弥生時代
朝貢(ちょうこう)
中国の「皇帝」に貢物をして、地方の「王」と認めてもらう。その証に「金印」をもらう。
遺跡
• 吉野ヶ里遺跡(佐賀)人骨など戦いのあと
• 登呂遺跡(静岡)稲作のあと
「おもしろくてとんでもなくわかりやすい日本史」
歴史、学びメモ
弥生時代
朝貢(ちょうこう)
中国の「皇帝」に貢物をして、地方の「王」と認めてもらう。その証に「金印」をもらう。
遺跡
• 吉野ヶ里遺跡(佐賀)人骨など戦いのあと
• 登呂遺跡(静岡)稲作のあと
「おもしろくてとんでもなくわかりやすい日本史」
弥生時代の稲作でリーダーが生まれ争いも生まれた。
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239 |
倭の奴国の王が後漢の皇帝(光武帝)から金印を授かる。「漢倭奴国王」「後漢書」
邪馬台国の女王、卑弥呼。魏(三国志・魏・呉・蜀の魏)に使いを送る。「魏志倭人伝」に記述あり。30の国を従える。「親魏倭王」の金印をもらう。 |
3世紀後半(200年代後半) |
豪族の大きな墓が作られる。大和政権(奈良)。前方後円墳。大山古墳(仁徳天皇陵)。埴輪。 農耕。むらができる。吉野ヶ里遺跡(佐賀)貧富の差。有力者、王。ムラからクニへ。 |
4世紀後半〜5世紀
6世紀 |
大和政権が九州から東北南部を支配。王が大王(おおきみ)。高句麗、新羅と戦う。
渡来人が仏教や儒学を伝える。 |
縄文時代、弥生時代は日本の歴史の始まり。国が形成されていく。縄文は狩り、採集、弥生は稲作。
約1万数千年前〜 | 新石器時代(磨製石器)
縄文時代。 縄文土器。網目模様。厚いがもろい。縄文文化。 たて穴住居。 狩り、漁、採集。 貝塚、土偶。 三内丸山遺跡(青森) |
前300〜 | 弥生時代
弥生土器。模様は少ない。赤褐色。薄くて固い。弥生文化。 大陸から稲作が伝わる。 たて穴住居。 金属器(青銅器、鉄器) 農耕。むらができる。吉野ヶ里遺跡(佐賀)貧富の差。有力者、王。ムラからクニへ。 |
紀元前後 | 中国歴史書。倭(わ)(日本)に100余りの国。 |
■『漢書』地理志(かんじょちりし)
・前漢(前206~8年。劉邦(高祖)が建国)時代について書かれた歴史書
・作者は後漢の歴史家・班固。1C頃に書かれた。
・日本に関する最古の記録。
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前1C(前100年頃?)
「楽浪の海中に倭人あり。分かれて百余国をなす。歳時をもって来り献見すといふ。」
※楽浪郡(らくろうぐん):今のピョンヤン(北朝鮮)
■『後漢書』東夷伝(ごかんじょとういでん)
・後漢(25~220年)時代について書かれた歴史書。
・
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1C(57年) 「漢倭奴国王」(かんのわのなのこくおう)
倭の奴国(なこく)の王が後漢の初代皇帝・光武帝(在位25〜57)から印綬を賜る。
「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす。」
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2C後半 (147~188年)倭国大乱(わこくたいらん)
「桓霊の間、倭国大いに乱れ、こもごも相攻伐し、歴年主なし」
桓帝と霊帝の間、倭国では主が定まらないほどの大乱であった。
■『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)
・魏の歴史書
・『三国志』の『魏書』巻三十。『烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんぴとういでん)』の倭人条。
・2008文字の漢字からなる。
・著者は西晋の歴史家・陳寿(ちんじゅ)
・卑弥呼が魏の明帝に朝貢したことが書かれている。
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「倭国は乱れ、何年間も攻撃しあった。国々は協議して一人の女子を王にした。名を卑弥呼という。鬼道を行い、よく人々を惑わせた。」
「景初二年、大夫難升米(ナシメ)を派遣する。親魏倭王卑弥呼に詔を下す。銅鏡百枚を与える。」
「邪馬台国に着く。女王の都である。」
「男子を持って王となし、住まること七、八十年。倭国乱れ。」
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邪馬台国 卑弥呼。
30あまりのクニを従える
239 魏に使いを送る。
「親魏倭王」の印綬を賜る。
景初三年(239年)の年号の入った三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)銅鏡。
中国は三国時代の終焉を迎えていたころ。
前300年〜紀元前後
弥生時代🌾
• 大陸から稲作が伝わる
• 農耕
• たて穴住居
• 青銅器(銅+錫すず)、鉄器が伝わる
• ムラからクニへ。有力者、王が出現。貧富の差。
• 中国歴史書に倭(わ)に100のクニ
「漢書」地理志、「後漢書」東夷伝、魏志倭人伝
• 弥生土器
模様は少ない
赤褐色
薄くて固い
• 銅鐸(どうたく)
吉野ヶ里遺跡(よしのがり)(佐賀)