ロシア – 歴史note

【46】経済危機と冷戦の終結

【46】経済危機と冷戦の終結
(1)世界的な経済危機
(2)ソ連の動向と冷戦の終結
(3)ソ連の崩壊と東欧諸国の民主化
(4)アメリカの動向
(5)西ヨーロッパ諸国


(1)世界的な経済危機
ポイント①国際経済体制の行き詰まり
アメリカ中心の経済はもう限界

<1970年代の経済的な危機>
ドル危機(ドル=ショック)(1971)
アメリカが金とドルの交換を停止
→ブレトン・ウッズ国際経済体制の崩壊

・第1次石油危機(オイルショック)(第4次中東戦争)

サミット(先進国首脳会議)の開催
欧米諸国が強力して世界の経済問題に対処するために協議

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②経済危機に立ち向かえ!アメリカ大統領の奮闘
ニクソン・カーター・レーガンの政治

トルーマン→アイゼンハワー→ケネディ→ジョンソン→ニクソン→フォード→カーター→レーガン→ブッシュ(父)

ニクソン大統領(任1969~1974)>共和党
・ドル=ショック(1971)
ウォーターゲート事件
民主党の事務所に盗聴器の設置を指示
→ニクソン辞任(1974)

カーター大統領(任1977~1981)>
・「人権外交」
・米中国交正常化
ソ連、アフガニスタンに軍事介入
→また米ソが対立
・第2次石油危機

レーガン大統領(任1981~1989)>
・「強いアメリカ」軍備拡張
新自由主義の提唱
「小さな政府」を目指す(=国家がお金を使わない)
国内改革と財政の再建
「もう1回経済はほったらかしにしよう」

経済摩擦(貿易摩擦)
日米間の貿易問題

「双子の赤字」
財政赤字と貿易赤字
(貯金もない、収入もない)

プラザ合意
ドル安政策を進める


(2)ソ連の動向と冷戦の終結
ポイント①ソ連の「新思考外交」
方針を転換するソ連の思惑

スターリン→フルシチョフ→ブレジネフ→2人→
ゴルバチョフ書記長(任1985~1991)>
(国内)
ペレストロイカ(改革)
ソ連の自由化、民主化

チェルノブイリ原子力発電所事故
(1986 ウクライナ)
↓↓
グラスノスチ(情報公開)

(外交)
「新思考外交」
平和に歩みよる。
・中距離核戦力(INF)全廃条約
・アフガニスタン撤退
・中ソ国交正常化

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②冷戦の終結
歩み寄る米ソ両首脳

カーター→レーガン→
ブッシュ(父)大統領(任1989~1993)>
マルタ会談(1989)
地中海マルタ島
ソ連のゴルバチョフ書記長と共に冷戦の終結を宣言
↓↓
・第1次戦略兵器削減条約(START I)
(今までは「制限」だった。今後は減らしていく)


(3)ソ連の崩壊と東欧諸国の民主化
ポイント①ソ連の崩壊
現在のロシア連邦が成立する

<ゴルバチョフ大統領(任1990~1991)>
・コメコン解消、ワルシャワ条約機構解消
・保守派クーデタ→失敗
ソ連共産党解散
・バルト3国独立回復
↓↓
独立国家共同体(CIS)の成立(1991)
安全保障・経済・文化などの面で旧ソ連各国の協力体制を目指す
ソビエト政府・・強い締め付けで各国を一つに束ねていた
CIS・・緩やかな連合で、それぞれが協力していく

ゴルバチョフ大統領辞任→ソ連消滅(1991)

ロシア連邦>(1991)
エリツィン大統領(任1991~1999)
チェチェン紛争の激化
(ロシア連邦からの独立をめざすイスラーム国家。チェチェン共和国)

プーチン大統領(任2000~2008)
チェチェン紛争の再激化。軍事で弾圧。

メドヴェージェフ大統領(任2008~2012)
プーチン大統領(任2012~現在)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②東欧諸国の民主化
共産党一党体制が崩壊していく・・

ゴルバチョフ発言「ソ連は他の国に干渉しない」
ルーマニア、ポーランドで民主化があってもソ連は手を出さない
↓↓
東欧革命・・民主化

東欧社会主義圏の消滅(1989)>
ポーランド自主管理労組「連帯」
指導者:ワレサ(→後に大統領に)
東欧諸国初の自由選挙で「連帯」が政権を獲得

チャウシェスク処刑(ルーマニア独裁者)(1989)

ホネカー退陣(東ドイツ)
ベルリンの壁開放
東西ドイツ統一(1990)

==========
ユーゴスラヴィア内戦
(6つの共和国で構成)
[1]クロアティア(カトリック国)
[2]スロヴェニア(メラニア・トランプ夫人の出身地)(カトリック国)
[3]セルビア(ギリシア正教・中心的存在)
[4]モンテネグロ
[5]マケドニア
[6]ボスニア・ヘルツェゴビナ
6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字
ティトーがまとめていたが、没後、米ソ冷戦終結後、混乱。。

クロアティア、スロヴェニア両共和国、独立宣言(1991)

マケドニア独立宣言

ボスニア・ヘルツェゴビナ独立宣言(1992.3)

新ユーゴスラヴィア連邦成立
セルビア、モンテネグロのみ

ボスニア内戦(1992~1995)>
ボスニア・ヘルツェゴビナには、イスラーム教徒、クロアティア人、セルビア人の3つの民族が住む。
↓↓
ボスニアをめぐって、クロアティアとセルビアが武力干渉。
米が割って仲介に入る。

コソヴォ問題
セルビアのコソヴォ自治州でアルバニア系住民が独立運動
「自分たちはセルビア人じゃない。セルビアから独立したい」
↓↓
セルビアのミロシェヴィッチ大統領が弾圧。民族浄化。
↓↓
NATO軍、セルビア空爆(1999)

 


(4)アメリカの動向
ポイント①9.11の悲劇
「対テロ戦争」の始まり

ブッシュ(父)冷戦終結→
クリントン大統領(任1993~2001)>(民主党)

北米自由貿易協定(NAFTA)
アメリカ、カナダ、メキシコの3国で関税を引き下げ、自由貿易協定
→メキシコ農家が大ダメージ
→都市労働者が増え、賃金が下がる・・

インターネットを民間へ開放(1990年代)
元々、軍事機密だった。
↓↓
情報技術(IT)革命
コンピュータや携帯電話の発達。
→経済危機から一転、米の経済は、急成長

==========
クリントン→
ブッシュ(子)大統領(任2001~2009)>
同時多発テロ事件(2001/9/11)
アメリカ世界貿易センタービルに旅客機が追突
アメリカ国防総省ペンタゴンに旅客機が墜落
↓↓
「対テロ戦争」宣言の発表
アル=カーイダ(国際テロ組織)の犯行と断定
首班:ビン=ラーディン
↓↓
米軍、アフガニスタン攻撃。軍事侵攻
ターリバーン政権(イスラーム武装組織)が、アル・カーイダをかくまっている。
→ターリバーン政権が崩壊

米軍、イラク攻撃イラク戦争(2003))
サダム・フセインが大量破壊兵器を持っているとイラクへ侵攻

英・日は賛同、支援。
仏などは批判。ただの武力侵攻だ。

→フセイン政権の崩壊。
ブッシュ(子)は米の単独行動主義。
(ブッシュ(父)は湾岸戦争1991)

イラク復興支援特別措置法(2003)
小泉純一郎内閣
→自衛隊の海外派遣(イラクへ)
小泉・ブッシュ(子)は親友

2008年国際金融危機(リーマンショック)
世界的な大不況
G20(サミット)
金融に関する国際会議の開催

アフガン侵攻、イラクへの侵攻、さらにリーマンショックで、米は再び経済危機に・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②オバマ大統領の「核廃絶演説」
核兵器を使用した唯一の国、アメリカ

ブッシュ(子)→
オバマ大統領(任2009~2017)>
アメリカ初の黒人大統領

核兵器廃絶演説(at チェコ・プラハ)(2009)
同年、ノーベル平和賞を受賞

国連平和維持活動(PKO)非政府組織(NGO)
軍隊を紛争地域に突入させるのではなく、平和的に紛争の調停をする


(5)西ヨーロッパ諸国
ポイント①新たな経済政策へ・・・
イギリス、ドイツで起きた経済危機とは?

(イギリス)
アトリー内閣・社会福祉の充実→
サッチャー内閣(任1979~1991)>保守党
マーガレット・サッチャー
英初の女性首相
「イギリス病(慢性的な不況)」の克服を目指す

新自由主義(米・レーガンと同じ)
「小さな政府」をめざす
社会福祉の削減、国有企業の民営化、自由競争奨励

フォークランド戦争(1982)
アルゼンチン✕ VS 〇イギリス
英領のフォークランドを南米アルゼンチンが占領。
英は大軍を送り込み鎮圧。英勝利。
強硬外交

(ドイツ)
コール首相(任1982~1998)>西ドイツ→統一ドイツ
ベルリンの壁開放ドイツ統一

ドイツ連邦共和国(西独が東独を吸収する形)
首都:ベルリン

東西格差問題
→外国から安い労働力を入れて、ドイツの産業発展をめざしたが・・
↓↓
外国人労働者問題
トルコ人などの外国人労働者が多く流入
→国内のドイツ人失業者が増加
↓↓
ネオ・ナチの登場
外国人労働者を排斥

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②EUの発足
かつての社会主義諸国も参加

1967 ECの成立→1980年代 12カ国に拡大→
EU(ヨーロッパ連合)
マーストリヒト条約(オランダで締結)
欧州連合の推進を目的
経済・通貨・政治面で統合を進展
↓↓
ヨーロッパ連合(EU)の発足(1993)
本部:ブリュッセル(ベルギー)
(最寄駅は「シューマンステーション」(仏外相)「ヨーロッパは統合してくべきだ」)

ユーロの導入(統一通貨)
1999 銀行決済
2002 各国の通貨になる
→ドルに対抗する国際通貨に

・かつての東欧社会主義国も参加→20カ国に。
経済的のみ。政治的にはまだ。

 


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【37】第一次世界大戦後の欧米諸国

【37】第一次世界大戦後の欧米諸国
(1) 戦勝国アメリカの栄華
(2) 戦勝国イギリス・フランス
(3) 敗戦国ドイツの復興
(4) ファシズムの台頭
(5) 東欧諸国の動向


(1)戦勝国アメリカの栄華
ポイント①第一次世界大戦を勝利に導いたウィルソン!
急速に保守化するアメリカ社会・・

米が政治・経済No1に!排他・排外的になる。

民主党政権(1913~1921)>
28代ウィルソン大統領
禁酒法(1920~1933)
(厳格なプロテスタント(ピューリタン)の意思を反映)

女性参政権(1920)男女平等選挙権
(総力戦で女性も兵器工場で働いた。→女性の地位向上)

モンロー主義「米は米、欧は欧」のように昔に戻そう。
ヴェルサイユ条約の批准を拒否(上院の反対)
米は国際連盟不参加
さらに保守化が進み、次は共和党が政権を取る。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②排外的なアメリカ社会の「裏」の顔
共和党政権下に露わになったアメリカの「光」と「影」

共和党政権(1921~1933)>3代続く
排外的。(外国人出ていけ)。さらに保守的に。

債権国アメリカ
米は債務国から→債権国になった。
WW1の連合国の兵器工場になったため。

・大量生産・大量消費
へ。
大衆消費社会。新聞やラジオ放送など。

WASP(ワスプ)北部都市・白人中心階級
白人(White)、アングロ・サクソン(AS)、プロテスタント(P)。
↓↓
・K・K・K(クー・クラックス・クラン)活動再開。
黒人、黄色人種の差別。
↓↓
・サッコ・ヴァンゼッティ事件(伊系・冤罪)
2人のイタリアの無政府主義者への冤罪事件

移民法(1920)
アジアからの移民は全面禁止。排日移民法。


(2)戦勝国イギリス・フランス
ポイント①躍進する社会主義勢力
イギリスでは初の社会主義政党が政権を獲得

<英>
ウィンザー朝(1917~現在)
(王家が変わったのではなく、ハノーヴァー朝から改名。ハノーヴァーはドイツ読みなので。)
スチュワート朝⇒ハノーヴァー朝(独出身の諸侯)
(ウィンザーはバッキンガム宮殿がある地名)

ロイド・ジョージ挙国一致内閣
・第4回選挙法改正(1918)
21才以上の男性、30才以上の女性に選挙権。
イギリス初の女性選挙
(※世界初の女性選挙権はニュージーランド。(1893))

第1次マクドナルド内閣(1924)
英で労働党内閣。(社会主義政党)。自由党と連立したが崩壊。

第5回選挙法改正(1928)
21歳以上の男女に選挙権。

お金に余裕がないので植民地支配の方針を変更
↓↓
ウエストミンスター憲章(1931)
自治領をイギリス本国と同党の地位を与える。法的に制定。
大英帝国」⇒「イギリス連邦」と改称。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランス外交は「本音」と「建て前」!?
ヨーロッパ諸国の顔色をうかがう外交

<仏>
対ドイツ強硬外交
・クレマンソー挙国一致内閣
・ポワンカレ内閣。
ルール占領(ルール出兵)→仏は他の欧米に怒られた。
↓↓
対ドイツ協調外交に変更
本音:独のことキライ。
建前:手のひら返しで独と協調

・左派連合政権
ソ連の承認、ロカルノ条約締結。

・ポワンカレ内閣
不戦条約(1928)パリで調印。
米ケロッグ、仏ブリアン。


(3)敗戦国ドイツの復興
ポイント①第一次世界大戦後のドイツ国内の混乱!
帝政から共和制へ移行するドイツが直面した問題

ドイツ革命(1918~1919)>
キール軍港の水兵反乱。
「評議会(レーテ)」が成立。労働者・兵士の代表が集まる会議。
(ロシアでは「ソビエト」、ドイツでは「レーテ」と呼ばれる。)
ヴィルヘルム2世亡命。
↓↓
ドイツ共和国成立。(王や皇帝がいない)
ドイツ休戦協定を締結。

スパルタクス団の結成。(「ドイツ共産党」の母体)
ドイツをロシアのような社会主義国家にしようと暴動。←鎮圧。
・カール・リープクネヒト
・ローザ・ルクセンブルク(ポーランド出身の女性革命者)

ヴァイマル国民議会の開催(1919)
社会民主党が主導
初代大統領・・エーベルト
↓↓
ヴァイマル(ワイマール)憲法
当時世界で最も民主的主権在民、男女平等の普通選挙。労働者の団結権、団体交渉権の保障。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界でもっとも民主的な国が抱えたトラブル!
巨額の賠償金がドイツ社会に大きな影響を及ぼす・・

ヴァイマル共和国(ドイツ共和国)

<賠償問題>
仏にルール占領される⇒激しいインフレ
・帝政派の軍部クーデタ
・ドイツ共産党の武装蜂起など
国内は混乱・・

シュトレーゼマン大連合内閣>
・首相:シュトレーゼマン
レンテンマルク紙幣の発効。(1兆マルク=1レンテンマルク)
インフレを奇跡的に収束。
↓↓
<2代目大統領 ヒンデンブルク
・協調外交(シュトレーゼマン外相)
ロカルノ条約の締結→ドイツの国際連盟の加盟。
不戦条約の締結

着実に復興を歩む・・。
(シュトレーゼマンはノーベル平和賞受賞。仏ブリアンとともに。)


(4)ファシズムの台頭
ポイント①戦勝国なのに混乱するイタリア
民主主義の矛盾をついた新しい政治思想の登場

(イタリア)
ヴェルサイユ体制への不満
戦勝国だけど不満→参戦の条件に英仏と約束した「未回収のイタリア」が一部回収できなかったから。
↓↓
フィウメ問題(イタリア人が多く住む地域)
南チロル、トリエステは回収できたが、フィウメはユーゴスラヴィア領に→その後、国際連盟の管理下に

・戦後の不況問題
北イタリアでストライキ。←政府(イタリア社会党)が鎮圧。
「社会党(社会主義)」は労働者の味方じゃないのか!」失望・・。
↓↓
新しい政治思想。ファシズムの台頭。
貧富どちらにも支持される。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ムッソリーニの一党独裁体制の確立!
民衆から支持を集め、独裁政治を行う

<ムッソリーニ(ファシスト党)(1883~1945)>
ファシスト党の結成
反社会主義
→資本家・地主・軍部に支持を拡大

国家による経済統制
仕事は与える。物価は下げる。
→下層階級からも支持
↓↓
「ただし言論の自由は許さない!」
ファシズム全体主義

ローマ進軍
ムッソリーニのクーデター。
国王はムッソリーニの組閣を承認。政権を獲得
↓↓
・フィウメ併合
国民から支持が高まる
↓↓
ファシスト党の一党独裁制
の成立
ファシズム代表議会

アルバニア保護国化
植民地拡大(バルカン半島・モンテネグロの南)
強いイタリアをアピール

ラテラン条約(1929)
ローマ教皇との和解
(イタリア政府とローマ教皇は断絶していた。→イタリア統一運動の普仏戦争1870で教皇領を奪ったため。)
→ヴァチカン市国(しこく)の成立承認。
(※ナポレオンもローマ教皇と和解して国民の人気を獲得していた)

↓↓
イタリア国民の仲間意識を高めていく。
当時イタリア国民はファシズムを支持


(5)東欧諸国の動向
ポイント①独裁政治のほうが都合が良い!?
西ヨーロッパ諸国は東欧の独裁政治を認める

・ウィルソン提唱の「民族自決」が東欧には適用され独立。

東欧諸国の独裁ポーランド)>
・ソヴィエト✕=ポーランド戦争〇
ポーランドは勝利し、領土を獲得。
ピウスツキの独裁体制(議会は無視)

東欧諸国の独裁ハンガリー)>
ハンガリー革命(1918~1919)
社会党や共産党がソヴィエト政権(社会主義)を樹立。
→ハンガリー共和国の独立←ルーマニア軍介入で崩壊。
↓↓
・ホルティの独裁
王政を復活。社会主義を阻止

西欧の考え
→「社会主義さえ阻止してくれれば、独裁でもいい」

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界が注目!ソ連経済の急成長
社会主義国家の計画経済とは?

レーニンの死(1924)ロシア革命の指導者・ソ連の創始者
後継者をめぐって2人が争う。
↓↓
[1]トロツキー✕:「世界革命論
西欧や世界に革命を広げよう。政治的援助が必要。
(→メキシコで暗殺される)
VS
[2]スターリン〇:「一国社会主義論
社会主義の建設はソヴィエト一国で充分。

スターリン体制(1930年代)>
粛正
スターリン反対派を大量に処刑。

スターリン憲法(1936)
形式的な民主主義。男女平等。民族平等。(→書いただけで実際はやらない)

<ソ連の計画経済>
第1次五カ年計画(1928~1932)
重工業重視の工業化。→工業国へと急成長。
農業の集団化、機械化。
コルホーズ(集団農場)桑・機械などを共同で利用
ソフホーズ(国営農場)作物は国のもの。賃金を支払う。

■ 第2次五カ年計画(1933~1937)
・軽工業の発展

↓↓
ソ連は欧米に並ぶ経済大国に成長。西欧には社会主義が脅威となってくる・・。

 


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【35】第一次世界大戦とロシア革命

【35】第一次世界大戦とロシア革命
<第一次世界大戦>1914-1918
(1) 20世紀初頭の国際情勢
(2) 第一次世界大戦の勃発
(3) 第一次世界大戦の終結
(4) ロシア二月革命
(5) ロシア十月革命。史上初、社会主義国家の誕生
(6) 内戦と諸外国の干渉


(1)20世紀初頭の国際情勢
ポイント①もう一度確認!20世紀初頭の列強の同盟関係
ドイツに対抗するために生まれた国際関係を整理

ドイツ VS ロシア
(ビスマルク時代)
・三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)
・独と露は再保障条約(秘密条約)

(ヴィルヘルム2世時代)
再保障条約を更新せず、ロシアとけんかを始める。
↓↓
仏はそれをのがさず、露と手を結ぶ。
露仏同盟(1891)
ヨーロッパの情勢が一気に変わる。

※三国同盟のイタリアオーストリアは領土をめぐって、実はギクシャク状態。(未回収のイタリア

ヴィルヘルム2世はこれを解決せず、露にけんかを売ってしまった。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生!
三国同盟と三国協商の対立

ドイツ VS イギリス(三国協商の成立)

独はロシアにけんかを売ったあと、英にもけんかを売る。
ドイツの方が工業力で上になった。
↓↓
「光栄ある孤立」だった英が、他の国と初めてくっつく。
・日英同盟(1902)
↓↓
・英仏協商(1904)
一緒にドイツを止めましょう。エジプト(英)とモロッコ(仏)の相互承認。
↓↓
英露協商(1907)
↓↓
三国協商(1907)

三国同盟:独・伊・オーストリア
VS
三国協商:英・仏・露
↑↑
独キライ同盟。
露仏同盟(1891)。英仏協商(1902)。英露協商(1907)。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント③バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」
一つの火種が大爆発を起こす

<バルカン半島の危機>
なぜ危険?→の思惑がバルカン半島にあったため。

パン=ゲルマン主義(ドイツ)
VS
パン=スラヴ主義(ロシア)
セルビア・・パン=スラヴ主義の中心勢力。バルカン半島はスラブ人が多い。独は入ってくるな。

バルカン半島の情勢が悪化していく・・

青年トルコ革命(1908)→オスマン帝国(トルコ国内が混乱)
・便乗する形でブルガリアが独立。
・そのすきにオーストリアが無理やり隣のボスニア・ヘルツェゴビナ併合。バルカン半島に勢力を伸ばしてくる。
↓↓
隣のセルビアは反発。

・イタリア=トルコ戦争
イタリアが、弱っているオスマン帝国に侵入。アフリカのリビアを獲得。
↓↓
セルビアは、この弱っているオスマン帝国の領土を奪う
↓↓
バルカン同盟(1912)
セルビア・ブルガリア・モンテネグロ・ギリシアの同盟(+ロシアの支援)

第1次バルカン戦争(1912)
バルカン同盟 〇VS ✕オスマン帝国敗北

第2次バルカン戦争(1913)
セルビア・モンテネグロ・ギリシア ルーマニア・オスマン帝国〇VS✕ブルガリア。仲間割れしてブルガリアが敗北
↓↓
負けたオスマン帝国ブルガリアは、セルビアロシアに反感を持つようになる。
↓↓
独、オーストリア側(三国同盟側)に付く。


(2)第一次世界大戦の勃発
ポイント①第一次世界大戦の引き金をひいたある事件!
セルビアの青年が放った銃弾が世界大戦を引き起こす・・

サライェヴォ事件(1914.6.28)
オーストリア帝位継承者夫妻・フェルディナント夫妻。
陸軍演習の視察でサライェヴォ(ボスニアの州都)を訪問。ボスニアはオーストリアが無理に併合した地域。

セルビア青年が夫妻を暗殺。
「にっくきオーストリアめ・・」
↓↓
オーストリアセルビアに宣戦
↓↓
ロシア協商国=連合国)がセルビアを支援。
↓↓
ドイツ同盟国)がオーストリア側に付く。露・仏に宣戦布告
↓↓
第一次世界大戦へ・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ロシア・フランス・イギリスに囲まれたドイツの戦術とは?
<ドイツの短期決戦作戦>
独は不利。三方を囲まれている。


独は短期決戦をめざし、まずは全力でを倒してその後ロシアへ。

■ 西部戦線との戦い)
独はベルギーの中立を侵犯し、仏・パリを攻めようとした。
(中立国は攻めてはいけない。国際ルール)
が怒る⇒英の対ドイツ宣戦。

マルヌの戦い(1914.9)
〇仏 VS ✕独

東部戦線との戦い)
タンネンベルクの戦い(1914.8)
仏に向かうさなか、ロシアが後ろから来た。独はロシアに勝利。
〇独 VS ✕露
勝った勢いのままロシアに侵攻するが、そこでは独は敗北

→膠着状態。長期戦へ・・。

海上戦との戦い)
独は潜水艦を使う。
ルシタニア号の撃沈。軍艦ではなく一般客船。
の国民が犠牲に。⇒米が怒る


(3)第一次世界大戦の終結
ポイント①日本の参戦!イタリアの裏切り!?
各国の思惑が一気に噴出した大戦の様相

日本の参戦(1914)
日英同盟
があったため英側協商国側)に付く。
が持つ中国領土を攻める。
・膠州湾青島(チンタオ)を占領。
二十一カ条の要求・・大隈重信内閣(早稲田大学創設)
どさくさに紛れて中国の植民地化を進める。
ドイツ領南洋諸島占領(マーシャル諸島など)

イタリアの参戦(1915)>
三国同盟の伊は中立を保っていた。それに英と仏は目を付ける。
→「未回収のイタリア」を渡すから・・と交渉。
イタリアの裏切り!三国同盟を離脱して英・仏に付く。

英の秘密条約
どうしても勝ちたいの3枚舌外交。オスマン帝国領土の3重契約。
[1]フセイン・マクマホン協定
オスマン帝国は英の敵の独側(同盟国側)。そこでアラブ人をオスマン帝国内で反乱を起こすようけしかける。アラブ人国家の独立を約束。(映画『アラビアのロレンス』)

[2]サイクス・ピコ協定
オスマン帝国領を英・仏・露で分割しよう。

[3]バルフォア宣言
パレスチナ(オスマン帝国領内)におけるユダヤ人国家建設を支援。「だからユダヤ人さん、お金を貸して」
↓↓
現在まで続く中東問題の諸悪の根源に・・。

・英は植民地のインドにも自治の約束

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界大戦の終結に向けて
1917年は世界大戦の動向に大きな影響を与えた年!

協商国連合国)英・仏・露・米・日・伊など20カ国
VS
同盟国 独・墺・オスマン帝国・ブルガリア

総力戦
国民全員で一致団結。
女性の工場労働。兵器工場。

ヴェルダン要塞をめぐる攻防
独✕ VS 〇仏

ソンムの戦い
英軍が初めて戦車(タンク)を使う。→決着は付かず

独・無制限潜水艦作戦(1917)
「すべての船を無警告で撃沈する。」
が怒る。米参戦を決定。(1918)
ウィルソン大統領
十四カ条の発表

ロシアの単独講和
ブレスト=リトフスク条約(1918)
ロシア革命が起こり、ロシアは戦線離脱。独と休戦

・ブルガリア、オスマン帝国、オーストリア降伏

ドイツ革命(1918~19)
キール軍港の水兵反乱
各地にレーテ(評議会)が成立
皇帝ヴィルヘルム2世は亡命共和制へ・・。

ドイツ休戦協定
第一次世界大戦終結

 


(4)ロシア二月革命
ポイント①ついにロシアで不満が爆発!ロシア二月革命
第一次世界大戦の戦況悪化が革命の引き金に・・

ロシア二月革命(1917)(西暦では三月革命)
第一次世界大戦で民衆が不満を高める。
ペトログラード蜂起(←ロシア読み。「ペテルブルク」は独語)
労働者、兵士も合流。
↓↓
ソヴィエトの結成
労働者と兵士の代表による評議会(会議)。皇帝に対し早く戦争終結を求める。
↓↓
皇帝ニコライ2世の退位
ロマノフ朝の滅亡。皇帝がいなくなり共和制(王や皇帝がいない)へと移る。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②二重権力の時代
臨時政府とソヴィエトが併存するロシア社会の行方

臨時政府
中心:立憲民主党
金持ちが支持。戦争継続の方針。

ロシアの4つの政党
[1]立憲民主党・・富裕層が支持
[2]社会革命党・・農民が支持
[3]メンシェヴィキ・・穏健派
[4]ボリシェヴィキ・・急進派

ソヴィエト
中心:社会革命党・メンシェヴィキ
即時講和(戦争を終わらせる)

二重権力
臨時政府 VS ソヴィエト

レーニン(ボリシェヴィキ)
亡命先のスイスから帰国し「四月テーゼ」を発表。
「すべての権力をソヴィエトへ」臨時政府はいらない。
即時講和を主張。
→臨時政府に追われて亡命

ケレンスキー
社会革命党=ソヴィエトの主導者
臨時政府首相に就任。二重権力のリーダーが同じになった。
→戦争が終わると思いきや、何と戦争継続の方針を継続。
→民衆は社会革命党(ソヴィエト)に失望・・。
↓↓
ボリシェヴィキに期待するようになる・・。

 


(5)ロシア十月革命。史上初、社会主義国家の誕生
ポイント①臨時政府を打倒!ロシア十月革命の勃発
ついにすべての権力がソヴィエトへ結集

ロシア十月革命(1917)(西暦では十一月革命)
レーニン・ボリシェヴィキの武装蜂起
臨時政府の消滅
世界史上初社会主義国家を樹立

全ロシア=ソヴィエト会議
臨時政府打倒とソヴィエト権力の樹立を宣言

「平和に関する布告」の採択
無併合・無償金・民族自決・・領土を取らない。賠償金を請求しない。独立は認める。
全交戦国に講和条約のあり方を提唱した(→欧は黙殺)

・「土地に関する布告
地主廃止
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ボリシェヴィキの独裁体制へ!
レーニンの強引な政権の掌握

ボリシェビキの一党支配

・憲法制定のための選挙を実施
→第1党:社会革命党(農民支持)
第2党:ボリシェヴィキ
(何とレーニン負ける。)

どこにアンチがいるかあぶり出す・・

チェカ(非常委員会)を作る
革命政権を守るための治安組織。秘密警察。

憲法制定会議の開催
1週間で武力で解散。
↓↓
ボリシェヴィキの一党支配に(プロレタリア独裁期間)

ブレスト=リトフスク条約
ロシア全権:トロツキー
との単独講和。第一次世界大戦から離脱

赤軍(せきぐん)の設立
社会主義の色

ロシア共産党と改称
ボリシェヴィキは「多数派」の意味。「ロシア」を政党名に入れて愛国心の高揚をめざす。

モスクワへ遷都
欧とは距離を置くため


(6)内戦と諸外国の干渉
ポイント①国内は混乱!外国勢力も干渉!どうするロシア・・
社会主義政権に反発する内外の勢力

ロシア内戦(1917~1921)
反革命軍白軍・はくぐん)の蜂起
ソヴィエト政権に反対する勢力。地主・貴族・反ボリシェヴィキの反乱+諸外国

対ソ干渉戦争(1918~22)
シベリア出兵。チェコ兵救済を理由に勝手にロシアの領土に入る。

・ポーランド=ソヴィエト戦争
ポ〇 VS ✕ソ

↓↓ これに対してレーニンは・・

コミンテルンを結成
ロシア共産党が中心。全世界で革命を起こさせよう!

(経済政策)
戦時共産主義(1918~1921)
「みんな、ごめん。外国を追い出すから食料を政府がいったんもらうね・・」農作物を強制徴発・食料配給制に。→人々はやる気を失う。生産力低下。
↓↓
新経済政策(ネップ)(1921~27)
穀物徴発制の廃止。小規模私企業、小農の経営を認める。→やる気を取り戻す。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ソ連の誕生!
内戦を終結したロシアは新体制へ移行

・ソヴィエト社会主義共和国連邦(1922)
(ソ連、ソ連邦)

4つの共和国で発足
ロシア
ウクライナ
ベラルーシ/白(はく)ロシア
ザカフカース(現ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン)カフカス山脈の南。
→後に15の共和国に。

・ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法の制定

<各国のソ連承認>
ラパロ条約(1922) がソ連を承認。欧で初。
・英、伊、仏、日の順に承認。
アメリカのソ連承認(1933)→ソ連国際連盟加入。

 


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【33】帝国主義と東アジア(中国・朝鮮)

【33】帝国主義と東アジア
(1)中国分割と近代化運動の行方
(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
(3)朝鮮の行く末と清末の改革
(4)辛亥革命
・義和団事件1900→8カ国共同出兵→北京議定書1901
・日露戦争1904→ポーツマス条約1905


(1)中国分割と近代化運動の行方
ポイント①日本に負けた!?植民地化がさらに加速!
日清戦争後の中国の状況は?

中国分割
借款(しゃっかん)を行う=「借金」のこと
日清戦争への賠償金を払うために欧から借りる。担保として鉄道敷設(ふせつ)権鉱山採掘権を奪われる。

租借(そしゃく)・・他国の領土の一部を条約によって借りること(事実上の領土割譲)(ジャイアン・・。一生借りてるだけだぞ。)

米は米西戦争(1898)で中国に構ってるひまがなかった。出遅れて焦った
↓↓
門戸開放宣言
門戸開放・機会均等・領土保全(米も入れてくれ)
米・国務長官ジョン・ヘイ

租借地>借りると言いつつ、ほぼ領土割譲
 独 膠州湾(こうしゅうわん)
 露 遼東(りょうとう)半島南部。旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)
 英 威海衛(いかいえい)、九竜半島(クーロン/きゅうりゅう)
 仏 広州湾(こうしゅうわん)
 日 遼東半島南部(旅順・大連)(※日露戦争で日本に移る)
<勢力圏>影響力を持っていた地域 鉄道敷設権
 独 山東省(さんとうしょう)
 露 満州・モンゴル 東清鉄道
 英 長江流域
 仏 広東・広西・雲南省
 日 福建省 南満州鉄道

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②日本にならって近代化を!
中国で芽生えた本格的な近代化運動

変法運動
日清戦争に負けた中国はショック!
↓↓
近代化運動へ・・(皇帝中心)

・11代 光緒帝(こうしょ/ちょてい)(位1875~1908)
康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう) などの、官僚らが日本の明治維新を模範にする。公羊学(くようがく)派。

憲法を立てて、皇帝を立てる=立憲君主制をめざした。(皇帝が好き勝手に政治をするのではなく、憲法やルールにのっとって政治をする。)

戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)
立憲君主制をめざし憲法制定に動いたが・・
↑↑(弾圧)
戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)(1898)
西太后(せいたいこう)など保守派が改革を弾圧。改革は失敗に終わる。光緒帝は幽閉状態へ・・。


(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
ポイント①外国勢力は出ていけ!中国で起きた排外運動
義和団事件とその結果は・・

「外国勢力、全員出ていけ!」
・仇教運動(きゅうきょううんどう)
反キリスト教(反ヨーロッパ)運動

・義和団事件(白蓮教系の宗教結社)(北清事変)(1900~1901)
扶清滅洋(ふしんめつよう)」・・を助けて、を追い出そう。
排外主義

ドイツ人宣教師が殺害✕→ドイツが山東へ進出。武力鎮圧。
↓↓
清は「こいつら使える・・」と、この義和団を使って欧を追い出そうとした。
↓↓
義和団が北京占領。独公使、日公使を襲う。
清「欧米日かかってこいやー!」西欧列強に宣戦布告。(西太后)
↓↓
8カ国共同出兵

「ほな、やったろかい」英仏独米露日伊墺。そうそうたるメンバー集結。
↓↓
清・義和団敗れる。北京占領される。
↓↓
北京議定書(1901)
・巨額の賠償金。
北京駐兵権(軍事占領)⇒中国半植民地化になる・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②日本とロシアの狙った場所が同じ!?
日露戦争へとつながる両国の帝国主義政策とは・・

<ロシアの中国東北進出>
義和団事件のあと、日本とロシアの仲が急速に悪化・・。

・ロシアの満州占領
義和団事件が終わったのに、ロシア満州から軍をひかない。中国東北地方朝鮮半島まで狙ってる・・?(『はいからさんが通る』)

※朝鮮は日清戦争1894で独立し、国名を大韓帝国(だいかんていこく)に。清の影響から抜けた独立国とアピール。日本が狙っていた。

ロシア満州・大韓帝国の取り合い。
↓↓
日露戦争(1904~1905)
日本の攻撃で始まる。

日本海海戦で日が勝つ。
ロシアの海軍バルチック艦隊を破る。

↓↓ そんな中、、ロシア国内で

第1次ロシア革命
ロシアは革命で戦争をやめたい。日本もお金が厳しい。
↓↓
米・セオドア・ローズヴェルト大統領が仲介。
↓↓
ポーツマス条約(1905)(米)
→中国東北(満州)・大韓帝国(朝鮮)を日本が得る

大韓帝国指導・監督権を日本が得る。
・ロシアは中国東北から撤退。遼東半島南部の租借権をロシアから日本に渡す。(⇒関東州と呼ぶようになる。)(※遼東半島は日清戦争で日本が取得したが三国干渉で返したところ。ここを再度取り返した。)
・遼東半島に接続する南満州鉄道敷設権(ふせつけん)、周りの利権を日本が得る。
南樺太をロシア→日本に渡す。


(3)朝鮮の行く末と清末の改革
ポイント①日本の朝鮮支配完成
日露戦争後の日本の挑戦支配の動向

・日韓協約(1904~07)
(第1次は日露戦争のさなか。)

第2次日韓協約(1905)
韓国の保護国化外交権を朝鮮から奪う。
初代統監:伊藤博文(いとうひろぶみ)
↓↓
反日義兵闘争の激化

ハーグ密使事件(1907)
高宗が第2回万国平和会議(オランダ)に密使を派遣。日本が不当な支配をしていると訴えた⇒失敗
↓↓
第3次日韓協約(1907)
韓国は内政権を喪失。
↓↓
伊藤博文暗殺(1909)
ハルビン駅で安重根(あんじゅうこん)に暗殺される。(韓国の切手にもなっている。)

↓↓ 日本は強硬手段に出る

韓国併合(1910)
韓国という国は消え、日本領土に組み込まれた。
朝鮮総督府が設置。(天皇直属機関)
軍事・行政を統括していく。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②清朝末期の最期の「あがき」とは?
光緒新政の「本音」と「建て前」

義和団事件のあと・・
<清末の改革>
光緒新政(こうしょしんせい)・・国内改革
(戊戌の政変で光緒帝は捕らえられている)
新軍の整備(西洋式軍隊)
科挙の廃止(隋から続く)→北京大学創設(官僚育成)
憲法大綱(たいこう)の発布。
日本の明治憲法を模範(強力な君主権)
国会開設公約

「日本の大日本帝国憲法は、天皇大権(たいけん)という強い権力がある。」
↓↓
「建前は国内改革と言ってるが、本音は皇帝や貴族のためでは・・?日本をモデルにすると皇帝の力が強いままになるのではないか。。」
↓↓
「それならもう満州人を追い出して、皇帝も追い出して、自分たち民衆のための漢民族の国を作りたい。」
↓↓
革命派の台頭
留学生が中心。
華僑が資金を出す。

革命派のリーダー
孫文
興中会
の結成。
↓↓
他の革命団体も一緒に団結しよう。
中国同盟会の結成(1905)
東京で結成。日露戦争に刺激を受けた。機関誌『民報

(中国同盟会の理念)
三民主義
民族の独立(漢民族の独立)
民権の伸長(一般民衆の権利を認めよう)
民生の安定(人々の生活の安定)


(4)辛亥革命
ポイント①皇帝政治を終わらせ、民に力を!
中国2000年の皇帝政治の終焉

辛亥革命(1911~12)
(きっかけ)清が幹線鉄道の国有化を宣言。
これを担保に外国からお金を借りようとした。そんなことをしたらさらに中国の植民地化が進む・・。
↓↓
四川暴動
市民が四川省で暴動。清は軍隊を派遣したが、その軍が清を裏切った。
↓↓
武昌蜂起(1911)
湖北省の湖北新軍の革命派が武昌で蜂起。色んな省でも独立を宣言。

↓↓ これら各省の代表者が集まり合体した。

・中華民国建国(1912)
臨時大総統:孫文
都:南京
(黃河、長江沿岸あたり)
↓↓
はまだ北に残ってる。清は中華民国をつぶそうとしている。
↓↓
清の大臣、袁世凱(えんせいがい)が孫文と取引を行い、清を裏切る。「その代わり私を中華民国のリーダーにしてください」

→「中華民国の軍は整っていない。戦っても清の軍に負けるだろう・・。」孫文は受け入れる。

→清の最後の皇帝・12代宣統帝(溥儀)が退位(1912)(ラストエンペラー)

清が滅亡(277年の歴史)。2000年の皇帝政治が終わる・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②新生!中華民国の抱えた苦悩
皇帝政治が終わっても民が虐げられる時代へ・・

中華民国
臨時大総統:孫文→袁世凱が就任(1912)
首都:南京⇒北京へ移す。(袁世凱の本拠地)
民衆のためではなく独裁色を強める。
↓↓
袁世凱の暴走を防ぐべく国民党の結成。
中国同盟会が中心。
↓↓
・第二革命(1913)
〇袁世凱の独裁  VS  ✕国民党(→解散させられた)
正式な大総統に就任。袁世凱は皇帝になろうとした。
↓↓
・第三革命(1915)
袁世凱帝政  VS 〇国内の軍部(袁世凱の元部下)、革命派、日本、欧。
↓↓
袁世凱は帝政取り消し。数ヶ月後、病死・・。その後も民主政治にはならず軍部が力を握る。
↓↓
軍閥(軍事政権)の割拠。
軍部が力を持ち抗争する。北京政府の実権をめぐって争う。


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【32】世界分割と列強の対立

【32】世界分割と列強の対立
(1)アフリカ分割の始まり
(2)英のアフリカ進出
(3)仏のアフリカ進出
(4)独・伊のアフリカ進出
(5)欧米の太平洋地域進出
(6)ラテンアメリカ・メキシコの動向
(7)列強の二極化。三国同盟VS三国協商


(1) アフリカ分割の始まり

ポイント①アフリカってどんなところ?
「暗黒大陸」の悲惨な歴史と探検家の活動

「暗黒大陸」
奴隷の獲得⇒資源の獲得
プランテーションの労働力。
商品作物。サトウキビ、タバコ、綿花

大西洋三角貿易(16~18C)
黒人奴隷貿易
1.西欧⇒西アフリカ(武器)
2.西アフリカ⇒米大陸(奴隷)黒人2000万人ほど
3.米大陸⇒西欧(商品作物)

奴隷制度の廃止(19C)
奴隷以外にアフリカには何がある・・?
↓↓
2人の探検家
[1]リヴィングストン(英・宣教使)
ナイル川の水源調査。消息不明。
↑↑(救出)
[2]スタンリー(英生まれ米)
リヴィングストンの救出に成功。
→コンゴ(アフリカの真ん中)探検。(ベルギー王が支援)。
→ベルギー王コンゴの領有を宣言
の反発。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②アフリカをもらうなら「早い者勝ち」!?
ヨーロッパ国際会議で決定した驚きの事実とは・・

ベルリン会議(1884~85)
(※「ベルリン会議」は2つある。1つ目は19Cロシア南下⇒ロシア=トルコ戦争のあと。ビスマルク調停(1878))

今回もビスマルク主催。
先占権(せんせいけん)(早い者勝ち)⇒アフリカ分割に拍車をかける。
コンゴ自由国ベルギーの支配下に。


(2)英のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部への進出
何があってもエジプトとスーダンだけは他国に渡せない!

英の縦断政策(アフリカ北部)>
スエズ運河ができたことで、英のアフリカ進出が始まる。
スエズ運河
沿いの2つの国、エジプト(北)・スーダン(南)が欲しい。安全性を確保したい。

<英がエジプトに進出>
ウラービー運動(1879~82)
陸軍大臣アフマド・ウラービー「エジプト人のためのエジプト」。→鎮圧される→エジプトは英の保護国化に。

<英がスーダンに進出>
マフディーの反乱(1881~98)17年
マフディー=「救世主」の意味。
ムハンマド・アフマド。
総督ゴードン戦死。
(↑ 清の太平天国の乱を鎮圧した常勝軍。)
↓↓
ファショダ事件(1898)
✕仏 VS 英〇
スーダンのファショダという地で対峙(にらみ合い)。

英の3C政策
ケープタウン(南ア)、カイロ(エ・埃)、カルカッタ(印)。
インドへの道を盤石なものにしたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②金とダイヤモンドをめぐる南アフリカ戦争
ブール人国家との戦争

<英アフリカ縦断政策(南アフリカ)>

ケープ植民地(中心ケープタウン)南ア
元々オランダ領だったが、ナポレオンなきあと欧の国際秩序のためのウィーン会議(1814)で蘭領から→英領となる。
(→オランダの人は北へ移動し、トランスヴァール共和国を建国。ブール人と呼ばれる。)

セシル・ローズ
英領有の南ア・ケープ植民地の首相。元企業家。金・ダイヤモンド鉱山を発見!

金が見つかったのは隣の、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国。(英領ではない。ケープ植民地の北東)。ブール人(=オランダ人)の国。→大義名分などない、金とダイヤの争奪。
↓↓
南アフリカ戦争(1899)
英本国から派遣⇒植民相ジョゼフ=チェンバレン
全植民地統括の大臣が来る。40万人以上の兵。
〇英 VS 蘭✕
↓↓
南アフリカ連邦(自治領)
(ケープ植民地と、トランヴァール、オレンジを併合)
白人を優遇。白人優位の人種差別が芽生える。黒人と白人の対立を作ることで英本国への恨みをそらす。

 


(3)仏のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部から東西へと拡大
イギリスのアフリカ縦断政策と衝突した結果・・

仏アフリカ横断政策
モロッコ・アルジェリア・チュニジア
サハラ砂漠・ジブチ・マダガスカル

アルジェリア出兵。植民地化(19C前)
(ウィーン会議で絶対王政に戻り、仏ブルボン朝が復活。王シャルル10世。国民の不満を外へ向けた)

アルジェリアを起点に東西に拡大。
チュニジア保護国化(1881)(アルジェリアの東横)
と関係悪化⇒独ビスマルクは見逃さない。翌年・三国同盟(独・オーストリア・伊)(1882)

ジブチを建設。(紅海の一番下)
紅海からインド洋への出口。

マダガスカル(アフリカ南東の島)
サハラ砂漠(アフリカ西)

ファショダ事件(1898)
スーダンのファショダで対峙。英〇 VS ✕仏
(仏が譲った理由)とけんか状態。英ともけんかすると敵が増えてしまう・・。仏は英に譲る。
↓↓
英仏の関係が良くなる。
↓↓
英仏協商(1904)
英はエジプト取るから仏はモロッコ行きなよ。相互承認。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②モロッコをめぐるドイツとの対立
2度にわたって衝突!イギリスが取った行動は?

モロッコの領有問題
モロッコを押さえると、英のインド進出を邪魔できるので、が狙っていた。

第1次モロッコ事件(タンジール事件)(1905)
モロッコをめぐって、 VS 対立。独皇帝ヴィルヘルム2世がモロッコのタンジール港に入ってきた。仏出ていけ。
→英援助 〇仏 VS ✕ 独
(タンジールはイブン・バットゥータの生まれ故郷。スペインの向かい・ジブラルタル海峡のアフリカ側)

第2次モロッコ事件(アガディール事件)(1911)
また独はモロッコ・アガディール港に入る。
英援助 〇仏 VS ✕ 独

仏モロッコ保護国化(1912)


(4)独・伊のアフリカ進出

ポイント①ドイツ・イタリアのアフリカ進出
イギリス・フランスに遅れを取って進出開始

<独>
カメルーン(西)、東アフリカ植民地(現タンザニアなど/マダガスカル島の対面北)

<伊>
・イタリア軍がエチオピアに侵入
エチオピア〇勝利! VS ✕伊
イタリア敗北!

イタリア「このままではアフリカに植民地を持てない・・」と焦る
↓↓
・イタリア=トルコ戦争
オスマントルコとの戦争でリビア(アフリカ北)を獲得。

・ソマリランド(アフリカの角/つの)獲得。
北から英仏伊で分けた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦開始まで独立を保持した2つの国
独立を維持できた要因は?

独立を保持した2つの国

[1]エチオピア帝国(東)
アドワで撃退。優秀な君主。の軍事支援もあった。

[2]リベリア共和国(西アフリカの海岸線)
アフリカ最初共和国。アメリカで解放された黒人たちがアフリカに帰ってきて作った国。国名はLibertyリバティ(自由)から。                                                →主権国家として認められていたので欧は手を出せなかった。


(5)欧米の太平洋オセアニア進出

ポイント①オセアニアってどういうところ?
2人の探検家に注目!

・オセアニア・・オーストラリア、ニュージーランド、太平洋に浮かぶ島々の辺り。

2人の探検家
[1]タスマン(17Cオランダ人)タスマニア・ニュージーランドに到達。オーストラリア大陸。

[2]クック(18Cイギリス人)タヒチ、NZ、オーストラリアを探検。オーストラリアやNZを英の所有と宣言。(侵入者と勘違いされハワイで島民に殺害される。)
↓↓
オーストラリア
先住民:アボリジニー
1850年代 金鉱の発見。英本国やアジア各地から移民が増える。
→英自治領に。オーストラリア連邦

ニュージーランド
先住民:マオリ人
→英自治領に。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②太平洋に浮かぶ島々も欧米諸国の領土に!?
オセアニア諸地域の分割へ

・列強諸国の南洋諸島(太平洋の島々)進出
ニューギニア
西部:オランダ|東部英・独

・英領・・ソロモン諸島(独と分割)、フィジー、トンガ
・仏領・・ニューカレドニア、タヒチ
・独領・・ビスマルク諸島、マリアナ諸島、マーシャル諸島
・米領・・フィリピン、グアム島、ハワイ


(6)ラテンアメリカの従属化
ポイント①メキシコの内乱とフランスの干渉
初の先住民出身の大統領の苦悩

<ラテンアメリカ>
19C前半に多くの国が独立を達成。ベネズエラ、コロンビア、ボリビア、エクアドル(シモン・ボリバル)。ペルー、アルゼンチン、チリ(サン・マルティン)。ブラジル
→独立したものの、英の経済的従属下に置かれる。メキシコだけは例外!

<メキシコ>
フアレス〇→ディアス✕→メキシコ革命・マデロ△→サパタ・ビリャ→憲法

フアレス大統領先住民インディオ出身
自由主義革命(インディオの権利獲得など)

↓↓ 保守派が抵抗。

メキシコ内乱(1861~67)
この内乱に仏ナポレオン3世がちょっかいを出してくる。(仏メキシコ出兵)→が、フアレスはナポ3を追い出す。米も抗議。良い改革、国作りへ・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②メキシコ革命の勃発!
近代化を成し遂げられるのか!?

フアレスのあと・・
ディアス大統領
独裁政治
。地主階級の特権を復活させてしまう。(先住民切り捨て)。
英、米から莫大な借金。頭が上がらない状態に・・。

↓↓ メキシコが食い物にされる!

メキシコ革命(1910~17)
マデロ大統領が、ディアスを打倒し自由主義的改革をしたが、土地の改革には消極的だった。地主の権利を守ったまま。。
↓↓
サパタ・ビリャ(農民の代表)の蜂起。マデロ失脚。サパタ・ビリャも暗殺される・・。
↓↓
憲法制定(1917)
土地改革、地下資源の国有化。民主的。→しかし憲法はうまく機能せず。米、英の従属から逃れられなかった。

 


(7)列強の二極化

ポイント①ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の無謀な政策
第2次産業革命で自信をつけた皇帝の海外進出策

・独皇帝ヴィルヘルム2世(任1888~1918)
第2次産業革命で世界2位になり自信が付く→英を越えるぞ!ドイツも外へ出て行くんだ!

・元々、普仏戦争で、と対立している。
↓↓
(さらに新たな敵)
海軍大拡張により⇒と対立。
パン=ゲルマン主義で⇒ロシアと対立。
3B政策。ベルリン・ビザンティウム・バグダード。ペルシア湾から海へ出ようと考えた。
↓↓
英・露・仏が対立関係に。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生
三国同盟と三国協商の対立

<ビスマルク時代>
・三国同盟(独・オーストリア・伊)1880 軍事同盟

再保障条約(お互い攻めない)ロシアと独
・英「光栄ある孤立」
↓↓
ライバル仏を孤立させることに成功。

<ヴィルヘルム2世時代>
ロシアの手を離したことから、国際関係が変わっていく。。

・独はロシアとの再保障条約を拒否!(1890)
「オーストリアと一緒にバルカン半島に行くんだ」
ロシアの手が離れた・・!これをは見逃さない!キラリ✨
↓↓
露仏同盟(1891)
ロシアに接近。手を組む。仏が露に資金提供⇒露産業革命に成功。

・英海軍拡大に焦りを感じ始める。「光栄ある孤立」をついに解く。
↓↓
日英同盟(1902)
東アジアの防衛に日本の軍事力を当てにした。
英のドアが開いた!ここでにも近づく!
↓↓
英仏協商(1904)
独嫌いだよねーでくっつく。
↓↓
英露協商(1907)
日露戦争が終わってロシアはバルカン半島に戻ってこようとする。またと対立する。ロシアに接近する形を取った。
↓↓
三国協商(英・仏・露)VS 三国同盟(独・墺・伊)になる。
↓↓
第一次世界大戦へ

 


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【29】中国と朝鮮の植民地化

【29】中国と朝鮮の植民地化
19C後から欧や日に侵略されていく
(1)アジア三角貿易とアヘン戦争
(2)アロー戦争と太平天国の乱
(3)ロシアの極東南下と洋務運動
(4)日本の朝鮮進出


<清>
・アヘン戦争(1840)⇒南京条約(1842)
・アロー戦争(1856)⇒天津・北京条約(1860)
↓↓重税
・太平天国の乱(1851~64)洪秀全「滅満興漢」
・洋務運動(1860~90)「中体西用」
<朝鮮>
・江華島事件(1875)⇒日朝修好条規(1876)
・壬午軍乱(1882)⇒閔氏への反乱。閔氏が日から清に傾く。
・甲申政変(1884)開化派(親日)クーデター⇒清に制圧される。
・甲午農民戦争(東学党の乱)(1894)⇒日清戦争(1894)⇒下関条約(1895)⇒三国干渉(1895)


29-ガイダンス
18C後~19C
<中国>
なぜ中国は侵略されていくのか?
・英が産業革命⇒市場を求めて中国(広い領土・多い人口)に進出したい。当時、中国はであふれて世界一お金持ち。

・英は中国を武力で開国⇒アヘン戦争・アロー戦争⇒賠償金から農民への重税へ。⇒農民反乱(太平天国)

中国が弱ってるなら今がチャンス・・!
ロシアの南下⇒洋務運動(国内改革)。

<朝鮮>
日本が朝鮮進出。朝鮮が弟。兄貴分の中国と日本が対立。⇒日清戦争へ・・


(1)アジア三角貿易とアヘン戦争
ポイント①当時のイギリスと中国の貿易をみる
中国社会を腐敗させた恐るべき貿易品・・

清の国内混乱と対外貿易

18C。清の4康熙帝、5雍正帝、6乾隆帝の全盛期は過ぎていた・・
<中国の国内状況>
白蓮教徒の乱(暴動)(1796~1804)
・貿易港は広州1港に限定。
公行(こうこう)=貿易独占の特許商人組合。

<英と中国の貿易関係>
(片貿易)・・物と銀の交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒清 
「英の銀がなくなる・・そうだ!」
 ↓↓
アジア三角貿易>・・物々交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒印 綿製品
・印⇒清 アヘン(お茶代を銀の代わりにアヘンで支払う)
→中毒・需要増大
→アヘン密輸。支払いはで。
→清から銀が流出。英は銀の回収に成功

英は東インド会社の中国貿易独占権廃止⇒民間貿易会社も中国へ行けるようになる。⇒アヘンを売りにいく。
↓↓
英から使節(英が自由貿易を求める⇒交渉決裂✕)
マカートニー・・乾隆帝に謁見。乾隆帝は拒否。
アマースト・・頭を下げない(自由で対等な関係を求める)。謁見できず⇒「力づくでやるしかない・・」

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②中国の植民地化が開始!アヘン戦争
圧倒的なイギリスの強さの前に中国は屈服・・
 
林則徐(りんそくじょ)
アヘンの没収と焼却など。
・中国人密貿易者の処罰
・英商館区の封鎖
 ↓↓
英は「待ってました・・!」これを口実に戦争をしかける。
アヘン戦争(1840~1842)
清が圧倒的に敗北
 ↓↓
南京条約
(1842)
・1港(広州)⇒5港に。+上海、厦門(あもい)、福州、寧波(にんぽう)。中国の南側
公行廃止
・英に香港を割譲
賠償金の支払い⇒民衆に重税
 ↓↓
<不平等条約>
治外法権(領事裁判権)の承認
関税自主権の喪失=安い英製品をそのままの値段で売らなければいけない。
租界の設置。外国人居留地。初めて上海に設置。(英の領土のよう)

<他国とも不平等条約>
対英 虎門寨追加条約 (こもんさい)
対米 望厦条約 (ぼうか)
対仏 黄埔条約 (こうほ)


(2)アロー戦争と太平天国の乱
ポイント①また戦争!?イギリスの不正義な戦争
アロー戦争の結果、中国はどうなる?

「戦争に勝ったけど貿易でもうからないな。港の数増やす?」

アロー号事件(1856)
清朝の警察に中国人船員が海賊容疑で逮捕。アロー号は英の国旗を掲げていた。英に許可を得ず逮捕したのは英を侮辱している!という口実。英は仏・ナポレオン3世を誘って戦争をしかける。
↓↓
アロー戦争(1856~1860)
英・仏〇 VS ✕清
↓↓
天津条約
清が発砲してしまう。戦争再開。
↓↓
・英仏軍が清の都・北京を占領。
・皇帝の離宮・円明園(えんめいえん)を破壊。(伊カスティリオーネ(郎世寧/ろうせいねい)が設計。ヴェルサイユ宮殿を手本)
↓↓
北京条約(1860)
・外国公使の北京駐在(大使館)⇒総理各国事務衙門(がもん)(=外務省)の設置。
キリスト教布教の自由。
南京を含む10港の開港。+天津
・英に九龍半島の南部を割譲
・賠償金⇒重税へ

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②農民への重税で起きた大反乱
清を倒して新しい国づくりを・・

アヘン(1840)、アロー(1856)戦争による農民への重税
↓↓
太平天国の乱
(1851~1864)
洪秀全。「滅満興漢(めつまんこうかん)」

・「神の声を聞いた。天国を樹立する。清(満州人)は滅びるべきだ。」キリスト教の影響。
拝上帝会(キリスト教の結社)。太平天国の建国。
南京を占領⇒天京(てんけい)。

天朝田畝制度(てんちょうでんぽ)。土地を均等に配分。地主廃止
男女平等、纏足(てんそく)廃止・辮髪(べんぱつ)廃止
↓↓
地主が反対。義勇軍・郷勇(きょうゆう)を作る。
湘軍(しょうぐん)・曾国藩(そうこくはん)
淮軍(わいぐん)・李鴻章(りこうしょう)

常勝軍・・ウォード(米)、ゴードン(英)
↓↓
太平天国の乱は鎮圧される。

ロシア「ふーん、中国今弱ってるな~・・」


(3)ロシアの極東南下と洋務運動
ポイント①凍らない港を求め、ロシアが中国を狙う!
ロシアは黒海・地中海方面から→中国方面南下へシフト

【ロシアの極東南下】
4つの条約
[1]アイグン(愛琿)条約(1858)露と清
ロシア・東シベリア総督:ムラヴィヨフ
黒竜江(こくりゅうこう)(=アムール川)以北をロシアとする。
海岸線まであと少し。

[2]北京条約(アロー戦争の調停の代償)(1860)露と清
沿海州(えんかいしゅう)(=ウスリー江以東)の獲得。
(ついに海岸線にたどり着いた!)
・要塞ウラジヴォストーク港を建設

[3]樺太・千島交換条約(1875)露と
(対日)ロシアは樺太全島を獲得(沿海州の真向かい。北海道の北)。                                                                                                                                      千島列島は日本にあげる。

[4]イリ条約(1881)露と清
中央アジア方面に降りるときに。東トルキスタンの一部をロシアが獲得。保険をかけていた。

ーーーーーーー
ポイント②このまま黙っているわけにはいかない!中国の改革運動
ヨーロッパの技術。産業を導入するも・・

【中国・洋務運動(改革)】(1860~1890)

中国「ロシアめ・・。このまま黙ってるわけにはいかない・・」

同治の中興」(中興=安定)
同治帝(摂政は母の西太后)時代

中体西用(ちゅうたいせいよう)」基本精神
国の制(=皇帝独裁・儒学)維持にあたり、西洋の軍事・産業技術(だけ)をいる。富国強兵。
↓↓
中心人物(洋務派)曾国藩・李鴻章(太平天国の乱を鎮圧した2人)
欧風な町並みに。。
→しかし・・清仏戦争、日清戦争のどちらも清が負ける。根本的な富国強兵にはなってなかった。ものまね改革で止まった。


(4)日本の朝鮮進出
ポイント①朝鮮の開国と閔氏の心変わり
日本の朝鮮半島進出と中国との対立

<朝鮮国内の状況>
19C後。国王・高宗(こうそう)←力がない。
后:閔妃(びんひ)。奥さんの一族:閔氏(びんし)。

閔氏(妻の一族)はおいしい思いができると期待していたが・・高宗は力がなく、父の大院君(たいいんくん)が力を持っていた。

⇒閔氏は面白くない。日本と組んで大院君を失脚させた。
⇒日本はそれをきっかけに朝鮮進出
(古代中国で跡目争いで騎馬民族に助けを請うて、あとで乗っ取られるのと似てる・・)

↓↓ 
閔氏の独裁

江華島事件(1875)
日本の船が朝鮮から砲撃を受けた。朝鮮に開国を迫る。
↓↓
日朝修好条規
(1876)
朝鮮・自主独立
3港の開港(釜山/ぷさん・元山/げんさん・仁川/じんせん)
・日本の領事裁判権を承認
↓↓
「閔氏独裁になってから日本が来るようになった・・。前の大院君の方がよかったよ。。閔氏ひっこめ!」
↓↓
壬午軍乱(じんごぐんらん)(1882)
大院君軍による閔氏への反乱。←日・清が鎮圧。

<対応の違い>
清:大院君をつかまえる。閔氏を支援
日:閔氏・朝鮮側へ多くの要求。賠償金払え。
↓↓
閔氏は日本と手を切ってに傾く・・。

朝鮮は真っ二つに
事大党(親清)閔氏ら(保守派)が中心
VS
開化派(親日)留学生金玉均(きんぎょくきん)。日本に学び、近代化を目指す。
↓↓
甲申政変
(こうしんせいへん)(1884)
開化派のクーデター。日本の武力を借りて武装蜂起。閔氏を追放
→清に鎮圧される。
↓↓
朝鮮をめぐって日本がバチバチに・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②朝鮮国内の動乱と日清戦争
朝鮮が国際的に独立国であることが承認される

<朝鮮末期の新思想>
・西学・・キリスト教
東学・・民間信仰+儒教・仏教・道教
創始者・崔済愚(さいせいぐ)
⇒東学の信者はアジア以外、外国を嫌うように。。
↓↓
甲午農民戦争
(こうごのうみんせんそう)(1894)=東学党の乱
「外国勢力は出ていけ!」
朝鮮南部。全琫準(ぜんほうじゅん)の暴動。
→清に助けを求める。が出兵。日本も出兵。
↓↓
日清戦争(1894~95)日〇 VS ✕清
↓↓
下関条約
(1895)
朝鮮独立(清はもう関係ない=清は宗主権放棄)が承認
・日本は清から台湾、澎湖(ほうこ)諸島、遼東半島を獲得。
・開港場での企業の設立
↓↓
三国干渉(1895)
ロシア「おい日本。朝鮮を通って何中国に来ようとしてんだ・・。その遼東半島はオレが狙ってるんだよ!」ロシア・独・仏がクレーム
→遼東半島は清に返還。ロシアへの恨み。臥薪嘗胆
↓↓
閔妃はロシアに接近。→日本は閔妃を殺害(1895)
朝鮮をめぐって日本とロシアとの関係悪化・・。

 


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【27】19世紀の欧米諸国(2)露・米

【27】19世紀の欧米諸国(2)露・米
(1)ロシアの南下政策
(2)ロシアの近代化とバルカン進出
(3)アメリカ合衆国の発展
(4)アメリカが抱えた問題
(5)南北戦争とその後

(1)ロシアの南下政策
ポイント①ロシアがこだわった南下政策とは?
なぜロシアは凍らない港を求めるのか

英に対抗するため産業革命を進めたい。お金が必要。
→麦などを輸出したい。農作物販路の確保を目指す

バルカン半島ルートが行きやすい・・
口実に
ギリシア正教徒の保護
パン=スラヴ主義
を掲げ、黒海・地中海へ
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②南下政策の本格化!
ギリシア独立戦争とエジプト=トルコ戦争

ロシア南下政策・両海峡をめぐる3つの戦争。
(有利になるように首をつっこむ)

[1]【ギリシア独立戦争(1821~1829)】
〇 ギリシア+英仏露+ロマン派文化人・英バイロン・仏ドラクロワ
VS
✕ オスマン帝国+エジプト(ムハンマド=アリー)

ギリシア独立達成。
ロシアがオスマン帝国に要求
ダーダネルス・ボスフォラス両海峡の自由通航権を獲得
(黒海の南西)

[2]【第1次エジプト=トルコ戦争(1831~1833)】
エジプト総督ムハンマド=アリーがシリアを要求→獲得
〇エジプト+英仏墺
VS
✕オスマン帝国+
→オスマン帝国に協力したので、要求する。
→露が両海峡を独占できるようになる。

[3]【第2次エジプト=トルコ戦争(1839~1840)】
エジプト総督ムハンマド=アリー
エジプトとシリアの世襲権を要求

エジプト+仏
VS
オスマン帝国+英露墺普

・ロンドン会議(1840)
エジプトはシリアを返還
その代わり→エジプト・スーダンの世襲権を承認

すべての外国軍艦が両海峡を通航することを禁止
→露も通れなくなった・・

「黒海ルート」が塞がれた・・


(2)ロシアの近代化とバルカン進出
ポイント①クリミア戦争がその後のロシアを変えた!?
ロシアの南下政策とそれを阻止する大規模な衝突

クリミア戦争】(1853~1856)
オスマン帝国が仏に聖地(イェルサレム)管理権を譲渡。
ロシア・ニコライ1世はギリシア正教徒の保護を口実に開戦。

ロシア ✕ VS 〇オスマン帝国+英仏サルディーニャ
↓↓
【パリ条約】(1856)
黒海の中立化
→南下政策失敗

皇帝アレクサンドル2世】(位1855~1881)
クリミア戦争に負けてロシアの遅れを痛感。近代化をめざす。
農奴解放令(1861)
農奴は解放。ただし土地は有償
↓↓
ミール農村共同体)シェアハウス
・ポーランド反乱(一月蜂起)←鎮圧
↓↓
アレクサンドル2世
「改革をすると他の民族が独立を求めてしまう。皇帝独裁に戻そう・・。」
↓↓
ナロードニキ(人民主義者)の活動。ナロード=人民
インテリゲンツィア(知識人)中心。平等社会をめざす。
スローガン「ヴ=ナロード(人民の中へ)」
→農民に理解されず。。失敗。徐々に過激に・・。
↓↓
アレクサンドル2世の暗殺
テロリズムの横行

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②バルカン半島へ方向を転換!
執拗に南下を試みるロシアの動き

南下政策を諦めない・・!今度は「バルカン半島」ルートだ。

ロシア=トルコ戦争(1877~1878)】
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの反乱←鎮圧
(↑スラヴ人が多い)
ロシア、パン=スラヴ主義を掲げて宣戦
ロシア〇 VS ✕オスマン帝国
↓↓
サン・ステファノ(講和)条約(1878)】
ルーマニア、セルビア、モンテネグロの独立
ブルガリアの自治権獲得(ロシアが保護)

↓↓ 「ちょっと待ったーー」by英・墺

ベルリン会議(1878)】
主催者:ビスマルク「誠実な仲買人(なかがいにん)」フェアに調整します。
【ベルリン条約(1878)】
(サン・ステファノ条約をやりなおす)
・ルーマニア、セルビア、モンテネグロは変更なし(=独立を承認)
ブルガリアの領土縮小(ロシアの保護廃止→単にオスマン帝国の自治領土になった)→ロシア通れなくなる・・

<さらにロシアを見張るため・・>
・ボスニア・ヘルツェゴビナ→が統治(後のWW1の原因へ・・)
キプロス島が統治

南下政策「バルカン半島」ルートも失敗。次はアジアだ・・。


(3)アメリカ合衆国の発展
ポイント①19世紀前半の大統領と合衆国の成長
初期の資本主義的な産業が成長する

【4代・マディソン大統領】(任1809~1817)
アメリカ=イギリス戦争(1812~1814)
第2次独立戦争
ナポレオンの大陸封鎖令に対抗して、英が海上封鎖。
→米の通商が妨害される。両国で開戦。
→米の商工業が育つようになる。英からの経済自立
保護関税政策・・米国内の初期産業を育成

【5代・モンロー大統領】(任1817~1825)
モンロー宣言(1823)
米欧の相互不干渉=孤立主義

7代・ジャクソン大統領】(任1829~1837)
ジャクソニアン=デモクラシー
白人男性だけに普通選挙権。(✕先住民、✕黒人、✕女性)

先住民強制移住法(1830)
先住民をミシシッピ川以西の荒地に強制的に移住
チェロキー族の「涙の道

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②領土を広げることは「神の思し召し」!?
西側へと領域を拡大する合衆国

【西部開拓(西漸(せいぜん)運動)(漸は「近づいていく」の意)
フロンティア(辺境)
アメリカ西部における開拓地と未開拓地の境界線

マニフェスト=ディスティニー(明白な天命)」当然である

西へ領土拡大
ルイジアナ買収
ミシシッピ川以西のルイジアナ
フランスより買収

フロリダ買収(1819) 5代モンロー大統領時
スペインより

テキサス併合
テキサス共和国がメキシコから独立
→合衆国に編入

・〇アメリカ=メキシコ✕戦争
カリフォルニア獲得。
↓↓
ゴールド=ラッシュ
カリフォルニアで金鉱発見
西側の人口が増える。

 


(4)アメリカが抱えた問題
ポイント①アメリカの北部と南部ではここまで違うの!?
南北間に生じた軋轢・・

・黒人奴隷問題

北部 南部
経済 資本主義的商工業 綿花プランテーション
(→英に輸出)
支持基盤 産業資本家・銀行家 大農園者(プランター)
貿易 保護貿易
(国内産業を育てたい)
自由貿易
奴隷制 反対
(工場で働いてほしい)
賛成
政治体制 連邦主義(中央集権)
政府強い
州権主義(地方分権)
政府弱い
政党 共和党 民主党

 

ポイント②奴隷州拡大の危機を迎える!
国内では奴隷賛成派・反対派で世論が二極化

自由州 VS 奴隷州
(奴隷NG) (奴隷OK)

ミズーリ協定(1820)
モンロー大統領
北緯36度30分以北:自由州
以南:奴隷州
州の数は同じが望ましい

↓↓ ミズーリ協定が破られる

カンザス・ネブラスカ法(1854)
自由州になるか奴隷州になるかを住民投票で決める。
カンザス州・ネブラスカ州は奴隷を使いたい・・
↓↓
共和党の結成(1854)
奴隷制反対運動
ストウ夫人『アンクル=トムの小屋』
(ハリエット・ストウ)


(5)南北戦争とその後
ポイント①アメリカの市民が殺しあう!?南北戦争の勃発!
奴隷制度の賛否をめぐる問題から内戦へ突入

南北戦争(1861~1865)
リンカン大統領(任1861~1865)共和党
奴隷廃止!を主張

南部諸州が合衆国より離脱
・「アメリカ連合国(連邦)」を建国
都:リッチモンド
反連邦主義、奴隷制擁護、自由貿易

・南軍の攻撃により開戦(1861)
初期は南軍が優勢

↓↓ それに対してリンカン大統領は・・

ホームステッド法(自営農地法)
公有地で5年間定住・開墾
→一定限度の土地を無償で与える
西部の開拓農民から支持

奴隷解放宣言(1863)
戦争目的の明確化。国際世論も味方にする(英仏はすでに奴隷廃止)

ゲティスバーグの戦い(1863)
最大の激戦地
人民の、人民による、人民のための政治」演説

・リッチモンド陥落(1865.4.9)
北軍の勝利

・リンカン大統領暗殺(1865.4.15)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②19世紀後半のアメリカは急速に成長する!
国内の市場統合、鉄道の開通、労働力の確保

・黒人奴隷の解放
憲法修正第13条により奴隷制度の廃止
↓↓
黒人は北部の工場に行かず農場にとどまった
シェアクロッパー(分益小作人)となる
南部の土地制度

K・K・K(クー・クラックス・クラン)
テネシー州で結成された反黒人秘密結社

<経済状況>
・産業の急成長
北部主導で商工業が発達
資本主義の発達→第2次産業革命(1870年代)

アメリカ労働総同盟(AFL)の結成
(穏健的。熟練の労働者が意見を社長に伝える)

移民の増加→労働力不足を解消する
旧移民(1840~50)アイルランド系(ジャガイモ飢饉1845)、ドイツ系、アジア系
新移民(1880)東欧系

大陸横断鉄道の開通(1869)
東部・西部の結合
アメリカの政治的・経済的統一が進展

フロンティアの消滅(1890年代)
海外市場の確保を目指し、カリブ海や中国へ進出

英を抜いて世界1位に・・!

 


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漫画『女帝エカテリーナ』2巻メモ

コミック文庫・漫画『女帝エカテリーナ』2巻
著者:池田理代子 原作:アンリ・トロワイヤ

(メモ)
エカテリーナ2世 18C啓蒙専制君主
1729-1796(67才没)
在位1762-1796(33才-67才)

副宰相ミハイール・ヴォロンツォーフ伯

姉:エリザヴェータ・ヴォロンツォーヴァ
妹:エカテリーナ・ヴォロンツォーヴァ

VS
宰相ベストゥージェフ伯

スタニスワフ・ポニャトフスキ

英・プロシア
VS
仏・オーストリア
ロシアは仏と条約を結んだので、敵はプロシア・フリードリヒ2世。

権謀術数(けんぼうじゅっすう):はかりごと

北アメリカでの英仏の植民地争い

1756-1763 七年戦争へ
(墺が普からシュレージエンを取り返そうとした。)

オルローフ家
長男:イヴァン
次男:グリゴーリー
三男:アレクセイ
四男:フョードル
五男:ウラジーミル

1762年 エリザヴェータ女帝崩御
ピョートル3世即位

七年戦争で敵として戦っていたプロシアと停戦。
プロシア側に付く。

・キケロ・・古代ローマの政治家・哲学者。哲学を学び、理性的に生きれば、一生のいかなる時期も憂いなく生きることができると説いた。
・プルタルコス・・古代ギリシアの哲学者・著述家。プラトン哲学の流れ。
・マルクス・アウレリウス・・五賢帝最後のローマ皇帝。ストア派の哲学者。自らを律し、他人や環境に左右されずに、常に自己を成長させようと努力した。
・セヴィニエ夫人・・仏貴族。書簡作家

唯々諾々(いいだくだく):人の言うことを何でも承諾し、逆らわないさま

侍女のエカテリーナはダーシュコヴァ夫人となっている。

アレクセイを出産。

オラニエンバウム。

グリゴーリー・ポチョムキン

1762年
クーデター
エカテリーナ2世即位(33才)

 

国境隣接ポーランド アウグスト3世
トルコ(ギリシア正教会発祥の地コンスタンティノープル)
ムスターファ3世

 

イヴァン・アントノーヴィチ
(イヴァン6世)

 

ロシアの皇帝(ツァーリ)

■ ロシアの皇帝(ツァーリ)

在位期間 君主名 備考
1547–1584 イヴァン4世(雷帝) 初代「ツァーリ」。専制君主制を確立。
1584–1598 フョードル1世 イヴァン4世の息子。子がなく断絶。
1598–1613
(動乱時代)
多数の僭称者と短命政権 ボリス・ゴドゥノフ、偽ドミトリー1世・2世など。
1613–1645 ミハイル・ロマノフ ロマノフ朝創始者。貴族の支持で即位。
1645–1676 アレクセイ・ミハイロヴィチ ミハイルの息子。「ロシア法典」を整備。
1676–1682 フョードル3世 アレクセイの息子。短命。
1682–1696 イヴァン5世 & ピョートル1世(共同統治) イヴァンは名目上の君主。実権は後にピョートルへ。
1696–1725 ピョートル1世(大帝) 単独統治に移行、西欧化を推進。ロシア帝国を創設、西欧化を推進。1721年に正式に「皇帝(インペラートル)」の称号を使用。

1725–1727

エカチェリーナ1世

ピョートル1世の妻。

1727–1730

ピョートル2世

ピョートル1世の孫。若くして死去。

1730–1740

アンナ

ピョートル1世の兄イワン5世の娘。

1740–1741

イヴァン6世

幼児皇帝。廃位されて幽閉。

1741–1762

エリザヴェータ

ピョートル1世の娘。

1762

ピョートル3世

エリザヴェータの甥。即位後半年で
妻エカチェリーナにより廃位。

1762–1796

エカチェリーナ2世(大帝)

啓蒙専制君主、ロシアの黄金時代を築く。

1796–1801

パーヴェル1世

エカチェリーナ2世の息子。暗殺される。

1801–1825

アレクサンドル1世

ナポレオン戦争で勝利、神聖同盟結成。

1825

コンスタンチン
(拒否)

正式には皇帝ではないが、継承問題の
中心人物(デカブリストの乱の発端)。

1825–1855

ニコライ1世

保守的な統治。クリミア戦争勃発。

1855–1881

アレクサンドル2世

農奴解放令を発布。暗殺される。

1881–1894

アレクサンドル3世

反動的政策を実施。

1894–1917

ニコライ2世

最後の皇帝。ロシア革命で退位し
1918年に一家ともに処刑される。

 

ロマノフ朝 系図

(Wikipedia)