平安時代 – 歴史note

六国史(りっこくし)・・正史(公式の歴史書)

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「六国史(りっこくし)」・・奈良時代から平安時代にかけて朝廷が編纂した6つの正史(公式の歴史書)の総称。

1.『日本書紀』(にほんしょき)720
2.『続日本紀』(しょくにほんぎ)771
3.『日本後紀』(にほんこうき)840
4.『続日本後紀』(しょくにほんこうき)869
5.『日本文徳天皇実録』(にほんもんとくてんのうじつろく)879
6.『日本三代実録』(にほんさんだいじつろく)901

<六国史の構成>
1.『日本書紀』(にほんしょき):720年成立。神話時代から41代持統天皇まで。
2.『続日本紀』(しょくにほんぎ):771年成立。42代文武天皇から48代称徳天皇まで。
3.『日本後紀』(にほんこうき):840年成立。50代桓武天皇から54代仁明天皇まで。
4.『続日本後紀』(しょくにほんこうき):869年成立。54代仁明天皇から55代文徳天皇まで。
5.『日本文徳天皇実録』(にほんもんとくてんのうじつろく):879年成立。55代文徳天皇の治世を記録。
6.『日本三代実録』(にほんさんだいじつろく):901年成立。56代清和天皇、57代陽成天皇、58代光孝天皇の3代を記録。

<特徴と重要性>
・正史としての役割:国家の公式記録として、天皇の治世や政治・社会の出来事を記録し、古代史の根本史料となる。

・編纂体制:天皇の命令(勅撰)によって編纂され、平安時代には優れた漢文学者が執筆に参加し、漢文が洗練された。

・内容の変化:初期は国家全体の歴史を扱ったが、後期になるにつれて宮廷社会のより詳細な記録へと変化していった。

四書五経(ししょごきょう)

ししょごきょう【四書五経】

儒教で重要な経典として尊重された書物。儒学の中心は、始めは五経だったが、宋代の朱子学が四書を基本においた。

・四書
『大学(だいがく)』
『論語(ろんご)』
『孟子(もうし)』
『中庸(ちゅうよう)』

・五経(ごきょう)
『易経(えききょう)』
『詩経(しきょう)』孔子
『書経(しょきょう)』孔子
『礼記(らいき)』
『春秋(しゅんじゅう)』孔子。魯の歴史。

・四書
『大学(だいがく)』・・もと『礼記』の中の一編。修身から天下を治めるまでの根本原則。

『中庸(ちゅうよう)』・・もと『礼記』の中の一編。天と人とを結ぶ原理を説いた哲学書。

『論語(ろんご)』・・春秋時代の孔子と弟子たちの言行録。儒家の中心となる経典。

『孟子(もうし)』・・戦国時代の孟子の言行を弟子たちが編纂。性善説を説く思想書。

・五経(ごきょう)
『易経(えききょう)』・・占いの書。陰と陽で自然と人生の法則を説く。

『書経(しょきょう)』・・嶤(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)から周までの王者の言行の記録。

『詩経(しきょう)』・・中国最古の詩集。西周から春秋時代の歌謡。

『礼記(らいき)』・・礼についての解説と理論の書。唐代に五経に加わる。

『春秋(しゅんじゅう)』・・春秋時代の魯国の年代記。編年体での記録。

引用。学研キッズネット

タペストリー。

百人一首と勅撰和歌集

・百人一首はそれまでの勅撰和歌集10冊の中から選ばれている。

※「勅撰(ちょくせん)和歌集」とは、天皇や上皇の命によりまとめられた公式の和歌集のこと。

・飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、約600年の間に歌われた名歌が収められている。

・『古今和歌集』から選ばれた歌が一番多く、24首選ばれている。

平安前期 905 古今和歌集 こきんわかしゅう
951 後撰和歌集 ごせんわかしゅう
平安中期 1005 拾遺和歌集 しゅういわかしゅう
1086 後拾遺和歌集 ごしゅういわかしゅう
平安後期 1127 金葉和歌集 きんようわかしゅう
1151 詩歌和歌集 しかわかしゅう
平安末期 1187 千載和歌集 せんざいわかしゅう
鎌倉時代 1205 新古今和歌集 しんこきんわかしゅう
1235 新勅撰和歌集 しんちょくせんわかしゅう
1251 続後撰和歌集 しょくごせんわかしゅう

 

 

古今和歌集 24 60 醍醐天皇 優雅で繊細な歌が多い
後撰和歌集 7 62 村上天皇 贈答歌が多い
拾遺和歌集 11 65 花山院(編) 恋の歌が多い
後拾遺和歌集 14 72 白河天皇 女流歌人の歌が多い
金葉和歌集 5 72 白川院 写実的な歌が多い
詩歌和歌集 5 75 崇徳院 古い歌と新しい歌がある
千載和歌集 14 77 後白河院 同時代の歌人の歌が多い
新古今和歌集 14 82 後鳥羽院 美しく絵画的な歌が多い
新勅撰和歌集 4 86 後堀河天皇 幕府の歌人の歌が多い
続後撰和歌集 2 88 後嵯峨院 優雅で絵画的な歌が多い

 

後宮(こうきゅう)/七殿五舎(しちでんごしゃ)

■七殿(しちでん)
弘徽殿(こきでん)
承香殿(じょうきょう/しょうきょうでん)
麗景殿(れいけんでん)
登華殿(とうかでん)
貞観殿(じょうがんでん)
宣耀殿(せんようでん)
常寧殿(じょうねいでん)五節舞姫の帳台試が行われる。五節殿ともいう

■五舎(ごしゃ)
飛香舎(ひぎょうしゃ)(藤壺/ふじつぼ)
凝花舎(ぎょうかしゃ)(梅壺/うめつぼ) 藤原詮子
昭陽舎(しょうようしゃ)(梨壺/なしつぼ)梨壺の五人
淑景舎(しげいしゃ)(桐壺/きりつぼ)
襲芳舎(しゅうほうしゃ)(雷鳴壺/かんなりのつぼ)

後宮。七殿五舎(しちでんごしゃ):平安京内裏の紫宸殿(ししんでん)や仁寿殿(じじゅうでん)の後方に位置し、主に天皇の后妃(こうひ)の住まう殿舎(でんしゃ)を指す。

これらは後宮(こうきゅう)と総称され、后妃以外にも東宮やその妃、また親王・内親王などもしばしば殿舎を賜った。

七殿は内裏創建時から存在し、五舎よりも格が上であるとされる。

by Wikipedia

三筆(さんぴつ)/三蹟(さんせき)平安時代

【三筆】さんぴつ(平安初期)

・嵯峨天皇(さがてんのう)

・橘逸勢(たちばなのはやなり)

・空海(くうかい)


【三蹟】さんせき(平安中期)

・小野道風(おののみちかぜ/とうふう)
参議・小野篁(さんぎ・おののたかむら)の孫

・藤原佐理(ふじわらのすけまさ/さり)
藤原実頼(さねより)の孫

・藤原行成(ふじわらのゆきなり)

 

漫画『阿吽』11巻メモ

「阿吽」おかざき真里 11巻メモ

<四堅臣(しけんしん)>

・吉岑安世(よしみねのやすよ)鷹(たか)。正五位下(しょうごいのげ)

・藤原三守(ふじわらのみもり)南家。正五位下(しょうごいのげ)

・伴国道(とものくにみち)。正六位下(しょうろくいのげ)

・藤原冬嗣(ふじわらふゆつぐ)嵯峨天皇の片腕。蔵人頭(くろうどがしら)。正四位下(しょうしいのげ)

 

漫画『応天の門』16巻メモ

応天の門 16巻 メモ

毎年七月
相撲節会(すまいのせちえ)

各国の力自慢が集められ神前試合を行う。勝つと宮中の守護の職を与えられるなど出世も望める。

内膳司(ないぜんし)・・天皇の食膳の調理を担当した役所。

膳夫(かしわで)・・宮中の調理人

宜秋門(ぎしゅうもん)・・内膳司の出入りする門

宴の松原(えんのまつばら)・・大内裏内の広い松林。宜秋門を出てすぐのところ。

 

 

応天の門 15巻

応天の門 15巻 メモ

典薬寮(てんやくりょう)

中務省(なかつかさしょう)内薬師(ないやくし)

祖父 紀国守・・内薬正(ないやくしょう)
父 紀貞則
息子 紀長谷雄


■ 承和の変(じょうわのへん)

仁明帝の御代 立太子争い

×・淳和帝(じゅんなてい)の皇子
恒貞(つねさだ)親王
(嵯峨上皇はお気に入りだったが・・)

VS

〇・仁明帝と藤原良房の妹の子
道康親王(文徳天皇)

 

伴健岑(とものこわみね)隠岐へ
橘逸勢(たちばなはやなり)伊豆へ 途中で亡くなる
恒貞(つねさだ)親王は嵯峨院で出家⇒恒寂(ごうじゃく)

 

祖父 平城天皇(へいぜいてんのう)
父 阿保親王(あぼしんのう)
息子 在原業平

 

 

 

応天の門 14巻

応天の門 14巻 メモ

伊勢 斎宮寮(さいくうりょう)

奉幣使(ほうべいし)
供物をささげる者

 

紀 名虎(きの なとら)

 

伊勢神宮

倭姫命(やまとひめのみこと)が三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)を納める地を探し伊勢にたどりついた。

斎宮(さいぐう・いつきのみや)

 

 

応天の門 13巻

応天の門 13巻 メモ

伴清縄(とものきよただ)

呂洞貧(りょどうひん):唐の仙人

八位下(はちいげ)左馬少属(さまのしょうさかん)

甲斐権掾(かいのごんのじょう)

 

史生(ししょう)鷹取殿

鬼子母神(きしぼじん):千人の子を持つ女神・訶梨帝母(かりていも)。子宝祈願など。

 

延暦の噴火
800年~802年ごろの富士噴火