中国 – ページ 2 – 歴史note

【08】 中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝)

【08】中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝)(220~589)
後漢滅亡後、300年続く分裂時代に・・

(1)三国時代~西晋の統一
(2)北朝と南朝の対立
(3)魏晋南北朝の文化

3C 三国→西晋(洛陽)
4C (北)五胡十六国 ・(南)東晋(建康)
5C 南北朝時代・・(北)北魏(平城→洛陽)/(南)南朝(建康)


(1)三国時代~西晋の統一
〇3つの国に分裂
三国時代(220~)
■ 魏(220~265)
華北(中国の北)一帯

・曹操(216~220)
屯田制(土地制度)

・曹丕(文帝)(位220~226)←ここから魏
九品中正(官吏登用)
派遣された中正官が地方の人材を9等級に評定

→魏は司馬炎により西晋になる

■ 蜀(221~263)
・四川省
・劉備、諸葛亮孔明
✕←魏

■ 呉(222~280)
・江南地方
・孫権
✕←西晋

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〇西晋の失敗

■ 西晋(晋)(280~316)30年
(都:洛陽)

・司馬炎(建国)
ー 魏から禅譲
ー 呉を征服し、中国統一(280)
ー 占田・課田法(土地制度)

司馬炎の死後・・

・八王の乱(290~306)
帝位継承の内乱。
(五胡(異民族)侵入の契機となる)

西晋は匈奴により滅亡(316)
↓↓
南北に分かれる
<北>

■ 五胡十六国(304~439)130年
(5つの異民族。16の国)
五胡・・匈奴、鮮卑、羯(けつ)、氐(てい)、羌(きょう)

<南>
西晋の一族が南へ逃げて建国。
↓↓

■ 東晋(317~420)100年
(都:建康(南京))

・司馬睿(しばえい)(建国)


(2)北朝と南朝の対立
〇華北を統一したのは中国人ではない
鮮卑が華北を統一

■ 北魏(439~534)
(都:平城)

・鮮卑の国家
・拓跋氏(拓跋一族)が建国(386)

3代・太武帝(たいぶてい)
・華北統一(439)
・柔然(モンゴル高原)との対立
・道教の国教化。寇謙之を重用。

6代・孝文帝(こうぶんてい)
・均田制(土地制度)・・国家が直接土地と人民を管理。隋・唐へ継承された。
・三長制(村落制度)
・漢化政策・・漢族(中国人)への同化政策。
・平城から→洛陽へ遷都

↓↓
北魏の分裂へ・・

北魏
↙   ↘
西魏  東魏
↓   ↓
北周  北斉(部下に王朝をのっとられる)

隋(また部下に王朝をのっとられる)

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〇中国人は南へ移動
中国文化が南へ伝わるきっかけ

東晋のあと→南朝に

■ 南朝(420~589)
(都:建康)
宋→斉→梁→陳

・江南の開発(長江以南)
貴族、農民が南に移動。

・門閥(もんばつ)貴族の台頭

「上品(じょうひん)に寒門(かんもん)なく、下品(かひん)に勢族(せいぞく)なし」
(上の位に貧しい人はいない。下の位に金持ちはいない。)

一度上の位になったらずっと上のまま。一族が独占⇒貴族


(3)魏晋南北朝の文化
〇戦乱の世だからこそ栄えたもの

・清談(せいだん)
竹林の七賢(ちくりんのしちけん)
(老荘思想に基づく哲学談論)
混乱の世で儒教への信頼が低下・・現実逃避。

・仏教
(仏教が栄えるのは中国史でここ魏晋南北朝だけ)
平等思想。混乱・下剋上の時代だから流行った。

4C頃 西域・亀茲(クチャ)の僧
・仏図澄(ぶっとちょう)・・仏教を布教
・鳩摩羅什(くまらじゅう)・・仏典の漢訳

仏教寺院・石窟寺院(せっくつじいん)
・莫高窟(ばっこうくつ)(敦煌)
・雲崗(平城・へいじょう)
・竜門(洛陽)

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〇芸術文化の発展
六朝時代(東晋・南朝)
皇帝が強かった漢とは違って自由な芸術・文化が生まれた。

★詩
・陶潜(陶淵明)『帰去来辞(ききょらいのじ)』田園(東晋)六朝第一の詩人
・謝霊運・・山水の美しさ

・昭明太子(しょうめいたいし)『文選(もんぜん)』
梁の王子
四六駢儷体(しろくべんれいたい)・・対句・韻を踏む

★絵画・書道
・顧愷之『女史箴図』
・王羲之『蘭亭序』・・美しい書体

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〇歴史学と実学

★歴史学
・『魏志』倭人伝
邪馬台国・卑弥呼「親魏倭王」

※混乱しているので歴史がまとめられない。

★実学
・『水経注(すいけいちゅう)』・・地理書

・『斉民要術(せいみんようじゅつ)』・・中国最古の農学書

・『傷寒論(しょうかんろん)』・・医学書

※北魏は中国を支配するのに当たって地理などを正確に知りたいから

 


 

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【07】中国古典文明(秦・漢)

【07】中国古典文明
(1)古代文明と初期王朝
(2)春秋戦国時代
(3)秦の統一
(4)前漢の時代
(5)後漢の時代と漢代の文化
西周(鎬京)→東周(洛邑)→秦(咸陽)→前漢(長安)→新(長安)→後漢(洛陽)
(場所)鎬京=咸陽=長安
洛邑=洛陽


(1)古代文明と初期王朝
〇 2つの文明
1★黄河文明
(前半)
■ 仰韶(ぎょうしょう)文化(B5000~B3000)(黃河中流)
・アワ・キビ
・彩文土器(彩陶)

(後半)
■ 竜山文化(B2500~B2000)(黃河下流)
・黒陶(薄手)、灰陶(厚手)

竜山文化の後半頃に・・
↓↓
邑(ゆう)の形成
集落が生まれた。

2★長江文明
■ 河姆渡(かぼと)遺跡(B5000~B3000)
・稲作

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇集落の集合体
■ 夏(伝説上)
■ 殷(B16C~B11C)
・殷墟(青銅器)
・邑の商(リーダー)を盟主とした連合国家
・神権政治(甲骨文字⇒漢字に)

・易姓革命・・王朝が変わること。
易(変わる)姓(名字)

禅譲(ぜんじょう)平和的に
放伐(ほうばつ)武力で強引に

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〇周(西周)(B11C~B770)
(都:鎬京・こうけい)(後の長安・西安)
・渭水(いすい)(黃河から少し出た所)流域に建国
・封建制度・・血縁関係を重視。王一族に封土を与え諸侯とする。
・宗法(規則)。父方の一族(宗族)を重視。
・異民族の侵入で東の洛邑へ移動(B770・ここから東周となる)


(2)春秋戦国時代
〇「王を助けよう」から「王を倒せ」へ
■ 東周(B770~B256)
(都:洛邑・らくゆう)

■ 春秋時代(B770~B403)
覇者(斉(せい)の桓公、晋の文公)
尊王攘夷(王を助けよう)

■ 戦国時代(B403~B221)
晋⇒韓、魏、趙の3つに分裂。下剋上始まる。(王を倒せ)(B403)
戦国の七雄
韓、魏、趙、秦、楚、斉、燕

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〇春秋戦国時代の社会変化
富国強兵
・牛耕、鉄製農具
・余剰生産物⇒青銅貨幣の登場
ー 刀銭(燕・斉)
ー 布銭(韓、魏、趙)(農具)
ー 円銭・環銭(秦)
ー 蟻鼻銭(楚)
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〇諸子百家
■ 儒家(じゅか)・・仁(愛)と礼(敬意)
孔子『論語』(B551~B479)
孟子(B372~B289)・・性善説
荀子(B298~B235)・・性悪説

■ 墨家(ぼっか)
墨子(ぼくし)・・無差別の愛、非政

■ 道家(どうか)
道(どう/タオ)(人が人として守る教え)を追求。無為自然。なすがままがよい。
老子
荘子(B4C)

■ 法家(ほうか)
韓非(荀子の弟子)(~B233)


(3)秦の統一
〇秦はなぜ強くなったのか
秦(都:咸陽)
孝公(B4C)
商鞅(宰相)
変法の実施
中央集権化→富国強兵に成功。

秦王・政(せい)→始皇帝(B221~B210)
王ではなく皇帝を初めて使用。自らを神格化。

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〇秦の始皇帝は厳しすぎ
・郡県制(地方統治)
皇帝が任命した役人を送り込む

・焚書・坑儒
思想・言論の統制。儒家の禁止。

・貨幣の統一
半両銭

・度量衡の統一
面積、長さ、重さ、体積

・兵馬俑
等身大の人形の副葬品

・万里の長城の修築
匈奴対策(モンゴル高原)

・ベトナム遠征
南海郡を設置
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〇不満が爆発

始皇帝の死後・・

・陳勝・呉広の乱(B209)
中国史上初の農民反乱
「王侯将相いずくんぞ種あらんや」
(王や軍人や庶民、天下を取るのに身分は関係ない)

・秦の滅亡(B206)
項羽(楚)✕ VS 〇劉邦(農民)


(4)前漢の時代

〇前漢の統治の工夫
前漢(都:長安)
劉邦(高祖)(位B202~B195)
「祖」の字が入ると建国者

・郡国制(地方統治)ミックス型
直轄地・・郡県制(中央から役人を派遣)
それ以外・・封建制(一族に統治を任せる)

・匈奴の冒頓単于に敗北
(単于は君主を意味する)

高祖の死後、諸侯が力を持つ

景帝(6代)
・呉楚七国の乱(B154)
諸侯の反乱→鎮圧

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〇武帝の国内政治
武帝(7代)(B141~B87)(景帝の子)

・郡県制に戻す→中央集権化
役人の数が必要になる。

・郷挙里選(官吏登用)
役人を雇う。地方にいる優秀な人材を、地方長官が中央に推薦。⇒実際には豪族の官職独占へとつながってしまった。

・儒学の官学化(官僚の学問にする)
董仲舒が献策。五経博士(儒学研究の専門機関)を設置。皇帝に対して従順な人材を育成。

・塩・鉄・酒の専売

・均輸と平準
物価の調整と安定

・貨幣
五銖銭(ごしゅせん)→隋の時代まで使用された。重さが5銖。
Wiki

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〇武帝の対外遠征

・漢の最大領土を形成。

・張騫を大月氏(だいげっし)に派遣(B139)13年間
匈奴を挟撃するため
(バルハシ湖、天山山脈のあたりまで)
↓↓
大月氏は同盟拒否。帰国。
↓↓
武帝は西地域の情報を評価。
貿易ルートの発見。後のシルクロードになる

・匈奴討伐(B129)
東西交易路を抑える。西域へ進出

・南越の征服(B111)
(越=ベトナム)
日南郡を設置。

・衛氏朝鮮の征服(B108)
建国者:衛満(えいまん)
朝鮮4郡の設置。楽浪郡他(現ピョンヤン)。

・汗血馬の獲得
1日千km走ると言われた。大宛(フェルガナ)


(5)後漢の時代と漢代の文化

〇豪族と宦官の台頭
前漢の財政難。
武帝の死後、前漢が衰退・・。

豪族(地方の実力者)、宦官(後宮に仕えた)、外戚(妻の親戚)の台頭。

■ 新(8~23)
(都:長安)
王莽
皇帝の妻の一族
復古主義。周を目指す。(千年前の政治)

・赤眉の乱(18~27)
新の滅亡。赤は「漢」のシンボルカラー。

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〇後漢の不思議
200年も長く続いた理由→西方との交易で繁栄

後漢(25~220)
(都:洛陽)

・劉秀(光武帝)(位25~57)
豪族の力を借りて外戚を排除。(皇帝の力は弱い)

・東西交易。インド(クシャーナ朝)、ローマ帝国、イラン(パルティア・安息)

・「漢委奴国王」
倭人(日本)との交流。金印を授けた。

■ 班超・西域都護(せいいきとご)へ就任(91)

・(匈奴との戦で)「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
(後任へのアドバイスに)「水清ければ魚すまず」

・班固(「漢書」)の弟。

・部下の甘英は大秦(だいしん/たいしん)(ローマ帝国)へ派遣された。シリア、地中海までたどり着くも、その先は行けず、戻る。

・大秦王安敦(たいしんおうあんとん)(マルクス=アウレリウス=アントニヌス)の使者が日南郡へ来訪。(166)

後漢に陰りが・・

・党錮の禁(166、169)
宦官が官僚を処刑

・黄巾の乱(184)
太平道の張角。農民反乱。
→豪族が鎮圧するも、後漢は滅亡。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇前漢・後漢の文化
中国文化の礎はこの時代にあり

・儒学の発展
五経(儒学の経典)
『易経』『書経』『詩経』『春秋』『礼記』

・訓詁学(後漢)
大成者:鄭玄(じょうげん)
五経の字句解釈。

・製紙法の改良
蔡倫(~121頃)
木簡、竹簡→紙へ

・歴史書

● 司馬遷『史記』(B145~B86)
・古代から前漢武帝まで
・紀伝体。皇帝や英雄など人物にスポットを当てた。

● 班固『漢書』(32~92)
・前漢の歴史書
・紀伝体。
・班超(西域都護)の兄。


 

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項羽VS劉邦。劉邦⇒前漢を建国。

240521
中国史


秦⇒前漢⇒新⇒後漢

秦の始皇帝亡きあと・・項羽と劉邦が台頭。

楚のエリート項羽 VS 農民出身の劉邦

鴻門の会(こうもんのかい)
劉邦がやられそうになったが逃げる。

劉邦側に、韓信(かんしん)。
「国士無双」の語源になった天下一の強い人。
「背水の陣」(追い詰められたらパワー出る)を初めにやった人でもある。

 

垓下(がいか)の戦い。
四面楚歌。虞美人草(ひなげし)

項羽破れる。劉邦(高祖)が勝つ⇒前漢を建国。

郡国制から郡県制へ。


前漢7代 武帝(ぶてい)⇒領土が最大に

シルクロードなど。


王莽が新を建国。15年で終わる。


劉秀(光武帝)が後漢を建国。

「漢委奴国王印」


 

参考:『小学生でも分かる世界史』

 

 

 

四書五経(ししょごきょう)

ししょごきょう【四書五経】

儒教で重要な経典として尊重された書物。儒学の中心は、始めは五経だったが、宋代の朱子学が四書を基本においた。

・四書
『大学(だいがく)』
『論語(ろんご)』
『孟子(もうし)』
『中庸(ちゅうよう)』

・五経(ごきょう)
『易経(えききょう)』
『詩経(しきょう)』孔子
『書経(しょきょう)』孔子
『礼記(らいき)』
『春秋(しゅんじゅう)』孔子。魯の歴史。

・四書
『大学(だいがく)』・・もと『礼記』の中の一編。修身から天下を治めるまでの根本原則。

『中庸(ちゅうよう)』・・もと『礼記』の中の一編。天と人とを結ぶ原理を説いた哲学書。

『論語(ろんご)』・・春秋時代の孔子と弟子たちの言行録。儒家の中心となる経典。

『孟子(もうし)』・・戦国時代の孟子の言行を弟子たちが編纂。性善説を説く思想書。

・五経(ごきょう)
『易経(えききょう)』・・占いの書。陰と陽で自然と人生の法則を説く。

『書経(しょきょう)』・・嶤(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)から周までの王者の言行の記録。

『詩経(しきょう)』・・中国最古の詩集。西周から春秋時代の歌謡。

『礼記(らいき)』・・礼についての解説と理論の書。唐代に五経に加わる。

『春秋(しゅんじゅう)』・・春秋時代の魯国の年代記。編年体での記録。

引用。学研キッズネット

タペストリー。

漫画『史記』1巻 横山光輝 メモ

「史記」1巻 横山光輝

史記の作者。司馬遷(しばせん)(前145年~前86年頃)

五経・・「易」「書」「詩」「礼(らい)」「春秋(しゅんじゅう)」

武帝は儒学を発展させるため五経博士の官職を置いた。

前漢の七代皇帝・武帝(ぶてい)

司馬遷は武帝により、宮刑(きゅうけい)となり宦官(かんがん)になった。

「太子公書(たいしこうしょ)」=「史記」を書く。


名宰相・管仲

周王朝は2つに分けられる
春秋(前770~前403)
戦国(前403~前221)

春秋時代。
「斉(せい)」・・釣りの太公望、呂尚が始祖。

斉の桓公(かんこう)→ 天下の覇者になった。
名宰相・管仲。

「管鮑の交わり」(かんぽうのまじわり)
管仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく)は親友同士。

管仲「衣食足りて礼節を知る」
民を豊かにして国を豊かにした。

他の国は、魯、燕、晋、宋など。(地図P63)


「晋(しん)」
重耳(ちょうじ)⇒ 晋の文公に

斉は桓公から孝公になったが力は弱まった。

晋は周の武王の子を始祖とする国。

十九代・献公。
側室・驪姫(りき) 子・奚斉(けいせい)

世継ぎ騒動
太子申生(しんせい)は自害。
兄・重耳(ちょうじ)、弟・夷吾(いご)は亡命。


夷吾(いご)が晋の君主に⇒恵公(けいこう)

秦の繆公(ぼくこう)


春秋五覇
斉(せい)の桓公(かんこう)
秦の繆公(ぼくこう)
宋のじょうこう
晋の文公(重耳)
楚の荘王


 

諸子百家・中国古典

諸子百家 ( しょしひゃっか ) とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。

「諸子」は孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子などの人物を指す。

 

孔子(こうし):「論語」弟子がまとめた。儒家の始祖。

孟子(もうし):性善説

荀子(じゅんし):性悪説

老子(ろうし):道教の祖。

荘子(そうし):老子の思想を発展させる。「胡蝶の夢」

韓非子(かんぴし):法治思想

孫子(そんし):孫武の尊称。


「史記」司馬遷(しばせん)

中国王朝。替え歌

中国王朝を「アルプス一万尺」の替え歌で。

「殷(いん)、周(しゅう)、春秋戦国(しゅんじゅうせんごく)、秦(しん)」

「前漢(ぜんかん)、新(しん)、後漢(ごかん)」

「三国(さんごく)、晋(しん)、五胡(ごこ)(十六国)、南北(なんぼく)」

「隋(ずい)、唐(とう)、五代(ごだい)(十国)」

「宋(そう)、元(げん)、明(みん)、清(しん)」

「中華民国(ちゅうかみんこく)」

「中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)」

中国古代史

前2070 夏

前1600 殷

前1050 周

前770 春秋時代・・呉、越、斉(せい)、晋(しん)、楚

(孫子)

前403 戦国時代・・斉、楚、韓、魏、趙、燕、秦

前221 秦(始皇帝)

前206 前漢

25 後漢

220 三国時代・・魏・呉・蜀