【12】中世ヨーロッパ世界の展開
(1)ローマ=カトリック教会の発展
(2)ローマ=カトリック教会の全盛期
(3)中世西ヨーロッパ世界の膨張
(4)中世都市の発展
(5)封建社会の崩壊と教皇権の衰退
(1)ローマ=カトリック教会の発展
■ 西ローマ帝国滅亡後のローマ教会の苦悩
〇ローマ=カトリック教会
教会と国の関係。
民衆に教えを広めるのは教会。
緊急事態(敵襲)などは皇帝が教会を守る。
・西ローマ帝国(395~476)
ローマ教会
→西ローマ帝国が滅亡したとき、守ってくれる後ろ盾を探した。
・東ローマ帝国(395~1453)
コンスタンティノープル教会
・ローマ教会は「首位権」を主張。(イエスの一番弟子ペトロが亡くなったから)→自分をブランド化。ビザンツ帝国に守ってもらおうとした。
・教皇グレゴリウス1世がゲルマン人(主にブリタニア)への布教。
東ローマ皇帝が、ローマ教会もコンスタンティノープル教会も守る。
・ベネディクトゥス(480~547)
モンテ=カシノ(伊・中部)に修道院を建設。
「清貧・純潔・服従」→「祈り、働け」
→ローマ教会の力が強くなる。
・階層制組織
教皇(法王)ー大司教ー司教ー司祭
農村部では村落ごとに教会が設備
■ ローマ教会とビザンツ帝国が大ゲンカ
東西教会の対立。
ローマ教会 VS コンスタンティノープル教会
ローマ教会はゲルマン人への布教に絵、聖像を用いていた。
・聖像禁止令(726)
ビザンツ皇帝・レオン3世
イスラム教徒に攻められる原因を減らそうとした。
→ローマ教会は反発。ビザンツ皇帝と絶縁。
ローマ教会 VS ビザンツ皇帝
↓↓
ローマ教会はフランク王国をボディガードにした。
ローマ教会の支店でゲルマン国家などに干渉した。
これが中世西ヨーロッパの特徴。
■ 腐敗を許すわけにはいかない
ローマカトリック教会の内部改革。
・教会刷新運動(修道院運動)
神聖ローマ帝国がローマ教会の支店を利用し始めた。買収など。ローマ教会が焦る。
教会の腐敗
・聖職売買・聖職者の結婚
地位を売ったり、買ったり。教会の世俗化が進む。
↓↓
・クリュニー修道院(910)
教会刷新運動の中心。教会の改革は修道院を中心に行われた。
・シトー修道会(11C末)
仏中部の荒野に新しく村を作っていく。純粋なキリスト教を広める。
・托鉢修道会(13C)
フランチェスコ修道会(1209)アッシジ
ドミニコ修道会(1215)南仏
都心部を中心に正しいキリスト教を広めていく。
ローマ教会が神聖ローマ帝国に警告。
↓↓
・聖職叙任権闘争
教皇グレゴリウス7世 VS 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世
(↑クリュニー修道院の教会改革の精神を受け継いだ)
自分の命令が届かないので腐敗を正す。
聖職叙任権(聖職者を任命する権利)をめぐって対立。
教皇は皇帝を破門。
↓↓
カノッサの屈辱(1077)
皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に謝罪。破門は解かれた。
教皇〇 VS ✕皇帝
↓↓
ヴォルムス協約(1122)
叙任権は教皇が保持することが決定。
■ 教皇権の絶頂
世俗権力を押さえ込み西欧No1の力に。
〇インノケンティウス3世(位1198~1216)
「教皇(権)は太陽、皇帝(権)は月である」
(=メインは教皇だ。皇帝は飾りだ。)
・英ジョン王を破門。仏王、神聖ローマ皇帝も屈服させる。
・第4回十字軍を提唱(1204)
■ 政治的な安定と気候の温暖化
穀物が今まで以上に収穫できる
10C頃から気候が暖かくなってくる。
・中世農業革命(10~12C)
・三圃制(さんぽせい)の普及
春耕地、休耕地に分け、3年周期で輪作。
・重量有輪犂(じゅうりょうゆうりんすき)
牛に犂を引かせる鉄製重量農具。広範囲に深耕が可能。
穀物がたくさん取れる。
→人口が増える
→土地が足りないので広げていく
・大開墾時代(12~14C)
修道院を中心に開墾。
・東方植民(12~14C)
エルベ川以東への進出。
ドイツ騎士団(キリスト教会が作った軍)が中心。
・国土回復運動(レコンキスタ)
イベリア半島。イスラーム教徒を追い出して、土地を奪い返そうという動き。
■ 教会の洗脳が行き届いた結果
荘園では教会が絶対。
巡礼の流行(11~12C)
・ローマ・・カトリック教会の総本山
・イェルサレム・・パレスチナ
・サンチャゴ・デ・コンポステラ・・イベリア半島のキリスト教の遺跡
いつかは聖地巡礼したい・・という気持ちが膨らむ。。
・ビザンツ帝国の危機
セルジューク朝がシリア、アナトリアに進出。ビザンツ帝国を圧迫。
ローマ教皇に救援を要請。
↓↓
ローマ教皇・ウルバヌス2世
クレルモン宗教会議(1095)
十字軍の派遣を提唱。
・聖地巡礼できる
・土地が手に入れられるかも
この2点で盛り上がる。
■ まさに中世を象徴するできごと
⇒なぜなら教皇がその権力で軍を動かしたから。武器は自費調達。
200年に及ぶ十字軍運動の開始
十字軍の歴史
・第1回十字軍(1096~1099)
聖地イェルサレムの奪還、回復。
イェルサレム王国の建国。
・第3回十字軍(1189~1192)
アイユーブ朝のサラディンがイェルサレムを占領。
英王リチャード1世、仏王、神聖ローマ皇帝が参加。
・第4回十字軍(1202~1204)
教皇インノケンティウス3世の提唱。
ヴェネチア商人の策略でコンスタンティノープルを占領。(ビザンツ帝国の都)
ラテン帝国(1204~1261)を建国。
本来の目的、聖地回復からズレていく。
・第6回、第7回十字軍(1248~1254、1270)
仏王ルイ9世の遠征
エジプト、チュニジアを攻撃するも失敗。
<十字軍の失敗の影響>
・教皇権への信頼、力が落ちていく。
・諸侯(軍の主力)も落ちる。
・国王の力が強まる。
(4)中世都市の発展
■ 商業ルネサンス
閉ざされていた西欧世界で商業が復活。
十字軍がきっかけで交易ルートが活発に。
①地中海商業圏
・東方貿易(レヴァント貿易)
アジアから香辛料、宝石、絹織物、(高級品・奢侈品(しゃしひん)、贅沢品)を輸入。
北イタリア・・ヴェネチア、ジェノヴァ、ピサ、ミラノ、フィレンツェ
②北ヨーロッパ商業圏
北海・バルト海交易
海産物、穀物、木材、毛皮、毛織物(生活必需品)を取引。
・北ドイツ・・リューベック、ハンブルク、ブレーメン
・フランドル地方(毛織物)
ガン(ヘント)、ブリュージュ、アントウェルペン
③内陸商業圏
地中海商業圏・バルト海商業圏を接続する、中継(なかつぎ)貿易で繁栄。
キエフ、ケルン、マインツ、アウクスブルク
・シャンパーニュ地方(仏東北部)
1年に5、6回の大規模な定期市。最大の商品集積地。
■ 中世の都市の特徴は
現代との違いは。
・中世都市
封建領主から特許状を取得(買収or闘争)
「自治権(=独立)」の獲得
中世の自治権とは独立した都市のこと
・コムーネ(自治都市)
北部・中部イタリア
・帝国都市(自由都市)
ドイツの皇帝直属の自治都市
・都市同盟
自治や商業を守るため都市同志が結束する。軍事同盟も。諸侯や王に対抗。
ロンバルディア同盟(12~13C)ミラノ中心、北イタリア
ハンザ同盟(盟主リューベック)北ドイツ
■ 都市は自由、人は不自由?
都市で生活する人々の暮らし。
領主からは自由になれたが、身分制度には縛られていた。
「都市の空気は(人を)自由にする」
(ドイツのことわざ)
都市自体が領主の支配からは独立しているという意味。人が平等というわけではない。
荘園の農奴が都市に逃げ込む。1年と1日住めば都市の市民になれる。
都市の独立性。諸侯や領主も手を出せない。
・商人ギルド(組合)
商業利益、相互扶助。
市政を掌握。
・同職ギルド(手工業者の組合)(ツンフト)
親方、職人、徒弟、と、厳格な身分制度があった。
親方だけが同職ギルドの構成員になれた。
・ツンフト闘争
市政を独占していた大商人・商人ギルドに対して同職ギルドが結束して戦う。
(5)封建社会の崩壊と教皇権の衰退
■ ついに崩れた!中世の象徴
※14世紀は、中世ヨーロッパの封建社会が崩壊し、諸侯・騎士・教皇が没落していくターニングポイント。
荘園制の崩壊
貨幣経済の普及(14C)
諸侯が十字軍の借金などで没落。
・貨幣地代への移行。
農民は農作物を市場などで販売。
領主への隷属制を弱める。
・農奴解放(13C)
死亡税や相続税などの撤廃や緩和が進展。
権利を貨幣で買い取る⇒自営農民となる。
領主は次第に地主化。
・黒死病(ペスト)の流行(14C)
農業人口の激減(人口の1/3を喪失)。
農民への待遇改善。農民の解放が進展。
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領主の収入も減る。
困窮化した領主が封建的な諸権利を再強化。(昔に戻そうとした)
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農民反乱が起こる
・ジャックリーの乱(1358)仏
(「農民ども」の意味)
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・ワット・タイラーの乱(1381)英
ジョン・ボール(思想的な指導者)
「アダムが耕しイヴが紡いだとき、誰が貴族であったか」
■ 教皇なんてもう怖くない
教皇の権威は衰退。キリスト教を見直す動きに。。
王の力が強くなる。
諸侯、騎士は延臣(ていしん)となる。
延臣(ていしん)・・国王に仕える家臣。
荘園制の解体と戦術の変化(鉄砲の登場。剣のプロ・騎士が没落)。
教皇権の衰退
〇仏王・フィリップ4世(位1285~1314)
聖職者への課税を提案。
教皇ボニファティウス8世と対立。
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三部会の開催(1302)
聖職者・貴族・平民からなる身分制議会。
国内の支持を得る。
・アナーニ事件(1303)
仏王フィリップ4世は教皇ボニファティウス8世をアナーニ(伊ローマ郊外)に幽閉。教皇は後に解放されるが憤死。
・教皇のバビロン捕囚(1309~1377)約70年
教皇庁(教皇の仕事場)をローマからアヴィニョン(南仏)に強制移転。管理下に置いた。
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・教会大分裂(大シスマ、1378~1417)約40年
混乱。自称教皇がローマ、アヴィニョン、ピサに登場。
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・宗教改革の先駆的な動き
「教会や教皇は要らない。聖書を読めばいい。」
教会批判
ウィクリフ(聖書の英訳)1320~1384
フス(聖書のチェコ語訳)1370~1415
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・コンスタンツ公会議(1414~1418)
教皇庁をローマに置き、教会大分裂は収束。(1417)
さらに教会が困っているときに教会の文句を言ったということで
ウィクリフ・フスは異端として、フスは焚刑される。(1415)