【40】第二次世界大戦と戦後秩序の形成 – 歴史note

【40】第二次世界大戦と戦後秩序の形成

【40】第二次世界大戦と戦後秩序の形成
(1)ドイツとソ連の猛進撃
(2)ヨーロッパ戦線の終結へ
(3)アジア・太平洋戦線
(4)日本支配への抵抗と日本の敗北
(5)敗戦国の処理
(6)国際連合の設立と戦後経済の再建


(1)ドイツとソ連の猛進撃
ポイント①ドイツのヨーロッパ進撃!
ヨーロッパを席巻するドイツの「電撃戦」とは?

<ドイツの進撃>
・ポーランド侵攻(1939.9.1)
第二次世界大戦の開始
強制収容所の建設 アウシュヴィッツ
デンマーク・ノルウェーに侵入
オランダ・ベルギーに侵入
=イギリスを牽制しながらフランスへ進む。

電撃戦・・首都までの道を空爆。兵隊をトラックで首都まで運んで都を占領。

(英)
弱腰のネヴィル・チェンバレンから→チャーチルへ
チャーチル挙国一致内閣

(伊)
・イタリア参戦

(仏)
<パリ占領(フランス降伏)>
ヴィシー政府
南仏・首班ペタン
対独協力政権
VS
自由フランス政府
ロンドンに亡命。軍人ド=ゴール
レジスタンス(抵抗)運動を指導

(米)
・アメリカの軍事支援
武器貸与法・・孤立したを支援

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ポイント②ソ連も攻める!社会主義圏の拡大へ!
国際連盟はソ連の暴走を止められず・・

<ソ連の進撃>
ポーランド侵攻
バルト3国へ侵攻→後に併合
・ソ連=フィンランド戦争(冬戦争)
→国際連盟、ソ連を除名(それでもソ連は止まらず)


(2)ヨーロッパ戦線の終結へ
ポイント①戦局が大きく変わった!?独ソ戦争の開始!
独ソの対立でヨーロッパ戦線の流れがかわる

独ソがバルカン半島を取り合う

<ドイツのバルカン制圧(1941)>
・ドイツ軍がユーゴスラヴィア・ギリシアを占領
ティトー(共産主義)、独の支配に対してパルチザン闘争(ゲリラ戦)

<ドイツ VS ソ連>
日ソ中立条約(1941)ソ連は後ろを守る

独ソ戦争の開始(仲間割れ)
独ソ不可侵条約は破棄。
ドイツは電撃作戦を実行。
→当初は戦局有利

大西洋上会談(米英首脳会談)(1941)
米フランクリン・ローズヴェルトと英チャーチル
大西洋憲章

独伊、対米宣戦

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ポイント②連合国の反撃!ドイツの降伏!
ファシズム VS 反ファシズムへ

米軍も動き始めた
<伊・独の苦戦>
・連合軍、北アフリカ上陸
スターリングラードの戦い(1942)(ソ連内)
独✕ VS 〇ソ連
これ以降ドイツは劣勢に・・

<イタリアの降伏>
・連合軍、シチリア島上陸
イタリア新政府、無条件降伏(1943.9.8)

テヘラン会談(1943.11)
米・英・ソ
対ドイツ戦の基本方針

<ドイツの降伏>
・ソ連軍、東欧に侵攻

ノルマンディー上陸作戦(北仏に連合軍が上陸)
最高司令官:アイゼンハワー

・パリ解放
ドイツ軍撤退

ヤルタ会談(1945.2)(ウクライナ・クリミア半島)
米・英・ソ
対ドイツ戦後処理を協議:ヤルタ協定

ベルリン陥落
ドイツ無条件降伏(1945.5.7)


(3)アジア・太平洋戦線
ポイント①日本の東南アジア進出!
日本は欧米諸国の対中国支援を断ち切ろうと・・

<日中戦争(1937~1945)>
蒋介石 重慶政府
VS
日本(汪兆銘) 南京国民政府

欧米が東南アジアから中国を支援

「大東亜共栄圏」
日本を盟主とする東アジアのブロック構想

・北部フランス領インドシナ進駐

日独伊三国軍事同盟(1940.9)

日米交渉
米は一方的。中国からの日本軍の撤退、三国同盟からの撤退が議題。

日ソ中立条約(1941.4)北の防衛に成功

・南部フランス領インドシナ進駐

→米、対日石油禁輸策で対抗=ABCDライン
(Aアメリカ、Bイギリス、C中国、Dオランダ)

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ポイント②ついにアメリカが動いた!日米の開戦!
連合軍と枢軸国の対決へ

太平洋戦争(1941~1945)

真珠湾奇襲(1941.12.8)
→独・伊の対米宣戦

連合国 米・英・仏・ソ・中(反ファシズム)
VS
枢軸国 日・独・伊(ファシズム)

日本は石油を探す・・
・フィリピン占領
・マレー・シンガポール占領
・ジャワ・スマトラ占領
・ビルマ(ミャンマー)占領
現地の資源、労働力を使う。


(4)日本支配への抵抗と日本の敗北
ポイント①日本よ、出ていけ!
アジア諸地域で日本支配に抵抗する動きが活発に

<日本の植民地支配>
皇民化政策(日中戦争開始以降)朝鮮にて
神社参拝、日本語強制、創氏改名

朝鮮人の強制連行(太平洋戦争開始以降)

<日本支配への抵抗運動>
<中国・朝鮮>
(中国)・・共産党軍と国民党軍の合流
(朝鮮)・・金日成(きんにちせい/キムイルソン)(朝鮮共産党)の抵抗運動

<東南アジア>
・ベトナム独立同盟(ベトミン)
指導者:ホーチミン

・ミャンマー
アウン・サン
日本支配に抵抗

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ポイント②タイムリミットは8月7日…
戦後処理をめぐって焦るアメリカの思いとは?

<日本の劣勢>
ミッドウェー海戦(1942.6.5~6.7)
日本✕ VS 〇アメリカ
日本の主力部隊が敗れる。ここから日本は劣勢に・・

・日本、ガダルカナル島より撤退

カイロ会談(1943.11)
米・英・中
対日本戦の基本方針を決定:カイロ宣言

・米軍、日本本土空襲
・米軍、沖縄本島上陸

ポツダム会談(1945.7)
トルーマン(米)、チャーチル(→アトリー)(英)、スターリン(ソ)

Fローズヴェルトはヤルタ会談まで。→このとき米ソは密約。「独が降伏した後、3カ月たっても日本が降伏しない場合、日ソ中立条約を破棄して、ソ連も入ってきてくれ。」と。
→しかしトルーマンは戦後の日本を米だけで占領したかったので、ソ連が入ってくる期限の8/7までに戦争を終わらせたかった

戦後のドイツと日本の処理を協議
ポツダム宣言:日本に対し無条件降伏を勧告

・アメリカ、広島に原爆投下(1945.8.6)
・ソ連、対日宣戦(1945.8.8)
・米、長崎に原爆投下(1945.8.9)
(→5年間で30万人以上の人が亡くなる・・)
日本無条件降伏(1945.8.15)
第二次世界大戦の集結


(5)敗戦国の処理
ポイント①ヨーロッパの戦後処理
ドイツは徹底して戦勝国が管理するシステムへ

<ドイツの戦後処理>厳重に管理
ニュルンベルク裁判
・ドイツ4カ国分割占領(分割管理)
西側管理地区:米・英・仏
東側管理地区:ソ連
・ベルリン分割管理

<その他の戦後処理>
・オーストリア
4カ国共同管理・・米・英・仏・ソ
オーストリア国家条約・・主権回復(永世中立国になる)

・パリ講和条約(1947)
伊、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランド
領土変更や賠償金などを規定

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ポイント②日本の戦後処理
ドイツとは違ってアメリカが単独で管理

<日本の戦後処理>
東京裁判(極東国際軍事裁判)
・連合国軍総司令部(GHQ)
マッカーサー元帥
日本政府を通して日本国民を間接的に支配。
(米単独支配→アジアの反共の防壁にしたかった。)

・日本の非軍事化と民主化
軍隊の解散、農地改革、財閥解体など

日本国憲法の発布
(公布)1946年11月3日
(施行)1947年5月3日(→憲法記念日に)

・サンフランシスコ講和会議
日本と連合国との講和条約討論
↓↓
サンフランシスコ平和(講和)条約(1952)
日本、主権を回復

 


(6)国際連合の設立と戦後経済の再建
ポイント①世界大戦を防ぐための、新たな組織
国際連盟の失敗をいかした集団安全保障体制

<戦後の国際平和構想>
・ダンバートン=オークス会議
米英ソ中の代表により「国際連合憲章」の原案が作成

・ヤルタ会談
常任理事国に拒否権を付与
↓↓
サンフランシスコ会議(1945)
(※「サンフランシスコ講和会議」とは別物。→これは日本の主権回復の話)
国際連合憲章の発表→国際連合の創設

国際連合(国連)本部:ニューヨーク>
・総会:加盟各国1票の投票権をもつ多数決制
緊急時は・・
↓↓
安全保障理事会(安保理)
常任理事国(米英仏ソ中)拒否権を有する

<付属機関>
・経済社会理事会
・国際労働機関(ILO)
・国際司法裁判所
・ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)UNESCO
・世界保健機関(WHO)

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ポイント②戦後の経済秩序の再建!
アメリカが中心となって世界経済の再建を試みる

第二次世界大戦の原因は「世界恐慌」による経済困窮。

ブレトン=ウッズ国際経済体制>米中心の経済体制
ブレトン=ウッズ会議
・国際通貨基金(IMF)=緊急時。財政破綻。
・国際復興開発銀行(IBRD)=戦後の復興の支援

唯一爆撃を受けていない国はアメリカ
・米ドルと各国通貨の交換比率を固定・・固定為替相場

・ガット(GATT・関税および貿易に関する一般協定)
自由で平等な国際貿易を目指す。ブロック経済はしないように。
↓↓
・世界貿易機関(WTO)へと発展・解消(1995)
自由貿易拡大のためのルールづくり
経済のグローバル化を促進する

 


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