【26】19世紀の欧米諸国(1) 英・仏・伊・独
(1)イギリスの自由主義 世界No1!
(2)ヴィクトリア時代のイギリス
(3)フランスの政体変遷
(4)イタリアの統一
(5)ドイツの統一
(6)ドイツの発展
(7)ビスマルク体制
(1)イギリスの自由主義
ポイント①宗教で差別されることはない!
キリスト教徒であれば差別されることはなくなった
・アイルランド併合(1801)
カトリックが多い
↓↓
2つの法で宗教自由が達成
[1]審査法廃止(1828)
非国教徒(ピューリタンなど)も公職就任が可能に(カトリック教徒は除く)
※「審査法」はチャールズ2世時のカトリック勢力に対抗して議会側が制定(1673)した。=イギリス国教会のみ公職に就ける法。
↓↓
[2]カトリック教徒解放法(1829)
オコンネル尽力。カトリック教徒も公職就任が認可
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ポイント②みんなが選挙に行けるための改革!
数回にわたる選挙法改正と選挙権の拡大
産業資本家の台頭
→第1回選挙法改正(グレイ内閣)(1832)
・腐敗選挙区の廃止
・産業資本家に選挙権付与(労働者はまだ)
↓↓
・チャーティスト運動(1830~1850末)
労働者の政治運動
人民憲章(ピープルズ=チャーター)
↓↓
・第2回選挙法改正(1867)
都市労働者に選挙権付与
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ポイント③自由な貿易を目指して!
イギリスの自由貿易主義体制の確立
19C英の産業資本家は自由貿易主義(体制)を望む
・穀物法の制定
地主保護のため輸入穀物に高関税。
→英国内の高い穀物を買わなくてはいけない・・。
↓↓
産業資本家は反発。(給料を上げないとダメだから)
↓↓
反穀物法同盟(1839)
コブデン、ブライト
さらに・・
・ジャガイモ飢饉(1845~1847)
アイルランドで発生。餓死者も出る。
↓↓
ついに
[1]穀物法廃止(1846)
[2]東インド会社の中国貿易独占権の廃止
→商業活動そのものも全面禁止
→民間の会社が貿易できるようになる。
(→中国にアヘンを売りに行く)
[3]航海法廃止(1849)
(「航海法」の制定はクロムウェル(1651)。自国か相手国の船のみに制限する法)
↓↓
これら3つで、自由貿易主義が完成。
(2)ヴィクトリア時代のイギリス
ポイント①当時のイギリスは世界一の国家
産業革命を完成したイギリスの繁栄
(イギリス)
【ヴィクトリア女王】(位1837~1901)64年
ヴィクトリア時代=「世界の工場」
・ロンドン万国博覧会(1851)
世界初。英の国力を見せつけた
・パクス=ブリタニカ(イギリスの平和)
圧倒的な工業力と軍事力
世界に自由貿易主義を拡大
イギリス二大政党
【自由党(旧ホイッグ党)】グラッドストン
・産業資本家・労働者の支持
・自由貿易主義、平和外交
・アイルランド自治に寛容
【保守党(旧トーリ党)】ディズレーリ
・地主・貴族の支持
・保護主義、強硬外交
・アイルランド自治に否定的
ポイント②自由党と保守党の内閣
政策は違うけれど、目指すものは同じ
【グラッドストン(自由党)】国内
・教育法(1870)
学校を作った。投票の仕方などを教える。
・労働組合法(1871)
・第3回選挙法改正(1884)
農村、鉱山労働者に選挙権付与
注・✕アイルランド自治法案は「否決」される
【ディズレーリ(保守党)】外交(強硬)
・スエズ運河の支配(1875)
・インド帝国の成立(1877)
・ベルリン会議に参加(1878)
交代でバランスよく内外政策を進めた
ポイント①念願の普通選挙!のはずが…
まとまらないフランスの第二共和政
(フランス)
二月革命(1848.2)で国王ルイ=フィリップが亡命
↓↓
【第二共和制】(1848~1852)
・臨時政府(1848.2)
ルイ=ブラン
(社会主義者・・労働者や失業者の支援)
・男性普通選挙の公約
・国立作業場(失業者対策)
↓↓
・四月普通選挙
社会主義力の敗北(産業資本家、農民から反発)
国立作業場の閉鎖
↓↓
・六月蜂起(暴動)→鎮圧
社会主義者、労働者が蜂起
↓↓
ルイ=ナポレオンが大統領に
(ナポレオン1世の甥)
1851年クーデタ
武力で議会を解散。独裁体制に。
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ポイント②皇帝政治の復活!?ナポレオン3世の登場
フランスをどのようにまとめたの?
【第二帝政】(1852~1870)
ナポレオン3世 大統領→国民投票で皇帝に
ボナパルティズム(統治体制)ボナパルト風=ナポレオン1世と似た
→全フランス国民の利害対立を利用し政権を維持(独裁)
国内は平和
(多くの対外戦争)
・クリミア戦争(1853~1856)
・アロー戦争(1856~1860)
・インドシナ出兵(1858~1867)
・イタリア統一戦争(1859)
・メキシコ出兵(1861~1867)→失敗
・プロイセン=フランス(普仏)戦争(1870~1871)
スダンの戦いに敗れ捕虜となる
↓↓
第三共和制へ・・
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ポイント③第三共和制の時代
独裁者がいなくなったフランスはやはり・・
【第三共和制】(1870~1940)70年
臨時政府の発足
代表:ティエール→独(旧プロイセン)と休戦
独の条件を何でも飲む
↓↓ 弱腰に市民は反発
・パリ=コミューン(1871)
労働者による自治政府→独と仏政府ティエールに弾圧される
「血の1週間」
・初代大統領ティエール(任1871~1873)
第三共和制のスタート
しかし情勢は不安定・・
(4)イタリアの統一
ポイント①イタリア統一の難しさとは?
北部・中部・南部で異なる世界が展開
西のサルデーニャ王国が統一運動のメインとなる
北部:ロンバルディア・ヴェネツィア・南チロル(墺領)
中部:ローマ教皇領など(仏軍)
南部:両シチリア王国
※サルデーニャ王国領のサヴォイヤ、ニースは仏人が多い。
ポイント②統一運動の開始!
外交や交渉を駆使した巧みな統一方法
【サルデーニャ王国】(1720~1861)
国王:ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
首相:カヴール(現実主義・冷静)→巧みな外交
・クリミア戦争参戦(露英仏VSトルコ)
英仏の要請→仏ナポ3世に顔を売った。。
サルデーニャの国際的地位が向上。
【イタリア統一運動】(1859)
・イタリア統一戦争(1859)
サルデーニャ王国 VS オーストリア
・北部ロンバルディア獲得(墺→伊)
↓↓
・中部イタリア併合
中部には仏軍がいる。ナポレオン3世と交渉
→仏にサヴォイア・ニースを割譲。
→併合を承認される。
↓↓
・南部:ガリバルディ(千人隊・赤シャツ隊)(元青年イタリア)
両シチリア王国を征服
→サルデーニャに領土を譲る
↓↓
イタリア王国の成立(1861)
↓↓
カブール没→大きな戦争に便乗する戦略に変わる。
・ヴェネツィア併合(1866)(墺→伊)
普墺戦争
(ビスマルクが事前に伊と同盟)
↓↓
・教皇領占領(1870)(仏→伊)
普仏戦争
ポイント③イタリア統一後のトラブル!!
イタリアが抱えた問題をみる
「未回収のイタリア」
トリエステ
南チロル(墺領土のまま)
→墺 VS 伊 対立に・・
(5)ドイツの統一
ポイント①ドイツ統一の難しさとは?
キリスト教の宗派対立が大きな問題となる
キリスト教の宗派対立
・プロイセン王国+北ドイツ→プロテスタント
VS
・西南ドイツ→カトリック
西南ドイツの本音「プロイセンよりオーストリア(カトリック)にドイツ統一してほしい・・」
プロイセン「墺が負けたら今度は仏に泣きつくかもしれない・・その2つとくっつくのは邪魔したい。」
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ポイント②ドイツは「鉄」と「血」で統一する!?
プロイセン王国がドイツの統一にむけて動き始める
プロイセン王国の統一(プロテスタント)
国王:ヴィルヘルム1世(位1861~1888)
↓↓ 任命
首相:ビスマルク(任1862~1890)28年(ユンカー出身)
「鉄血政策」
→ドイツ統一は、宗教が違うので話し合いや多数決ではムリ。武器(鉄)と兵士(血)で、軍事的に統一するしかない・・。
ビスマルクのドイツ統一の3つの戦争
[1]デンマーク戦争(1864)
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン(ドイツ人が多い)(デ→普)
墺を誘って戦う。普〇 VS デ✕
墺との共同管理をもちかけていたが・・やっぱり墺には管理させない(挑発)
↓↓
[2]プロイセン・オーストリア(普墺)戦争(1866)
普〇 VS ✕墺
↓↓
・北ドイツ連邦を発足
プロイセンが盟主となってまとまる。西南ドイツは入らない。
「次は仏を討つ・・」
普墺戦争に敗れた墺は国の体制を変える・・
・オーストリア=ハンガリー(二重)帝国
ハンガリーに自治を付与して昇格させた。その代わりスラヴ人が暴動を起こしたら一緒に鎮圧してもらうことを約束。
・スペイン王位継承問題
普王ヴィルヘルム1世と仏が会談。
→ビスマルクは仏を無礼な態度だったと発表して挑発。
↓↓
[3]プロイセン・フランス(普仏)戦争(1870~1871)
ナポレオン3世 スダンで捕縛
普〇 VS ✕仏
仏が敗れたことで、西南ドイツは頼る相手がいなくなり、ドイツに組み込まれる。
↓↓
・ドイツ帝国成立(1871)
ドイツ統一達成
(仏ヴェルサイユ宮殿にて)
(岩倉使節団 訪独1873)
(6)ドイツの発展
ポイント①ドイツ帝国の大いなる発展!
イギリスを猛追するドイツの工業化
【ドイツ帝国】(1871~1918)47年
皇帝:ヴィルヘルム1世
宰相:ビスマルク(任1871~1890)
・連邦参議院
帝国各地の代表者。立法・条約。
・帝国議会
全ドイツ25歳以上の男性普通選挙で選ばれる。予算の審議権。
・普仏戦争→仏との講和条約(1871)
多額の賠償金とアルザス・ロレーヌを獲得(仏→独)
地下資源(石炭・鉄鉱石)豊富な鉱山地帯。
↓↓
・第2次産業革命(重工業)
保護関税法
輸入品に関税。国内産業を守る。
→1880年代末、工業生産数は世界第2位!(1位は米)
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ポイント②「ドイツ国民」としての団結は超重要!
ビスマルクが徹底してこだわったこと
ドイツ国民の団結を揺るがすものはつぶす・・!
ドイツ「帝国の敵」を作る
[1]VS カトリック
・文化闘争
西南ドイツカトリック政党が反発
→ビスマルクは圧力をかける
【ビスマルクの社会政策】
[2]VS 社会主義勢力
・ドイツ社会主義労働者党の結成(1875)
世界初の社会主義政党
・社会主義者鎮圧法の制定
非合法とした。
労働者と資本家のけんかを止める。
「労働者は社会主義が守るんじゃなくて国が守るから!」
→疾病保険制度、災害保険法、養老保険法
(7)ビスマルク体制
ポイント①当時のヨーロッパは一触即発!?
問題を抱えていた国々とビスマルクの狙いとは?
[1]独 VS 仏
普仏戦争以降関係悪化・・(ドイツを許せない by 仏)
[2]露 VS 墺
バルカン半島をめぐり対立→ビスが三帝同盟で仲介
[3]伊 VS 墺
「未回収のイタリア」をめぐり対立→ビスが三国同盟で仲介
ポイント②目指すはフランスの孤立!
ドイツの安定のために外交述を駆使するビスマルク
【ビスマルク体制】(1870~1890年代)
ビスマルク(独)は、仏に露や墺と手を組んでほしくない。
挟み撃ちされたくない。仏を孤立させたい。
・三帝同盟(1873~1878)
ドイツ、オーストリア、ロシア
・ベルリン会議(1878)
主催者:ビスマルク
露・墺がバルカン半島をめぐり対立
独は墺の要求を飲んだ。
↓↓
ロシアはいったん手を離す。
・独墺同盟(1879)
・新三帝同盟(三帝協商)(1881~1887)
ドイツ、オーストリア、ロシアが再度手を結ぶ
仏と伊がチュニジア保護国をめぐってけんか。
↓↓
・三国同盟(1882)
ドイツ・オーストリア・イタリア
・新三帝同盟の崩壊
・再保障条約(1887~1890)
ドイツ・ロシアの秘密条約
「光栄ある孤立」
19C後半以降のイギリス
仏はビスマルクの思惑どおり、ひとりぼっちに・・
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