『7人のシェイクスピア~NON SANZ DROICT』3巻メモ
ヨーク家⚪️VSランカスター家🔴
1422 ランカスター家のヘンリー6世即位
気弱で優柔不断
ヨーク公リチャード・プランタジネット
(リチャード3世の父)
歴史、学びメモ
『7人のシェイクスピア~NON SANZ DROICT』3巻メモ
ヨーク家⚪️VSランカスター家🔴
1422 ランカスター家のヘンリー6世即位
気弱で優柔不断
ヨーク公リチャード・プランタジネット
(リチャード3世の父)
『7人のシェイクスピア〜NON SANZ DROICT』
1巻
『ヴェニスの商人』
シャイロック
2巻
マーロウ
『タンバレイン大王』
中央アジア、ティムールがモデル
英・バラ戦争(1455-1485)
○ 勝ち🔴ランカスター家(ヘンリー7世)
VS
× 負け⚪️ヨーク家(リチャード3世)
🔴ランカスター家のヘンリー・テューダーが勝利。⇒ヘンリー7世としてテューダー朝を始めた。
(⚪️ヨーク家の三男リチャード3世が敗北)
ヨーク家の三男・リチャード3世
兄エドワード
『七人のシェイクスピア』(無印)1巻メモ
ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)
詩人、劇作家。生誕地イングランド中部ストラットフォード・アポン・エイヴォン。墓碑銘。エイヴォン河沿い。聖トリニティ教会
1600年。イングランド。ロンドン。エリザベス女王の御代。
ピューリタン(清教徒革命)は劇場などを否定。
『ハムレット』デンマーク🇩🇰の王子。復讐劇。
恋人オフィーリア。(ミレイの絵画)
ロバートセシル。エリザベス女王の重臣。
1587年リバプール
茶が中国(明)から薬として入ってきている。絹織物も。
十分の一税。教会。台湾、マニラ、密貿易。
(秀吉。文禄1592 慶長1597)
251110
不倒翁(ふとうおう)・・起き上がり小法師(こぼし)。中国の周恩来は文化大革命でも失脚しなかったので、不倒翁と呼ばれた。
【47】現代文明と各地の紛争
(1)アフリカの紛争
(2)パレスチナ問題の行方
(3)イラク・アフガニスタン情勢
(4)現代の文化と人類の課題
(1)アフリカの紛争
ポイント①アパルトヘイトに苦しむ南アフリカ!
人種差別に立ち向かったマンデラとその苦悩
<ジンバブエ>
・ローデシアの独立
白人政府によるアパルトヘイト政策の実施
→黒人が解放戦線を結成
↓↓
・ジンバブエ独立・・黒人政権
(ローデシア(白人)→ジンバブエ(黒人)に改名)
<南アフリカ共和国独立>
・イギリス連邦より離脱
国連総会が対南ア経済制裁を決議
・アフリカ民族会議(ANC)の抗議活動
・アパルトヘイト諸法撤廃(1991)
↓↓
・全人種による大統領選挙の実施(1994)
マンデラ大統領(任1994~1999)
元ANCの指導者
南アフリカ初の黒人大統領
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②紛争が続くアフリカ諸国
民族、宗教、地下資源・・絶えることのない紛争
<旧ポルトガル領からの独立>
1970年代、ポルトガル国内で民主化。それに連動してアフリカの国が3つ独立。
[1]ギニアビサウ独立
[2]アンゴラ独立
[3]モザンビーク独立
→いずれの国も、政府派 VS 反政府派の内戦へ・・
<アフリカ諸地域の紛争>
・ナイジェリア内戦(ビアフラ戦争)
東部に住むイボ族がビアフラ共和国を建国
(石油が取れる地域)
・ソマリア内戦(1980年代~)
多数のグループによる武装闘争が激化
→武力行使を認められた国連PKOの派遣→失敗
無政府状態に・・(1991~2012)21年間
海賊行為で公海を荒らす
・ルワンダ内戦(1990~1994)
フツ族によるツチ族の大量虐殺
(2)パレスチナ問題の行方
ポイント①第4次中東戦争後の和平への動き
エジプトの下した決断とアラブ諸国の反応
<エジプトとイスラエルの歩み寄り>
・中東和平合意
カーター大統領(米)の仲介
イスラエル首相:ベギン
エジプト大統領:サダト
(第4次中東戦争。現実主義者。エジプトを守るため動いたが・・)
・エジプト=イスラエル平和条約の締結
エジプトがアラブ諸国の中で初めてイスラエルを公式に承認
↓↓
アラブ諸国からは猛反発。断交など。
↓↓
・サダト大統領暗殺(1981)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ついに解決!?パレスチナ暫定自治協定!
20世紀末に調印された協定の「理想」と「現実」
<1980年代のパレスチナ>
・シナイ半島返還(1982)
イスラエルから→エジプトへ返還
関係が良くなると思いきや・・
↓↓
・イスラエルのレバノン侵攻
パレスチナ解放機構(PLO)の本部を攻撃
↓↓
・インティファーダの開始
パレスチナ人の大衆的抵抗運動。メディアで国際世論に訴える。
<イスラエルとパレスチナの歩み寄り>
・パレスチナ暫定自治協定の締結(オスロ合意)(1993)
イスラエル首相:ラビン
PLO議長:アラファト
(クリントン(米)/ 引き合わせたのはノルウェー、米)
↓↓
・パレスチナ暫定自治政府の樹立
ガザ地区などで自治が始まる
↓↓ しかし・・
・ラビン首相暗殺(1995)
この後イスラエルは和平へ消極的になっていく・・
(アラブ人に強気な方が支持率が上がる)
・アラファト議長の死去(2004)
・ガザ地区はイスラエルのシャロン首相により壁が作られ、隔離された・・。(2023年10月~ガザとイスラエルは再び戦闘に・・)
(3)イラク・アフガニスタン情勢
ポイント①アメリカに踊らされた!?イラクの動向
サダム・フセインの暴走とアメリカの思惑
<サダム・フセイン大統領(任1979~2003)>スンナ派
イラン革命。ホメイニ。第2次オイルショック。(1979)
↓↓
・イラン・イラク戦争(1980~1988)
米がイラクを支援。(米はイランが嫌いなので)
↓↓
・クェート侵攻
→湾岸戦争(1991)
ブッシュ(父)大統領。多国籍軍の派遣。
・米軍、イラク攻撃(イラク戦争)(2003)
ブッシュ(子)大統領。
大量破壊兵器の保持を口実にイラクへ侵攻。
→フセイン政権の崩壊
→米軍がイラクにとどまる。米軍駐留。
民主政治を導入するも・・スンナ派、シーア派、クルド人が混在しているため、民主政治ではまとまらない。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②国際テロ組織をかくまっていた!?アフガニスタンの行方
闇が深いアフガニスタン情勢
<アフガニスタン(社会主義政権)>
・ソ連軍、アフガニスタンへ侵攻(1979)
→社会主義政権を擁立
→アメリカの反発
→内戦状態へ・・(ソ連の財政圧迫)
<アフガニスタン(ターリバーン政権)>
・ソ連軍、アフガニスタン撤退(1988~1989)
ゴルバチョフ書記長
↓↓
ソ連がいなくなったあと、アフガニスタンでは・・
→イスラーム武装勢力:ターリバーンが首都を制圧
・同時多発テロ事件(2001.9.11)
アメリカはアル・カーイダ(国際テロ組織)の犯行と断定。
→アフガニスタンのターリバーン政権が、アル・カーイダをかくまっていると断定。
→米軍、アフガニスタン攻撃。
→ターリバーン政権の崩壊
→米軍、撤退。
→再度、ターリバーン政権が復活
※イラクもアフガニスタンも、米の軍事介入で政権が崩れた。現在も情勢は混乱、不安定。
(4)現代の文化と人類の課題
ポイント①20世紀の文化
激動の世紀を反映した文学・芸術・哲学とは
<哲学・精神分析>
・フロイト(墺)・・精神分析学
「夢はあなたの精神状態を表しているんです」
・デューイ(米)・・プラグマティズム(実用主義)
「哲学は実生活で使えないと意味がないんだ」
→教育学
<経済学>
・マックス・ヴェーバー(独)
「カルヴァニストあるところに資本主義あり」
カルバンを賞賛
<文学>
・シュペングラー『西洋の没落』
・トーマス・マン『魔の山』ファシズムを批判
<芸術>
・ピカソ『ゲルニカ』
・ジャズ・・米で生まれた黒人音楽
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ポイント②科学の進歩と人類にとっての大きな「課題」
発達する科学の裏側で悲鳴を上げ続ける「宇宙船」
<20世紀を代表する技術・発明>
・自動車(発明は19C末)一般への浸透
ラジオ、映画
・飛行機、人工衛星、クローン技術、生命工学(バイオテクノロジー)
<科学の躍進>
・アインシュタイン
相対性理論を提唱
第二次世界大戦後、核兵器の廃絶を訴える
<環境問題(環境破壊)>
・人口爆発と飢餓
・オゾン層の破壊、地球温暖化、砂漠化
・環境と開発に関する国連会議(地球サミット)
開催地:リオデジャネイロ(ブラジル)
「持続可能な開発」にむけての国際会議
・京都会議(地球温暖化防止会議)の開催(1997)
温暖化の原因の、温室効果ガス(二酸化炭素)の排出量を減らそう
→日本やEU諸国は議定書に批准
→米(ブッシュ(子))・中国は批准を拒否
(先進国だけ厳しい!と不満)
→ロシアの批准(2005)
「京都議定書」の発効
【46】経済危機と冷戦の終結
(1)世界的な経済危機
(2)ソ連の動向と冷戦の終結
(3)ソ連の崩壊と東欧諸国の民主化
(4)アメリカの動向
(5)西ヨーロッパ諸国
(1)世界的な経済危機
ポイント①国際経済体制の行き詰まり
アメリカ中心の経済はもう限界
<1970年代の経済的な危機>
・ドル危機(ドル=ショック)(1971)
アメリカが金とドルの交換を停止
→ブレトン・ウッズ国際経済体制の崩壊
・第1次石油危機(オイルショック)(第4次中東戦争)
・サミット(先進国首脳会議)の開催
欧米諸国が強力して世界の経済問題に対処するために協議
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ポイント②経済危機に立ち向かえ!アメリカ大統領の奮闘
ニクソン・カーター・レーガンの政治
トルーマン→アイゼンハワー→ケネディ→ジョンソン→ニクソン→フォード→カーター→レーガン→ブッシュ(父)
<ニクソン大統領(任1969~1974)>共和党
・ドル=ショック(1971)
・ウォーターゲート事件
民主党の事務所に盗聴器の設置を指示
→ニクソン辞任(1974)
<カーター大統領(任1977~1981)>
・「人権外交」
・米中国交正常化
・ソ連、アフガニスタンに軍事介入
→また米ソが対立
・第2次石油危機
<レーガン大統領(任1981~1989)>
・「強いアメリカ」軍備拡張
・新自由主義の提唱
「小さな政府」を目指す(=国家がお金を使わない)
国内改革と財政の再建
「もう1回経済はほったらかしにしよう」
・経済摩擦(貿易摩擦)
日米間の貿易問題
・「双子の赤字」
財政赤字と貿易赤字
(貯金もない、収入もない)
・プラザ合意
ドル安政策を進める
(2)ソ連の動向と冷戦の終結
ポイント①ソ連の「新思考外交」
方針を転換するソ連の思惑
スターリン→フルシチョフ→ブレジネフ→2人→
<ゴルバチョフ書記長(任1985~1991)>
(国内)
・ペレストロイカ(改革)
ソ連の自由化、民主化
・チェルノブイリ原子力発電所事故
(1986 ウクライナ)
↓↓
・グラスノスチ(情報公開)
(外交)
「新思考外交」
平和に歩みよる。
・中距離核戦力(INF)全廃条約
・アフガニスタン撤退
・中ソ国交正常化
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②冷戦の終結
歩み寄る米ソ両首脳
カーター→レーガン→
<ブッシュ(父)大統領(任1989~1993)>
・マルタ会談(1989)
地中海マルタ島
ソ連のゴルバチョフ書記長と共に冷戦の終結を宣言
↓↓
・第1次戦略兵器削減条約(START I)
(今までは「制限」だった。今後は減らしていく)
(3)ソ連の崩壊と東欧諸国の民主化
ポイント①ソ連の崩壊
現在のロシア連邦が成立する
<ゴルバチョフ大統領(任1990~1991)>
・コメコン解消、ワルシャワ条約機構解消
・保守派クーデタ→失敗
→ソ連共産党解散
・バルト3国独立回復
↓↓
・独立国家共同体(CIS)の成立(1991)
安全保障・経済・文化などの面で旧ソ連各国の協力体制を目指す
ソビエト政府・・強い締め付けで各国を一つに束ねていた
CIS・・緩やかな連合で、それぞれが協力していく
ゴルバチョフ大統領辞任→ソ連消滅(1991)
<ロシア連邦>(1991)
・エリツィン大統領(任1991~1999)
チェチェン紛争の激化
(ロシア連邦からの独立をめざすイスラーム国家。チェチェン共和国)
・プーチン大統領(任2000~2008)
チェチェン紛争の再激化。軍事で弾圧。
・メドヴェージェフ大統領(任2008~2012)
・プーチン大統領(任2012~現在)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②東欧諸国の民主化
共産党一党体制が崩壊していく・・
ゴルバチョフ発言「ソ連は他の国に干渉しない」
ルーマニア、ポーランドで民主化があってもソ連は手を出さない
↓↓
東欧革命・・民主化
<東欧社会主義圏の消滅(1989)>
・ポーランド自主管理労組「連帯」
指導者:ワレサ(→後に大統領に)
東欧諸国初の自由選挙で「連帯」が政権を獲得
・チャウシェスク処刑(ルーマニア独裁者)(1989)
・ホネカー退陣(東ドイツ)
→ベルリンの壁開放
→東西ドイツ統一(1990)
==========
<ユーゴスラヴィア内戦>
(6つの共和国で構成)
[1]クロアティア(カトリック国)
[2]スロヴェニア(メラニア・トランプ夫人の出身地)(カトリック国)
[3]セルビア(ギリシア正教・中心的存在)
[4]モンテネグロ
[5]マケドニア
[6]ボスニア・ヘルツェゴビナ
6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字
ティトーがまとめていたが、没後、米ソ冷戦終結後、混乱。。
・クロアティア、スロヴェニア両共和国、独立宣言(1991)
・マケドニア独立宣言
・ボスニア・ヘルツェゴビナ独立宣言(1992.3)
・新ユーゴスラヴィア連邦成立
セルビア、モンテネグロのみ
<ボスニア内戦(1992~1995)>
ボスニア・ヘルツェゴビナには、イスラーム教徒、クロアティア人、セルビア人の3つの民族が住む。
↓↓
ボスニアをめぐって、クロアティアとセルビアが武力干渉。
米が割って仲介に入る。
<コソヴォ問題>
セルビアのコソヴォ自治州でアルバニア系住民が独立運動
「自分たちはセルビア人じゃない。セルビアから独立したい」
↓↓
セルビアのミロシェヴィッチ大統領が弾圧。民族浄化。
↓↓
・NATO軍、セルビア空爆(1999)
(4)アメリカの動向
ポイント①9.11の悲劇
「対テロ戦争」の始まり
ブッシュ(父)冷戦終結→
<クリントン大統領(任1993~2001)>(民主党)
・北米自由貿易協定(NAFTA)
アメリカ、カナダ、メキシコの3国で関税を引き下げ、自由貿易協定
→メキシコ農家が大ダメージ
→都市労働者が増え、賃金が下がる・・
・インターネットを民間へ開放(1990年代)
元々、軍事機密だった。
↓↓
・情報技術(IT)革命
コンピュータや携帯電話の発達。
→経済危機から一転、米の経済は、急成長
==========
クリントン→
<ブッシュ(子)大統領(任2001~2009)>
・同時多発テロ事件(2001/9/11)
アメリカ世界貿易センタービルに旅客機が追突
アメリカ国防総省ペンタゴンに旅客機が墜落
↓↓
・「対テロ戦争」宣言の発表
アル=カーイダ(国際テロ組織)の犯行と断定
首班:ビン=ラーディン
↓↓
米軍、アフガニスタン攻撃。軍事侵攻
→ターリバーン政権(イスラーム武装組織)が、アル・カーイダをかくまっている。
→ターリバーン政権が崩壊
・米軍、イラク攻撃(イラク戦争(2003))
サダム・フセインが大量破壊兵器を持っているとイラクへ侵攻
英・日は賛同、支援。
仏などは批判。ただの武力侵攻だ。
→フセイン政権の崩壊。
ブッシュ(子)は米の単独行動主義。
(ブッシュ(父)は湾岸戦争1991)
・イラク復興支援特別措置法(2003)
小泉純一郎内閣
→自衛隊の海外派遣(イラクへ)
小泉・ブッシュ(子)は親友
・2008年国際金融危機(リーマンショック)
世界的な大不況
→G20(サミット)
金融に関する国際会議の開催
アフガン侵攻、イラクへの侵攻、さらにリーマンショックで、米は再び経済危機に・・
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②オバマ大統領の「核廃絶演説」
核兵器を使用した唯一の国、アメリカ
ブッシュ(子)→
<オバマ大統領(任2009~2017)>
アメリカ初の黒人大統領
・核兵器廃絶演説(at チェコ・プラハ)(2009)
同年、ノーベル平和賞を受賞
・国連平和維持活動(PKO)や非政府組織(NGO)
軍隊を紛争地域に突入させるのではなく、平和的に紛争の調停をする
(5)西ヨーロッパ諸国
ポイント①新たな経済政策へ・・・
イギリス、ドイツで起きた経済危機とは?
(イギリス)
アトリー内閣・社会福祉の充実→
<サッチャー内閣(任1979~1991)>保守党
マーガレット・サッチャー
英初の女性首相
「イギリス病(慢性的な不況)」の克服を目指す
・新自由主義(米・レーガンと同じ)
→「小さな政府」をめざす
社会福祉の削減、国有企業の民営化、自由競争奨励
・フォークランド戦争(1982)
アルゼンチン✕ VS 〇イギリス
英領のフォークランドを南米アルゼンチンが占領。
英は大軍を送り込み鎮圧。英勝利。
強硬外交
(ドイツ)
<コール首相(任1982~1998)>西ドイツ→統一ドイツ
・ベルリンの壁開放→ドイツ統一
・ドイツ連邦共和国(西独が東独を吸収する形)
首都:ベルリン
東西格差問題
→外国から安い労働力を入れて、ドイツの産業発展をめざしたが・・
↓↓
<外国人労働者問題>
トルコ人などの外国人労働者が多く流入
→国内のドイツ人失業者が増加
↓↓
ネオ・ナチの登場
外国人労働者を排斥
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②EUの発足
かつての社会主義諸国も参加
1967 ECの成立→1980年代 12カ国に拡大→
<EU(ヨーロッパ連合)>
・マーストリヒト条約(オランダで締結)
欧州連合の推進を目的
経済・通貨・政治面で統合を進展
↓↓
・ヨーロッパ連合(EU)の発足(1993)
本部:ブリュッセル(ベルギー)
(最寄駅は「シューマンステーション」(仏外相)「ヨーロッパは統合してくべきだ」)
・ユーロの導入(統一通貨)
1999 銀行決済
2002 各国の通貨になる
→ドルに対抗する国際通貨に
・かつての東欧社会主義国も参加→20カ国に。
経済的のみ。政治的にはまだ。
【45】アジア諸地域の紛争
(1)ベトナム戦争
(2)カンボジア・ラオスの情勢
(3)インドシナ半島以外の東南アジア
(4)南アジアの紛争
(5)中東戦争
(6)イラン革命
(1)ベトナム戦争
ポイント①社会主義の拡大を防ぎたい!
アメリカ、ベトナム戦争へ介入するも財政悪化
<インドシナ戦争後のベトナム>北緯17度線
・北ベトナム:ベトナム民主共和国(ホーチミン)
VS
・南ベトナム:ベトナム国(バオダイ)仏が擁立
↓↓
・ベトナム共和国の成立(1955)米が擁立
ゴ・ディン・ジエム大統領
→南北統一選挙を拒否。親米・反共の独裁政治。
・南ベトナム解放民族戦線の結成(解放戦線)
一部の民衆が抵抗。「北とくっつきたい」。南ベトナムの内部でできた組織。南ベトナムでクーデタ頻発。
→ゴ・ディン・ジエム暗殺
↓↓ 焦るアメリカ・・
(トンキン湾事件をねつ造)
<ベトナム戦争(1955~1975)>
・米国の北ベトナム爆撃(北爆)(1965)
36代 ジョンソン大統領
米、韓国、フィリピン、オーストラリアなど50万人以上の軍を派遣
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ベトナム戦争の泥沼化・・
アメリカの国際的威信は大きく低下。停戦を求めて動き始める。
<ベトナム戦争>
・南ベトナム解放民族戦線が各地で猛反撃(ゲリラ戦)
・ベトナム反戦運動の高揚
米国内をはじめ欧州・日本でも展開
→アメリカの国際的孤立
・パリ和平会談
ジョンソン大統領が北爆の部分停止を表明
・ニクソン訪中(1972)
中国に頼んだ「アメリカに不利にならないように斡旋して下さい」
↓↓
・ベトナム(パリ)和平協定(1973)
→米軍のベトナム撤退
37代 ニクソン大統領
(※ベトナム戦争はジョンソンで始め、ニクソンで終わる)
↓↓
・サイゴン攻略(1975)
南ベトナム政府が壊滅
↓↓
・ベトナム社会主義共和国の成立(1976)南北ベトナム統一
北ベトナムが南ベトナムを吸収。
↓↓
ドイモイ(刷新)の展開(1980年代)
改革・開放路線
(2)カンボジア・ラオスの情勢
ポイント①ベトナム戦争に巻き込まれた?
米軍、ベトナムの隣国カンボジア、ラオスへ侵攻
<カンボジア>
・カンボジア独立(1953)(仏→日→仏より)
国王シハヌーク(親中派)
→社会主義へ傾倒
↓↓
・米軍のカンボジア侵攻
シハヌークを追放
ロン=ノル政権(親米派)
<ラオス>
・ラオス独立(1953)(仏→日→仏より)
政情不安定が続く
親米派首相 VS 左派勢力(社会主義)
米軍のラオス侵攻
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②カンボジアにおける内戦の激化
米軍撤退後、暗黒の時代へ突入・・
国王シアヌーク追放後・・
<民主カンプチア(民主カンボジア)>
米軍ベトナムから撤退。ロン・ノルは後ろ盾(米)を失う
↓↓
<ポル・ポト政権>(1975~1979)
・親中派(中国をモデルにした国づくり)
・赤色(せきしょく)クメール(クメールルージュ)
農村を基盤とする極端な共産主義社会の建設
反対派を虐殺。
↓↓
・ヘン・サムリン政権・・反ポルポト。ベトナムの支援を受ける。
ベトナム軍のカンボジア侵攻
→ポル・ポト政権の崩壊
↓↓
・中越(中国=ベトナム)戦争(1979)
中国(ポルポト)✕ VS 〇ベトナム(ヘンサムリン)
(初の社会主義同士の戦い)
↓↓
ヘン・サムリン政権はベトナムの力を借りて長期政権へ。
(3)インドシナ半島以外の東南アジア
ポイント①開発独裁の行き詰まり
フィリピン・インドネシアでみられた独裁の終焉
(フィリピン)
<マルコス大統領(任1965~1986)>(反共・親米)
開発独裁
反政府運動の高まり
イスラーム勢力
======
(インドネシア)
<初代 スカルノ大統領(任1945~1967)>
・九・三〇事件(軍部クーデタ)
軍部保守派が実験を掌握
↓↓
<2代 スハルト大統領(任1968~1998)>(反共・親米)
・東南アジア諸国連合結成(ASEAN)アセアン
(Association of South-East Asian Nations)
東南アジアの社会主義化を防ぐためにできた。
→後に反共の色は薄れ、経済協力組織になっていく。現在でもある。(高市首相も参加 2025/10/26)
(cf ※東南アジア条約機構(SEATO)はベトナム戦争の終結で解消。現在はもうない。)
・東ティモール、アチェ、インドネシアからの独立の動き
・アジア通貨危機の混乱
→スハルト退陣
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②マレー半島内部の民族対立
現地マレー人と華僑の対立
(マレーシア)
・マラヤ連邦の成立
イギリス連邦の自治領
・マレーシア連邦の成立
マラヤ連邦・シンガポールなど
現地マレー人を優遇する経済政策
→貧富の差を解消することが目的
↓↓
華僑(中国からの移民)が反発
マレーシアから独立
↓↓
・シンガポール、分離・独立(1965)
・新興工業経済地域(NIES/ニーズ)の一員へ
(韓国・台湾・香港・シンガポール・ブラジル)
発展途上国の中から急速な工業化に成功し高い経済成長率を実現。
(4)南アジアの紛争
ポイント①インド VS パキスタン
東パキスタンの独立を支援するインド
<第1次インド・パキスタン戦争(1947~1949)>
・カシミール帰属問題
住民はイスラーム系、藩王はヒンドゥー系
・ガンディー暗殺(1948)
・インドの核保有(1974)
世界で6番目
<パキスタン共和国独立(1947)>
初代総督:ジンナー(任1947~1948)
全インド=ムスリム連盟の指導者
・バングラデシュ(東パキスタン)分離・独立(1971)
インドが支援
↓↓
・第3次インド・パキスタン戦争(1971)
・パキスタンの核保有(1998)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②スリランカの内戦
宗教対立が火種に・・
<スリランカ内戦>
・スリランカ(セイロン)独立(1948)
(セイロン→スリランカに改名(1972))
・スリランカ内戦(1983~2009)26年
タミル人(少数派・ヒンドゥー教徒)
VS
シンハラ人(先住民・仏教徒)
※英が茶葉の栽培の労働力のため、南インドからタミル人を強制連行した。
(5)中東戦争
ポイント①第1次・第2次中東戦争
パレスチナ分割案が引きがねに・・
WW1後、英がパレスチナを管理
WW2、英が管理を放棄
↓↓
<第1次中東戦争(1948)>
・パレスチナ分割案が国連総会で可決
→ユダヤ人がイスラエル建国
アラブ諸国連盟✕ VS 〇イスラエル
→アラブ人がパレスチナ難民に・・
=========
<第2次中東戦争(スエズ戦争)1956)>
・ナセル大統領(エジプト)
スエズ運河国有化宣言
→イスラエル、英、仏が出兵
→国連が即時停戦を決議
→停戦
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第3次・第4次中東戦争
アラブ人を追い出した!非道なイスラエル
<第3次中東戦争(1967)> イスラエル圧勝〇
・パレスチナ解放機構(PLO)結成
アラファト議長(任1969~2004)
難民を救済。アラブ人の権利を守っていこう。
イスラエルがエジプト・シリア・ヨルダンに先制攻撃
[1]シナイ半島(エジプト)
[2]ガザ地区(エジプト)
[3]ヨルダン川西岸(ヨルダン)
[4]ゴラン高原(シリア)
を軍事占領
→ますます難民が増える・・
=========
<第4次中東戦争(1973)>
サダト参戦
・アラブ石油輸出国機構(OAPEC)の結成
石油が取れるアラブ人国家
・アラブ側が先制攻撃
→イスラエルの反撃
・アラブ産油国が石油戦略を発動
→第1次石油危機(オイルショック)
OAPEC・・親イスラエル諸国への石油輸出停止
OPEC(石油輸出国機構)・・原油価格を値上
(6)イラン革命
ポイント①イラン=イスラーム共和国の成立
イスラーム原理主義を掲げ、革命が発生
・イラン(首都:テヘラン、他の都市:イスファハーン)右・東
・イラク(首都:バグダッド)左・西
イ|イ
ラ|ラ
ク|ン
ーーーーーーー
クウェ|
ペルシア湾
イランで起きた革命
<国王パフレヴィー2世(位1941~1979)>親米、親英、反共
・「上からの近代化」を推進
・バグダード条約機構(中東条約機構・METO)に加盟
反共路線
→中央条約機構に加盟(CENTO)
↓↓ 貧富の差が拡大
<イラン=イスラーム革命(1979)>
・シーア派のホメイニが指導
イスラーム原理主義
(※シーア派は少数派で、人口の10%だが、イランはシーア派が多い。→サファヴィー朝ペルシアで、シーア派が国教だったため)
→パフレヴィー2世の亡命
→イラン=イスラーム共和国が成立
これまでの路線をガラッと変える→反米、反英に
・産油量の削減
→第2次石油危機(オイルショック)
アメリカとイランの関係は急速に悪化。米はイラクが憎い!国交断絶に・・
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②湾岸戦争、勃発
イラク、クウェートへ侵攻
<イラクの動向>(都:バグダッド)
・イラク革命・・王政を廃止
<サダム・フセイン大統領(任1979~2003)>
独裁権力(→イラクにはシーア派、スンナ派、その他の民族が混在しているため)
隣のイランでシーア派のホメイニが革命を起こした(イラン=イスラーム革命1979)。イラクでもシーア派が立ち上がられたら困る・・。
↓↓
・イラン・イラク戦争(1980~1988)
米が味方になってくれる(米はイランが嫌いなので)
長期戦、勝負は引き分け。財政難に・・。
↓↓
・クウェート侵攻(1990)
石油が取れる地域。フセインが「元々クウェートはイラクの領土だ」と言って侵攻する。
↓↓
・湾岸戦争(1991)
米を中心とする多国籍軍がイラクを空爆
多国籍軍(米)〇 VS ✕イラク(フセイン)
(米の手のひら返し・・)
【44】自立を強める東アジア
(1)激動の中華人民共和国
(2)中国の「暗黒」の時代
(3)急成長を遂げた大国!中国
(4)朝鮮半島分断国家の行方
[1]毛沢東→[2]劉少奇→[3]復活・毛沢東→[4]鄧小平
(1)激動の中華人民共和国
ポイント①毛沢東の暴走!
ソ連や近隣諸国との関係が悪化
<ソ連との関係が悪化>
・中ソ友好同盟相互援助条約(軍事同盟)(1950)
スターリンの死後、中ソ関係が悪化・・
↓↓
・中ソ論争(中ソ対立)
ソ連の平和共存政策(フルシチョフ)によるアメリカとの接近に中国が反発
→キューバ危機以降は公開論争へと発展(1960年代)
・チベット反乱(1959)
チベット仏教僧侶を中心とした反中国反乱
→人民解放軍により鎮圧
→ダライ・ラマ14世はインドへ亡命
↓↓ 身柄引き渡しをめぐって・・
・中印国境紛争(1959~1962)
中国〇 VS ✕インド
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②毛沢東の失脚!
国内改革に大失敗・・2000万人以上の餓死者が発生
<「大躍進」(第2次五カ年計画)>
・工業・農業の急速な発展を目指す
人民公社・・農村部における生産活動と行政・教育活動などを一体化
・中ソ技術協定破棄+大規模な自然災害→大失敗。毛沢東辞任。
<調整政策>
・国家主席:劉少奇
鄧小平による補佐
資本主義経済の仕組みを導入
→農業生産力の回復
(2)中国の「暗黒」の時代
ポイント①毛沢東の復活!?
中国の経済活動・文化活動などすべてを停滞させた魔の時代
<プロレタリア文化大革命(1966~1977)>経済・文化の停滞期
・毛沢東による実権派の一掃
劉少奇、鄧小平らを「資本主義復活をはかる者」として批判
・紅衛兵の結成(学生中心)赤を守る
全国各地で激しい闘争を行う
・「四人組」の横暴
毛沢東の権威を利用して権力を掌握
(毛沢東の妻:紅青など)
・中ソ国境紛争(1969)
ウスリー川に位置する島をめぐって中ソが軍事衝突
↓↓ (米がチャンス!と近づく)
・中国の国連代表権交代
米が中国に歩み寄り。台湾→中国
ソ連との関係は悪化、代わりに米との関係が良くなる
・ニクソン訪中(1972)・・米は中国を事実上承認
・日中国交正常化(1972)・・田中角栄内閣-周恩来
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②大国へと歩み始める中国
毛沢東の死後に目指された中国の新しい目標
・周恩来の死→毛沢東の死(1976)
→鄧小平(とうしょうへい)の時代に・・!
・華国鋒が中国共産党主席(首相も兼任)に就任
「四人組」を逮捕
<「四つの現代化」>
・農業・工業・国防・科学技術の近代化を目指す
→文化大革命後の中国の新しい目標に設定
・改革・開放政策(1978以降)
(3)急成長を遂げた大国!中国
ポイント①改革・開放政策の進展
急速に発展する中国経済と高まる民主化運動
<鄧小平の時代>
・人民公社解体
農村部に生産責任制を導入(生産請負制)
資本主義の仕組みを取り入れた。作ったものは好きにしていい。(=販売、貯蔵、廃棄など)
・社会主義市場経済の導入
→経済特区の指定
より広い自由化を求める大規模な民主化要求運動が発生
→(第2次)天安門事件(1989)北京の広場に集まった民衆を弾圧
・鄧小平死去(1997)
<江沢民の時代>
・香港返還(1997)イギリスより返還
・マカオ返還(1999)ポルトガルより返還
領土を回収
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②台湾(中華民国)の行方
次第に民主化の道へと動き始める台湾
中国国民党
<総統:蒋介石の時代>反共親米・独裁
・日華平和条約
・米韓相互防衛条約
しかし途中で米に裏切られた・・
→中国の国連代表権交代(1971)
・蒋介石死去(1975)
<総統:李登輝(りとうき)の時代(1980年代)>
・台湾の民主化が進展
→中国本土との対立が深まる
(4)朝鮮半島分断国家の行方
ポイント①韓国の戦後復興の立役者!
開発独裁ともいわれた強力な指導者の登場
李承晩→
<朴正煕(ぼくせいき/パクチョンヒ)(任1963~1979)>反共親米
・韓国軍部クーデタで実権を掌握
→開発独裁・・韓国は経済復興に成功
・日韓基本条約(1965)
日本と韓国の国交正常化
(米がベトナム戦争で韓国を支援する余裕がなくなった。→米は日本に経済支援を任せた。5億ドル(500億円))
・朴大統領暗殺(1979)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②1980年代以降の韓国の情勢
軍部中心の政治からようやく民主化へ・・
<盧泰愚(ろたいぐ/ノテウ)(任1988~1993)>
・初の平和的な政権交代
→民主化宣言
・南北朝鮮、国連同時加盟(1990)
<民主政治の進展(1990年代)>
・金泳三(きんえいさん/キムヨンサム)・・初の文民政権
アジア通貨危機・・韓国・インドネシアなどに広がった通貨下落
<金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)(任1998~2003)>
・太陽政策(包容政策)
対北朝鮮友好政策
・南北両朝鮮首脳会談(2000)
韓国の金大中と北朝鮮の金正日(キムジョンイル)との会談
【43】第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り
(1)非同盟主義の新興国
(2)アフリカ諸国の独立
(3)ラテンアメリカ諸国とキューバ革命
(4)米ソ両大国の動揺
(5)ヨーロッパにおける緊張緩和
(1)非同盟主義の新興国
ポイント①戦後の新興独立国がとった新路線とは?
アジア・アフリカの国々が結束して米ソに対抗
<第三勢力>
米ソ両陣営に入らず、積極的中立を主張した勢力
アジア・アフリカの新興諸国が中心
[1] ネルー・周恩来会談(1954)
平和五原則の発表
[2] アジア・アフリカ会議(バンドン会議・1955)
スカルノ大統領の提唱(インドネシア)
史上初のアジア・アフリカ首脳会議を主催
平和十原則
[3] 第1回 非同盟諸国首脳会議(1961)
開催地:ベオグラード(ユーゴスラヴィアの首都)
ティトー、ナセル、ネルーの呼びかけ
アジア・アフリカ・ラテンアメリカの非同盟国が参加
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②エジプトで高まるアラブ民族主義!
非同盟主義の象徴!その人物の名は・・
<エジプト革命(1952)>
・自由将校団(改革派グループ) が国王を追放
王政→エジプト共和国の成立(1952)
・ナセル大統領(任1956~1970)
「私は非同盟主義です。アメリカにもソ連にも強力しません」
近代化、国内改革
・アスワン・ハイダム建設→資金問題の発生
・米英の融資
・ソ連からも融資
↓↓
米英からエジプトへの融資を白紙撤回される。
↓↓
・スエズ運河の国有化
ダム建設に足りない資金をスエズ運河の通行料でまかなおうとした。
↓↓
・スエズ戦争(第2次中東戦争)(1956)
エジプト〇 VS ✕英仏イスラエル
国連の介入
アラブ民族主義の中心的存在となる
(2)アフリカ諸国の独立
ポイント①20世紀はアフリカの世紀!
第二次世界大戦後、次々と独立を果たすアフリカ
「リベリア共和国」のみ独立を維持。他は欧の植民地。
・北部:アラブ人(アラブ=アフリカ)
・南部(サハラ砂漠以南):黒人(ブラック=アフリカ)
[1]<アラブ=アフリカの独立>
(WW2中)
・エチオピア帝国の独立回復
(WW2後)
・リビア独立(伊→英仏)
・スーダン独立(英)
・モロッコ独立(仏)
・チュニジア独立(仏)
・アルジェリア独立
アルジェリア戦争
石油が取れるので仏は独立を許したくない。
民族解放戦線〇 VS ✕仏(ド・ゴール)
[2]<ブラック=アフリカの独立>
・ガーナ独立(1957)アフリカ中部
初代 エンクルマ大統領
「20世紀はアフリカの世紀」
・ギニア独立
・「アフリカの年」(1960)・・17カ国の独立
・アフリカ統一機構(OAU)の結成(Organization of African Unity)
(本部:アジスアベバ(エチオピア))
「パン=アフリカニズム」
<アフリカの年>
・コンゴ独立
コンゴ動乱(1960)
カタンガ州の分離独立紛争。
豊富な資源を狙って、旧宗主国ベルギーが介入
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②アフリカが直面する問題
旧宗主国からの独立を果たすも・・
<発展途上国としての苦悩>
・国連貿易開発会議(UNCTAD)の設立
貿易・援助を中心とした国際協力を推進
・南北問題
先進国と発展途上国との経済格差
・南南格差
「南」の中で生じた更なる経済格差
地下資源(石油、石炭)などが取れる地域との格差。
(3)ラテンアメリカ諸国とキューバ革命
ポイント①アメリカ大陸の支配者は合衆国!
ラテンアメリカ諸国に強く干渉する合衆国
・アメリカ州機構(OAS)(Organization of American States)
南北アメリカ21カ国による反共協力組織
<反米的な政権の成立>
・アルゼンチン
ペロン大統領:外国資本の国有化、初等教育拡大
・ブラジル
ヴァルガス大統領:資源の国有化、労働者の保護
・チリ
アジェンデ大統領(選挙による社会主義政権)
ところが・・
→チリ軍部クーデタ(米CIAが裏で糸を引く)。アジェンデ死亡
→ピノチェト政権成立
(親米軍事政権)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界を震撼させた重大事件!
アメリカの「裏庭」で起きた革命とその後の様子
<キューバ危機(1962)>
・バティスタ政権
米と結んだ親米独裁政権
↓↓
貧富の差が拡大
・キューバ革命(1959)
指導者:カストロ、ゲバラ
バティスタ政権を倒す
↓↓
米、キューバと国交断絶
↓↓
・キューバ社会主義宣言
ソ連に接近
ミサイル基地の建設
↓↓
米ケネディ大統領、海上封鎖
ソ連の船が入ってこれないように
↓↓
・キューバ危機(1962)
フルシチョフ(ソ)VSケネディ大統領(米)
あわや核戦争・・!?
↓↓
ソ連が譲歩して平和的に解決
(4)米ソ両大国の動揺
ポイント①キューバ危機以降のアメリカ大統領の政策
ケネディとジョンソンの時代に起きた重大事件
33 トルーマン→34 アイゼンハワー→
<35代 ケネディ大統領(任1961~1963)>
(米史上初・アイルランド系カトリック出身)
キューバ危機の翌年・・
・部分的核実験停止(禁止)条約(PTBT)(1963)
米・英・ソ。大気圏内、宇宙空間、および水中での核兵器実験を禁止
(地下実験はできる)
→仏、中国は強い不快感
・ニューフロンティア政策
国内政治の新たな方針。教育、高速道路、住宅建設、社会福祉などに政府が介入。
・黒人解放運動(公民権運動)
指導者:キング牧師
(非暴力、不服従。ガンディーと同じ)
演説「私には夢がある」ワシントン大行進
・ケネディ暗殺(1963)
at テキサス州ダラス
→副大統領のジョンソンが後を継ぐ
========
<ジョンソン大統領(任1963~1969)>
・「偉大な社会」計画
アメリカから差別と貧困をなくすことを提唱
・「公民権法」の制定
人種・宗教・性別・出身国などによる差別を禁止する法律
(※注:「公民権法」はケネディではなくジョンソンのとき)
しかし・・
・ベトナム介入(1965)
=北ベトナム爆撃
ベトナム反戦運動の高揚→世界へ拡大
→黒人解放運動とも合流
米は
・財政が圧迫(経済✕)
・国際的に孤立(外交✕)
・差別など国内問題も解決できていない(政治✕)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ソ連陣営はガタガタ!?
ソ連から離れていく東ヨーロッパの国々
スターリン→フルシチョフ→
<ブレジネフ書記長(任1964~1982)>
・フルシチョフ解任(失脚)
キューバ問題などで
(外交の軸がブレる)
<軍縮の動き>米ソ
・核拡散防止条約(NPT)
・第1次戦略兵器制限交渉(SALT1)
・第2次戦略兵器制限交渉(SALT2)(1979)
・ソ連軍、アフガニスタンへ軍事介入(1979)
アフガニスタンの社会主義政権を軍事介入で支援。
→米は猛反発。SALT2のサインを拒否。流れてしまう。
(周辺国の対ソ反発)
・アルバニアの対ソ断交・・ホジャ政権。
・ルーマニアの対ソ独自外交・・チャウシェスク政権。ソ連と距離を置く。
・チェコスロバキアの民主化運動
「プラハの春」(1968)
↓↓
共産党書記長:ドプチェク政権の誕生←ソ連の軍事介入で失敗。
チェコの民主化運動はつぶされる・・。
(5)ヨーロッパにおける緊張緩和
ポイント①西ドイツの平和的な外交
社会主義諸国との関係を次々と改善!奇跡の外交
(ドイツ連邦共和国(西ドイツ))
<初代 アデナウアー首相(任1949~1963)>反共
(政党名:キリスト教民主同盟)
・西ドイツの経済復興
(米に次ぐ大国に。親米・反共)
・西ドイツの主権回復→再軍備→NATO加盟
・ベルリンの壁の構築(1961)
東ドイツ政府が西ベルリンを遮断。
逃亡者が相次いだため。
=====
<2代 ブラント首相(任1969~1974)>平和外交
政党:ドイツ社会民主党
・東方外交・・社会主義国との和解を促進
・西ドイツとポーランドの国交を正常化
ワルシャワでの跪き(ひざまずき)。ホロコーストへの深い謝罪。「ドイツの謝罪」
・東西ドイツ基本条約・・双方の主権を承認
→東西ドイツ、国連同時加盟
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②欧州各地で進む民主化
独裁体制から民主政治へと歩む欧州の小さな国々
(スペイン)
・軍人フランコ(ファシズム)死亡(1975)
スペイン内戦でアサーニャ人民戦線内閣を破った
↓↓
・スペイン王政復活(ブルボン朝)
国民投票で新憲法を制定。王政でも民主化が進む。
(現在もスペインはブルボン王家の王がいる。)
======
(ポルトガル)
・ポルトガル民主化「リスボンの春」
独裁者死亡→軍部による無血クーデタ→民政へ・・
======
(ギリシア)
・WW2後、王政の復古
→軍部クーデタで王政廃止。軍部独裁政権が発足(1967)
↓↓
・ギリシア民主制復帰(1974)
【42】冷戦の激化と西欧・日本の経済復興
(1)朝鮮戦争と軍拡競争
(2)核開発と平和運動
(3)ヨーロッパ諸国の経済統合
(4)日本の成長と冷戦の転機
(1)朝鮮戦争と軍拡競争
ポイント①米ソの代理戦争!朝鮮戦争の勃発
アメリカ・ソ連がそれぞれ支持する国々が衝突
<朝鮮戦争(1950~1953)>
北朝鮮 VS 韓国
・北朝鮮軍が軍事侵攻。ソウル占領。
→韓国は釜山まで追い詰められる。
↓↓
・国連軍出動(米主体)仁川(じんせん)上陸
(安保理はソ連がボイコットしたが米が強引に決めた)
→北朝鮮軍を中国国境まで追い込む
↓↓
・中国が人民義勇軍(ボランティア兵)を派遣し北朝鮮を支援。
↓↓
・朝鮮休戦協定(1953)at 板門店(はんもんてん)
暫定的な軍事境界線
北緯38度線
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ソ連に負けるな!アメリカの「巻き返し政策」
全世界と反共軍事同盟の締結を狙うアメリカ
33代トルーマンの次・・
<34代 アイゼンハワー大統領(任1953~1961)>
「ソ連をつぶす。米が世界の国々と軍事同盟を結ぶ・・!」
=巻き返し政策
・マッカーシズムの流行(1950年代初)
議員:マッカーシ
ソ連派をヒステリックに追放(赤狩り)
<世界各地に成立した反共軍事同盟> ソ連との対決に備える
・日米安全保障条約(1952)
・米韓相互防衛条約
・米華相互防衛条約(台湾)
・太平洋安全保障条約(ANZUS)
・東南アジア条約機構(SEATO)
・中東条約機構(バグダード条約機構、METO)
・アメリカ州機構(米州機構、OAS)
(2)核開発と平和運動
ポイント①核を保有すると、発言力が強くなる!?
米ソに対抗し、次々と核を保有する国が登場
<原子爆弾>
・ウランやプルトニウムの核分裂を利用してつくる大量破壊兵器。
核実験・・米が世界で初めて成功
<各国の核の保有>
・米の核実験・・1945年
・ソ連の核実験・・1949年
・米は水素爆弾の実験にも成功→ソ連も猛追
・英の核実験・・1952年
・仏の核実験・・1960年
・中国の核実験・・1964年
・インドの核実験・・1974年
・パキスタンの核実験・・1998年
・北朝鮮も核を保有
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②平和な世界にするために…
世界各地で行われた平和運動・核兵器廃絶運動
<核兵器の廃絶にむけて>
・ビキニ水爆実験
米、中部太平洋、マーシャル諸島のビキニ環礁で核実験実施
「死の灰」により周辺住民は被曝
↓↓
・第五福竜丸事件(1954)
日本のマグロ漁船の乗組員が「死の灰」を浴び被曝
↓↓
・原水爆禁止運動
東京都杉並区の主婦の運動から始まる
→世界的運動に発展
・バートランド・ラッセル(英哲学者)
「多くの人が核の廃絶を訴えることが重要」
↓↓
・ラッセル・アインシュタイン宣言
核兵器・核戦争の危険性を訴えた宣言
↓↓
・パグウォッシュ会議(カナダ)
科学者による核兵器禁止運動
科学と国際問題について協議
(3)ヨーロッパ諸国の経済統合
ポイント①目指すのは経済的な「第三の巨人」
独立を維持した状態で、経済的に全面協力
<これまでのヨーロッパの戦争を反省・・>
仏外相:シューマン
「地下資源豊富な地域をめぐって何度も争ってきた。特に独と仏は・・」アルザス・ロレーヌは普仏戦争、WW1、2で取り合い。→みんなで共有したらどうだ?
シューマン=プラン
↓↓ 独立は維持したまま、お互い経済的に協力する組織
<ヨーロッパ共同体(EC)(1967)>
仏、西独、伊、ベネルクス3国、の6カ国
・ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)
・ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)ユラトム
・ヨーロッパ経済共同体(EEC)
→この3つが合わさってヨーロッパ共同体(EC)ができる。
VS
・ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)
英の提案で発足。工業製品の共同市場。
・拡大EC
1970年代:英、アイルランド、デンマーク
1980年代:ギリシア、スペイン、ポルトガル(加盟12カ国に)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②アメリカもイギリスも嫌い?フランスの独自路線
第五共和政のスタート!フランスの新たな動き
(仏)
第四共和制・・議会重視
植民地(インドシナ・アルジェリア)の独立運動など、混乱
↓↓
<第五共和制(1958~現在)>
・ド=ゴール大統領(任1958~1969)
「強力な力が必要だ。俺が仏を立て直す!」
米英に追随しない。頼らない。
→大統領権限を重視
・核保有
・アルジェリア独立を承認(エビアン協定1962)
・中華人民共和国の承認
・NATO軍事機構を脱退
↓↓
・五月危機(五月革命)
独裁を嫌う学生、労働者、市民らによる大規模な反ド=ゴール運動
(4)日本の成長と冷戦の転機
ポイント①ソ連がアメリカに歩み寄る!?
1950年代のソ連外交に大きな変化が訪れる
スターリンの死(1953)
→<フルシチョフ書記長(任1953~1964)>
「ソ連とアメリカ、世界は平和に共存できるはず」
・スターリン批判(1956)
ソ連共産党第20回大会
↓↓
<「雪どけ」>ソ連・エレンブルクの小説より
・ジュネーヴ四巨頭会談(1955)
米・ソ・英・仏の首脳が平和共存を確認
・ソ連・西独国交回復
・コミンフォルム解散(共産党情報局)
・フルシチョフ訪米
ソ連のリーダーとして初めて訪米。
フルシチョフとアイゼンハワー
キャンプ・デービッド
↓↓
<ソ連支配に対する民主化運動>
・ポーランド反政府反ソ暴動(ポズナニ暴動)
ゴムウカがポーランドの自主路線を約束して事態収拾(自主解決)
・ハンガリー反ソ暴動(ハンガリー事件)→✕失敗
ナジ=イムレが首相に復帰
→ソ連の軍事介入により失敗。ナジ=イムレは処刑。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②「もはや戦後ではない」
1950年代以降、急激に成長する日本経済
<日本の経済成長>
・特需・・朝鮮戦争
米軍の必需品を日本が生産・輸出→経済復興へ
・日ソ国交回復(1956)「雪どけ」のタイミング
→日本の国連加盟(1956)
・高度経済成長期(1950年代)
※ただし、ヨーロッパと違い、アメリカよりの外交。