平安時代 – ページ 2 – 楽しく歴史

応天の門 12巻

応天の門 12巻 メモ

二条堀川 藤原邸 藤原基経

 

黄泉戸喫(よもつへぐい)

郡司(ぐんじ)


火の神 木花之佐久夜姫(このはなのさくやひめ)を浅間大神(あさまのおおかみ)として祀る霊峰富士

貞観の大噴火

蟷螂の斧(とうろうのおの)

土師忠道(はじのただみち)

左大臣 源信(みなもとのまこと)

臣籍降下したといえ力を持つのは血筋でいえば力を持つのは源一門。

財力、手練れの家人、私兵がある。

 

 

 

応天の門 10巻

応天の門 10巻 メモ

李白「山中問答」

大内裏 談天門

渤海

鴻臚館(こうろかん):外交のための迎賓館。平安京(京都)、難波(大阪)、筑紫(福岡)の3ヵ所に設けられた。

胡人(こじん):中国から西の諸民族の呼び名。西域人。

波斯(はし):中国におけるササン朝ペルシアの呼称。現在のイラン。

左馬寮(さまりょう)

 

葬送の地。
化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)

 

 

応天の門 9巻

応天の門 9巻 メモ

弘法大師由来の長岡精舎

(「精舎」は出家修行者がとどまって修行する堂舎)

官家が管理している。


「勧学院の雀は蒙求を囀る」(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)

=「門前の小僧習わぬ経を読む」

「勧学院」・・藤原冬嗣が藤原氏のために建てた教育施設。後に大学別曽と呼ばれた。

「蒙求(もうぎゅう)」・・中国故事を集めた初学用の教科書。徳川家康も愛読。

 

応天の門 8巻

応天の門 8巻 メモ

・暦について

日本初の暦は6世紀554年、百済からの暦博士にもたらされた。

862年(貞観4年)から使われたのが宣明歴(せんみょうれき)。

織田信長は宣明歴を三島暦に変えるように朝廷に迫ったので、朝廷は本能寺の変を引き起こしたという説もある。

宣明歴は以降1684年まで800年以上使われた。

1685年 渋川春海による貞享暦(じょうきょうれき)という和暦が使われる。(「天地明察」小説、コミック、映画)

 

陰陽道。天文学

暦道(れきどう)。
陰陽寮(おんみょうりょう)。陰陽師。

 

平安時代の従者。

内教坊(ないきょうぼう)

妓女(ぎじょ)

 

 

 

 

応天の門 7巻

応天の門 7巻 メモ

弾正大忠(だんじょうだいちゅう)

紀貞則(きのさだのり)の一子
紀長谷雄

讃岐守 紀夏井(きのなつい)兄
紀豊城(きのとよき)弟

 

 

応天の門 6巻

応天の門 6巻 メモ

兄:源信(みなもとのまこと)

弟:源融(みなもとのとおる)
別荘、庭園など。
和歌の世界の再現を狙った。
彼の邸宅、河原の院。

右大臣 藤原良相。
藤原冬嗣の五男。良房の弟。

 

用語集 平安時代

公卿(くぎょう)・・太政官の最高幹部として国政を担う職位。太政大臣、左右大臣、大中納言、参議らの高官。

公達(きんだち)・・親王・貴族など身分の高い家柄の青少年。

節会(せちえ)・・宮中で節日などに天皇が臣下を集め、酒食を賜る公式行事。

庵主(あんじゅ)・・尼の総称

眷属(けんぞく)・・親しく従う者、脇侍。

大師(だいし)・・高徳の僧

応天の門 5巻

応天の門 5巻 メモ

魂鎮め(たましずめ)

祭儀 神泉苑

針をなくした子の父
大宅鷹取(おおやけのたかとり)
権史生(ごんのししょう)

 

医師(くすし)
典薬寮の職員

 

 

応天の門 4巻

応天の門 4巻 メモ

明石の藻塩焼き

97.来ぬ人をまつほの浦の 夕なぎにを焼くや藻塩の 身もこがれつつ/権中納言定家

 

<反藤原勢力>

・伴中庸(とものなかつね)

・式家 藤原良近(よしちか)

 

・源融(みなもと とおる)

14.「みちのくの」 河原左大臣

 

・南家 藤原有貞

・大江公幹(おおえのきみみき)

 

 

参議 藤原時行(ときつら)
基経のいとこ
藤原良相(よしみ)の息子