『女帝エカテリーナ』 – 歴史note

漫画『女帝エカテリーナ』3巻メモ

漫画『女帝エカテリーナ』3巻 メモ

アゾフ、オデッサ、セヴェストーポリ、コンスタンチノープル

アレクサンドル・ランスコーイ
プラトン・ズーボフ

ロシアがポーランドへ侵攻。
→オスマン帝国とロシアの数十年の戦いへ発展。

仏はトルコにロシアを攻めさせた。

1768-1774
第一次ロシア=トルコ戦争

エルミタージュ美術館
隠れ家の意味。仏ルソーにならって。

1772 第一回ポーランド分割

ロシア、オーストリア、プロシアで分ける。

1773-75 プガチョフの乱
(百年前のステンカ・ラージンの乱さながら)
ロシア南部から北上。

1978(49才)孫誕生。後のアレクサンドル1世。

1783年(54才)アレクサンドル・ランスコーイ亡くなる。

その後、アレクサンドル・マモーノフとクリミア旅行へ。トルコの怒りを買う。

1788-93 第二次ロシア=トルコ戦争

1789 フランス革命には反対の姿勢

コシューシコ
ポーランドの対ロシア反乱。鎮圧される。

1795年
第三次ポーランド分割

共和主義の取り締まり。

1796年(67才)逝去。

漫画『女帝エカテリーナ』2巻メモ

コミック文庫・漫画『女帝エカテリーナ』2巻
著者:池田理代子 原作:アンリ・トロワイヤ

(メモ)
エカテリーナ2世 18C啓蒙専制君主
1729-1796(67才没)
在位1762-1796(33才-67才)

副宰相ミハイール・ヴォロンツォーフ伯

姉:エリザヴェータ・ヴォロンツォーヴァ
妹:エカテリーナ・ヴォロンツォーヴァ

VS
宰相ベストゥージェフ伯

スタニスワフ・ポニャトフスキ

英・プロシア
VS
仏・オーストリア
ロシアは仏と条約を結んだので、敵はプロシア・フリードリヒ2世。

権謀術数(けんぼうじゅっすう):はかりごと

北アメリカでの英仏の植民地争い

1756-1763 七年戦争へ
(墺が普からシュレージエンを取り返そうとした。)

オルローフ家
長男:イヴァン
次男:グリゴーリー
三男:アレクセイ
四男:フョードル
五男:ウラジーミル

1762年 エリザヴェータ女帝崩御
ピョートル3世即位

七年戦争で敵として戦っていたプロシアと停戦。
プロシア側に付く。

・キケロ・・古代ローマの政治家・哲学者。哲学を学び、理性的に生きれば、一生のいかなる時期も憂いなく生きることができると説いた。
・プルタルコス・・古代ギリシアの哲学者・著述家。プラトン哲学の流れ。
・マルクス・アウレリウス・・五賢帝最後のローマ皇帝。ストア派の哲学者。自らを律し、他人や環境に左右されずに、常に自己を成長させようと努力した。
・セヴィニエ夫人・・仏貴族。書簡作家

唯々諾々(いいだくだく):人の言うことを何でも承諾し、逆らわないさま

侍女のエカテリーナはダーシュコヴァ夫人となっている。

アレクセイを出産。

オラニエンバウム。

グリゴーリー・ポチョムキン

1762年
クーデター
エカテリーナ2世即位(33才)

 

国境隣接ポーランド アウグスト3世
トルコ(ギリシア正教会発祥の地コンスタンティノープル)
ムスターファ3世

 

イヴァン・アントノーヴィチ
(イヴァン6世)

 

漫画『女帝エカテリーナ』1巻メモ

コミック文庫・漫画『女帝エカテリーナ』1巻
著者:池田理代子 原作:アンリ・トロワイヤ

(メモ)
エカテリーナ2世 18C啓蒙専制君主
1729-1796(67才没)
在位1762-1796(33才-67才)

ゾフィー・フォン・アンハルト=ツェルプスト
シュテッティン(神聖ローマ帝国)の貴族の娘。
現・ポーランド
(シュテッティンからトリエステまで。(鉄のカーテン))

クリスチアン=アウグスト公の第一皇女。
アンハルト=ツェルプスト家。

母の実家、ホルシュタイン=ゴットルプ家。
ロシア皇帝と縁深い。
母ヨハンナの兄はエリザベータの婚約者だった。

コルネイユ(悲劇)、ラシーヌ(悲劇)、モリエール(喜劇)
フランス古典文学(17C)

ピョートル3世は、ピョートル大帝の孫。ホルシュタイン家。
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン

ピョートル1世=エカチェリーナ1世
|    |
アンナ(姉) エリザヴェータ(妹)

ピョートル3世=エカチェリーナ2世

 

(Wikipedia)

18C当時ヨーロッパは絶対主義国家の完成期。
中央集権的な国家統一と植民地活動により、国家間の対立が色濃くなっていた。

・イギリス ハノーヴァー朝 ジョージ2世
・フランス ブルボン朝 ルイ15世
・プロシア※ ホーエンツォレルン家 フリードリヒ2世
(※プロイセンの英語名)
・オーストリア ハプスブルク家 マリア・テレジア
・ロシア ロマノフ朝 エリザヴェータ女帝

 

1743年頃?ゾフィーが14才でロシアに来たころ、
ヨーロッパではオーストリア継承戦争(1740-1748)の最中。
オーストリア VS プロイセン
(→アーヘンの和約で墺はシュレジェン地方をプロイセンに割譲)

ロシア二大勢力
・反プロシア
副宰相ベストゥージェフ
VS
・親プロシア・仏
ラ・シェタルディー候

ゾフィー(エカテリーナ2世)は、プロシア大王、フリードリヒ2世の推薦で(=大王のロシアへの思惑を背負って)ロシアへ嫁いだ。

都:ペテルブルグ

ピョートル3世はプロイセン・フリードリヒ大王に傾倒。
エカテリーナはルター派からロシア正教に改宗。ロシア語も学ぶ。

エカテリーナ=アレクセーエヴナと改名。

ラズモフスキー伯
エリザヴェータの側近

1745年 婚礼(エカテリーナ16才)

シベリア
シュリュッセルブルグの牢獄

チョグローコヴァ夫人

ヴォルテール(仏)
啓蒙主義
偉大で先進的で合理的な思想。

セルゲイ・サルトゥイコフ
レオン・ナルィシキン

1754年 25才
パーヴェル1世誕生

1688 名誉革命
英ジョン・ロック『政治論二編』『統治論』
立憲君主制を理想とする→憲法に従って行われる君主制。君主の権力が議会の制限を受ける。

仏・モンテスキュー『法の精神』三権分立『ペルシア人への手紙』
仏・ヴォルテール『哲学書簡』

英国大使・ウィリアムズ
スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ伯爵(ポーランド)

英は仏と不和。ロシアに近づきたい。
また英はプロシア陣営でもある。

英・プロシア VS 仏

ロシアを引き入れたい