弥生時代 – 歴史note

邪馬台国

251212

「魏志倭人伝」(著者:陳寿。西晋の歴史家。『三国志』)

「邪馬台国」は三十余のクニグニの頂点に立つクニとされる。これらのクニグニがまとまったものを邪馬台国連合という。

<邪馬台国連合のクニ>
対馬(つしま)、一支(いき)、末盧(まつろ)、伊都(いと)、奴(な)、不弥(ふみ)、投馬(とうま)、斯馬(しま)、巳百支(しはき)、伊邪(いや)、都支(とき)、弥奴(みな)、好古都(ここと)、不呼(ふこ)、姐奴(そな)、対蘇(つそ)、蘇奴(そな)、呼邑(こお)、華奴蘇奴(かなそな)、鬼(き)、為吾(いご)、鬼奴(きな)、邪馬(やま)、躬臣(くし)、巴利(はり)、支惟(きい)、烏奴(うな)

 

 

 

三歴史書。『漢書』地理誌、『後漢書』東夷伝、『魏志』倭人伝。

 

■『漢書』地理志(かんじょちりし)

・前漢(前206~8年。劉邦(高祖)が建国)時代について書かれた歴史書
・作者は後漢の歴史家・班固。1C頃に書かれた。
・日本に関する最古の記録。

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前1C(前100年頃?)

「楽浪の海中に倭人あり。分かれて百余国をなす。歳時をもって来り献見すといふ。」

※楽浪郡(らくろうぐん):今のピョンヤン(北朝鮮)

 


『後漢書』東夷伝(ごかんじょとういでん)

・後漢(25~220年)時代について書かれた歴史書。

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1C(57年) 「漢倭奴国王」(かんのわのなのこくおう)

倭の奴国(なこく)の王が後漢の初代皇帝・光武帝(在位25〜57)から印綬を賜る。

「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす。」

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2C後半 (147~188年)倭国大乱(わこくたいらん)

「桓霊の間、倭国大いに乱れ、こもごも相攻伐し、歴年主なし」

桓帝と霊帝の間、倭国では主が定まらないほどの大乱であった。

 


『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)

・魏の歴史書
・『三国志』の『魏書』巻三十。『烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんぴとういでん)』の倭人条。
・2008文字の漢字からなる。
・著者は西晋の歴史家・陳寿(ちんじゅ)
・卑弥呼が魏の明帝に朝貢したことが書かれている。

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「倭国は乱れ、何年間も攻撃しあった。国々は協議して一人の女子を王にした。名を卑弥呼という。鬼道を行い、よく人々を惑わせた。」

「景初二年、大夫難升米(ナシメ)を派遣する。親魏倭王卑弥呼に詔を下す。銅鏡百枚を与える。」

「邪馬台国に着く。女王の都である。」

「男子を持って王となし、住まること七、八十年。倭国乱れ。」

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邪馬台国 卑弥呼。
30あまりのクニを従える

239 魏に使いを送る。

「親魏倭王」の印綬を賜る。

景初三年(239年)の年号の入った三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)銅鏡。

 

中国は三国時代の終焉を迎えていたころ。


 

弥生時代

前300年〜紀元前後
弥生時代🌾

• 大陸から稲作が伝わる
• 農耕
• たて穴住居
• 青銅器(銅+錫すず)、鉄器が伝わる
• ムラからクニへ。有力者、王が出現。貧富の差。

• 中国歴史書に倭(わ)に100のクニ
「漢書」地理志、「後漢書」東夷伝、魏志倭人伝

• 弥生土器
模様は少ない
赤褐色
薄くて固い

•  銅鐸(どうたく)
吉野ヶ里遺跡(よしのがり)(佐賀)