パレスチナ – 歴史note

【47】現代文明と各地の紛争

【47】現代文明と各地の紛争
(1)アフリカの紛争
(2)パレスチナ問題の行方
(3)イラク・アフガニスタン情勢
(4)現代の文化と人類の課題


(1)アフリカの紛争
ポイント①アパルトヘイトに苦しむ南アフリカ!
人種差別に立ち向かったマンデラとその苦悩

<ジンバブエ>
ローデシアの独立
白人政府によるアパルトヘイト政策の実施
→黒人が解放戦線を結成
↓↓
ジンバブエ独立・・黒人政権
(ローデシア(白人)→ジンバブエ(黒人)に改名)

南アフリカ共和国独立>
・イギリス連邦より離脱
国連総会が対南ア経済制裁を決議
・アフリカ民族会議(ANC)の抗議活動

アパルトヘイト諸法撤廃(1991)
↓↓
・全人種による大統領選挙の実施(1994)
マンデラ大統領(任1994~1999)
元ANCの指導者
南アフリカ初の黒人大統領

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②紛争が続くアフリカ諸国
民族、宗教、地下資源・・絶えることのない紛争

旧ポルトガル領からの独立>
1970年代、ポルトガル国内で民主化。それに連動してアフリカの国が3つ独立。
[1]ギニアビサウ独立
[2]アンゴラ独立
[3]モザンビーク独立
→いずれの国も、政府派 VS 反政府派の内戦へ・・

<アフリカ諸地域の紛争>
ナイジェリア内戦(ビアフラ戦争)
東部に住むイボ族がビアフラ共和国を建国
(石油が取れる地域)

ソマリア内戦(1980年代~)
多数のグループによる武装闘争が激化
→武力行使を認められた国連PKOの派遣→失敗
無政府状態に・・(1991~2012)21年間
海賊行為で公海を荒らす

ルワンダ内戦(1990~1994)
フツ族によるツチ族の大量虐殺


(2)パレスチナ問題の行方
ポイント①第4次中東戦争後の和平への動き
エジプトの下した決断とアラブ諸国の反応

<エジプトとイスラエルの歩み寄り>
中東和平合意
カーター大統領(米)の仲介
イスラエル首相:ベギン
エジプト大統領:サダト
(第4次中東戦争。現実主義者。エジプトを守るため動いたが・・)

エジプト=イスラエル平和条約の締結
エジプトがアラブ諸国の中で初めてイスラエルを公式に承認
↓↓
アラブ諸国からは猛反発。断交など。
↓↓
サダト大統領暗殺(1981)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ついに解決!?パレスチナ暫定自治協定!
20世紀末に調印された協定の「理想」と「現実」

<1980年代のパレスチナ>
シナイ半島返還(1982)
イスラエルから→エジプトへ返還

関係が良くなると思いきや・・
↓↓
・イスラエルのレバノン侵攻
パレスチナ解放機構(PLO)の本部を攻撃
↓↓
インティファーダの開始
パレスチナ人の大衆的抵抗運動。メディアで国際世論に訴える。

<イスラエルとパレスチナの歩み寄り>
パレスチナ暫定自治協定の締結(オスロ合意)(1993)
イスラエル首相:ラビン
PLO議長:アラファト
(クリントン(米)/ 引き合わせたのはノルウェー、米)
↓↓
パレスチナ暫定自治政府の樹立
ガザ地区などで自治が始まる

↓↓ しかし・・

ラビン首相暗殺(1995)
この後イスラエルは和平へ消極的になっていく・・
(アラブ人に強気な方が支持率が上がる)

アラファト議長の死去(2004)

・ガザ地区はイスラエルのシャロン首相により壁が作られ、隔離された・・。(2023年10月~ガザとイスラエルは再び戦闘に・・)


(3)イラク・アフガニスタン情勢
ポイント①アメリカに踊らされた!?イラクの動向
サダム・フセインの暴走とアメリカの思惑

サダム・フセイン大統領(任1979~2003)>スンナ派
イラン革命。ホメイニ。第2次オイルショック。(1979)
↓↓
イラン・イラク戦争(1980~1988)
米がイラクを支援。(米はイランが嫌いなので)
↓↓
・クェート侵攻
湾岸戦争(1991)
ブッシュ(父)大統領。多国籍軍の派遣。

・米軍、イラク攻撃(イラク戦争)(2003)
ブッシュ(子)大統領。
大量破壊兵器の保持を口実にイラクへ侵攻。
フセイン政権の崩壊
→米軍がイラクにとどまる。米軍駐留。
民主政治を導入するも・・スンナ派、シーア派、クルド人が混在しているため、民主政治ではまとまらない。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②国際テロ組織をかくまっていた!?アフガニスタンの行方
闇が深いアフガニスタン情勢

<アフガニスタン(社会主義政権)>
ソ連軍、アフガニスタンへ侵攻(1979)
→社会主義政権を擁立
→アメリカの反発
→内戦状態へ・・(ソ連の財政圧迫)

<アフガニスタン(ターリバーン政権)>
・ソ連軍、アフガニスタン撤退(1988~1989)
ゴルバチョフ書記長
↓↓
ソ連がいなくなったあと、アフガニスタンでは・・
→イスラーム武装勢力:ターリバーンが首都を制圧

同時多発テロ事件(2001.9.11)
アメリカはアル・カーイダ(国際テロ組織)の犯行と断定。
→アフガニスタンのターリバーン政権が、アル・カーイダをかくまっていると断定。
米軍、アフガニスタン攻撃
ターリバーン政権の崩壊
→米軍、撤退。
→再度、ターリバーン政権が復活

※イラクもアフガニスタンも、米の軍事介入で政権が崩れた。現在も情勢は混乱、不安定。


(4)現代の文化と人類の課題
ポイント①20世紀の文化
激動の世紀を反映した文学・芸術・哲学とは

<哲学・精神分析>
フロイト(墺)・・精神分析学
「夢はあなたの精神状態を表しているんです」

デューイ(米)・・プラグマティズム(実用主義)
「哲学は実生活で使えないと意味がないんだ」
教育学

<経済学>
マックス・ヴェーバー(独)
「カルヴァニストあるところに資本主義あり」
カルバンを賞賛

<文学>
・シュペングラー『西洋の没落』
・トーマス・マン『魔の山』ファシズムを批判

<芸術>
ピカソ『ゲルニカ』
・ジャズ
・・米で生まれた黒人音楽

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ポイント②科学の進歩と人類にとっての大きな「課題」
発達する科学の裏側で悲鳴を上げ続ける「宇宙船」

<20世紀を代表する技術・発明>
自動車(発明は19C末)一般への浸透
ラジオ、映画

・飛行機、人工衛星、クローン技術、生命工学(バイオテクノロジー)

<科学の躍進>
アインシュタイン
相対性理論を提唱
第二次世界大戦後、核兵器の廃絶を訴える

環境問題(環境破壊)
・人口爆発と飢餓
・オゾン層の破壊、地球温暖化、砂漠化

・環境と開発に関する国連会議(地球サミット)
開催地:リオデジャネイロ(ブラジル)
「持続可能な開発」にむけての国際会議

京都会議(地球温暖化防止会議)の開催(1997)
温暖化の原因の、温室効果ガス(二酸化炭素)の排出量を減らそう
日本EU諸国は議定書に批准
(ブッシュ(子))・中国は批准を拒否
(先進国だけ厳しい!と不満)

ロシアの批准(2005)
「京都議定書」の発効

 


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【41】米ソ冷戦の時代

【41】米ソ冷戦の時代
(1)第二次世界大戦後のヨーロッパ世界
(2)冷戦の始まり
(3)米ソ両陣営の軍事ブロック
(4)中国と朝鮮半島の行方
(5)東南アジア諸地域の独立
(6)南アジア・西アジアの独立


(1)第二次世界大戦後のヨーロッパ世界
ポイント①西ヨーロッパ世界の動向
世界大戦の痛手から復興を目指す

<イギリス>
チャーチル
アトリー内閣(任1945~1951)労働党
・重要産業国有化(イングランド銀行、石炭など)
・社会福祉制度の充実
「ゆりかごから墓場まで」

・エール、イギリス連邦離脱
アイルランドと改称

<フランス>
第四共和政(1946~1958)
議会制内閣を採用
フランス共産党が勢力拡大

<イタリア>
王政廃止
国民投票で王政が廃止され、共和政へ

イタリア共産党
西欧最大の共産党

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②東ヨーロッパ世界には大きな変化が!?
忍び寄るソ連の影響力

<東欧>
ソ連のおかげでナチスを追い出せた。なのでソ連の影響を受ける。ソ連の衛星国に。(言いなりに)
↓↓
人民民主主義
・ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア
・ユーゴスラヴィア
指導者:ティトー(自力でナチスを追い出した。ソ連とは距離を置く)

「鉄のカーテン」演説>
英・元首相チャーチル
シュテッティン(バルト海)からトリエステ(アドリア海)まで
→ソ連の「鉄のカーテン」


(2)冷戦の始まり
ポイント①アメリカの対ソ封じ込め政策とは?
ソ連の影響力拡大を防げ

(政治対立)
<資本主義陣営(アメリカ中心)>
封じ込め政策
トルーマン=ドクトリン(トルーマン宣言)
ギリシア、トルコを援助
両国の共産主義化を阻止

↓↓ 具体的なプラン

マーシャル・プラン(ヨーロッパ経済復興援助計画)
国務長官:マーシャル
全ヨーロッパ対象の経済援助を表明。

<社会主義陣営(ソ連中心)>
コミンフォルム(共産党情報局)の発足
ソ連がリーダー。東欧7カ国+伊仏の共産党。
他国に指示を出す。
途中、ユーゴスラヴィアを除名

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②資本主義陣営に衝撃がはしる!
共産党クーデタが発生

<資本主義陣営の動揺>
チェコスロバキア=クーデタ
共産党クーデタで当時の大統領が辞任
資本主義国→共産党政権が発足
(ナチスからチェコを解放したのはソ連だったため。)
↓↓
西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)
英・仏・ベネルクス3国(オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)の5カ国の軍事同盟


(3)米ソ両陣営の軍事ブロック
ポイント①ドイツをめぐるトラブルの発生!
東西ドイツへの分裂は回避不可能!

<東西ドイツの対立>
・西側管理地区・通貨改革(米英仏)
独立の準備を始める(ソ連に無断)
→ソ連がベルリン封鎖
西ベルリンへの交通を封鎖
↓↓
米は1年間、空輸で物資を運ぶ
↓↓
ベルリン封鎖解除。東西ドイツ、それぞれ独立。

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)
首相:アデナウアー(任1949~)
奇跡の経済復興

ドイツ民主共和国(東ドイツ)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②米ソ両陣営の経済・軍事同盟の成立
ますます対立を深める米ソ両陣営の行方・・

<東西両陣営の対立>
(経済対立)
ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)(資本主義)
マーシャル・プランの受け入れ機関
VS
コメコン(経済相互援助会議、COMECON)(社会主義)
ソ連と東欧6カ国
======
(軍事対立)
北大西洋条約機構(NATO)
アメリカ中心に12カ国加盟
西ドイツ再軍備→NATOに加盟
VS
ワルシャワ条約機構
ソ連の核実験成功。アメリカに次ぐ2番目の核保有国に。
ソ連中心の軍事同盟。NATOに対抗。


(4)中国と朝鮮半島の行方
ポイント①国民党vs共産党
第二次世界大戦後、中国を支配するのはどっち?

<内戦(国共内戦)>
中国共産党
指導者:毛沢東
地主の土地所有を廃止
→農民からの指示拡大
VS
中国国民党
指導者:蒋介石
→国共内戦に敗北
中華民国政府を台湾へうつす

中華人民共和国の成立(1949)
首都:北京
国家主席:毛沢東(任1949~1959)
(中国共産党・党首)
首相:周恩来(任1949~1976)

中ソ友好同盟相互援助条約(1950)
軍事、経済の同盟

・中華人民共和国の承認
建国直後にソ連、東欧、インドが承認

・土地改革
大地主から土地を没収→農民に分配

第1次五カ年計画(1953~1957)
ソ連の援助。
重工業の優先、農業の集団化

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②朝鮮半島の分断化
現在まで続く南北戦争の分断の原因とは?

日本の敗戦。朝鮮から撤退。
↓↓
米ソの分割占領
北緯38度線
大韓民国(韓国)
首都:ソウル
初代大統領:李承晩(りしょうばん/イ・スンマン)

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
首都:ピョンヤン
初代首相:金日成(きんにちせい/キム・イルソン)


(5)東南アジア諸地域の独立
ポイント①ベトナムの独立を認めないフランス!
インドシナ戦争の勃発とその後の展開

<戦後のベトナム>
・ベトナム独立同盟(ベトミン)
指導者:ホーチミン(社会主義
↓↓
ベトナム民主共和国の成立
ホーチミン
↓↓
仏は認めない。日本撤退後は仏が再度支配する。軍事侵攻。
↓↓
インドシナ戦争(1946~1954)>
仏✕ VS 〇ベトナム
ベトナム国の成立(南ベトナム・仏の傀儡国家)
首都:サイゴン
主席:バオダイ

ディエンビエンフーで仏軍が大敗
ジュネーヴ会議(1954)
ジュネーヴ休戦協定・・北緯17度線を暫定的な軍事境界線
↓↓
慌てたのはアメリカ。。このままでは社会主義になる・・。
東南アジア条約機構(SEATO)の結成
反共軍事同盟

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ベトナム以外の東南アジアの独立
旧宗主国からの独立を達成!

<東南アジアの諸島部>
インドネシア共和国独立
首都:ジャカルタ
初代大統領:スカルノ大統領(任1945~1967)
インドネシア国民党

フィリピン共和国独立
首都:マニラ

<東南アジアの大陸部>(から独立)
インドシナ戦争で仏が負けて出ていった
↓↓
カンボジア独立
首都:プノンペン

ラオス独立
首都:ビエンチャン

<東南アジアの大陸部>(から独立)
マラヤ連邦独立
ビルマ独立


(6)南アジア・西アジアの独立
ポイント①インドの独立達成!
統一インドを主張し続けたガンディーは・・

インド独立>(1947)
・インド連邦→インド共和国
首相:ネルー(国民会議派)(任1947~1964)

パキスタン共和国独立 イスラム教徒
総督:ジンナー(任1947~1948)
(全インド=ムスリム連盟)
(※パキスタンは東・西に飛び地だった。東パキスタン→後のバングラデシュに)

スリランカ(セイロン)独立

第1次インド=パキスタン戦争(1947~1949)
カシミール帰属問題(インド北)
住民はイスラーム教徒。王はヒンドゥー教徒。

ガンディー暗殺(1948)
戦争をやめるように訴えた。
同じヒンドゥー教徒に弱腰だと言われ、暗殺される・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②西アジア諸地域の動き
戦後も欧米諸国の思惑に振り回される中東

<イラン>
WW2中、王朝パフレヴィー朝は英米にすりよる外交。(親米・親英)
石油を英米に安く渡していた。
↓↓
WW2が終わると
・首相:モサデグ(任1951~1953)
石油を国有化=資源ナショナリズム
「石油はイランのものだ!」
→英の石油会社の施設を接収
→国王派のクーデタで失脚
↓↓
国王パフレヴィー2世
「上からの近代化」を推進(英・米の支援
貧富の差が拡大

======
パレスチナ>(国ではなく地域)
アラブ人(多)、ユダヤ人(少)が住む。
英が委任統治していたが放棄
↓↓
アラブ諸国連盟の結成
アラブ連盟
↓↓
パレスチナ分割案が国連総会で可決
パレスチナをユダヤ人地域とアラブ人地域に分割。
面積は半分ずつ。ユダヤに有利に。
↓↓
イスラエル建国(ユダヤ人国家)(1948)
↓↓
アラブ人が不満。
・パレスチナ戦争(第1次中東戦争)(1948~1949)
イスラエル+米〇 VS ✕アラブ諸国連盟
↓↓
100万人のパレスチナ難民
(→イスラエルに追い出されたアラブ人)

 


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【38】戦間期のアジア諸地域

【38】戦間期のアジア諸地域
(1) 新文化運動と中国の民衆運動
(2) 北伐と中国共産党の動向
(3) 朝鮮と東南アジアの民族運動
(4) インドの民族運動
(5) トルコ革命
(6) イスラーム諸国の動向


当時植民地にならなかったのは日本とタイだけ。(中央集権化が進んでいたのも一因)。ほとんどのアジアは欧米列強に支配された。第一次世界大戦のあと、戦争でヨーロッパが弱っている、今が独立のチャンスと思った。

(1)新文化運動と中国の民衆運動
ポイント①中国国民を巻き込む一大運動へ!
北京大学の教授陣が中心となった啓蒙運動

新文化運動(文学革命)
北京大学
教授陣が民衆の啓蒙化に尽力。

陳独秀(→後に共産党を創始)
『新青年』
雑誌刊行
「民主主義と科学」をスローガンに。
中国の旧体制、儒学を批判。

胡適(こせき・こてき)
白話(はくわ)文学運動 文語⇒口語

李大釗(りたいしょう)
マルクス主義研究会の創設。中国に社会主義、共産主義を伝える。

魯迅(ろじん)日本の東北大学医学部に留学
『狂人日記』『阿Q正伝』民衆への啓蒙

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②国民党と共産党の協力体制の完成!
孫文が目指した中国の国民革命

<五・四運動(1919)>
パリ講和会議で二十一カ条要求取り下げ認められず
↓↓
北京大学の学生を中心に大規模なデモが発生
→全国的な反帝国主義へ発展。
反欧米、反日、反軍閥政府。
↓↓
軍閥政府はヴェルサイユ条約調印を拒否

中国国民党を結成(資本主義的)
孫文。大衆政党。金持ちの味方。

中国共産党を結成。(社会主義的)
初代委員長:陳独秀。上海で。貧しい人の味方。
(※毛沢東は途中からリーダーになった。)
↓↓
2つの党は相反する主義だが、目的は同じ
「外国を追い出して、中国国民のための国を作る」
↓↓
第1次国共合作(1924)
国民党と共産党が力を合わせる。
孫文「連ソ・容共・扶助工農
(共産党を受け入れよう。中国の工業・農業を育てよう。)
国民革命の遂行(軍閥打倒
まず外国の言いなりになっている軍閥を倒す。そのあと外国勢力を追い出そう。


(2)北伐と中国共産党の動向
ポイント①北京にいる軍閥を倒せ!
国民党と共産党がともに立ち上がるが・・

孫文の死(1925)

五・三〇(ごさんじゅう)運動(1925)>
上海で労働者がスト。英人警察が発砲してしまった。
→再び全国的な反帝国主義運動へ拡大。(外国出てけ。軍閥倒せ。)

北伐(1926)
=「京にいる軍閥を倒せ!つ!」という動きのこと
国民党と共産党は広州(広東かんとん)国民政府を樹立。

2つのルートに分かれて北へ向かう
・国民党右派(反共的)指導者:蒋介石
・国民党左派(容共派)指導者:汪兆銘
↓↓
上海クーデタ(1927)
蒋介石共産党員を虐殺する。
帝国主義勢力や地主・浙江(せっこう)財閥と結託。
(蒋介石自体も浙江財閥の出身)
↓↓
国共分裂
国民党と共産党の関係が悪化
↓↓
南京国民政府(国民党のみで結成)
別ルートに行った国民党左派を南京に呼び寄せる。国民党だけで北伐する。(共産党は逃げる)

当時の軍閥は奉天派と呼ばれ、日本の操り人形。
リーダーは張作霖。蒋介石の北伐に日本は焦る。
↓↓
山東出兵(1927~1928)
日本が山東省に出兵。北伐軍(蒋介石)を邪魔したい。
→しかし蒋介石はひょいとかわし北京に入り、軍閥を倒す。
↓↓
張作霖(軍閥のリーダー)
北伐軍(蒋介石)に敗れて逃亡
↓↓
張作霖爆殺事件(奉天事件)(1928)
日本の関東軍がやった。口封じ。
↓↓
息子の張学良が北伐軍(蒋介石)に降伏
北伐完成
↓↓
南京国民政府が中国の実験を掌握

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②中国共産党の「草の根」運動!
都市から農村へ、共産党は活動場所を変えた。

上海クーデタ後の共産党
紅軍の創設(共産党の軍隊)

中華ソヴィエト共和国臨時政府の成立
主席:毛沢東
都:瑞金(ずいきん)
都市から農村へ。


(3)朝鮮と東南アジアの民族運動
ポイント①朝鮮でおきた「民族自決」を求める動き!
日本の朝鮮総督府、統治方法を転換

・韓国併合(1910)
朝鮮は日本領土に。

朝鮮総督府 支配機関(天皇直属)
武断政治の実施
軍隊・力による韓国支配。
↓↓
三・一独立運動(1919)
第一次世界大戦後のパリ講和会議の民族自決の原則に触発。
朝鮮各地で民衆デモが拡大(※五・四運動より先。同年)
↓↓
朝鮮総督府は焦る・・。
文化政治へ移行
早く日本人にする。日本語や日本文化を強制。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②東南アジアの民族運動!
アジアで最初の「ある組織」が結成

ビルマ(ミャンマー)の独立運動
英領インド帝国(インドの東隣)

タキン党
ビルマの即時完全独立を要求。英の支配を終わらせるのが目的。
指導者:アウン=サン
(現在でもミャンマーでは民族的英雄として崇められている。娘はアウン・サン・スーチー。WW2後、軍部独裁の中、自由と民主化を呼びかけた。ノーベル平和賞)
==============
インドネシア独立運動
オランダ領東インド

インドネシア共産党の結成
(→アジア初の共産党。初は中国ではない。ロシア革命の影響)

インドネシア国民党
指導者:スカルノ
(第3夫人:デヴィ夫人)
==============
インドシナ民族運動(ベトナム、カンボジア、ラオス)
仏領インドシナ

・ベトナム青年革命同志会
↓↓ 発展
インドシナ共産党
指導者:ホー=チ=ミン
労働者・農民に支持を拡大

==============
フィリピン民族運動
フィリピン独立の約束。
フランクリン・ローズヴェルト
フィリピン独立準備政府(武力ではなく平和的に独立)


(4)インドの民族運動
ポイント①インドを裏切ったイギリスに反発!
「非暴力」「不服従」の抵抗運動

<第一次世界大戦中のインドの動き>
国民会議派
ヒンドゥー教徒。人口の80%。反英。
VS
全インド=ムスリム連盟
イスラーム教徒。人口の10%。(英が作った)
大戦中は一時的に反英化。
大戦でオスマン帝国と敵対。
ムハンマドの代理人カリフがいたため。
↓↓
2つは対立していたが、協力関係に。手を結んで反英運動に。
↓↓
焦った英は・・戦後自治の約束。
インドは英に協力した。
↓↓
しかし・・戦争後
ローラット法の制定(1919)
令状なしの逮捕裁判なしの投獄など。)
自治は反故にされる。インド国民は怒り爆発!
↓↓
アムリットサール事件(1919)
英への抗議集会。武力で弾圧される

ガンディーの抵抗運動(1919~1922)
非暴力・不服従
英への抵抗運動。→全インド国民に呼びかけ拡大。
サティヤーグラハ(真理の把握)」を掲げる。
(=「私たちは正しいことを知っている」)

・ラホール大会
国民会議派:ネルー
完全独立(プールナ=スワラージ)
を要求
「自治」ではなく「独立」!英出ていけ

第2次非暴力・不服従運動(1930~1934)
「塩の行進」
英の塩の専売法に反対

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②焦った!イギリス
インドをなだめようとするも・・

イギリスの懐柔策

英印円卓会議の開催(1930~1932)
開催地:ロンドン
ガンディーは1回だけ参加するも、あとは国民会議派はボイコット。
↓↓

新インド統治法(改正インド統治法)(1935)
連邦制と各州の自治制を導入。
↓↓
ネルーは自治ではなく完全独立(プールナ=スワラージ)を要求!
インドの民族運動に拍車を掛ける。


(5) トルコ革命
ポイント①無力なオスマン帝国を滅ぼせ!
国民は弱腰なオスマン帝国に愛想を尽かす・・

オスマン帝国の降伏
第一次世界大戦に参戦。同盟国側敗北
↓↓
連合軍に支援されたギリシア軍がイズミル(トルコ内)に侵入・占領。(皇帝は容認)

セーヴル条約(不平等条約)
領土の大部分を喪失、主権の制限、軍備制限、治外法権。

↓↓ 弱腰の政府に反発!

ムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)
アンカラで臨時政府を樹立。
侵入ギリシア軍との戦い。→成功

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②共和政トルコの新たな改革!
西欧風近代国家を目指せ

共和制トルコ
ムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)

スルタン制廃止(1922)→オスマン帝国の滅亡
スルタン=オスマン皇帝。トルコの国民が立ち上がって弱腰なオスマン帝国を倒した。
↓↓
ローザンヌ条約の締結(1923)
セーブル条約に変わる新しい連合国との講和条約。イズミル回復。軍備制限や治外法権の撤廃。
↓↓
トルコ共和国の成立(1923)
(都:イスタンブルから→アンカラに変わる)

・ムスタファ・ケマルが初代大統領になり、西洋的な近代化を目指す。

カリフ制廃止(カリフ=イスラーム世界のリーダー)
政教分離・・イスラム国家の中では政教分離は珍しい

女性解放

文字改革 ローマ字採用
コーランの文字、アラビア文字⇒ローマ字へ。識字率アップ

・尊称:「アタテュルク(トルコの父)」と議会から称号を付与。

 


(6)イスラーム諸国の動向
ポイント①イギリス支配からの脱却を目指せ
エジプト・イラン・アフガニスタンの動向・・

エジプト
ワフド党(「代表」の意)の結成
エジプトの英からの独立をめざす。

エジプト王国の「条件付き」独立(1922)
英はエジプトの防衛権を保有。英の軍隊がエジプト内にいる。(軍事占領)
↓↓ 軍、出ていって・・

エジプト=イギリス同盟条約(1936)(完全独立
エジプト国内の軍事占領は終了。スエズ運河地帯駐屯権を承認。

============
イラン
カージャール朝
第一次世界大戦前、(北)と(南)に支配されていた
WW1中は両国に占領。→ロシアは革命で抜ける。英の支配
↓↓
英の言いなりの王朝をつぶして、英に出ていってもらおう
↓↓
パフレヴィー朝
建国者:レザー=ハーン(位1925~1941)
英との不平等条約を撤廃!
国号をペルシアから⇒イラン

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アフガニスタン>インドの北
WWⅠ前 英の保護国
↓↓
第3次アフガン戦争
英✕ VS 〇アフガニスタン
↓↓
アフガニスタン独立(1919)
英はあっさり認める。
インドで独立運動が起こっていてそちらで手一杯。

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ポイント②現在まで続く、中東問題の諸悪の根源!
ここに原因あり!

<第一次世界大戦中のイギリス外交>
英の3つの秘密条約
[1]フセイン=マクマホン協定
アラブ人国家建設を約束

[2]サイクス・ピコ協定
トルコ領を英仏露で分割

[3]バルフォア宣言
パレスチナ(トルコ領)にユダヤ人国家の建設を支援
↓↓
委任統治(中東地域)
戦後、英仏の委任統治になった。
の管理(北)
シリア、レバノン
の管理(南)
パレスチナ、トランスヨルダン、イラク

英仏が民族、宗派関係なく勝手に国境を引いた。WW2後その国境線のまま独立してしまった。これが今でも中東地域の情勢を不安定にしている要因。
↓↓
・イラク王国独立
・レバノン独立
(WWⅡ後)
・ヨルダン王国独立
・シリア独立

パレスチナ
アラブ人 VS ユダヤ人
この対立を英は無視し続けた。
WWⅡ後、英は手放し、国連に渡す。

 


 

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