14_昭和(戦前)時代 – 歴史note

日本史【51】軍部の台頭と第二次世界大戦2(近代ー20)

260807
日本史【51】軍部の台頭と第二次世界大戦2(近代ー20)

昭和戦前11
<東条英機内閣>(40代)
太平洋戦争
(日中戦争も続いたまま)
・1941年11月26日 ハル・ノート
「中国から撤兵・三国同盟廃棄・満州事変以前の状態に戻せ」

・1941年12月1日 御前会議で対英米開戦決定
→(アジア)太平洋戦争(大東亜戦争)へ

・1941年12月8日
①真珠湾攻撃(米領)
②マレー半島上陸(英領)

・1942年6月 ミッドウェー海戦
太平洋中部で壊滅的打撃を受ける。ここからは負けが続く。

・1943年9月 イタリア降伏。(残りは独と日本)
↓↓
・1943年11月 「カイロ会談」(@エジプト)
米:フランクリン・ローズベルト
英:チャーチル
中:蒋介石
→「カイロ宣言」
(日本の無条件降伏まで戦う。=アメリカの要求を受け入れる)
↓↓
日本はカイロ宣言を受け入れず。
・1943年11月 大東亜会議
占領地域の代表者を集めて「大東亜共栄圏」の結束強化を宣言。

<小磯国昭内閣>(41代)
・1945年2月 「ヤルタ会談」(@ソ連)
米:フランクリン・ローズベルト
英:チャーチル
ソ:スターリン
「ヤルタ協定」
秘密協定。ドイツ降伏後の、ソ連の対日参戦を決定。
(一応日本とは仲間である(日ソ中立条約がまだ有効)ソ連を米・英側に引き込む。だから表立って宣言はできない。)

・1945年3月 東京大空襲(B29)

・1945年3月 硫黄島の戦い:2万人玉砕

・1945年4月 沖縄戦
鉄血勤皇隊・ひめゆり隊(女子看護学生)など参加

<鈴木貫太郎内閣>(42代)
・1945年5月 ドイツ降伏

・1945年7月 「ポツダム会談」(@ドイツ)
米:(Fローズベルト→)トルーマン
英:チャーチル→アトリー
ソ:スターリン
「ポツダム宣言」
日本の無条件降伏を要求。
→鈴木内閣は「黙殺」。

・1945年8月6日 広島に原子爆弾投下

・1945年8月8日 ソ連参戦:日ソ中立条約を破棄して侵攻

・1945年8月9日 長崎に原子爆弾投下

・1945年8月14日 ポツダム宣言受諾:御前会議で決定

・1945年8月15日 終戦:同時に鈴木内閣、総辞職。

①カイロ会談
②ヤルタ会談
③ポツダム会談

 

日本史【50】軍部の台頭と第二次世界大戦(近代ー19)

260806
日本史【50】軍部の台頭と第二次世界大戦(近代ー19)

昭和戦前7 軍部の台頭1
<陸軍の派閥対立>
陸軍内部の派閥対立
・皇道(こうどう)派(急進派)過激→二・二六事件
真崎甚三郎(まさきじんざぶろう)

・統制派(穏健派)
東条英機・永田鉄山

<岡田啓介内閣>(31代)
・1935年 天皇機関説・問題化
(天皇の権利を押さえて国民の権利を)
内閣は「国体明徴声明」を発表。美濃部学説を否定。
(国体:国の政治体制。天皇制)
→美濃部達吉は貴族院議員を辞職。民主的なものはこのように潰されていく。

・1935年 永田鉄山(統制派)殺害事件
皇道派の相沢三郎が惨殺→皇道派のあせり
↓↓
・1936年 二・二六事件
(追い詰められた)陸軍皇道派・青年将校らのクーデター
1500人以上の兵士。
★戒厳令公布
・暗殺
蔵相:高橋是清
内大臣:斎藤実(元総理(30代目))

・重傷
海軍大将:鈴木貫太郎
↓↓
(結果)
岡田首相は無事だったが、岡田内閣、総辞職。
軍部内は皇道派が一掃され、統制派に一本化。

<広田弘毅内閣>(32代)
「広義国防国家」建設を掲げる

・1936年 「軍部大臣現役武官制」復活
(明治1900年にできた。1913年に改正して、軍が内閣をつぶすことはできなくなっていた。これをまたつぶせるように戻した。)

・1936年 「日独防共協定」調印
秘密協定でソ連を仮想敵国とする。(世界で孤立していた日・独が結び付いた。)

・1936年 西安(しーあん/せいあん)事件
張学良(張作霖の子)が蒋介石(国民党)を監禁。
(蒋介石(国民政府)は満州国を承認するなど、日本に大甘だった。)
→国民政府 VS 中国共産党の国共内戦停止・抗日を要求。
→日中戦争へ

<林銑十郎(せんじゅうろう)>(33代)

<近衛文麿内閣①(日中戦争)>(34代)
・1937年7月7日 盧溝橋事件
北京郊外で日中両軍が衝突。
(cf.1931満州事変・柳条湖事件・奉天郊外)
内閣は不拡大方針。
しかし関東軍は内閣に圧力をかけて戦線拡大。
↓↓
・1937年 日中戦争

・1937年8月 第二次上海事変
(第一次は満州事変のとき)

・1937年12月 南京(国民政府の首都)を占領
南京事件
中国は降伏せず。国民政府は西の重慶まで逃れて抗戦。泥沼の長期戦へ。(~1945.8まで続く)
(援蒋ルート・・米・英から支援を受ける。)

昭和戦前10
<近衛文麿内閣②(新体制運動)>(38代)
(国内)
・1940年 新体制運動
戦争遂行のための国民組織作り
①1940年 政党解散
→「大政翼賛会」(たいせいよくさんかい)結成。
(末端組織:隣組)

②1940年 労働組合解散
→「大日本 産業報国会」結成

③1941年 小学校
→「国民学校」と改称。お国のために尽くすんだ、という教育。

④1941年 米の配給制開始

<近衛文麿内閣②(対外政策)>(38代)
(日中戦争)
・1940年 北部仏印進駐【南進政策①】
(仏印(ふついん):フランス領インドシナ・・現・ベトナム、ラオス、カンボジア)
石油獲得・援蒋ルートの遮断が目的

・1940年 日独伊三国軍事同盟
(前の日独防共協定の仮想敵国はソ連だった)
→今度はアメリカ(米英仏蘭)を仮想敵国とする。米の仲間の仏の領土、仏印に進駐するということが、それを表している。
→アメリカは鉄鋼・くず鉄の禁輸へ(経済制裁)

・1941年 日ソ中立条約
全権:松岡洋右(ようすけ)外相
(米と対立する一方でソ連と手を組む)
(大正・1925年・日ソ基本条約・国交回復)

★近衛は開戦回避のための日米交渉開始。
(近衛総理は外相松岡とは違う動きに。直接米と交渉)
駐米大使:野村吉三郎
国務長官:ハル

<近衛文麿内閣③>(39代)
・1941年7月 南部仏印進駐【南進政策②】
→日米関係はさらに悪化。ABCDライン強化へ。
(米・英・中・蘭の対日経済包囲網)
例:対日石油輸出禁止

・1941年10月 対米強硬路線の陸相・東条英機と近衛内閣は対立
→総辞職

★戦時中の生活
①国内:勤労動員・学徒出陣・女子挺身隊
②朝鮮・台湾
・皇民化政策(日本人化)
創氏改名、日本語強制

 

日本史【49】恐慌の時代と満州事変2(近代ー18)

260806
日本史【49】恐慌の時代と満州事変2(近代ー18)

昭和戦前4
<浜口雄幸(外交・内政)>(27代)
外相:幣原喜重郎
(憲政会→民政党)

・1930年 ロンドン海軍軍縮条約
全権:若槻礼次郎
補助艦保有率
英:米:日=ほぼ10:10:7
(cf.1921-22 ワシントン条約・主力艦(大正時代))
↓↓
・統帥権干犯問題
海軍の条約反対派が首相を攻撃

・1931年 三月事件
軍部によるクーデター未遂事件

・1931年 東京駅で浜口首相は右翼に狙撃され、重傷。翌年亡くなる。
→総辞職

<若槻礼次郎内閣②>(28代)
★満州事変(1931-33)の始まり
・1931年9月18日 柳条湖事件(満州・奉天郊外)
関東軍による南満州鉄道・爆破事件(日本軍の自作自演とも)
若槻内閣は不拡大方針→関東軍は無視して拡大。

・1931年 十月事件
再度のクーデター未遂事件

<犬養毅(外交・内政)>(29代)
(政友会)(浜口・若槻は民政党)
・1932年 血盟団事件
右翼団体の血盟団(中心:井上日召)による、井上準之助(前蔵相)と団琢磨(三井合名会社・理事)の暗殺。

・1932年 満州国建国
清朝最後の皇帝(宣統帝)溥儀、執政就任(後に皇帝になるが日本の傀儡)
(関東軍が、清の満州族・女真族のため建国という名目。日本の侵略ではないと。)

・1932年 リットン調査団
国連から、リットン団長(英)らが来日し調査。

・1932年 五・一五事件
犬養毅首相暗殺→「憲政の常道」終了。
(加藤・若槻①・田中・浜口・若槻②・犬養)

昭和戦前5
<犬養毅(高橋財政)>(29代)
蔵相:高橋是清

★高橋財政
①1931年 金輸出・再禁止
(浜口内閣・井上時の解禁を、もう一度禁止に→また金本位制を停止)
→「管理通貨制度」導入。
国が金(GOLD)を使わないで、お金の価値を調整していく。

②低為替政策(円安政策)
→輸出急増(昭和恐慌を立て直した)
綿織物輸出は英に代わり世界一に。
(経済的にも孤立)

③積極財政
→赤字国債(国の借金)を発行し、景気回復をはかる。
(お金を発行しているのと同じ。貨幣価値は下がる。)
→インフレ

<財界の動き>
★新興財閥(満州事変以降に急成長)
・鮎川義介(あいかわよしすけ)(日産)
・野口遵(のぐちしたがう)(日窒)など
満州へ進出

<斎藤実(まこと)内閣>(30代)軍出身
満州事変
「挙国一致内閣」

・1932年 「日満議定書」締結
→斉藤内閣が満州国を承認。

・1932年 リットン(英)報告書公表
日本の行為を侵略と認定。

・1933年 国連総会(ジュネーブ)
満州国不承認案、採択
賛成42:反対(日本)1:棄権(不参加)(シャム)1
→松岡洋右(ようすけ)・全権退席
→国際連盟からの脱退通告(1933年)
国際社会から孤立していく。

・1933年 塘沽(たんくう)停戦協定
満州事変の停戦協定

 

日本史【48】恐慌の時代と満州事変1(近代ー17)

260806
日本史【48】恐慌の時代と満州事変(近代ー17)
昭和戦前1
<若槻礼次郎内閣①(協調外交)>(25代)
外相:幣原喜重郎
(憲政会)

・1926年12月 大正天皇没、摂政裕仁親王即位。
昭和改元。

・1927年 国民革命軍・蒋介石の北伐に不干渉(邪魔しない)(協調外交)

<若槻礼次郎内閣①(金融恐慌)>
蔵相:片岡直温(なおはる)

・1927年 金融恐慌
(発端)
未決済の震災手形をめぐる片岡直温蔵相の失言
(震災で支払い不能となった手形)
「東京渡辺銀行がつぶれた」と言ってしまった。(つぶれてない)
(内容)
取付騒動→銀行の破産、会社の倒産が続出
(預金者が引き下ろしに殺到)
(例)
鈴木商店(大会社):①倒産
↑↑不正融資(鈴木商店に財産・担保がないのに貸していた)
台湾銀行:②休業
特殊銀行、台湾を支配するために作っていた。

(結果)
若槻内閣:③総辞職
台湾銀行・救済緊急勅令案(国がお金を出す)
↓↓
枢密院は拒否。
(理由:幣原喜重郎外相の協調外交が不満だったから)
若槻礼次郎内閣①は総辞職。

<田中義一内閣(金融政策)>(26代)
蔵相:高橋是清(元20代総理)
(政友会)
今回の内閣は中国にも「強硬外交」。だから潰されない。

金融恐慌を収束。
・「日銀非常貸出」(台湾銀行などに貸す)
・「3週間のモラトリアム(支払猶予令)
の実施。
↓↓
五大銀行の金融支配
三井・三菱・住友・安田・第一(元・第一国立銀行)
(合併・統合が進んで、小さい銀行は倒産。カルテル・トラスト。平成にも同じような銀行再編・統合があり、メガバンクになった。第一→第一勧銀銀行→みずほ銀行に。)

インフレに。

昭和戦前2
<田中義一内閣(外交・内省)>(26代)
田中義一外相
(政友会)
・1928年 「パリ不戦条約」調印
提案:ケロッグ(米)・ブリアン(仏)
「軍艦を使わない」

(強硬外交)
・1927年~ 山東出兵(1次~3次)
(蒋介石の北伐に対する干渉(邪魔をする))
元々日本の利権があったところ。九ヵ国条約で返した。

日本は張作霖(北方軍閥)の支援をしていたが、蒋介石に敗れた。
↓↓
・1928年 張作霖爆殺事件(満州某重大事件)
奉天に帰る途中、列車ごと爆破。
→事件処理をめぐって田中内閣総辞職。

(※明治に置かれた「関東都督府」は、大正に「関東軍(軍)」と「関東庁(役所)」に分かれた。)

(国内)
・1928年 普通選挙法による初の総選挙
→無産政党員8名当選
(大政党に有利な小選挙区制でも、8名も出た)

・1928年 三・一五事件:共産党弾圧

・1928年 治安維持法改正:最高刑を(懲役10年→)死刑に改正

・1928年 特別高等警察・全国設置

・1929年 四・一六事件:共産党弾圧

<浜口雄幸(井上財政)>(27代)
蔵相:井上準之助(後に✕)
(憲政会→民政党)

★井上財政
・1917年 金(輸出)禁止(寺内内閣)
(=金本位制をやめる。欧が戦争中でやめたから。)
↓↓
①1930年1月 金(輸出)解禁
(=金本位制(固定相場制)に復帰した。)
※固定相場だと貿易しやすいから、復帰した。
→世界恐慌のあおり。
欧米と共倒れに・・

②緊縮財政(支出を圧縮する)
(明治・松方正義もやった手法。デフレ物価↓になった)

③産業合理化
(例)「重要産業統制法(1931年)」
会社の合併。カルテル(会社の連携)などの結成を助長。
↓↓
しかし、デフレと世界恐慌の影響で・・
↓↓
・1930年 昭和恐慌(大不況)
– 生糸(絹織物の原料・米向け。NY株暴落)の輸出激減。
– 中小企業、農家の没落。

☆恐慌
(大正)
①1920 戦後(WW1)恐慌
②1923 震災恐慌
(昭和)
③1927 金融恐慌
④1930 昭和恐慌