260620
日本史【15】鎌倉幕府(中世4)
<承久の乱の結果>
1221年 承久の乱
後鳥羽上皇✕ VS 〇鎌倉幕府(2代執権・北条義時)
(朝廷・貴族✕ VS 〇武士)
☆3上皇の配流
・後鳥羽上皇→隠岐(島根)
・土御門上皇→土佐(高知)
・順徳上皇 →佐渡(新潟)
・譲位 仲恭天皇→後堀河天皇へ譲位させられる 。
・京都守護→「六波羅探題」設置。(六波羅は平清盛が政治していた所。ここで北条氏が政治をする。)
初代・北条泰時・時房→西国支配権も確立。(政治・裁判)
・「新補地頭(しんぽじとう」)・・乱後、新たに任命した地頭(幕府の御家人)のこと。
(補任(ぶにん)=任命すること)
→得分は「新補率法(しんぽりっぽう)」による。(反別五升の加徴米・特別権利)。(そうすると集まりやすいから。)
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<3代執権・北条泰時>
2代執権・義時が亡くなり、子の義時が、京都・六波羅探題から鎌倉幕府に戻ってきて、3代執権になる。
1225年 「連署(れんしょ)」(=執権補佐・署名を連ねる)を設置→初代・北条時房(泰時の叔父)
1225年 「評定衆(ひょうじょうしゅう)」設置
合議制機関(政務・裁判)
13人(執権1人+連署1人+評定衆11人)
1226年 摂家将軍(藤原将軍)擁立
→初代・九条頼経(くじょうよりつね)(=関白・藤原道家の子・藤原頼経・幼名「三寅(みとら)」北条政子が後見人に。)
☆藤原氏の分裂→五摂家
近衛(筆頭格)、一条、二条、九条、鷹司
<貞永式目(じょうえいしきもく)>
1232年(貞永元年) 「貞永式目(御成敗式目・ごせいばいしきもく)」制定。
(式目・・法律の条文。「法式条目(ほうしきじょうもく)」の略。)
・最初の武家法。
・平易で文字の読めない武士も理解した。対象は武士のみ。(幕府と御家人のルール)
朝廷→公家法(=律令)。荘園→本所法。(本所は荘園領主のこと)
※鎌倉時代は武士と農民がきちんと分かれていない。普段農民をしていて戦になると戦う。こういう人は貞永式目の対象に含まれていない。あくまで「御家人」のためのルール。
・51ヶ条。「守護・地頭の職務」、「所領問題」が中心。
(法律・条文は17条がいいと言われた。十七条憲法などから。その3倍)
・「道理」・・武家社会の慣習。
(現代の「道理」とは意味が違うので注意。)
・「先例」・・頼朝以来の政治・裁判。
(土地を20年支配したらその御家人のもの。→今の民法にもつながる。)
・追加法は「式目追加」という。
<5代執権・北条時頼>(3代泰時の孫)
1247年 宝治合戦(ほうじかっせん):三浦泰村滅亡(他氏排斥⑤最後)
1249年 「引付衆(ひきつけしゅう)」を設置。
「裁判事務」を行ない、「評定衆」を補佐。
1252年 「皇族将軍」(親王将軍)を擁立。
(摂家(藤原)将軍よりレベルアップ。)
宗尊(むねたか)親王・後嵯峨天皇の子。
(出家後→最明寺入道時頼)
(徒然草184段。時頼の母・松下禅尼。母の兄・安達義景。)
<鎌倉幕府将軍 9人>
・源氏将軍(3人)・・①源頼朝②源頼家③源実朝
・摂家(藤原)将軍(2人)・・④九条頼経⑤九条頼嗣
・皇族(親王)将軍(4人)・・⑥宗尊親王⑦惟康親王⑧久明親王⑨守邦親王
1253年 建長寺(けんちょうじ)創建。(鎌倉五山第一位)
(開山・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう))
<執権8代・北条時宗>
★元寇(蒙古襲来)
・チンギス=ハン(カーン)がモンゴル統一。
・孫のフビライ(クビライ)=ハンが元を建国。日本へ服属要求→時宗は何度も拒否。
・1274年 文永の役
元軍は暴風雨で撤退。
・異国警固番役(いこくけいごばんやく)を強化(1275年)。
沿岸に石塁(せきるい)(石築地(いしついじ))を設置。
・1281年 弘安の役
元軍は暴風雨で撤退。(もしくは統制が取れていなかった。南宋は服属したばかり(→1276年)で、元にやらされているので。)
・元軍のてつはう(火薬)攻撃と集団戦法に苦戦。
・恩賞不十分→御家人困窮・・。
・『蒙古襲来絵巻(もうこしゅうらいえまき)』御家人・竹崎季長(たけさきすえなが)
(絵を描かせた。自分が描かれている。)
<執権9代・北条貞時>
鎌倉時代後期
1293年 「鎮西探題」を設置。
九州の支配権を強化。
1285年 霜月騒動(しもつきそうどう)
→「得宗専制体制」が確立。合議ではなく得宗の独裁になっていく・・。
〇平頼綱(内管領・うちかんれい)
VS
✕安達泰盛(有力御家人)
・得宗・・北条氏の嫡流
・御内人(みうちびと)・・得宗の家臣
・内管領・・御内人の最有力者
・将軍=御家人・・力弱まる
・得宗=御内人(トップは内管領)・・力強まる
1293年 平禅門(ぜんもん)(頼綱)の乱
平頼綱が北条貞時に滅ぼされる。
<永仁の徳政令>
1297年 永仁の徳政令
目的:元寇で窮乏した御家人の救済
・売却や質入れされた「土地を御家人に返還」する。
(御家人が借金のかたに取られた土地を無償で返還してもらえる。借金の帳消しのようなもの)
・金貸しは土地を取られて困るが、幕府にとって御家人の方が重要だから(戦ってくれるから)この法令が出された。
(例外)(金貸しにではなく)御家人に売却した土地で、しかも売却後20年以上経った場合は返還不要。
<執権14代・北条高時>
(朝廷)
皇統の分裂
後嵯峨法王の死後、皇位をめぐり対立。
兄・後深草天皇 VS 弟・亀山天皇
持明院統 大覚寺統
(長講堂領) (八条女院領)
↓
この争いに鎌倉幕府が仲介に入る。
1317年 文保の和談(ぶんぽうのわだん)(幕府の仲介)
①両統迭立(りょうとう てつりつ)
交互に皇位に就く
②後醍醐天皇(大覚寺統)皇位就任
執権14代・北条高時は、政治に興味なし。闘犬・田楽など。
→内管領・長崎高資(たかすけ)が実権。
鎌倉幕府はうまく機能せず、人々は不満が高まる。
・倒幕計画(by 後醍醐天皇)
1331年 元弘(げんこう)の変
(※1331年(元弘元年)『徒然草』が書かれた。)
幕府は後醍醐天皇を捕らえて、隠岐に配流。
倒幕に向けて、各地で武士が立ち上がる。
①楠木正成(くすのきまさしげ)、河内(山中の砦)で挙兵。
②後醍醐天皇、隠岐を脱出。
③足利高氏(尊氏)、六波羅探題を攻め落とす。(下野国(栃木)・足利の出身・源氏)
④新田義貞(にったよしさだ)、(上野国(群馬)出身・源氏)鎌倉を攻め落とす。
→北条高時自刃。鎌倉幕府滅亡(1333年)