応天の門3巻メモ
清和天皇の母。染殿。明子(あきらけいこ)。
・平安時代 天皇
50 桓武天皇
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51平城天皇 52 嵯峨天皇 53 淳和天皇
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54 任明天皇
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55 文徳天皇
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56 清和天皇
701年 国・群・里
国司、群司・里長
715年 国・群・郷
国司(こくし)、群司(ぐんし)・郷司(ごうし)
郷司・・税の取り立てが主な職務
島田忠臣
島田宣来子
歴史、学びメモ
応天の門3巻メモ
清和天皇の母。染殿。明子(あきらけいこ)。
・平安時代 天皇
50 桓武天皇
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51平城天皇 52 嵯峨天皇 53 淳和天皇
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54 任明天皇
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55 文徳天皇
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56 清和天皇
701年 国・群・里
国司、群司・里長
715年 国・群・郷
国司(こくし)、群司(ぐんし)・郷司(ごうし)
郷司・・税の取り立てが主な職務
島田忠臣
島田宣来子
応天の門 2巻 メモ
図書寮(ずしょりょう)
「神農本草経」「白氏文集(はくしもんじゅう)」
高子は良房の姪。基経の妹。
2人の父は長良。
長良(ながよし)は良房の弟か。
長良の三男が基経。兄は国経、遠経。
清和天皇は良房の娘の子。つまり孫。
自分の孫に自分の姪を嫁がせる計画。
道真の父、是善は帝の侍読(じどく)。
帝に仕え学問を教える学者。
在原業平
平城帝(へいぜいてい)の血筋。
従五位(じゅごい)左近衛少将(さこのえしょうしょう)
(警察署長みたいな感じかな?)
権少将(ごんのしょうしょう)
従者 是則(これのり)
検非違使
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平安京
外郭との羅城門
朱雀大路
大内裏への入口が朱雀門(その先は貴族の社会)
大内裏の中
政治の象徴 朝堂院
正門の応天門
さらに内裏にいたるには
建礼門、承明門をぬけ、帝のおわします紫宸殿、清涼殿へ
貴族の一部の公達(きんだち)だけ
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伴大納言(とものだいなごん)
主上(おかみ)、帝
清和天皇
摂政 北家 藤原良房
二条 高子姫
大内裏 八省院内 大学寮
菅原道真
父 菅原是好(これよし)の三男
紀長谷雄
(長谷雄は業平の妻の縁者)
文章生(もんじょうしょう)
狩袴(かりばかま)
藤原親嗣 式家 藤原百川の長男
良房の従弟(いとこ)
護摩を焚く。麻の匂い。
公卿(くぎょう)藤原家、ほか
婢女(はしため)
米二百石
(1石5万円として1000万?ん?そんなに?)
文章生試(もんじょうしょうし)
昭姫(しょうき)
三国時代の詩人。才女。
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貴族が学ぶべき学問のトップ
「紀伝道(きでんどう)」
中国の歴史と漢文
教員
文章博士 2名
学生
文章生(もんじょうしょう)20名
擬文章生(予備生) 20名
貴族の師弟は大学寮の寮試を受け、合格すると擬文章生になる。
式部省の年に一度の文章生試に合格すれば文章生となる。
エリートコースの狭き門。
貴族社会では文学が尊重されるようになった。
特に優秀な2名は文章得業生になり、秀才試(対策、方対策)に合格すれば官職に。
大学寮で漢書から史学、漢詩、漢文学を学ぶ。
屋敷内の灯明(とうみょう)
朱雀門より内(貴族社会)は地獄…。
なら応天門より先(政界)は鬼の本丸だ。
平安時代は日本独自の文化が発達した。
◆2つの新しい宗教
天台宗・・最澄。比叡山・延暦寺。
真言宗・・空海。高野山・金剛峯寺(こんごうぶじ)
浄土信仰
念仏をとなえ阿弥陀仏にすがり極楽浄土に生まれ変わることを願う。貴族から地方に広まる。
阿弥陀堂。藤原頼道。平等院鳳凰堂(宇治)
◆日本独自の文化(国風文化)
仮名文字が発達。日本のことばを表しやすくなった。
「源氏物語」紫式部。長編小説。(57「めぐりあいて」)
「枕草子」清少納言。随筆。(62「夜をこめて」)
「新古今和歌集」紀貫之。和歌集。(35「人はいさ」)
寝殿造・・有力貴族の屋敷。
平安貴族の服装。女性:十二単。男性:束帯。
引用
平安時代は天皇中心の政治から藤原氏の摂関政治へと転換していく。
794 | 桓武天皇。都を京都・平安京に移す。 |
797 | 坂上田村麻呂。征夷大将軍に任命。東北の蝦夷を討伐。 |
9世紀後半 | 藤原氏の摂関政治。摂政・関白。娘を天皇の后に。その子を天皇にし祖父として実権を握る。
摂政・・女性、幼少の天皇の代理。 |
894 | 菅原道真。遣唐使を廃止。(百人一首24の作者。菅家) |
1016 | 藤原道長・頼道親子。摂関政治の全盛期。 |
平安時代末期1156年 保元(ほうげん)の乱
鳥羽法皇(とばほうおう)が亡くなり2人の息子が権力争い。
✕兄 崇徳上皇(75代天皇)VS 〇弟 後白河天皇(77代天皇)
崇徳上皇=崇徳院(すとくいん)
⇒百人一首「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあわむとぞ思ふ」の作者
後白河天皇に敗北し讃岐国(さぬきのくに)に流された。上皇の島流しは過酷な処分。数百年ぶりの死刑の復活。
後白河天皇側に平清盛、源義朝(よしとも)がいた。この時は味方同士だが後に対立し戦うことになる。