イタリア – 歴史note

【37】第一次世界大戦後の欧米諸国

【37】第一次世界大戦後の欧米諸国
(1) 戦勝国アメリカの栄華
(2) 戦勝国イギリス・フランス
(3) 敗戦国ドイツの復興
(4) ファシズムの台頭
(5) 東欧諸国の動向


(1)戦勝国アメリカの栄華
ポイント①第一次世界大戦を勝利に導いたウィルソン!
急速に保守化するアメリカ社会・・

米が政治・経済No1に!排他・排外的になる。

民主党政権(1913~1921)>
28代ウィルソン大統領
禁酒法(1920~1933)
(厳格なプロテスタント(ピューリタン)の意思を反映)

女性参政権(1920)男女平等選挙権
(総力戦で女性も兵器工場で働いた。→女性の地位向上)

モンロー主義「米は米、欧は欧」のように昔に戻そう。
ヴェルサイユ条約の批准を拒否(上院の反対)
米は国際連盟不参加
さらに保守化が進み、次は共和党が政権を取る。

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ポイント②排外的なアメリカ社会の「裏」の顔
共和党政権下に露わになったアメリカの「光」と「影」

共和党政権(1921~1933)>3代続く
排外的。(外国人出ていけ)。さらに保守的に。

債権国アメリカ
米は債務国から→債権国になった。
WW1の連合国の兵器工場になったため。

・大量生産・大量消費
へ。
大衆消費社会。新聞やラジオ放送など。

WASP(ワスプ)北部都市・白人中心階級
白人(White)、アングロ・サクソン(AS)、プロテスタント(P)。
↓↓
・K・K・K(クー・クラックス・クラン)活動再開。
黒人、黄色人種の差別。
↓↓
・サッコ・ヴァンゼッティ事件(伊系・冤罪)
2人のイタリアの無政府主義者への冤罪事件

移民法(1920)
アジアからの移民は全面禁止。排日移民法。


(2)戦勝国イギリス・フランス
ポイント①躍進する社会主義勢力
イギリスでは初の社会主義政党が政権を獲得

<英>
ウィンザー朝(1917~現在)
(王家が変わったのではなく、ハノーヴァー朝から改名。ハノーヴァーはドイツ読みなので。)
スチュワート朝⇒ハノーヴァー朝(独出身の諸侯)
(ウィンザーはバッキンガム宮殿がある地名)

ロイド・ジョージ挙国一致内閣
・第4回選挙法改正(1918)
21才以上の男性、30才以上の女性に選挙権。
イギリス初の女性選挙
(※世界初の女性選挙権はニュージーランド。(1893))

第1次マクドナルド内閣(1924)
英で労働党内閣。(社会主義政党)。自由党と連立したが崩壊。

第5回選挙法改正(1928)
21歳以上の男女に選挙権。

お金に余裕がないので植民地支配の方針を変更
↓↓
ウエストミンスター憲章(1931)
自治領をイギリス本国と同党の地位を与える。法的に制定。
大英帝国」⇒「イギリス連邦」と改称。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランス外交は「本音」と「建て前」!?
ヨーロッパ諸国の顔色をうかがう外交

<仏>
対ドイツ強硬外交
・クレマンソー挙国一致内閣
・ポワンカレ内閣。
ルール占領(ルール出兵)→仏は他の欧米に怒られた。
↓↓
対ドイツ協調外交に変更
本音:独のことキライ。
建前:手のひら返しで独と協調

・左派連合政権
ソ連の承認、ロカルノ条約締結。

・ポワンカレ内閣
不戦条約(1928)パリで調印。
米ケロッグ、仏ブリアン。


(3)敗戦国ドイツの復興
ポイント①第一次世界大戦後のドイツ国内の混乱!
帝政から共和制へ移行するドイツが直面した問題

ドイツ革命(1918~1919)>
キール軍港の水兵反乱。
「評議会(レーテ)」が成立。労働者・兵士の代表が集まる会議。
(ロシアでは「ソビエト」、ドイツでは「レーテ」と呼ばれる。)
ヴィルヘルム2世亡命。
↓↓
ドイツ共和国成立。(王や皇帝がいない)
ドイツ休戦協定を締結。

スパルタクス団の結成。(「ドイツ共産党」の母体)
ドイツをロシアのような社会主義国家にしようと暴動。←鎮圧。
・カール・リープクネヒト
・ローザ・ルクセンブルク(ポーランド出身の女性革命者)

ヴァイマル国民議会の開催(1919)
社会民主党が主導
初代大統領・・エーベルト
↓↓
ヴァイマル(ワイマール)憲法
当時世界で最も民主的主権在民、男女平等の普通選挙。労働者の団結権、団体交渉権の保障。

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ポイント②世界でもっとも民主的な国が抱えたトラブル!
巨額の賠償金がドイツ社会に大きな影響を及ぼす・・

ヴァイマル共和国(ドイツ共和国)

<賠償問題>
仏にルール占領される⇒激しいインフレ
・帝政派の軍部クーデタ
・ドイツ共産党の武装蜂起など
国内は混乱・・

シュトレーゼマン大連合内閣>
・首相:シュトレーゼマン
レンテンマルク紙幣の発効。(1兆マルク=1レンテンマルク)
インフレを奇跡的に収束。
↓↓
<2代目大統領 ヒンデンブルク
・協調外交(シュトレーゼマン外相)
ロカルノ条約の締結→ドイツの国際連盟の加盟。
不戦条約の締結

着実に復興を歩む・・。
(シュトレーゼマンはノーベル平和賞受賞。仏ブリアンとともに。)


(4)ファシズムの台頭
ポイント①戦勝国なのに混乱するイタリア
民主主義の矛盾をついた新しい政治思想の登場

(イタリア)
ヴェルサイユ体制への不満
戦勝国だけど不満→参戦の条件に英仏と約束した「未回収のイタリア」が一部回収できなかったから。
↓↓
フィウメ問題(イタリア人が多く住む地域)
南チロル、トリエステは回収できたが、フィウメはユーゴスラヴィア領に→その後、国際連盟の管理下に

・戦後の不況問題
北イタリアでストライキ。←政府(イタリア社会党)が鎮圧。
「社会党(社会主義)」は労働者の味方じゃないのか!」失望・・。
↓↓
新しい政治思想。ファシズムの台頭。
貧富どちらにも支持される。

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ポイント②ムッソリーニの一党独裁体制の確立!
民衆から支持を集め、独裁政治を行う

<ムッソリーニ(ファシスト党)(1883~1945)>
ファシスト党の結成
反社会主義
→資本家・地主・軍部に支持を拡大

国家による経済統制
仕事は与える。物価は下げる。
→下層階級からも支持
↓↓
「ただし言論の自由は許さない!」
ファシズム全体主義

ローマ進軍
ムッソリーニのクーデター。
国王はムッソリーニの組閣を承認。政権を獲得
↓↓
・フィウメ併合
国民から支持が高まる
↓↓
ファシスト党の一党独裁制
の成立
ファシズム代表議会

アルバニア保護国化
植民地拡大(バルカン半島・モンテネグロの南)
強いイタリアをアピール

ラテラン条約(1929)
ローマ教皇との和解
(イタリア政府とローマ教皇は断絶していた。→イタリア統一運動の普仏戦争1870で教皇領を奪ったため。)
→ヴァチカン市国(しこく)の成立承認。
(※ナポレオンもローマ教皇と和解して国民の人気を獲得していた)

↓↓
イタリア国民の仲間意識を高めていく。
当時イタリア国民はファシズムを支持


(5)東欧諸国の動向
ポイント①独裁政治のほうが都合が良い!?
西ヨーロッパ諸国は東欧の独裁政治を認める

・ウィルソン提唱の「民族自決」が東欧には適用され独立。

東欧諸国の独裁ポーランド)>
・ソヴィエト✕=ポーランド戦争〇
ポーランドは勝利し、領土を獲得。
ピウスツキの独裁体制(議会は無視)

東欧諸国の独裁ハンガリー)>
ハンガリー革命(1918~1919)
社会党や共産党がソヴィエト政権(社会主義)を樹立。
→ハンガリー共和国の独立←ルーマニア軍介入で崩壊。
↓↓
・ホルティの独裁
王政を復活。社会主義を阻止

西欧の考え
→「社会主義さえ阻止してくれれば、独裁でもいい」

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ポイント②世界が注目!ソ連経済の急成長
社会主義国家の計画経済とは?

レーニンの死(1924)ロシア革命の指導者・ソ連の創始者
後継者をめぐって2人が争う。
↓↓
[1]トロツキー✕:「世界革命論
西欧や世界に革命を広げよう。政治的援助が必要。
(→メキシコで暗殺される)
VS
[2]スターリン〇:「一国社会主義論
社会主義の建設はソヴィエト一国で充分。

スターリン体制(1930年代)>
粛正
スターリン反対派を大量に処刑。

スターリン憲法(1936)
形式的な民主主義。男女平等。民族平等。(→書いただけで実際はやらない)

<ソ連の計画経済>
第1次五カ年計画(1928~1932)
重工業重視の工業化。→工業国へと急成長。
農業の集団化、機械化。
コルホーズ(集団農場)桑・機械などを共同で利用
ソフホーズ(国営農場)作物は国のもの。賃金を支払う。

■ 第2次五カ年計画(1933~1937)
・軽工業の発展

↓↓
ソ連は欧米に並ぶ経済大国に成長。西欧には社会主義が脅威となってくる・・。

 


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【26】19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独

【26】19世紀の欧米諸国(1) 英・仏・伊・独
(1)イギリスの自由主義 世界No1!
(2)ヴィクトリア時代のイギリス
(3)フランスの政体変遷
(4)イタリアの統一
(5)ドイツの統一
(6)ドイツの発展
(7)ビスマルク体制


(1)イギリスの自由主義
ポイント①宗教で差別されることはない!
キリスト教徒であれば差別されることはなくなった

・アイルランド併合(1801)
カトリックが多い
↓↓
2つの法で宗教自由が達成
[1]審査法廃止(1828)
非国教徒(ピューリタンなど)も公職就任が可能に(カトリック教徒は除く
※「審査法」はチャールズ2世時のカトリック勢力に対抗して議会側が制定(1673)した。=イギリス国教会のみ公職に就ける法。
↓↓
[2]カトリック教徒解放法(1829)
オコンネル尽力。カトリック教徒も公職就任が認可

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②みんなが選挙に行けるための改革!
数回にわたる選挙法改正と選挙権の拡大

産業資本家の台頭
第1回選挙法改正(グレイ内閣)(1832)
腐敗選挙区の廃止
産業資本家に選挙権付与(労働者はまだ)
↓↓
チャーティスト運動(1830~1850末)
労働者の政治運動
人民憲章(ピープルズ=チャーター)
↓↓
第2回選挙法改正(1867)
都市労働者に選挙権付与
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント③自由な貿易を目指して!
イギリスの自由貿易主義体制の確立

19C英の産業資本家は自由貿易主義(体制)を望む

・穀物法の制定
地主保護のため輸入穀物に高関税。
→英国内の高い穀物を買わなくてはいけない・・。
↓↓
産業資本家は反発。(給料を上げないとダメだから)
↓↓
反穀物法同盟(1839)
コブデン、ブライト

さらに・・
ジャガイモ飢饉(1845~1847)
アイルランドで発生。餓死者も出る。
↓↓
ついに
[1]穀物法廃止(1846)

[2]東インド会社中国貿易独占権の廃止
→商業活動そのものも全面禁止
→民間の会社が貿易できるようになる。
(→中国にアヘンを売りに行く)

[3]航海法廃止(1849)
(「航海法」の制定はクロムウェル(1651)。自国か相手国の船のみに制限する法)

↓↓
これら3つで、自由貿易主義が完成。

 


(2)ヴィクトリア時代のイギリス
ポイント①当時のイギリスは世界一の国家
産業革命を完成したイギリスの繁栄

(イギリス)
【ヴィクトリア女王】(位1837~1901)64年
ヴィクトリア時代=「世界の工場
ロンドン万国博覧会(1851)
世界初。英の国力を見せつけた

パクス=ブリタニカ(イギリスの平和)
圧倒的な工業力と軍事力
世界に自由貿易主義を拡大

イギリス二大政党
自由党(旧ホイッグ党)】グラッドストン
・産業資本家・労働者の支持
・自由貿易主義、平和外交
・アイルランド自治に寛容

保守党(旧トーリ党)】ディズレーリ
・地主・貴族の支持
・保護主義、強硬外交
・アイルランド自治に否定的

ポイント②自由党と保守党の内閣
政策は違うけれど、目指すものは同じ

グラッドストン(自由党)】国内
教育法(1870)
学校を作った。投票の仕方などを教える。
労働組合法(1871)
第3回選挙法改正(1884)
農村、鉱山労働者に選挙権付与
注・✕アイルランド自治法案は「否決」される

ディズレーリ(保守党)】外交(強硬)
スエズ運河の支配(1875)
インド帝国の成立(1877)
ベルリン会議に参加(1878)

交代でバランスよく内外政策を進めた

 


(3)フランスの政体変遷

ポイント①念願の普通選挙!のはずが…
まとまらないフランスの第二共和政

(フランス)
二月革命(1848.2)で国王ルイ=フィリップが亡命
↓↓
【第二共和制】(1848~1852)
臨時政府(1848.2)
ルイ=ブラン
(社会主義者・・労働者や失業者の支援)
・男性普通選挙の公約
国立作業場(失業者対策)
↓↓
四月普通選挙
社会主義力の敗北(産業資本家、農民から反発)
国立作業場の閉鎖
↓↓
六月蜂起(暴動)→鎮圧
社会主義者、労働者が蜂起
↓↓
ルイ=ナポレオン
が大統領に
(ナポレオン1世の甥)
1851年クーデタ
武力で議会を解散。独裁体制に。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②皇帝政治の復活!?ナポレオン3世の登場
フランスをどのようにまとめたの?

第二帝政(1852~1870)
ナポレオン3世 大統領→国民投票で皇帝に
ボナパルティズム(統治体制)ボナパルト風=ナポレオン1世と似た
→全フランス国民の利害対立を利用し政権を維持(独裁)
国内は平和

(多くの対外戦争)
・クリミア戦争(1853~1856)
・アロー戦争(1856~1860)
・インドシナ出兵(1858~1867)
・イタリア統一戦争(1859)
メキシコ出兵(1861~1867)→失敗
プロイセン=フランス(普仏)戦争(1870~1871)
スダンの戦いに敗れ捕虜となる
↓↓
第三共和制へ・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント③第三共和制の時代
独裁者がいなくなったフランスはやはり・・

第三共和制(1870~1940)70年
臨時政府の発足
代表:ティエール→独(旧プロイセン)と休戦
独の条件を何でも飲む

↓↓ 弱腰に市民は反発

パリ=コミューン(1871)
労働者による自治政府→独と仏政府ティエールに弾圧される
「血の1週間」

初代大統領ティエール(任1871~1873)
第三共和制のスタート
しかし情勢は不安定・・


(4)イタリアの統一
ポイント①イタリア統一の難しさとは?
北部・中部・南部で異なる世界が展開

西のサルデーニャ王国が統一運動のメインとなる
北部:ロンバルディア・ヴェネツィア・南チロル(墺領)
中部:ローマ教皇領など(仏軍)
南部:両シチリア王国

※サルデーニャ王国領のサヴォイヤ、ニースは仏人が多い。

ポイント②統一運動の開始!
外交や交渉を駆使した巧みな統一方法

【サルデーニャ王国】(1720~1861)
国王:ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
首相:カヴール(現実主義・冷静)→巧みな外交

クリミア戦争参戦(露英仏VSトルコ)
英仏の要請→仏ナポ3世に顔を売った。。
サルデーニャの国際的地位が向上。

イタリア統一運動】(1859)
イタリア統一戦争(1859)
サルデーニャ王国 VS オーストリア
・北部ロンバルディア獲得(墺→伊)
↓↓
中部イタリア併合
中部には仏軍がいる。ナポレオン3世と交渉
→仏にサヴォイア・ニースを割譲。
→併合を承認される。
↓↓
・南部:ガリバルディ(千人隊・赤シャツ隊)(元青年イタリア)
両シチリア王国を征服
→サルデーニャに領土を譲る
↓↓
イタリア王国の成立(1861)
↓↓
カブール没→大きな戦争に便乗する戦略に変わる。
ヴェネツィア併合(1866)(墺→伊)
普墺戦争
(ビスマルクが事前に伊と同盟)
↓↓
教皇領占領(1870)(仏→伊)
普仏戦争

ポイント③イタリア統一後のトラブル!!
イタリアが抱えた問題をみる

「未回収のイタリア」
トリエステ
南チロル(墺領土のまま)
→墺 VS 伊 対立に・・


(5)ドイツの統一
ポイント①ドイツ統一の難しさとは?
キリスト教の宗派対立が大きな問題となる

キリスト教の宗派対立
・プロイセン王国+北ドイツ→プロテスタント
VS
・西南ドイツ→カトリック
西南ドイツの本音「プロイセンよりオーストリア(カトリック)にドイツ統一してほしい・・」

プロイセン「墺が負けたら今度は仏に泣きつくかもしれない・・その2つとくっつくのは邪魔したい。」

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ドイツは「鉄」と「血」で統一する!?
プロイセン王国がドイツの統一にむけて動き始める

プロイセン王国の統一(プロテスタント)

国王:ヴィルヘルム1世(位1861~1888)
↓↓ 任命
首相:ビスマルク(任1862~1890)28年(ユンカー出身)
「鉄血政策」
→ドイツ統一は、宗教が違うので話し合いや多数決ではムリ。武器(鉄)と兵士(血)で、軍事的に統一するしかない・・。

ビスマルクのドイツ統一の3つの戦争
[1]デンマーク戦争(1864)
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン(ドイツ人が多い)(デ→普)
墺を誘って戦う。普〇 VS デ✕
墺との共同管理をもちかけていたが・・やっぱり墺には管理させない(挑発)
↓↓
[2]プロイセン・オーストリア(普墺)戦争(1866)
普〇 VS ✕墺
↓↓
北ドイツ連邦を発足
プロイセンが盟主となってまとまる。西南ドイツは入らない。
「次は仏を討つ・・」

普墺戦争に敗れた墺は国の体制を変える・・
オーストリア=ハンガリー(二重)帝国
ハンガリーに自治を付与して昇格させた。その代わりスラヴ人が暴動を起こしたら一緒に鎮圧してもらうことを約束。

スペイン王位継承問題
普王ヴィルヘルム1世と仏が会談。
→ビスマルクは仏を無礼な態度だったと発表して挑発。
↓↓
[3]プロイセン・フランス(普仏)戦争(1870~1871)
ナポレオン3世 スダンで捕縛
普〇 VS ✕仏
仏が敗れたことで、西南ドイツは頼る相手がいなくなり、ドイツに組み込まれる。
↓↓
ドイツ帝国成立(1871)
ドイツ統一達成
(仏ヴェルサイユ宮殿にて)

(岩倉使節団 訪独1873)


(6)ドイツの発展
ポイント①ドイツ帝国の大いなる発展!
イギリスを猛追するドイツの工業化

ドイツ帝国(1871~1918)47年
皇帝:ヴィルヘルム1世
宰相:ビスマルク(任1871~1890)

連邦参議院
帝国各地の代表者。立法・条約。

帝国議会
全ドイツ25歳以上の男性普通選挙で選ばれる。予算の審議権。

普仏戦争→仏との講和条約(1871)
多額の賠償金とアルザス・ロレーヌを獲得(仏→独)
地下資源(石炭・鉄鉱石)豊富な鉱山地帯。
↓↓
第2次産業革命(重工業)
保護関税法
輸入品に関税。国内産業を守る。
→1880年代末、工業生産数は世界第2位!(1位は米)

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ポイント②「ドイツ国民」としての団結は超重要!
ビスマルクが徹底してこだわったこと

ドイツ国民の団結を揺るがすものはつぶす・・!
ドイツ「帝国の敵」を作る
[1]VS カトリック
・文化闘争
西南ドイツカトリック政党が反発
→ビスマルクは圧力をかける

【ビスマルクの社会政策】
[2]VS 社会主義勢力

ドイツ社会主義労働者党の結成(1875)
世界初の社会主義政党

社会主義者鎮圧法の制定
非合法とした。

労働者と資本家のけんかを止める。
「労働者は社会主義が守るんじゃなくて国が守るから!」
→疾病保険制度、災害保険法、養老保険法


(7)ビスマルク体制
ポイント①当時のヨーロッパは一触即発!?
問題を抱えていた国々とビスマルクの狙いとは?

[1]独 VS 仏
普仏戦争以降関係悪化・・(ドイツを許せない by 仏)

[2]露 VS 墺
バルカン半島をめぐり対立→ビスが三帝同盟で仲介

[3]伊 VS 墺
「未回収のイタリア」をめぐり対立→ビスが三国同盟で仲介

ポイント②目指すはフランスの孤立!
ドイツの安定のために外交述を駆使するビスマルク

ビスマルク体制】(1870~1890年代)
ビスマルク(独)は、仏に露や墺と手を組んでほしくない。
挟み撃ちされたくない。仏を孤立させたい。

三帝同盟(1873~1878)
ドイツ、オーストリア、ロシア

ベルリン会議(1878)
主催者:ビスマルク
露・墺がバルカン半島をめぐり対立
独は墺の要求を飲んだ。
↓↓
ロシアはいったん手を離す。

・独墺同盟(1879)

新三帝同盟(三帝協商)(1881~1887)
ドイツ、オーストリア、ロシアが再度手を結ぶ

仏と伊がチュニジア保護国をめぐってけんか。
↓↓
三国同盟(1882)
ドイツ・オーストリア・イタリア

・新三帝同盟の崩壊

再保障条約(1887~1890)
ドイツ・ロシアの秘密条約

「光栄ある孤立」
19C後半以降のイギリス

仏はビスマルクの思惑どおり、ひとりぼっちに・・

 


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