中国 – 歴史note

【44】自立を強める東アジア

【44】自立を強める東アジア
(1)激動の中華人民共和国
(2)中国の「暗黒」の時代
(3)急成長を遂げた大国!中国
(4)朝鮮半島分断国家の行方


[1]毛沢東→[2]劉少奇→[3]復活・毛沢東→[4]鄧小平

(1)激動の中華人民共和国
ポイント①毛沢東の暴走!
ソ連や近隣諸国との関係が悪化

<ソ連との関係が悪化>
・中ソ友好同盟相互援助条約(軍事同盟)(1950)
スターリンの死後、中ソ関係が悪化・・
↓↓
中ソ論争(中ソ対立)
ソ連の平和共存政策(フルシチョフ)によるアメリカとの接近に中国が反発
→キューバ危機以降は公開論争へと発展(1960年代)

チベット反乱(1959)
チベット仏教僧侶を中心とした反中国反乱
→人民解放軍により鎮圧
ダライ・ラマ14世はインドへ亡命
↓↓ 身柄引き渡しをめぐって・・
中印国境紛争(1959~1962)
中国〇 VS ✕インド
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②毛沢東の失脚!
国内改革に大失敗・・2000万人以上の餓死者が発生

「大躍進」(第2次五カ年計画)>
・工業・農業の急速な発展を目指す
人民公社・・農村部における生産活動と行政・教育活動などを一体化
中ソ技術協定破棄+大規模な自然災害→大失敗。毛沢東辞任。

調整政策
・国家主席:劉少奇
鄧小平による補佐
資本主義経済の仕組みを導入
→農業生産力の回復


(2)中国の「暗黒」の時代
ポイント①毛沢東の復活!?
中国の経済活動・文化活動などすべてを停滞させた魔の時代

プロレタリア文化大革命(1966~1977)>経済・文化の停滞期
・毛沢東による実権派の一掃
劉少奇、鄧小平らを「資本主義復活をはかる者」として批判

紅衛兵の結成(学生中心)赤を守る
全国各地で激しい闘争を行う

「四人組」の横暴
毛沢東の権威を利用して権力を掌握
(毛沢東の妻:紅青など)

中ソ国境紛争(1969)
ウスリー川に位置する島をめぐって中ソが軍事衝突
↓↓ (米がチャンス!と近づく)
中国の国連代表権交代
米が中国に歩み寄り。台湾→中国

ソ連との関係は悪化、代わりに米との関係が良くなる
ニクソン訪中(1972)・・米は中国を事実上承認
日中国交正常化(1972)・・田中角栄内閣-周恩来

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②大国へと歩み始める中国
毛沢東の死後に目指された中国の新しい目標

・周恩来の死→毛沢東の死(1976)
鄧小平(とうしょうへい)の時代に・・!

・華国鋒が中国共産党主席(首相も兼任)に就任
「四人組」を逮捕

「四つの現代化」
農業・工業・国防・科学技術の近代化を目指す
→文化大革命後の中国の新しい目標に設定

改革・開放政策(1978以降)


(3)急成長を遂げた大国!中国
ポイント①改革・開放政策の進展
急速に発展する中国経済と高まる民主化運動

鄧小平の時代>
人民公社解体
農村部に生産責任制を導入(生産請負制)
資本主義の仕組みを取り入れた。作ったものは好きにしていい。(=販売、貯蔵、廃棄など)

社会主義市場経済の導入
経済特区の指定

より広い自由化を求める大規模な民主化要求運動が発生
→(第2次)天安門事件(1989)北京の広場に集まった民衆を弾圧

・鄧小平死去(1997)

江沢民の時代>
香港返還(1997)イギリスより返還
マカオ返還(1999)ポルトガルより返還
領土を回収

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ポイント②台湾(中華民国)の行方
次第に民主化の道へと動き始める台湾

中国国民党
<総統:蒋介石の時代>反共親米・独裁
・日華平和条約
・米韓相互防衛条約

しかし途中で米に裏切られた・・
→中国の国連代表権交代(1971)
・蒋介石死去(1975)

<総統:李登輝(りとうき)の時代(1980年代)>
台湾の民主化が進展
→中国本土との対立が深まる


(4)朝鮮半島分断国家の行方
ポイント①韓国の戦後復興の立役者!
開発独裁ともいわれた強力な指導者の登場

李承晩→
朴正煕(ぼくせいき/パクチョンヒ)(任1963~1979)>反共親米
・韓国軍部クーデタで実権を掌握
開発独裁・・韓国は経済復興に成功

日韓基本条約(1965)
日本と韓国の国交正常化
(米がベトナム戦争で韓国を支援する余裕がなくなった。→米は日本に経済支援を任せた。5億ドル(500億円))

・朴大統領暗殺(1979)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②1980年代以降の韓国の情勢
軍部中心の政治からようやく民主化へ・・

盧泰愚(ろたいぐ/ノテウ)(任1988~1993)>
・初の平和的な政権交代
民主化宣言
南北朝鮮、国連同時加盟(1990)

<民主政治の進展(1990年代)>
・金泳三(きんえいさん/キムヨンサム)・・初の文民政権
アジア通貨危機・・韓国・インドネシアなどに広がった通貨下落

金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)(任1998~2003)>
太陽政策(包容政策)
対北朝鮮友好政策

南北両朝鮮首脳会談(2000)
韓国の金大中と北朝鮮の金正日(キムジョンイル)との会談

 


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【41】米ソ冷戦の時代

【41】米ソ冷戦の時代
(1)第二次世界大戦後のヨーロッパ世界
(2)冷戦の始まり
(3)米ソ両陣営の軍事ブロック
(4)中国と朝鮮半島の行方
(5)東南アジア諸地域の独立
(6)南アジア・西アジアの独立


(1)第二次世界大戦後のヨーロッパ世界
ポイント①西ヨーロッパ世界の動向
世界大戦の痛手から復興を目指す

<イギリス>
チャーチル
アトリー内閣(任1945~1951)労働党
・重要産業国有化(イングランド銀行、石炭など)
・社会福祉制度の充実
「ゆりかごから墓場まで」

・エール、イギリス連邦離脱
アイルランドと改称

<フランス>
第四共和政(1946~1958)
議会制内閣を採用
フランス共産党が勢力拡大

<イタリア>
王政廃止
国民投票で王政が廃止され、共和政へ

イタリア共産党
西欧最大の共産党

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②東ヨーロッパ世界には大きな変化が!?
忍び寄るソ連の影響力

<東欧>
ソ連のおかげでナチスを追い出せた。なのでソ連の影響を受ける。ソ連の衛星国に。(言いなりに)
↓↓
人民民主主義
・ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア
・ユーゴスラヴィア
指導者:ティトー(自力でナチスを追い出した。ソ連とは距離を置く)

「鉄のカーテン」演説>
英・元首相チャーチル
シュテッティン(バルト海)からトリエステ(アドリア海)まで
→ソ連の「鉄のカーテン」


(2)冷戦の始まり
ポイント①アメリカの対ソ封じ込め政策とは?
ソ連の影響力拡大を防げ

(政治対立)
<資本主義陣営(アメリカ中心)>
封じ込め政策
トルーマン=ドクトリン(トルーマン宣言)
ギリシア、トルコを援助
両国の共産主義化を阻止

↓↓ 具体的なプラン

マーシャル・プラン(ヨーロッパ経済復興援助計画)
国務長官:マーシャル
全ヨーロッパ対象の経済援助を表明。

<社会主義陣営(ソ連中心)>
コミンフォルム(共産党情報局)の発足
ソ連がリーダー。東欧7カ国+伊仏の共産党。
他国に指示を出す。
途中、ユーゴスラヴィアを除名

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②資本主義陣営に衝撃がはしる!
共産党クーデタが発生

<資本主義陣営の動揺>
チェコスロバキア=クーデタ
共産党クーデタで当時の大統領が辞任
資本主義国→共産党政権が発足
(ナチスからチェコを解放したのはソ連だったため。)
↓↓
西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)
英・仏・ベネルクス3国(オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)の5カ国の軍事同盟


(3)米ソ両陣営の軍事ブロック
ポイント①ドイツをめぐるトラブルの発生!
東西ドイツへの分裂は回避不可能!

<東西ドイツの対立>
・西側管理地区・通貨改革(米英仏)
独立の準備を始める(ソ連に無断)
→ソ連がベルリン封鎖
西ベルリンへの交通を封鎖
↓↓
米は1年間、空輸で物資を運ぶ
↓↓
ベルリン封鎖解除。東西ドイツ、それぞれ独立。

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)
首相:アデナウアー(任1949~)
奇跡の経済復興

ドイツ民主共和国(東ドイツ)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②米ソ両陣営の経済・軍事同盟の成立
ますます対立を深める米ソ両陣営の行方・・

<東西両陣営の対立>
(経済対立)
ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)(資本主義)
マーシャル・プランの受け入れ機関
VS
コメコン(経済相互援助会議、COMECON)(社会主義)
ソ連と東欧6カ国
======
(軍事対立)
北大西洋条約機構(NATO)
アメリカ中心に12カ国加盟
西ドイツ再軍備→NATOに加盟
VS
ワルシャワ条約機構
ソ連の核実験成功。アメリカに次ぐ2番目の核保有国に。
ソ連中心の軍事同盟。NATOに対抗。


(4)中国と朝鮮半島の行方
ポイント①国民党vs共産党
第二次世界大戦後、中国を支配するのはどっち?

<内戦(国共内戦)>
中国共産党
指導者:毛沢東
地主の土地所有を廃止
→農民からの指示拡大
VS
中国国民党
指導者:蒋介石
→国共内戦に敗北
中華民国政府を台湾へうつす

中華人民共和国の成立(1949)
首都:北京
国家主席:毛沢東(任1949~1959)
(中国共産党・党首)
首相:周恩来(任1949~1976)

中ソ友好同盟相互援助条約(1950)
軍事、経済の同盟

・中華人民共和国の承認
建国直後にソ連、東欧、インドが承認

・土地改革
大地主から土地を没収→農民に分配

第1次五カ年計画(1953~1957)
ソ連の援助。
重工業の優先、農業の集団化

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②朝鮮半島の分断化
現在まで続く南北戦争の分断の原因とは?

日本の敗戦。朝鮮から撤退。
↓↓
米ソの分割占領
北緯38度線
大韓民国(韓国)
首都:ソウル
初代大統領:李承晩(りしょうばん/イ・スンマン)

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
首都:ピョンヤン
初代首相:金日成(きんにちせい/キム・イルソン)


(5)東南アジア諸地域の独立
ポイント①ベトナムの独立を認めないフランス!
インドシナ戦争の勃発とその後の展開

<戦後のベトナム>
・ベトナム独立同盟(ベトミン)
指導者:ホーチミン(社会主義
↓↓
ベトナム民主共和国の成立
ホーチミン
↓↓
仏は認めない。日本撤退後は仏が再度支配する。軍事侵攻。
↓↓
インドシナ戦争(1946~1954)>
仏✕ VS 〇ベトナム
ベトナム国の成立(南ベトナム・仏の傀儡国家)
首都:サイゴン
主席:バオダイ

ディエンビエンフーで仏軍が大敗
ジュネーヴ会議(1954)
ジュネーヴ休戦協定・・北緯17度線を暫定的な軍事境界線
↓↓
慌てたのはアメリカ。。このままでは社会主義になる・・。
東南アジア条約機構(SEATO)の結成
反共軍事同盟

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ベトナム以外の東南アジアの独立
旧宗主国からの独立を達成!

<東南アジアの諸島部>
インドネシア共和国独立
首都:ジャカルタ
初代大統領:スカルノ大統領(任1945~1967)
インドネシア国民党

フィリピン共和国独立
首都:マニラ

<東南アジアの大陸部>(から独立)
インドシナ戦争で仏が負けて出ていった
↓↓
カンボジア独立
首都:プノンペン

ラオス独立
首都:ビエンチャン

<東南アジアの大陸部>(から独立)
マラヤ連邦独立
ビルマ独立


(6)南アジア・西アジアの独立
ポイント①インドの独立達成!
統一インドを主張し続けたガンディーは・・

インド独立>(1947)
・インド連邦→インド共和国
首相:ネルー(国民会議派)(任1947~1964)

パキスタン共和国独立 イスラム教徒
総督:ジンナー(任1947~1948)
(全インド=ムスリム連盟)
(※パキスタンは東・西に飛び地だった。東パキスタン→後のバングラデシュに)

スリランカ(セイロン)独立

第1次インド=パキスタン戦争(1947~1949)
カシミール帰属問題(インド北)
住民はイスラーム教徒。王はヒンドゥー教徒。

ガンディー暗殺(1948)
戦争をやめるように訴えた。
同じヒンドゥー教徒に弱腰だと言われ、暗殺される・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②西アジア諸地域の動き
戦後も欧米諸国の思惑に振り回される中東

<イラン>
WW2中、王朝パフレヴィー朝は英米にすりよる外交。(親米・親英)
石油を英米に安く渡していた。
↓↓
WW2が終わると
・首相:モサデグ(任1951~1953)
石油を国有化=資源ナショナリズム
「石油はイランのものだ!」
→英の石油会社の施設を接収
→国王派のクーデタで失脚
↓↓
国王パフレヴィー2世
「上からの近代化」を推進(英・米の支援
貧富の差が拡大

======
パレスチナ>(国ではなく地域)
アラブ人(多)、ユダヤ人(少)が住む。
英が委任統治していたが放棄
↓↓
アラブ諸国連盟の結成
アラブ連盟
↓↓
パレスチナ分割案が国連総会で可決
パレスチナをユダヤ人地域とアラブ人地域に分割。
面積は半分ずつ。ユダヤに有利に。
↓↓
イスラエル建国(ユダヤ人国家)(1948)
↓↓
アラブ人が不満。
・パレスチナ戦争(第1次中東戦争)(1948~1949)
イスラエル+米〇 VS ✕アラブ諸国連盟
↓↓
100万人のパレスチナ難民
(→イスラエルに追い出されたアラブ人)

 


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【39】世界恐慌とファシズム諸国の侵略

【39】世界恐慌とファシズム諸国の侵略
(1)世界恐慌の到来
(2)イギリス・フランスの対応
(3)日本の中国侵略
(4)ナチ党の勢力拡大
(5)ナチス=ドイツの動向
(6)ファシズム諸国の協力体制
(7)第二次世界大戦へ


(1)世界恐慌の到来
ポイント①アメリカから始まった恐慌が世界へ波及!!
「暗黒の木曜日」から始まる経済危機

米の繁栄。空前の株式ブーム。

世界恐慌(1929年10月24日(木))
ブラックサーズデー「暗黒の木曜日」
NY株式市場 ウォール街で株価大暴落
→米で金融恐慌→全世界へ波及
↓↓
・フーヴァー大統領(任1929~1933)
特に対策せず。
フーヴァー=モラトリアム
→欧への支援を1年止める。→欧の経済悪化・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランクリン=ローズヴェルトの改革!
経済には国家が積極的に介入すべき

フランクリン=ローズヴェルト(民主党)(位1933~1945)
ニューディール政策
新規まきなおし。国家の経済介入

農業調整法(AAA)トリプルA
農民を救済。生産制限、過剰生産物の政府買い上げ。

全国産業復興法(NIRA)
企業の救済。労働者の団結権・団体交渉権を承認。

↓↓ 企業を助けるのは憲法違反と言われる。

ワグナー法
労働者の団結権・団体交渉権を改めて承認

テネシー川流域開発公社(TVA)
政府が総合開発に着手。公共事業ダム建設など。
多くの失業者を吸収。

<外交>
善隣外交(1933)
経済的、政治的な南北アメリカの一体化へ
(強い外交から→友好的な外交へ)

キューバ独立の承認

ソ連の承認(1933)
市場になるのでは・・との狙いもあり


(2)イギリス・フランスの対応
ポイント①イギリスは自由貿易路線を止める!?
広大な植民地をもつイギリスが取った方法とは

(英の世界恐慌対策)
第2次マクドナルド内閣(任1929~1931)>
・労働党(社会主義政党)
失業保険の削減
労働党の反対で総辞職、除名
↓↓
マクドナルド挙国一致内閣(任1931~1935)>
恐慌対策
金本位制停止・・金が国外へ流出するのを防ぐ
(金本位制とは・・紙幣と金との交換が保障されている制度。信用度を保つ。)

オタワ連邦会議(イギリス連邦経済会議)
イギリスは自由貿易をやめる。自治領と植民地とのみ貿易する。
ブロック経済の採用
スターリング=ブロック(ポンド=ブロック)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランスの対応はグダグダ!?
恐慌への対策に遅れをとったフランスは・・

(仏の世界恐慌対策)
フラン=ブロック(英と同じようにした)

国内改革はできず不安定
・小党分立・政局不安定→ファシズム勢力の拡張(反社会主義・反共産主義)

↓↓ ファシズムを押さえ込むために

人民戦線の結成(反ファシズム)
フランス社会党・急進社会党・フランス共産党
↓↓
ブルム人民戦線内閣の成立(フランス社会党)


(3)日本の中国侵略
ポイント①日本の軍国主義化
第一次世界大戦後の日本の政治はどうなる!?

金融恐慌に世界恐慌が加わる。軍部が力を持つように。。「持たざる国」の日本は植民地を求めて中国侵略を強める。

満州事変(1931)>
柳条湖事件(1931.9.18)
日本の関東軍が奉天郊外で南満州鉄道を自ら爆破。自作自演。中国側の仕業だと言う。
↓↓
さらに満州から目をそらすために・・
↓↓
上海事変(1932)
日本人殺害事件を口実に、日本の海軍が進出。

↓↓ その間に・・

満州国の建国(1932)遼東半島の北
執政:溥儀(清の宣統帝)

リットン調査団の報告
→柳条湖事件は日本の自作自演で侵略。満州建国は認めない。
→日本、国際連盟を脱退(1933)

・五・一五事件(1932)
海軍将校が犬養毅首相を暗殺(政党政治が終わる・・)

・二・二六事件(1936)
陸軍の急進派将校らが重臣・閣僚などを暗殺(高橋是清・大蔵大臣や斎藤実・内大臣など。岡田啓介首相は難を逃れる。)
↓↓
日本は軍国主義へ・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②中国では国民党と共産党の対立が進む
共産党の毛沢東が蒋介石に呼びかけたこととは?

中国国内は国共が対立してまとまっていない・・

長征(大西遷・だいせいせん)>
・国民党の攻撃
→共産党軍の大移動
→毛沢東は本拠地を瑞金から→延安へ。12,500km

八・一宣言の発表(1935)
国民党へ内戦の停止と抗日民族統一戦線の結成を訴える
→蒋介石は聞かず。
↓↓
西安事件(しーあん/せいあん/じけん)(1936)
張学良が蒋介石を監禁・説得。
→蒋介石は抗日への姿勢を示す(しぶしぶ)
(※蒋介石はその後も張学良を許さず、WW2後に台湾で張学良をずっと軟禁していたほど。)

盧溝橋事件(1937.7.7)北京郊外
日本と中国の軍事衝突=日中戦争が始まる
→同時に第2次国共合作の成立

日中戦争(1937~1945)>
・南京占領→南京事件
→日本は中国各地へと侵略。中国側は劣勢。日本が優勢。

・国民政府(蒋介石)は南京を捨て→重慶へと遷都
重慶政府(抗日最後の拠点)
VS
・「南京国民政府」の樹立・・日本の傀儡政権
指導者:汪兆銘
(北伐で蒋介石と対立。別ルートを行った)


(4)ナチ党の勢力拡大
ポイント①ドイツ国民を魅了したナチ党の政策!
合法的な手段で政権の獲得を目指すヒトラー

ナチ党(国民(国家)社会主義ドイツ労働者党)>ファシズム政党
「国民社会主義」の意味・・資本主義で生じた問題を、ロシアのような社会主義ではなく、国家が率先して解決する。独裁権力を使う。ファシズム。

指導者:ヒトラー
・反ユダヤ主義、反共産主義
ユダヤ人は商売、金貸しが多い→貧富の差が拡大している。
・植民地の再分割を目指す
↓↓
・中間層(中産階級)や軍部の支持
↓↓
突撃隊(SA)
反対派を暴力で打倒。ナチスの私軍。

親衛隊(SS)
幹部の身辺警護組織
→後にゲシュタポ(秘密警察=スパイ)を創設
反対派を抑圧していく。

ミュンヘン一揆(1923)→✕失敗
ナチ党のクーデタ
ヴァイマル政府の打倒を掲げ、政権獲得を目指す
(ムッソリーニのローマ進軍のように。)
→鎮圧される。
(ドイツ国民はルールを重んじるため)
→合法的な手段に変えていく

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ヒトラーの政権獲得。第三帝国の成立
世界恐慌を機に一気に党勢を拡大するナチ党・・

<世界恐慌によるドイツ経済の破綻>
ヴァイマル共和国
・2代ヒンデンブルク大統領(任1925~1934)
世界恐慌の波及
→効果的な対策を打てず、失業者は増加を続ける

1932年選挙
第1党:ナチス 第2党:社会民主党 第3党:共産党
↓↓
ヒトラー内閣の発足(1933)
ヒトラーは即座に国会解散宣言
→国会議事堂放火事件
ドイツ共産党弾圧(解散)→ナチ党に吸収

<第三帝国(1933~1945)>
全権委任法・・政府に立法権を委ねる
(ヴァイマル憲法が停止。死文化)
(第一帝国:神聖ローマ帝国。第二帝国:ドイツ帝国)

・ヒンデンブルク大統領の死
大統領・首相・党首の全権を掌握
総統(フューラー)


(5)ナチス=ドイツの動向
ポイント①ナショナリズムを利用した政治
ヒトラー政権が支持された最大の要因とは・・

<経済政策>
アウトバーン建設・・高速自動車道路網(独ー墺間)
失業者を大量に吸収

・四カ年計画・・軍事最優先の生産活動

ユダヤ人排斥> ナショナリズムの利用
・ホロコースト・・ユダヤ人大虐殺
各地にゲットー(強制隔離居住区)を設置
強制収容所・・アウシュヴィッツ(ポーランド南部)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ヴェルサイユ体制の打破!軍備を拡大するドイツ
国際連盟の脱退後の急激な軍備拡張

<ナチス=ドイツの外交>
国際連盟の脱退(1933)・・日本についで2番目
ザール編入・・石炭。住民投票で独領に。独仏国境
再軍備宣言(1935)・・徴兵制復活(義務兵役)。ヴェルサイユ条約の破棄

<ヨーロッパ諸国の対応>
仏:仏ソ相互援助条約締結
(その後、仏・チェコスロバキア・ソ連が同盟を組む)
は独の再軍備を警戒

英:英独海軍協定の締結(1935)
→英は独の再軍備を容認した。ソ連の社会主義勢力を抑えたい。
→ナチス暴走。
↓↓
ラインラント進駐(1936)・・仏ソが組んだことに反発。西欧の安全をうたったロカルノ条約破棄


(6)ファシズム諸国の協力体制
ポイント①ファシズム勢力を抑えこめ!
各国の共産党はファシズムを第一の敵とする

ファシズムは反共産・反社会主義
<コミンテルン第7回大会(1935)>
・「味方でないものは敵」→「敵でない者は味方」
各国の共産党はあらゆる反ファシズム勢力と協力
人民戦線の結成

スペイン人民戦線の結成(1936)>
・スペイン=ブルボン朝の崩壊
→ファシズム政党が党勢を拡大

アサーニャ人民戦線内閣
社会主義的改革を実施

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ファシズム国家の同盟成立
ドイツとイタリアが急接近。一体何が?

独はヨーロッパで孤立している。イタリアが追う。

<ファシズム国家の国際的孤立>
(ムッソリーニ)、エチオピア侵入(1935)
恐慌による国内の経済危機から国民の目をそらすために決行。
(※第1次エチオピア戦争(アドゥワの戦い1896)はエチオピアが勝利し、伊を追い出したが、今回の第2次はイタリアが勝利し、エチオピアを併合した。)

→国際連盟、イタリアに経済制裁を実施
→イタリアも孤立していく・・

↓↓ この内戦をきっかけに独・伊が仲良くなる

スペイン内戦(1936~1939)>
・アサーニャ人民戦線内閣(社会主義)
→軍人フランコの反乱(ファシズム支持)
↓↓
ファシズム(フランコ側)ドイツ・イタリア
VS
社会主義(アサーニャ側)ソ連、国際義勇軍(米:ヘミングウェー)↓↓
不干渉政策
英・仏など20カ国は内政不干渉を宣言。
→「独伊ファシズムはソ連の社会主義を倒してくれるのでは・・」という浅はかな期待を持つ・・

↓↓ 怒られないな・・

ベルリン=ローマ枢軸の成立(独と伊の同盟)
三国防共協定の成立(日独伊
防共」=「ぐ。産、社会主義を」

英仏「日独伊でソ連を囲んでる・・!つぶしてくれるかも」
独伊「防共と言えば何をしてもいいんだな」→悪い自信を付けてしまう。

→イタリア国際連盟脱退(1937)3番目の脱退

ドイツ空軍のゲルニカ(バスク地方の町)無差別爆撃
ピカソ『ゲルニカ』を描いて抗議

・首都マドリード陥落
フランコ独裁政権(ファシズム政権)の成立
✕アサーニャ人民戦線内閣(社会主義)


(7)第二次世界大戦へ
ポイント①暴走するヒトラーを放置する英・仏
領土拡大に動くナチス=ドイツを黙認する理由は?

スペイン内戦で自信をつけたヒトラー、さらに暴走・・
<ドイツ人地域への進出>
オーストリア併合(1938.3)同じゲルマン民族だから
ヴェルサイユ条約やサン=ジェルマン条約で禁止されているのに、誰にも文句を言われない

・ドイツがズデーテン地方(チェコスロバキア・ドイツ系住民多い)の割譲を要求→チェコスロバキアは拒否
↓↓
ミュンヘン会談>(1938.9)
・英:ネヴィル=チェンバレン
・仏:ダラディエ
・独:ヒトラー
・伊:ムッソリーニ
(※ソ連、チェコスロバキアの代表は未招集)

宥和(ゆうわ)政策・・独に譲歩。英仏はヒトラーの要求を受諾。(=防共を期待しているため)
↓↓
・ドイツ、ズデーテン地方を併合
英「これが最後だよ」独「分かった」

↓↓ と言いつつ暴走は止まらない

・チェコスロバキア解体

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界に激震!ドイツがある国と同盟を締結!
第二次世界大戦へと突入するヨーロッパ

ダンツィヒ・ポーランド回廊の割譲要求>
・ポーランドは英仏の支援を期待して拒否

↓↓独「ポーランドを攻めたらソ連が来るな。戦うより利用してやれ」

独ソ不可侵条約の締結(1939.8)
(2国の思惑)
ドイツ・・両面戦争(仏とソ連に挟みうち)の回避
ソ連・・英仏への不信感
↓↓
世界が衝撃!
(日本、35代平沼騏一郎「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた。」総辞職(日独伊で防共するんじゃないの?共の親玉のソ連とくっつくの?))
↓↓
ドイツ、ポーランド侵攻(1939.9.1)
→第二次世界大戦の開始

 


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【38】戦間期のアジア諸地域

【38】戦間期のアジア諸地域
(1) 新文化運動と中国の民衆運動
(2) 北伐と中国共産党の動向
(3) 朝鮮と東南アジアの民族運動
(4) インドの民族運動
(5) トルコ革命
(6) イスラーム諸国の動向


当時植民地にならなかったのは日本とタイだけ。(中央集権化が進んでいたのも一因)。ほとんどのアジアは欧米列強に支配された。第一次世界大戦のあと、戦争でヨーロッパが弱っている、今が独立のチャンスと思った。

(1)新文化運動と中国の民衆運動
ポイント①中国国民を巻き込む一大運動へ!
北京大学の教授陣が中心となった啓蒙運動

新文化運動(文学革命)
北京大学
教授陣が民衆の啓蒙化に尽力。

陳独秀(→後に共産党を創始)
『新青年』
雑誌刊行
「民主主義と科学」をスローガンに。
中国の旧体制、儒学を批判。

胡適(こせき・こてき)
白話(はくわ)文学運動 文語⇒口語

李大釗(りたいしょう)
マルクス主義研究会の創設。中国に社会主義、共産主義を伝える。

魯迅(ろじん)日本の東北大学医学部に留学
『狂人日記』『阿Q正伝』民衆への啓蒙

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②国民党と共産党の協力体制の完成!
孫文が目指した中国の国民革命

<五・四運動(1919)>
パリ講和会議で二十一カ条要求取り下げ認められず
↓↓
北京大学の学生を中心に大規模なデモが発生
→全国的な反帝国主義へ発展。
反欧米、反日、反軍閥政府。
↓↓
軍閥政府はヴェルサイユ条約調印を拒否

中国国民党を結成(資本主義的)
孫文。大衆政党。金持ちの味方。

中国共産党を結成。(社会主義的)
初代委員長:陳独秀。上海で。貧しい人の味方。
(※毛沢東は途中からリーダーになった。)
↓↓
2つの党は相反する主義だが、目的は同じ
「外国を追い出して、中国国民のための国を作る」
↓↓
第1次国共合作(1924)
国民党と共産党が力を合わせる。
孫文「連ソ・容共・扶助工農
(共産党を受け入れよう。中国の工業・農業を育てよう。)
国民革命の遂行(軍閥打倒
まず外国の言いなりになっている軍閥を倒す。そのあと外国勢力を追い出そう。


(2)北伐と中国共産党の動向
ポイント①北京にいる軍閥を倒せ!
国民党と共産党がともに立ち上がるが・・

孫文の死(1925)

五・三〇(ごさんじゅう)運動(1925)>
上海で労働者がスト。英人警察が発砲してしまった。
→再び全国的な反帝国主義運動へ拡大。(外国出てけ。軍閥倒せ。)

北伐(1926)
=「京にいる軍閥を倒せ!つ!」という動きのこと
国民党と共産党は広州(広東かんとん)国民政府を樹立。

2つのルートに分かれて北へ向かう
・国民党右派(反共的)指導者:蒋介石
・国民党左派(容共派)指導者:汪兆銘
↓↓
上海クーデタ(1927)
蒋介石共産党員を虐殺する。
帝国主義勢力や地主・浙江(せっこう)財閥と結託。
(蒋介石自体も浙江財閥の出身)
↓↓
国共分裂
国民党と共産党の関係が悪化
↓↓
南京国民政府(国民党のみで結成)
別ルートに行った国民党左派を南京に呼び寄せる。国民党だけで北伐する。(共産党は逃げる)

当時の軍閥は奉天派と呼ばれ、日本の操り人形。
リーダーは張作霖。蒋介石の北伐に日本は焦る。
↓↓
山東出兵(1927~1928)
日本が山東省に出兵。北伐軍(蒋介石)を邪魔したい。
→しかし蒋介石はひょいとかわし北京に入り、軍閥を倒す。
↓↓
張作霖(軍閥のリーダー)
北伐軍(蒋介石)に敗れて逃亡
↓↓
張作霖爆殺事件(奉天事件)(1928)
日本の関東軍がやった。口封じ。
↓↓
息子の張学良が北伐軍(蒋介石)に降伏
北伐完成
↓↓
南京国民政府が中国の実験を掌握

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②中国共産党の「草の根」運動!
都市から農村へ、共産党は活動場所を変えた。

上海クーデタ後の共産党
紅軍の創設(共産党の軍隊)

中華ソヴィエト共和国臨時政府の成立
主席:毛沢東
都:瑞金(ずいきん)
都市から農村へ。


(3)朝鮮と東南アジアの民族運動
ポイント①朝鮮でおきた「民族自決」を求める動き!
日本の朝鮮総督府、統治方法を転換

・韓国併合(1910)
朝鮮は日本領土に。

朝鮮総督府 支配機関(天皇直属)
武断政治の実施
軍隊・力による韓国支配。
↓↓
三・一独立運動(1919)
第一次世界大戦後のパリ講和会議の民族自決の原則に触発。
朝鮮各地で民衆デモが拡大(※五・四運動より先。同年)
↓↓
朝鮮総督府は焦る・・。
文化政治へ移行
早く日本人にする。日本語や日本文化を強制。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②東南アジアの民族運動!
アジアで最初の「ある組織」が結成

ビルマ(ミャンマー)の独立運動
英領インド帝国(インドの東隣)

タキン党
ビルマの即時完全独立を要求。英の支配を終わらせるのが目的。
指導者:アウン=サン
(現在でもミャンマーでは民族的英雄として崇められている。娘はアウン・サン・スーチー。WW2後、軍部独裁の中、自由と民主化を呼びかけた。ノーベル平和賞)
==============
インドネシア独立運動
オランダ領東インド

インドネシア共産党の結成
(→アジア初の共産党。初は中国ではない。ロシア革命の影響)

インドネシア国民党
指導者:スカルノ
(第3夫人:デヴィ夫人)
==============
インドシナ民族運動(ベトナム、カンボジア、ラオス)
仏領インドシナ

・ベトナム青年革命同志会
↓↓ 発展
インドシナ共産党
指導者:ホー=チ=ミン
労働者・農民に支持を拡大

==============
フィリピン民族運動
フィリピン独立の約束。
フランクリン・ローズヴェルト
フィリピン独立準備政府(武力ではなく平和的に独立)


(4)インドの民族運動
ポイント①インドを裏切ったイギリスに反発!
「非暴力」「不服従」の抵抗運動

<第一次世界大戦中のインドの動き>
国民会議派
ヒンドゥー教徒。人口の80%。反英。
VS
全インド=ムスリム連盟
イスラーム教徒。人口の10%。(英が作った)
大戦中は一時的に反英化。
大戦でオスマン帝国と敵対。
ムハンマドの代理人カリフがいたため。
↓↓
2つは対立していたが、協力関係に。手を結んで反英運動に。
↓↓
焦った英は・・戦後自治の約束。
インドは英に協力した。
↓↓
しかし・・戦争後
ローラット法の制定(1919)
令状なしの逮捕裁判なしの投獄など。)
自治は反故にされる。インド国民は怒り爆発!
↓↓
アムリットサール事件(1919)
英への抗議集会。武力で弾圧される

ガンディーの抵抗運動(1919~1922)
非暴力・不服従
英への抵抗運動。→全インド国民に呼びかけ拡大。
サティヤーグラハ(真理の把握)」を掲げる。
(=「私たちは正しいことを知っている」)

・ラホール大会
国民会議派:ネルー
完全独立(プールナ=スワラージ)
を要求
「自治」ではなく「独立」!英出ていけ

第2次非暴力・不服従運動(1930~1934)
「塩の行進」
英の塩の専売法に反対

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②焦った!イギリス
インドをなだめようとするも・・

イギリスの懐柔策

英印円卓会議の開催(1930~1932)
開催地:ロンドン
ガンディーは1回だけ参加するも、あとは国民会議派はボイコット。
↓↓

新インド統治法(改正インド統治法)(1935)
連邦制と各州の自治制を導入。
↓↓
ネルーは自治ではなく完全独立(プールナ=スワラージ)を要求!
インドの民族運動に拍車を掛ける。


(5) トルコ革命
ポイント①無力なオスマン帝国を滅ぼせ!
国民は弱腰なオスマン帝国に愛想を尽かす・・

オスマン帝国の降伏
第一次世界大戦に参戦。同盟国側敗北
↓↓
連合軍に支援されたギリシア軍がイズミル(トルコ内)に侵入・占領。(皇帝は容認)

セーヴル条約(不平等条約)
領土の大部分を喪失、主権の制限、軍備制限、治外法権。

↓↓ 弱腰の政府に反発!

ムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)
アンカラで臨時政府を樹立。
侵入ギリシア軍との戦い。→成功

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②共和政トルコの新たな改革!
西欧風近代国家を目指せ

共和制トルコ
ムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)

スルタン制廃止(1922)→オスマン帝国の滅亡
スルタン=オスマン皇帝。トルコの国民が立ち上がって弱腰なオスマン帝国を倒した。
↓↓
ローザンヌ条約の締結(1923)
セーブル条約に変わる新しい連合国との講和条約。イズミル回復。軍備制限や治外法権の撤廃。
↓↓
トルコ共和国の成立(1923)
(都:イスタンブルから→アンカラに変わる)

・ムスタファ・ケマルが初代大統領になり、西洋的な近代化を目指す。

カリフ制廃止(カリフ=イスラーム世界のリーダー)
政教分離・・イスラム国家の中では政教分離は珍しい

女性解放

文字改革 ローマ字採用
コーランの文字、アラビア文字⇒ローマ字へ。識字率アップ

・尊称:「アタテュルク(トルコの父)」と議会から称号を付与。

 


(6)イスラーム諸国の動向
ポイント①イギリス支配からの脱却を目指せ
エジプト・イラン・アフガニスタンの動向・・

エジプト
ワフド党(「代表」の意)の結成
エジプトの英からの独立をめざす。

エジプト王国の「条件付き」独立(1922)
英はエジプトの防衛権を保有。英の軍隊がエジプト内にいる。(軍事占領)
↓↓ 軍、出ていって・・

エジプト=イギリス同盟条約(1936)(完全独立
エジプト国内の軍事占領は終了。スエズ運河地帯駐屯権を承認。

============
イラン
カージャール朝
第一次世界大戦前、(北)と(南)に支配されていた
WW1中は両国に占領。→ロシアは革命で抜ける。英の支配
↓↓
英の言いなりの王朝をつぶして、英に出ていってもらおう
↓↓
パフレヴィー朝
建国者:レザー=ハーン(位1925~1941)
英との不平等条約を撤廃!
国号をペルシアから⇒イラン

============
アフガニスタン>インドの北
WWⅠ前 英の保護国
↓↓
第3次アフガン戦争
英✕ VS 〇アフガニスタン
↓↓
アフガニスタン独立(1919)
英はあっさり認める。
インドで独立運動が起こっていてそちらで手一杯。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②現在まで続く、中東問題の諸悪の根源!
ここに原因あり!

<第一次世界大戦中のイギリス外交>
英の3つの秘密条約
[1]フセイン=マクマホン協定
アラブ人国家建設を約束

[2]サイクス・ピコ協定
トルコ領を英仏露で分割

[3]バルフォア宣言
パレスチナ(トルコ領)にユダヤ人国家の建設を支援
↓↓
委任統治(中東地域)
戦後、英仏の委任統治になった。
の管理(北)
シリア、レバノン
の管理(南)
パレスチナ、トランスヨルダン、イラク

英仏が民族、宗派関係なく勝手に国境を引いた。WW2後その国境線のまま独立してしまった。これが今でも中東地域の情勢を不安定にしている要因。
↓↓
・イラク王国独立
・レバノン独立
(WWⅡ後)
・ヨルダン王国独立
・シリア独立

パレスチナ
アラブ人 VS ユダヤ人
この対立を英は無視し続けた。
WWⅡ後、英は手放し、国連に渡す。

 


 

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【33】帝国主義と東アジア(中国・朝鮮)

【33】帝国主義と東アジア
(1)中国分割と近代化運動の行方
(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
(3)朝鮮の行く末と清末の改革
(4)辛亥革命
・義和団事件1900→8カ国共同出兵→北京議定書1901
・日露戦争1904→ポーツマス条約1905


(1)中国分割と近代化運動の行方
ポイント①日本に負けた!?植民地化がさらに加速!
日清戦争後の中国の状況は?

中国分割
借款(しゃっかん)を行う=「借金」のこと
日清戦争への賠償金を払うために欧から借りる。担保として鉄道敷設(ふせつ)権鉱山採掘権を奪われる。

租借(そしゃく)・・他国の領土の一部を条約によって借りること(事実上の領土割譲)(ジャイアン・・。一生借りてるだけだぞ。)

米は米西戦争(1898)で中国に構ってるひまがなかった。出遅れて焦った
↓↓
門戸開放宣言
門戸開放・機会均等・領土保全(米も入れてくれ)
米・国務長官ジョン・ヘイ

租借地>借りると言いつつ、ほぼ領土割譲
 独 膠州湾(こうしゅうわん)
 露 遼東(りょうとう)半島南部。旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)
 英 威海衛(いかいえい)、九竜半島(クーロン/きゅうりゅう)
 仏 広州湾(こうしゅうわん)
 日 遼東半島南部(旅順・大連)(※日露戦争で日本に移る)
<勢力圏>影響力を持っていた地域 鉄道敷設権
 独 山東省(さんとうしょう)
 露 満州・モンゴル 東清鉄道
 英 長江流域
 仏 広東・広西・雲南省
 日 福建省 南満州鉄道

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②日本にならって近代化を!
中国で芽生えた本格的な近代化運動

変法運動
日清戦争に負けた中国はショック!
↓↓
近代化運動へ・・(皇帝中心)

・11代 光緒帝(こうしょ/ちょてい)(位1875~1908)
康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう) などの、官僚らが日本の明治維新を模範にする。公羊学(くようがく)派。

憲法を立てて、皇帝を立てる=立憲君主制をめざした。(皇帝が好き勝手に政治をするのではなく、憲法やルールにのっとって政治をする。)

戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)
立憲君主制をめざし憲法制定に動いたが・・
↑↑(弾圧)
戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)(1898)
西太后(せいたいこう)など保守派が改革を弾圧。改革は失敗に終わる。光緒帝は幽閉状態へ・・。


(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
ポイント①外国勢力は出ていけ!中国で起きた排外運動
義和団事件とその結果は・・

「外国勢力、全員出ていけ!」
・仇教運動(きゅうきょううんどう)
反キリスト教(反ヨーロッパ)運動

・義和団事件(白蓮教系の宗教結社)(北清事変)(1900~1901)
扶清滅洋(ふしんめつよう)」・・を助けて、を追い出そう。
排外主義

ドイツ人宣教師が殺害✕→ドイツが山東へ進出。武力鎮圧。
↓↓
清は「こいつら使える・・」と、この義和団を使って欧を追い出そうとした。
↓↓
義和団が北京占領。独公使、日公使を襲う。
清「欧米日かかってこいやー!」西欧列強に宣戦布告。(西太后)
↓↓
8カ国共同出兵

「ほな、やったろかい」英仏独米露日伊墺。そうそうたるメンバー集結。
↓↓
清・義和団敗れる。北京占領される。
↓↓
北京議定書(1901)
・巨額の賠償金。
北京駐兵権(軍事占領)⇒中国半植民地化になる・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②日本とロシアの狙った場所が同じ!?
日露戦争へとつながる両国の帝国主義政策とは・・

<ロシアの中国東北進出>
義和団事件のあと、日本とロシアの仲が急速に悪化・・。

・ロシアの満州占領
義和団事件が終わったのに、ロシア満州から軍をひかない。中国東北地方朝鮮半島まで狙ってる・・?(『はいからさんが通る』)

※朝鮮は日清戦争1894で独立し、国名を大韓帝国(だいかんていこく)に。清の影響から抜けた独立国とアピール。日本が狙っていた。

ロシア満州・大韓帝国の取り合い。
↓↓
日露戦争(1904~1905)
日本の攻撃で始まる。

日本海海戦で日が勝つ。
ロシアの海軍バルチック艦隊を破る。

↓↓ そんな中、、ロシア国内で

第1次ロシア革命
ロシアは革命で戦争をやめたい。日本もお金が厳しい。
↓↓
米・セオドア・ローズヴェルト大統領が仲介。
↓↓
ポーツマス条約(1905)(米)
→中国東北(満州)・大韓帝国(朝鮮)を日本が得る

大韓帝国指導・監督権を日本が得る。
・ロシアは中国東北から撤退。遼東半島南部の租借権をロシアから日本に渡す。(⇒関東州と呼ぶようになる。)(※遼東半島は日清戦争で日本が取得したが三国干渉で返したところ。ここを再度取り返した。)
・遼東半島に接続する南満州鉄道敷設権(ふせつけん)、周りの利権を日本が得る。
南樺太をロシア→日本に渡す。


(3)朝鮮の行く末と清末の改革
ポイント①日本の朝鮮支配完成
日露戦争後の日本の挑戦支配の動向

・日韓協約(1904~07)
(第1次は日露戦争のさなか。)

第2次日韓協約(1905)
韓国の保護国化外交権を朝鮮から奪う。
初代統監:伊藤博文(いとうひろぶみ)
↓↓
反日義兵闘争の激化

ハーグ密使事件(1907)
高宗が第2回万国平和会議(オランダ)に密使を派遣。日本が不当な支配をしていると訴えた⇒失敗
↓↓
第3次日韓協約(1907)
韓国は内政権を喪失。
↓↓
伊藤博文暗殺(1909)
ハルビン駅で安重根(あんじゅうこん)に暗殺される。(韓国の切手にもなっている。)

↓↓ 日本は強硬手段に出る

韓国併合(1910)
韓国という国は消え、日本領土に組み込まれた。
朝鮮総督府が設置。(天皇直属機関)
軍事・行政を統括していく。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②清朝末期の最期の「あがき」とは?
光緒新政の「本音」と「建て前」

義和団事件のあと・・
<清末の改革>
光緒新政(こうしょしんせい)・・国内改革
(戊戌の政変で光緒帝は捕らえられている)
新軍の整備(西洋式軍隊)
科挙の廃止(隋から続く)→北京大学創設(官僚育成)
憲法大綱(たいこう)の発布。
日本の明治憲法を模範(強力な君主権)
国会開設公約

「日本の大日本帝国憲法は、天皇大権(たいけん)という強い権力がある。」
↓↓
「建前は国内改革と言ってるが、本音は皇帝や貴族のためでは・・?日本をモデルにすると皇帝の力が強いままになるのではないか。。」
↓↓
「それならもう満州人を追い出して、皇帝も追い出して、自分たち民衆のための漢民族の国を作りたい。」
↓↓
革命派の台頭
留学生が中心。
華僑が資金を出す。

革命派のリーダー
孫文
興中会
の結成。
↓↓
他の革命団体も一緒に団結しよう。
中国同盟会の結成(1905)
東京で結成。日露戦争に刺激を受けた。機関誌『民報

(中国同盟会の理念)
三民主義
民族の独立(漢民族の独立)
民権の伸長(一般民衆の権利を認めよう)
民生の安定(人々の生活の安定)


(4)辛亥革命
ポイント①皇帝政治を終わらせ、民に力を!
中国2000年の皇帝政治の終焉

辛亥革命(1911~12)
(きっかけ)清が幹線鉄道の国有化を宣言。
これを担保に外国からお金を借りようとした。そんなことをしたらさらに中国の植民地化が進む・・。
↓↓
四川暴動
市民が四川省で暴動。清は軍隊を派遣したが、その軍が清を裏切った。
↓↓
武昌蜂起(1911)
湖北省の湖北新軍の革命派が武昌で蜂起。色んな省でも独立を宣言。

↓↓ これら各省の代表者が集まり合体した。

・中華民国建国(1912)
臨時大総統:孫文
都:南京
(黃河、長江沿岸あたり)
↓↓
はまだ北に残ってる。清は中華民国をつぶそうとしている。
↓↓
清の大臣、袁世凱(えんせいがい)が孫文と取引を行い、清を裏切る。「その代わり私を中華民国のリーダーにしてください」

→「中華民国の軍は整っていない。戦っても清の軍に負けるだろう・・。」孫文は受け入れる。

→清の最後の皇帝・12代宣統帝(溥儀)が退位(1912)(ラストエンペラー)

清が滅亡(277年の歴史)。2000年の皇帝政治が終わる・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②新生!中華民国の抱えた苦悩
皇帝政治が終わっても民が虐げられる時代へ・・

中華民国
臨時大総統:孫文→袁世凱が就任(1912)
首都:南京⇒北京へ移す。(袁世凱の本拠地)
民衆のためではなく独裁色を強める。
↓↓
袁世凱の暴走を防ぐべく国民党の結成。
中国同盟会が中心。
↓↓
・第二革命(1913)
〇袁世凱の独裁  VS  ✕国民党(→解散させられた)
正式な大総統に就任。袁世凱は皇帝になろうとした。
↓↓
・第三革命(1915)
袁世凱帝政  VS 〇国内の軍部(袁世凱の元部下)、革命派、日本、欧。
↓↓
袁世凱は帝政取り消し。数ヶ月後、病死・・。その後も民主政治にはならず軍部が力を握る。
↓↓
軍閥(軍事政権)の割拠。
軍部が力を持ち抗争する。北京政府の実権をめぐって争う。


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【29】中国と朝鮮の植民地化

【29】中国と朝鮮の植民地化
19C後から欧や日に侵略されていく
(1)アジア三角貿易とアヘン戦争
(2)アロー戦争と太平天国の乱
(3)ロシアの極東南下と洋務運動
(4)日本の朝鮮進出


<清>
・アヘン戦争(1840)⇒南京条約(1842)
・アロー戦争(1856)⇒天津・北京条約(1860)
↓↓重税
・太平天国の乱(1851~64)洪秀全「滅満興漢」
・洋務運動(1860~90)「中体西用」
<朝鮮>
・江華島事件(1875)⇒日朝修好条規(1876)
・壬午軍乱(1882)⇒閔氏への反乱。閔氏が日から清に傾く。
・甲申政変(1884)開化派(親日)クーデター⇒清に制圧される。
・甲午農民戦争(東学党の乱)(1894)⇒日清戦争(1894)⇒下関条約(1895)⇒三国干渉(1895)


29-ガイダンス
18C後~19C
<中国>
なぜ中国は侵略されていくのか?
・英が産業革命⇒市場を求めて中国(広い領土・多い人口)に進出したい。当時、中国はであふれて世界一お金持ち。

・英は中国を武力で開国⇒アヘン戦争・アロー戦争⇒賠償金から農民への重税へ。⇒農民反乱(太平天国)

中国が弱ってるなら今がチャンス・・!
ロシアの南下⇒洋務運動(国内改革)。

<朝鮮>
日本が朝鮮進出。朝鮮が弟。兄貴分の中国と日本が対立。⇒日清戦争へ・・


(1)アジア三角貿易とアヘン戦争
ポイント①当時のイギリスと中国の貿易をみる
中国社会を腐敗させた恐るべき貿易品・・

清の国内混乱と対外貿易

18C。清の4康熙帝、5雍正帝、6乾隆帝の全盛期は過ぎていた・・
<中国の国内状況>
白蓮教徒の乱(暴動)(1796~1804)
・貿易港は広州1港に限定。
公行(こうこう)=貿易独占の特許商人組合。

<英と中国の貿易関係>
(片貿易)・・物と銀の交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒清 
「英の銀がなくなる・・そうだ!」
 ↓↓
アジア三角貿易>・・物々交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒印 綿製品
・印⇒清 アヘン(お茶代を銀の代わりにアヘンで支払う)
→中毒・需要増大
→アヘン密輸。支払いはで。
→清から銀が流出。英は銀の回収に成功

英は東インド会社の中国貿易独占権廃止⇒民間貿易会社も中国へ行けるようになる。⇒アヘンを売りにいく。
↓↓
英から使節(英が自由貿易を求める⇒交渉決裂✕)
マカートニー・・乾隆帝に謁見。乾隆帝は拒否。
アマースト・・頭を下げない(自由で対等な関係を求める)。謁見できず⇒「力づくでやるしかない・・」

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②中国の植民地化が開始!アヘン戦争
圧倒的なイギリスの強さの前に中国は屈服・・
 
林則徐(りんそくじょ)
アヘンの没収と焼却など。
・中国人密貿易者の処罰
・英商館区の封鎖
 ↓↓
英は「待ってました・・!」これを口実に戦争をしかける。
アヘン戦争(1840~1842)
清が圧倒的に敗北
 ↓↓
南京条約
(1842)
・1港(広州)⇒5港に。+上海、厦門(あもい)、福州、寧波(にんぽう)。中国の南側
公行廃止
・英に香港を割譲
賠償金の支払い⇒民衆に重税
 ↓↓
<不平等条約>
治外法権(領事裁判権)の承認
関税自主権の喪失=安い英製品をそのままの値段で売らなければいけない。
租界の設置。外国人居留地。初めて上海に設置。(英の領土のよう)

<他国とも不平等条約>
対英 虎門寨追加条約 (こもんさい)
対米 望厦条約 (ぼうか)
対仏 黄埔条約 (こうほ)


(2)アロー戦争と太平天国の乱
ポイント①また戦争!?イギリスの不正義な戦争
アロー戦争の結果、中国はどうなる?

「戦争に勝ったけど貿易でもうからないな。港の数増やす?」

アロー号事件(1856)
清朝の警察に中国人船員が海賊容疑で逮捕。アロー号は英の国旗を掲げていた。英に許可を得ず逮捕したのは英を侮辱している!という口実。英は仏・ナポレオン3世を誘って戦争をしかける。
↓↓
アロー戦争(1856~1860)
英・仏〇 VS ✕清
↓↓
天津条約
清が発砲してしまう。戦争再開。
↓↓
・英仏軍が清の都・北京を占領。
・皇帝の離宮・円明園(えんめいえん)を破壊。(伊カスティリオーネ(郎世寧/ろうせいねい)が設計。ヴェルサイユ宮殿を手本)
↓↓
北京条約(1860)
・外国公使の北京駐在(大使館)⇒総理各国事務衙門(がもん)(=外務省)の設置。
キリスト教布教の自由。
南京を含む10港の開港。+天津
・英に九龍半島の南部を割譲
・賠償金⇒重税へ

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②農民への重税で起きた大反乱
清を倒して新しい国づくりを・・

アヘン(1840)、アロー(1856)戦争による農民への重税
↓↓
太平天国の乱
(1851~1864)
洪秀全。「滅満興漢(めつまんこうかん)」

・「神の声を聞いた。天国を樹立する。清(満州人)は滅びるべきだ。」キリスト教の影響。
拝上帝会(キリスト教の結社)。太平天国の建国。
南京を占領⇒天京(てんけい)。

天朝田畝制度(てんちょうでんぽ)。土地を均等に配分。地主廃止
男女平等、纏足(てんそく)廃止・辮髪(べんぱつ)廃止
↓↓
地主が反対。義勇軍・郷勇(きょうゆう)を作る。
湘軍(しょうぐん)・曾国藩(そうこくはん)
淮軍(わいぐん)・李鴻章(りこうしょう)

常勝軍・・ウォード(米)、ゴードン(英)
↓↓
太平天国の乱は鎮圧される。

ロシア「ふーん、中国今弱ってるな~・・」


(3)ロシアの極東南下と洋務運動
ポイント①凍らない港を求め、ロシアが中国を狙う!
ロシアは黒海・地中海方面から→中国方面南下へシフト

【ロシアの極東南下】
4つの条約
[1]アイグン(愛琿)条約(1858)露と清
ロシア・東シベリア総督:ムラヴィヨフ
黒竜江(こくりゅうこう)(=アムール川)以北をロシアとする。
海岸線まであと少し。

[2]北京条約(アロー戦争の調停の代償)(1860)露と清
沿海州(えんかいしゅう)(=ウスリー江以東)の獲得。
(ついに海岸線にたどり着いた!)
・要塞ウラジヴォストーク港を建設

[3]樺太・千島交換条約(1875)露と
(対日)ロシアは樺太全島を獲得(沿海州の真向かい。北海道の北)。                                                                                                                                      千島列島は日本にあげる。

[4]イリ条約(1881)露と清
中央アジア方面に降りるときに。東トルキスタンの一部をロシアが獲得。保険をかけていた。

ーーーーーーー
ポイント②このまま黙っているわけにはいかない!中国の改革運動
ヨーロッパの技術。産業を導入するも・・

【中国・洋務運動(改革)】(1860~1890)

中国「ロシアめ・・。このまま黙ってるわけにはいかない・・」

同治の中興」(中興=安定)
同治帝(摂政は母の西太后)時代

中体西用(ちゅうたいせいよう)」基本精神
国の制(=皇帝独裁・儒学)維持にあたり、西洋の軍事・産業技術(だけ)をいる。富国強兵。
↓↓
中心人物(洋務派)曾国藩・李鴻章(太平天国の乱を鎮圧した2人)
欧風な町並みに。。
→しかし・・清仏戦争、日清戦争のどちらも清が負ける。根本的な富国強兵にはなってなかった。ものまね改革で止まった。


(4)日本の朝鮮進出
ポイント①朝鮮の開国と閔氏の心変わり
日本の朝鮮半島進出と中国との対立

<朝鮮国内の状況>
19C後。国王・高宗(こうそう)←力がない。
后:閔妃(びんひ)。奥さんの一族:閔氏(びんし)。

閔氏(妻の一族)はおいしい思いができると期待していたが・・高宗は力がなく、父の大院君(たいいんくん)が力を持っていた。

⇒閔氏は面白くない。日本と組んで大院君を失脚させた。
⇒日本はそれをきっかけに朝鮮進出
(古代中国で跡目争いで騎馬民族に助けを請うて、あとで乗っ取られるのと似てる・・)

↓↓ 
閔氏の独裁

江華島事件(1875)
日本の船が朝鮮から砲撃を受けた。朝鮮に開国を迫る。
↓↓
日朝修好条規
(1876)
朝鮮・自主独立
3港の開港(釜山/ぷさん・元山/げんさん・仁川/じんせん)
・日本の領事裁判権を承認
↓↓
「閔氏独裁になってから日本が来るようになった・・。前の大院君の方がよかったよ。。閔氏ひっこめ!」
↓↓
壬午軍乱(じんごぐんらん)(1882)
大院君軍による閔氏への反乱。←日・清が鎮圧。

<対応の違い>
清:大院君をつかまえる。閔氏を支援
日:閔氏・朝鮮側へ多くの要求。賠償金払え。
↓↓
閔氏は日本と手を切ってに傾く・・。

朝鮮は真っ二つに
事大党(親清)閔氏ら(保守派)が中心
VS
開化派(親日)留学生金玉均(きんぎょくきん)。日本に学び、近代化を目指す。
↓↓
甲申政変
(こうしんせいへん)(1884)
開化派のクーデター。日本の武力を借りて武装蜂起。閔氏を追放
→清に鎮圧される。
↓↓
朝鮮をめぐって日本がバチバチに・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②朝鮮国内の動乱と日清戦争
朝鮮が国際的に独立国であることが承認される

<朝鮮末期の新思想>
・西学・・キリスト教
東学・・民間信仰+儒教・仏教・道教
創始者・崔済愚(さいせいぐ)
⇒東学の信者はアジア以外、外国を嫌うように。。
↓↓
甲午農民戦争
(こうごのうみんせんそう)(1894)=東学党の乱
「外国勢力は出ていけ!」
朝鮮南部。全琫準(ぜんほうじゅん)の暴動。
→清に助けを求める。が出兵。日本も出兵。
↓↓
日清戦争(1894~95)日〇 VS ✕清
↓↓
下関条約
(1895)
朝鮮独立(清はもう関係ない=清は宗主権放棄)が承認
・日本は清から台湾、澎湖(ほうこ)諸島、遼東半島を獲得。
・開港場での企業の設立
↓↓
三国干渉(1895)
ロシア「おい日本。朝鮮を通って何中国に来ようとしてんだ・・。その遼東半島はオレが狙ってるんだよ!」ロシア・独・仏がクレーム
→遼東半島は清に返還。ロシアへの恨み。臥薪嘗胆
↓↓
閔妃はロシアに接近。→日本は閔妃を殺害(1895)
朝鮮をめぐって日本とロシアとの関係悪化・・。

 


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【16】中国周辺地域史

【16】中国周辺地域史
(1)モンゴル高原・内陸アジア
(2)チベット・雲南地方
(3)朝鮮半島の分裂の時代
(4)朝鮮半島の統一の時代
※中国が文化の発信地。中国の王朝をセットで覚える。


(1)モンゴル高原・内陸アジア
ポイント①中国を苦しめた最恐の民族!
匈奴の中国侵入

【中国:秦・漢】
匈奴(B3~1C)
騎馬遊牧民。機動性に富んだ高い軍事力。

スキタイ(B6~B3C)(イラン系)
南ロシアの草原地帯。後世の騎馬遊牧民に影響。

冒頓単于
匈奴の全盛期。前漢の高祖を破る(B200)。
↓↓
・前漢の武帝に敗れて衰退(B129)
・匈奴の東西分裂(B1C)
東匈奴(内モンゴル)→漢に服属
西匈奴(天山山脈)→漢に敗れて滅亡
↓↓
・東匈奴の南北分裂(1C)
南匈奴→後漢に服属
北匈奴→後漢の攻撃を受ける(モンゴル高原)
→ヨーロッパ方面へ西走?(末裔がフン族に?)

ポイント②後漢から唐にかけて中国に侵入した民族
鮮卑・柔然・突厥・ウィグル

【中国:後漢~魏晋南北朝】
鮮卑(2~5C)
五胡の一つ。拓跋氏が北魏を建国。
「カガン(可汗)」の称号(君主)を使用→「ハン」につながる

柔然(5~6C)
北魏・太武帝と対抗

【中国:隋・唐】
トルコ人は中央アジア、西アジアへ移っていった。

突厥(6~8C)トルコ系
・柔然を破る
・ササン朝のホスロー1世とともに、エフタル(イラン系・トルコ系)を滅ぼす→西へ進み、中央アジアまで進出。
突厥文字・・北方遊牧民最古
・隋の時代に東西に分裂

ウィグル(8~9C)トルコ系
・安史の乱では唐を助けた
・中央アジアあたりまで西進
ウィグル文字
マニ教を国教化(後にイスラーム教
・軍事に長けていた←イスラーム王朝が軍人奴隷(マムルーク)として採用。西アジア各地に輸出。

 


(2)チベット・雲南地方
中国の西や南

ポイント①中国?インド?どっちの影響が強い?
チベットの歴史

<チベット>
中国とインドの間。インドの影響が強い。

吐蕃(とばん)(7~9C)
(都:ラサ)
ソンツェン=ガンポ(建国)
チベット文字
インドの文字を元に制作

<中国は【唐】>
・インド・中国の仏教文化を導入
チベット仏教
インドの大乗仏教にチベットの民間宗教が融合。(7C)

ーーーーーーー
・パスパ(高僧)(13C)
フビライに従事。チベット仏教が中国に伝わるきっかけとなる。
↓↓
ツォンカパの改革(14C)
腐敗したチベット仏教を立て直す。
ツォンカパの改革以降、チベット仏教を「黄帽派(こうぼうは)」と呼ぶようになる。

・ダライ=ラマ
チベット仏教のリーダー。政教一致の最高権力者
ポタラ宮殿(ラサ北西)に住む。

ポイント②雲南地方ってどんな地域?
モンゴル時代に中国領土になったわけ

<雲南地方>
中国から東南アジアへの出入口

2つの国
1.南詔(なんしょう)(?~902)
<中国は【唐】>
・中国・チベット・インド文化が融合

2.大理(だいり)(937~1254)
<中国は【宋】>
・フビライ・ハンにより滅亡(1254)
理由:東南アジアへの出入口を抑えたかったため。
・雲南はここで初めて中国領土に組み込まれた


(3)朝鮮半島の分裂の時代

ポイント①古代の朝鮮は「中国」?
古代朝鮮と中国の関係

古代朝鮮は中国の一部だった。

衛氏朝鮮(B190~B108)
・衛満(えいまん)(建国)
中国の戦国時代に中国から渡ってきた。
・前漢・武帝により滅亡(B108)

〇中国・前漢の支配下
朝鮮4郡(拠点)
楽浪郡を置く(B108~313)
(現在の北朝鮮・平壌・ピョンヤン
漢の政治・文化を伝導。
漢王朝が滅亡して目が行き届かなくなる。
高句麗により滅亡(313)

↓↓
馬韓→百済(ひゃくさい/くだら)
辰韓→新羅(しんら/しらぎ)
弁韓→任那(みまな)(加羅/から・加耶/かや)→新羅に征服される

ポイント②朝鮮にも三国時代があった!?
高句麗・新羅・百済の対立

朝鮮の三国時代(4C半~7C)

高句麗(B1C~668)
朝鮮半島北から中国東北部。
・漢の拠点、楽浪郡を征服(313)
・広開土王(位391~412)全盛期
広開土王碑(好太王碑)の建立(414)
朝鮮や日本との戦いが記録されている
・新羅・唐に滅ぼされる(668)

百済(4C半~660)
馬韓(左側)
高句麗、新羅に対抗するために日本と結ぶ。
唐・新羅により滅亡(660)
白村江の戦い(663)
復活しようと試みるが✕
日本・百済復興勢力✕ VS 〇新羅・唐

新羅(4C半~935)
・辰韓(右側)
・加羅を征服(4C)
・唐(3代・高宗)(当時アジア最強)と連合。
百済(660)、高句麗(668)を滅ぼす。

↓↓
※三国時代の勝者は「新羅」!

ーーーーーーーーーーーーーーーー
渤海(698~926)
(都:上京竜泉府)長安をモデル
高句麗の末裔や、靺鞨人(まっかつじん・ツングース系)が中国の東へ移動して建国
・大祚栄(だいそえい)(建国者)
・唐や日本とも交流


(4)朝鮮半島の統一の時代
ポイント①仏教文化がさかん!新羅の時代
朝鮮半島初の統一。新羅。

朝鮮半島を統一した3つの国

新羅(4C半~935)
(都:慶州(昔:金城))
高句麗と百済を倒して、朝鮮半島統一。

・唐は朝鮮半島の北西部に都護府を設置。→新羅にとっては屈辱・・!都護府は異民族を監視する機関。国として認められていない。。
↓↓
新羅は唐を排除。都護府を落とした。
↓↓
朝鮮半島統一(676)
唐に朝貢、冊封下へ入る。

唐の影響を受ける。

骨品制(こっぴんせい)(特権的な身分制度=貴族制度)
唐がモデル

仏国寺(ぶっこくじ)
慶州郊外にある仏教寺院。石の多宝塔。高度な技術。

ポイント②すごく似ている2つの王朝!
高麗と朝鮮の歴史。

高麗(935~1392)
(都:開城
王建(建国)

この頃、中国は【宋】
↓↓
・両班(ヤンバン)
骨品制貴族はいなくなり、特権官僚が登場。中国・宋と同じ。(両班が確立されるのは次の李氏朝鮮時代。)

高麗版大蔵経・・仏教文化がさかん。木版印刷
・金属活字・・世界最古。出版技術が早くから発達していた。
高麗青磁・・宋代の陶磁器(宋磁)の影響を受け、宋より高技術とも。

 

朝鮮李氏朝鮮・李朝(1392~1910)
(都:漢城(漢陽)現ソウル。元・帯方郡)

李成桂(建国)。李さんが作ったので李氏朝鮮。

この頃中国は【明・清】
↓↓
朱子学の官学化(上下関係を重んじる)
科挙の実施
両班(ヤンバン)特権身分階級
高級官職独占が登場。中国と同じ。

世宗(せいそう)(現在の1万ウォン札に描かれている)
訓民正音(くんみんせいおん)(1446)(表音文字)
漢字は庶民は読めない→ハングル文字

・豊臣秀吉の朝鮮侵攻
壬辰・丁酉(じんしん・ていゆう)の倭乱
(文禄1592・慶長1597の役)

李舜臣・・亀船(亀甲船)の使用で、日本の侵略を食い止めた。

「小中華」の芽生え
明滅亡後の、清(満州人国家)を正統な中国と認めない。
正統な中華を守っている継承者は朝鮮だ!という意識。
清に対して敵対心があった。


 

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【15】明・清の時代

【15】明・清の時代
(1)明の成立と中央集権化
(2)永楽帝の時代と明への外圧
(3)晩年の明と清の中国侵入
(4)清の全盛期をみる
(5)清の中国統治と社会経済
(6)明・清の文化(1)
(7)明・清の文化(2)


(1)明の成立と中央集権化
ポイント①久しぶりに漢民族の国家が復活!
紅巾の乱で元が滅亡。
→明の建国
洪武帝(朱元璋)太祖(位1368~1398)
(都:南京)

「自分に力を集める」皇帝独裁政治
↓↓
中書省(皇帝の命令を作る機関)の廃止、丞相(サポート)の廃止
六部(行政)を皇帝直属
朱子学の官学化(官僚必須の学問)
・一世一元(いっせいちげん)の制(天皇一人につき一つの元号。洪武帝の世はずっと「洪武」という年号。)
・明律・明令
海禁・倭寇への対策
→民間の対外交易・海外渡航を禁止
朝貢貿易を促進(周りが頭を下げに来る。)

ポイント②民衆を徹底して管理するシステム
地方行政と民への教育
魚鱗図冊・・土地台帳
賦役黄冊・・戸籍・租税台帳
里甲制・・村落。農家110戸で1里。正確な人口を把握。租税・治安維持。
衛所制・・軍戸と指定された家が軍事訓練を受ける。免税。
六諭(りくゆ)の発布(1397)・・朱子学の考えを広める。里老人=先生。「父母を大切に」など。

ポイント③皇帝がクーデタで即位!?
2代目・建文帝(洪武帝の長男の子)
側近の進言により、一族の勢力削減を試みる。
→燕王(洪武帝の子)の挙兵
靖難の役(1399~1402)


(2)永楽帝の時代と明への外圧
ポイント①明の全盛期!
3代目・永楽帝(位1402~1424)約20年
「外へ拡大」
北京へ遷都(元々の自身の防衛地・燕)。紫禁城(現・故宮博物院)
内閣大学士(政務補佐)の設置
宦官の重用(クーデターの後ろめたさからか官僚よりは宦官・側近を使っていた)

・ベトナム出兵
一時ベトナムを支配(1400~1428)
・モンゴル遠征
皇帝自ら5回の遠征

鄭和(イスラーム教徒の宦官)
南海諸国遠征
(1405~1433)7回の遠征
東南アジア・インド・西アジア・東アフリカ
朝貢貿易を促した。

ポイント②北から、南から…明を襲う外部勢力!
モンゴル系民族の侵入と倭寇の侵入

永楽帝の死後・・
北虜南倭(ほくりょなんわ)=外部からのプレッシャー

<北から>
オイラト・・西北モンゴリア
・土木の変(1449)
オイラトのエセン=ハンモンゴル勢力を統合)が明の正統帝を捕縛

タタール・・東モンゴリア
アルタン=ハン 北京を包囲
↓↓
・万里の長城を修築。侵入に備える

<南から>
倭寇・・海賊集団

前期倭寇(14C)
日本人。朝鮮半島から遼東半島にかけて略奪。

後期倭寇(16C)
中国人。海禁に反発し武装した民間商人の略奪行為。

↓↓
これらの対応により明は財政難に・・


(3)晩年の明と清の中国侵入
ポイント①皇帝の力は弱くなるのに明は長生き!→貿易で繁栄していたから。
明末の財政改革と混乱の時代

明の財政改革
貿易活動の活発化
日本銀メキシコ銀(スペイン)の流入。ヨーロッパは大航海時代。中国で買い物をするので明は儲かる。西アジア、インド、日本からも。

一条鞭法(いちじょうべんぽう)の普及(16C後半)
土地税と丁税・ていぜい(人頭税)を銀で納める

14代・万暦帝(神宗)(位1572~1620)
宰相・張居正の改革

明末の政治争い
東林派・・東林書院(顧憲成が再建した学校)出身の官僚
VS
非東林派・・宦官と結託
→政治が乱れる

明の滅亡
豊臣秀吉の朝鮮侵略
(1592文禄・1597慶長)
朝鮮は中国の弟分なので、明は助け(援軍)を出した。財政難に。

李自成の乱
農民反乱の指導者。
北京の攻略。
明の滅亡(1644)

ポイント②中国の北側に新しい国家が誕生!
満州人の国家建設

後金(こうきん)(1616~1636)
初代・ヌルハチ(ツングース系)
女真(金を作った民族)を率いて建国→後金は後に満州と改称
八旗の編成(軍隊)
満州文字の制作

2代・ホンタイジ
中国へ侵入開始
チャハル(内モンゴル)を征服(1635)
・国号を後金→と改称(1636)
=「今から中国を支配するぞ」のアピール
・朝鮮を属国化(1637)

ポイント③中国人ではない民族が中国を支配!
清の北京入城と反抗勢力

清(1616~1912)
3代・順治帝(1643~1661)
1644 明が滅亡。

(清に賛成)
・呉三桂(元・明の武将)が清に協力。
関所を開けた→北京へ誘導。
→清は李自成を倒し、北京を新しい都とする。

(清に反対)
・鄭成功
(1624~1662)
清には反対。明を復興させたい。
「反清復明」はんしんふくみん

オランダ人を追い出して台湾を占拠。
鄭氏台湾(1661~1683)を建国。
清に抵抗する拠点となる。

国姓爺(こくせんや)・・鄭成功の異名。明の一族から国王の名字をもらった英雄の意味。
『国姓爺合戦(こくせんやかっせん)』近松門左衛門の人形浄瑠璃。


(4)清の全盛期をみる
ポイント①中国史の皇帝の中でもNo.1!
平和で安定した時代。

4代・康煕帝(位1661~1722)61年間
「満州人が中国全土を支配する。漢人をつぶす」
藩王(清に協力した漢人武将・呉三桂など)の勢力削減
三藩の乱を鎮圧(1673~1681)

・鄭氏台湾を征服(1683)

地丁銀制(18C前)
地銀(土地税)の中に丁税(人頭税)を繰り込み一括して銀納。
人が増えても税金が変わらない→人口増加。

ネルチンスク条約(1689)
ロシア皇帝・ピョートル1世と清・康煕帝
ロシアと清の国境を取り決めた:アルグン川~スタノヴォイ山脈(中国では外興安嶺・がいこうあんれい)

・外モンゴルを併合(1696)

典礼問題
中国古来の先祖崇拝にキリスト宗派が反発。
イエズス会は承認。
イエズス会以外の布教を禁止(1711)

ポイント②目立たないけど実はすごい!?

5代・雍正帝(位1722~1735)13年
キリスト教布教の禁止(1724)
中国文化を守る

・チベット併合(1724)

キャフタ条約(1727)
ロシアと外モンゴルとの国境を決める

軍機処の設置(1729)
異民族統治の軍事機関→政務も兼ねる。

ポイント③いまの中国と同じ!? 清の最大領土!

6代・乾隆帝(位1735~1795)60年
(康煕帝を超えないように自分で降りた。)

制限貿易の開始(1757)
貿易港を広州1港に限定。
銀が外に出て行かないように。国内で回すようにした。

公行の設置
貿易を独占できる特権商人

ジュンガルの併合(1758)(康煕・雍正の頃からの宿敵)
→現・新疆の設置
(東トルキスタン一帯の地域。中央アジア。)


(5)清の中国統治と社会経済
ポイント①清の支配領域と軍事制度
広大な領土。統治の工夫。

清の領土
・直轄地:満州(中国東北)・台湾・中国本土(旧明)
藩部・・非漢人が優勢な地域
理藩院・・藩部に大幅な自治を与えて監督する
(唐の羈縻政策・都護府と同じ)

清の軍事制度
八旗(軍事・行政)・・ヌルハチが編成。満州、モンゴル、漢の三軍
緑営・・漢人のみの正規軍。治安維持など警察業務を担当。

ポイント②清のとった「アメ」と「ムチ」
少数の満州人が大多数の漢民族を統治するための工夫。

清の「アメ」
六部:皇帝直属の行政最高機関。(明から受け継ぐ)
科挙(明から)
満漢併用制
重要な官職を満州人、漢人を同数任命。

清の「ムチ」
辮髪の強制
文字の獄(もんじのごく):反清・反満的な書物の弾圧。言論・思想弾圧
禁書:思想統制のため特定の書籍を禁ずる。

ポイント③明と清は世界で一番お金持ち!?
明・清時代の経済活動をみる。農業・商業・貿易の3つ。

明・清時代の社会

〇農業の発達
米(中流)と商品作物(下流)がバランスよく作られる。
「湖広(ここう)熟すれば天下足る」(明代中頃)
長江中流域の米の生産が下流域の生産をしのぐ。

cf:宋「蘇湖(そこ)(江浙(こうせつ)熟すれば天下足る」=長江下流。下流は商品作物になる。

・商品作物の栽培。茶・綿・桑

〇商業の活性化
徽州(きしゅう)(新安)商人・・専売塩で大きな利益。
山西商人・・北辺の軍糧補給、専売塩、金融
国はこれらの商人から税金を取る。保護する。お互いうまい関係。
会館、公所・・同業、同郷の商人や職人が建設。親睦・互助。

〇貿易
輸出品(よく売れる)
生糸・・絹織物の重要材料
陶磁器・・染付(元後期)、赤絵(明)
・貿易港・・蘇州(江蘇省)、杭州(浙江省)、広州(広東省)→乾隆帝時代は広州1港に限定。


(6)明・清の文化(1)
ポイント①国が思想を統一するための手段
明・清の国家編纂事業。国家の目線から見た文化。

【明代】4つ
『四書大全』
永楽帝時。四書の注釈書。儒教解釈を固定化。科挙はこの解釈以外認めない。

『五経大全』
五経の注釈書。

・『性理大全』
宋学(朱子学)の全集。

『永楽大典』
類書(百科事典)。中国最大の編修事業。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

【清代】3つ
『康熙字典』
漢字の字書。4万2000をこえる漢字を部首・画数で配列。

『古今図書集成』
康煕帝~雍正帝の時代に編纂。
1万巻にわたる中国最大の類書(百科事典)

『四庫全書』
乾隆帝の時代に編纂。
中国最大の叢書(そうしょ)。今までの中国の書物の分類分け。
禁書の捜索という側面も

ポイント②儒学の発達
朱子学に対抗する新たな思想が登場

明・清では朱子学(知性重視)が官学化されていたが、対抗する学問が2つ出てきた。

陽明学(行動重視)明
・王守仁(王陽明)(15~16C)

・心即理・・本来持っている心そのものが人間の本質。感じたことが正しい。行動する。=「理」に合致するとした。

・知行合一
(ちこうごういつ)・・良知と行動との自然な一体化を説く


考証学
・朱子学、陽明学などの主観を批判。客観性を重視。
・儒教の古典を実証的にきわめていく
・広く確実な文献の収集。厳密な考証の実施。
「自分の行動は儒学のこれに当てはまるからいいんだ」など、儒学の本を使って考えていく。

明末:黄宗羲(こうそうぎ)、顧炎武(こえんぶ)
清半ば:銭大昕(せんたいきん)。考証学的な史学を確立

 


(7)明・清の文化(2)
市民の目線から見た文化。小説・実学・宣教師。

ポイント①時代を風刺したおもしろい作品!
庶民ウケする作品。

<小説>
【明代の小説】「四大奇書」
『三国志演義』・・三国時代の英雄
『水滸伝』・・北宋の豪傑の武勇
『西遊記』・・妖怪説話を混入
(↑↑これらは元で作られ、明で完成した。かっこいい中国人が描かれている。明は久々の漢民族の国家だから。)
『金瓶梅』・・明末の新興商人階層の色と欲

【清代の小説】
『紅楼夢』・・長編。上流社会の栄華没落。
『儒林外史』・・長編。官僚の腐敗・堕落。
・『聊斎志異(りょうさいしい)』・・短編。怪異妖変と人間の交錯。

ポイント②実際に役立つ学問を研究しよう!
ヨーロッパ科学の影響。実学が発達。

<実学>
李時珍『本草綱目』・・薬物。医学
徐光啓『農政全書・・農業技術・農業政策
宋応星『天工開物』・・イラスト付き、産業技術書。
(工・・工業。産業)

 

ポイント③たくさんやってきたイエズス会宣教師たち!
彼らが中国に持ち込んだ「お土産」とは・・。

【明代】
イエズス会の宣教師
カトリックの復活をめざして布教したい。。

・フランシスコ=ザビエル(1506~1552)(西)(中国にたどり着く一歩手前で没)

マテオ・リッチ(1552~1610)(伊)
坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)』世界地図
幾何原本』徐光啓と共訳。エウクレイデスの幾何学。

アダム・シャール (独)
『崇禎暦書(すうていれきしょ)(暦法)徐光啓と共同作業

ーーーーーーーーーーーーーーーー
【清代】
フェルビースト(ベルギー)
大砲

ブーヴェ(仏)
皇輿全覧図(こうよぜんらんず)』中国の国内地図

カスティリオーネ(伊)
円明園(北京の北西郊外)清の離宮・庭園

 


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【14】東アジア世界の展開(宋・元)

【14】東アジア世界の展開
(1)五代十国と北宋
(2)征服王朝と北宋の衰退
(3)宋の時代の社会経済と文化
(4)モンゴルの時代
(5)モンゴル人の支配
(6)元の文化
五代十国(軍人中心)→北宋(官僚中心)


(1)五代十国と北宋
ポイント①五代十国の時代(軍人中心)
有力節度使が建てた五つの王朝

唐王朝が滅亡後(朱全忠が倒す)・・

・五代十国(907~979)約70年
後梁・後唐・後晋・後漢・後周(五代)
(+小さな国、十国)

・後梁(都:開封・かいほう→黃河と大運河の合流地点)
朱全忠(建国)

・後唐(都:洛陽)

後晋(こうしん)(都:開封)936~946
契丹の支援で建国。
お礼に、燕雲十六州を契丹にプレゼントしてしまった。。
(万里の長城の内側。燕は北京、雲は大同を指す。)

・後漢(こうかん)(都:開封)

・後周(都:開封)

ポイント②中国の混乱の時期
節度使による武断政治

唐末から五代十国の混乱で、旧貴族は没落。
→荘園の崩壊
→新興地主層の登場

・藩鎮(節度使(=軍事のみ)を主とする軍閥)
軍事・民政・財政の三権を掌握。独立の地方勢力化。

・佃戸(でんこ)(小作人)

ポイント③これまでの中国が大きく変わる
五代十国の混乱と北宋の成立

・北宋(960~1127)(都:開封)
趙匡胤(建国)(太祖)

混乱から安定へ。

節度使による武断政治から
文治主義への移行。

経済中心地に都を置き、交易で繁栄。
節度使(軍人)の削減。

役人を増やす。
科挙に殿試。(皇帝の直接面談)


(2)征服王朝と北宋の衰退
ポイント①北宋を圧迫した周辺民族たち
遼、西夏、金について

北宋を苦しめた三つの異民族
1.  遼(契丹)キタイ(916~1125)モンゴル系初の国家
耶律阿保機(建国)

澶淵の盟(せんえんのめい)(1004)
梁と北宋の和平条約。宋は梁に銀や絹を献上。

・二重統治体制
遊牧民(自分たち)と農耕民(中国人)を分けて統治

・金の攻撃により滅亡
西へ逃げる→西遼(1132~)(カラキタイ)となる。イスラム中央アジア。
耶律大石(やりつたいせき)(建国)

2.  西夏(1038~1227)
李元昊(りげんこう)(建国)
タングート族の国家

3.  金(1115~1234)
・完顔阿骨打(わんやんあぐだ)(建国)
・女真族→元々遼(契丹)の支配下にあったが自立した。
遼を滅ぼして北宋と接する。
・全真教(道教をモデル)

猛安・謀克(もうあん・ぼうこく)
女真族や契丹人を統治するための軍事、行政組織。
300戸を1つの謀克、10の謀克を1つの猛安とする。

ポイント②北宋はどんどんお金がなくなる?

異民族への毎年の貢ぎ物や、増えた官僚の給料で、北宋は段々と財政難に。。

財政改革
王安石(宰相)(任1070~)
新法(しんぽう)
※金持ちから取って貧しい農民へ
いかに富ませるか(富国)
・青苗法(貧農救済)
・均輸法(物価の安定)
・市易法(中小商人へ低利融資)
・募役法(公共事業)
いかに国を強くするか(強兵)
・保甲法(兵農一致)
・保馬法(軍馬の確保)

✕新法党(王安石) VS 〇旧法党(司馬光)王安石をしばこう

北宋は衰退へ・・

ポイント③北宋の滅亡と南宋の成立
中国の二分化

北宋の滅亡(1127)

靖康の変(1126~1127)
金が開封を占領。徽宗・欽宗親子を連行。

一族は南へ逃げる。
↓↓
・南宋
(1127~1276)
(都:臨安(杭州)大運河の南端)
高宗(建国)

岳飛(主戦派)✕ VS 〇秦檜(しんかい)(和平派)
金と和議。国境は淮河(わいが)←黃河と長江の間
南宋は金より下の立場になる。


(3)宋の時代の社会経済と文化
ポイント①宋代に登場した新しい支配階層!
大土地所有者と官僚

形勢戸(けいせいこ)(新興地主)
佃戸(小作人)を使用。収穫の半分を地代として納入させる。

士大夫(したいふ)(知識人・官僚)
儒学教養を身に付けた官僚

官戸(かんこ)
科挙に合格した家

 

ポイント②宋はお金持ち!? 宋代の繁栄!
農業、商業、貿易

■ 農業の発達
・占城稲(せんじょうとう)・・日照りに強く早く育つ稲。ベトナム・チャンパ王国より。(チャンパのことを占城と呼ぶ)

「蘇湖(江浙)熟すれば天下たる」
=「長江下流域が稲作地帯になる。そこで米が取れれば中国全土の食料をまかなえる」

■ 商業
・草子(市。唐末期)→鎮(ちん)(地方の小都市)へと発展。

(こう)・・商人の同行組合
(さく)・・手工業者の組合

・景徳鎮(江西省)・・宋磁(青磁・白磁)の生産地
海外にも輸出される人気商品。

・銅銭・・東アジア全域に輸出。
交子・会子・・紙幣
→遠隔地との交易が活発ということが分かる。

■ 貿易の発達
市舶司の増設(貿易の役所)
・広州(広東省)・・北宋最大の貿易港
・泉州(福建省)・・南宋時代には貿易額が広州を超える
・明州(浙江省)(寧波・ニンポー)・・日本の遣唐船、勘合貿易。

ポイント③宋の文化はこれまでの文化と変わっている?
儒学思想、絵画、雑劇など。一般市民の台頭。

■ 儒学(宋学・朱子学)
宋の時代から新しい儒学が生まれる。

・周敦頤(しゅうとんい)(北宋)
宋学の創始

朱熹(朱子)(南宋)
宋学の完成(朱子学
「知識を得ることが何よりも重要なんじゃ!知識ある者に敬意をはらうのじゃ。」
・性即理(知性を重視)
大義名分論・・上下関係を重視(皇帝の権威拡大)
四書を重視(今までは五経)
『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』

■ 歴史学
司馬光『資治通鑑』編年体(年表形式)
・欧陽脩(おうようしゅう)

■ 唐宋八大家
唐:韓愈、柳宗元
宋:欧陽脩、蘇軾(そしょく)(=蘇東坡・そとうば)

■ 芸術
院体画・・宮廷様式の絵画
徽宗『桃鳩図』

■ 仏教
禅宗・・士大夫層(知識人)
浄土宗・・阿弥陀仏信仰。(一般)

 


(4)モンゴルの時代
ポイント①チンギス=ハンの野望
闇雲に戦争していたわけではない。

初代・チンギス=ハン(位1206~1227)約20年
幼名:テムジン
クリルタイ(会議)の開催
・金の都(燕京)を攻略(1214)
征服
・ナイマン(1218)
ホラズム・シャー朝(1220)
・西夏(1227)
狙いがあった。中国とヨーロッパを結ぶ地域を抑えた。

ポイント②モンゴル帝国(大モンゴル国)の形成
オゴタイ・モンケの時代の広大な領域

2代・オゴタイ=ハン
(1229~1241)12年
・金の征服(1234)
・都カラコルムを建設(1235)

バトゥの西征
南ロシアのキエフ公国の征服(黒海の北)

→ワールシュタットの戦い(リーグニッツ)(1241)
ドイツ・ポーランド連合軍
オゴタイの死で引き返す

3代・グユク

4代・モンケ=ハン(1251~1259)
フラグ(モンケの弟1)の西アジア遠征
・アッバース朝(バグダード)の征服(シルクロードを抑えた)
・マムルーク朝へ侵攻

フビライ(モンケの弟2)の遠征
・大理(雲南)・チベットの征服
・高麗を服属させる

東西交易ネットワークを抑えたい

ポイント③元の一大遠征!
フビライの夢とは。海のルートも接続したい。

5代・フビライ=ハン(世祖)(1260~1294)34年
・クリルタイで即位
大都(北京)へ遷都(1264)
・国号をと改称(漢字に当て直す)

・ハイドゥの乱(1260〜1301)
フビライへの反乱
モンゴル人国家の分裂。

海上ルートをを抑えたい
南宋の征服(1276)
・〇パガン朝(ミャンマー)の征服(1299)
・✕日本遠征(1274文永・1281弘安) 鎌倉幕府
・✕ベトナム遠征・陳朝に敗北(13C後)
・✕ジャワ遠征・マジャパヒト王国に敗北(13C)


(5)モンゴル人の支配
ポイント①寛大な統治の仕組み
各地に成立したモンゴル人国家。

現地にいる勢力をうまく使っていく。

モンゴルの諸ハン国(ウルス
チャガタイ=ハン国(1227~14C)(中央アジア)
イスラーム商人が多かった。イスラーム化(14C)
東西分裂(14C半ば)

キプチャク=ハン国(南ロシア)
草原の道の出口に当たる。
バトゥ(建国)
イスラーム商人に合わせてイスラーム教の採用
モスクワ大公国の自立→分裂・解体

イル=ハン国(西アジア)
フラグ(建国)
ガザン=ハンの時
イスラーム教に改宗
宰相ラシード・アッディーン『集史』
モンゴルの歴史が文字に起こされた。

ポイント②元は中国人に媚びない!
元の中国統治のシステムは。

元の中国支配
・基本的には宋代の制度を継承。
科挙の一時停止。儒学を軽視。

モンゴル人第一主義
1・モンゴル人がトップ
2・色目人・・イラン人、中央アジア系(商業)財務官僚
3・漢人・・旧・金(女真族)
4・南人・・旧・南宋(中国人)

駅伝制(ジャムチ)

大運河の補修

海運の振興。貿易港。
杭州 大運河の南端
泉州 世界第一の貿易港に
広州 古くから南海貿易の拠点

商業
交鈔(こうしょう)(紙幣)を発行。
金代から使用された紙幣。

ウィグル文字(表音文字)
ウィグル人が使っていた。商業活動の記録など。一般的に使われた。

パスパ文字
(一般には広がらず)

チベット仏教(ラマ教)
パスパを国師として厚遇
寺院建立などで莫大な費用を負担。
→交鈔を乱発してしまう。元の国力低下。

紅巾の乱(1351~1366)紅の頭巾
白蓮教徒が中心
朱元璋

元が滅亡・・!

 


(6)元の文化
ポイント①庶民が元気!明るい文化

元曲(古典演劇)ミュージカル
・『漢宮秋(かんきゅうしゅう)』・・匈奴に降嫁した王昭君(前漢)の物語
・『琵琶記』・・出世して都で栄華な生活を送る男の話
・『西廂記(せいそうき)』・・宰相の娘と書生との恋愛

ポイント②東西交流の活発化!多くの外国人が訪れる

東西世界の交流
<3人の修道士>
プラノ・カルピニ
ローマ教皇の命。布教と情勢偵察。カラコルム。

ルブルック(13C)
仏王ルイ9世の命で十字軍の協力を要請。カラコルム。
モンケ=ハンがフラグを派遣。

モンテ・コルヴィノ
中国で最初のカトリック布教者。

<2人の旅行家>
マルコ・ポーロ
フビライ・ハンに仕えた
『世界の記述(東方見聞録)』
「黄金の国ジパング」

イブン・バットゥータ
『三大陸周遊記(旅行記)』
フビライの死後、元に来た。モロッコ出身(ベルベル人) 。メッカ巡礼のついでに24年間の大旅行。インドはトゥグルク朝、中国は泉州に訪れた。

ポイント③イスラーム世界から科学が伝わる
中国で作成された高度な暦

郭守敬
フビライに従事
授時暦の作成。イスラーム暦法の影響を受ける。
→日本の貞享暦(1684)(じょうきょうれき)に影響。渋川春海。

 


 

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【09】東アジア文明圏の形成(隋・唐)

【06】東南アジア前近代史
(1)隋の時代
(2)唐の政治体制の確立
(3)唐の支配体制の動揺
(4)唐の社会経済と周辺諸国との関係
(5)唐の文化
隋(大興城(長安))→唐(長安)


(1)隋の時代
〇優秀な人材を集めるために
■ 隋(589~618)約30年
(都:大興城(長安の近く))

初代・文帝(楊堅)
北周から禅譲。
先に北を抑える。
・突厥(トルコ系)を攻撃→突厥は東西に分裂(583)
次に南へ。
・陳の征服(589)

・科挙(598)
学科試験。貴族の高級官職独占を防ぐ。
身分、家柄を問わず優秀な人材を採用。

〇中国の南北をつなぐ大動脈
2代・煬帝(楊広)(604~618)
煬:「天に逆らい民を虐げた愚か者」の意
帝:わざと「だい」と読む。皇帝の器ではない。
・大運河の造営
・長城の修復
・高句麗遠征の失敗(3回)

〇三大制度の確立
隋・唐で整備。中国統治体制の基盤となる

・均田制(土地制度)
国が土地と民を管理する。
北魏で始まり、隋・唐で整備される。唐の半ばまで続く。
牛、妻、奴隷への給田を廃止。→金持ち優遇を是正。

・租調庸制(税制)
租(穀物)調(布)庸(労役)

・府兵制(兵制)
西魏で始まる。均田制で土地を支給された農民から徴兵。
首都や辺境の警備。その間税金は免除。


(2)唐の政治体制
〇皇帝の力の強弱は?→弱い
■ 唐(618~907)(都:長安)
★初代・高祖(李淵)
隋の武将

★2代・太宗(李世民)626~649
・貞観の治

・三省六部
皇帝の力はあまり強くない。貴族が決定権を持つ。

三省(中央政府の最高機関)
ー 中書省・・詔勅(皇帝の命令)の立案
ー 門下省・・詔勅を審議(←権限が最も強い。貴族が独占)
ー 尚書省・・詔勅の施行
↓↓
六部(6つの官庁の総称)
吏・戸・礼・兵・刑・工
吏部(文官の人事)、戸部(財政)、礼部(礼儀・教育)、兵部(軍事)、刑部(司法)、工部(土木)

御史台(官吏の監察)

〇安定した統治体制の完成。
・律令国家体制
法律による統治体制→朝鮮、日本、ベトナムなどに波及。
律(刑法)
令(行政法・民法)
格(さらに付け加えたいとき)
式(実行に当たっての注意点。さらに細かいルール)

・州県制(隋・唐に確立)・・≒ 郡県制(秦)。皇帝が任命した役人が統治。
・東突厥(モンゴル高原)を征服(630)

・科挙(官吏登用)
・均田制、祖調庸制、府兵制
・雑徭(ぞうよう/ざつよう)・・地方官庁での力役(りきえき)。橋の修復など

〇中国皇帝のプライド?
周辺の異民族に対する中国の支配方法は。

3代・高宗(649~683)
・領土が最大に
・白村江の戦い(新羅を支援)
・西突厥を攻撃。分裂。

・羈縻(きび)政策(異民族統治)
各部族長に自治を与え、異民族の文化、宗教を容認。ただし反乱は許さない。
↓↓
「都護府」の設置。
官吏と軍隊が駐屯。異民族の自治を監督。


(3)唐の支配体制の動揺
〇中国史上唯一の女帝
■ 周(武周)
則天武后(位690~705)
3代・高宗の妻。子の代わりに即位した。
・科挙官僚の積極的登用。貴族勢力を抑圧。

〇女性の心を奪われた玄宗
★6代・玄宗(位712~756)
開元の治
・節度使の設置
周辺異民族にそなえて儲けられた軍の指揮官。国境を守ろうとした。

・募兵制の実施
均田農民の没落・逃亡を受けて金銭で兵を徴集。

しかし後半は・・
・楊貴妃を溺愛
政治の乱れ、豪奢(ごうしゃ)な宮廷費
↓↓
・安史の乱(755~763)
節度使の安禄山(ソグド系)、史思明の反乱。
(中央アジアのイラン系)
異民族ウイグルの支援を得て平定。
↓↓
均田制が崩壊。
羈縻政策の破綻。

〇財政の再建策が持つ「意義」
税制の改革。財政の再建をめざした。

★両税法の制定(780)
・夏・秋に分けて徴税
・土地の所有者が税を負担
各戸の資産に応じた銭納。耕作面積に基づく穀物納入。
↓↓
均田制の崩壊。
「もう土地は誰が持っていても、国は干渉しない。」

★黄巣の乱(875~884)
塩の密売商人。国の塩の専売に反発。

・荘園(貴族の土地)の荒廃
・地方の節度使(軍人)が自立化。(もう王朝のいうことを聞かない。)
↓↓
・藩鎮(節度使のレベルアップバージョン)・・節度使が軍事権、財政権、民政権の3種を掌握。

★唐の滅亡(907)
・節度使の朱全忠
唐を滅ぼして後梁を建国。


(4)唐の社会経済と周辺諸国との関係
〇国際色豊かな社会
外国商人、文化との接触
・ムスリム(イスラーム教徒)商人
ダウ船。ヨットのような大きな帆。海上貿易。

・ソグド人(イラン系)
内陸の交易

・阿倍仲麻呂(698~770頃)
玄宗に仕えた。日本に帰れず。

〇貿易都市や商業都市の成立
・長安・・唐の最盛期(8C初)人口100万人

・広州(広東省)
南海貿易の拠点。初めて市舶司(海上貿易を管理する官庁)が置かれた。

・揚州(ようしゅう)
長江北岸

・草子(そうし)(都市の城郭外に開設)
非公認の市。商人が集まった。
「粗末な市」の意味。唐末から発生。

〇冊封体制と羈縻政策

★冊封(さくほう)体制
・中国が周辺「諸国」と形式上の君臣関係を結んで形成された国際秩序。
・朝貢した首長に対し官爵を与え、その統治を承認する。

朝鮮、日本、東南アジアなどから。
・青海・チベット(唐の西方)・・吐蕃(とばん)(7~9C)
・雲南地方・・南詔(~902)
・東南アジア・・チャンパー、シュリーヴィジャヤ
・朝鮮・・新羅、渤海国

★羈縻(きび)政策
・周辺「異民族」に対して取った政策。遊牧民。
・唐の北方(モンゴル高原)など。
・各地の部族長に対して自治を認める間接統治。
・都護府を設置し周辺異民族を監督。


(5)唐の文化
〇国際色豊かな文化
・ポロ競技(西アジア起源)
(乗馬ホッケーのようなもの)

・唐三彩
唐代で作られて東アジアに広まる

★宗教
・仏教
浄土宗・・阿弥陀仏信仰。極楽浄土への往生。一般に広まった。
禅宗・・禅、瞑想、座禅など。知識人に。

・唐代三夷教
・ゾロアスター教(祆教)
・マニ教(摩尼教)・・ウイグルで国教化
・景教・・ネストリウス派キリスト教

・イスラーム教
回教、清真教

〇儒学の発達
唐の統治を支えた。

★訓詁学の確立。
訓詁学とは後漢に始まった経書の字句解釈。

・孔穎達(574~648)
『五経正義』・・五経の解釈を統一、固定化した。(古文単語帳のようなもの)
→科挙のテキストになった。暗記中心に。
VS
・韓愈(韓退之)
儒学の固定化に反発。儒学を昔に戻そう。儒学の復興を主張。仏教や道教を排撃。柳宗元と共に古文の復興もめざす。唐宋八大家の一人。

〇芸術分野の発達
★詩
・李白(701~762)
詩仙。自由奔放。

・杜甫(712~770)
詩聖。妻子と流浪の生活を送る。

・白楽天(白居易)(772~846)
「長恨歌」玄宗と楊貴妃の悲恋。

・王維(701~761)
「詩中に画あり、画中に詩あり」
自然をテーマに。山水画も描く。

★山水画
・呉道玄(8C)
人物、神仏

★書
・顔真卿(8C)
力強い書風。安史の乱を抑えた軍人でもある。

 


 

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