【14】東アジア世界の展開
(1)五代十国と北宋
(2)征服王朝と北宋の衰退
(3)宋の時代の社会経済と文化
(4)モンゴルの時代
(5)モンゴル人の支配
(6)元の文化
五代十国(軍人中心)→北宋(官僚中心)
(1)五代十国と北宋
ポイント①五代十国の時代(軍人中心)
有力節度使が建てた五つの王朝
唐王朝が滅亡後(朱全忠が倒す)・・
・五代十国(907~979)約70年
後梁・後唐・後晋・後漢・後周(五代)
(+小さな国、十国)
・後梁(都:開封・かいほう→黃河と大運河の合流地点)
朱全忠(建国)
・後唐(都:洛陽)
・後晋(こうしん)(都:開封)936~946
契丹の支援で建国。
お礼に、燕雲十六州を契丹にプレゼントしてしまった。。
(万里の長城の内側。燕は北京、雲は大同を指す。)
・後漢(こうかん)(都:開封)
・後周(都:開封)
ポイント②中国の混乱の時期
節度使による武断政治
唐末から五代十国の混乱で、旧貴族は没落。
→荘園の崩壊
→新興地主層の登場
・藩鎮(節度使(=軍事のみ)を主とする軍閥)
軍事・民政・財政の三権を掌握。独立の地方勢力化。
・佃戸(でんこ)(小作人)
ポイント③これまでの中国が大きく変わる
五代十国の混乱と北宋の成立
・北宋(960~1127)(都:開封)
趙匡胤(建国)(太祖)
混乱から安定へ。
節度使による武断政治から
→文治主義への移行。
経済中心地に都を置き、交易で繁栄。
節度使(軍人)の削減。
役人を増やす。
科挙に殿試。(皇帝の直接面談)
(2)征服王朝と北宋の衰退
ポイント①北宋を圧迫した周辺民族たち
遼、西夏、金について
北宋を苦しめた三つの異民族
1. 遼(契丹)(916~1125)
耶律阿保機(建国)
・澶淵の盟(せんえんのめい)(1004)
梁と北宋の和平条約。宋は梁に銀や絹を献上。
・二重統治体制
遊牧民(自分たち)と農耕民(中国人)を分けて統治
・金の攻撃により滅亡
西へ逃げる→西遼(1132~)(カラキタイ)となる。イスラム中央アジア。
耶律大石(やりつたいせき)(建国)
2. 西夏(1038~1227)
李元昊(りげんこう)(建国)
タングート族の国家
3. 金(1115~1234)
・完顔阿骨打(わんやんあぐだ)(建国)
・女真族→元々遼(契丹)の支配下にあったが自立した。
遼を滅ぼして北宋と接する。
・全真教(道教をモデル)
・猛安・謀克(もうあん・ぼうこく)
女真族や契丹人を統治するための軍事、行政組織。
300戸を1つの謀克、10の謀克を1つの猛安とする。
ポイント②北宋はどんどんお金がなくなる?
異民族への毎年の貢ぎ物や、増えた官僚の給料で、北宋は段々と財政難に。。
財政改革
・王安石(宰相)(任1070~)
新法(しんぽう)
※金持ちから取って貧しい農民へ
いかに富ませるか(富国)
・青苗法(貧農救済)
・均輸法(物価の安定)
・市易法(中小商人へ低利融資)
・募役法(公共事業)
いかに国を強くするか(強兵)
・保甲法(兵農一致)
・保馬法(軍馬の確保)
✕新法党(王安石) VS 〇旧法党(司馬光)王安石をしばこう
北宋は衰退へ・・
ポイント③北宋の滅亡と南宋の成立
中国の二分化
北宋の滅亡(1127)
・靖康の変(1126~1127)
金が開封を占領。徽宗・欽宗親子を連行。
一族は南へ逃げる。
↓↓
・南宋(1127~1276)
(都:臨安(杭州)大運河の南端)
高宗(建国)
岳飛(主戦派)✕ VS 〇秦檜(しんかい)(和平派)
金と和議。国境は淮河(わいが)←黃河と長江の間
南宋は金より下の立場になる。
(3)宋の時代の社会経済と文化
ポイント①宋代に登場した新しい支配階層!
大土地所有者と官僚
・形勢戸(けいせいこ)(新興地主)
佃戸(小作人)を使用。収穫の半分を地代として納入させる。
・士大夫(したいふ)(知識人・官僚)
儒学教養を身に付けた官僚
・官戸(かんこ)
科挙に合格した家
ポイント②宋はお金持ち!? 宋代の繁栄!
農業、商業、貿易
■ 農業の発達
・占城稲(せんじょうとう)・・日照りに強く早く育つ稲。ベトナム・チャンパ王国より。(チャンパのことを占城と呼ぶ)
・「蘇湖(江浙)熟すれば天下たる」
=「長江下流域が稲作地帯になる。そこで米が取れれば中国全土の食料をまかなえる」
■ 商業
・草子(市。唐末期)→鎮(ちん)(地方の小都市)へと発展。
・行(こう)・・商人の同行組合
・作(さく)・・手工業者の組合
・景徳鎮(江西省)・・宋磁(青磁・白磁)の生産地
海外にも輸出される人気商品。
・銅銭・・東アジア全域に輸出。
・交子・会子・・紙幣
→遠隔地との交易が活発ということが分かる。
■ 貿易の発達
市舶司の増設(貿易の役所)
・広州(広東省)・・北宋最大の貿易港
・泉州(福建省)・・南宋時代には貿易額が広州を超える
・明州(浙江省)(寧波・ニンポー)・・日本の遣唐船、勘合貿易。
ポイント③宋の文化はこれまでの文化と変わっている?
儒学思想、絵画、雑劇など。一般市民の台頭。
■ 儒学(宋学・朱子学)
宋の時代から新しい儒学が生まれる。
・周敦頤(しゅうとんい)(北宋)
宋学の創始
・朱熹(朱子)(南宋)
宋学の完成(朱子学)
「知識を得ることが何よりも重要なんじゃ!知識ある者に敬意をはらうのじゃ。」
・性即理(知性を重視)
・大義名分論・・上下関係を重視(皇帝の権威拡大)
・四書を重視(今までは五経)
『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』
■ 歴史学
・司馬光『資治通鑑』編年体(年表形式)
・欧陽脩(おうようしゅう)
■ 唐宋八大家
唐:韓愈、柳宗元
宋:欧陽脩、蘇軾(そしょく)(=蘇東坡・そとうば)
■ 芸術
院体画・・宮廷様式の絵画
徽宗『桃鳩図』
■ 仏教
禅宗・・士大夫層(知識人)
浄土宗・・阿弥陀仏信仰。(一般)
(4)モンゴルの時代
ポイント①チンギス=ハンの野望
闇雲に戦争していたわけではない。
初代・チンギス=ハン(位1206~1227)約20年
幼名:テムジン
クリルタイ(会議)の開催
・金の都(燕京)を攻略(1214)
征服
・ナイマン(1218)
・ホラズム・シャー朝(1220)
・西夏(1227)
狙いがあった。中国とヨーロッパを結ぶ地域を抑えた。
ポイント②モンゴル帝国(大モンゴル国)の形成
オゴタイ・モンケの時代の広大な領域
2代・オゴタイ=ハン(1229~1241)12年
・金の征服(1234)
・都カラコルムを建設(1235)
・バトゥの西征
→南ロシアのキエフ公国の征服(黒海の北)
→ワールシュタットの戦い(リーグニッツ)(1241)
ドイツ・ポーランド連合軍
オゴタイの死で引き返す
3代・グユク
4代・モンケ=ハン(1251~1259)
フラグ(モンケの弟1)の西アジア遠征
・アッバース朝(バグダード)の征服(シルクロードを抑えた)
・マムルーク朝へ侵攻
フビライ(モンケの弟2)の遠征
・大理(雲南)・チベットの征服
・高麗を服属させる
東西交易ネットワークを抑えたい
ポイント③元の一大遠征!
フビライの夢とは。海のルートも接続したい。
5代・フビライ=ハン(世祖)(1260~1294)34年
・クリルタイで即位
・大都(北京)へ遷都
・国号を元と改称(漢字に当て直す)
・ハイドゥの乱
フビライへの反乱
モンゴル人国家の分裂。
海上ルートをを抑えたい
・南宋の征服(1276)
・〇パガン朝(ミャンマー)の征服(1299)
・✕日本遠征(1274文永・1281弘安) 鎌倉幕府
・✕ベトナム遠征・陳朝に敗北(13C後)
・✕ジャワ遠征・マジャパヒト王国に敗北(13C)
(5)モンゴル人の支配
ポイント①寛大な統治の仕組み
各地に成立したモンゴル人国家。
現地にいる勢力をうまく使っていく。
モンゴルの諸ハン国(ウルス)
・チャガタイ=ハン国(1227~14C)(中央アジア)
イスラーム商人が多かった。イスラーム化(14C)
東西分裂(14C半ば)
・キプチャク=ハン国(南ロシア)
草原の道の出口に当たる。
バトゥ(建国)
イスラーム商人に合わせてイスラーム教の採用
モスクワ大公国の自立→分裂・解体
・イル=ハン国(西アジア)
フラグ(建国)
ガザン=ハンの時
イスラーム教に改宗
宰相ラシード・アッディーン『集史』
モンゴルの歴史が文字に起こされた。
ポイント②元は中国人に媚びない!
元の中国統治のシステムは。
元の中国支配
・基本的には宋代の制度を継承。
・科挙の一時停止。儒学を軽視。
モンゴル人第一主義
1・モンゴル人がトップ
2・色目人・・イラン人、中央アジア系(商業)財務官僚
3・漢人・・旧・金(女真族)
4・南人・・旧・南宋(中国人)
・駅伝制(ジャムチ)
・大運河の補修
・海運の振興。貿易港。
杭州 大運河の南端
泉州 世界第一の貿易港に
広州 古くから南海貿易の拠点
商業
・交鈔(こうしょう)(紙幣)を発行。
金代から使用された紙幣。
・ウィグル文字(表音文字)
ウィグル人が使っていた。商業活動の記録など。一般的に使われた。
・パスパ文字
(一般には広がらず)
・チベット仏教(ラマ教)
パスパを国師として厚遇
寺院建立などで莫大な費用を負担。
→交鈔を乱発してしまう。元の国力低下。
・紅巾の乱(1351~1366)紅の頭巾
白蓮教徒が中心
朱元璋
元が滅亡・・!
元曲(古典演劇)ミュージカル
・『漢宮秋(かんきゅうしゅう)』・・匈奴に降嫁した王昭君(前漢)の物語
・『琵琶記』・・出世して都で栄華な生活を送る男の話
・『西廂記(せいそうき)』・・宰相の娘と書生との恋愛
ポイント②東西交流の活発化!多くの外国人が訪れる
東西世界の交流
<3人の修道士>
・プラノ・カルピニ
ローマ教皇の命。布教と情勢偵察。カラコルム。
・ルブルック(13C)
仏王ルイ9世の命で十字軍の協力を要請。カラコルム。
モンケハンがフラグを派遣。
・モンテ・コルヴィノ
中国で最初のカトリック布教者。
<2人の旅行家>
・マルコ・ポーロ
フビライ・ハンに仕えた
『世界の記述(東方見聞録)』
「黄金の国ジパング」
・イブン・バットゥータ
『三大陸周遊記(旅行記)』
フビライの死後、元に来た。モロッコ出身(ベルベル人) 。メッカ巡礼のついでに24年間の大旅行。インドはトゥグルク朝、中国は泉州に訪れた。
ポイント③イスラーム世界から科学が伝わる
中国で作成された高度な暦
・郭守敬
フビライに従事
授時暦の作成。イスラーム暦法の影響を受ける。
→日本の貞享暦(1684)(じょうきょうれき)に影響。渋川春海。