アメリカ – 歴史note

【46】経済危機と冷戦の終結

【46】経済危機と冷戦の終結
(1)世界的な経済危機
(2)ソ連の動向と冷戦の終結
(3)ソ連の崩壊と東欧諸国の民主化
(4)アメリカの動向
(5)西ヨーロッパ諸国


(1)世界的な経済危機
ポイント①国際経済体制の行き詰まり
アメリカ中心の経済はもう限界

<1970年代の経済的な危機>
ドル危機(ドル=ショック)(1971)
アメリカが金とドルの交換を停止
→ブレトン・ウッズ国際経済体制の崩壊

・第1次石油危機(オイルショック)(第4次中東戦争)

サミット(先進国首脳会議)の開催
欧米諸国が強力して世界の経済問題に対処するために協議

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②経済危機に立ち向かえ!アメリカ大統領の奮闘
ニクソン・カーター・レーガンの政治

トルーマン→アイゼンハワー→ケネディ→ジョンソン→ニクソン→フォード→カーター→レーガン→ブッシュ(父)

ニクソン大統領(任1969~1974)>共和党
・ドル=ショック(1971)
ウォーターゲート事件
民主党の事務所に盗聴器の設置を指示
→ニクソン辞任(1974)

カーター大統領(任1977~1981)>
・「人権外交」
・米中国交正常化
ソ連、アフガニスタンに軍事介入
→また米ソが対立
・第2次石油危機

レーガン大統領(任1981~1989)>
・「強いアメリカ」軍備拡張
新自由主義の提唱
「小さな政府」を目指す(=国家がお金を使わない)
国内改革と財政の再建
「もう1回経済はほったらかしにしよう」

経済摩擦(貿易摩擦)
日米間の貿易問題

「双子の赤字」
財政赤字と貿易赤字
(貯金もない、収入もない)

プラザ合意
ドル安政策を進める


(2)ソ連の動向と冷戦の終結
ポイント①ソ連の「新思考外交」
方針を転換するソ連の思惑

スターリン→フルシチョフ→ブレジネフ→2人→
ゴルバチョフ書記長(任1985~1991)>
(国内)
ペレストロイカ(改革)
ソ連の自由化、民主化

チェルノブイリ原子力発電所事故
(1986 ウクライナ)
↓↓
グラスノスチ(情報公開)

(外交)
「新思考外交」
平和に歩みよる。
・中距離核戦力(INF)全廃条約
・アフガニスタン撤退
・中ソ国交正常化

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ポイント②冷戦の終結
歩み寄る米ソ両首脳

カーター→レーガン→
ブッシュ(父)大統領(任1989~1993)>
マルタ会談(1989)
地中海マルタ島
ソ連のゴルバチョフ書記長と共に冷戦の終結を宣言
↓↓
・第1次戦略兵器削減条約(START I)
(今までは「制限」だった。今後は減らしていく)


(3)ソ連の崩壊と東欧諸国の民主化
ポイント①ソ連の崩壊
現在のロシア連邦が成立する

<ゴルバチョフ大統領(任1990~1991)>
・コメコン解消、ワルシャワ条約機構解消
・保守派クーデタ→失敗
ソ連共産党解散
・バルト3国独立回復
↓↓
独立国家共同体(CIS)の成立(1991)
安全保障・経済・文化などの面で旧ソ連各国の協力体制を目指す
ソビエト政府・・強い締め付けで各国を一つに束ねていた
CIS・・緩やかな連合で、それぞれが協力していく

ゴルバチョフ大統領辞任→ソ連消滅(1991)

ロシア連邦>(1991)
エリツィン大統領(任1991~1999)
チェチェン紛争の激化
(ロシア連邦からの独立をめざすイスラーム国家。チェチェン共和国)

プーチン大統領(任2000~2008)
チェチェン紛争の再激化。軍事で弾圧。

メドヴェージェフ大統領(任2008~2012)
プーチン大統領(任2012~現在)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②東欧諸国の民主化
共産党一党体制が崩壊していく・・

ゴルバチョフ発言「ソ連は他の国に干渉しない」
ルーマニア、ポーランドで民主化があってもソ連は手を出さない
↓↓
東欧革命・・民主化

東欧社会主義圏の消滅(1989)>
ポーランド自主管理労組「連帯」
指導者:ワレサ(→後に大統領に)
東欧諸国初の自由選挙で「連帯」が政権を獲得

チャウシェスク処刑(ルーマニア独裁者)(1989)

ホネカー退陣(東ドイツ)
ベルリンの壁開放
東西ドイツ統一(1990)

==========
ユーゴスラヴィア内戦
(6つの共和国で構成)
[1]クロアティア(カトリック国)
[2]スロヴェニア(メラニア・トランプ夫人の出身地)(カトリック国)
[3]セルビア(ギリシア正教・中心的存在)
[4]モンテネグロ
[5]マケドニア
[6]ボスニア・ヘルツェゴビナ
6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字
ティトーがまとめていたが、没後、米ソ冷戦終結後、混乱。。

クロアティア、スロヴェニア両共和国、独立宣言(1991)

マケドニア独立宣言

ボスニア・ヘルツェゴビナ独立宣言(1992.3)

新ユーゴスラヴィア連邦成立
セルビア、モンテネグロのみ

ボスニア内戦(1992~1995)>
ボスニア・ヘルツェゴビナには、イスラーム教徒、クロアティア人、セルビア人の3つの民族が住む。
↓↓
ボスニアをめぐって、クロアティアとセルビアが武力干渉。
米が割って仲介に入る。

コソヴォ問題
セルビアのコソヴォ自治州でアルバニア系住民が独立運動
「自分たちはセルビア人じゃない。セルビアから独立したい」
↓↓
セルビアのミロシェヴィッチ大統領が弾圧。民族浄化。
↓↓
NATO軍、セルビア空爆(1999)

 


(4)アメリカの動向
ポイント①9.11の悲劇
「対テロ戦争」の始まり

ブッシュ(父)冷戦終結→
クリントン大統領(任1993~2001)>(民主党)

北米自由貿易協定(NAFTA)
アメリカ、カナダ、メキシコの3国で関税を引き下げ、自由貿易協定
→メキシコ農家が大ダメージ
→都市労働者が増え、賃金が下がる・・

インターネットを民間へ開放(1990年代)
元々、軍事機密だった。
↓↓
情報技術(IT)革命
コンピュータや携帯電話の発達。
→経済危機から一転、米の経済は、急成長

==========
クリントン→
ブッシュ(子)大統領(任2001~2009)>
同時多発テロ事件(2001/9/11)
アメリカ世界貿易センタービルに旅客機が追突
アメリカ国防総省ペンタゴンに旅客機が墜落
↓↓
「対テロ戦争」宣言の発表
アル=カーイダ(国際テロ組織)の犯行と断定
首班:ビン=ラーディン
↓↓
米軍、アフガニスタン攻撃。軍事侵攻
ターリバーン政権(イスラーム武装組織)が、アル・カーイダをかくまっている。
→ターリバーン政権が崩壊

米軍、イラク攻撃イラク戦争(2003))
サダム・フセインが大量破壊兵器を持っているとイラクへ侵攻

英・日は賛同、支援。
仏などは批判。ただの武力侵攻だ。

→フセイン政権の崩壊。
ブッシュ(子)は米の単独行動主義。
(ブッシュ(父)は湾岸戦争1991)

イラク復興支援特別措置法(2003)
小泉純一郎内閣
→自衛隊の海外派遣(イラクへ)
小泉・ブッシュ(子)は親友

2008年国際金融危機(リーマンショック)
世界的な大不況
G20(サミット)
金融に関する国際会議の開催

アフガン侵攻、イラクへの侵攻、さらにリーマンショックで、米は再び経済危機に・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②オバマ大統領の「核廃絶演説」
核兵器を使用した唯一の国、アメリカ

ブッシュ(子)→
オバマ大統領(任2009~2017)>
アメリカ初の黒人大統領

核兵器廃絶演説(at チェコ・プラハ)(2009)
同年、ノーベル平和賞を受賞

国連平和維持活動(PKO)非政府組織(NGO)
軍隊を紛争地域に突入させるのではなく、平和的に紛争の調停をする


(5)西ヨーロッパ諸国
ポイント①新たな経済政策へ・・・
イギリス、ドイツで起きた経済危機とは?

(イギリス)
アトリー内閣・社会福祉の充実→
サッチャー内閣(任1979~1991)>保守党
マーガレット・サッチャー
英初の女性首相
「イギリス病(慢性的な不況)」の克服を目指す

新自由主義(米・レーガンと同じ)
「小さな政府」をめざす
社会福祉の削減、国有企業の民営化、自由競争奨励

フォークランド戦争(1982)
アルゼンチン✕ VS 〇イギリス
英領のフォークランドを南米アルゼンチンが占領。
英は大軍を送り込み鎮圧。英勝利。
強硬外交

(ドイツ)
コール首相(任1982~1998)>西ドイツ→統一ドイツ
ベルリンの壁開放ドイツ統一

ドイツ連邦共和国(西独が東独を吸収する形)
首都:ベルリン

東西格差問題
→外国から安い労働力を入れて、ドイツの産業発展をめざしたが・・
↓↓
外国人労働者問題
トルコ人などの外国人労働者が多く流入
→国内のドイツ人失業者が増加
↓↓
ネオ・ナチの登場
外国人労働者を排斥

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②EUの発足
かつての社会主義諸国も参加

1967 ECの成立→1980年代 12カ国に拡大→
EU(ヨーロッパ連合)
マーストリヒト条約(オランダで締結)
欧州連合の推進を目的
経済・通貨・政治面で統合を進展
↓↓
ヨーロッパ連合(EU)の発足(1993)
本部:ブリュッセル(ベルギー)
(最寄駅は「シューマンステーション」(仏外相)「ヨーロッパは統合してくべきだ」)

ユーロの導入(統一通貨)
1999 銀行決済
2002 各国の通貨になる
→ドルに対抗する国際通貨に

・かつての東欧社会主義国も参加→20カ国に。
経済的のみ。政治的にはまだ。

 


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【43】第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り

【43】第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り
(1)非同盟主義の新興国
(2)アフリカ諸国の独立
(3)ラテンアメリカ諸国とキューバ革命
(4)米ソ両大国の動揺
(5)ヨーロッパにおける緊張緩和


(1)非同盟主義の新興国
ポイント①戦後の新興独立国がとった新路線とは?
アジア・アフリカの国々が結束して米ソに対抗

第三勢力
米ソ両陣営に入らず、積極的中立を主張した勢力
アジア・アフリカの新興諸国が中心

[1] ネルー・周恩来会談(1954)
平和五原則の発表

[2] アジア・アフリカ会議(バンドン会議・1955)
スカルノ大統領の提唱(インドネシア)
史上初のアジア・アフリカ首脳会議を主催
平和十原則

[3] 第1回 非同盟諸国首脳会議(1961)
開催地:ベオグラード(ユーゴスラヴィアの首都)
ティトー、ナセル、ネルーの呼びかけ
アジア・アフリカ・ラテンアメリカの非同盟国が参加

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②エジプトで高まるアラブ民族主義!
非同盟主義の象徴!その人物の名は・・

エジプト革命(1952)>
・自由将校団(改革派グループ) が国王を追放
王政→エジプト共和国の成立(1952)

ナセル大統領(任1956~1970)
「私は非同盟主義です。アメリカにもソ連にも強力しません」
近代化、国内改革
アスワン・ハイダム建設→資金問題の発生
・米英の融資
・ソ連からも融資
↓↓
米英からエジプトへの融資を白紙撤回される。
↓↓
スエズ運河の国有化
ダム建設に足りない資金をスエズ運河の通行料でまかなおうとした。
↓↓
スエズ戦争(第2次中東戦争)(1956)
エジプト〇 VS ✕英仏イスラエル
国連の介入
アラブ民族主義の中心的存在となる


(2)アフリカ諸国の独立
ポイント①20世紀はアフリカの世紀!
第二次世界大戦後、次々と独立を果たすアフリカ

リベリア共和国」のみ独立を維持。他は欧の植民地。
・北部:アラブ人(アラブ=アフリカ)
・南部(サハラ砂漠以南):黒人(ブラック=アフリカ)

[1]<アラブ=アフリカの独立>
(WW2中)
・エチオピア帝国の独立回復

(WW2後)
リビア独立(伊→英仏)
・スーダン独立(英)
・モロッコ独立(仏)
・チュニジア独立(仏)

・アルジェリア独立
アルジェリア戦争
石油が取れるので仏は独立を許したくない。
民族解放戦線〇 VS ✕仏(ド・ゴール)

[2]<ブラック=アフリカの独立>
ガーナ独立(1957)アフリカ中部
初代 エンクルマ大統領
「20世紀はアフリカの世紀」

・ギニア独立

「アフリカの年」(1960)・・17カ国の独立

アフリカ統一機構(OAU)の結成(Organization of African Unity)
(本部:アジスアベバ(エチオピア))
「パン=アフリカニズム」

<アフリカの年>
コンゴ独立
コンゴ動乱(1960)
カタンガ州の分離独立紛争。
豊富な資源を狙って、旧宗主国ベルギーが介入

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②アフリカが直面する問題
旧宗主国からの独立を果たすも・・

<発展途上国としての苦悩>
国連貿易開発会議(UNCTAD)の設立
貿易・援助を中心とした国際協力を推進

南北問題
先進国と発展途上国との経済格差

南南格差
「南」の中で生じた更なる経済格差
地下資源(石油、石炭)などが取れる地域との格差。


(3)ラテンアメリカ諸国とキューバ革命
ポイント①アメリカ大陸の支配者は合衆国!
ラテンアメリカ諸国に強く干渉する合衆国

アメリカ州機構(OAS)Organization of American States)
南北アメリカ21カ国による反共協力組織

反米的な政権の成立>
アルゼンチン
ペロン大統領:外国資本の国有化、初等教育拡大

ブラジル
ヴァルガス大統領:資源の国有化、労働者の保護

チリ
アジェンデ大統領(選挙による社会主義政権
ところが・・
→チリ軍部クーデタ(米CIAが裏で糸を引く)。アジェンデ死亡
→ピノチェト政権成立
親米軍事政権)

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ポイント②世界を震撼させた重大事件!
アメリカの「裏庭」で起きた革命とその後の様子

キューバ危機(1962)
バティスタ政権
米と結んだ親米独裁政権
↓↓
貧富の差が拡大
キューバ革命(1959)
指導者:カストロ、ゲバラ
バティスタ政権を倒す
↓↓
米、キューバと国交断絶
↓↓
キューバ社会主義宣言
ソ連に接近
ミサイル基地の建設
↓↓
米ケネディ大統領、海上封鎖
ソ連の船が入ってこれないように
↓↓
キューバ危機(1962)
フルシチョフ(ソ)VSケネディ大統領(米)
あわや核戦争・・!?
↓↓
ソ連が譲歩して平和的に解決


(4)米ソ両大国の動揺
ポイント①キューバ危機以降のアメリカ大統領の政策
ケネディとジョンソンの時代に起きた重大事件

33 トルーマン→34 アイゼンハワー→
<35代 ケネディ大統領(任1961~1963)
(米史上初・アイルランド系カトリック出身)

キューバ危機の翌年・・
部分的核実験停止(禁止)条約(PTBT)(1963)
米・英・ソ。大気圏内、宇宙空間、および水中での核兵器実験を禁止
(地下実験はできる)
→仏、中国は強い不快感

ニューフロンティア政策
国内政治の新たな方針。教育、高速道路、住宅建設、社会福祉などに政府が介入。

黒人解放運動(公民権運動)
指導者:キング牧師
(非暴力、不服従。ガンディーと同じ)
演説「私には夢がある」ワシントン大行進

ケネディ暗殺(1963)
at テキサス州ダラス
→副大統領のジョンソンが後を継ぐ

========
ジョンソン大統領(任1963~1969)>
「偉大な社会」計画
アメリカから差別と貧困をなくすことを提唱

・「公民権法」の制定
人種・宗教・性別・出身国などによる差別を禁止する法律
(※注:「公民権法」はケネディではなくジョンソンのとき)

しかし・・
ベトナム介入(1965)
=北ベトナム爆撃

ベトナム反戦運動の高揚→世界へ拡大
黒人解放運動とも合流

米は
・財政が圧迫(経済✕)
・国際的に孤立(外交✕)
・差別など国内問題も解決できていない(政治✕)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ソ連陣営はガタガタ!?
ソ連から離れていく東ヨーロッパの国々

スターリン→フルシチョフ→
ブレジネフ書記長(任1964~1982)>

フルシチョフ解任(失脚)
キューバ問題などで

(外交の軸がブレる)
軍縮の動き>米ソ
・核拡散防止条約(NPT)
・第1次戦略兵器制限交渉(SALT1)
・第2次戦略兵器制限交渉(SALT2)(1979)

ソ連軍、アフガニスタンへ軍事介入(1979)
アフガニスタンの社会主義政権を軍事介入で支援。
→米は猛反発。SALT2のサインを拒否。流れてしまう。

(周辺国の対ソ反発)
・アルバニアの対ソ断交・・ホジャ政権。
ルーマニアの対ソ独自外交・・チャウシェスク政権。ソ連と距離を置く。

チェコスロバキアの民主化運動
「プラハの春」(1968)
↓↓
共産党書記長:ドプチェク政権の誕生←ソ連の軍事介入で失敗。
チェコの民主化運動はつぶされる・・。


(5)ヨーロッパにおける緊張緩和
ポイント①西ドイツの平和的な外交
社会主義諸国との関係を次々と改善!奇跡の外交

(ドイツ連邦共和国(西ドイツ))
<初代 アデナウアー首相(任1949~1963)>反共
(政党名:キリスト教民主同盟)

西ドイツの経済復興
(米に次ぐ大国に。親米・反共)
・西ドイツの主権回復→再軍備→NATO加盟

ベルリンの壁の構築(1961)
東ドイツ政府が西ベルリンを遮断。
逃亡者が相次いだため。

=====
<2代 ブラント首相(任1969~1974)>平和外交
政党:ドイツ社会民主党

東方外交・・社会主義国との和解を促進

西ドイツとポーランドの国交を正常化
ワルシャワでの跪き(ひざまずき)。ホロコーストへの深い謝罪。「ドイツの謝罪」

・東西ドイツ基本条約・・双方の主権を承認
東西ドイツ、国連同時加盟

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②欧州各地で進む民主化
独裁体制から民主政治へと歩む欧州の小さな国々

(スペイン)
・軍人フランコ(ファシズム)死亡(1975)
スペイン内戦でアサーニャ人民戦線内閣を破った
↓↓
スペイン王政復活(ブルボン朝)
国民投票で新憲法を制定。王政でも民主化が進む。
(現在もスペインはブルボン王家の王がいる。)

======
(ポルトガル)
・ポルトガル民主化「リスボンの春」
独裁者死亡→軍部による無血クーデタ→民政へ・・

======
(ギリシア)
・WW2後、王政の復古
→軍部クーデタで王政廃止。軍部独裁政権が発足(1967)
↓↓
ギリシア民主制復帰(1974)

 


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【41】米ソ冷戦の時代

【41】米ソ冷戦の時代
(1)第二次世界大戦後のヨーロッパ世界
(2)冷戦の始まり
(3)米ソ両陣営の軍事ブロック
(4)中国と朝鮮半島の行方
(5)東南アジア諸地域の独立
(6)南アジア・西アジアの独立


(1)第二次世界大戦後のヨーロッパ世界
ポイント①西ヨーロッパ世界の動向
世界大戦の痛手から復興を目指す

<イギリス>
チャーチル
アトリー内閣(任1945~1951)労働党
・重要産業国有化(イングランド銀行、石炭など)
・社会福祉制度の充実
「ゆりかごから墓場まで」

・エール、イギリス連邦離脱
アイルランドと改称

<フランス>
第四共和政(1946~1958)
議会制内閣を採用
フランス共産党が勢力拡大

<イタリア>
王政廃止
国民投票で王政が廃止され、共和政へ

イタリア共産党
西欧最大の共産党

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②東ヨーロッパ世界には大きな変化が!?
忍び寄るソ連の影響力

<東欧>
ソ連のおかげでナチスを追い出せた。なのでソ連の影響を受ける。ソ連の衛星国に。(言いなりに)
↓↓
人民民主主義
・ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア
・ユーゴスラヴィア
指導者:ティトー(自力でナチスを追い出した。ソ連とは距離を置く)

「鉄のカーテン」演説>
英・元首相チャーチル
シュテッティン(バルト海)からトリエステ(アドリア海)まで
→ソ連の「鉄のカーテン」


(2)冷戦の始まり
ポイント①アメリカの対ソ封じ込め政策とは?
ソ連の影響力拡大を防げ

(政治対立)
<資本主義陣営(アメリカ中心)>
封じ込め政策
トルーマン=ドクトリン(トルーマン宣言)
ギリシア、トルコを援助
両国の共産主義化を阻止

↓↓ 具体的なプラン

マーシャル・プラン(ヨーロッパ経済復興援助計画)
国務長官:マーシャル
全ヨーロッパ対象の経済援助を表明。

<社会主義陣営(ソ連中心)>
コミンフォルム(共産党情報局)の発足
ソ連がリーダー。東欧7カ国+伊仏の共産党。
他国に指示を出す。
途中、ユーゴスラヴィアを除名

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②資本主義陣営に衝撃がはしる!
共産党クーデタが発生

<資本主義陣営の動揺>
チェコスロバキア=クーデタ
共産党クーデタで当時の大統領が辞任
資本主義国→共産党政権が発足
(ナチスからチェコを解放したのはソ連だったため。)
↓↓
西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)
英・仏・ベネルクス3国(オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)の5カ国の軍事同盟


(3)米ソ両陣営の軍事ブロック
ポイント①ドイツをめぐるトラブルの発生!
東西ドイツへの分裂は回避不可能!

<東西ドイツの対立>
・西側管理地区・通貨改革(米英仏)
独立の準備を始める(ソ連に無断)
→ソ連がベルリン封鎖
西ベルリンへの交通を封鎖
↓↓
米は1年間、空輸で物資を運ぶ
↓↓
ベルリン封鎖解除。東西ドイツ、それぞれ独立。

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)
首相:アデナウアー(任1949~)
奇跡の経済復興

ドイツ民主共和国(東ドイツ)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②米ソ両陣営の経済・軍事同盟の成立
ますます対立を深める米ソ両陣営の行方・・

<東西両陣営の対立>
(経済対立)
ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)(資本主義)
マーシャル・プランの受け入れ機関
VS
コメコン(経済相互援助会議、COMECON)(社会主義)
ソ連と東欧6カ国
======
(軍事対立)
北大西洋条約機構(NATO)
アメリカ中心に12カ国加盟
西ドイツ再軍備→NATOに加盟
VS
ワルシャワ条約機構
ソ連の核実験成功。アメリカに次ぐ2番目の核保有国に。
ソ連中心の軍事同盟。NATOに対抗。


(4)中国と朝鮮半島の行方
ポイント①国民党vs共産党
第二次世界大戦後、中国を支配するのはどっち?

<内戦(国共内戦)>
中国共産党
指導者:毛沢東
地主の土地所有を廃止
→農民からの指示拡大
VS
中国国民党
指導者:蒋介石
→国共内戦に敗北
中華民国政府を台湾へうつす

中華人民共和国の成立(1949)
首都:北京
国家主席:毛沢東(任1949~1959)
(中国共産党・党首)
首相:周恩来(任1949~1976)

中ソ友好同盟相互援助条約(1950)
軍事、経済の同盟

・中華人民共和国の承認
建国直後にソ連、東欧、インドが承認

・土地改革
大地主から土地を没収→農民に分配

第1次五カ年計画(1953~1957)
ソ連の援助。
重工業の優先、農業の集団化

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②朝鮮半島の分断化
現在まで続く南北戦争の分断の原因とは?

日本の敗戦。朝鮮から撤退。
↓↓
米ソの分割占領
北緯38度線
大韓民国(韓国)
首都:ソウル
初代大統領:李承晩(りしょうばん/イ・スンマン)

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
首都:ピョンヤン
初代首相:金日成(きんにちせい/キム・イルソン)


(5)東南アジア諸地域の独立
ポイント①ベトナムの独立を認めないフランス!
インドシナ戦争の勃発とその後の展開

<戦後のベトナム>
・ベトナム独立同盟(ベトミン)
指導者:ホーチミン(社会主義
↓↓
ベトナム民主共和国の成立
ホーチミン
↓↓
仏は認めない。日本撤退後は仏が再度支配する。軍事侵攻。
↓↓
インドシナ戦争(1946~1954)>
仏✕ VS 〇ベトナム
ベトナム国の成立(南ベトナム・仏の傀儡国家)
首都:サイゴン
主席:バオダイ

ディエンビエンフーで仏軍が大敗
ジュネーヴ会議(1954)
ジュネーヴ休戦協定・・北緯17度線を暫定的な軍事境界線
↓↓
慌てたのはアメリカ。。このままでは社会主義になる・・。
東南アジア条約機構(SEATO)の結成
反共軍事同盟

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ベトナム以外の東南アジアの独立
旧宗主国からの独立を達成!

<東南アジアの諸島部>
インドネシア共和国独立
首都:ジャカルタ
初代大統領:スカルノ大統領(任1945~1967)
インドネシア国民党

フィリピン共和国独立
首都:マニラ

<東南アジアの大陸部>(から独立)
インドシナ戦争で仏が負けて出ていった
↓↓
カンボジア独立
首都:プノンペン

ラオス独立
首都:ビエンチャン

<東南アジアの大陸部>(から独立)
マラヤ連邦独立
ビルマ独立


(6)南アジア・西アジアの独立
ポイント①インドの独立達成!
統一インドを主張し続けたガンディーは・・

インド独立>(1947)
・インド連邦→インド共和国
首相:ネルー(国民会議派)(任1947~1964)

パキスタン共和国独立 イスラム教徒
総督:ジンナー(任1947~1948)
(全インド=ムスリム連盟)
(※パキスタンは東・西に飛び地だった。東パキスタン→後のバングラデシュに)

スリランカ(セイロン)独立

第1次インド=パキスタン戦争(1947~1949)
カシミール帰属問題(インド北)
住民はイスラーム教徒。王はヒンドゥー教徒。

ガンディー暗殺(1948)
戦争をやめるように訴えた。
同じヒンドゥー教徒に弱腰だと言われ、暗殺される・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②西アジア諸地域の動き
戦後も欧米諸国の思惑に振り回される中東

<イラン>
WW2中、王朝パフレヴィー朝は英米にすりよる外交。(親米・親英)
石油を英米に安く渡していた。
↓↓
WW2が終わると
・首相:モサデグ(任1951~1953)
石油を国有化=資源ナショナリズム
「石油はイランのものだ!」
→英の石油会社の施設を接収
→国王派のクーデタで失脚
↓↓
国王パフレヴィー2世
「上からの近代化」を推進(英・米の支援
貧富の差が拡大

======
パレスチナ>(国ではなく地域)
アラブ人(多)、ユダヤ人(少)が住む。
英が委任統治していたが放棄
↓↓
アラブ諸国連盟の結成
アラブ連盟
↓↓
パレスチナ分割案が国連総会で可決
パレスチナをユダヤ人地域とアラブ人地域に分割。
面積は半分ずつ。ユダヤに有利に。
↓↓
イスラエル建国(ユダヤ人国家)(1948)
↓↓
アラブ人が不満。
・パレスチナ戦争(第1次中東戦争)(1948~1949)
イスラエル+米〇 VS ✕アラブ諸国連盟
↓↓
100万人のパレスチナ難民
(→イスラエルに追い出されたアラブ人)

 


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【40】第二次世界大戦と戦後秩序の形成

【40】第二次世界大戦と戦後秩序の形成
(1)ドイツとソ連の猛進撃
(2)ヨーロッパ戦線の終結へ
(3)アジア・太平洋戦線
(4)日本支配への抵抗と日本の敗北
(5)敗戦国の処理
(6)国際連合の設立と戦後経済の再建


(1)ドイツとソ連の猛進撃
ポイント①ドイツのヨーロッパ進撃!
ヨーロッパを席巻するドイツの「電撃戦」とは?

<ドイツの進撃>
・ポーランド侵攻(1939.9.1)
第二次世界大戦の開始
強制収容所の建設 アウシュヴィッツ
デンマーク・ノルウェーに侵入
オランダ・ベルギーに侵入
=イギリスを牽制しながらフランスへ進む。

電撃戦・・首都までの道を空爆。兵隊をトラックで首都まで運んで都を占領。

(英)
弱腰のネヴィル・チェンバレンから→チャーチルへ
チャーチル挙国一致内閣

(伊)
・イタリア参戦

(仏)
<パリ占領(フランス降伏)>
ヴィシー政府
南仏・首班ペタン
対独協力政権
VS
自由フランス政府
ロンドンに亡命。軍人ド=ゴール
レジスタンス(抵抗)運動を指導

(米)
・アメリカの軍事支援
武器貸与法・・孤立したを支援

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ソ連も攻める!社会主義圏の拡大へ!
国際連盟はソ連の暴走を止められず・・

<ソ連の進撃>
ポーランド侵攻
バルト3国へ侵攻→後に併合
・ソ連=フィンランド戦争(冬戦争)
→国際連盟、ソ連を除名(それでもソ連は止まらず)


(2)ヨーロッパ戦線の終結へ
ポイント①戦局が大きく変わった!?独ソ戦争の開始!
独ソの対立でヨーロッパ戦線の流れがかわる

独ソがバルカン半島を取り合う

<ドイツのバルカン制圧(1941)>
・ドイツ軍がユーゴスラヴィア・ギリシアを占領
ティトー(共産主義)、独の支配に対してパルチザン闘争(ゲリラ戦)

<ドイツ VS ソ連>
日ソ中立条約(1941)ソ連は後ろを守る

独ソ戦争の開始(仲間割れ)
独ソ不可侵条約は破棄。
ドイツは電撃作戦を実行。
→当初は戦局有利

大西洋上会談(米英首脳会談)(1941)
米フランクリン・ローズヴェルトと英チャーチル
大西洋憲章

独伊、対米宣戦

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②連合国の反撃!ドイツの降伏!
ファシズム VS 反ファシズムへ

米軍も動き始めた
<伊・独の苦戦>
・連合軍、北アフリカ上陸
スターリングラードの戦い(1942)(ソ連内)
独✕ VS 〇ソ連
これ以降ドイツは劣勢に・・

<イタリアの降伏>
・連合軍、シチリア島上陸
イタリア新政府、無条件降伏(1943.9.8)

テヘラン会談(1943.11)
米・英・ソ
対ドイツ戦の基本方針

<ドイツの降伏>
・ソ連軍、東欧に侵攻

ノルマンディー上陸作戦(北仏に連合軍が上陸)
最高司令官:アイゼンハワー

・パリ解放
ドイツ軍撤退

ヤルタ会談(1945.2)(ウクライナ・クリミア半島)
米・英・ソ
対ドイツ戦後処理を協議:ヤルタ協定

ベルリン陥落
ドイツ無条件降伏(1945.5.7)


(3)アジア・太平洋戦線
ポイント①日本の東南アジア進出!
日本は欧米諸国の対中国支援を断ち切ろうと・・

<日中戦争(1937~1945)>
蒋介石 重慶政府
VS
日本(汪兆銘) 南京国民政府

欧米が東南アジアから中国を支援

「大東亜共栄圏」
日本を盟主とする東アジアのブロック構想

・北部フランス領インドシナ進駐

日独伊三国軍事同盟(1940.9)

日米交渉
米は一方的。中国からの日本軍の撤退、三国同盟からの撤退が議題。

日ソ中立条約(1941.4)北の防衛に成功

・南部フランス領インドシナ進駐

→米、対日石油禁輸策で対抗=ABCDライン
(Aアメリカ、Bイギリス、C中国、Dオランダ)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ついにアメリカが動いた!日米の開戦!
連合軍と枢軸国の対決へ

太平洋戦争(1941~1945)

真珠湾奇襲(1941.12.8)
→独・伊の対米宣戦

連合国 米・英・仏・ソ・中(反ファシズム)
VS
枢軸国 日・独・伊(ファシズム)

日本は石油を探す・・
・フィリピン占領
・マレー・シンガポール占領
・ジャワ・スマトラ占領
・ビルマ(ミャンマー)占領
現地の資源、労働力を使う。


(4)日本支配への抵抗と日本の敗北
ポイント①日本よ、出ていけ!
アジア諸地域で日本支配に抵抗する動きが活発に

<日本の植民地支配>
皇民化政策(日中戦争開始以降)朝鮮にて
神社参拝、日本語強制、創氏改名

朝鮮人の強制連行(太平洋戦争開始以降)

<日本支配への抵抗運動>
<中国・朝鮮>
(中国)・・共産党軍と国民党軍の合流
(朝鮮)・・金日成(きんにちせい/キムイルソン)(朝鮮共産党)の抵抗運動

<東南アジア>
・ベトナム独立同盟(ベトミン)
指導者:ホーチミン

・ミャンマー
アウン・サン
日本支配に抵抗

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②タイムリミットは8月7日…
戦後処理をめぐって焦るアメリカの思いとは?

<日本の劣勢>
ミッドウェー海戦(1942.6.5~6.7)
日本✕ VS 〇アメリカ
日本の主力部隊が敗れる。ここから日本は劣勢に・・

・日本、ガダルカナル島より撤退

カイロ会談(1943.11)
米・英・中
対日本戦の基本方針を決定:カイロ宣言

・米軍、日本本土空襲
・米軍、沖縄本島上陸

ポツダム会談(1945.7)
トルーマン(米)、チャーチル(→アトリー)(英)、スターリン(ソ)

Fローズヴェルトはヤルタ会談まで。→このとき米ソは密約。「独が降伏した後、3カ月たっても日本が降伏しない場合、日ソ中立条約を破棄して、ソ連も入ってきてくれ。」と。
→しかしトルーマンは戦後の日本を米だけで占領したかったので、ソ連が入ってくる期限の8/7までに戦争を終わらせたかった

戦後のドイツと日本の処理を協議
ポツダム宣言:日本に対し無条件降伏を勧告

・アメリカ、広島に原爆投下(1945.8.6)
・ソ連、対日宣戦(1945.8.8)
・米、長崎に原爆投下(1945.8.9)
(→5年間で30万人以上の人が亡くなる・・)
日本無条件降伏(1945.8.15)
第二次世界大戦の集結


(5)敗戦国の処理
ポイント①ヨーロッパの戦後処理
ドイツは徹底して戦勝国が管理するシステムへ

<ドイツの戦後処理>厳重に管理
ニュルンベルク裁判
・ドイツ4カ国分割占領(分割管理)
西側管理地区:米・英・仏
東側管理地区:ソ連
・ベルリン分割管理

<その他の戦後処理>
・オーストリア
4カ国共同管理・・米・英・仏・ソ
オーストリア国家条約・・主権回復(永世中立国になる)

・パリ講和条約(1947)
伊、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランド
領土変更や賠償金などを規定

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②日本の戦後処理
ドイツとは違ってアメリカが単独で管理

<日本の戦後処理>
東京裁判(極東国際軍事裁判)
・連合国軍総司令部(GHQ)
マッカーサー元帥
日本政府を通して日本国民を間接的に支配。
(米単独支配→アジアの反共の防壁にしたかった。)

・日本の非軍事化と民主化
軍隊の解散、農地改革、財閥解体など

日本国憲法の発布
(公布)1946年11月3日
(施行)1947年5月3日(→憲法記念日に)

・サンフランシスコ講和会議
日本と連合国との講和条約討論
↓↓
サンフランシスコ平和(講和)条約(1952)
日本、主権を回復

 


(6)国際連合の設立と戦後経済の再建
ポイント①世界大戦を防ぐための、新たな組織
国際連盟の失敗をいかした集団安全保障体制

<戦後の国際平和構想>
・ダンバートン=オークス会議
米英ソ中の代表により「国際連合憲章」の原案が作成

・ヤルタ会談
常任理事国に拒否権を付与
↓↓
サンフランシスコ会議(1945)
(※「サンフランシスコ講和会議」とは別物。→これは日本の主権回復の話)
国際連合憲章の発表→国際連合の創設

国際連合(国連)本部:ニューヨーク>
・総会:加盟各国1票の投票権をもつ多数決制
緊急時は・・
↓↓
安全保障理事会(安保理)
常任理事国(米英仏ソ中)拒否権を有する

<付属機関>
・経済社会理事会
・国際労働機関(ILO)
・国際司法裁判所
・ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)UNESCO
・世界保健機関(WHO)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②戦後の経済秩序の再建!
アメリカが中心となって世界経済の再建を試みる

第二次世界大戦の原因は「世界恐慌」による経済困窮。

ブレトン=ウッズ国際経済体制>米中心の経済体制
ブレトン=ウッズ会議
・国際通貨基金(IMF)=緊急時。財政破綻。
・国際復興開発銀行(IBRD)=戦後の復興の支援

唯一爆撃を受けていない国はアメリカ
・米ドルと各国通貨の交換比率を固定・・固定為替相場

・ガット(GATT・関税および貿易に関する一般協定)
自由で平等な国際貿易を目指す。ブロック経済はしないように。
↓↓
・世界貿易機関(WTO)へと発展・解消(1995)
自由貿易拡大のためのルールづくり
経済のグローバル化を促進する

 


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【31】帝国主義の時代

世界史【31】帝国主義の時代
(1)イギリスの動向
(2)フランスの動向
(3)ドイツの動向
(4)ロシアの動向
(5)アメリカの動向
31ーキーワード
帝国主義・・植民地(市場)を求めて外に出て行く時代
(英)ディズレーリ(保)。インド帝国。スエズ運河+キプロス島。
(仏)第三共和政。
(独)ビスマルク⇒皇帝ヴィルヘルム2世。3B政策。
(露)第1次ロシア革命⇒十月宣言(ウィッテ)⇒社会主義の政党。ボリシェヴィキ(レーニン)、 メンシェヴィキ。
(米)カリブ海政策。米西戦争(25代マッキンリー)。棍棒外交(26代S・ローズヴェルト)。宣教師外交(27代ウィルソン)


31ーガイダンス
・欧米各国で帝国主義(植民地獲得)、労働運動が起こる。
・第2次産業革命(19C後)⇒英以外の欧米。重化学(鉄鋼・造船・石油・電力)。生産増大。強い企業(独占資本)が銀行と結びつく。(第1次は英綿工業)
・1870年代世界的不況。⇒植民地(市場、原料供給、資本輸出)を求めて帝国主義へ。


イギリスの動向(1)
ポイント①イギリスの方向転換?帝国主義へ突入!
19C後以降のイギリスの帝国主義政策

首相ディズレーリ(保守党)(任1868、1874~1880)
自由貿易から⇒帝国主義(植民地獲得)へ方向転換。

インドへの道を確保したい(エジプトルートと南アフリカルート)
スエズ運河株式買収、インド帝国の完成
・ベルリン会議への参加
キプロス島の統治権を獲得。=スエズ運河の真上の島。ロシアが入ってこないように監視。
↓↓
植民地相:ジョゼフ=チェンバレン(保守党)

南アフリカ戦争。英の支配下においた。→南アを安心して通れる。

「対外政策にお金を費やしたい。国内にお金を使いたくない・・」
↓↓
自由党内閣の時
・議会法の制定
上院・下院のうち、下院(一般市民の代表者)の優位を確立。

・アイルランド自治法の成立
しかしWW1で延期⇒イースター蜂起(シン・フェイン党も参加)

<植民地帝国の再編>
・自治領(白人が支配層の地域)を形成していく
自治を与えて、英本国はお金を使わないようにした
カナダ⇒オーストラリア⇒NZ⇒南アフリカ連邦

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②イギリスの労働運動
大英帝国の「光」と「影」

<社会主義運動の高まり>
フェビアン協会
知識人中心(ウェッブ夫妻・劇作家バーナード=ショー)。
改良主義的な社会主義団体。ゆっくりでいいから改善。
↓↓ +他の団体
労働代表委員会・・選挙で議席数を獲得するまでに。
↓↓
労働党(現在まで続く)・・合法的。穏健。議会を通じて社会改革をめざす改良主義。民主的な手段。(暴力は使わない)


フランスの動向(2)
ポイント①混乱が続くフランスの第三共和制
国内の世論を二分化する重大事件発生!

二月革命(1848)の結果、王様がいなくなった。=第二共和政になった。男性普通選挙の実現。→混乱。
↓↓
ナポレオン3世の第二帝政でまとまる。普仏戦争(1870)で捕虜に。
↓↓
第三共和政ができるが混乱・・

・第三共和政(1870/71~1940)
弱さを露呈した、2つの大きな事件
ブーランジェ事件
陸相ブーランジェ。反議会主義的運動。共和制をやめる?→未遂に。

ドレフュス事件(冤罪事件)
ユダヤ系将校ドレフュスがスパイ容疑で逮捕。⇒冤罪だった。仏軍部が隠蔽。反ユダヤ感情をあおる。国内世論が批判。エミール・ゾラ「私は弾劾する」(ドレフュス擁護派)⇒ドレフュスは無罪に。釈放。
↓↓
シオニズム・・自らのユダヤ人国家を設立しようとする運動。イェルサレム(パレスチナ)に戻ろう・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランスの労働運動
フランス革命の意志を受け継ぐ直接行動主義
<社会主義運動>
サンディカリズム
議会や政党の否定。英のような議会ではなく、労働者による直接行動主義。(フランス革命のように自由平等は自分たちで勝ち取るんだ。)↑↑ VS(対立)
フランス社会党(統一社会党 / 社会党)
議会重視。社会主義派が結成。


ドイツの動向(3)
ポイント①ビスマルクの辞職!?ドイツの取った「新航路」
皇帝と意見が衝突したビスマルク

<ドイツ皇帝の交代>
ヴィルヘルム1世(ビスマルクが仕えていた)⇒フリードリヒ(病気で100日で交代)⇒ヴィルヘルム2世(位1888~1918)

ヴィルヘルム2世:「独も植民地を求めて外に出るべき」
VS
ビスマルク:「外交でやっと収めたのに。反対。」
意見衝突。社会主義者鎮圧法の再更新も対立。
ビスマルク辞職(1890)

<ヴィルヘルム2世の対外政策>
[1]海軍の大拡張「ドイツの将来は海上にあり」⇒と対立。

[2]パン=ゲルマン主義
パン=「広げる」の意味。ゲルマン人(ドイツ系民族)オーストリアとの連携。⇒ロシアと対立。
バルカン半島→小アジア→ペルシア湾へ。独から東南方向。
↓↓
独・3B政策(さんびーせいさく)(英露と対立)
ベルリン(ドイツ)、ビザンティウム(トルコ)、バグダード(イラク)を接続する。バグダード鉄道の建設を考えた。⇒もし実現すれば海で英と対立する。また、バルカン半島を狙うロシアとも対立する・・。
(cf 英・3C政策。ケープタウン、カイロ、カルカッタ)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ドイツの労働運動
ドイツで生まれた新しい社会主義の潮流

世界初の社会主義政党
ドイツ社会主義労働者党(ビスマルク時代)
社会主義者鎮圧法
ビスマルクは警戒し、この労働者党を非合法化した。せっかく統一したドイツが資本家と労働者に分裂するのを避けたかったから。⇒労働者・失業者は国が守ると主張。
↓↓
ビスマルク退陣
↓↓
ドイツ社会民主党
「復活のチャンスだ!」名前をこれに変える。マルクス主義理論を採用。暴力革命を提唱。
↓↓ 徐々にこちらへ変わっていった
修正主義
ベルンシュタイン。議会を通じて社会主義化を提唱。改良主義。
(英の労働運動を参考にした。)


(4)ロシアの動向
ポイント①急激な近代化で生まれた社会の歪み
フランス資本の導入で産業革命を急いだ結果・・

ロマノフ朝(皇帝独裁政治)
南下して穀物を輸出して産業革命したい・・
⇒仏資本の導入。露仏同盟(1891)
⇒ロシアの近代化。産業革命の本格化
↓↓
シベリア鉄道の建設(1891)
中国方面に進出したい。全長9300㎞。
(ウラジオストク(東)からモスクワ(西)まで)
ペテルブルグ(西端)

中国東北をめぐって日本と衝突。⇒日露戦争(1904)

血の日曜日事件(1905)
戦争反対の市民デモ。軍隊が発砲。ニコライ2世
↓↓
第1次ロシア革命(1905)
労働者中心に暴動・スト。
↓↓
都のペテルブルグで、ソヴィエト(評議会)が成立=各地の工場の代表者が集まって話す会議。
↓↓
日露戦争終結
ポーツマス条約(1905)

戦争は終わったが革命は終わらない。
・「十月宣言」(革命を終わらせる)
起草者:ウィッテ
ドゥーマ(国会)を開設。
・憲法制定。立憲民主党の結成。(お金をもっている人たち)
↓↓
ウィッテは首相となり、民主的な、自由主義的な改革を行う(革命は収束へ・・)
↓↓
改革が落ち着くと突如ウィッテは首になった。
↓↓
ストルイピンの改革
ドゥーマ(国会)を解散
ミール(農村共同体)を解体。⇒国内は混乱。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ロシアの労働運動
労働者は不満爆発!多くの社会主義者政党が登場

<社会主義運動>
ロシア社会民主労働党
2つの社会主義政党に分裂(この2つは労働者を代表)
↓↓
[1] ボリシェヴィキ(指導者:レーニン
革命家による武装革命。(少数で一気に壊す。)

[2]メンシェヴィキ (指導者:プレハーノフ)
ブルジョワ民主主義革命。(多数でゆっくりで革命する。)

社会革命党
ナロードニキの流れをくむ。こちらは農民を代表。
テロリズムによる専制政治の打倒をめざす。


(5)アメリカの動向
ポイント①世界第1位の工業生産数
イギリスを抜いた合衆国の未来とは・・

<独占の規制>
1890年代。米が世界No1に。
一部の富裕層が独占。政治的にも強くなる。
↓↓
革新主義(進歩主義)
政治経済の独占の規制。経済自由化。

カリブ海政策(20C初)>(米の海外進出)
米がいよいよ外へ出ていく。
↓↓
第1回パン=アメリカ会議
「アメリカの製品を買いなさい」。中南米(ラテンアメリカ)の国々に指導。

・フロンティアの消滅(1890)
白人入植者が全域に広がった。

ーーーーーーーーーー

ポイント②カリブ海政策の推進
2人の大統領とその時代の海外進出方法

[1]25代・マッキンリー大統領(任1897~1901)
アメリカ=スペイン(米西)戦争(1898)
米はカリブ海へ進出。中南米に影響力のあったスペインと戦う。
〇米 VS 西✕

きっかけはキューバ独立運動1895キューバはスペインから独立を試みようとしていた。
↓↓
そんなときハバナ湾で米艦隊メイン号が撃沈。米はスペインのしわざとしてスペインに戦争をしかける。スペインは「え?」(米の自作自演?)
↓↓
米はフィリピン、グアム、プエルトリコという西の植民地を獲得。
キューバを独立させて保護国化
↓↓
さらに太平洋へも進出。
ハワイ併合(1898)
(※米西戦争の結果ではなく単独で。)

門戸開放宣言(1899)
国務長官 ジョン=ヘイ
中国市場への進出をも狙う。門戸開放、機会均等、領土保全。

[2]26代・セオドア・ローズヴェルト大統領(任1901~09)
「カリブ海政策」を引き続き推進。

・「棍棒外交」(20C初)
口調は穏やかに、棍棒をたずさえて話す。(威嚇)
(例)無理やりパナマをコロンビアから分離・独立。

パナマ運河の建設(1904~1914)
中米と南米の間。カリブ海と太平洋を接続。

ーーーーーーーーーー

ポイント③ウィルソン大統領の時代に起きた変化とは?
合衆国が持つ外交上の「使命」

28代・ウッドロー=ウィルソン大統領(任1913~1921)
・米国内「新しい自由」
弱者救済。

・対外「宣教師外交
「アメリカと同じ民主政治をすればアメリカと同等に発展できるよ」
米風の政治を世界に伝える。それが米国の義務
↓↓
現在でも米は独裁政治を嫌う。世界へ干渉する口実。

 


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【27】19世紀の欧米諸国(2)露・米

【27】19世紀の欧米諸国(2)露・米
(1)ロシアの南下政策
(2)ロシアの近代化とバルカン進出
(3)アメリカ合衆国の発展
(4)アメリカが抱えた問題
(5)南北戦争とその後

(1)ロシアの南下政策
ポイント①ロシアがこだわった南下政策とは?
なぜロシアは凍らない港を求めるのか

英に対抗するため産業革命を進めたい。お金が必要。
→麦などを輸出したい。農作物販路の確保を目指す

バルカン半島ルートが行きやすい・・
口実に
ギリシア正教徒の保護
パン=スラヴ主義
を掲げ、黒海・地中海へ
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②南下政策の本格化!
ギリシア独立戦争とエジプト=トルコ戦争

ロシア南下政策・両海峡をめぐる3つの戦争。
(有利になるように首をつっこむ)

[1]【ギリシア独立戦争(1821~1829)】
〇 ギリシア+英仏露+ロマン派文化人・英バイロン・仏ドラクロワ
VS
✕ オスマン帝国+エジプト(ムハンマド=アリー)

ギリシア独立達成。
ロシアがオスマン帝国に要求
ダーダネルス・ボスフォラス両海峡の自由通航権を獲得
(黒海の南西)

[2]【第1次エジプト=トルコ戦争(1831~1833)】
エジプト総督ムハンマド=アリーがシリアを要求→獲得
〇エジプト+英仏墺
VS
✕オスマン帝国+
→オスマン帝国に協力したので、要求する。
→露が両海峡を独占できるようになる。

[3]【第2次エジプト=トルコ戦争(1839~1840)】
エジプト総督ムハンマド=アリー
エジプトとシリアの世襲権を要求

エジプト+仏
VS
オスマン帝国+英露墺普

・ロンドン会議(1840)
エジプトはシリアを返還
その代わり→エジプト・スーダンの世襲権を承認

すべての外国軍艦が両海峡を通航することを禁止
→露も通れなくなった・・

「黒海ルート」が塞がれた・・


(2)ロシアの近代化とバルカン進出
ポイント①クリミア戦争がその後のロシアを変えた!?
ロシアの南下政策とそれを阻止する大規模な衝突

クリミア戦争】(1853~1856)
オスマン帝国が仏に聖地(イェルサレム)管理権を譲渡。
ロシア・ニコライ1世はギリシア正教徒の保護を口実に開戦。

ロシア ✕ VS 〇オスマン帝国+英仏サルディーニャ
↓↓
【パリ条約】(1856)
黒海の中立化
→南下政策失敗

皇帝アレクサンドル2世】(位1855~1881)
クリミア戦争に負けてロシアの遅れを痛感。近代化をめざす。
農奴解放令(1861)
農奴は解放。ただし土地は有償
↓↓
ミール農村共同体)シェアハウス
・ポーランド反乱(一月蜂起)←鎮圧
↓↓
アレクサンドル2世
「改革をすると他の民族が独立を求めてしまう。皇帝独裁に戻そう・・。」
↓↓
ナロードニキ(人民主義者)の活動。ナロード=人民
インテリゲンツィア(知識人)中心。平等社会をめざす。
スローガン「ヴ=ナロード(人民の中へ)」
→農民に理解されず。。失敗。徐々に過激に・・。
↓↓
アレクサンドル2世の暗殺
テロリズムの横行

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②バルカン半島へ方向を転換!
執拗に南下を試みるロシアの動き

南下政策を諦めない・・!今度は「バルカン半島」ルートだ。

ロシア=トルコ戦争(1877~1878)】
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの反乱←鎮圧
(↑スラヴ人が多い)
ロシア、パン=スラヴ主義を掲げて宣戦
ロシア〇 VS ✕オスマン帝国
↓↓
サン・ステファノ(講和)条約(1878)】
ルーマニア、セルビア、モンテネグロの独立
ブルガリアの自治権獲得(ロシアが保護)

↓↓ 「ちょっと待ったーー」by英・墺

ベルリン会議(1878)】
主催者:ビスマルク「誠実な仲買人(なかがいにん)」フェアに調整します。
【ベルリン条約(1878)】
(サン・ステファノ条約をやりなおす)
・ルーマニア、セルビア、モンテネグロは変更なし(=独立を承認)
ブルガリアの領土縮小(ロシアの保護廃止→単にオスマン帝国の自治領土になった)→ロシア通れなくなる・・

<さらにロシアを見張るため・・>
・ボスニア・ヘルツェゴビナ→が統治(後のWW1の原因へ・・)
キプロス島が統治

南下政策「バルカン半島」ルートも失敗。次はアジアだ・・。


(3)アメリカ合衆国の発展
ポイント①19世紀前半の大統領と合衆国の成長
初期の資本主義的な産業が成長する

【4代・マディソン大統領】(任1809~1817)
アメリカ=イギリス戦争(1812~1814)
第2次独立戦争
ナポレオンの大陸封鎖令に対抗して、英が海上封鎖。
→米の通商が妨害される。両国で開戦。
→米の商工業が育つようになる。英からの経済自立
保護関税政策・・米国内の初期産業を育成

【5代・モンロー大統領】(任1817~1825)
モンロー宣言(1823)
米欧の相互不干渉=孤立主義

7代・ジャクソン大統領】(任1829~1837)
ジャクソニアン=デモクラシー
白人男性だけに普通選挙権。(✕先住民、✕黒人、✕女性)

先住民強制移住法(1830)
先住民をミシシッピ川以西の荒地に強制的に移住
チェロキー族の「涙の道

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②領土を広げることは「神の思し召し」!?
西側へと領域を拡大する合衆国

【西部開拓(西漸(せいぜん)運動)(漸は「近づいていく」の意)
フロンティア(辺境)
アメリカ西部における開拓地と未開拓地の境界線

マニフェスト=ディスティニー(明白な天命)」当然である

西へ領土拡大
ルイジアナ買収
ミシシッピ川以西のルイジアナ
フランスより買収

フロリダ買収(1819) 5代モンロー大統領時
スペインより

テキサス併合
テキサス共和国がメキシコから独立
→合衆国に編入

・〇アメリカ=メキシコ✕戦争
カリフォルニア獲得。
↓↓
ゴールド=ラッシュ
カリフォルニアで金鉱発見
西側の人口が増える。

 


(4)アメリカが抱えた問題
ポイント①アメリカの北部と南部ではここまで違うの!?
南北間に生じた軋轢・・

・黒人奴隷問題

北部 南部
経済 資本主義的商工業 綿花プランテーション
(→英に輸出)
支持基盤 産業資本家・銀行家 大農園者(プランター)
貿易 保護貿易
(国内産業を育てたい)
自由貿易
奴隷制 反対
(工場で働いてほしい)
賛成
政治体制 連邦主義(中央集権)
政府強い
州権主義(地方分権)
政府弱い
政党 共和党 民主党

 

ポイント②奴隷州拡大の危機を迎える!
国内では奴隷賛成派・反対派で世論が二極化

自由州 VS 奴隷州
(奴隷NG) (奴隷OK)

ミズーリ協定(1820)
モンロー大統領
北緯36度30分以北:自由州
以南:奴隷州
州の数は同じが望ましい

↓↓ ミズーリ協定が破られる

カンザス・ネブラスカ法(1854)
自由州になるか奴隷州になるかを住民投票で決める。
カンザス州・ネブラスカ州は奴隷を使いたい・・
↓↓
共和党の結成(1854)
奴隷制反対運動
ストウ夫人『アンクル=トムの小屋』
(ハリエット・ストウ)


(5)南北戦争とその後
ポイント①アメリカの市民が殺しあう!?南北戦争の勃発!
奴隷制度の賛否をめぐる問題から内戦へ突入

南北戦争(1861~1865)
リンカン大統領(任1861~1865)共和党
奴隷廃止!を主張

南部諸州が合衆国より離脱
・「アメリカ連合国(連邦)」を建国
都:リッチモンド
反連邦主義、奴隷制擁護、自由貿易

・南軍の攻撃により開戦(1861)
初期は南軍が優勢

↓↓ それに対してリンカン大統領は・・

ホームステッド法(自営農地法)
公有地で5年間定住・開墾
→一定限度の土地を無償で与える
西部の開拓農民から支持

奴隷解放宣言(1863)
戦争目的の明確化。国際世論も味方にする(英仏はすでに奴隷廃止)

ゲティスバーグの戦い(1863)
最大の激戦地
人民の、人民による、人民のための政治」演説

・リッチモンド陥落(1865.4.9)
北軍の勝利

・リンカン大統領暗殺(1865.4.15)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②19世紀後半のアメリカは急速に成長する!
国内の市場統合、鉄道の開通、労働力の確保

・黒人奴隷の解放
憲法修正第13条により奴隷制度の廃止
↓↓
黒人は北部の工場に行かず農場にとどまった
シェアクロッパー(分益小作人)となる
南部の土地制度

K・K・K(クー・クラックス・クラン)
テネシー州で結成された反黒人秘密結社

<経済状況>
・産業の急成長
北部主導で商工業が発達
資本主義の発達→第2次産業革命(1870年代)

アメリカ労働総同盟(AFL)の結成
(穏健的。熟練の労働者が意見を社長に伝える)

移民の増加→労働力不足を解消する
旧移民(1840~50)アイルランド系(ジャガイモ飢饉1845)、ドイツ系、アジア系
新移民(1880)東欧系

大陸横断鉄道の開通(1869)
東部・西部の結合
アメリカの政治的・経済的統一が進展

フロンティアの消滅(1890年代)
海外市場の確保を目指し、カリブ海や中国へ進出

英を抜いて世界1位に・・!

 


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【23】アメリカ世界の成立

【23】アメリカ世界の成立
(1)アメリカ13植民地の苦悩
(2)アメリカ独立戦争
(3)アメリカ合衆国の政治体制
米英関係良好→英・戦争で財政難→米に課税→米不満→独立戦争へ


(1)アメリカ13植民地の苦悩
ポイント①13植民地は「イギリス人」が生活する場所
政治的・経済的状況をみる

イギリスからアメリカへ移る(17C頃)
当初、英と米との関係は良好。

【13植民地(17~18C)東海岸
ヴァージニア植民地(南部)
最初の植民地。英ステュアート朝ジェームズ1世時。(※エリザベス女王時は失敗。)

ニューイングランド植民地(東北部)
ジェームズ1世に迫害されたピューリタン(ピルグリム=ファーザーズ)がメイフラワー号で渡航しプリマスに入植。例はマサチューセッツ植民地など。

ニューヨークの獲得
英が蘭の町ニューアムステルダムを奪って改名。

・ペンシルヴェニア
クウェーカー教徒

・ジョージア

13植民地の西隣には仏植民地がある

英風の政治、文化など
・植民地議会
イギリス議会を手本に13植民地それぞれに設置

・プランテーション(大農園)
米南部。黒人奴隷。商品作物を英に輸出。

ポイント②イギリス本国が13植民地におこなった理不尽
次第に反発を強める13植民地の人々

英と米の関係が悪化していく・・

本国イギリスは、重商主義政策
輸出先を増やしたい。VS仏。
↓↓
フレンチ・インディアン戦争(1755~1763)
仏と先住民は撤退。13植民地のライバルがいなくなった。
イギリス本国は財政難に→北米植民地への課税を強化

印紙法(1765)
書類・刊行物(新聞、教科書、婚姻届)など
「代表なくして課税なし」
(=「英本国に議員を送ってないのに、何で課税されるんだ」)
→印紙法は廃止

茶法(ちゃほう)(1773)
英の東インド会社の販売する茶は免税。(英の会社だけに有利)

↓↓  米市民が反発

ボストン茶会(ちゃかい)事件(1773)
Boston Tea Party(Tea Partyを「茶会」と誤訳したが、本当はPartyは「仲間」という意味。茶法に反対した人々が起こした事件。)
先住民に変装し、英の茶を海に捨てる。

↓↓
英はボストン港を閉鎖
マサチューセッツ植民地自治を剥奪

↓↓
独立戦争へ・・


(2)アメリカ独立戦争
ポイント①いよいよ衝突!13植民地の独立戦争
イギリス本国軍と13植民地軍の衝突

第1回大陸会議(1774)
開催地:フィラデルフィア
不当な課税を拒否。13植民地の通商断絶同盟の結成。
↓↓
アメリカ独立戦争(1775~1783)
レキシントンの戦い(1775)
最初の戦い。レキシントンやコンコードにて。
↓↓
第2回大陸会議(1775)
開催地:フィラデルフィア
植民地軍総司令官に、ワシントンが就任

しかし13植民地全体では意見がバラバラ・・(各3割ずつ)
国王派・・イギリス本国を支持
中立派・・戦争には否定的
愛国派・・独立支持派
↓↓
一つになろう!
2人のトマスが独立の機運を高める。

・『コモン=センス(1776)(『常識』)
トマス=ペイン
独立の正当性と共和国建設の必要性を訴える

・「独立宣言1776.7.4
起草:トマス=ジェファソン(3代大統領)
ロックの自然法思想に基づき「基本的人権」の尊重、「革命権」を主張

 

ポイント②戦局の転機!アメリカの独立成功!
次第に反発を強める13植民地の人々

13植民地を支援する国々の登場
フランクリン(駐仏大使)
仏や各国に支援を求める

・サラトガの戦い(1777)
植民地軍が本国軍に勝利
↓↓
フランス、スペイン、オランダが植民地軍側で参戦

武装中立同盟
ロシア・エカチェリーナ2世の提唱。参加しない。
露、普、スウェーデン、ポルトガル、デンマーク
→英は味方がいない。国際的に孤立。
→米の独立を間接的に支援

義勇兵の13植民地支援(ボランティア兵)
コシューシコ・・ポーランド出身、ワシントンの副官。
ラファイエット・・フランス出身

ヨークタウンの戦い(1781)
植民地・仏連合軍の勝利が確定。最後の戦い。

(独立はレキシントンで始まりヨークタウンで終わる。)

パリ条約(1783)】
・英は米の完全独立を承認
・独立と同時に「ミシシッピ以東ルイジアナ」を英から獲得。

 


(3)アメリカ合衆国の政治体制
ポイント①アメリカ合衆国憲法をめぐる対立
各州と政府の関係をどうするか・・

独立後のアメリカは・・
アメリカ連合規約で制定

国名:アメリカ合衆国
各州で自治。政府は見守る程度で弱い
独自の憲法、議会を持つ13州の連合体。
↓↓
しかしバラバラになってしまった。。

↓↓ 見直し。国としてまとまろう。

憲法制定会議(1787)フィラデルフィア
議長ワシントン
もう少し13州の結びつきを強めよう。
↓↓
アメリカ合衆国憲法」が作られる。
アメリカ連邦政府の権限を大幅に強化。中央集権的。
政府は強くなる。政府は「見守り」から⇒「統率」になる。

・徴税権、通商を規制。

・一方で各州には自治権も与える

三権分立
立法権(議会)、行政権(大統領)、司法権(裁判所)
互いに独立して監視する。
近代的な憲法。仏・啓蒙思想家モンテスキューの影響。

対立トラブル
・連邦派・・政府強い。通商重視、親英的⇒共和党(トランプ)
・反連邦派・・政府弱い。農民、商工業者⇒民主党

 

ポイント②合衆国の初期の大統領
アメリカの発展はここから始まった

3人の大統領の時代に米発展の礎が築かれる

【初代・ワシントン大統領(任1789~1797)】
独立戦争の司令官
・国務長官ジェファソン(反連邦派)(3代)
・財務官ハミルトン(連邦派)
バランスを取った。

【3代・ジェファソン大統領(任1801~1809)】
反連邦派の初の勝利
・ミシシッピ川以西ルイジアナを買収(1803)→領土を西に拡大
(川以ルイジは独立時1783に獲得)

【4代・マディソン大統領(任1809~1817)】
アメリカ=イギリス戦争(1812~1814)
第2次独立戦争

・英が海上封鎖で米の通商を妨害(政治的、経済的に妨害)
この間、英米間の貿易が止まる。
↓↓
米の経済的自立が促進(米国内で自立)

保護関税政策(1816)
米国内の初期産業を育成。
英の安い製品をシャットアウト。
⇒米がここから産業発展していく。

 


 

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【18】ルネサンスと大航海時代

【18】ルネサンスと大航海時代
(1)ルネサンスの始まり(14~16C)
(2)イタリア=ルネサンス
(3)ヨーロッパに拡大するルネサンス
(4)大航海時代の幕開け(15~16C)
(5)ヨーロッパ人の「新発見」
(6)古代アメリカの謎に迫る!


(1)ルネサンスの始まり
ポイント①なぜ大昔の文献を読む必要があるの?
ルネサンスは人間らしさを求めた時代

ルネサンス(文芸復興)とは
14Cにイタリアで始まる。15C~西ヨーロッパへ。
14C(1300年代)は教会の権威がゆらいだ時代。十字軍の失敗など。

教会・神中心の価値観
↓↓
個人・個性を重んじる人間中心の価値観へ

基本精神:ヒューマニズム(人文主義)
人間の理性や尊厳を尊重・・ヒューマニスト

キリスト教世界が浸透して1000年・・人間らしく生きる方法が分からない。。その頃の本を読もう。
↓↓
・ギリシア・ローマの古典を研究
教会の価値観から離れた人間社会の赤裸々な描写

ポイント②なぜルネサンスはイタリアで始まるの?
当時のイタリアにはルネサンスがおこる条件がそろった

・イタリア=ルネサンス(14~16C)
ギリシア知識人の亡命。

オスマン帝国がビザンツ帝国(ギリシア)を圧迫(14C)
↓↓
ビザンツ帝国内のギリシア文化の知識人・学者がイタリアへ亡命

メディチ家
フィレンツェの大富豪
毛織物・金融業・東方貿易で繁栄

教皇レオ10世の保護
(メディチ家出身。ジョヴァンニ。)
↓↓
ローマ教皇に保護されているので、イタリア・ルネサンスは教会批判、金持ち批判はできなかった。限界。(西ヨーロッパでは教会批判できた。)

 


(2)イタリア=ルネサンス
ポイント①人間らしさを赤裸々に表現
イタリア・ルネサンスの文学・美術

(文学)
イタリア・ルネサンスの先駆者
ダンテ『神曲(しんきょく)(1265~1321)
トスカナ語で記述。(キリスト教は普通ラテン語)
「聖職者ローマ教皇のためではなくて、トスカナ地方の地元の人達が読みやすい本を書いたんだ。」

・ペトラルカ『叙事詩集』古代ローマ・古典ブームの火付け役
ボッカチオ『デカメロン』14Cペスト流行のフィレンツェ。喜怒哀楽、色と欲。人間らしさ。

(政治学)
マキァヴェリ『君主論』・・イタリア統一の必要性を説く。
「イタリアを統一するにはライオンの勇猛とキツネの狡知が必要。」
冷酷非道なリーダー論。(優れた君主の例としてチェーザレ・ボルジアを挙げている)

(美術)
・ジョット・・ルネサンス絵画の先駆者
ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』『春』
ミケランジェロ(1475~1564)『最後の審判』『天地創造』(天井画)システィーナ礼拝堂。ローマ教皇を選ぶときに使われる場所。現在も同じ。
『ダヴィデ像』
レオナルド=ダ=ヴィンチ(1452~1519)『最後の晩餐』『モナ=リザ』彫刻・建築も。万能の天才。
ラファエロ(1483~1520)多くの『聖母子像』マリアとイエス、『アテネの学堂』(ヴァチカン宮殿)

 

ポイント②教皇だってオシャレに暮らしたい?
ローマ教皇がおこなった文化活動の保護

建築(ルネサンス様式
サン=ピエトロ大聖堂(ヴァチカン市国)
カトリックの主聖堂。
教皇レオ10世が資金調達のために贖宥状の販売を許可。
ブラマンテ・・最初の設計者

サンタ・マリア大聖堂(フィレンツェ)
ブルネレスキ・・赤レンガのドームを設計。

 


(3)ヨーロッパに拡大するルネサンス
ポイント①ルネサンスが西ヨーロッパに拡大する
宗教改革につながる重要な思想

北方ルネサンス(ネーデルラント)=現オランダ・ベルギー・ルクセンブルク(ベネルクス3国)
エラスムス愚神礼賛(ぐしんらいさん)』
16C最大の人文主義者。
カトリック教会、聖職者、王の腐敗を批判→宗教改革につながる。ルターも影響を受けた。

・ファン・アイク兄弟:油絵の技法の改良
ブリューゲル『農民の踊り』当時の様子が分かる

北方ルネサンス(ドイツ)神聖ローマ帝国
デューラー宗教画『四人の使徒』
ホルバイン肖像画。『エラスムス像』。個人の絵、一般市民を描くのは珍しかった。『ヘンリ8世像』

北方ルネサンス(フランス)
ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』
巨人の親子を題材におかしく仏社会を風刺。
モンテーニュ『エセー』(『随想録』)

北方ルネサンス(スペイン)
セルバンテス『ドン=キホーテ』・・近代小説。時代錯誤の騎士。

北方ルネサンス(イギリス)
チョーサー『カンタベリ物語』・・社会風刺
トマス=モア『ユートピア』・・架空の理想社会。(エラスムスと友人。ヘンリ8世に処刑される)
シェイクスピア『ハムレット』『リア王』『マクベス』『オセロー』四大悲劇。

 

ポイント②ルネサンスは発明の時代
個人の能力が尊重される時代

ルネサンス三大発明(14C以降)
(ホントは「改良」。もとは中国・宋代に「発明」されている。)
火薬・・鉄砲の発明。騎士の没落。
羅針盤・・方位。コンパス。遠洋航海術を前進。
活版印刷・・活字を組み合わせて原板を作る印刷方法。グーテンベルク(独)

天文学
・天動説・・地球が中心。中世キリスト教世界で支持。(ローマ文化で出てきた。プトレマイオス。)

地動説・・太陽が中心。地球が回る。(ギリシア・ヘレニズム文化ではすでにあった。アリスタルコス)
↓↓
コペルニクス(ポーランド)・・地動説『天球回転論』。天体観測。教会を敵に回すのでずっと黙っていたが、最後に発表した。

ガリレオ・ガリレイ(イタリア)・・自作の望遠鏡で木星の衛星を観測。コペルニクスの地動説を擁護。「近代科学の父」

→宗教裁判で有罪になり撤回させられたが「それでも地球は回っている」(ラテン語で「Eppur si muove」)と言ったという逸話がある。

 


(4)大航海時代の幕開け
ポイント①なぜ海に出る?そしてなぜ海に出られる?
大航海時代の幕開けとなる要因を見る

〇大航海時代の要因

なぜ海に出たいのか
(要因1)
香辛料が欲しい!
胡椒(インド原産)・クローブ・ナツメグ
ヨーロッパでは手に入らないので、東方貿易(北イタリア商人)でヨーロッパに輸入されていた。
→しかし15C、オスマン帝国が地中海を占領し、東方貿易を阻害。香辛料が割高に・・。
→自分たちでインドへ行こう!

(要因2)
マルコ・ポーロ『世界の記述』ジパング伝説

なぜ海に出られたのか
(1)羅針盤、造船技術などの向上。ガレオン船。
(2)王権が強かった→航海にはリスクもあり資金が必要→国が負担。スポンサー。中央集権的な国、王の強い力で支援した。

ポイント②ポルトガルが目指すはインド!
インドへ向かうルートを模索

〇ポルトガルのインド航路開拓(15C)
ポルトガルが一番に乗り出した理由
・レコンキスタによって成立した国なので王権が強い
・さらにスペインより一足早くレコンキスタが終わっている。

ポルトガルの3人の航海士

「航海王子」エンリケ(15C)
船酔いで船に乗れず。支援する。
アフリカ最西端・ヴェルデ岬へ到達(1445)

バルトロメウ=ディアス
「嵐の岬」へ到達(1488)→喜望峰(アフリカ南端)

ヴァスコ=ダ=ガマ
アフリカ東岸のマリンディを経て、インド西南部(カリカット)へ到達(1498)

 

ポイント③インドのその先には何がある?

ポルトガルのアジア進出16C)
ゴアとマカオは20Cまでポルトガル領・・!

インドよりさらに東へ・・日本にまで!
・セイロン島(スリランカ)へ到達
・インド西岸ゴアを占領(1510~1961)(450年間)。「総督府」を建設。アジア貿易の拠点に。
マラッカ占領(マレー半島南部)
モルッカ諸島(マルク諸島・香料諸島)の占領。香辛料が取れる。

・ホルムズ島の制圧(1515)イスラーム商人の貿易ルートを遮断→後にオスマン帝国が奪還。

中国・マカオ中国から「居住権」を獲得。(1557~1999)
日本・種子島(鹿児島)へ来航(1543)・・鉄砲伝来
平戸(1550)(長崎)

 


(5)ヨーロッパ人の「新発見」
ポイント①コロンブスの挑戦!彼がたどり着いたのは・・

スペインはポルトガルとは別航路でアジアへ出発

コロンブス(1451~1506)(ジェノヴァ出身)
「ポルトガルと別のルートでインドを目指したい・・!」
・友人トスカネリの「地球球体説」を信奉
・スペイン女王イサベル(元カスティリャ王国)の支援。レコンキスタが終了(1492)
・サンサルバドル島へ到達(1492)ヨーロッパにとって新大陸。(現バハマ。西インド諸島と呼ばれる)

ポイント②次々と探検する航海士たち
新大陸の探検活動が活発に行われる
・カブラル(ポルトガル)・・ブラジルへ漂着
・アメリゴ・ヴェスプッチ(フィレンツェ)・・着いたのはアジアではなく「新大陸」であることを報告。
・バルボア・・パナマ地峡(中米)を横断。「南の海」(太平洋)へ到達。

世界周航(1519~1522)
マゼラン(マガリャンイス)
スペイン王カルロス1世(カール5世)の支援
↓↓
スペイン(セビリャ)→アメリカ大陸を南下。→マゼラン海峡を廻航。→太平洋を横断。
→フィリピンへ到達(1521)(マゼランはフィリピンで戦死)
→部下がインド・アフリカをまわってスペインに帰ってきた。→世界一周!

トルデシリャス条約(1494)
スペインとポルトガルの境界線を画定。ブラジルがポルトガル領となる。それ以外はスペイン領に。

ポイント③大航海時代は世界を変えた?
ヨーロッパ、アジア、アメリカの社会に大きな影響を与える

世界の一体化
商業革命
商品の産地・種類・量が地球規模に拡大。
商業中心は大西洋岸都市へと移動。(前は地中海・バルト海)
リスボン、アントウェルペンなど。

価格革命
アメリカ大陸からの大量のが流入。
ヨーロッパの銀価が下落→物価が急激に上昇。
↓↓
西ヨーロッパで商工業が発展。
固定地代としていた領主層の没落。

 


(6)古代アメリカの謎に迫る!
ポイント①古代アメリカには高度な文明が存在した?
ヨーロッパ人が訪れる前のアメリカ

先住民の暮らし
・インディオ(中南米)・インディアン(北米)
先住民
(コロンブスがインドとまちがえたから。)
現在では「ネイティブアメリカン」という

・農耕生活
トウモロコシ、ジャガイモ、トマト

・鉄がない
・牛・馬もいない
・車輪がない
重い荷物の運搬はどうやって?不明・・

メソアメリカ(中米)、アンデスアメリカ(南米)

〇メソアメリカ文明(中米文明)

オルメカ文明(B1200頃まで)
独特な巨石人頭像、神殿ピラミッド

マヤ文明(B1000~16C)
ユカタン半島
高度な文明。ピラミッド状神殿、マヤ文字、二十進法、暦の発達。

・テオティワカン文明(B1~6C)
「太陽のピラミッド」巨大な神殿。

アステカ王国(14~16C)メキシコ
(都:テノチティトラン(現メキシコシティ))
ピラミッド状神殿、象形文字の使用、太陽暦
↓↓
スペインのコルテスが滅ぼす

 

〇アンデス文明(南アメリカ文明)
インカ帝国(15~16C)ペルー
(都:クスコ。標高3400メートル。富士山級)
都市遺跡:マチュ=ピチュ
高度な石造建築、キープ(結縄・けつじょう)数字を表す
↓↓
スペインのピサロにより滅亡

 

ポイント②破壊・略奪!スペイン人の過酷な支配
アメリカ大陸の社会が大きく変わる・・

「征服者」コンキスタドール(コンキスタドレス)
スペインから来た中南米の国々(アステカ王国・インカ帝国)の征服者。

ポトシ銀山の発見(1545)→価格革命の原因
・現在のボリビア
・先住民を酷使して銀を採掘
→ヨーロッパに大量に輸出

エンコミエンダ制(16C)・・先住民をキリスト教化させることを条件に労働力として使役することを許可。→強制労働で酷使。

ラス=カサス『インディオの破壊についての簡潔な報告』
告発した(ドミニコ派修道士)

先住民の代わりに・・
↓↓
・黒人奴隷(アフリカ)の使用。労働力。

アシエンダ制(17~18C)
広大な土地で先住民や黒人奴隷を労働力に商品作物を栽培。

=プランテーション(大農園・大農場制度)
コーヒー、砂糖など

その後スペインは中南米からアジアへアクセス。。

アカプルコ貿易(ガレオン貿易)
・ガレオン船を使用。
・フィリピン・マニラの建設(1571)
中南米を経由してマニラに行き中国商人と取引をする。
(アフリカ南周りはポルトガルに抑えられてるので、スペインはそのルートしかない。)
スペイン~アカプルコ(メキシコ)~マニラ(フィリピン)

 


 

世界史タイトル一覧

トライ世界史【18】ルネサンスと大航海時代□⇒

 

 

 

アメリカ歴代大統領

アメリカ歴代大統領
初代 ワシントン
2代
3代 トマス=ジェファソン 独立宣言の起草
4代 マディソン
5代 モンロー モンロー主義

16代 リンカン(共和党)

25代 マッキンリー 米西戦争

フランクリン・ローズヴェルト
トルーマン
34代 アイゼンハワー