『女帝エカテリーナ』 – 歴史note

漫画『女帝エカテリーナ』1巻メモ

コミック文庫・漫画『女帝エカテリーナ』1巻
著者:池田理代子 原作:アンリ・トロワイヤ

(メモ)
エカテリーナ2世 18C啓蒙専制君主
1729-1796(67才没)
在位1762-1796(33才-67才)

ゾフィー・フォン・アンハルト=ツェルプスト
シュテッティン(神聖ローマ帝国)の貴族の娘。
現・ポーランド
(シュテッティンからトリエステまで。(鉄のカーテン))

クリスチアン=アウグスト公の第一皇女。
アンハルト=ツェルプスト家。

母の実家、ホルシュタイン=ゴットルプ家。
ロシア皇帝と縁深い。
母ヨハンナの兄はエリザベータの婚約者だった。

コルネイユ(悲劇)、ラシーヌ(悲劇)、モリエール(喜劇)
フランス古典文学(17C)

ピョートル3世は、ピョートル大帝の孫。ホルシュタイン家。
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン

ピョートル1世=エカチェリーナ1世
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アンナ(姉) エリザヴェータ(妹)

ピョートル3世=エカチェリーナ2世

 

(Wikipedia)

18C当時ヨーロッパは絶対主義国家の完成期。
中央集権的な国家統一と植民地活動により、国家間の対立が色濃くなっていた。

・イギリス ハノーヴァー朝 ジョージ2世
・フランス ブルボン朝 ルイ15世
・プロシア※ ホーエンツォレルン家 フリードリヒ2世
(※プロイセンの英語名)
・オーストリア ハプスブルク家 マリア・テレジア
・ロシア ロマノフ朝 エリザヴェータ女帝

 

1743年頃?ゾフィーが14才でロシアに来たころ、
ヨーロッパではオーストリア継承戦争(1740-1748)の最中。
オーストリア VS プロイセン
(→アーヘンの和約で墺はシュレジェン地方をプロイセンに割譲)

ロシア二大勢力
・反プロシア
副宰相ベストゥージェフ
VS
・親プロシア・仏
ラ・シェタルディー候

ゾフィー(エカテリーナ2世)は、プロシア大王、フリードリヒ2世の推薦で(=大王のロシアへの思惑を背負って)ロシアへ嫁いだ。

都:ペテルブルグ

ピョートル3世はプロイセン・フリードリヒ大王に傾倒。
エカテリーナはルター派からロシア正教に改宗。ロシア語も学ぶ。

エカテリーナ=アレクセーエヴナと改名。

ラズモフスキー伯
エリザヴェータの側近

1745年 婚礼(エカテリーナ16才)

シベリア
シュリュッセルブルグの牢獄

チョグローコヴァ夫人

ヴォルテール(仏)
啓蒙主義
偉大で先進的で合理的な思想。

セルゲイ・サルトゥイコフ
レオン・ナルィシキン

1754年 25才
パーヴェル1世誕生

1688 名誉革命
英ジョン・ロック『政治論二編』『統治論』
立憲君主制を理想とする→憲法に従って行われる君主制。君主の権力が議会の制限を受ける。

仏・モンテスキュー『法の精神』三権分立『ペルシア人への手紙』
仏・ヴォルテール『哲学書簡』

英国大使・ウィリアムズ
スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ伯爵(ポーランド)

英は仏と不和。ロシアに近づきたい。
また英はプロシア陣営でもある。

英・プロシア VS 仏

ロシアを引き入れたい