1156保元の乱。✕崇徳上皇VS〇後白河天皇 – 楽しく歴史

1156保元の乱。✕崇徳上皇VS〇後白河天皇

平安時代末期1156年 保元(ほうげん)の乱

鳥羽法皇(とばほうおう)が亡くなり2人の息子が権力争い。

✕兄 崇徳上皇(75代天皇)VS 〇弟 後白河天皇(77代天皇)

 

崇徳上皇=崇徳院(すとくいん)
⇒百人一首「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあわむとぞ思ふ」の作者

後白河天皇に敗北し讃岐国(さぬきのくに)に流された。上皇の島流しは過酷な処分。数百年ぶりの死刑の復活。

後白河天皇側に平清盛、源義朝(よしとも)がいた。この時は味方同士だが後に対立し戦うことになる。