【07】中国古典文明
(1)古代文明と初期王朝
(2)春秋戦国時代
(3)秦の統一
(4)前漢の時代
(5)後漢の時代と漢代の文化
西周(鎬京)→東周(洛邑)→秦(咸陽)→前漢(長安)→新(長安)→後漢(洛陽)
(場所)鎬京=咸陽=長安
洛邑=洛陽
(1)古代文明と初期王朝
〇 2つの文明
1★黄河文明
(前半)
■ 仰韶(ぎょうしょう)文化(B5000~B3000)(黃河中流)
・アワ・キビ
・彩文土器(彩陶)
(後半)
■ 竜山文化(B2500~B2000)(黃河下流)
・黒陶(薄手)、灰陶(厚手)
竜山文化の後半頃に・・
↓↓
邑(ゆう)の形成
集落が生まれた。
2★長江文明
■ 河姆渡(かぼと)遺跡(B5000~B3000)
・稲作
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〇集落の集合体
■ 夏(伝説上)
■ 殷(B16C~B11C)
・殷墟(青銅器)
・邑の商(リーダー)を盟主とした連合国家
・神権政治(甲骨文字⇒漢字に)
・易姓革命・・王朝が変わること。
易(変わる)姓(名字)
禅譲(ぜんじょう)平和的に
放伐(ほうばつ)武力で強引に
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〇周(西周)(B11C~B770)
(都:鎬京・こうけい)(後の長安・西安)
・渭水(いすい)(黃河から少し出た所)流域に建国
・封建制度・・血縁関係を重視。王一族に封土を与え諸侯とする。
・宗法(規則)。父方の一族(宗族)を重視。
・異民族の侵入で東の洛邑へ移動(B770・ここから東周となる)
(2)春秋戦国時代
〇「王を助けよう」から「王を倒せ」へ
■ 東周(B770~B256)
(都:洛邑・らくゆう)
■ 春秋時代(B770~B403)
覇者(斉(せい)の桓公、晋の文公)
尊王攘夷(王を助けよう)
■ 戦国時代(B403~B221)
晋⇒韓、魏、趙の3つに分裂。下剋上始まる。(王を倒せ)(B403)
戦国の七雄
韓、魏、趙、秦、楚、斉、燕
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〇春秋戦国時代の社会変化
富国強兵
・牛耕、鉄製農具
・余剰生産物⇒青銅貨幣の登場
ー 刀銭(燕・斉)
ー 布銭(韓、魏、趙)(農具)
ー 円銭・環銭(秦)
ー 蟻鼻銭(楚)
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〇諸子百家
■ 儒家(じゅか)・・仁(愛)と礼(敬意)
孔子『論語』(B551~B479)
孟子(B372~B289)・・性善説
荀子(B298~B235)・・性悪説
■ 墨家(ぼっか)
墨子(ぼくし)・・無差別の愛、非政
■ 道家(どうか)
道(どう/タオ)(人が人として守る教え)を追求。無為自然。なすがままがよい。
老子
荘子(B4C)
■ 法家(ほうか)
韓非(荀子の弟子)(~B233)
(3)秦の統一
〇秦はなぜ強くなったのか
秦(都:咸陽)
孝公(B4C)
商鞅(宰相)
変法の実施
中央集権化→富国強兵に成功。
秦王・政(せい)→始皇帝(B221~B210)
王ではなく皇帝を初めて使用。自らを神格化。
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〇秦の始皇帝は厳しすぎ
・郡県制(地方統治)
皇帝が任命した役人を送り込む
・焚書・坑儒
思想・言論の統制。儒家の禁止。
・貨幣の統一
半両銭
・度量衡の統一
面積、長さ、重さ、体積
・兵馬俑
等身大の人形の副葬品
・万里の長城の修築
匈奴対策(モンゴル高原)
・ベトナム遠征
南海郡を設置
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〇不満が爆発
始皇帝の死後・・
・陳勝・呉広の乱(B209)
中国史上初の農民反乱
「王侯将相いずくんぞ種あらんや」
(王や軍人や庶民、天下を取るのに身分は関係ない)
・秦の滅亡(B206)
項羽(楚)✕ VS 〇劉邦(農民)
〇前漢の統治の工夫
前漢(都:長安)
劉邦(高祖)(位B202~B195)
「祖」の字が入ると建国者
・郡国制(地方統治)ミックス型
直轄地・・郡県制(中央から役人を派遣)
それ以外・・封建制(一族に統治を任せる)
・匈奴の冒頓単于に敗北
(単于は君主を意味する)
高祖の死後、諸侯が力を持つ
景帝(6代)
・呉楚七国の乱(B154)
諸侯の反乱→鎮圧
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〇武帝の国内政治
武帝(7代)(B141~B87)(景帝の子)
・郡県制に戻す→中央集権化
役人の数が必要になる。
・郷挙里選(官吏登用)
役人を雇う。地方にいる優秀な人材を、地方長官が中央に推薦。⇒実際には豪族の官職独占へとつながってしまった。
・儒学の官学化(官僚の学問にする)
董仲舒が献策。五経博士(儒学研究の専門機関)を設置。皇帝に対して従順な人材を育成。
・塩・鉄・酒の専売
・均輸と平準
物価の調整と安定
・貨幣
五銖銭(ごしゅせん)→隋の時代まで使用された。重さが5銖。
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〇武帝の対外遠征
・漢の最大領土を形成。
・張騫を大月氏(だいげっし)に派遣(B139)13年間
匈奴を挟撃するため
(バルハシ湖、天山山脈のあたりまで)
↓↓
大月氏は同盟拒否。帰国。
↓↓
武帝は西地域の情報を評価。
貿易ルートの発見。後のシルクロードになる
・匈奴討伐(B129)
東西交易路を抑える。西域へ進出
・南越の征服(B111)
(越=ベトナム)
日南郡を設置。
・衛氏朝鮮の征服(B108)
建国者:衛満(えいまん)
朝鮮4郡の設置。楽浪郡他(現ピョンヤン)。
・汗血馬の獲得
1日千km走ると言われた。大宛(フェルガナ)
〇豪族と宦官の台頭
前漢の財政難。
武帝の死後、前漢が衰退・・。
豪族(地方の実力者)、宦官(後宮に仕えた)、外戚(妻の親戚)の台頭。
■ 新(8~23)
(都:長安)
王莽
皇帝の妻の一族
復古主義。周を目指す。(千年前の政治)
・赤眉の乱(18~27)
新の滅亡。赤は「漢」のシンボルカラー。
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〇後漢の不思議
200年も長く続いた理由→西方との交易で繁栄
後漢(25~220)
(都:洛陽)
・劉秀(光武帝)(位25~57)
豪族の力を借りて外戚を排除。(皇帝の力は弱い)
・東西交易。インド(クシャーナ朝)、ローマ帝国、イラン(パルティア・安息)
・「漢委奴国王」
倭人(日本)との交流。金印を授けた。
■ 班超・西域都護(せいいきとご)へ就任(91)
・(匈奴との戦で)「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
(後任へのアドバイスに)「水清ければ魚すまず」
・班固(「漢書」)の弟。
・部下の甘英は大秦(だいしん/たいしん)(ローマ帝国)へ派遣された。シリア、地中海までたどり着くも、その先は行けず、戻る。
・大秦王安敦(たいしんおうあんとん)(マルクス=アウレリウス=アントニヌス)の使者が日南郡へ来訪。(166)
後漢に陰りが・・
・党錮の禁(166、169)
宦官が官僚を処刑
・黄巾の乱(184)
太平道の張角。農民反乱。
→豪族が鎮圧するも、後漢は滅亡。
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〇前漢・後漢の文化
中国文化の礎はこの時代にあり
・儒学の発展
五経(儒学の経典)
『易経』『書経』『詩経』『春秋』『礼記』
・訓詁学(後漢)
大成者:鄭玄(じょうげん)
五経の字句解釈。
・製紙法の改良
蔡倫(~121頃)
木簡、竹簡→紙へ
・歴史書
● 司馬遷『史記』(B145~B86)
・古代から前漢武帝まで
・紀伝体。皇帝や英雄など人物にスポットを当てた。
● 班固『漢書』(32~92)
・前漢の歴史書
・紀伝体。
・班超(西域都護)の兄。