アメリカ – 歴史note

【18】ルネサンスと大航海時代

【18】ルネサンスと大航海時代
(1)ルネサンスの始まり(14~16C)
(2)イタリア=ルネサンス
(3)ヨーロッパに拡大するルネサンス
(4)大航海時代の幕開け(15~16C)
(5)ヨーロッパ人の「新発見」
(6)古代アメリカの謎に迫る!


(1)ルネサンスの始まり
ポイント①なぜ大昔の文献を読む必要があるの?
ルネサンスは人間らしさを求めた時代

ルネサンス(文芸復興)とは
14Cにイタリアで始まる。15C~西ヨーロッパへ。
14C(1300年代)は教会の権威がゆらいだ時代。十字軍の失敗など。

教会・神中心の価値観
↓↓
個人・個性を重んじる人間中心の価値観へ

基本精神:ヒューマニズム(人文主義)
人間の理性や尊厳を尊重・・ヒューマニスト

キリスト教世界が浸透して1000年・・人間らしく生きる方法が分からない。。その頃の本を読もう。
↓↓
・ギリシア・ローマの古典を研究
教会の価値観から離れた人間社会の赤裸々な描写

ポイント②なぜルネサンスはイタリアで始まるの?
当時のイタリアにはルネサンスがおこる条件がそろった

・イタリア=ルネサンス(14~16C)
ギリシア知識人の亡命。

オスマン帝国がビザンツ帝国(ギリシア)を圧迫(14C)
↓↓
ビザンツ帝国内のギリシア文化の知識人・学者がイタリアへ亡命

メディチ家
フィレンツェの大富豪
毛織物・金融業・東方貿易で繁栄

教皇レオ10世の保護
(メディチ家出身。ジョヴァンニ。)
↓↓
ローマ教皇に保護されているので、イタリア・ルネサンスは教会批判、金持ち批判はできなかった。限界。(西ヨーロッパでは教会批判できた。)

 


(2)イタリア=ルネサンス
ポイント①人間らしさを赤裸々に表現
イタリア・ルネサンスの文学・美術

(文学)
イタリア・ルネサンスの先駆者
ダンテ『神曲(しんきょく)(1265~1321)
トスカナ語で記述。(キリスト教は普通ラテン語)
「聖職者ローマ教皇のためではなくて、トスカナ地方の地元の人達が読みやすい本を書いたんだ。」

・ペトラルカ『叙事詩集』古代ローマ・古典ブームの火付け役
ボッカチオ『デカメロン』14Cペスト流行のフィレンツェ。喜怒哀楽、色と欲。人間らしさ。

(政治学)
マキァヴェリ『君主論』・・イタリア統一の必要性を説く。
「イタリアを統一するにはライオンの勇猛とキツネの狡知が必要。」
冷酷非道なリーダー論。(優れた君主の例としてチェーザレ・ボルジアを挙げている)

(美術)
・ジョット・・ルネサンス絵画の先駆者
ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』『春』
ミケランジェロ(1475~1564)『最後の審判』『天地創造』(天井画)システィーナ礼拝堂。ローマ教皇を選ぶときに使われる場所。現在も同じ。
『ダヴィデ像』
レオナルド=ダ=ヴィンチ(1452~1519)『最後の晩餐』『モナ=リザ』彫刻・建築も。万能の天才。
ラファエロ(1483~1520)多くの『聖母子像』マリアとイエス、『アテネの学堂』(ヴァチカン宮殿)

 

ポイント②教皇だってオシャレに暮らしたい?
ローマ教皇がおこなった文化活動の保護

建築(ルネサンス様式
サン=ピエトロ大聖堂(ヴァチカン市国)
カトリックの主聖堂。
教皇レオ10世が資金調達のために贖宥状の販売を許可。
ブラマンテ・・最初の設計者

サンタ・マリア大聖堂(フィレンツェ)
ブルネレスキ・・赤レンガのドームを設計。

 


(3)ヨーロッパに拡大するルネサンス
ポイント①ルネサンスが西ヨーロッパに拡大する
宗教改革につながる重要な思想

北方ルネサンス(ネーデルラント)=現オランダ・ベルギー・ルクセンブルク(ベネルクス3国)
エラスムス愚神礼賛(ぐしんらいさん)』
16C最大の人文主義者。
カトリック教会、聖職者、王の腐敗を批判→宗教改革につながる。ルターも影響を受けた。

・ファン・アイク兄弟:油絵の技法の改良
ブリューゲル『農民の踊り』当時の様子が分かる

北方ルネサンス(ドイツ)神聖ローマ帝国
デューラー宗教画『四人の使徒』
ホルバイン肖像画。『エラスムス像』。個人の絵、一般市民を描くのは珍しかった。『ヘンリ8世像』

北方ルネサンス(フランス)
ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』
巨人の親子を題材におかしく仏社会を風刺。
モンテーニュ『エセー』(『随想録』)

北方ルネサンス(スペイン)
セルバンテス『ドン=キホーテ』・・近代小説。時代錯誤の騎士。

北方ルネサンス(イギリス)
チョーサー『カンタベリ物語』・・社会風刺
トマス=モア『ユートピア』・・架空の理想社会。(エラスムスと友人。ヘンリ8世に処刑される)
シェイクスピア『ハムレット』『リア王』『マクベス』『オセロー』四大悲劇。

 

ポイント②ルネサンスは発明の時代
個人の能力が尊重される時代

ルネサンス三大発明(14C以降)
(ホントは「改良」。もとは中国・宋代に「発明」されている。)
火薬・・鉄砲の発明。騎士の没落。
羅針盤・・方位。コンパス。遠洋航海術を前進。
活版印刷・・活字を組み合わせて原板を作る印刷方法。グーテンベルク(独)

天文学
・天動説・・地球が中心。中世キリスト教世界で支持。(ローマ文化で出てきた。プトレマイオス。)

地動説・・太陽が中心。地球が回る。(ギリシア・ヘレニズム文化ではすでにあった。アリスタルコス)
↓↓
コペルニクス(ポーランド)・・地動説『天球回転論』。天体観測。教会を敵に回すのでずっと黙っていたが、最後に発表した。

ガリレオ・ガリレイ(イタリア)・・自作の望遠鏡で木星の衛星を観測。コペルニクスの地動説を擁護。「近代科学の父」

→宗教裁判で有罪になり撤回させられたが「それでも地球は回っている」(ラテン語で「Eppur si muove」)と言ったという逸話がある。

 


(4)大航海時代の幕開け
ポイント①なぜ海に出る?そしてなぜ海に出られる?
大航海時代の幕開けとなる要因を見る

〇大航海時代の要因

なぜ海に出たいのか
(要因1)
香辛料が欲しい!
胡椒(インド原産)・クローブ・ナツメグ
ヨーロッパでは手に入らないので、東方貿易(北イタリア商人)でヨーロッパに輸入されていた。
→しかし15C、オスマン帝国が地中海を占領し、東方貿易を阻害。香辛料が割高に・・。
→自分たちでインドへ行こう!

(要因2)
マルコ・ポーロ『世界の記述』ジパング伝説

なぜ海に出られたのか
(1)羅針盤、造船技術などの向上。ガレオン船。
(2)王権が強かった→航海にはリスクもあり資金が必要→国が負担。スポンサー。中央集権的な国、王の強い力で支援した。

ポイント②ポルトガルが目指すはインド!
インドへ向かうルートを模索

〇ポルトガルのインド航路開拓(15C)
ポルトガルが一番に乗り出した理由
・レコンキスタによって成立した国なので王権が強い
・さらにスペインより一足早くレコンキスタが終わっている。

ポルトガルの3人の航海士

「航海王子」エンリケ(15C)
船酔いで船に乗れず。支援する。
アフリカ最西端・ヴェルデ岬へ到達(1445)

バルトロメウ=ディアス
「嵐の岬」へ到達(1488)→喜望峰(アフリカ南端)

ヴァスコ=ダ=ガマ
アフリカ東岸のマリンディを経て、インド西南部(カリカット)へ到達(1498)

 

ポイント③インドのその先には何がある?

ポルトガルのアジア進出16C)
ゴアとマカオは20Cまでポルトガル領・・!

インドよりさらに東へ・・日本にまで!
・セイロン島(スリランカ)へ到達
・インド西岸ゴアを占領(1510~1961)(450年間)。「総督府」を建設。アジア貿易の拠点に。
マラッカ占領(マレー半島南部)
モルッカ諸島(マルク諸島・香料諸島)の占領。香辛料が取れる。

・ホルムズ島の制圧(1515)イスラーム商人の貿易ルートを遮断→後にオスマン帝国が奪還。

中国・マカオ中国から「居住権」を獲得。(1557~1999)
日本・種子島(鹿児島)へ来航(1543)・・鉄砲伝来
平戸(1550)(長崎)

 


(5)ヨーロッパ人の「新発見」
ポイント①コロンブスの挑戦!彼がたどり着いたのは・・

スペインはポルトガルとは別航路でアジアへ出発

コロンブス(1451~1506)(ジェノヴァ出身)
「ポルトガルと別のルートでインドを目指したい・・!」
・友人トスカネリの「地球球体説」を信奉
・スペイン女王イサベル(元カスティリャ王国)の支援。レコンキスタが終了(1492)
・サンサルバドル島へ到達(1492)ヨーロッパにとって新大陸。(現バハマ。西インド諸島と呼ばれる)

ポイント②次々と探検する航海士たち
新大陸の探検活動が活発に行われる
・カブラル(ポルトガル)・・ブラジルへ漂着
・アメリゴ・ヴェスプッチ(フィレンツェ)・・着いたのはアジアではなく「新大陸」であることを報告。
・バルボア・・パナマ地峡(中米)を横断。「南の海」(太平洋)へ到達。

世界周航(1519~1522)
マゼラン(マガリャンイス)
スペイン王カルロス1世(カール5世)の支援
↓↓
スペイン(セビリャ)→アメリカ大陸を南下。→マゼラン海峡を廻航。→太平洋を横断。
→フィリピンへ到達(1521)(マゼランはフィリピンで戦死)
→部下がインド・アフリカをまわってスペインに帰ってきた。→世界一周!

トルデシリャス条約(1494)
スペインとポルトガルの境界線を画定。ブラジルがポルトガル領となる。それ以外はスペイン領に。

ポイント③大航海時代は世界を変えた?
ヨーロッパ、アジア、アメリカの社会に大きな影響を与える

世界の一体化
商業革命
商品の産地・種類・量が地球規模に拡大。
商業中心は大西洋岸都市へと移動。(前は地中海・バルト海)
リスボン、アントウェルペンなど。

価格革命
アメリカ大陸からの大量のが流入。
ヨーロッパの銀価が下落→物価が急激に上昇。
↓↓
西ヨーロッパで商工業が発展。
固定地代としていた領主層の没落。

 


(6)古代アメリカの謎に迫る!
ポイント①古代アメリカには高度な文明が存在した?
ヨーロッパ人が訪れる前のアメリカ

先住民の暮らし
・インディオ(中南米)・インディアン(北米)
先住民
(コロンブスがインドとまちがえたから。)
現在では「ネイティブアメリカン」という

・農耕生活
トウモロコシ、ジャガイモ、トマト

・鉄がない
・牛・馬もいない
・車輪がない
重い荷物の運搬はどうやって?不明・・

メソアメリカ(中米)、アンデスアメリカ(南米)

〇メソアメリカ文明(中米文明)

オルメカ文明(B1200頃まで)
独特な巨石人頭像、神殿ピラミッド

マヤ文明(B1000~16C)
ユカタン半島
高度な文明。ピラミッド状神殿、マヤ文字、二十進法、暦の発達。

・テオティワカン文明(B1~6C)
「太陽のピラミッド」巨大な神殿。

アステカ王国(14~16C)メキシコ
(都:テノチティトラン(現メキシコシティ))
ピラミッド状神殿、象形文字の使用、太陽暦
↓↓
スペインのコルテスが滅ぼす

 

〇アンデス文明(南アメリカ文明)
インカ帝国(15~16C)ペルー
(都:クスコ。標高3400メートル。富士山級)
都市遺跡:マチュ=ピチュ
高度な石造建築、キープ(結縄・けつじょう)数字を表す
↓↓
スペインのピサロにより滅亡

 

ポイント②破壊・略奪!スペイン人の過酷な支配
アメリカ大陸の社会が大きく変わる・・

「征服者」コンキスタドール(コンキスタドレス)
スペインから来た中南米の国々(アステカ王国・インカ帝国)の征服者。

ポトシ銀山の発見(1545)→価格革命の原因
・現在のボリビア
・先住民を酷使して銀を採掘
→ヨーロッパに大量に輸出

エンコミエンダ制(16C)・・先住民をキリスト教化させることを条件に労働力として使役することを許可。→強制労働で酷使。

ラス=カサス『インディオの破壊についての簡潔な報告』
告発した(ドミニコ派修道士)

先住民の代わりに・・
↓↓
・黒人奴隷(アフリカ)の使用。労働力。

アシエンダ制(17~18C)
広大な土地で先住民や黒人奴隷を労働力に商品作物を栽培。

=プランテーション(大農園・大農場制度)
コーヒー、砂糖など

その後スペインは中南米からアジアへアクセス。。

アカプルコ貿易(ガレオン貿易)
・ガレオン船を使用。
・フィリピン・マニラの建設(1571)
中南米を経由してマニラに行き中国商人と取引をする。
(アフリカ南周りはポルトガルに抑えられてるので、スペインはそのルートしかない。)
スペイン~アカプルコ(メキシコ)~マニラ(フィリピン)

 


 

世界史タイトル一覧

トライ世界史【18】ルネサンスと大航海時代□⇒

 

 

 

アメリカ歴代大統領

アメリカ歴代大統領
初代 ワシントン
2代
3代 トマス=ジェファソン 独立宣言の起草
4代 マディソン
5代 モンロー モンロー主義

16代 リンカン(共和党)

25代 マッキンリー 米西戦争

【31】帝国主義の時代

世界史【31】帝国主義の時代


31ーキーワード
(英)ディズレーリ(保)。インド帝国。スエズ運河+キプロス島。
(仏)第三共和政。
(独)ビスマルク⇒皇帝ヴィルヘルム2世。3B政策。
(露)第1次ロシア革命⇒十月宣言(ウィッテ)⇒社会主義の政党。ボリシェヴィキ(レーニン)、 メンシェヴィキ。
(米)カリブ海政策。米西戦争(25代マッキンリー)。棍棒外交(26代S・ローズヴェルト)。宣教師外交(27代ウィルソン)


31ーガイダンス
・欧米各国で帝国主義(植民地獲得)、労働運動が起こる。
(理由)
・第2次産業革命(19C後)⇒英以外の欧米。重化学・石油・電力。生産増大。独占資本が銀行と結びつく。
・1870年代世界的不況。⇒植民地(市場、原料供給、資本輸出)を求めて帝国主義へ。
31ー1 帝国主義イギリス
31ー2 帝国主義フランス
31ー3 帝国主義ドイツ
31ー4 帝国主義ロシア
31ー5 帝国主義アメリカ


31ー1 帝国主義イギリス
①英の方向転換
首相ディズレーリ(保守党)
自由貿易から⇒帝国主義(植民地獲得)へ方向転換。

インドへの道を確保(エジプトルートと南アフリカルート)
スエズ運河株式買収、インド帝国の完成
・ベルリン会議への参加
キプロス島の統治権を獲得。=スエズ運河の真上の島。

植民地相:ジョゼフ=チェンバレン(保守党)
南アフリカ戦争。英の支配下においた。

・対外政策にお金を費やしたい。国内にお金を使いたくない・・。
↓↓
自由党内閣の時
・議会法の制定
上院・下院のうち、下院(一般市民の代表者)の優位を確立。

・アイルランド自治法
WW1で延期⇒イースター蜂起(シン・フェイン党も参加)

・自治領(白人が支配層の地域)を形成していく
カナダ⇒オーストラリア⇒NZ⇒南アフリカ

②英・労働運動
英・社会主義運動の高まり
フェビアン協会
知識人中心。ウェッブ夫妻。劇作家バーナード=ショー。
改良主義的。ゆっくりでいいから改善。
↓↓
・労働代表委員会
選挙で議席数を獲得するまでに。
↓↓
労働党(現在まで続く)
合法的。穏健。議会を通じて社会改革をめざす改良主義。民主的な手段。


31ー2 帝国主義フランス
①仏・第三共和政の混乱

・第三共和政(1870/71~1940)

二月革命(1848)の結果、王様がいなくなった。=第二共和政になった。男性普通選挙の実現。
↓↓
ナポレオン3世の第二帝政でまとまる。普仏戦争で捕虜に。
↓↓
第三共和政ができるが混乱。

ブーランジェ事件
陸相ブーランジェ。反議会主義的運動。

ドレフュス事件
ユダヤ系将校ドレフュスがスパイ容疑で逮捕。⇒冤罪だった。仏軍部が隠蔽。反ユダヤ感情をあおる。⇒国内世論が批判。エミール・ゾラ『私は弾劾する』⇒ドレフュスは無罪に。釈放。
↓↓
シオニズム
ユダヤ人国家を設立しようとする運動。

②仏・労働運動
社会主義運動。

サンディカリズム
議会の否定。英のような議会ではなく、労働者による直接行動主義。(フランス革命のように自由平等は自分たちで勝ち取るんだ。)

↑↑(対立)
フランス社会党(統一社会党 / 社会党)
議会を重視。社会主義派が結成。

 


31ー3帝国主義ドイツ

①ビスマルクの辞職
皇帝:ヴィルヘルム1世(ビスマルクが仕えていた)⇒フリードリヒ(病気で100日で交代)⇒ヴィルヘルム2世

皇帝ヴィルヘルム2世⇒独も植民地を求めて外に出るべき。
・ビスマルク⇒外交でやっと収めたのに。反対。
意見衝突。⇒ビスマルク辞職(1890)

<ヴィルヘルム2世の対外政策>
海軍の大拡張「ドイツの将来は海上にあり」⇒英と対立。

パン=ゲルマン主義
パン=「広げる」の意味。ゲルマン人(ドイツ系民族)(オーストリア)との連携。⇒ロシアと対立。
バルカン半島→小アジア→ペルシア湾へ。独から東南方向。

独・3B政策(さんびーせいさく)
ベルリン、ビザンティウム、バグダードを接続する。
バグダード鉄道の建設を考えた。⇒もし実現すれば海で英と対立。また、バルカン半島を狙うロシアとも対立する・・。

(cf英・3C政策。ケープタウン、カイロ、カルカッタ)

②独の労働運動

世界初の社会主義
ドイツ社会主義労働者党

社会主義者鎮圧法
ビスマルクは警戒し、この労働者党を非合法化した。せっかく統一したドイツが資本家と労働者に分裂するのを避けたかったから。⇒国が守ると主張。

ビスマルク退陣
↓↓
ドイツ社会民主党
「復活のチャンスだ!」名前をこれに変える。マルクス主義理論を採用。暴力革命。

徐々にこちらへ
↓↓
修正主義
ベルンシュタイン。議会を通じて社会主義化を提唱。改良主義。
(英の労働運動を参考にした。)

 


31ー4 帝国主義ロシア
①近代化で生まれた社会のひずみ
ロマノフ朝(皇帝独裁政治)
穀物を輸出して産業革命したい。
⇒仏資本の導入。露仏同盟(1891)
⇒産業革命の本格化
↓↓
シベリア鉄道(1891)
中国方面に進出したい。全長9300㎞。
(ウラジオストク(東)からモスクワ(西)まで)
ペテルブルグ(西端)

中国東北をめぐって日本と衝突。⇒日露戦争(1904)

血の日曜日事件(1905)
戦争反対の市民デモ。軍隊が発砲。ニコライ2世。
↓↓
第1次ロシア革命(1905)
労働者中心に暴動・スト。
↓↓
都のペテルブルグで、ソヴィエト(評議会)が成立=各地の工場の代表者会議。
↓↓
戦争終結
・ポーツマス条約(1905)

戦争は終わったが革命は終わらない。

・「十月宣言」(革命を終わらせる)
首相:ウィッテ
(民主的な、自由主義的な改革を行う)
・ドゥーマ
(国会)を開設。
・憲法制定。⇒立憲民主党の結成。(お金をもっている人たち)

改革が落ち着くとウィッテは首になった。
↓↓
ストルイピンの改革
ドゥーマ(国会)を解散。
ミール(農村共同体)を解体。⇒国内は混乱。

②ロシアの労働運動

ロシア社会民主労働党
2つの社会主義政党に分裂(この2つは労働者を代表)
↓↓
1. ボリシェヴィキ(指導者:レーニン)プレハーノフ
革命家による武装革命。(少数で一気に壊す。)

2. メンシェヴィキ
ブルジョワ民主主義革命。(多数でゆっくりで革命する。)

社会革命党
ナロードニキの流れをくむ。こちらは農民を代表。


31ー5 帝国主義アメリカ
①世界第一位の工業生産数
1890年代。米が世界No1に。
一部の富裕層が独占。
↓↓
カリブ海政策(20C初)
米がいよいよ外へ出ていく。
↓↓
・第1回パン=アメリカ会議
「アメリカの製品を買いなさい」。中南米(ラテンアメリカ)の国々に指導。

革新主義
米国内では政治経済の独占を規制。経済自由化。

・フロンティアの消滅(1890)
白人入植者が全域に広がった。

ーーーーーーーーーー

カリブ海政策
二人の大統領が推進。マッキンリーとS・ローズヴェルト。

25代・マッキンリー大統領(任1897~1901)

キューバ独立運動1895
キューバはスペインから独立を試みる。
↓↓
そんなときハバナ湾で米艦隊メイン号が撃沈。米はスペインのしわざとしてスペインに戦争をしかける。
↓↓
アメリカ=スペイン(米西)戦争(1898)
カリブ海へ進出。中南米に影響力のあったスペインと戦う。
〇米 VS 西✕
↓↓
米はフィリピン、グアム、プレルトリコという西の植民地を獲得。
キューバを独立させて保護国化。
↓↓
さらに太平洋へも進出。
ハワイ併合(1898)
(※米西戦争の結果ではなく単独で。)

門戸開放宣言(1899)
国務長官 ジョン=ヘイ
中国市場進出をも狙う。門戸開放、機会均等、領土保全。

ーーーーーーーーーー

26代・セオドア・ローズヴェルト大統領(任1901~09)

「カリブ海政策」を引き続き推進。

・「棍棒外交」(20C初)
口調は穏やかに、棍棒をたずさえて話す。(威嚇)
↓↓(例)
無理やりパナマをコロンビアから分離・独立
↓↓
パナマ運河の建設(1904~1914)
中米と南米の間。カリブ海と太平洋を接続。

ーーーーーーーーーー

③ウィルソン大統領時代の変化

28代・ウッドロー=ウィルソン大統領
・米国内「新しい自由」
弱者救済。

・対外「宣教師外交
「アメリカと同じ民主政治をすればアメリカと同等に発展できるよ」
米風の政治を世界に伝える。それが米国の義務。
現在でも米は独裁政治を嫌う。世界へ干渉する口実。

 


・【32】世界分割と列強の対立
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世界史タイトル一覧


<参考動画>
【トライイット公式】
・高校世界史B(映像授業)【31】□⇒
高校世界史B【タイトル一覧】□⇒