【13】中世ヨーロッパ世界の各国史
(1)イギリス・フランス史
(2)ドイツ史
(3)イタリア・イベリア半島・北欧
(4)ビザンツ帝国の歴史
(5)中世東ヨーロッパ諸国
(6)中世ヨーロッパ文化
(1)イギリス・フランス史
■ 中世イギリスの王様は最初から権力が強い!
⇒その後、王の権力を抑え、徐々に議会の力が強くなる。
・ノルマン朝(1066~1154)
ウィリアム1世(征服王)(1066~1087)
=ノルマンディー公ウィリアム
北仏のノルマンディー公国(ロロが建国)から来て、英を征服した。だから最初から王の力が強い。
・プランタジネット朝(1154~1399)
ヘンリ2世(位1154~1189)
=元々、仏の貴族、アンジュー伯爵だった。妻はアキテーヌ侯爵の一人娘。結婚によりアキテーヌ候領を継承。仏西部大半を領有。
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英王が仏の領土をたくさん持っているので、仏王との仲が悪くなる。対立が始まる・・。
ジョン王(位1199~1216)
・インノケンティウス3世に破門される。(1209)
・仏王フィリップ2世に敗北。(1214)
大陸英領土の大部分を喪失。
・マグナ・カルタ(大憲章)の承認(1215)
課税する時貴族の同意を必要とする。=王の力を制限する。
ヘンリ3世
貴族シモン・ド・モンフォールの反乱(1258)
シモン・ド・モンフォールの議会
諮問議会の開催(1265)・・イギリス議会の起源
エドワード1世
「模範議会」の招集(1295)・・身分制議会
エドワード3世(1327~1377)
・「二院制議会」・・上院(貴族院)と下院(庶民院)
・仏王位継承権に口出し→百年戦争
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■ フランスの王様は権力が弱い
⇒少しずつ領土を広げ力が強くなる↑↑
・カペー朝(987~1328)
フィリップ2世(位1180~1223)
英王ジョンを破り、大陸の英領を没収。
ルイ9世(位1226~1270)
・アルビジョワ十字軍(第6回・7回)(1229)
→異端アルビジョワ派を討伐。南仏を征服。
・ルブルックをモンゴル帝国・カラコルムへ派遣。援軍を要請。
フィリップ4世(位1285~1314)
・三部会の開催(1302)
・アナーニ事件(1303)
・教皇のバビロン捕囚(1309~1377)
■ 100年にわたる対立。英仏百年戦争
・ヴァロワ朝(1328~1589)
王位継承権問題
フィリップ6世が仏王に即位してヴァロワ朝を開いたが・・英王エドワード3世がいちゃもんを付ける。「俺が仏王になる権利あるんじゃね?俺はカペー朝の仏王フィリップ4世の孫だぞ。」と王位継承権を主張。
フランドル地方(毛織物)の領有問題
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百年戦争(1339~1453)
初めは英優勢。→後に仏が巻き返す。
・英エドワード黒太子(エドワード3世の子)の活躍
クレシーの戦い(1346)
長弓兵の使用
ポワティエの戦い(1356)
仏王を捕虜とする
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仏王シャルル7世の反撃(位1422~1461)
聖女ジャンヌ・ダルクがオルレアンを解放。
仏の逆転勝利。
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英軍、カレーのみを残して撤退(1453)
その後・・
【英】
・バラ戦争(1455~1485)
ランカスター家🔴(ヘンリー7世)勝ち〇
VS
ヨーク家〇(リチャード3世)負け✕
王位継承権をめぐり争う。
ヘンリー7世が勝ち、テューダー朝(1485)を開く。
【仏】
・イタリア戦争(1494~1498)
仏が独(神聖ローマ皇帝)と対立。伊は戦地になった。
(2)ドイツ史(神聖ローマ帝国)
■ ローマ皇帝であるがゆえの苦悩
皇帝の力を強くする工夫は。
オットー1世(位962~973)(東フランク)
初代神聖ローマ皇帝
ローマ皇帝とは地上における神の代理。キリスト教世界を守る。
国内の諸侯が言うことを聞いてくれない(仏と同じ悩み)
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・帝国教会政策・・教会を味方に付けて諸侯に対抗しようとした。聖職者の任命権を皇帝が持つ。聖職者を仲間にしようとした。
・イタリア政策(10~12C)
カトリックの中心地であるイタリアを支配下におさめたい。
が、ドイツ国内が皇帝不在のため、諸侯が力を付ける。
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「領邦」の形成(13~14C)
諸侯の領土が独立国のようになる。外交もできる。通貨の発行。
300以上。
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叙任権闘争
ハインリヒ4世 VS グレゴリウス7世
カノッサの屈辱(1077)
これで聖職者を味方にする手段も失う。
■ 皇帝の努力が裏目に出た?
皇帝の言うことなんてもうきかない。
・大空位時代(1256~1273)約20年間
皇帝不在の時代
■ 皇帝はみんなで選ぼう
皇帝の選挙制度が確立。
・金印勅書の発布(1356)
皇帝カール4世
皇帝選出権。7人の選帝侯が皇帝を選ぶ。
1438年以降、皇帝位はハプスブルグ家が世襲
(3)イタリア・イベリア半島・北欧
■ まとまらないイタリア
北部・中部・南部でまったく違う社会。
北部は都市国家が乱立。(独立)
・ヴェネツィア共和国(アドリア海の女王)
・ジェノヴァ共和国
・ミラノ公国
・フィレンツェ共和国
____ミラノ
ジェノ____ヴェネ
____フィレ
・中部は教皇領(ローマ教皇の領土)
・南部はアラブ人(イスラーム教徒)→ノルマン人が奪う
ナポリ王国とシチリア王国→二つを合わせて「両シチリア王国」と呼ぶ。
■ イベリア半島。(現スペイン・ポルトガル)
キリスト教徒の土地を奪い返せ
※ずっと戦っているので王の力が強い。
・レコンキスタの進展。
国土回復運動(8C初~1492)
再び征服をしよう。
(キリスト教国家)
右から
・アラゴン王国(1035~1479)
・カスティリャ王国(1035~1479)
・ポルトガル王国(1143~1910)カスティリャ王国から独立。
ポル・カス・アラ
イ ス ラ ム
イサベル王女(カスティリャ王国)とフェルナンド王子(アラゴン王国)の結婚。
→スペイン王国(イスパニア王国)の成立(1479)
(ポルトガルが一足早くレコンキスタを完成させたので、焦っていた。)
ナスル朝の滅亡(1492)
グラナダ陥落
■ 北欧。北ヨーロッパの国々は合体
生き残りをかけて工夫。
・カルマル同盟(1397)
デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの同君連合(マルグレーテ女王)
デンマーク連合王国(デンマークがリーダー格)
カルマル同盟を組んだ理由→北海・バルト海商業圏(北欧商業圏)でドイツの都市国家に交易で負けそうになっていたから。以降、ハンザ同盟とバチバチ対立していくようになる。
ポイント①ローマ帝国の復活か
● ユスティニアヌス大帝(位527~565)(ユスティニアヌス1世)
ローマ帝国を復活させようとした。
(領土)
・ヴァンダル王国の征服
・東ゴート王国の征服
・西ゴート王国からイベリア半島南部を奪取
・ササン朝ペルシア(ホスロー1世)との抗争
・皇帝が政教一致の最高権力者として君臨。
(=政治も宗教のトップもやる。ローマ帝国のコンスタンティヌス帝と同じ考え方)
(法)
・『ローマ法大全』(534)の編纂
法学者トリボニアヌス
・ハギア=ソフィア聖堂(コンスタンティノープル)
(産業)
・絹織物業の育成。高級品を輸出。
ポイント②どんどん領土が小さくなる
ユスティニアヌス大帝の死後、異民族の侵入が増える。
→領土縮小(ギリシアとトルコの辺りのみ残る)
・ランゴバルド族の侵入
・ササン朝の攻撃
・アジア系民族(アヴァール人、ブルガール人)の圧迫
・イスラーム勢力の侵入
<ビザンツの工夫>
・軍管区制(テマ制)・・司令官に軍事・行政権を与え統括する。(秦の始皇帝の郡県制と同じ。)
・屯田兵制(兵農一致)・・兵士に土地を与えて防衛力を高める
・公用語:ラテン語→ギリシア語に。(ギリシア人が多いため。)
・宗教:ギリシア正教会
●ビザンツ皇帝・レオン3世(位717~741)
聖像禁止令(726)
聖画像(イコン)の崇拝を禁止
↓↓
聖像崇拝論争
ローマ教会と対立
ポイント③ビザンツを苦しめたある勢力とは?
セルジューク朝の圧迫(11C後半)
・小アジアを奪われる→十字軍
・プロノイア制(11C~)
統治を諦める。有力貴族に領土分割。
・第4回十字軍(1204)
ヴェネツィア商人主導。ラテン帝国建国→ビザンツ帝国は一時滅亡→立て直そうとしたが・・
↓↓
オスマン帝国の圧迫(13C末~)
メフメト2世によりコンスタンティノープル陥落(1453)
千年帝国の幕を下ろす・・。
↓↓
その後、ビザンツの役割(ローマ皇帝の地位とギリシア正教会の指導権)をロシアが引き継ぐ。
■ ポイント①スラブ人は住む場所によって宗教が違う
西スラヴ・南スラヴ・東スラヴの特色
・西スラヴ(神聖ローマ帝国・カトリック)
・南スラヴ(宗教が混在)
・東スラヴ(ビザンツ帝国・ギリシア正教)
___________東スラヴ(ギ)
神聖ローマ(カ)・西スラヴ(カ)
________南スラヴ(カ・ギ)
___________ビザンツ(ギ)
■ ポイント②西スラヴ・南スラヴの歴史
西スラヴ人(カトリック)
・ポーランド人(カトリック)
リトアニア大公国と合体
=ヤゲウォ朝(1386~1572)
・チェック人(カトリック)→チェコ
ベーメン(ボヘミア)王国
・スロヴァキア人(カトリック)
南スラヴ人(混在)
・セルビア人(ギリシア正教)
バルカン半島北部を統合→オスマン帝国により敗北
・クロアティア人、スロヴェニア人(カトリック)
1990ユーゴスラビア内戦につながる→セルビア VS クロアティア
ポイント③東スラブの歴史
東スラヴ人(ロシア人・ギリシア正教)
ビザンツ帝国の後継者
・ノブゴロド国(ノルマン人)(862)
リューリクがルースを率いて建国
→次第にスラヴ化
・キエフ公国(9~13C)
ウラディミル1世
ギリシア正教を国教化
・「タタールのくびき」
中国方面からモンゴル人が来て、支配される。
・モスクワ大公国(だいこうこく)(14~16C)
ビザンツ帝国の黒海挟んだ北側。ビザンツ帝国を継承。
・イヴァン3世(位1462~1505)
妻がビザンツ帝国の皇女。
ビザンツ帝国が滅亡(1453)→イヴァン3世が引き継ぐ。
「ツァーリ(皇帝)」を自称。
・イヴァン4世(1533~1584)(雷帝)
「ツァーリ」を正式に採用
皇帝の称号や、ギリシア正教会。
ロシアがビザンツ帝国を引き継ぐ。
(6)中世ヨーロッパ文化
■ ポイント①中世を象徴する学問の発達
神学研究と文学活動
スコラ学(キリスト教研究)
「哲学は神学の婢(はしため)」
(=「人間の考えよりキリスト教研究が上」の意)
・実在論 アンセルムス
「神って何だろうなんて考えるなんて恐れ多い。神は実在する」
VS
・唯名(ゆいめい)論 アベラール
「神とは何だと考えて何が悪い。キリスト教を信仰している証だ」
↓↓
この2人を取り持ったのが・・
・トマス・アクィナス(13C)
『神学大全』(カトリック神学の集大成)
「神を定義するのは難しいだろう。神は我々を作ったのだから・・」
↓↓しかしだんだん分離していく・・
・ウィリアム・オブ・オッカム(オッカム村のウィリアム)・・理性(考察)と信仰を分離
・ロジャー・ベーコン・・イスラーム科学の影響。実験と観察を重視。
文学(騎士道物語)
・『ローランの歌』・・カール大帝の対イスラーム戦
・『アーサー王物語』・・ケルト人の伝説的英雄
・『ニーベルンゲンの歌』・・ゲルマン神話。フン族の王アッティラも出てくる。
■ ポイント②大学の登場
イスラームの高度な科学が中世の大学に刺激を与える。
● 大学(universitasウニベルシタス)ラテン語
・ボローニャ大学(法学)現存するヨーロッパ最古の大学。北伊。
・サレルノ大学(医学)アラビア医学の影響。南伊。
・パリ大学(神学)中世神学の最高権威。仏。
・オクスフォード大学(神学)パリ大学をモデルに設立。英。
■ ポイント③教会建設は時代と地域によって個性あり
・ビザンツ様式(ビザンツ帝国で発達)(東欧)
ドーム(丸い屋根)とモザイク壁画(小さな石を組み合わせる)
(例)ハギア=ソフィア聖堂
・ロマネスク様式(11~12C)(西欧)
石造の天井を支える重厚な石壁。小さな窓。荘重感。
柱が分厚い石でできている。穴が開けられない。
(例)ピサ大聖堂
↓↓レベルアップする。木を重ねて高くする。
・ゴシック様式(12C末)(西欧)
尖頭アーチ(とがっている)とステンドグラス
(例)ノートルダム大聖堂(仏)(コンセントのような形)、ケルン大聖堂(独)