中国 – 歴史note

【16】中国周辺地域史

【16】中国周辺地域史
(1)モンゴル高原・内陸アジア
(2)チベット・雲南地方
(3)朝鮮半島の分裂の時代
(4)朝鮮半島の統一の時代
※中国が文化の発信地。中国の王朝をセットで覚える。


(1)モンゴル高原・内陸アジア
ポイント①中国を苦しめた最恐の民族!
匈奴の中国侵入

【中国:秦・漢】
匈奴(B3~1C)
騎馬遊牧民。機動性に富んだ高い軍事力。

スキタイ(B6~B3C)(イラン系)
南ロシアの草原地帯。後世の騎馬遊牧民に影響。

冒頓単于
匈奴の全盛期。前漢の高祖を破る(B200)。
↓↓
・前漢の武帝に敗れて衰退(B129)
・匈奴の東西分裂(B1C)
東匈奴(内モンゴル)→漢に服属
西匈奴(天山山脈)→漢に敗れて滅亡
↓↓
・東匈奴の南北分裂(1C)
南匈奴→後漢に服属
北匈奴→後漢の攻撃を受ける(モンゴル高原)
→ヨーロッパ方面へ西走?(末裔がフン族に?)

ポイント②後漢から唐にかけて中国に侵入した民族
鮮卑・柔然・突厥・ウィグル

【中国:後漢~魏晋南北朝】
鮮卑(2~5C)
五胡の一つ。拓跋氏が北魏を建国。
「カガン(可汗)」の称号(君主)を使用→「ハン」につながる

柔然(5~6C)
北魏・太武帝と対抗

【中国:隋・唐】
トルコ人は中央アジア、西アジアへ移っていった。

突厥(6~8C)トルコ系
・柔然を破る
・ササン朝のホスロー1世とともに、エフタル(イラン系・トルコ系)を滅ぼす→西へ進み、中央アジアまで進出。
突厥文字・・北方遊牧民最古
・隋の時代に東西に分裂

ウィグル(8~9C)トルコ系
・安史の乱では唐を助けた
・中央アジアあたりまで西進
ウィグル文字
マニ教を国教化(後にイスラーム教
・軍事に長けていた←イスラーム王朝が軍人奴隷(マムルーク)として採用。西アジア各地に輸出。

 


(2)チベット・雲南地方
中国の西や南

ポイント①中国?インド?どっちの影響が強い?
チベットの歴史

<チベット>
中国とインドの間。インドの影響が強い。

吐蕃(とばん)(7~9C)
(都:ラサ)
ソンツェン=ガンポ(建国)
チベット文字
インドの文字を元に制作

<中国は【唐】>
・インド・中国の仏教文化を導入
チベット仏教
インドの大乗仏教にチベットの民間宗教が融合。(7C)

ーーーーーーー
・パスパ(高僧)(13C)
フビライに従事。チベット仏教が中国に伝わるきっかけとなる。
↓↓
ツォンカパの改革(14C)
腐敗したチベット仏教を立て直す。
ツォンカパの改革以降、チベット仏教を「黄帽派(こうぼうは)」と呼ぶようになる。

・ダライ=ラマ
チベット仏教のリーダー。政教一致の最高権力者
ポタラ宮殿(ラサ北西)に住む。

ポイント②雲南地方ってどんな地域?
モンゴル時代に中国領土になったわけ

<雲南地方>
中国から東南アジアへの出入口

2つの国
1.南詔(なんしょう)(?~902)
<中国は【唐】>
・中国・チベット・インド文化が融合

2.大理(だいり)(937~1254)
<中国は【宋】>
・フビライ・ハンにより滅亡(1254)
理由:東南アジアへの出入口を抑えたかったため。
・雲南はここで初めて中国領土に組み込まれた


(3)朝鮮半島の分裂の時代

ポイント①古代の朝鮮は「中国」?
古代朝鮮と中国の関係

古代朝鮮は中国の一部だった。

衛氏朝鮮(B190~B108)
・衛満(えいまん)(建国)
中国の戦国時代に中国から渡ってきた。
・前漢・武帝により滅亡(B108)

〇中国・前漢の支配下
朝鮮4郡(拠点)
楽浪郡を置く(B108~313)
(現在の北朝鮮・平壌・ピョンヤン
漢の政治・文化を伝導。
漢王朝が滅亡して目が行き届かなくなる。
高句麗により滅亡(313)

↓↓
馬韓→百済(ひゃくさい/くだら)
辰韓→新羅(しんら/しらぎ)
弁韓→任那(みまな)(加羅/から・加耶/かや)→新羅に征服される

ポイント②朝鮮にも三国時代があった!?
高句麗・新羅・百済の対立

朝鮮の三国時代(4C半~7C)

高句麗(B1C~668)
朝鮮半島北から中国東北部。
・漢の拠点、楽浪郡を征服(313)
・広開土王(位391~412)全盛期
広開土王碑(好太王碑)の建立(414)
朝鮮や日本との戦いが記録されている
・新羅・唐に滅ぼされる(668)

百済(4C半~660)
馬韓(左側)
高句麗、新羅に対抗するために日本と結ぶ。
唐・新羅により滅亡(660)
白村江の戦い(663)
復活しようと試みるが✕
日本・百済復興勢力✕ VS 〇新羅・唐

新羅(4C半~935)
・辰韓(右側)
・加羅を征服(4C)
・唐(3代・高宗)(当時アジア最強)と連合。
百済(660)、高句麗(668)を滅ぼす。

↓↓
※三国時代の勝者は「新羅」!

ーーーーーーーーーーーーーーーー
渤海(698~926)
(都:上京竜泉府)長安をモデル
高句麗の末裔や、靺鞨人(まっかつじん・ツングース系)が中国の東へ移動して建国
・大祚栄(だいそえい)(建国者)
・唐や日本とも交流


(4)朝鮮半島の統一の時代
ポイント①仏教文化がさかん!新羅の時代
朝鮮半島初の統一。新羅。

朝鮮半島を統一した3つの国

新羅(4C半~935)
(都:慶州(昔:金城))
高句麗と百済を倒して、朝鮮半島統一。

・唐は朝鮮半島の北西部に都護府を設置。→新羅にとっては屈辱・・!都護府は異民族を監視する機関。国として認められていない。。
↓↓
新羅は唐を排除。都護府を落とした。
↓↓
朝鮮半島統一(676)
唐に朝貢、冊封下へ入る。

唐の影響を受ける。

骨品制(こっぴんせい)(特権的な身分制度=貴族制度)
唐がモデル

仏国寺(ぶっこくじ)
慶州郊外にある仏教寺院。石の多宝塔。高度な技術。

ポイント②すごく似ている2つの王朝!
高麗と朝鮮の歴史。

高麗(935~1392)
(都:開城
王建(建国)

この頃、中国は【宋】
↓↓
・両班(ヤンバン)
骨品制貴族はいなくなり、特権官僚が登場。中国・宋と同じ。(両班が確立されるのは次の李氏朝鮮時代。)

高麗版大蔵経・・仏教文化がさかん。木版印刷
・金属活字・・世界最古。出版技術が早くから発達していた。
高麗青磁・・宋代の陶磁器(宋磁)の影響を受け、宋より高技術とも。

 

朝鮮李氏朝鮮・李朝(1392~1910)
(都:漢城(漢陽)現ソウル。元・帯方郡)

李成桂(建国)。李さんが作ったので李氏朝鮮。

この頃中国は【明・清】
↓↓
朱子学の官学化(上下関係を重んじる)
科挙の実施
両班(ヤンバン)特権身分階級
高級官職独占が登場。中国と同じ。

世宗(せいそう)(現在の1万ウォン札に描かれている)
訓民正音(くんみんせいおん)(1446)(表音文字)
漢字は庶民は読めない→ハングル文字

・豊臣秀吉の朝鮮侵攻
壬辰・丁酉(じんしん・ていゆう)の倭乱
(文禄1592・慶長1597の役)

李舜臣・・亀船(亀甲船)の使用で、日本の侵略を食い止めた。

「小中華」の芽生え
明滅亡後の、清(満州人国家)を正統な中国と認めない。
正統な中華を守っている継承者は朝鮮だ!という意識。
清に対して敵対心があった。


 

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【15】明・清の時代

【15】明・清の時代
(1)明の成立と中央集権化
(2)永楽帝の時代と明への外圧
(3)晩年の明と清の中国侵入
(4)清の全盛期をみる
(5)清の中国統治と社会経済
(6)明・清の文化(1)
(7)明・清の文化(2)


(1)明の成立と中央集権化
ポイント①久しぶりに漢民族の国家が復活!
紅巾の乱で元が滅亡。
→明の建国
洪武帝(朱元璋)太祖(位1368~1398)
(都:南京)

「自分に力を集める」皇帝独裁政治
↓↓
中書省(皇帝の命令を作る機関)の廃止、丞相(サポート)の廃止
六部(行政)を皇帝直属
朱子学の官学化(官僚必須の学問)
・一世一元(いっせいちげん)の制(天皇一人につき一つの元号。洪武帝の世はずっと「洪武」という年号。)
・明律・明令
海禁・倭寇への対策
→民間の対外交易・海外渡航を禁止
朝貢貿易を促進(周りが頭を下げに来る。)

ポイント②民衆を徹底して管理するシステム
地方行政と民への教育
魚鱗図冊・・土地台帳
賦役黄冊・・戸籍・租税台帳
里甲制・・村落。農家110戸で1里。正確な人口を把握。租税・治安維持。
衛所制・・軍戸と指定された家が軍事訓練を受ける。免税。
六諭(りくゆ)の発布(1397)・・朱子学の考えを広める。里老人=先生。「父母を大切に」など。

ポイント③皇帝がクーデタで即位!?
2代目・建文帝(洪武帝の長男の子)
側近の進言により、一族の勢力削減を試みる。
→燕王(洪武帝の子)の挙兵
靖難の役(1399~1402)


(2)永楽帝の時代と明への外圧
ポイント①明の全盛期!
3代目・永楽帝(位1402~1424)約20年
「外へ拡大」
北京へ遷都(元々の自身の防衛地・燕)。紫禁城(現・故宮博物院)
内閣大学士(政務補佐)の設置
宦官の重用(クーデターの後ろめたさからか官僚よりは宦官・側近を使っていた)

・ベトナム出兵
一時ベトナムを支配(1400~1428)
・モンゴル遠征
皇帝自ら5回の遠征

鄭和(イスラーム教徒の宦官)
南海諸国遠征
(1405~1433)7回の遠征
東南アジア・インド・西アジア・東アフリカ
朝貢貿易を促した。

ポイント②北から、南から…明を襲う外部勢力!
モンゴル系民族の侵入と倭寇の侵入

永楽帝の死後・・
北虜南倭(ほくりょなんわ)=外部からのプレッシャー

<北から>
オイラト・・西北モンゴリア
・土木の変(1449)
オイラトのエセン=ハンモンゴル勢力を統合)が明の正統帝を捕縛

タタール・・東モンゴリア
アルタン=ハン 北京を包囲
↓↓
・万里の長城を修築。侵入に備える

<南から>
倭寇・・海賊集団

前期倭寇(14C)
日本人。朝鮮半島から遼東半島にかけて略奪。

後期倭寇(16C)
中国人。海禁に反発し武装した民間商人の略奪行為。

↓↓
これらの対応により明は財政難に・・


(3)晩年の明と清の中国侵入
ポイント①皇帝の力は弱くなるのに明は長生き!→貿易で繁栄していたから。
明末の財政改革と混乱の時代

明の財政改革
貿易活動の活発化
日本銀メキシコ銀(スペイン)の流入。ヨーロッパは大航海時代。中国で買い物をするので明は儲かる。西アジア、インド、日本からも。

一条鞭法(いちじょうべんぽう)の普及(16C後半)
土地税と丁税・ていぜい(人頭税)を銀で納める

14代・万暦帝(神宗)(位1572~1620)
宰相・張居正の改革

明末の政治争い
東林派・・東林書院(顧憲成が再建した学校)出身の官僚
VS
非東林派・・宦官と結託
→政治が乱れる

明の滅亡
豊臣秀吉の朝鮮侵略
(1592文禄・1597慶長)
朝鮮は中国の弟分なので、明は助け(援軍)を出した。財政難に。

李自成の乱
農民反乱の指導者。
北京の攻略。
明の滅亡(1644)

ポイント②中国の北側に新しい国家が誕生!
満州人の国家建設

後金(こうきん)(1616~1636)
初代・ヌルハチ(ツングース系)
女真(金を作った民族)を率いて建国→後金は後に満州と改称
八旗の編成(軍隊)
満州文字の制作

2代・ホンタイジ
中国へ侵入開始
チャハル(内モンゴル)を征服(1635)
・国号を後金→と改称(1636)
=「今から中国を支配するぞ」のアピール
・朝鮮を属国化(1637)

ポイント③中国人ではない民族が中国を支配!
清の北京入城と反抗勢力

清(1616~1912)
3代・順治帝(1643~1661)
1644 明が滅亡。

(清に賛成)
・呉三桂(元・明の武将)が清に協力。
関所を開けた→北京へ誘導。
→清は李自成を倒し、北京を新しい都とする。

(清に反対)
・鄭成功
(1624~1662)
清には反対。明を復興させたい。
「反清復明」はんしんふくみん

オランダ人を追い出して台湾を占拠。
鄭氏台湾(1661~1683)を建国。
清に抵抗する拠点となる。

国姓爺(こくせんや)・・鄭成功の異名。明の一族から国王の名字をもらった英雄の意味。
『国姓爺合戦(こくせんやかっせん)』近松門左衛門の人形浄瑠璃。


(4)清の全盛期をみる
ポイント①中国史の皇帝の中でもNo.1!
平和で安定した時代。

4代・康煕帝(位1661~1722)61年間
「満州人が中国全土を支配する。漢人をつぶす」
藩王(清に協力した漢人武将・呉三桂など)の勢力削減
三藩の乱を鎮圧(1673~1681)

・鄭氏台湾を征服(1683)

地丁銀制(18C前)
地銀(土地税)の中に丁税(人頭税)を繰り込み一括して銀納。
人が増えても税金が変わらない→人口増加。

ネルチンスク条約(1689)
ロシア皇帝・ピョートル1世と清・康煕帝
ロシアと清の国境を取り決めた:アルグン川~スタノヴォイ山脈(中国では外興安嶺・がいこうあんれい)

・外モンゴルを併合(1696)

典礼問題
中国古来の先祖崇拝にキリスト宗派が反発。
イエズス会は承認。
イエズス会以外の布教を禁止(1711)

ポイント②目立たないけど実はすごい!?

5代・雍正帝(位1722~1735)13年
キリスト教布教の禁止(1724)
中国文化を守る

・チベット併合(1724)

キャフタ条約(1727)
ロシアと外モンゴルとの国境を決める

軍機処の設置(1729)
異民族統治の軍事機関→政務も兼ねる。

ポイント③いまの中国と同じ!? 清の最大領土!

6代・乾隆帝(位1735~1795)60年
(康煕帝を超えないように自分で降りた。)

制限貿易の開始(1757)
貿易港を広州1港に限定。
銀が外に出て行かないように。国内で回すようにした。

公行の設置
貿易を独占できる特権商人

ジュンガルの併合(1758)(康煕・雍正の頃からの宿敵)
→現・新疆の設置
(東トルキスタン一帯の地域。中央アジア。)


(5)清の中国統治と社会経済
ポイント①清の支配領域と軍事制度
広大な領土。統治の工夫。

清の領土
・直轄地:満州(中国東北)・台湾・中国本土(旧明)
藩部・・非漢人が優勢な地域
理藩院・・藩部に大幅な自治を与えて監督する
(唐の羈縻政策・都護府と同じ)

清の軍事制度
八旗(軍事・行政)・・ヌルハチが編成。満州、モンゴル、漢の三軍
緑営・・漢人のみの正規軍。治安維持など警察業務を担当。

ポイント②清のとった「アメ」と「ムチ」
少数の満州人が大多数の漢民族を統治するための工夫。

清の「アメ」
六部:皇帝直属の行政最高機関。(明から受け継ぐ)
科挙(明から)
満漢併用制
重要な官職を満州人、漢人を同数任命。

清の「ムチ」
辮髪の強制
文字の獄(もんじのごく):反清・反満的な書物の弾圧。言論・思想弾圧
禁書:思想統制のため特定の書籍を禁ずる。

ポイント③明と清は世界で一番お金持ち!?
明・清時代の経済活動をみる。農業・商業・貿易の3つ。

明・清時代の社会

〇農業の発達
米(中流)と商品作物(下流)がバランスよく作られる。
「湖広(ここう)熟すれば天下足る」(明代中頃)
長江中流域の米の生産が下流域の生産をしのぐ。

cf:宋「蘇湖(そこ)(江浙(こうせつ)熟すれば天下足る」=長江下流。下流は商品作物になる。

・商品作物の栽培。茶・綿・桑

〇商業の活性化
徽州(きしゅう)(新安)商人・・専売塩で大きな利益。
山西商人・・北辺の軍糧補給、専売塩、金融
国はこれらの商人から税金を取る。保護する。お互いうまい関係。
会館、公所・・同業、同郷の商人や職人が建設。親睦・互助。

〇貿易
輸出品(よく売れる)
生糸・・絹織物の重要材料
陶磁器・・染付(元後期)、赤絵(明)
・貿易港・・蘇州(江蘇省)、杭州(浙江省)、広州(広東省)→乾隆帝時代は広州1港に限定。


(6)明・清の文化(1)
ポイント①国が思想を統一するための手段
明・清の国家編纂事業。国家の目線から見た文化。

【明代】4つ
『四書大全』
永楽帝時。四書の注釈書。儒教解釈を固定化。科挙はこの解釈以外認めない。

『五経大全』
五経の注釈書。

・『性理大全』
宋学(朱子学)の全集。

『永楽大典』
類書(百科事典)。中国最大の編修事業。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

【清代】3つ
『康熙字典』
漢字の字書。4万2000をこえる漢字を部首・画数で配列。

『古今図書集成』
康煕帝~雍正帝の時代に編纂。
1万巻にわたる中国最大の類書(百科事典)

『四庫全書』
乾隆帝の時代に編纂。
中国最大の叢書(そうしょ)。今までの中国の書物の分類分け。
禁書の捜索という側面も

ポイント②儒学の発達
朱子学に対抗する新たな思想が登場

明・清では朱子学(知性重視)が官学化されていたが、対抗する学問が2つ出てきた。

陽明学(行動重視)明
・王守仁(王陽明)(15~16C)

・心即理・・本来持っている心そのものが人間の本質。感じたことが正しい。行動する。=「理」に合致するとした。

・知行合一
(ちこうごういつ)・・良知と行動との自然な一体化を説く


考証学
・朱子学、陽明学などの主観を批判。客観性を重視。
・儒教の古典を実証的にきわめていく
・広く確実な文献の収集。厳密な考証の実施。
「自分の行動は儒学のこれに当てはまるからいいんだ」など、儒学の本を使って考えていく。

明末:黄宗羲(こうそうぎ)、顧炎武(こえんぶ)
清半ば:銭大昕(せんたいきん)。考証学的な史学を確立

 


(7)明・清の文化(2)
市民の目線から見た文化。小説・実学・宣教師。

ポイント①時代を風刺したおもしろい作品!
庶民ウケする作品。

<小説>
【明代の小説】「四大奇書」
『三国志演義』・・三国時代の英雄
『水滸伝』・・北宋の豪傑の武勇
『西遊記』・・妖怪説話を混入
(↑↑これらは元で作られ、明で完成した。かっこいい中国人が描かれている。明は久々の漢民族の国家だから。)
『金瓶梅』・・明末の新興商人階層の色と欲

【清代の小説】
『紅楼夢』・・長編。上流社会の栄華没落。
『儒林外史』・・長編。官僚の腐敗・堕落。
・『聊斎志異(りょうさいしい)』・・短編。怪異妖変と人間の交錯。

ポイント②実際に役立つ学問を研究しよう!
ヨーロッパ科学の影響。実学が発達。

<実学>
李時珍『本草綱目』・・薬物。医学
徐光啓『農政全書・・農業技術・農業政策
宋応星『天工開物』・・イラスト付き、産業技術書。
(工・・工業。産業)

 

ポイント③たくさんやってきたイエズス会宣教師たち!
彼らが中国に持ち込んだ「お土産」とは・・。

【明代】
イエズス会の宣教師
カトリックの復活をめざして布教したい。。

・フランシスコ=ザビエル(1506~1552)(西)(中国にたどり着く一歩手前で没)

マテオ・リッチ(1552~1610)(伊)
坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)』世界地図
幾何原本』徐光啓と共訳。エウクレイデスの幾何学。

アダム・シャール (独)
『崇禎暦書(すうていれきしょ)(暦法)徐光啓と共同作業

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【清代】
フェルビースト(ベルギー)
大砲

ブーヴェ(仏)
皇輿全覧図(こうよぜんらんず)』中国の国内地図

カスティリオーネ(伊)
円明園(北京の北西郊外)清の離宮・庭園

 


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【14】東アジア世界の展開(宋・元)

【14】東アジア世界の展開
(1)五代十国と北宋
(2)征服王朝と北宋の衰退
(3)宋の時代の社会経済と文化
(4)モンゴルの時代
(5)モンゴル人の支配
(6)元の文化
五代十国(軍人中心)→北宋(官僚中心)


(1)五代十国と北宋
ポイント①五代十国の時代(軍人中心)
有力節度使が建てた五つの王朝

唐王朝が滅亡後(朱全忠が倒す)・・

・五代十国(907~979)約70年
後梁・後唐・後晋・後漢・後周(五代)
(+小さな国、十国)

・後梁(都:開封・かいほう→黃河と大運河の合流地点)
朱全忠(建国)

・後唐(都:洛陽)

後晋(こうしん)(都:開封)936~946
契丹の支援で建国。
お礼に、燕雲十六州を契丹にプレゼントしてしまった。。
(万里の長城の内側。燕は北京、雲は大同を指す。)

・後漢(こうかん)(都:開封)

・後周(都:開封)

ポイント②中国の混乱の時期
節度使による武断政治

唐末から五代十国の混乱で、旧貴族は没落。
→荘園の崩壊
→新興地主層の登場

・藩鎮(節度使(=軍事のみ)を主とする軍閥)
軍事・民政・財政の三権を掌握。独立の地方勢力化。

・佃戸(でんこ)(小作人)

ポイント③これまでの中国が大きく変わる
五代十国の混乱と北宋の成立

・北宋(960~1127)(都:開封)
趙匡胤(建国)(太祖)

混乱から安定へ。

節度使による武断政治から
文治主義への移行。

経済中心地に都を置き、交易で繁栄。
節度使(軍人)の削減。

役人を増やす。
科挙に殿試。(皇帝の直接面談)


(2)征服王朝と北宋の衰退
ポイント①北宋を圧迫した周辺民族たち
遼、西夏、金について

北宋を苦しめた三つの異民族
1.  遼(契丹)キタイ(916~1125)モンゴル系初の国家
耶律阿保機(建国)

澶淵の盟(せんえんのめい)(1004)
梁と北宋の和平条約。宋は梁に銀や絹を献上。

・二重統治体制
遊牧民(自分たち)と農耕民(中国人)を分けて統治

・金の攻撃により滅亡
西へ逃げる→西遼(1132~)(カラキタイ)となる。イスラム中央アジア。
耶律大石(やりつたいせき)(建国)

2.  西夏(1038~1227)
李元昊(りげんこう)(建国)
タングート族の国家

3.  金(1115~1234)
・完顔阿骨打(わんやんあぐだ)(建国)
・女真族→元々遼(契丹)の支配下にあったが自立した。
遼を滅ぼして北宋と接する。
・全真教(道教をモデル)

猛安・謀克(もうあん・ぼうこく)
女真族や契丹人を統治するための軍事、行政組織。
300戸を1つの謀克、10の謀克を1つの猛安とする。

ポイント②北宋はどんどんお金がなくなる?

異民族への毎年の貢ぎ物や、増えた官僚の給料で、北宋は段々と財政難に。。

財政改革
王安石(宰相)(任1070~)
新法(しんぽう)
※金持ちから取って貧しい農民へ
いかに富ませるか(富国)
・青苗法(貧農救済)
・均輸法(物価の安定)
・市易法(中小商人へ低利融資)
・募役法(公共事業)
いかに国を強くするか(強兵)
・保甲法(兵農一致)
・保馬法(軍馬の確保)

✕新法党(王安石) VS 〇旧法党(司馬光)王安石をしばこう

北宋は衰退へ・・

ポイント③北宋の滅亡と南宋の成立
中国の二分化

北宋の滅亡(1127)

靖康の変(1126~1127)
金が開封を占領。徽宗・欽宗親子を連行。

一族は南へ逃げる。
↓↓
・南宋
(1127~1276)
(都:臨安(杭州)大運河の南端)
高宗(建国)

岳飛(主戦派)✕ VS 〇秦檜(しんかい)(和平派)
金と和議。国境は淮河(わいが)←黃河と長江の間
南宋は金より下の立場になる。


(3)宋の時代の社会経済と文化
ポイント①宋代に登場した新しい支配階層!
大土地所有者と官僚

形勢戸(けいせいこ)(新興地主)
佃戸(小作人)を使用。収穫の半分を地代として納入させる。

士大夫(したいふ)(知識人・官僚)
儒学教養を身に付けた官僚

官戸(かんこ)
科挙に合格した家

 

ポイント②宋はお金持ち!? 宋代の繁栄!
農業、商業、貿易

■ 農業の発達
・占城稲(せんじょうとう)・・日照りに強く早く育つ稲。ベトナム・チャンパ王国より。(チャンパのことを占城と呼ぶ)

「蘇湖(江浙)熟すれば天下たる」
=「長江下流域が稲作地帯になる。そこで米が取れれば中国全土の食料をまかなえる」

■ 商業
・草子(市。唐末期)→鎮(ちん)(地方の小都市)へと発展。

(こう)・・商人の同行組合
(さく)・・手工業者の組合

・景徳鎮(江西省)・・宋磁(青磁・白磁)の生産地
海外にも輸出される人気商品。

・銅銭・・東アジア全域に輸出。
交子・会子・・紙幣
→遠隔地との交易が活発ということが分かる。

■ 貿易の発達
市舶司の増設(貿易の役所)
・広州(広東省)・・北宋最大の貿易港
・泉州(福建省)・・南宋時代には貿易額が広州を超える
・明州(浙江省)(寧波・ニンポー)・・日本の遣唐船、勘合貿易。

ポイント③宋の文化はこれまでの文化と変わっている?
儒学思想、絵画、雑劇など。一般市民の台頭。

■ 儒学(宋学・朱子学)
宋の時代から新しい儒学が生まれる。

・周敦頤(しゅうとんい)(北宋)
宋学の創始

朱熹(朱子)(南宋)
宋学の完成(朱子学
「知識を得ることが何よりも重要なんじゃ!知識ある者に敬意をはらうのじゃ。」
・性即理(知性を重視)
大義名分論・・上下関係を重視(皇帝の権威拡大)
四書を重視(今までは五経)
『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』

■ 歴史学
司馬光『資治通鑑』編年体(年表形式)
・欧陽脩(おうようしゅう)

■ 唐宋八大家
唐:韓愈、柳宗元
宋:欧陽脩、蘇軾(そしょく)(=蘇東坡・そとうば)

■ 芸術
院体画・・宮廷様式の絵画
徽宗『桃鳩図』

■ 仏教
禅宗・・士大夫層(知識人)
浄土宗・・阿弥陀仏信仰。(一般)

 


(4)モンゴルの時代
ポイント①チンギス=ハンの野望
闇雲に戦争していたわけではない。

初代・チンギス=ハン(位1206~1227)約20年
幼名:テムジン
クリルタイ(会議)の開催
・金の都(燕京)を攻略(1214)
征服
・ナイマン(1218)
ホラズム・シャー朝(1220)
・西夏(1227)
狙いがあった。中国とヨーロッパを結ぶ地域を抑えた。

ポイント②モンゴル帝国(大モンゴル国)の形成
オゴタイ・モンケの時代の広大な領域

2代・オゴタイ=ハン
(1229~1241)12年
・金の征服(1234)
・都カラコルムを建設(1235)

バトゥの西征
南ロシアのキエフ公国の征服(黒海の北)

→ワールシュタットの戦い(リーグニッツ)(1241)
ドイツ・ポーランド連合軍
オゴタイの死で引き返す

3代・グユク

4代・モンケ=ハン(1251~1259)
フラグ(モンケの弟1)の西アジア遠征
・アッバース朝(バグダード)の征服(シルクロードを抑えた)
・マムルーク朝へ侵攻

フビライ(モンケの弟2)の遠征
・大理(雲南)・チベットの征服
・高麗を服属させる

東西交易ネットワークを抑えたい

ポイント③元の一大遠征!
フビライの夢とは。海のルートも接続したい。

5代・フビライ=ハン(世祖)(1260~1294)34年
・クリルタイで即位
大都(北京)へ遷都(1264)
・国号をと改称(漢字に当て直す)

・ハイドゥの乱(1260〜1301)
フビライへの反乱
モンゴル人国家の分裂。

海上ルートをを抑えたい
南宋の征服(1276)
・〇パガン朝(ミャンマー)の征服(1299)
・✕日本遠征(1274文永・1281弘安) 鎌倉幕府
・✕ベトナム遠征・陳朝に敗北(13C後)
・✕ジャワ遠征・マジャパヒト王国に敗北(13C)


(5)モンゴル人の支配
ポイント①寛大な統治の仕組み
各地に成立したモンゴル人国家。

現地にいる勢力をうまく使っていく。

モンゴルの諸ハン国(ウルス
チャガタイ=ハン国(1227~14C)(中央アジア)
イスラーム商人が多かった。イスラーム化(14C)
東西分裂(14C半ば)

キプチャク=ハン国(南ロシア)
草原の道の出口に当たる。
バトゥ(建国)
イスラーム商人に合わせてイスラーム教の採用
モスクワ大公国の自立→分裂・解体

イル=ハン国(西アジア)
フラグ(建国)
ガザン=ハンの時
イスラーム教に改宗
宰相ラシード・アッディーン『集史』
モンゴルの歴史が文字に起こされた。

ポイント②元は中国人に媚びない!
元の中国統治のシステムは。

元の中国支配
・基本的には宋代の制度を継承。
科挙の一時停止。儒学を軽視。

モンゴル人第一主義
1・モンゴル人がトップ
2・色目人・・イラン人、中央アジア系(商業)財務官僚
3・漢人・・旧・金(女真族)
4・南人・・旧・南宋(中国人)

駅伝制(ジャムチ)

大運河の補修

海運の振興。貿易港。
杭州 大運河の南端
泉州 世界第一の貿易港に
広州 古くから南海貿易の拠点

商業
交鈔(こうしょう)(紙幣)を発行。
金代から使用された紙幣。

ウィグル文字(表音文字)
ウィグル人が使っていた。商業活動の記録など。一般的に使われた。

パスパ文字
(一般には広がらず)

チベット仏教(ラマ教)
パスパを国師として厚遇
寺院建立などで莫大な費用を負担。
→交鈔を乱発してしまう。元の国力低下。

紅巾の乱(1351~1366)紅の頭巾
白蓮教徒が中心
朱元璋

元が滅亡・・!

 


(6)元の文化
ポイント①庶民が元気!明るい文化

元曲(古典演劇)ミュージカル
・『漢宮秋(かんきゅうしゅう)』・・匈奴に降嫁した王昭君(前漢)の物語
・『琵琶記』・・出世して都で栄華な生活を送る男の話
・『西廂記(せいそうき)』・・宰相の娘と書生との恋愛

ポイント②東西交流の活発化!多くの外国人が訪れる

東西世界の交流
<3人の修道士>
プラノ・カルピニ
ローマ教皇の命。布教と情勢偵察。カラコルム。

ルブルック(13C)
仏王ルイ9世の命で十字軍の協力を要請。カラコルム。
モンケ=ハンがフラグを派遣。

モンテ・コルヴィノ
中国で最初のカトリック布教者。

<2人の旅行家>
マルコ・ポーロ
フビライ・ハンに仕えた
『世界の記述(東方見聞録)』
「黄金の国ジパング」

イブン・バットゥータ
『三大陸周遊記(旅行記)』
フビライの死後、元に来た。モロッコ出身(ベルベル人) 。メッカ巡礼のついでに24年間の大旅行。インドはトゥグルク朝、中国は泉州に訪れた。

ポイント③イスラーム世界から科学が伝わる
中国で作成された高度な暦

郭守敬
フビライに従事
授時暦の作成。イスラーム暦法の影響を受ける。
→日本の貞享暦(1684)(じょうきょうれき)に影響。渋川春海。

 


 

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トライ世界史【14】東アジア世界の展開 □⇒

 

 

 

【09】東アジア文明圏の形成(隋・唐)

【06】東南アジア前近代史
(1)隋の時代
(2)唐の政治体制の確立
(3)唐の支配体制の動揺
(4)唐の社会経済と周辺諸国との関係
(5)唐の文化
隋(大興城(長安))→唐(長安)


(1)隋の時代
〇優秀な人材を集めるために
■ 隋(589~618)約30年
(都:大興城(長安の近く))

初代・文帝(楊堅)
北周から禅譲。
先に北を抑える。
・突厥(トルコ系)を攻撃→突厥は東西に分裂(583)
次に南へ。
・陳の征服(589)

・科挙(598)
学科試験。貴族の高級官職独占を防ぐ。
身分、家柄を問わず優秀な人材を採用。

〇中国の南北をつなぐ大動脈
2代・煬帝(楊広)(604~618)
煬:「天に逆らい民を虐げた愚か者」の意
帝:わざと「だい」と読む。皇帝の器ではない。
・大運河の造営
・長城の修復
・高句麗遠征の失敗(3回)

〇三大制度の確立
隋・唐で整備。中国統治体制の基盤となる

・均田制(土地制度)
国が土地と民を管理する。
北魏で始まり、隋・唐で整備される。唐の半ばまで続く。
牛、妻、奴隷への給田を廃止。→金持ち優遇を是正。

・租調庸制(税制)
租(穀物)調(布)庸(労役)

・府兵制(兵制)
西魏で始まる。均田制で土地を支給された農民から徴兵。
首都や辺境の警備。その間税金は免除。


(2)唐の政治体制
〇皇帝の力の強弱は?→弱い
■ 唐(618~907)(都:長安)
★初代・高祖(李淵)
隋の武将

★2代・太宗(李世民)626~649
・貞観の治

・三省六部
皇帝の力はあまり強くない。貴族が決定権を持つ。

三省(中央政府の最高機関)
ー 中書省・・詔勅(皇帝の命令)の立案
ー 門下省・・詔勅を審議(←権限が最も強い。貴族が独占)
ー 尚書省・・詔勅の施行
↓↓
六部(6つの官庁の総称)
吏・戸・礼・兵・刑・工
吏部(文官の人事)、戸部(財政)、礼部(礼儀・教育)、兵部(軍事)、刑部(司法)、工部(土木)

御史台(官吏の監察)

〇安定した統治体制の完成。
・律令国家体制
法律による統治体制→朝鮮、日本、ベトナムなどに波及。
律(刑法)
令(行政法・民法)
格(さらに付け加えたいとき)
式(実行に当たっての注意点。さらに細かいルール)

・州県制(隋・唐に確立)・・≒ 郡県制(秦)。皇帝が任命した役人が統治。
・東突厥(モンゴル高原)を征服(630)

・科挙(官吏登用)
・均田制、祖調庸制、府兵制
・雑徭(ぞうよう/ざつよう)・・地方官庁での力役(りきえき)。橋の修復など

〇中国皇帝のプライド?
周辺の異民族に対する中国の支配方法は。

3代・高宗(649~683)
・領土が最大に
・白村江の戦い(新羅を支援)
・西突厥を攻撃。分裂。

・羈縻(きび)政策(異民族統治)
各部族長に自治を与え、異民族の文化、宗教を容認。ただし反乱は許さない。
↓↓
「都護府」の設置。
官吏と軍隊が駐屯。異民族の自治を監督。


(3)唐の支配体制の動揺
〇中国史上唯一の女帝
■ 周(武周)
則天武后(位690~705)
3代・高宗の妻。子の代わりに即位した。
・科挙官僚の積極的登用。貴族勢力を抑圧。

〇女性の心を奪われた玄宗
★6代・玄宗(位712~756)
開元の治
・節度使の設置
周辺異民族にそなえて儲けられた軍の指揮官。国境を守ろうとした。

・募兵制の実施
均田農民の没落・逃亡を受けて金銭で兵を徴集。

しかし後半は・・
・楊貴妃を溺愛
政治の乱れ、豪奢(ごうしゃ)な宮廷費
↓↓
・安史の乱(755~763)
節度使の安禄山(ソグド系)、史思明の反乱。
(中央アジアのイラン系)
異民族ウイグルの支援を得て平定。
↓↓
均田制が崩壊。
羈縻政策の破綻。

〇財政の再建策が持つ「意義」
税制の改革。財政の再建をめざした。

★両税法の制定(780)
・夏・秋に分けて徴税
・土地の所有者が税を負担
各戸の資産に応じた銭納。耕作面積に基づく穀物納入。
↓↓
均田制の崩壊。
「もう土地は誰が持っていても、国は干渉しない。」

★黄巣の乱(875~884)
塩の密売商人。国の塩の専売に反発。

・荘園(貴族の土地)の荒廃
・地方の節度使(軍人)が自立化。(もう王朝のいうことを聞かない。)
↓↓
・藩鎮(節度使のレベルアップバージョン)・・節度使が軍事権、財政権、民政権の3種を掌握。

★唐の滅亡(907)
・節度使の朱全忠
唐を滅ぼして後梁を建国。


(4)唐の社会経済と周辺諸国との関係
〇国際色豊かな社会
外国商人、文化との接触
・ムスリム(イスラーム教徒)商人
ダウ船。ヨットのような大きな帆。海上貿易。

・ソグド人(イラン系)
内陸の交易

・阿倍仲麻呂(698~770頃)
玄宗に仕えた。日本に帰れず。

〇貿易都市や商業都市の成立
・長安・・唐の最盛期(8C初)人口100万人

・広州(広東省)
南海貿易の拠点。初めて市舶司(海上貿易を管理する官庁)が置かれた。

・揚州(ようしゅう)
長江北岸

・草子(そうし)(都市の城郭外に開設)
非公認の市。商人が集まった。
「粗末な市」の意味。唐末から発生。

〇冊封体制と羈縻政策

★冊封(さくほう)体制
・中国が周辺「諸国」と形式上の君臣関係を結んで形成された国際秩序。
・朝貢した首長に対し官爵を与え、その統治を承認する。

朝鮮、日本、東南アジアなどから。
・青海・チベット(唐の西方)・・吐蕃(とばん)(7~9C)
・雲南地方・・南詔(~902)
・東南アジア・・チャンパー、シュリーヴィジャヤ
・朝鮮・・新羅、渤海国

★羈縻(きび)政策
・周辺「異民族」に対して取った政策。遊牧民。
・唐の北方(モンゴル高原)など。
・各地の部族長に対して自治を認める間接統治。
・都護府を設置し周辺異民族を監督。


(5)唐の文化
〇国際色豊かな文化
・ポロ競技(西アジア起源)
(乗馬ホッケーのようなもの)

・唐三彩
唐代で作られて東アジアに広まる

★宗教
・仏教
浄土宗・・阿弥陀仏信仰。極楽浄土への往生。一般に広まった。
禅宗・・禅、瞑想、座禅など。知識人に。

・唐代三夷教
・ゾロアスター教(祆教)
・マニ教(摩尼教)・・ウイグルで国教化
・景教・・ネストリウス派キリスト教

・イスラーム教
回教、清真教

〇儒学の発達
唐の統治を支えた。

★訓詁学の確立。
訓詁学とは後漢に始まった経書の字句解釈。

・孔穎達(574~648)
『五経正義』・・五経の解釈を統一、固定化した。(古文単語帳のようなもの)
→科挙のテキストになった。暗記中心に。
VS
・韓愈(韓退之)
儒学の固定化に反発。儒学を昔に戻そう。儒学の復興を主張。仏教や道教を排撃。柳宗元と共に古文の復興もめざす。唐宋八大家の一人。

〇芸術分野の発達
★詩
・李白(701~762)
詩仙。自由奔放。

・杜甫(712~770)
詩聖。妻子と流浪の生活を送る。

・白楽天(白居易)(772~846)
「長恨歌」玄宗と楊貴妃の悲恋。

・王維(701~761)
「詩中に画あり、画中に詩あり」
自然をテーマに。山水画も描く。

★山水画
・呉道玄(8C)
人物、神仏

★書
・顔真卿(8C)
力強い書風。安史の乱を抑えた軍人でもある。

 


 

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【08】 中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝)

【08】中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝)(220~589)
後漢滅亡後、300年続く分裂時代に・・

(1)三国時代~西晋の統一
(2)北朝と南朝の対立
(3)魏晋南北朝の文化

3C 三国→西晋(洛陽)
4C (北)五胡十六国 ・(南)東晋(建康)
5C 南北朝時代・・(北)北魏(平城→洛陽)/(南)南朝(建康)


(1)三国時代~西晋の統一
〇3つの国に分裂
三国時代(220~)
■ 魏(220~265)
華北(中国の北)一帯

・曹操(216~220)
屯田制(土地制度)

・曹丕(文帝)(位220~226)←ここから魏
九品中正(官吏登用)
派遣された中正官が地方の人材を9等級に評定

→魏は司馬炎により西晋になる

■ 蜀(221~263)
・四川省
・劉備、諸葛亮孔明
✕←魏

■ 呉(222~280)
・江南地方
・孫権
✕←西晋

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇西晋の失敗

■ 西晋(晋)(280~316)30年
(都:洛陽)

・司馬炎(建国)
ー 魏から禅譲
ー 呉を征服し、中国統一(280)
ー 占田・課田法(土地制度)

司馬炎の死後・・

・八王の乱(290~306)
帝位継承の内乱。
(五胡(異民族)侵入の契機となる)

西晋は匈奴により滅亡(316)
↓↓
南北に分かれる
<北>

■ 五胡十六国(304~439)130年
(5つの異民族。16の国)
五胡・・匈奴、鮮卑、羯(けつ)、氐(てい)、羌(きょう)

<南>
西晋の一族が南へ逃げて建国。
↓↓

■ 東晋(317~420)100年
(都:建康(南京))

・司馬睿(しばえい)(建国)


(2)北朝と南朝の対立
〇華北を統一したのは中国人ではない
鮮卑が華北を統一

■ 北魏(439~534)
(都:平城)

・鮮卑の国家
・拓跋氏(拓跋一族)が建国(386)

3代・太武帝(たいぶてい)
・華北統一(439)
・柔然(モンゴル高原)との対立
・道教の国教化。寇謙之を重用。

6代・孝文帝(こうぶんてい)
・均田制(土地制度)・・国家が直接土地と人民を管理。隋・唐へ継承された。
・三長制(村落制度)
・漢化政策・・漢族(中国人)への同化政策。
・平城から→洛陽へ遷都

↓↓
北魏の分裂へ・・

北魏
↙   ↘
西魏  東魏
↓   ↓
北周  北斉(部下に王朝をのっとられる)

隋(また部下に王朝をのっとられる)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇中国人は南へ移動
中国文化が南へ伝わるきっかけ

東晋のあと→南朝に

■ 南朝(420~589)
(都:建康)
宋→斉→梁→陳

・江南の開発(長江以南)
貴族、農民が南に移動。

・門閥(もんばつ)貴族の台頭

「上品(じょうひん)に寒門(かんもん)なく、下品(かひん)に勢族(せいぞく)なし」
(上の位に貧しい人はいない。下の位に金持ちはいない。)

一度上の位になったらずっと上のまま。一族が独占⇒貴族


(3)魏晋南北朝の文化
〇戦乱の世だからこそ栄えたもの

・清談(せいだん)
竹林の七賢(ちくりんのしちけん)
(老荘思想に基づく哲学談論)
混乱の世で儒教への信頼が低下・・現実逃避。

・仏教
(仏教が栄えるのは中国史でここ魏晋南北朝だけ)
平等思想。混乱・下剋上の時代だから流行った。

4C頃 西域・亀茲(クチャ)の僧
・仏図澄(ぶっとちょう)・・仏教を布教
・鳩摩羅什(くまらじゅう)・・仏典の漢訳

仏教寺院・石窟寺院(せっくつじいん)
・莫高窟(ばっこうくつ)(敦煌)
・雲崗(平城・へいじょう)
・竜門(洛陽)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇芸術文化の発展
六朝時代(東晋・南朝)
皇帝が強かった漢とは違って自由な芸術・文化が生まれた。

★詩
・陶潜(陶淵明)『帰去来辞(ききょらいのじ)』田園(東晋)六朝第一の詩人
・謝霊運・・山水の美しさ

・昭明太子(しょうめいたいし)『文選(もんぜん)』
梁の王子
四六駢儷体(しろくべんれいたい)・・対句・韻を踏む

★絵画・書道
・顧愷之『女史箴図』
・王羲之『蘭亭序』・・美しい書体

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇歴史学と実学

★歴史学
・『魏志』倭人伝
邪馬台国・卑弥呼「親魏倭王」

※混乱しているので歴史がまとめられない。

★実学
・『水経注(すいけいちゅう)』・・地理書

・『斉民要術(せいみんようじゅつ)』・・中国最古の農学書

・『傷寒論(しょうかんろん)』・・医学書

※北魏は中国を支配するのに当たって地理などを正確に知りたいから

 


 

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【07】中国古典文明(秦・漢)

【07】中国古典文明
(1)古代文明と初期王朝
(2)春秋戦国時代
(3)秦の統一
(4)前漢の時代
(5)後漢の時代と漢代の文化
西周(鎬京)→東周(洛邑)→秦(咸陽)→前漢(長安)→新(長安)→後漢(洛陽)
(場所)鎬京=咸陽=長安
洛邑=洛陽


(1)古代文明と初期王朝
〇 2つの文明
1★黄河文明
(前半)
■ 仰韶(ぎょうしょう)文化(B5000~B3000)(黃河中流)
・アワ・キビ
・彩文土器(彩陶)

(後半)
■ 竜山文化(B2500~B2000)(黃河下流)
・黒陶(薄手)、灰陶(厚手)

竜山文化の後半頃に・・
↓↓
邑(ゆう)の形成
集落が生まれた。

2★長江文明
■ 河姆渡(かぼと)遺跡(B5000~B3000)
・稲作

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇集落の集合体
■ 夏(伝説上)
■ 殷(B16C~B11C)
・殷墟(青銅器)
・邑の商(リーダー)を盟主とした連合国家
・神権政治(甲骨文字⇒漢字に)

・易姓革命・・王朝が変わること。
易(変わる)姓(名字)

禅譲(ぜんじょう)平和的に
放伐(ほうばつ)武力で強引に

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇周(西周)(B11C~B770)
(都:鎬京・こうけい)(後の長安・西安)
・渭水(いすい)(黃河から少し出た所)流域に建国
・封建制度・・血縁関係を重視。王一族に封土を与え諸侯とする。
・宗法(規則)。父方の一族(宗族)を重視。
・異民族の侵入で東の洛邑へ移動(B770・ここから東周となる)


(2)春秋戦国時代
〇「王を助けよう」から「王を倒せ」へ
■ 東周(B770~B256)
(都:洛邑・らくゆう)

■ 春秋時代(B770~B403)
覇者(斉(せい)の桓公、晋の文公)
尊王攘夷(王を助けよう)

■ 戦国時代(B403~B221)
晋⇒韓、魏、趙の3つに分裂。下剋上始まる。(王を倒せ)(B403)
戦国の七雄
韓、魏、趙、秦、楚、斉、燕

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇春秋戦国時代の社会変化
富国強兵
・牛耕、鉄製農具
・余剰生産物⇒青銅貨幣の登場
ー 刀銭(燕・斉)
ー 布銭(韓、魏、趙)(農具)
ー 円銭・環銭(秦)
ー 蟻鼻銭(楚)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇諸子百家
■ 儒家(じゅか)・・仁(愛)と礼(敬意)
孔子『論語』(B551~B479)
孟子(B372~B289)・・性善説
荀子(B298~B235)・・性悪説

■ 墨家(ぼっか)
墨子(ぼくし)・・無差別の愛、非政

■ 道家(どうか)
道(どう/タオ)(人が人として守る教え)を追求。無為自然。なすがままがよい。
老子
荘子(B4C)

■ 法家(ほうか)
韓非(荀子の弟子)(~B233)


(3)秦の統一
〇秦はなぜ強くなったのか
秦(都:咸陽)
孝公(B4C)
商鞅(宰相)
変法の実施
中央集権化→富国強兵に成功。

秦王・政(せい)→始皇帝(B221~B210)
王ではなく皇帝を初めて使用。自らを神格化。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇秦の始皇帝は厳しすぎ
・郡県制(地方統治)
皇帝が任命した役人を送り込む

・焚書・坑儒
思想・言論の統制。儒家の禁止。

・貨幣の統一
半両銭

・度量衡の統一
面積、長さ、重さ、体積

・兵馬俑
等身大の人形の副葬品

・万里の長城の修築
匈奴対策(モンゴル高原)

・ベトナム遠征
南海郡を設置
ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇不満が爆発

始皇帝の死後・・

・陳勝・呉広の乱(B209)
中国史上初の農民反乱
「王侯将相いずくんぞ種あらんや」
(王や軍人や庶民、天下を取るのに身分は関係ない)

・秦の滅亡(B206)
項羽(楚)✕ VS 〇劉邦(農民)


(4)前漢の時代

〇前漢の統治の工夫
前漢(都:長安)
劉邦(高祖)(位B202~B195)
「祖」の字が入ると建国者

・郡国制(地方統治)ミックス型
直轄地・・郡県制(中央から役人を派遣)
それ以外・・封建制(一族に統治を任せる)

・匈奴の冒頓単于に敗北
(単于は君主を意味する)

高祖の死後、諸侯が力を持つ

景帝(6代)
・呉楚七国の乱(B154)
諸侯の反乱→鎮圧

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇武帝の国内政治
武帝(7代)(B141~B87)(景帝の子)

・郡県制に戻す→中央集権化
役人の数が必要になる。

・郷挙里選(官吏登用)
役人を雇う。地方にいる優秀な人材を、地方長官が中央に推薦。⇒実際には豪族の官職独占へとつながってしまった。

・儒学の官学化(官僚の学問にする)
董仲舒が献策。五経博士(儒学研究の専門機関)を設置。皇帝に対して従順な人材を育成。

・塩・鉄・酒の専売

・均輸と平準
物価の調整と安定

・貨幣
五銖銭(ごしゅせん)→隋の時代まで使用された。重さが5銖。
Wiki

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇武帝の対外遠征

・漢の最大領土を形成。

・張騫を大月氏(だいげっし)に派遣(B139)13年間
匈奴を挟撃するため
(バルハシ湖、天山山脈のあたりまで)
↓↓
大月氏は同盟拒否。帰国。
↓↓
武帝は西地域の情報を評価。
貿易ルートの発見。後のシルクロードになる

・匈奴討伐(B129)
東西交易路を抑える。西域へ進出

・南越の征服(B111)
(越=ベトナム)
日南郡を設置。

・衛氏朝鮮の征服(B108)
建国者:衛満(えいまん)
朝鮮4郡の設置。楽浪郡他(現ピョンヤン)。

・汗血馬の獲得
1日千km走ると言われた。大宛(フェルガナ)


(5)後漢の時代と漢代の文化

〇豪族と宦官の台頭
前漢の財政難。
武帝の死後、前漢が衰退・・。

豪族(地方の実力者)、宦官(後宮に仕えた)、外戚(妻の親戚)の台頭。

■ 新(8~23)
(都:長安)
王莽
皇帝の妻の一族
復古主義。周を目指す。(千年前の政治)

・赤眉の乱(18~27)
新の滅亡。赤は「漢」のシンボルカラー。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇後漢の不思議
200年も長く続いた理由→西方との交易で繁栄

後漢(25~220)
(都:洛陽)

・劉秀(光武帝)(位25~57)
豪族の力を借りて外戚を排除。(皇帝の力は弱い)

・東西交易。インド(クシャーナ朝)、ローマ帝国、イラン(パルティア・安息)

・「漢委奴国王」
倭人(日本)との交流。金印を授けた。

■ 班超・西域都護(せいいきとご)へ就任(91)

・(匈奴との戦で)「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
(後任へのアドバイスに)「水清ければ魚すまず」

・班固(「漢書」)の弟。

・部下の甘英は大秦(だいしん/たいしん)(ローマ帝国)へ派遣された。シリア、地中海までたどり着くも、その先は行けず、戻る。

・大秦王安敦(たいしんおうあんとん)(マルクス=アウレリウス=アントニヌス)の使者が日南郡へ来訪。(166)

後漢に陰りが・・

・党錮の禁(166、169)
宦官が官僚を処刑

・黄巾の乱(184)
太平道の張角。農民反乱。
→豪族が鎮圧するも、後漢は滅亡。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇前漢・後漢の文化
中国文化の礎はこの時代にあり

・儒学の発展
五経(儒学の経典)
『易経』『書経』『詩経』『春秋』『礼記』

・訓詁学(後漢)
大成者:鄭玄(じょうげん)
五経の字句解釈。

・製紙法の改良
蔡倫(~121頃)
木簡、竹簡→紙へ

・歴史書

● 司馬遷『史記』(B145~B86)
・古代から前漢武帝まで
・紀伝体。皇帝や英雄など人物にスポットを当てた。

● 班固『漢書』(32~92)
・前漢の歴史書
・紀伝体。
・班超(西域都護)の兄。


 

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【33】帝国主義と東アジア(中国・朝鮮)

世界史【33】帝国主義と東アジア
・義和団事件1900⇒8カ国共同出兵⇒北京議定書1901
・日露戦争1904⇒ポーツマス条約1905
33ー1中国分割と近代化運動の行方
33ー2中国をめぐる日本とロシアの対立
33ー3朝鮮の行く末と清末の改革
33ー4辛亥革命


33ー1 中国分割と近代化運動の行方
①日清戦争後
・中国分割

借款(しゃっかん)=借金
賠償金を払うために欧から借りる。担保として鉄道施設権や鉱山採掘権を奪われる。

租借(そしゃく)・・他国の領土の一部を条約によって借りること(事実上の領土割譲)

米は米西戦争で中国に構ってるひまがなかった。

門戸開放宣言
米・国務長官ジョン・ヘイ

<租借地>
膠州湾(こうしゅうわん)
遼東(りょうとう)半島南部。旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)
威海衛(いかいえい)、九竜半島(クーロン/きゅうりゅう)
広州湾(こうしゅうわん)
遼東半島南部(旅順・大連)
(※日露戦争で日本に移る)
<勢力圏> 鉄道施設権
山東省(さんとうしょう)
満州・モンゴル 東清鉄道
長江流域
広東・広西・雲南省
福建省 南満州鉄道

 

②中国の近代化

日清戦争に負けた中国はショック。
↓↓
近代化運動へ

光緒帝(こうしょてい)。
康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう) など公羊 (くよう) 学派の官僚らが日本の明治維新を模範にする。

憲法を立てて、皇帝を立てる=立憲君主制をめざした。

戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)
立憲君主制をめざし憲法制定に動いたが・・
↑↑(弾圧)
戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)(1898)
西太后(せいたいこう)など保守派が改革を弾圧。改革は失敗に終わる。光緒帝は幽閉状態へ。

 


33ー2 中国をめぐる日本とロシアの対立

①外国は出ていけ。義和団事件。

・仇教運動(きゅうきょううんどう)
反キリスト教運動

義和団事件(白蓮教系の宗教結社)(北清事変)(1900)
排外主義「扶清滅洋(ふしんめつよう)」清を助けて欧を追い出す

ドイツ人宣教師✕⇒ドイツの山東進出
↓↓
清は「こいつら使える・・」と、この義和団を使って欧を追い出そうとした。
↓↓
義和団が北京占領。独、日公使を襲う。
清「欧米日かかってこいやー。」西欧列強に宣戦布告。(西太后)
↓↓
八カ国共同出兵
英仏独米露日伊墺
↓↓
清・義和団敗れる。北京が占領される。
↓↓
北京議定書(1901)
・巨額の賠償金。
・北京駐兵権。(軍事占領)⇒半植民地化

②日本とロシアの狙った場所が同じ。

ロシアは満州から軍をひかない。朝鮮半島まで狙ってる・・?

日とロシアが満州・大韓帝国(だいかんていこく)の取り合い。
↓↓
日露戦争(1904)
日本の攻撃で始まる。

日本海海戦で日が勝つ。
バルチック艦隊を破る。

・第1次ロシア革命

日もお金が厳しい、ロシアも革命でやめたい。
↓↓
米・セオドア・ローズヴェルト大統領が仲介。
↓↓
ポーツマス条約(1905)(米)
ロシアは満州・朝鮮から撤退⇒大韓帝国の指導・監督権を日本が得る。
遼東半島南部の租借権をロシアから日本に渡す。(⇒関東州と呼ぶようになる。)
(※遼東半島は日清戦争でいったん日本が取得したものの三国干渉で返さざるを得なかったところ)
・遼東半島に接続する南満州鉄道の敷設権(ふせつけん)利権を日本が得る。
・南樺太を日本に渡す。

 


33ー3 朝鮮の行く末と清末の改革
日清戦争後「朝鮮」は「大韓帝国」と改称。自主独立国家となった。清からの自立。

①日露戦争後の日本の朝鮮支配
・日韓協約(1904~07)
(第1次は日露戦争のさなか。)

第2次日韓協約(1905)
韓国の保護国化。⇒外交権を朝鮮から奪う。
初代統監。伊藤博文(いとうひろぶみ)。
反日義兵闘争の激化。

・ハーグ密使事件(1907)
高宗が第2回万国平和会議オランダに密使を派遣。⇒失敗

・第3次日韓協約(1907)
韓国は内政権を喪失。

・伊藤博文ハルビン駅で暗殺(1909)
安重根(あんじゅうこん)。
(韓国の切手にもなっている。)

・韓国併合(1910)
韓国という国は消え、日本領土に組み込まれた。
朝鮮総督府が設置。(天皇直属機関)
軍事・行政を統括していく。

ーーーーー
②清朝最後のあがき
本音と建て前は。

清末の改革。
・「光緒新政」(こうしょしんせい)・・国内改革
(光緒帝は捕らえられている)
・新軍の整備。(西洋式軍隊)
・科挙の廃止
・北京大学創設(官僚育成)

・「憲法大綱(たいこう)」の発布。
日本の明治憲法を模範。(強力な君主権)
・国会開設公約

「建前は国内改革と言ってるが本音は皇帝や貴族のためでは・・?日本をモデルにすると皇帝の力が強いままになるのではないか。。」
↓↓
「それならもう満州人を追い出して、皇帝も追い出して、自分たち民衆のための漢民族の国を作りたい。」
↓↓
革命派の台頭
留学生が中心。
華僑が資金を出す。

革命派のリーダー
孫文
「興中会」の結成。
他の革命団体も一緒に団結しよう。
「中国同盟会」の結成(1905)東京で。
機関誌『民法』
三民主義
・民族の独立(漢民族の独立)
・民権の伸長(一般民衆の権利を認めよう)
・民生の安定(人々の生活の安定)


33ー4 辛亥革命
①2000年の皇帝政治の終焉。
辛亥革命(1911~12)
きっかけ:清が「幹線鉄道の国有化」を宣言。
これを担保に外国からお金を借りようとした。そんなことをしたらさらに中国の植民地化が進む・・。
↓↓
四川暴動
↓↓
清は軍隊を派遣したが、その軍が清を裏切った。
↓↓
武昌蜂起(1911)
湖北省・湖北新軍の革命派が武装蜂起。色んな省でも独立を宣言。
これらが合体。
↓↓
・中華民国建国(1912)
臨時大総統:孫文
都:南京

清はまだ北に残ってる。
・清の大臣、袁世凱(えんせいがい)が清を裏切る。
・孫文と取引を行い清を滅ぼした。
・「その代わり私を中華民国のリーダーにしてください」⇒孫文は受け入れる。
宣統帝(溥儀)が退位。(ラストエンペラー)

②中華民国の苦悩。
中華民国。臨時大総統:袁世凱が就任(1912)
首都。南京⇒北京へ移す。民衆のためではなく独裁色を強める。
↓↓
袁世凱の暴走を防ぐべく国民党の結成。
孫文・中国同盟会が中心。
↓↓
・第二革命(1913)
〇袁世凱の独裁  VS  ✕国民党(→解散させられた)
正式な大総統に就任。袁世凱は皇帝になろうとした。
↓↓
・第三革命(1915)
✕袁世凱帝政  VS  〇国内軍部(袁世凱の元部下)、革命派、日本、欧。
袁世凱の部下の軍部も裏切る。
↓↓
帝政取り消し。袁世凱病死。その後も民主政治にはならず軍部が力を握る。
軍閥(軍事政権)の割拠。
北京政府の実権をめぐって争う。


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【29】中国と朝鮮の植民地化

トライイット高校世界史B【29】/47 中国と朝鮮の植民地化


【清】
・アヘン戦争(1840)⇒南京条約(1842)
・アロー戦争(1856)⇒天津・北京条約(1860)
↓↓重税
・太平天国の乱(1851~64)洪秀全「滅満興漢」
・洋務運動(1860~90)「中体西用」
【朝鮮】
・江華島事件(1875)⇒日朝修好条規(1876)
・壬午軍乱(1882)⇒閔氏が日から清に傾く。
・甲申政変(1884)開化派(親日)クーデター⇒清に制圧される。
・甲午農民戦争(東学党の乱)(1894)⇒日清戦争(1894)⇒下関条約(1895)⇒三国干渉(1895)


29-ガイダンス
18C後~19C
<中国>
・英が産業革命⇒市場を求めて中国(広い領土・多い人口)に進出。当時、中国は銀であふれて世界一お金持ち。

・英は中を武力で開国⇒アヘン戦争・アロー戦争⇒賠償金から農民への重税へ。

・ロシアの南下⇒洋務運動(国内改革)。

<朝鮮>
・日本が朝鮮進出。朝鮮が弟。兄貴分の中国と対立。


29-1  アジア三角貿易とアヘン戦争
18C。清の4康熙帝、5雍正帝、6乾隆帝の全盛期は過ぎていた。

中国の状況
・白蓮教徒の乱(暴動)(1796~1804)
・貿易港は広州1港に限定。
・公行(こうこう)=貿易独占の特許商人組合。

英と清(中国)は貿易関係。
(片貿易)・・物と銀の交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒清 銀
「英の銀がなくなる・・そうだ!」
 ↓↓
(アジア三角貿易)・・物々交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒印 綿製品
・印⇒清 アヘン(お茶代をアヘンで支払う)⇒中毒⇒需要増大⇒アヘン密輸。支払いは銀で⇒清から銀が流出⇒英銀の回収成功。

 

東インド会社の中国貿易独占権廃止⇒民間貿易会社も中国へ行けるようになる。⇒アヘンを売りにいく。

英から使節(英が自由貿易を求める⇒✕)
・マカートニー・・乾隆帝に謁見
・アマースト・・謁見できず⇒力づくでやるしかない
 ↓↓
林則徐(りんそくじょ)
・アヘンの没収と焼却など
 ↓↓
英は「待ってました・・!」これを口実に戦争をしかける。
アヘン戦争(1840~1842)
清が圧倒的に敗北
 ↓↓
南京条約
(1842)
・1港(広州)⇒5港に。+上海、厦門(あもい)、福州、寧波(にんぽう)。中国の南側
・公行廃止
・英に香港を割譲
・賠償金の支払い⇒民衆に重税

・租界の設置。外国人居留地。初めて上海に設置。

<不平等条約>
・治外法権の承認
・関税自主権の喪失=安い英製品をそのままの値段で売らなければいけない。
・他国とも不平等条約。
対英 虎門寨追加条約 こもんさい
対米 望厦条約 ぼうか
対仏 黄埔条約 こうほ


29-2.アロー戦争

「戦争に勝ったけど貿易でもうからないな。港の数増やす?」

アロー号事件(1856)
アロー号は英の国旗を掲げていた。英を侮辱している!という口実。英は仏・ナポレオン3世を誘って戦争をしかける。
↓↓
アロー戦争(1856~1860)
↓↓
天津条約
清が発砲してしまう。戦争再開。
↓↓
英・仏軍が北京占領。皇帝の離宮・円明園(えんめいえん)を破壊。(伊カスティリオーネが設計。ヴェルサイユ宮殿を手本)
↓↓
北京条約(1860)
・外国公使の北京駐在(大使館)⇒総理各国事務衙門(がもん)(=外務省)の設置。
・キリスト教布教の自由。
・南京を含む10港の開港。+天津。
・英に九龍半島南部を割譲
・賠償金⇒重税へ

 

アヘン(1840)アロー(1856)戦争による農民への重税
↓↓
太平天国の乱
(1851~1864)
洪秀全。「滅満興漢(めつまんこうかん)」

・「天国を樹立する。清(満州人)は滅びるべきだ。」キリスト教の影響。拝上帝会(キリスト教の結社)。太平天国の建国。南京を占領⇒天京(てんけい)。

・天朝田畝制度(てんちょうでんぽ)。土地を均等に配分。地主廃止。
・男女平等、纏足(てんそく)・辮髪(べんぱつ)廃止
↓↓
地主が反対。義勇軍・郷勇(きょうゆう)を作る。
・湘軍(しょうぐん)・曾国藩(そうこくはん)
・淮軍(わいぐん)・李鴻章(りこうしょう)

常勝軍・・ウォード(米)、ゴードン(英)
↓↓
太平天国の乱は鎮圧される。

ロシア「ふーん、中国今弱ってるな~・・」


29-3. ロシアの極東南下・中国洋務運動。
★ロシアの極東南下
4つの条約
①アイグン(愛琿)条約(1858)露と清
ロシア・東シベリア総督:ムラヴィヨフ
黒竜江(こくりゅうこう)(=アムール川)以北をロシアとする。
海岸線まであと少し。

②北京条約(アロー戦争の調停をした代償)(1860)露と清
沿海州(えんかいしゅう)の獲得。(ついに海岸線にたどり着いた!)(ウスリー江以東を獲得。要塞ウラジヴォストーク港を建設)

③樺太・千島交換条約(1875)露と日
(対日)ロシアは樺太全島を獲得。沿海州の真向かい。千島を日本にあげる。

④イリ条約(1881)露と清
中央アジア方面に降りるときに。東トルキスタンの一部。保険をかけていた。

ーーーーーーー

★中国・洋務運動(改革)(1860~1890)

中国「ロシアめ・・。このまま黙ってるわけにはいかない・・」

同治帝(摂政は母の西太后)時代
「中体西用(ちゅうたいせいよう)」
国の制(=皇帝独裁)維持にあたり、西洋の軍事・産業技術(だけ)をいる。

曾国藩・李鴻章(太平天国の乱を鎮圧した2人)
欧風な町並みに。。しかし・・清仏戦争、日清戦争のどちらも清が負ける。⇒富国強兵にはなってなかった。


29-4. 日本、朝鮮へ

★朝鮮開国と閔氏(びんし)の心変わり

19C後半。国王・高宗(こうそう)←力がない。
后:閔妃(びんひ)。奥さんの一族:閔氏(びんし)。

高宗の父・大院君(たいいんくん)が力を持っていた。⇒閔氏は面白くない。日本と組んで大院君を失脚させた。⇒日本はそれをきっかけに朝鮮進出。
↓↓
江華島事件
(1875)
日本の船が砲撃を受けた。朝鮮に開国を迫る。
↓↓
日朝修好条規
(1876)
・朝鮮・自主独立。
・3港の開港。(釜山・元山・仁川)
・日本の領事裁判権を承認

「閔氏独裁になってから日本が来るようになった・・。前の大院君の方がよかった。閔氏ひっこめ」
↓↓
壬午軍乱(じんごぐんらん)(1882)
大院君軍による閔氏への反乱。日・清が鎮圧。

清:大院君をつかまえる。閔氏を支援。
日:閔氏・朝鮮側へ多くの要求。
↓↓
閔氏は日本と手を切って清に傾く・・。

朝鮮は真っ二つに
事大党(親清)閔氏
VS
開化派(親日)留学生・金玉均(きんぎょくきん)近代化目指す。
↓↓
甲申政変
(こうしんせいへん)(1884)
開化派のクーデター。日本の武力を借りて武装蜂起。閔氏を追放。
清に鎮圧される。
↓↓
朝鮮をめぐって日本と清がバチバチに・・。

ーーーーー

★朝鮮国内の動乱と日清戦争

・西学。キリスト教。
・東学。儒・仏・道教。創始者・崔済愚(さいせいぐ)
⇒東学の信者はアジア以外、外国を嫌うように。。

甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)(1894)=東学党の乱
朝鮮南部。全琫準(ぜんほうじゅん)の暴動。清に助けを求める。清が出兵。日本も出兵。
↓↓
日清戦争(1894~95)日〇 VS ✕清
↓↓
下関条約
・朝鮮独立(清はもう関係ない=清は宗主権放棄)
・日本は清から台湾、澎湖(ほうこ)諸島、遼東半島を獲得。
・開港場での企業の設立
↓↓
三国干渉(1895)
ロシア「おい日本。朝鮮通って何中国に来ようとしてんだ・・。その遼東半島はオレが狙ってるんだよ。」
ロシア・独・仏がクレーム。遼東半島は清に返還。

閔妃はロシアに接近。⇒日本は閔妃を殺害(1895)⇒朝鮮をめぐって日本とロシアとの関係悪化・・。

 


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項羽VS劉邦。劉邦⇒前漢を建国。

240521
中国史


秦⇒前漢⇒新⇒後漢

秦の始皇帝亡きあと・・項羽と劉邦が台頭。

楚のエリート項羽 VS 農民出身の劉邦

鴻門の会(こうもんのかい)
劉邦がやられそうになったが逃げる。

劉邦側に、韓信(かんしん)。
「国士無双」の語源になった天下一の強い人。
「背水の陣」(追い詰められたらパワー出る)を初めにやった人でもある。

 

垓下(がいか)の戦い。
四面楚歌。虞美人草(ひなげし)

項羽破れる。劉邦(高祖)が勝つ⇒前漢を建国。

郡国制から郡県制へ。


前漢7代 武帝(ぶてい)⇒領土が最大に

シルクロードなど。


王莽が新を建国。15年で終わる。


劉秀(光武帝)が後漢を建国。

「漢委奴国王印」


 

参考:『小学生でも分かる世界史』

 

 

 

四書五経(ししょごきょう)

ししょごきょう【四書五経】

儒教で重要な経典として尊重された書物。儒学の中心は、始めは五経だったが、宋代の朱子学が四書を基本においた。

・四書
『大学(だいがく)』
『論語(ろんご)』
『孟子(もうし)』
『中庸(ちゅうよう)』

・五経(ごきょう)
『易経(えききょう)』
『詩経(しきょう)』孔子
『書経(しょきょう)』孔子
『礼記(らいき)』
『春秋(しゅんじゅう)』孔子。魯の歴史。

・四書
『大学(だいがく)』・・もと『礼記』の中の一編。修身から天下を治めるまでの根本原則。

『中庸(ちゅうよう)』・・もと『礼記』の中の一編。天と人とを結ぶ原理を説いた哲学書。

『論語(ろんご)』・・春秋時代の孔子と弟子たちの言行録。儒家の中心となる経典。

『孟子(もうし)』・・戦国時代の孟子の言行を弟子たちが編纂。性善説を説く思想書。

・五経(ごきょう)
『易経(えききょう)』・・占いの書。陰と陽で自然と人生の法則を説く。

『書経(しょきょう)』・・嶤(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)から周までの王者の言行の記録。

『詩経(しきょう)』・・中国最古の詩集。西周から春秋時代の歌謡。

『礼記(らいき)』・・礼についての解説と理論の書。唐代に五経に加わる。

『春秋(しゅんじゅう)』・・春秋時代の魯国の年代記。編年体での記録。

引用。学研キッズネット

タペストリー。