(10~12C)
カトリックの中心地であるイタリアを支配下におさめたい。
が、ドイツ国内が皇帝不在のため、諸侯が力を付ける。
↓↓
「領邦」の形成(13~14C)
諸侯の領土が独立国のようになる。外交もできる。通貨の発行。
300以上。
↓↓
叙任権闘争
ハインリヒ4世 VS グレゴリウス7世
カノッサの屈辱(1077)
これで聖職者を味方にする手段も失う。

■ 皇帝の努力が裏目に出た?
皇帝の言うことなんてもうきかない。

・大空位時代(1256~1273)約20年間
皇帝不在の時代

■ 皇帝はみんなで選ぼう
皇帝の選挙制度が確立。

・金印勅書の発布(1356)
皇帝カール4世
皇帝選出権。7人の選帝侯が皇帝を選ぶ。

1438年以降、皇帝位はハプスブルグ家が世襲

 


(3)イタリア・イベリア半島・北欧
■ まとまらないイタリア
北部・中部・南部でまったく違う社会。

北部は都市国家が乱立。(独立)
・ヴェネツィア共和国(アドリア海の女王)
・ジェノヴァ共和国
・ミラノ公国
・フィレンツェ共和国

____ミラノ
ジェノ____ヴェネ
____フィレ

・中部は教皇領(ローマ教皇の領土)

・南部はアラブ人(イスラーム教徒)→ノルマン人が奪う
ナポリ王国とシチリア王国→二つを合わせて「両シチリア王国」と呼ぶ。

■ イベリア半島。(現スペイン・ポルトガル)
キリスト教徒の土地を奪い返せ

※ずっと戦っているので王の力が強い。

・レコンキスタの進展。
国土回復運動(8C初~1492)
再び征服をしよう。

(キリスト教国家)
右から
・アラゴン王国(1035~1479)
・カスティリャ王国(1035~1479)
・ポルトガル王国(1143~1910)カスティリャ王国から独立。

ポル・カス・アラ
イ ス ラ ム

イサベル王女(カスティリャ王国)とフェルナンド王子(アラゴン王国)の結婚。
→スペイン王国(イスパニア王国)の成立(1479)
(ポルトガルが一足早くレコンキスタを完成させたので、焦っていた。)

ナスル朝の滅亡(1492)
グラナダ陥落

■ 北欧。北ヨーロッパの国々は合体
生き残りをかけて工夫。

・カルマル同盟(1397)
デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの同君連合(マルグレーテ女王)
デンマーク連合王国(デンマークがリーダー格)

カルマル同盟を組んだ理由→北海・バルト海商業圏(北欧商業圏)でドイツの都市国家に交易で負けそうになっていたから。以降、ハンザ同盟とバチバチ対立していくようになる。

 


(4)ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の歴史

ポイント①ローマ帝国の復活か

● ユスティニアヌス大帝(位527~565)(ユスティニアヌス1世)
ローマ帝国を復活させようとした。
(領土)
・ヴァンダル王国の征服
・東ゴート王国の征服
・西ゴート王国からイベリア半島南部を奪取
・ササン朝ペルシア(ホスロー1世)との抗争

・皇帝が政教一致の最高権力者として君臨。
(=政治も宗教のトップもやる。ローマ帝国のコンスタンティヌス帝と同じ考え方)

(法)
・『ローマ法大全』(534)の編纂
法学者トリボニアヌス

・ハギア=ソフィア聖堂(コンスタンティノープル)

(産業)
・絹織物業の育成。高級品を輸出。

ポイント②どんどん領土が小さくなる

ユスティニアヌス大帝の死後、異民族の侵入が増える。
→領土縮小(ギリシアとトルコの辺りのみ残る)
・ランゴバルド族の侵入
・ササン朝の攻撃
・アジア系民族(アヴァール人、ブルガール人)の圧迫
・イスラーム勢力の侵入

<ビザンツの工夫>
・軍管区制(テマ制)・・司令官に軍事・行政権を与え統括する。(秦の始皇帝の郡県制と同じ。)

・屯田兵制(兵農一致)・・兵士に土地を与えて防衛力を高める

・公用語:ラテン語→ギリシア語に。(ギリシア人が多いため。)
・宗教:ギリシア正教会

●ビザンツ皇帝・レオン3世(位717~741)
聖像禁止令(726)
聖画像(イコン)の崇拝を禁止
↓↓
聖像崇拝論争
ローマ教会と対立

ポイント③ビザンツを苦しめたある勢力とは?

セルジューク朝の圧迫(11C後半)
・小アジアを奪われる→十字軍

・プロノイア制(11C~)
統治を諦める。有力貴族に領土分割。

・第4回十字軍(1204)
ヴェネツィア商人主導。ラテン帝国建国→ビザンツ帝国は一時滅亡→立て直そうとしたが・・
↓↓
オスマン帝国の圧迫(13C末~)
メフメト2世によりコンスタンティノープル陥落(1453)
千年帝国の幕を下ろす・・。
↓↓
その後、ビザンツの役割(ローマ皇帝の地位とギリシア正教会の指導権)をロシアが引き継ぐ。

 


(5)中世東ヨーロッパ諸国

■ ポイント①スラブ人は住む場所によって宗教が違う
西スラヴ・南スラヴ・東スラヴの特色

・西スラヴ(神聖ローマ帝国・カトリック)
・南スラヴ(宗教が混在)
・東スラヴ(ビザンツ帝国・ギリシア正教)

___________東スラヴ(ギ)
神聖ローマ(カ)・西スラヴ(カ)
________南スラヴ(カ・ギ)
___________ビザンツ(ギ)

■ ポイント②西スラヴ・南スラヴの歴史

西スラヴ人(カトリック)
・ポーランド人(カトリック)
リトアニア大公国と合体
=ヤゲウォ朝(1386~1572)

・チェック人(カトリック)→チェコ
ベーメン(ボヘミア)王国

・スロヴァキア人(カトリック)

南スラヴ人(混在)
・セルビア人(ギリシア正教)
バルカン半島北部を統合→オスマン帝国により敗北

・クロアティア人、スロヴェニア人(カトリック)

1990ユーゴスラビア内戦につながる→セルビア VS クロアティア

ポイント③東スラブの歴史

東スラヴ人(ロシア人・ギリシア正教)
ビザンツ帝国の後継者

・ノブゴロド国(ノルマン人)(862)
リューリクがルースを率いて建国
→次第にスラヴ化

・キエフ公国(9~13C)
ウラディミル1世
ギリシア正教を国教化

・「タタールのくびき」
中国方面からモンゴル人が来て、支配される。

・モスクワ大公国(だいこうこく)(14~16C)
ビザンツ帝国の黒海挟んだ北側。ビザンツ帝国を継承。

・イヴァン3世(位1462~1505)
妻がビザンツ帝国の皇女。
ビザンツ帝国が滅亡(1453)→イヴァン3世が引き継ぐ。
「ツァーリ(皇帝)」を自称。

・イヴァン4世(1533~1584)(雷帝)
「ツァーリ」を正式に採用
皇帝の称号や、ギリシア正教会。
ロシアがビザンツ帝国を引き継ぐ。


(6)中世ヨーロッパ文化
■ ポイント①中世を象徴する学問の発達
神学研究と文学活動

スコラ学(キリスト教研究)
「哲学は神学の婢(はしため)」
(=「人間の考えよりキリスト教研究が上」の意)

・実在論 アンセルムス
「神って何だろうなんて考えるなんて恐れ多い。神は実在する」
VS
・唯名(ゆいめい)論 アベラール
「神とは何だと考えて何が悪い。キリスト教を信仰している証だ」
↓↓
この2人を取り持ったのが・・
・トマス・アクィナス(13C)
『神学大全』(カトリック神学の集大成)
「神を定義するのは難しいだろう。神は我々を作ったのだから・・」

↓↓しかしだんだん分離していく・・

・ウィリアム・オブ・オッカム(オッカム村のウィリアム)・・理性(考察)と信仰を分離
・ロジャー・ベーコン・・イスラーム科学の影響。実験と観察を重視。

文学(騎士道物語)
・『ローランの歌』・・カール大帝の対イスラーム戦
・『アーサー王物語』・・ケルト人の伝説的英雄
・『ニーベルンゲンの歌』・・ゲルマン神話。フン族の王アッティラも出てくる。

■ ポイント②大学の登場
イスラームの高度な科学が中世の大学に刺激を与える。

● 大学(universitasウニベルシタス)ラテン語
・ボローニャ大学(法学)現存するヨーロッパ最古の大学。北伊。
・サレルノ大学(医学)アラビア医学の影響。南伊。
・パリ大学(神学)中世神学の最高権威。仏。
・オクスフォード大学(神学)パリ大学をモデルに設立。英。

■ ポイント③教会建設は時代と地域によって個性あり

・ビザンツ様式(ビザンツ帝国で発達)(東欧)
ドーム(丸い屋根)とモザイク壁画(小さな石を組み合わせる)
(例)ハギア=ソフィア聖堂

・ロマネスク様式(11~12C)(西欧)
石造の天井を支える重厚な石壁。小さな窓。荘重感。
柱が分厚い石でできている。穴が開けられない。
(例)ピサ大聖堂

↓↓レベルアップする。木を重ねて高くする。

・ゴシック様式(12C末)(西欧)
尖頭アーチ(とがっている)とステンドグラス
(例)ノートルダム大聖堂(仏)(コンセントのような形)、ケルン大聖堂(独)

 


 

世界史タイトル一覧

トライ世界史【13】中世ヨーロッパ世界の各国史 □⇒

 

 

 

 

【12】中世ヨーロッパ世界の展開

【12】中世ヨーロッパ世界の展開
(1)ローマ=カトリック教会の発展
(2)ローマ=カトリック教会の全盛期
(3)中世西ヨーロッパ世界の膨張
(4)中世都市の発展
(5)封建社会の崩壊と教皇権の衰退


(1)ローマ=カトリック教会の発展
■ 西ローマ帝国滅亡後のローマ教会の苦悩

〇ローマ=カトリック教会
教会と国の関係。
民衆に教えを広めるのは教会。
緊急事態(敵襲)などは皇帝が教会を守る。

・西ローマ帝国(395~476)
ローマ教会
→西ローマ帝国が滅亡したとき、守ってくれる後ろ盾を探した。

・東ローマ帝国(395~1453)
コンスタンティノープル教会

・ローマ教会は「首位権」を主張。(イエスの一番弟子ペトロが亡くなったから)→自分をブランド化。ビザンツ帝国に守ってもらおうとした。

・教皇グレゴリウス1世がゲルマン人(主にブリタニア)への布教。
東ローマ皇帝が、ローマ教会もコンスタンティノープル教会も守る。

・ベネディクトゥス(480~547)
モンテ=カシノ(伊・中部)に修道院を建設。
「清貧・純潔・服従」→「祈り、働け」
→ローマ教会の力が強くなる。

・階層制組織
教皇(法王)ー大司教ー司教ー司祭
農村部では村落ごとに教会が設備

■ ローマ教会とビザンツ帝国が大ゲンカ

東西教会の対立。
ローマ教会 VS コンスタンティノープル教会
ローマ教会はゲルマン人への布教に絵、聖像を用いていた。

・聖像禁止令(726)
ビザンツ皇帝・レオン3世
イスラム教徒に攻められる原因を減らそうとした。

→ローマ教会は反発。ビザンツ皇帝と絶縁。
ローマ教会 VS ビザンツ皇帝
↓↓
ローマ教会はフランク王国をボディガードにした。
ローマ教会の支店でゲルマン国家などに干渉した。

これが中世西ヨーロッパの特徴。

 


(2)ローマ=カトリック教会の全盛期

■ 腐敗を許すわけにはいかない
ローマカトリック教会の内部改革。

・教会刷新運動(修道院運動)
神聖ローマ帝国がローマ教会の支店を利用し始めた。買収など。ローマ教会が焦る。

教会の腐敗
・聖職売買・聖職者の結婚
地位を売ったり、買ったり。教会の世俗化が進む。
↓↓
・クリュニー修道院(910)
教会刷新運動の中心。教会の改革は修道院を中心に行われた。

・シトー修道会(11C末)
仏中部の荒野に新しく村を作っていく。純粋なキリスト教を広める。

・托鉢修道会(13C)
フランチェスコ修道会(1209)アッシジ
ドミニコ修道会(1215)南仏
都心部を中心に正しいキリスト教を広めていく。

ローマ教会が神聖ローマ帝国に警告。
↓↓
・聖職叙任権闘争
教皇グレゴリウス7世 VS 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世
(↑クリュニー修道院の教会改革の精神を受け継いだ)
自分の命令が届かないので腐敗を正す。
聖職叙任権(聖職者を任命する権利)をめぐって対立。
教皇は皇帝を破門。
↓↓
カノッサの屈辱(1077)
皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に謝罪。破門は解かれた。
教皇〇 VS ✕皇帝
↓↓
ヴォルムス協約(1122)
叙任権は教皇が保持することが決定。

■ 教皇権の絶頂
世俗権力を押さえ込み西欧No1の力に。

〇インノケンティウス3世(位1198~1216)
「教皇(権)は太陽、皇帝(権)は月である」
(=メインは教皇だ。皇帝は飾りだ。)

・英ジョン王を破門。仏王、神聖ローマ皇帝も屈服させる。
・第4回十字軍を提唱(1204)

 


(3)中世西ヨーロッパ世界の膨張

■ 政治的な安定と気候の温暖化
穀物が今まで以上に収穫できる

10C頃から気候が暖かくなってくる。
・中世農業革命(10~12C)

・三圃制(さんぽせい)の普及
春耕地、休耕地に分け、3年周期で輪作。

・重量有輪犂(じゅうりょうゆうりんすき)
牛に犂を引かせる鉄製重量農具。広範囲に深耕が可能。

穀物がたくさん取れる。
→人口が増える
→土地が足りないので広げていく

・大開墾時代(12~14C)
修道院を中心に開墾。

・東方植民(12~14C)
エルベ川以東への進出。
ドイツ騎士団(キリスト教会が作った軍)が中心。

・国土回復運動(レコンキスタ)
イベリア半島。イスラーム教徒を追い出して、土地を奪い返そうという動き。

■ 教会の洗脳が行き届いた結果
荘園では教会が絶対。

巡礼の流行(11~12C)
・ローマ・・カトリック教会の総本山
・イェルサレム・・パレスチナ
・サンチャゴ・デ・コンポステラ・・イベリア半島のキリスト教の遺跡
いつかは聖地巡礼したい・・という気持ちが膨らむ。。

・ビザンツ帝国の危機
セルジューク朝がシリア、アナトリアに進出。ビザンツ帝国を圧迫。
ローマ教皇に救援を要請。
↓↓
ローマ教皇・ウルバヌス2世
クレルモン宗教会議(1095)
十字軍の派遣を提唱。

・聖地巡礼できる
・土地が手に入れられるかも
この2点で盛り上がる。

■ まさに中世を象徴するできごと
⇒なぜなら教皇がその権力で軍を動かしたから。武器は自費調達。

200年に及ぶ十字軍運動の開始
十字軍の歴史

・第1回十字軍(1096~1099)
聖地イェルサレムの奪還、回復。
イェルサレム王国の建国。

・第3回十字軍(1189~1192)
アイユーブ朝のサラディンがイェルサレムを占領。
英王リチャード1世、仏王、神聖ローマ皇帝が参加。

・第4回十字軍(1202~1204)
教皇インノケンティウス3世の提唱。
ヴェネチア商人の策略でコンスタンティノープルを占領。(ビザンツ帝国の都)
ラテン帝国(1204~1261)を建国。
本来の目的、聖地回復からズレていく。

・第6回、第7回十字軍(1248~1254、1270)
仏王ルイ9世の遠征
エジプト、チュニジアを攻撃するも失敗。

<十字軍の失敗の影響>
・教皇権への信頼、力が落ちていく。
・諸侯(軍の主力)も落ちる。
・国王の力が強まる。


(4)中世都市の発展
■ 商業ルネサンス
閉ざされていた西欧世界で商業が復活。
十字軍がきっかけで交易ルートが活発に。

①地中海商業圏

・東方貿易(レヴァント貿易)
アジアから香辛料、宝石、絹織物、(高級品・奢侈品(しゃしひん)、贅沢品)を輸入。
北イタリア・・ヴェネチア、ジェノヴァ、ピサ、ミラノ、フィレンツェ

②北ヨーロッパ商業圏
北海・バルト海交易
海産物、穀物、木材、毛皮、毛織物(生活必需品)を取引。
・北ドイツ・・リューベック、ハンブルク、ブレーメン

・フランドル地方(毛織物)
ガン(ヘント)、ブリュージュ、アントウェルペン

③内陸商業圏
地中海商業圏・バルト海商業圏を接続する、中継(なかつぎ)貿易で繁栄。
キエフ、ケルン、マインツ、アウクスブルク

・シャンパーニュ地方(仏東北部)
1年に5、6回の大規模な定期市。最大の商品集積地。

■ 中世の都市の特徴は
現代との違いは。

・中世都市
封建領主から特許状を取得(買収or闘争)
「自治権(=独立)」の獲得
中世の自治権とは独立した都市のこと

・コムーネ(自治都市)
北部・中部イタリア

・帝国都市(自由都市)
ドイツの皇帝直属の自治都市

・都市同盟
自治や商業を守るため都市同志が結束する。軍事同盟も。諸侯や王に対抗。
ロンバルディア同盟(12~13C)ミラノ中心、北イタリア
ハンザ同盟(盟主リューベック)北ドイツ

■ 都市は自由、人は不自由?
都市で生活する人々の暮らし。
領主からは自由になれたが、身分制度には縛られていた。

「都市の空気は(人を)自由にする」
(ドイツのことわざ)
都市自体が領主の支配からは独立しているという意味。人が平等というわけではない。

荘園の農奴が都市に逃げ込む。1年と1日住めば都市の市民になれる。
都市の独立性。諸侯や領主も手を出せない。

・商人ギルド(組合)
商業利益、相互扶助。
市政を掌握。

・同職ギルド(手工業者の組合)(ツンフト)
親方、職人、徒弟、と、厳格な身分制度があった。
親方だけが同職ギルドの構成員になれた。

・ツンフト闘争
市政を独占していた大商人・商人ギルドに対して同職ギルドが結束して戦う。


(5)封建社会の崩壊と教皇権の衰退
■ ついに崩れた!中世の象徴

※14世紀は、中世ヨーロッパの封建社会が崩壊し、諸侯・騎士・教皇が没落していくターニングポイント。

荘園制の崩壊
貨幣経済の普及(14C)

諸侯が十字軍の借金などで没落。

・貨幣地代への移行。
農民は農作物を市場などで販売。
領主への隷属制を弱める。

・農奴解放(13C)
死亡税や相続税などの撤廃や緩和が進展。
権利を貨幣で買い取る⇒自営農民となる。
領主は次第に地主化。

・黒死病(ペスト)の流行(14C)
農業人口の激減(人口の1/3を喪失)。
農民への待遇改善。農民の解放が進展。
↓↓
領主の収入も減る。
困窮化した領主が封建的な諸権利を再強化。(昔に戻そうとした)
↓↓
農民反乱が起こる
・ジャックリーの乱(1358)仏
(「農民ども」の意味)
↓↓
・ワット・タイラーの乱(1381)英
ジョン・ボール(思想的な指導者)
「アダムが耕しイヴが紡いだとき、誰が貴族であったか」

■ 教皇なんてもう怖くない
教皇の権威は衰退。キリスト教を見直す動きに。。
王の力が強くなる。
諸侯、騎士は延臣(ていしん)となる。
延臣(ていしん)・・国王に仕える家臣。

荘園制の解体と戦術の変化(鉄砲の登場。剣のプロ・騎士が没落)。

教皇権の衰退
〇仏王・フィリップ4世(位1285~1314)
聖職者への課税を提案。
教皇ボニファティウス8世と対立。
↓↓
三部会の開催(1302)
聖職者・貴族・平民からなる身分制議会。
国内の支持を得る。

・アナーニ事件(1303)
仏王フィリップ4世は教皇ボニファティウス8世をアナーニ(伊ローマ郊外)に幽閉。教皇は後に解放されるが憤死。

・教皇のバビロン捕囚(1309~1377)約70年
教皇庁(教皇の仕事場)をローマからアヴィニョン(南仏)に強制移転。管理下に置いた。
↓↓
・教会大分裂(大シスマ、1378~1417)約40年
混乱。自称教皇がローマ、アヴィニョン、ピサに登場。
↓↓
・宗教改革の先駆的な動き
「教会や教皇は要らない。聖書を読めばいい。」
教会批判
ウィクリフ(聖書の英訳)1320~1384
フス(聖書のチェコ語訳)1370~1415
↓↓
・コンスタンツ公会議(1414~1418)
教皇庁をローマに置き、教会大分裂は収束。(1417)

さらに教会が困っているときに教会の文句を言ったということで
ウィクリフ・フスは異端として、フスは焚刑される。(1415)

 


 

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トライ世界史【12】中世ヨーロッパ世界の展開 □⇒

 

 

 

 

【11】中世ヨーロッパ世界の成立

【11】中世ヨーロッパ世界の成立
成立期の中世ヨーロッパ世界をみる視点
(1)ゲルマン人の大移動
(2)フランク王国の発展
(3)第2次民族移動の時代
(4)封建社会の成立


(1)ゲルマン人の大移動
■  ゲルマン人の生活
古ゲルマン社会
ライン川、ドナウ川の北
先住のケルト人を圧迫しながら居住地域を拡大。
・民会(最高議決機関)
・従士制(有力者に忠誠を誓う)
・キリスト教が広まる(異端:アリウス派)

■  西ローマ帝国の命運
ゲルマン人の大移動(4~6C)
フン人の侵入。(匈奴の一派?)
ゲルマン人を圧迫。

・西ゴート人が南下開始(375)
ゲルマン人の大移動スタート。
西ローマ帝国に保護を求めて入ってくる。

・カタラウヌムの戦い(451)
西ローマ・ゲルマン〇 VS ✕フン人(アッティラ大王)
フン人の侵入を止めた。

・西ローマ帝国滅亡(476)
✕←ゲルマン人傭兵隊長オドアケル

■  ゲルマン人国家の乱立
なぜ短命なのか。
・西ゴート王国
イベリア半島
→ウマイヤ朝が滅ぼす(711)

・東ゴート王国
イタリア半島。テオドリック大王。
→ビザンツ帝国・ユスティニアヌス大帝が滅ぼす

・ヴァンダル王国
北アフリカ
→ビザンツ帝国・ユスティニアヌス大帝が滅ぼす

・ブルグンド王国
ガリア(仏)東南

・フランク王国
ガリア(仏)北

・ランゴバルド王国(ロンバルディア王国)
北イタリア

・アングロ=サクソン七王国(ヘプターキー)
大ブリテン島に建国
七つの国
エグバートの統一(829)
=イングランド

 


(2)フランク王国の発展
■ なぜフランク王国は長生きしたのか?
⇒改宗、防衛、ローマ教皇へ接近の3つ。
ローマ系住民や教会との関係。

〇フランク王国(481~843)約360年
(前半)
メロヴィング朝(481~751)
・クローヴィス(481~511)(建国)
異端アリウス派から、正統アタナシウス派に改宗

・トゥール・ポワティエ間の戦い(732)
ウマイヤ朝(イスラーム)✕ VS 〇フランク王国
宮宰(王のサポート)カール・マルテル

(後半)
カロリング朝(751~843~987)
・ピピン
ピピンの寄進(756)
ランゴバルド王国を攻撃し、ラヴェンナ地方を教皇へ献上
⇒ローマ教皇領の起源

■ 西ローマ帝国の復活?
・カール1世(カール大帝)シャルルマーニュ(位768~814)
(アッバース朝・ハールーン・アッラシードと使節を交換)

領土的にも文化的にもローマを復活させようとした

旧西ローマ帝国領土の回復
・ランゴバルド王国征服(北イタリア)
・ザクセン人(北ドイツのゲルマン人)の平定
・アヴァール人(アジア系遊牧民)を撃退

・カロリング=ルネサンス
古典文化(ローマ)の復興にも力を尽くした。アルクイン(英・神学者)を招く。キリスト教の発展、ローマ文化。
(都:アーヘン)

・伯(地方行政を担当)
巡察使を派遣して監察。
「伯爵」の語源。

・カールの戴冠(800.12.25)
ローマ教皇レオ3世がカール大帝に「ローマ皇帝」の帝冠を授ける。
⇒名目上「西ローマ帝国」の復活。

「ゲルマン」・「ローマ」・「キリスト教」の3要素の結合した世界を
「中世・西ヨーロッパ世界」と言う。

 


(3)第2次民族移動の時代
■ フランク王国の分裂

・ヴェルダン条約(843)
東フランク・西フランク・中部フランク

・メルセン条約(870)
東フランク・西フランク・中部フランク
ドイツ・フランス・イタリアの原型に

・東フランク(843~911)
カロリング朝の断絶→ザクセン家から王を選出。ザクセン朝。
↓↓
・神聖ローマ帝国(962)
オットー1世
マジャール人(アジア系遊牧民)を撃退。
ローマ教皇からローマ皇帝位を授与。(カール大帝がもらった冠と同じ状況)

・西フランク(843~987)
カロリング朝の断絶→パリ伯ユーグ=カペーが国王に。カペー朝。

・中部フランク
早くにカロリング朝の断絶→近代まで分裂状態

ほぼ同じ頃に・・↓↓

■ また民族の侵入?
第2次民族移動の時代。

・ノルマン人(北のゲルマン人)(ヴァイキング:入り江の民)
8Cから気温が下がってノルマン人が南下。

現住地:スカンディナヴィア半島、ユトランド半島。
デンマーク王国、ノルウェー王国、スウェーデン王国を建国。
海上ルートで移動。

〇ロシア
・ノブゴロド国(862)
リューリク(建国)。
ルーシ族(ノルマン人の一派・ロシアの語源に)を率いて建国。
↓↓
ノブゴロド国の将軍が南下。
・キエフ公国(862)
ドニエプル川流域。

〇北フランス
・ノルマンディー公国(911~1066)(現在・仏ノルマンディー地方)
ロロ(建国)

〇イギリス
アングロ・サクソン七王国が統一(イングランド王国)
アルフレッド大王がデーン人を撃退。
↓↓
・クヌート(1016~1035)(デーン人王子)再度、英を攻める。
(『ヴィンランド・サガ』)
イングランドを征服。イギリス、デンマーク、ノルウェーを支配。北海帝国。
↓↓
クヌートの死後、再びアングロ・サクソン系が支配

〇南イタリア
両シチリア王国(1130~1860)

古代ローマ以来の商業ルートが復活していく。


(4)封建社会の成立
■ 自らを守るための工夫
国王・諸侯・騎士の契約関係。

フランク王国の分裂、ノルマン人の侵入など、不安定な時代。

・封建制度
恩貸地制度(ローマ末期)+従士制(古ゲルマン)
(自分の土地を寄進して、そこから借りる。)

主君は家臣に封土(領地)を与える
↓↑ 双務的契約
家臣は主君に軍役の義務を負う

階層制(ヒエラルヒー)
・国王・・形式上のリーダー
・諸侯・・広大な支配領域と家臣を持つ有力者
(諸侯から選ばれた代表者が国王。学級委員長みたいな。国王の力はそんなに強くはない。)
・騎士・・騎乗して戦

※「封建時代」は自分の土地、財産を守るための工夫。みんなで守っていこうという制度。その守りたい「土地の話」がこちら↓↓

 

■ 西ヨーロッパは閉ざされた世界
荘園における農民の生活とは

・荘園(領主の所有地)

一つの村のようなもの。

〇2種類の土地
・領主直営地・・領主が直接経営した土地。
・農民保有地・・領主が農民に保有させた(=貸す)土地。

・不輸不入権(インムニテート)
国王の課税権や裁判権などの行使を、領主が拒否する権利。荘園内は閉ざされている。

・領主裁判権
領主が農民に対して行使した裁判権。理不尽でも絶対的。

・農奴(領主に隷属する農民・小作人)
賦役・・領主の土地を無償で耕作
貢納・・収穫物の一部を領主に収める(家賃)
十分の一税・・教会への税
結婚税・・結婚で領外に出る場合納入
死亡税・・相続税

閉鎖的な村で唯一の情報発信者が教会。
ローマ教会の発言を妄信的に信じていく。

 


 

世界史タイトル一覧

トライ世界史【11】中世ヨーロッパ世界の成立 □⇒

 

 

 

 

【04】ローマ世界

【04】ローマ世界
(概要)(1)領土拡大(2)内乱(3)ローマ帝国(4)キリスト教(5)ローマ文化


(1)共和制の確立と領土拡大

・王政(B8C)
ラテン人がティベル川付近にローマ(都市国家)を建設。
北方からエトルリア人が侵入。王政となる。

・共和制(B6C)
エトルリア王を追い出し、共和制となる。

元老院(国会)。貴族政治。
貴族(任期・終身)。
司会者コンスル(執政官・最高政務官)
緊急時は独裁官(ディクタトル)になる。

民会(全男性市民)

貴族(パトリキ)、平民(プレブス)
貴族だけの政治から→平民(重装歩兵)も政治参加するようになる。

護民官(平民を守るために設置。拒否権を持つ。)
平民会

(法律)
・十二表法(B5C)・・慣習法を成文化。

・リキニウス=セクスティウス法(B367)
執政官(コンスル)2人中1人を平民に。大土地所有の制限。

・ホルテンシウス法(B287)
平民会での立法が認められる。
平民が貴族と同じ権利を持つ→民主政治の完成(B3C)

ーーーーーーーーーーーーーーーー

領土拡大

・イタリア半島統一(B272)

アッピア街道(軍道)
「すべての道はローマに通じる」

分割統治
植民市、自治市、同盟市、の3つに分けて統治。
扱いは段々悪くなる。格差を付けてつながるのを阻止。

・ポエニ戦争(B264~B146)
ローマ VS カルタゴ(フェニキア人植民市)

第1回(B264~B241)
ローマがシチリア島を獲得
ローマ初の属州(海外領土)

第2回(B218~B201)
✕カルタゴ・名将ハンニバル
アルプス越え。
VS
〇ローマ・大スキピオ(祖父)

第3回(B149~B146)
小スキピオ(孫)
↓↓
B1C頃、東西に領土拡大


(2)内乱の一世紀(B133~B30)

属州(プロヴィンキア)・・征服地
騎士(エクイテス)・・徴税請負人

奴隷制度の普及(戦争捕虜)
農業奴隷となる。大土地経営に利用される。

・中小農民の没落。
重装歩兵は戦費自己負担で疲弊していった。
無産市民となり「パンと見世物」を求めて都市ローマへ。

彼らが捨てた土地を使って、富裕層が大土地経営を行う。
ラティフンディア(ラティフンディウム)
↓↓
二極化

派閥闘争
閥族派(金持ち)(スラ)VS 平民派(マリウス)

 

★「内乱の1世紀」(B133~B30)
二極化が対立。

・グラックス兄弟の改革(B133~B121)
無産市民に土地を配り直そうとしたが、反対に合い失敗。

・同盟市戦争(B91~B88)
ひどい扱いを受けていた同盟市が暴動。鎮圧されるが、イタリア半島内の全ての都市に市民権が与えられた。

・スパルタクスの反乱(B73~B71)
健闘士。
↑クラッスス、ポンペイウスが抑える

・第1回三頭政治(B60~B53)
カエサル(マリウスの後継者)・クラッスス(パルティア遠征で没)・ポンペイウス(スラの後継者)

・カエサルの独裁(B48~B44)
終身ディクタトルに就任
共和主義者ブルートゥスらに暗殺

 

・第2回三頭会議(B43~B36)
オクタウィアヌス(カエサルの養子)・アントニウス・レピドゥス

・アクティウムの海戦(B31)
オクタヴィアヌス〇  VS  ✕クレオパトラ・アントニウス


(3)ローマ帝国

・帝政ローマ
オクタウィアヌス
元首政(プリンキパトゥス)(B27~284)

「アウグストゥス(尊厳者)」(位B27~14・41年間)という称号を元老院からもらうが「プリンケプス」(第一の市民、市民の代表)を自称した。
独裁の色を消していった。

・パクス=ロマーナ(ローマの平和)(B27~180)約200年間
オクタウィアヌスから五賢帝まで。

五賢帝(96~180)
・ネルウァ
・トラヤヌス(領土最大)
・ハドリアヌス(国内安定)
・アントニヌス=ピウス(平和・安定)
・マルクス=アウレリウス=アントニヌス(161~180)
『自省録』ストア哲学者
後漢「大秦国王・安敦(たいしんこくおう・あんとん)」

・季節風貿易(1~2C)
インド洋

・ローマ風都市の建設。
ロンドン、パリ、ウィーン

・土地制度
ラティフンディアから→コロナトゥスへ
奴隷→コロヌス(小作人)を使って経営する。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

3世紀の危機

★軍人皇帝時代(235~284)
50年間に26人の皇帝。混乱期
北からゲルマン人、東からササン朝ペルシアの侵入。

皇帝ウァレリアヌス(位253~260)
ササン朝ペルシアに捕まる

★専制君主制(ドミナトゥス)284~395

・ディオクレティアヌス(284~305)
専制君主制を開始
テトラルキア(四帝分治制)
皇帝崇拝の強制→キリスト教を迫害

・コンスタンティヌス帝(306~337)
ミラノ勅令(313)→キリスト教を公認
コンスタンティノープルに遷都(330)

・テオドシウス帝(379~395)
キリスト教を国教化(392)
↓↓
ローマ帝国が東西分裂(395)
↓↓
東ローマ帝国(~1453)✕←メフメト2世
西ローマ帝国(~476)✕←オドアケル


(4)キリスト教

イエス
パレスチナ(ベツレヘム)に生まれる。
当時は厳格なユダヤ教パリサイ派が浸透。

救世主(メシア)であることを自覚
神の絶対愛、隣人愛
十字架による処刑(30)
信徒はイエスがキリスト(救世主)であること、その教えを信じる。

使徒
ペトロ・・一番弟子。第一の使徒・初代ローマ教皇。
パウロ・・初めはパリサイ派でイエスを迫害、後に使徒に。東方に伝道。

『新約聖書』
『福音書』イエスの言行録。
『使徒行伝』ペテロやパウロの伝道

ーーーーーーーーーーーーーーーー

キリスト教の迫害の歴史

皇帝崇拝の拒否。
・ネロ帝(64)。火事の責任をキリスト教徒のせいにした。
ペテロを処刑。

・ディオクレティアヌス帝の大迫害(303~313)

・ユリアヌス帝(4C後)
キリスト教公認後に迫害したので「背教者」(裏切り者)と呼ばれた。

カタコンベ(地下墓所)
避難所・礼拝所

ミラノ勅令で公認(313)
テオドシウス帝が国教化(392)

ーーーーーーーーーーーーーーーー

キリスト教義

公会議=キリスト教の宗教会議

・ニケーア公会議(325)
正統:アタナシウス派(三位一体説)
→皇帝にとっては都合がいい。自分の発言は神の発言だと言えるから。

異端:アリウス派
→ゲルマンへ

・エフェソス公会議(431)
異端:ネストリウス派
→ササン朝・唐(景教)へ

・カルケドン公会議(451)
異端:単性論
→エジプト・シリアへ


(5)ローマの文化

★ラテン文学
ウェルギリウス『アエネイス』(建国叙事詩)
ローマの建国の歴史・神話
(オオカミに育てられたロムルスとレムス)
アウグストゥスも気に入る

キケロ『国家論』
ラテン語散文の模範。弁論。

詩人
ホラティウス
オウィディウス

★歴史
タキトゥス『ゲルマニア』
ゲルマン人は素朴。ローマ人の傲慢さを嘆いた。

ポリビオス
政体循環史観

カエサル『ガリア戦記』

リウィウス『ローマ史』
年表順

プルタルコス『対比列伝』
ギリシアとローマの英雄を比べた物語。

★自然科学
プトレマイオス 天動説(2C)→キリスト教世界で採用されていく

ストラボン『地理誌』

プリニウス『博物誌』(23~79)
百科全書。地形、地理、気候など。
火山噴火の有毒ガスを吸って亡くなる。

★哲学(ストア派)
ギリシア時代に生まれたストア派(ゼノン)を継承。
・マルクス=アウレリウス=アントニヌス『自省録』
・セネカ『幸福論』ネロ帝の師匠
・エピクテトス(ギリシア人奴隷)

★ローマ法
市民法から万民法へ
『ローマ法大全』ユスティニアヌス大帝の命でトリボニアヌスが編纂。

★キリスト教思想。
アウグスティヌス『神の国』『告白録』→中世スコラ哲学に影響。
エウセビオス→ビザンツ皇帝の王権神授説へ。

★建築
凱旋門、コロッセウム、パンテオン(万神殿)、ガール水道橋(南仏)、浴場(カラカラ帝)

★暦
・ユリウス暦
カエサルが制定。
エジプトの太陽暦を採用。1000年以上使われる。


世界史タイトル一覧

【04】ローマ世界(トライ動画)□⇒

 

 

 

 

 

【03】ギリシア世界

【3】ギリシア世界
(概要)
エーゲ文明のあと、ギリシア人が南下。
交易社会なので話し合う必要があった。
↓↓
ペルシア戦争
民主政治の完成
その後内乱、混乱
↓↓
アケメネス朝ペルシアを倒す動きへ


★エーゲ文明
青銅器文明。
・クレタ文明(B2000~B1400)
都クノッソス。平和的。
英エバンズ。城壁のない宮殿

・ミケーネ文明(B1600~B1200)
クレタ文明を滅ぼす。好戦的。
ミケーネ、ティリンス
線文字。英ヴェントリス。
独シュリーマンが発見。
トロイア(トロヤ)
ドーリア人か海の民により滅亡か?

★ギリシア人の南下
・ドーリア人⇒「鉄」を持ってきた。
・イオニア人
・アイオリス人

★暗黒時代(B12C~B8C)
ギリシアは山が多く雨が少ない。
果樹栽培が中心。(オリーブ・ブドウ)
交易。

★ギリシアの特徴
・集住(シノイキスモス)
・貴族政治

・ギリシア植民市
交易・貿易の拠点として植民市を建設。
ビザンティウム(ビザンティオン)(黒海沿岸)、シラクサ、ネアポリス(ナポリ)、マッサリア(マルセイユ)。

・アクロポリス(丘)
・アゴラ(公共広場)生活の中心

ヘレネス(自称)、バルバロイ(異民族)
デルフォイの神託
オリンピアの祭典


・アテネ
貴族政治(B8C)
↓↓
平民が重装歩兵に
ファランクス
↓↓
民主政治に参加

B621 ドラコン 慣習法(暗黙のルール)を成文化
B594 ソロン 財産政治。債務奴隷の解放
B561 ペイシストラトス 僭主政治(市民からは支持)
B508 クレイステネス 民主政治の基礎
デーモス(区)
陶片追放(オストラキスモス)、オストラコン(陶片)
↓↓
その後ペルシア戦争へ・・

・スパルタ
穀物栽培が可能。閉鎖的。
完全市民(スパルティアタイ)ドーリア人
ペリオイコイ(半自由民)農業・商工業
ヘイロータイ(ヘロット)(隷属農民)

リュクルゴス(伝説の立法者)軍事的


★ペルシア戦争(B500~B449)
きっかけは、ペルシアの襲来に対するイオニア植民市の反乱。
小アジア ミレトス

・マラトンの戦い(B490)
✕ペルシア(ダレイオス1世)
VS
〇アテネ重装歩兵

・サラミスの海戦(B480)
✕ペルシア艦隊
VS
〇アテネ テミストクレス
無産市民の三段櫂船の漕ぎ手で活躍

・プラタイアの戦い(B479)
〇アテネ・スパルタ連合軍の勝利

↓↓
・デロス同盟(B478)
ペルシアの再来に備えた。アテネ中心の軍事同盟。他のポリスを支配。

・ペリクレスの時代(B443~B429)
民主政治の完成。
民会(18歳以上の男性市民)が最高機関となる。
直接民主制(議員を選ぶのではなく直接参加する)
陪審員、奴隷制

その後、ポリスの対立

・ペロポネソス戦争(B431~B404)
ペロポネソス同盟 (スパルタ)VS デロス同盟(アテネ)
ペリクレス病死したが戦争は終わらず。アテネは衰退していく。

デマゴーゴス(デマゴーグ)
扇動政治家。衆愚政治。

スパルタがアテネを破るも、長くは続かず。
今度はテーベ(テーバイ)がスパルタを破る。
(※テーベという町はエジプトにもギリシアにもある。)


マケドニア
フィリッポス2世(位B359~B336)
・カイロネイアの戦い(B338)
アテネ・テーベ連合軍を撃破

・コリントス(ヘラス)同盟(B337)
スパルタ以外のギリシア諸ポリスの同盟。

アレクサンドロス大王
東方遠征開始(B334)
・イッソスの戦い(B333)

・アルベラ(ガウガメラ)の戦い(B331)
ダレイオス3世を破る。

アケメネス朝ペルシアの滅亡(B330)

★ヘレニズム時代
・ギリシアとオリエントを統合
・アレクサンドリア市を70個建設
・ペルシアの統治を尊重し採用
・コイネーを公用語に
(共通ギリシア語)

アレクサンドロス大王急死(B323)
↓↓
ディアドコイ(後継者)の分立
・アンティゴノス朝マケドニア(B306~B168)

・セレウコス朝シリア(B312~B63)
パルティア(イラン高原)、バクトリア(中央アジア)などが独立へ

・プトレマイオス朝エジプト(B304~B30)
(都:アレクサンドリア)
ヘレニズム文化の中心
最後の女王クレオパトラ


ギリシア文化

宗教
オリンポス12神
ギリシア神話

・ホメロス『イリアス』『オデュッセイア』
トロイア戦争を題材
シュリーマン

・ヘシオドス『労働と日々』『神統記』
・サッフォー 恋愛詩

・ヘロドトス『歴史』(B485~B425)
ペルシア戦争を物語として描いた。

・トゥキディデス『歴史』
ペロポネソス戦争を描いた。正しい歴史書。科学的。

・フェイディアス(B490~B430)
『アテナ女神像』『パルテノン神殿』
ペリクレスの友人。

ギリシア建築 柱
シンプルな「ドーリア式」から「イオニア式」、「コリント式」と段々豪華に。

三大悲劇詩人
・アイスキュロス『アガメムノン』
・ソフォクレス『オイディプス王』
・エウリピデス『メデイア』

喜劇詩人
・アリストファネス『女の平和』
ペロポネソス戦争を女性目線から批判

 


ギリシア自然科学と哲学

★自然科学(イオニア自然哲学)
・タレス・・万物の根源は水
・ヘラクレイトス・・火・変化そのもの。万物は流転する。
・デモクリトス・・原子
・ピタゴラス・・数

・ヒッポクラテス
医学。西洋医学の父。

★ソフィスト(弁論・修辞の職業教師)
プロタゴラス(B5C)
話し方を教える
「人間は万物の尺度」
人によって物の見方はそれぞれで良い
↓↓
アテネは話がうまいだけで中身のない、衆愚政治になってしまった。

★哲学
・ソクラテス(B469~B399)
ソフィストを批判。絶対的な真理を求めた。

・プラトン(B429~B348)
イデア論
現実と理想がある。その理想に近づいていこう。

・アリストテレス(B384~B322)
現実主義。経験論的。
今の現実からどう変化していけるか。


★ヘレニズム文化

ギリシアとオリエントの融合
世界市民主義(コスモポリタニズム)
価値観は同じ。仲間⇒価値観の違う人もいる。。
「個」が芽生える。個人の幸福についての哲学が生まれる。
↓↓
・ストア派:ゼノン
(ストアは「柱」の意味。柱のそばで話していたので)
理性で欲を抑える。

・エピクロス派:エピクロス
自分の精神的な快楽を追求。

 

★自然科学
ムセイオン(王立研究所)⇒ミュージアム(博物館)の語源
(エジプト・アレクサンドリア)

・エラトステネス(B275~B194)
地球の周囲の長さ(子午線)を測定。
ムセイオン初代館長

・エウクレイデス(B300頃)(ユークリッド)
平面幾何学。(図形問題)

・アリスタルコス(B310頃~B230頃)
地球の自転と公転。

・アルキメデス(B287~B212)
浮体の原理を発見。てこの原理。

★彫刻
ギリシア彫刻はガッシリ筋肉
ヘレニズム彫刻は曲線美
・ミロのヴィーナス
・ラオコーン
神官ラオコーンがアテナ女神の怒りをかってしまい大蛇に襲われた。


【3】ギリシア世界□⇒

 

 

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)(395-1453)

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)(395-1453)約1050年

都:コンスタンティノープル(ビザンティオン)

・ユスティニアヌス大帝(527-565)領土最大
↓↓
その後領土縮小(ほぼギリシア)

ギリシア正教会

・726 聖像禁止令 レオン3世

11C セルジューク朝に圧迫される⇒十字軍

1453 オスマン帝国 メフメト2世により滅亡

 

神聖ローマ帝国(962-1804)

神聖ローマ帝国(962-1804)840年間

初代:オットー1世

1077 カノッサの屈辱
皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に謝る。

1438年以降 皇帝はハプスブルク家が世襲

1804 ナポレオンの解体