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『阿・吽』9巻

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『阿・吽』9巻 メモ

神野親王(かみのしんのう)(嵯峨天皇)

・妻 橘嘉智子(たちばなのかちこ)
(橘逸勢のいとこ)

・側近 藤原冬嗣(北家)
氷🧊の冬嗣
炎🔥の田村麻呂

「田村麻呂は、笑うと子が懐く」と書物にもあった。

高岳(たかおか)親王。父は平城帝。母は伊勢継子。

大同四年(809年)4月
平城帝は嵯峨天皇に譲位。
皇太子は高岳親王。改元はせず大同のまま。

平城上皇は平城旧京に遷居。

多治比高子(たじひのたかこ)。嵯峨帝の妃。

橘逸勢も嵯峨天皇に仕えることになる。空海を太宰府から京に呼び寄せる。

嵯峨帝は蔵人所を作る。初代の蔵人頭は藤原冬嗣。

空海は唐の詩集を何冊も嵯峨帝に献上する。

大同五年(810)
「薬子の変」改め「平城太上天皇の乱」

平城上皇が奈良への遷都をもくろむが、嵯峨帝はこれを拒否。薬子が挙兵。

文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)と田村麻呂は嵯峨側に付く。

薬子の兄、藤原仲成は討たれる。
式家、滅。

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「風信帖(ふうしんじょう)」
空海が最澄に宛てた手紙。

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「弘仁」に改元。

大伴親王(おおともしんのう)を立太子。(後の淳和(じゅんな)天皇)。

大伴氏が同じ名前は畏れ多いと「伴」(とも)に改称。

前の皇太子、高岳親王は廃太子。
嵯峨帝は、これまでの慣習とは違い、刑罰も幽閉もしなかった。

高岳親王は出家し、空海の十大弟子の一人となる。(真如・しんにょ)

後の天台座主(てんだいざす)
初代 義真
二代 円澄
三代 円仁
四代 安慧(あんえ)

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『阿・吽』8巻

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『阿・吽』8巻 メモ

806年

平城(へいぜい)天皇 即位。
元号は延暦から大同(だいどう)に。
(日本後紀)

高階 真人 遠也(たかしなの まひと とおなり)

尚侍(ないしのかみ)が藤原薬子(式家)になる。

神野親王(かみのしんのう)(嵯峨天皇)

南家 藤原吉子(よしこ)
(伊予親王の母。伊予親王は平城帝の異母弟)

南家 長男 武智麻呂
北家 次男 房前
式家 三男 宇合
京家 四男 麻呂

 

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『阿・吽』7巻

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『阿・吽』7巻メモ

藤原葛野麿呂(かどのまろ) 春宮大夫(はるみやだゆう)

中納言 坂上田村麻呂

最澄 天台法華教(てんだいほっけきょう)
三車火宅(さんじゃかたく)

伊予親王(桓武天皇の子、安殿の弟)

橘逸勢は唐で書と音楽を学ぶ。

密教。
大日如来。曼荼羅。

胎蔵界(たいぞうかい)、金剛界。
空海は「遍照金剛(へんじょうこんごう)」の名を受ける。

 

・3月3日・・上巳(じょうし)の節句

・5月5日・・端午節(たんごせつ)屈原(くつげん)

・7月7日・・乞巧奠(きっこうでん)(七夕)

・9月9日・・重陽節(ちょうようせつ)
王維の詩。『九月九日憶山東兄弟』

 

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『阿・吽』6巻

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『阿・吽』6巻メモ

『日本後記』(六国史の三番目)に、空海が長安に着いた時の記述が残る。

ゾロアスター教(拝火教)

馬毬(ばきゅう)。紀元前ペルシャで起こったスポーツ。ポロの原型。

契丹(きったん)人、キタイ

橘逸勢(782-842)

最澄は天台山に。天台法華経。

白居易、詩人。晩年は仏教徒となる。

仏教の華厳(けごん)は「花で飾る」という意味。

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『阿・吽』5巻

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『阿・吽』5巻メモ

橘逸勢。
祖父は左大臣・橘 奈良麻呂。
曽祖父は橘 諸兄。

藩鎮(はんちん)・・唐の地方の豪族

最澄の船は明州(めいしゅう)にたどり着く。

さいのつののごとく、ただひとりゆけ

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『豊臣兄弟!』(10)「信長上洛」(2026/3/15放送)

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『豊臣兄弟!』第10回「信長上洛」(2026/3/15放送)メモ

[第10回時点]
永禄10年(1565)~永禄11年(1566年)

[言葉]
奉公衆(ほうこうしゅう)・・室町幕府で将軍直属軍を構成した御家人。

[話]
・永禄10年9月。稲葉山城、攻略。岐阜城と改め、居城とする。

・信長はこの頃より「天下布武」という言葉を使い始める。

「天下布武」・・武力によって「天下」を平定すること。ただしこの「天下」とは、日本全国のことではなく、五畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津)、足利将軍の勢力範囲のこと。

つまり「天下布武」とは、「朝廷を守る足利将軍家の政治運営の再興」を意味する。

・碗一つ・・三十貫
三十貫は、約300万円ほどか。
一貫=1000文。約10万円。(約5万円~15万円)

・永禄10年。明智 十兵衛尉 光秀(あけち じゅうべいのじょう みつひで)が、畿内を追われた将軍候補・足利義昭の使者として岐阜城を訪れる。信長上洛を促しに来た。(岐阜城の庭の滝)

・信長は岐阜城下の関所と座をなくして(楽市・楽座)誰もが商いができるようにした。

・当時、三好三人衆や松永久秀らが、室町幕府13代将軍・足利義輝を暗殺して、畿内を制圧している。(永禄の変・1565年)

それを征伐して、義昭を将軍にして世を正すために、信長の力を借りたい。上洛を促す。

・京に上る前に、六角、浅井(あざい)と事を構えなくてはいけない。浅井は朝倉と深いつながりがある。

・浅井長政にお市が嫁ぐ。人質として。
浅井の城。近江・小谷城(おだにじょう)(滋賀県長浜市/琵琶湖の北東)
浅井久政・・長政の父。前当主。

勝家とお市が話す。

・三河・徳川家康は、信長の上洛には手を貸せない。今川で手一杯。少しの兵だけ出す。信長が上洛のすきに、美濃と尾張を攻められたのにと悔しがる。

・永禄11年、9月。信長は、足利義昭を奉じて上洛戦を開始。徳川、浅井を合わせ、兵はおよそ6万。

六角氏・箕作城(みつくりじょう)(琵琶湖の東)を数日で撃破。

三好三人衆
– 三好長逸(みよし・ながやす)
– 三好宗渭(みよし・そうい)
– 石成友通(いわなり・ともみち)

三好氏も阿波国(徳島県)へ引き下がる。

 

・京都の町は度重なる戦乱により荒れ果てていた。

京都 本圀寺(ほんこくじ)
朝廷により義昭が十五代将軍に任ぜられた。

織田 弾正忠(だんじょうのちゅう)信長。
副将軍は断る。

奉公衆(将軍の側近)
– 三淵藤英(みつぶち・ふじひで)
– 和田惟政(わだ・これまさ)
– 細川藤孝(ほそかわ・ふじたか)

– 甲斐国主:武田信玄
– 越後国主:上杉輝虎(上杉謙信)
– 越前国主(一乗谷):朝倉義景
– 土佐 岡豊城主:長宗我部元親
– 荒木村重
– 大和 多聞山城主:松永久秀

 

信長はここから「天下一統」を目指す。

 


「豊臣兄弟!紀行」

・「岐阜城跡」(岐阜県・岐阜市)
金華山・山頂。「稲葉山城」から「岐阜城」となる。

信長は巨大な岩盤を背景にして庭を作り、人為的に水を流し滝を作らせた。
信長は岐阜城に10年ほど居住して、ここから上洛を果たした。

 


 

 

『阿・吽』4巻

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『阿・吽』4巻 メモ

藤原薬子(式家)。藤原種継の娘。
薬子の娘、道子が安殿親王(あてのみこ)に嫁ぐ。

薬子の兄、藤原仲成。
安殿の異母兄、伊予親王。

尚侍(ないしのかみ)明信

[南都六宗]
三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗。
三論(勤操)、法相(徳一)

和気清麻呂の息子。
広世、真綱。

和気清麻呂は、道鏡の陰謀を阻止したため島流しにあっていたが、49光仁天皇が拾ってくれた。子の50桓武帝も支える。

新しい平安京では牛車(ぎっしゃ)、南都(平城京)では輿かロバだった。

 

 

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『阿・吽』2巻

260314

『阿・吽』2巻 メモ

比叡山
薬師如来
1200年。不滅の法灯

桓武天皇
藤原種継

母 井上(いがみ)内親王
弟 他戸(おさべ)親王

侍中(じちゅう)・・側近

種継の娘、薬子

和気清麻呂(わけのきよまろ)

安殿親王(あてのみこ)
藤原乙牟漏(おとむろ)桓武天皇の正妻。

桓武天皇と最澄が出会う。

 

 

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『阿・吽』1巻

『阿・吽』1巻 メモ
1571 比叡山延暦寺焼き討ち

800年前

広野(後の最澄)
東大寺 戒壇(鑑真が作った)

佐伯真魚(さえきのまお)(後の空海)
大学寮「周易」「尚書」「孝経」

長岡京を建設中。
早良親王
他戸(おさべ)
井上内親王
藤原薬子(安殿(平城帝)の義母)
高野新笠
伊予親王

李白、王維
空山人を見ず(王維)

785
泰範(最澄の一番弟子)
勤操(ごんぞう)和尚(かしょう)

鑑真 高僧
孝謙天皇から大和上(だいわじょう)の位を与えられる

平城京から長岡京に遷都

悟り。涅槃寂静。ニルヴァーナ。

 

 

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『豊臣兄弟!』(9)「竹中半兵衛という男」(2026/3/8放送)

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『豊臣兄弟!』(9)「竹中半兵衛という男」(2026/3/08放送)メモ

[第9回時点]
永禄10年(1567年)
小牧山城
美濃の攻略

[言葉]
・所望(しょもう)する:ほしい。注文する。

[話]
・竹中半兵衛尉重治(たけなかはんべいのじょうしげはる)。
主君・斎藤龍興と不仲。稲葉山城をわずか16人で乗っ取ったといわれる。

孫子、荘子などの本。小牧山城の模型など。菩提山上。代々竹中家が継いできた。

・美濃・斎藤龍興
松平(家康)・今川は動かない。松平と織田は盟約を結んでいる。

竹中半兵衛が3年前に稲葉山城を乗っ取ったが、切腹ではなく、改易、蟄居で済ませた。

祖父からもらった平安のころ宋から伝わった書物。『三国志抄 諸葛亮伝』

「三顧の礼(さんこのれい)」・・蜀の劉備が諸葛孔明のところを三回訪ねて軍師に迎え入れるのに成功した。草廬三顧(そうろさんこ)。

・永禄10年(1567年)秋
織田家が斎藤龍興の本拠、美濃・稲葉山城を攻める。井口山(いのくちやま)、瑞陵地山(ずいりょうじやま)に火を付けて、出てくるように促す。

半兵衛が斎藤龍興側に付く。強い織田と戦ってみたいから。朝倉と六角に援軍を頼んだ。しかし織田が勝つ。

永禄10年9月、信長は居城を稲葉山城へと移す。
岐阜城となる。

[登場人物]
斎藤龍興
斉藤家重臣(美濃三人衆)
– 氏家直元(卜全・ぼくぜん)
– 稲葉良通(一徹)
– 安藤守就
竹中半兵衛


「豊臣兄弟!紀行」

・大御堂城跡(岐阜県大野町)
濃尾平野の西北。竹中半兵衛生誕の地。

・菩提山(岐阜県垂井町)
菩提山の山頂に城を築いた。
竹中家は江戸の終わりまでこの地を治め続けた。